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この本は、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所ディレクターのスヴァンテ・ペーボの書いた、自伝的な書物です。ペーボはスエーデン人で、1955年生まれです。1981年、医学生だったときエジプト学と分子生物学の合体を思いつきました。はじめ東ドイツのウプサラ大学で臨床医になりました。臨床医のかたわら、そこでミイラのDNA抽出を実験し当代1の、学者アフリカ単一起源説のアラン・ウイルソンの目に留まりました。1987年、古代ゲノムの研究を選んだ。「PCR法」で古代動物のDNAを増幅する実験を重ねました。1990年ドイツにわたりミュンヘン大学の研究者となった。そこでは”現代”のDNA混入に苦戦する。このころ琥珀の中の虫からDNAを抽出したなどの怪しげな研究がいろいろだされた。1993年に「アイスマン」を解析するが、現代人と変わりなかった。それでもっと古い人類ネアンデルタール人を調べてみようということになった。ペーボはミュンヘン大学を経て、1997年マックスプランク進化人類学研究所を創立することになった。研究所の各部門の長はいずれも外国人だそうです。1999年にネアンデルタール人の骨を入手したが、第2のネアンデルタール人の解読競争に他の研究者に先を超される。
1997年の論文で現生人類の出アフリカ説を採用したペーボは多地域進化論者の批判を受ける。2000年にペーボが顧問となってDNA増幅の新技術「次世代シーケンサー」を作りだす。それにより、一度に96個ではなく、20万個のDNA断片を同時にシーケンシングできるようになった。2006年、2年以内に30億ヌクレオチドのネアンデルタール人ゲノムの解読を宣言した。しかしいろいろな困難が生じた。シーケンスする費用は500万ドルと提示された。データを出すには骨が足りないとか、バクテリアのDNAを取り除く戦い。忍び込む『現代』との戦い。厄介な前年の論文への批判などがあった。
ネアンデルタール人のDNAの短い断片をヒトゲノムの配列に当てはめていく。これをマッピングといいます。これは多くのピースが欠損した巨大なジグソーパズルを仕上げるようなものなのだ。研究メンバーのエドが新たなマッピング・アルゴリズムを作りだす。2009年2月12日にアメリカ科学振興協会の年次総会があり、その発表6日前についに全データが届く。
衝撃的な分析
わたしが2006年から集めていた凄腕科学者のチームは、交配の問題に取り組んで居た。2009年のゲノム配列の発表直前彼らから衝撃的な報告が
ネアンデルタール人は現世人類と交配したのか
はじめ交配していないと考えて居た。しかしライシュとパターソンは一塩基多型(SNP)と呼ばれる遺伝子検査の基礎になっている方法で、各現生人類と、ネアンデルタール人を比較した。2009年2月6日、ライシュからメールが届いた。「ネアンデルタール人のゲノムはアフリカ人のより、非アフリカ人のゲノムと深いつながりがあるという、強い証拠が出た」とあっ。中国にネアンデルタール人はいなかったにもかかわらず中国人のSNPは51,54%の割合で一致し、不確実性は0,28%で、やはり50%より大きかった。(51,26%)
ネアンデルタール人はは私たちの中に生きている。
祖先集団はアフリカにいて、アフリカをでた子孫の一部がネアンデルタール人になった。アフリカに残ったものが現代人の祖先になった。
ネアンデルタール人のゲノムはアフリカ人のゲノムと非アフリカ人のゲノムをくらべると常に約2%、非アフリカ人のゲノムと多く一致した。
遺伝子流動は全てあるいはほぼすべてネアンデルタール人から現生人類への方向で起きたと私たちは結論付けた。
ネアンデルタール人から、遺伝子を取り込んで、特に寒冷地で生き延びるために、有効な遺伝子を取り込んだ。白い肌などの肌の色、それとつきものの赤い髪、や金髪、病気に対する耐性など。
ペーボ氏はネアンデルタール人と対比されるために5つの現生人と比較した。
1 フランス人(ヨーロッパ人)、
中国人(アジア人)、
パプア人(ニューギニアに住む人)ー非アフリカ人
2、 ヨルバ人(アフリカ、ナイジェリアに住む人々)、
サン人(南西アフリカカラハリ砂漠に住む人々)-アフリカ系
見にくくて、申し訳ありません。266ページの地図です。
