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2015年4月12日 (日)

死が怖くなくなる? 小林朋道氏の動物行動学的人間論 

小林朋道氏の、「ヒトの脳にはクセがあるー動物行動学的人間論」という本が2015年1月25日、新潮選書から発売され、早速手に入れましたが、ブログに書くのはだいぶ遅くなってしまいました。本体価格1100円、新潮社。

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小林朋道(トモミチ)氏は、1958年生まれ、岡山大の生物学科から京都大の理学部へ進み、現在は鳥取環境大学の環境学部の副学部長、環境マネジメント学科長である。同時にヤギ部の部長でもある。人を含む様々な動物について動物行動学の視点から研究してきた。又、人間比較行動学についても、研究を進めている。岡山大学には生物学科がある。鳥取環境大学は公立で、1学部4学科。2005年(平成17年)に開学した、新しい大学です。

著書はほかに以下のようです。

「通勤電車の人間行動学」

「人はなぜ拍手をするのか―動物行動学から見た人間」

「先生巨大コウモリが廊下を飛んでいます」

「利己的遺伝子から見た人間 愉快な進化論の授業」

「先生ワラジムシが取っ組み合いのケンカをしています」

 などがある。小林朋道氏の公式ブログとして、「ホット行動学」がある。ちなみに4月9日のブログは、「冬眠中の二ホントカゲは私のほうがあさはかだった」です。

http://koba-t.blogspot.com/

下の小林氏の画像は、2014 小林朋道動物行動学0622

www.dailymotion.com/video/x22n920_2014による

ーうまくつながらないようです

裏表紙に

 「いくら科学が進歩しても、脳には、限界があるのはなぜだろう」

 人はなぜ、宇宙の果てや時間の始まりをイメージできないのか?なぜ、涙を流すのか、なぜ、火に魅せられるのか なぜビル街に鳥居を作るのか―。脳は、狩猟時代から進化していない。あの頃の生存と繁殖に必要な能力のままである。だから脳には人間特有のクセが残っているのだ。気鋭の動物学者が、進化の見地からヒトの思考と行動を解剖したユニークな論考。

本書の内容

私たちの脳は「進化のせい」で偏っている。

―長い間の採集狩猟生活時代の、生活のあり方が色濃く残っている。具体的には、後に出て来る。

はじめにー死が怖くなくなる

 (終わりのほうに書いてあります)

1,なぜマンガは文字よりわかりやすいのか

読字障害はなぜ起きるのかー言語は長い間音声だけのもので、字は5000年ほどしかたっていない。

アーミーナイフ(用途に合わせにいろいろなものが付いている)と脳の構造、ー対、生物、物理、対人のモジュールを持つ。どこかのモジュールが働かないと異常が。文化のビックバン-擬人化は一連の認知運動の結果

対人専用モジュールの働き―物質間の相互作用の理解を、対人的な心理を想定して理解するやり方

2、ヒトはなぜ、時間の始まりと宇宙の果てをイメージできないのか

ヒトは実在を認識できない―脳のクセ 人間の脳が知覚できる情報の中で達成できたこと(のみを認識できる)

狩猟採集に適応した脳-男性の脳と女性の脳の得意分野が違う

リアリティをもって想像できる範囲内で、

脳のクセと科学の関係-科学にできることは、外界の事物、事象の断片に関する因果関係を、ヒトに可能な認知様式の範囲内で見出し、より良い仮説に近づけていくことだけなのだ。真実そのものには永遠に到達することはできないのだ。

3,火に惹きつけられる人間の心

ヘビに反応する理由、

マカクザルやヒトの脳には蛇を見たときに対してのみ強く反応する神経群がある。狩猟採集生活時代、ヘビを素早く見つけ出すことは生存にとってとも重要なことであった 

火に専用の回路、

霊長類の中でもとりわけ大きなヒトの脳は相当なエネルギーを必要とする。そのエネルギーは火によって焼かれたり煮たりされた、消化しやすくなった肉などからしか得られない。つまり火なしには人類は進化的に誕生しなかったし生きながらえることもできなかった。

