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2015年6月25日 (木)

コンゴの食料品店開店、南大門市場閉店、大久保の多国籍化進む

コンゴの食料品店が、ようやく開店しました。

 新宿の百人町にコンゴの雑貨屋さんが開店と書いてから2度ほどこのブログに書きました。その後契約してからもうすぐ3か月になろうかという今週、(2015年6月22日頃)ようやく、開店しました。開店したお店を見た家内の話では、雑貨屋さんではなく食料品が中心だそうです。大きな干した魚があったり、(今度写真に撮りますが、黒っぽくてカチカチに乾燥していてとぐろをまいたような形で、大きいそうです。)肉の塊が冷凍になったり、食料用の白い粉など(サゴヤシの澱粉?)、日本ではあまり見かけない食料品が多いそうです。日本人向きということでなく、アフリカの人たち向けの食品です。

 お店の名前は、Malaika African Exotic Store(マライカ アフリカン エキゾチック ストア)です。場所は新宿区百人町1-4-19 第2サタケビルの2,3階です。経営者の方は、コンゴ民主共和国の、ルシクさんです。正式なお名前は、もっと長い名前です。奥さんが日本人で、日本語を上手に話します。

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赤い階段の上、2,3階が新しいお店です。家内がお店に行った時カメラを持っていかなかったので、すみませんが店内は後で、ご紹介します。

 珍しいから行ってみようという方は、山手線の新大久保駅降りて右、ガードをくぐり、そのまま歩くと、靴屋さんとファミリーマートの間を入り、3軒目です。黒い変わった建物です。2,3階です。1階はソウルレコード、地下は「宮」クンというバーです。

「コンゴの食料品店、店内の写真を撮る~」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/07/post-212e.html

 

コンゴとスワヒリ語について

 コンゴ民主共和国の歴史は、はじめコンゴ王国でした。その後ベルギー領コンゴとなりました。赤道直下で、アフリカではアルジェリアに次ぐ非常に大きな面積を持っています。1960年独立後、1971年モブツ大統領になってから32年間という長い間,独裁政治が続きました。その時の国名はザイールです。現在は1997年成立したコンゴ民主共和国という名前です。公用語はフランス語、首都はキンシャサ、国の東部はスワヒリ語が通じます。スワヒリ語はケニア、タンザニア、ウガンダ、ザンビア、マラウィ、モザンビーク、マダガスカルなどで通じます。人口は2012年、6780万人、宗教はキリスト教信者が80%と最も多くなっています。鉱物資源が主な輸出品です。隣に、コンゴ共和国があります人口は420万人、首都はブラザビルです。2012年日本に住むコンゴ人は339人。東京には、2015年50人が住んで居ます。

 マライカとは、スワヒリ語で天使という意味です。すでに、アフリカだけでなく幅広くエスニックの雑貨、食料品を扱っている全国に店を展開しているマライカバザールとは、まったく関係がないようです。

 

南大門市場が閉店

 職安道りに面した、14年間営業していた、南大門市場が今月あたりで、閉店するとの情報を、韓国化粧品の販売店をやっておられる、青山さんから連絡が入りました。青山さんは現在アメリカにいっておられて、そこから連絡が入りました。南大門市場は、新宿区百人町1-1-3、葉山ビル1階で、職安通りに面して営業してきました。店は韓国広場やチョンガーネ、ソウル市場ほど、広くはありませんでしたが、それなりに繁盛してきました。すでに、職安通りの韓国スーパーKプラスに続く閉店です。職安道りの人通りの人通りは大久保通りに比べると少ないのです。大久保通りも、いわゆる、イケメン通りまでです。

「どうする万作」

http://heiten-sale.jp/archives/3516

 前にも書きましたが、韓国のお店が減ってきましたが、家賃が急速に下がり、それにつれて、いろいろな業種や多国籍のいろいろなお店が増えてきています。ハラルフードの店、ベトナムの店などです。今度開店したコンゴの食料品店などはその典型です。韓国のお店でも堅実に、商売をしているところは、一時よりは客数が減っていても閉店に追い込まれることはありません。一時のブームでお客が非常に増えたときに、粗雑な商売をしていたところがやめています。この間の、テナントさんの動きを見ると、よくわかります。

やめていったテナントの例

 あるテナントの飲食店からバーになったお店の例です。 一時期は、お客さんが行列をして、待っていた時期がありました。雑誌などにのったりしてどこのお店もずいぶんとお客が入りました。それがいろいろな状況の変化で、お客さんの数が減ってきました。それに応じて従業員を減らせばいいのですが、ある店では、通りに2人立ってお客を呼び込んでいました。お客の数に比べ従業員が多く、これでは採算が合わないだろうと思っていました。