上図に書いてある説明です。「この図は、アフリカを出た初期の現生人類がネアンデルタール人と交配しその子孫がアフリカの外の世界へ拡散していくと、ネアンデルタール人が存在したことのない地域へもネアンデルタール人のDNAが運ばれうることを示している。例えば中国人のDNAのおよそ2%はネアンデルタール人に由来する。ペーボより
ネアンデルタール人のゲノムの一部を調べた結果から、ネアンデルタール人の全ゲノムと現生人類の全ゲノムとで異なるヌクレオチドはおよそ10万個と推定できる。いずれ、それらの違いが、現生人類を『現代的』にしたのは何かという問いに対して、少なくとも遺伝学的には完全な答えを示すことができるであろう。この10万個のヌクレオチドを元に戻せば、遺伝子レベルでネアンデルタール人と現生人類との共通の祖先に等しい人物が現れるはずだ。
ペーボは1982年にノーベル賞をとった、父親の婚外子であった。
アフリカの外で最も古い現生人類の遺跡はイスラエルのカルメル山脈のスフール洞窟とカフゼー洞窟で見つかった。そして、そこからわずか数百メートルしか離れていない、タブーン遺跡とケバラ遺跡では、およそ4万5000年前のネアンデルタール人の骨が見つかっている。気候が温暖だったころ現生人類が来て、寒冷化したころネアンデルタール人が来たと見ている。スフールとカフゼー(イスラエル)の現生人類は子孫を残さず滅亡したと考えられている。しかし直接の子孫ではないにしても、彼らの血をひくものは残っているはずだ。ネアンデルタール人とは数千年にわたって接触を持ったに違いない。p275
もし現代人が皆、ネアンデルタール人のゲノムを1~4%持っているなら、精子と卵子が作られ融合する過程で、偶然に偶然が重なってDNAの配列がとんでもなく入れ替わり、完全な、あるいは、ほぼ完全なネアンデルタール人の子どもが生まれるということはないだろうか。
息子が特定のネアンデルタール人の断片を持つ見込みは、当たる確率が5%のくじを引くようなものである。〜私の息子が完全にネアンデルタール人になるj確率はゼロに等しく、地球上の70億人からネアンデルタール人が生まれる見込みもない。
それでも、やはり、私たちのゲノムのどの部分がネアンデルタール人に由来するかを明らかにすることは重要な研究目標である。
自分が息子について計算したように、他の人も、自分のゲノムのどの部分がネアンデルタール人由来かを知りたいと思うはずだと思いいたった。実のところ私のもとへは毎年、自分(あるいは愛するパートナー)はネアンデルタール人じゃないかという手紙が届いていた。しばしば写真が同封されており、大抵は、がっしりした体形の人物が写っていた。〜現代人の誰かのDNAをそれと見比べて、ネアンデルタール人から受け継いだと思われる部分を判別できるはずだ。
ネアンデルタール人の遺伝子に関して特許を取るかどうかの議論があったが、結局、特許の申請はしなかった。未来の研究資金を確保するチャンスも、ネアンデルタール・ゲノムの営利目的の利用を管理するチャンスも失ったのだ。本書を書いている今23andMe社は、ある人のDNAのネアンデルタール度を調べるサービスを始めている。他の企業も当然そのあとを追うだろう。p282~p284
◎日本人が自分が縄文系か弥生系かに興味を持つように、西洋人は、ネアンデルタール度に興味を持つだろう。特に、旧バイキングのノルマン系の人々はネアンデルタール度がきわめて高いだろう。ペーボもスエーデン人だから、ノルマン系だといえる。いまや世界を支配している、金髪、青い目で、白い肌でがっしりした人々がネアンデルタール度が高いことになる。さらに加えて、毛深い、眉上隆起が強く額が傾斜している、などがあれば、典型的なネアンデルタール人だ。逆にネアンデルタール度が低いアフリカの黒人が支配と抑圧を受けてきたということです。日本人もネアンデルタール人のゲノムのゲノムを受け継いでいる。ヨーロッパ人ほどでなくともある程度ネアンデルタール度が高い人がいるかもしれない。
追 記 「古代DNAの謎解き」
毎日新聞2015年9月15日の記事の、「著者のことば」に、ペーボ氏の話が出ています。
「古代DNA研究のスター科学者がみずからつづったネアンデルタール人ゲノム解読までの30年。この夏京都での講演でも披露したが、紆余曲折を経た研究者の道のりはまさに壮大な冒険物語だ。「書くならリタイア後と断ったんですが、今書かないと他の人が書いちゃうぞと編集者にいわれて」
「ネアンデルタール人ゲノムの概要を完成、「彼らの現代人の祖先と交配していた」との解釈を公表し、世界をあっと言わせたのが2010年だ。