ホモエレクトス―火の使用がホモ属ならしめた 子供たちは幼児の頃から、火に強い関心を示す

◎筆者の上の息子は小さいときに、異常なほど火に興味を持ち、好きだった。

欲求と抑制ー

子供は外界の対象物に自分が働きかけその変化から対象の性質を理解する。-子供の好きな火遊び

4、ヒトが他の動物と決定的にちがう点

脳内では何が起こっているのか、

オオカミとカリブーとヒトのちがい、

 食物の獲得に関する行動の性質

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暗い画面で申し訳ありません。

横軸は、前提プログラムの種類 縦軸は階層性の高さ

 ヒトとシンリンオオカミ、カリブーの脳内プログラムと階層性の違い
 ヒトは道具の使用、対象生物の修正の学習、戦略の開発その他多数

ヒトでこれらの特別な能力を可能にしたものは1、「直立」 2、脳の増大である。

階層の高さ、(の違い)

ヨウム(オウムの仲間)の謝罪

「自分の行為で相手が敵対的になった時」に、ヨウムのアレックスは「アイム・ソーリー」と話す。しかし、もう少し階層性が高い因果関係があるときには、アレックスは「アイム・ソーリー」とは言わない。

5、ヒトはなぜ、涙を流すのか

 壮大な雲海を眼前にした時に自然に出る涙の経験

情動性分泌液の4つの仮説、

 涙には、「基礎分泌の涙」「刺激性分泌の涙」「情動性分泌の涙」がある。

 情動性分泌の涙

 1、感情の高まりによってたまった有害物資をだす

 2、感情の高まりによるストレスをゆるめる

 3、女性の涙は男性の性欲を減退させる

 4、涙は視覚的に空いての攻撃性を低下させる

涙は相手の攻撃性を低下させる

 ヒトの目から出た涙は視覚的によく目立つ 

涙は庇護をうながす

 幼児の涙,泣き声

6、ヒトは悲しみを乗り越えて前に進む動物である

悲しみの役割、

 人間という動物が進化の過程で遺伝的に獲得していった、欲求や感情を中心とした本能の多さが、人間の苦しみや悲しみの深さや多さを生みだしているのではないかと推察している。

 子の死はなぜ悲しいのか

 ヒトの少産保護戦略から

悲しみを乗り越えられる理由

 ボナーノ氏の仮説、心の回復力は人間万人に備わっている 悲しみによりコルチゾールの放出されるが、長くつづくとDHEAや、NPYが放出される。

7、遺伝子はヒトを操るパラサイト

ハリガネムシの長い旅

 カマキリを操って水にはいる行動をおこさせる、

人間を操る寄生虫、有益な寄生虫

 メジナ虫は足を水につけさせる行動、それで幼虫が脱出

 ギョウチュウ 尻の穴の周辺をかゆくする

遺伝子に操られているヒト、

 人間の体内には細胞の10倍くらいの細菌がいる

 ミトコンドリアは細胞内に侵入した寄生生物 それがヒトのエネルギーのもと

 生物は遺伝子の乗り物、子どもという新しい乗り物へうつる

個体としての「自分」って何?

 へマクロトーシス遺伝子は10%ぐらいの人類が持つ遺伝子 鉄が心臓や肝臓に沈着しやすい性質 子供のできる中年期まで生きさせる へマクロトース遺伝子は厳しい環境な時、鉄分を多く所持し人類を生きながらえさせる働きを持つ。

8、今も残る狩猟採集時代の反応

獲物に近づく感覚、

ヒトは因果関係にこだわる

 ビル群の中に今でも赤い鳥居があること

 大きな力を持つ存在の求めに応じ庇護を求めよう、現代人の心の中には今でも狩猟採集生活の世界をさまよっている、

不安感情と生存

 威嚇顔検知優先性 「怒った顔に真っ先に反応する

 生物学者のドーキンス氏は「ドーキンス博士が教える世界の秘密」≪早川書房≫人が過度の不安を感じることを、マーフィーの法則を例にあげる。即ち 良くないことを実際以上に起こると感じる法則 はっきりと状況がわかるまで、臆病にして居る個体のほうが生き残れた。不安感情を生み出す主要な神経系は、大脳基底核に位置する偏桃体にあることが知られている。目からはいった”危険”の可能性を含む信号は、視床と呼ばれる場所まで送られ、直接偏桃体へ行く、もう一つは、いったん大脳皮質にいってから、偏桃体に行く。まず、危険を感じ、あとで、じっくり吟味する。ヘビかと思い、後で、ウナギだとわかる、ようなばあい。