 飲食店やバーで、お客さんを大事にしないと、リピート客が少ないのです。特に経営者がお店にいないことが多くて従業員に任せっぱなしだったことや、監督が不十分だったりすることがあると、リピーター客は来ません。採算を取るためにか、お店で頼んだ食事が時にひどくお粗末だったことがあります。こんな状態では二度と店に来ないだろうと思いました。また、従業員が観光ビザで来るため3か月おきに変わり、お客さんが定着しにくいこともあります。お客様名簿を作り、ネットや電話や色々な方法で宣伝し連絡することを怠っていたこともあります。さらに一つの店を大事にせず、次々と借金をしてほかにお店を出したり、赤坂にエステの店を出したり、しかし、そこもうまくいかなかったこと。色々原因がありますが、つぶれて当然の結果です。一時期いろいろこうしたらと若い店主にアドバイスをしましたが全くダメでした。

今年はいったテナント、韓国系無し

 今年になって入ったテナントさんは、第2ビルの、コンゴのお店、第3ビルの101が(株)オリーブという化粧品店ですが、経営者は中国の方、301は、関西の会社の事務所で日本人の経営です。ずいぶん、様変わりしてきました。

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コメント

とら猫イーチ様
 確かに大手のチエーン店が増えていますが、効率第一のマグドナルドが信用を失い、店を減らしています。ブラックといわれた和民もそうですね。本当にいいお店はチエーン店では無理と思います。新大久保の飲食店の激しい変化も、本当にお客さんを第一に良心的にやっている店は、流行っていますね。
 大阪でも大金を投じた一等地が成功せず、無視されがちな下町がにぎわうとのことですが、東京でもそう感じます。ちょっとでももうけ主義に走り、質を落としたらその店には二度と行きません。韓国料理でも良心的なおいしい店は、ずっと続いています。又おいしいと思うお店は他の人に紹介します。

こういち様。

 大手のチェーン店ばかりになると、本当につまらないですね。 でも、大阪でもチェーン店でないと経営は厳しいようです。 残念ですが、南や北の一等地では、チェーン店ばかりになるような勢いです。 

 でも、面白いのは、元気な個人が一等地を離れて経営しているお店がたくさんあって、ミニコミやネットで評判を聞きつけた人たちで賑わっているのです。 

 それに、下町では、昭和の時代から営業しているお店がたくさんあって、今も元気です。 例えば、新世界です。 此処は、今や串カツ屋さんで溢れています。 少し前には、串カツ屋さんは数軒しかありませんでしたが、今や新世界の名所になるほどです。 

 何年も前ですが、阿倍野から貸し切りのチンチン電車で住吉公園まで行き、其処から折り返して新世界まで行き、串カツ屋さんで乾杯したことがあります。 或る環境NPOの主宰でしたが、なかなか面白くて、楽しい一日でした。 

 因みに、新世界のある新今宮からの西成区一帯は、今では、格安旅行で日本を巡る外国人が多数来られる場所で有名になりました。

 大阪の企業や行政が大金を投じて再開発した一等地は、必ずしも成功せず、どちらかと云うと無視されて来た下町が賑やかになる、と云うのは小気味が良いです。 

とら猫イーチ様
 コメントありがとうございます。なじみのいいお店が次々なくなるのは寂しいですね。前は、いろいろいいお店に行っておられたのですね。大阪にはいいお店が多いのでしょうね。
 昨日、ささやかな株主総会に参加するため、いとこの経営するレストラン「あうん」に車いすで行ってきました昨年はいけませんでした。とてもいいお店ですがそこも、いとこがとしをとって来たらいずれ閉店するかもしれません。みんな、大手のチエーン店ばかりになると、つまらないですね。

こういち 様。

 飲食店やバー、のみではないのでしょうが、継続する経営は、可成り難しいのでしょうね。 長年の経営で養った眼力で忠告して貰えば、有り難い筈なのに、聞く耳を持たなければ破綻して当然かもしれません。 

 大阪でも飲食店やバーは、可成り淘汰されてしまい、道頓堀を歩きますと、私たちが馴染んだ店舗が殆ど無くなり、今、残っているのは、大規模店か、余程の老舗のみになってしまいました。 
 その理由は、破綻だけでは無くて、世代交代も多数があり、また、いくら老舗でも後継者が無ければ営業を継続出来ません。 
 
 でも、理由がどうあっても、長年の間馴染んだ店舗が無くなっていれば、何か、自分の人生の一部が消えたようで寂しいものです。 

 大阪南の千日前にあったカレーの店、パキスタン。 道頓堀にあった居酒屋の福富。 それに、天王寺で昼は、ジャズ喫茶で夜はジャズ・バーのトップシンバル。 これ等のお店は、私の人生の一部でした。 忘れるところでしたが、南のアメリカ村三角公園前にあったエルパソも、今のアメリカ村のように賑やかになる以前に馴染んだお店で懐かしいです。

 中でも、トップシンバルでは、常連さんたちと一緒に旅行もしましたし、年一度のパーティーも楽しかったものです。 此処の元オーナーさんとは連絡があり、また、常連さんたちとともに、お会いしたいものと思っています。 

 今では、健康上の理由と我が家の年寄猫の療養費を捻出するために飲酒を断ちましたので、夜に飲食することはありませんので、これ等のお店が健在でも出向くことはないのですが、寂しいのには変わりはありません。 

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