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2015年3月29日 (日)

都立戸山公園の桜きれいに 車いすでお花見 閑静な大久保2,3丁目 

2015年3月29日(日)、午前中、暖かく天気が良いので、都立戸山公園の桜を見に行ってきました。

この辺りは、江戸時代は尾張徳川家の下屋敷があって、そこに東海道を模していろいろな施設が作られました。その一つが人工の山、箱根山です。標高44,6mで山手線内では、一番高い所となっています。明治以後は陸軍戸山学校や陸軍病院などの施設が作られました。そのために、大久保や百人町の地域には軍人が多く住んでいました。東条英樹も住んで居て、学校も4中(現在の戸山高校)を卒業しています。戦後は戸山ハイツが作られ、早稲田大学など、いろいろな施設も造られました。

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山手線の内側で、高田馬場駅と新大久保駅の中間に、大久保3丁目地域の公園があります。右側が箱根山のある戸山2,3丁目地区です。

 1954年には都立戸山公園が作られました.戸山公園は明治どうりを挟んで、大久保3丁目地区と、戸山2、3丁目地区(箱根山地区)に分けられます。面積は18,7万mです。サービスセンターは大久保3-5-1に作られています。丁度、遊具などを新しくする工事が3月末まで行われていました。

 この地域(大久保2,3丁目、戸山2,3丁目)そして百人町2,3,4丁目)は文教地区で閑静な住宅街となっています。それに対して、大久保1丁目、百人町1丁目は歌舞伎町に隣接し、裏歌舞伎町とも呼ばれます.戸山公園周辺には、先ほどあげた、早稲田大学、戸山高校のほか、学習院女子短大、海城中、高校、保善高校、戸山小、西早稲田中学などがあります。百人町3丁目に大学が来る話もあります。そのほかに、新宿区のスポーツセンター、コズミックセンターなどもあります。この公園にはそれぞれの地区に身障者用のトイレが作られています。

 今日は住んでいるマンションから近い、戸山公園、大久保3丁目地域へ行ってきました。ごく最近山手線をくぐる道が広がり、車いすでも通りやすくなったのです。車いすは家内に押してもらいました。29日の日曜日はプレーパークを利用している子供たちの「ワイワイガヤガヤの催し」をのびのび広場でやっていました。午前中はいい天気で、気温も高く、桜が一気に咲き始めました。

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一輪車で遊ぶ子供たち。とても上手に乗りこなしていました。

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桜がすでに満開でした。何か80%の花が咲くと、満開情報を出すそうです。



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下の写真は公園に隣接して作られている、スカイフォレストレジデンスです。

左側は分譲マンションで、26階建て、すでに完成しました。右は建築中の、事務所棟と賃貸マンション等です、後10階ほど高くなります。ここは、大久保3丁目ですが大久保の名前はイメージが悪いせいか、つかいません。山手線の駅の中で下から2番目に悪いのが、新大久保なのです。大久保も閑静なところが3分の2あるのですが。

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3月末まで、一部が遊具の工事中で仕切られています。


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戸山公園には、桜のほかいろいろな花が咲いています。またいろいろな種類の鳥が住んでいます。青空がきれいで桜がさえました。

午後はあいにく天気が悪くなってしまいました。

◎ 今日は、5日ほど早く、東京で、桜が満開になりました。

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大久保の街紹介」カテゴリの記事

コメント

とら猫イーチ様
 目が眼底出血で、不自由なのに、コメント書いていただき、ありがとうございます。無理をせずお大事にしてください。
 お母さんとお出かけになった折の桜の情景が目に浮かぶようです。春をそのまま人にしたようなという、お母さんは、とても、素敵な方だったのですね。
 公園の桜の老木が切られたお話がありましたが、東京でも戦後まもなく植えられた木が、最近は桜も、60年くらい立っていろいろな病気になり始めたようです。
 住むところが変わって、車いすでも桜が近くで見られるのはとても、すばらしいことでした。

 こういち様


 満開の桜。 お天気も良く、何よりでしたね。
明日からは、下り坂の天気のようですので、お花見には、絶好の日でした。


 私は、未だ安静にしないといけませんので、ご近所の公園の桜で我慢でした。 


 この公園の桜は、可成りの老木で、亡母も毎年のように楽しみにしていたのですが、いつの頃か、公園整備の折に、数本が切られたようで、市の管理部門へ苦情を申し立てたことがあります。 亡母は、老木が見事な桜花を見せるのに感心していましたので、切られて悔しそうでした。 


 亡母と桜の思い出では、五十年以上前に亡母の出身校の大谷学園(大阪市阿倍野区)にお供した時のことを思い出します。 


 確か、恩師への退職に際しての餞別か、それともクラス会の返礼かで、母校を訪問した折のことでした。 それとも他の用件で、母校の近隣へ行ったのか、どうちらか思い出せませんが、大阪市の中の少ない緑地にある桜と云う桜が満開でした。


 公園の桜を見て、亡母に「今度は、お弁当を持って来たらええやんか~。 」と言ったのを覚えています。 亡母も「そやね。 そうしょ。」とほほ笑んだことでした。 


 昭和30年代前半の貧しい時代でしたが、春をそのまま人にしたような母さえいれば楽しい時を過ごせました。

 

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