 遺伝子は狩猟採集時代から、ほとんど変化していないこともDNAの分析から示されている。つまり、様々な面で我々は、まだ狩猟採集の世界に適応した脳で外界に反応しながら生きているのだ、と。だから仕事を含めた日常生活の中で、何かと不安になりやすい”自分”は、当たり前のことなのだ、と。それでけっこうなのだ、と。

おわりに―目隠しをして象に触れる

 ヒトという個体は、「遺伝子と言う寄生体の連合が作った乗り物」それゆえの、「乗り物のパーツとしての脳の仕様、クセ,限界を持つ」といったことを書きたいと思った。

 「なぜ、脳内の物質的な変化から”意識”が生まれるのか。

 意識とは、脳内のある神経が、その情報と結びついたときだけに生まれる

 フランシス・クリック氏はその”ある神経”をNCCとよんだ。この研究はいま世界中で行われている。

はじめにー死が怖くなくなる

 推敲前の原稿を読んでくれた知人は「何だか、死ぬのが怖くなくなった」と感想を述べてくれた。そしてそれを聞いた私は最初意外に感じたが、少しして「あーそうかもしれない」と妙に納得した気持ちになった。 

 自分という存在をことをことさら意識し、自分の力で人生を創り上げていこうと思うと、死は怖いことかもしれない。でも。自分という存在が実は,「死に行く個体から,新生の個体へと、長い長い時間をかけて不滅の寄生虫のように移動し続けてきた遺伝子たちが、一時的に作った乗り物だ」「自分は、その意識を含めて生命の大きな流れの中の一部にすぎない」と思えば、死への怖さは減るのかもしれない。

そんなことを思って「何だか死ぬのが怖くなくなった」といった  知人の気持ちに納得した。

 本書は、そういった「死にゆく個体から,新生の個体へと、不滅の寄生虫のように長い長い時間をかけて移動し続けてきた遺伝子たちが一時的につくった乗り物としてのヒト」や、「ヒトの本来の生息環境である狩猟採集生活へ適応した、その乗り物に特有な性質」を中心に据えて書いてたものである。

 あらためて言いたいのだけれど、感情や心理を生みだすヒトの脳は、狩猟採集生活という環境の下での生存・繁殖に合致した、かなり偏った性質(クセといってもいいだろう)を持つ器官だと思う。その脳のクセは、脳以外の体のつくりや性質と同様に、現代に生きる我々も変わることなく受け継がれている。

 人間にしか有さない能力は「月に行く能力のあるロケットをつくることだ」

◎ 「人間は、道具を使う存在だ」ともいえます。人間以外にも、道具を使う動物、はいろいろいますが。限定的です。

◎ この本のさわりの部分を要約して、書いてみました。人類は何百万年という、長い長い狩猟採集時代があり、長い時間をかけて、形成された、独特のクセがあり、文明が発達した現代でも、それを引きずっているということです。文明時代は5000年くらいで、長くてもわずか一万年ぐらいしかたっていないのです。だから現代文明がものすごく発展している反面、いろいろな非合理的な宗教や迷信などを信じて居ることは、狩猟採集時代を引きずっているからだとしたら、確かにそうかなと思う。

 ここに書いたのは、ほんの一部なので、興味をおもちの方は直接お読みください。

 あと、この本の中で「一個人は生命の大きな流れの中の一部にすぎない」と知ったら、死ぬのが怖くなくなったということについてです。私は、根っからの唯物論者で、死んでからの世界など考えもしません。死はいわば永遠の眠りのようなものです。死ぬ時は酸素不足となり、ドーパミンなどが出て、良い気持ちになるようですから、そういう点は心配しませんし、怖くはありません。おととし視床出血で半身不随になり、その後後遺症が残ったり、また大学の時の友人がなくなったりして、死というものに、一歩ちかづいた気がします。