「欧州人にも日本人にも中国人、韓国人にも彼らの遺伝子が寄与しています。ネアンデルタール人が少しだけ私たちの中に生き続けているようなもので、彼らに対する見方は変わったかもしれません」。自分や結婚相手はネアンデルタール人では?と疑う人からの問い合わせが舞い込むというからおもしろい。
目的達成のため,さまざまな分野の人を世界中から集めた熱意や手腕にも脱帽するが、本人はいたって穏やかな人物だ。「ほんとうに重要でおもしろい研究ならみんな喜んで貢献するものです。人を集め、お互い理解しあえるようにする努力は、そう難しいことではありません。」
今後の目標は何が私たちを現代人にしたのかわ突き止めること。「ゲノム情報を使ってIPS細胞をネアンデルタール人の細胞に変化させ、それを神経細胞などに分化させれば現代人との違いが分かるかもしれません」冒険物語は続く。
書評から
「ワトソンとクリックがDNAの構造とその複製の仕組みを解明したのが1953年、それから50年後の2003年には、ヒトが持っているDNAのすべてであるヒトゲノムののおおかたの全容が解明された。遺伝学の進歩はこれほどすさまじい。〜
著者はかなり古くて壊れているDNAをどうやって意味のあるように読み解くか、そして現代人や細菌のDNAの混入をいかに防ぐか、長い年月をかけてこの2つの難点を克服しついにネアンデルタール人のDNAを解明したのである。」 「 「 」内は日経新聞、長谷川真理子氏の書評
原著の名前は、”Neanderthal Man In Search of Lost Genomes”です。原著は2014年に書かれ、2015年6月30日に野中香方子氏により翻訳されました。価格は1750円+税で、 文藝春秋刊です。帯封には、7月5日のNHKスペシャル『生命大躍進』第3集「ついに”知性”が生まれた」に著者登場と書かれています。又、国立科学博物館で開催中の「特別展 生命大躍進」でも紹介されています。この特別展には筆者も行ってきて、その概略は8月1日の筆者のブログにも書きました。7月6日に書いた筆者のブログ、「生命大躍進 人類誕生の秘密~」にも、ペーボ氏の「ネアンデルタール人は私たちと交配した」の本の写真と、ペーボの写真とともに簡単に紹介しました。毎日新聞ではすぐに中村桂子氏の書評が、「現生人類への遺伝子移動明らかに」と5段の大きな扱いででていて、8月9日の日経新聞でも、「古代DNAの研究法確立まで」と長谷川真理子氏の書評が出ていました。他の新聞でもおそらく書評が出ていることでしょう。
1996年のある晩、ベッドでうとうとしていると電話が鳴った。マティアス・クリングス、ミュンヘン大学動物学研究所のわたしの研究室に所属する大学院生からだ。「あれは人間のDNAじゃありません」と彼は言った。
この本の第1章「よみがえるネアンデルタール人」の冒頭の文章です。ネアンデルタール人の腕骨のかけらから抽出して増幅したDNAのシーケンシング(塩基配列決定)を始めたばかりだった。アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4つのヌクレオチドからなる。身体を形成し、機能を維持するのに遺伝情報はその4つの順番に従って記されている。わたしたちが調べていたのはミトコンドリアDNA(mtDNA)で、これは卵細胞によって母親から子どもに伝えられる。(精子のミトコンドリアは受精時に失われる)ミトコンドリアDNAは研究がしやすい。1996年までに世界全体で数千人のmtDNAが調べられてきた。ネアンデルタール人の化石から抽出したmtDNAはその数千人のmtDNAには見られない配列がみつかった。
化石からのDNA配列を決定するには、多大な困難がある。DNAは化石ではバラバラな断片である。又バクテリアによる汚染、人間によるいろいろな汚染が生じる。
「ジュラシック・パーク」は琥珀のなかの蚊が吸っていた血からDNAを取りだすという話である。しかし1億年前の生物の化石からDNAを取りだすことは困難である。しかし、いろいろな、研究結果が次々に出てきてマスコミをにぎわした。
ペーボは、はじめ1980年代にエジプトのミイラのDNAを解析した。ただしミイラの解析のデータは後で誤りとわかった。その後、ネアンデルタール人のDNAを調べてほしいとのボンの博物館から依頼があった。そこで、ネアンデルタール人のmtDNAを調べた。
その後、マックス・プランク進化人類研究所に責任者として入った。
次世代シーケンシングという、革新的なDNA解析技術を開発した。解析の画期的スピードアップが可能に。
2006年の研究者の会議に、これまでに解析したネアンデルタール人の、遺伝子配列を発表した。解析したのは0,0003%だが、それを推し進めれば全部が解読可能であるということである。そして、2年後に全ゲノム解読を宣言する。
書評から
「2009年に、ネアンデルタール人と現代のフランス人、中国人、パプア人とのゲノムの比較から、非アフリカ人の一致度がアフリカ人と比べて常に2%多いことがわかった。一見わずかな差だがアフリカ以外の人々への遺伝子の寄与を明らかにしたのである。この遺伝子の移動はネアンデルタール人から現生人類へであると解析できた。いつどこで何が起きたのか。著者(ペーボ)は5万年前にアフリカを出た現生人類が中東でネアンデルタール人と交配し、その子孫が世界へ拡散していくモデルを出している。まだ多くの検証が必要だ。
ゲノムの解析の結果を用い、類人猿のペニスに存在しヒトにはない突起がネアンデルタール人にもないことを明らかにする報告が出た。又言語能力に関する遺伝子FOXP2で見られる、ヒト特有の変異がネアンデルタール人にもあることがわかった。」
以上「 」内は毎日新聞の中村桂子氏の書評をそのまま掲載させていただいた。
21章は革命的な論文を発表
2010年5月、ついに『サイエンス』に論文を発表し、彼らと現生人類の交配の事実を世に問うた。現生人類が生き延びるのに役立った、ネアンデルタール人遺伝子。現生人類と遭遇した時、ネアンデルタール人はすでに20万年以上、アフリカの外で暮らしていたため、彼らのMHC遺伝子変異は、アフリカに存在しないヨーロッパ特有の病気との闘いに適応していたのかもしれない。
論文は大反響があり、年間最優秀論文に認められた。賞金は2万5000ドル。
22章と23章はデニソワ人についての報告です。
2009年、デニソワ洞窟の小さな骨がわたしに届いた。さして重要とも思わなかったが、一応、DNAを調べると、なんと未知の絶滅した人類だったのだ。
ネアンデルタール人と現代人のmtDNA配列は平均で202か所異なるが、デニソワの骨と現代人では385か所も違っていたのだ。ネアンデルタール人と現代人のmtDNAが分岐した年を産出するとおよそ50万年前になるが、現生人類とデニソワの骨では分岐した年は約100万年前になったそうだ。骨は米粒2つぐらいだ。これは、ホモ・エレクトスより後ネアンデルタール人より前にアフリカを離れたグループの一員なのだ。
極寒のロシアに探しに行き、デニソワ人の臼歯を発見する。30年の苦闘は報われた。2010年にはデニソワ人の核DNAも解読し「ネイチャー」に論文を発表した。デニソワ人の骨は少女のものとわかった。デニソワ人は、現代人よりネアンデルタール人とより近かった。また特にパプア人とより多くのSNPを共有していた。ネアンデルタール人と現生人類と交配した時代に、ユーラシアにいた現生人類はネアンデルタール人のゲノムを通じて,デニソワ人のゲノムを受け継いだと考えられる。
◎たった、これだけの小さな骨と一つの歯だけで、デニソワ人の全遺伝子配列がわかり、どのような人類か、そして性別おおよその年齢まですべてわかってしまうとは、素晴らしいものですね。デニソワ人は、とりわけ、パプア人やアジア人に大きな影響を与えたようです。われわれ日本人にとっては大きな関心を寄せるところです。
解説 更科 功
「ズル」をしないで大逆転した男の1代記
多くのグループは大した工夫もなしに1億年ぐらい前のDNAの抽出を試み、明らかに間違った結果を発表しては、世の中の賞賛をあびていた。しかしペーボは、たとえ、世間の称賛を浴びなくても自分の道をきちんとして、正しい結果を報告しようと思うようになる。
そして最後に大逆転がやってくる。ネアンデルタール人のゲノムの解読だ。
ペーボの研究生活は古代DNAの発展の歴史そのものだ。
◎文章にまとまりがなく、読みにくかったと思います。詳しくは直接本を読んでいただければと思います。ネアンデルタール人と現生人類が交配し、新しい土地に適応するために、良い形質を取り込んだ。又、ネアンデルタール人のDNAから、赤い髪や白い肌をしていたこともわかった。ネアンデルタール人のイメージも以前と全く変わったものになっています。具体的な想像図の違いは、ブログをご覧ください。
「こういちの人間学ブログ」