 死んだあとのことは、私は全くないと絶対的な確信をもっているし、死後の世界などがあっては困ると思っています。釈迦も、死後に極楽浄土に行くとは言ってなくて、輪廻を繰りかえす苦しみをなくす、といっているだけです。でも、死ぬ間際に釈迦はいいます。この世は甘美なものだと。そういう甘美な所を去るのは残念だな、ということです。しかし後世弟子たちは、極楽浄土に生まれ変わるというように、変えてしまいました。まあ、あまり深く考えずに、信じたい人は、生まれ変わると信じて、安心していればいいのでしょうけれど。なかなか本当に安心立命はできないようです。しかし、一神教は根本的にちがいます。天国や神の国に行くことを前提にして居ます。良く、永遠の命を手に入れるとか言っていますが、永遠なんて恐ろしくてとても嫌ですね。

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コメント

こういち 様

 
 興味をそそる有益な書籍のご紹介を有難うございます。


 小林朋道氏のことは、存じてはおりましたが、著書の内容までは知らずにおりましたが、今回、詳細なご紹介があり、少なからず興味を抱きました。


 眼病が多少とも安定すれば読書も楽になるでしょうから、読みたいと思って居ます。


 私の勉強したものは、社会科学の中の一部門であり、生命や宇宙と云った科学とは違った人間社会に特有のものでしたので、そうした領域に関しては、まるで無知のままで今まで来ました。

 
 また、多くの人々の青年期にあるようにマルクス主義の影響を受けた過去には、唯物論を信じたことで、他を唯心論として排除していましたが、社会主義諸国の崩壊後には、その政治信条に懐疑心を持つとともに単純なマルクス主義的唯物論にも懐疑心を持つことになりました。

 
 退職後には、本来勉強したかった英文学を志すとともに、生命と宇宙の存在そのものを科学的に勉強したいものと準備していたところで、この度の眼病発症でしたので、実に残念です。

 
 でも、こういち様は、何と、発症後のリハビリとともに、尚、ご自分の研究を継続しておられる学究の模範のようで、私のような軟弱な者に勇気を与えて頂いております。 

 
 こういち様の勇気の何分の一かでも持ち、勉強をしたい、と思っております。 その一部が生命論です。


 この自分の意識の基礎である自分の肉体が終わりを迎えても、固体としての生命が終わるだけで、遺伝子を媒介に生命の継承がある訳なので、自分と云う個体に宿った生命は継承され、また、その個体に宿った意識も何らかの形で継承されるのではないか、と思っています。

 
 そう思えば、生と死も大した相違があることでも無く、自分に宿った無形の意識が永遠の休息に入ることであり、取り立てて嘆き悲しむことでは無い、と思えます。


 今回の眼病発症では、自分の意識が、その存在の基礎の肉体の中の眼を客観的に意識出来るようで、一種、特異な経験をしています。 

 
 人間は、こうした経験を経て、自分の死を意識し、その終末に備えることが出来るのかも知れませんね。 


 古来からの宗教も先端的科学も、そう大した相違が無いのかな、とも感覚的には思える今日です。 

とら猫イーチ様
いつも、コメントありがとうございます。小林朋道氏はなかなか、面白い本を書いていますね。関西方面にはなかなかすぐれた人が多いように感じます。これは、京都大学などににおける自由な学風によるのでしょう。私は生物学科の出身ですが、京都大学にいたら万難を排して学者になっていたかもしれません。京都大学の今西錦司氏とその系列、今の山極学長もそうですし、小林朋道氏もそうです。
眼底出血の件ですが、治療されて安定してくると私のように左目をつぶって本を読むなど眼底出血した目は確かに不便ですが、何とかなります。
 英文学と宇宙と生命の問題に取り組まれるとのことですが、大丈夫だとおもいますよ。
 病気をすると何かと不便なことが多くなりますが、反面健康な時にはきづかなかった側面に目が行く良い面もあるようです。

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