2015年8月17日 「ネアンデルタール人と私たちの50万年史~」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/08/post-df34.html
2015年8月14日「ネアンデルタール人について、図像の変化 ~」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/08/post-6640.html
追記 2015年8月25日
「こういちの人間学ブログ」の2010年5月7日付の記事に、「ホモサピエンス(現生人類)ネアンデルタール人と混血?」というものがあります。2010年5月7日のアメリカの科学誌「サイエンス」に、この内容の記事が掲載され、5月7日の日本の新聞各紙に書かれ、反響を呼んだことが書かれています。ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスと4万年前から3万年前の1万年間の間、共存していたことが明らかにされました。
また、3月25日にもロシアのデニソワ洞窟にいた人類が、ホモ・サピエンスと共存していたと報告された。
追記 2015年8月27日
「生命大躍進」と特別展で発行された資料の巻末に、国立科学博物館の篠田謙一氏の「私たちは何ものなのか―ネアンデルタール人」のDNAから私たちの本性を探る」がよくまとまっているので、紹介します。p203~p205まで
ペーボ氏の見解をわかりやすい表にまとめて居ます。
共通祖先から分かれたのが約80万4000年前
ネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したのが約64万年前
ホモ・サピエンスの出アフリカの時代(7万から6万年前)
ネアンデルタール人の絶滅約2万7000年前
ネアンデルタール人は非アフリカ人人と交雑
デニソワ人はメラネシア人に影響
◎ デニソワ人 チベット人などのアジア人にも影響があったようだ。高地への適応など
アフリカ人といっても、エジプトなどの北アフリカのアラブ人はネアンデルタール人の影響を受けているだろう。
ネアンデルタール人から1,5から2,1%非アフリカ人に影響
ネアンデルタール人からデニソワ人に0,5%以下影響
オセアニア人には、3~6%、アジア人には、0,2%程度のデニソワ人のDNAが、直接もしくはオセアニア人経由で流入したと推定されている。
未知の人類から0,5~8%程度ネアンデルタール人、デニソワ人に影響
追 記
ナショナル・ジオグラフィックの2015年6月25日のニュースで
「4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明」
3万7000~4万2000年前、現在のルーマニアがある地域に暮らしていたある現生人類の男性に、わずか4世代前にネアンデルタール人の祖先がいたということがわかった。
・
先日、ネアンデルタール人のDNAが、かってないほど高い割合で含まれる現生人類の骨(Oase1といわれる標本)が見つかったという論文が「ネイチャー」に発表された。
「こんな個体が見つかるとは、信じがたいほどラッキーです」と、論文の共著者の、ペーボ氏は言う。
下顎骨からほんのわずかなDNAサンプルを抽出し、そこから有益な遺伝情報を取りだして見せた。サンプルから取りだされたゲノムは不完全なものだったが、その6~9%がネアンデルタール人に由来することを突き止めるには十分だった。現代人のゲノムの場合、割合は最大でも4%だ。
「今回の研究が革新的なのは、この人物にはネアンデルタール人の高祖父がいた、と言えることです。おかげで、人類の時間の尺度で考えられるようになりました」欧州や中東それぞれで、いつ異種交配が起こったかを解明できれば、一帯に現生人類がどのくらいのスピードで拡大していったのか、また、ネアンデルタール人とはどのくらいの期間接触があったのかを、具体的に知ることができるだろう。
ネアンデルタール人を中心とした書籍
”The Humans Who Went Extinct”は「そして最後にヒトが残った」サブタイトルは、このブログの表題になっています。著者はクライブ・フィンレイソン(ジブラルタル博物館館長)、上原直子訳で2013年11月発行、2800円+税 白揚社刊となっています。原版は2009年に発行されました。氏はネアンデルタール人研究の第一人者です。地球に存在した20種類以上の人類の仲間のなかでなぜヒトだけが生き延びることができたのか・・・・
この人間および人間学にとって大変重要かつ興味深いテーマをあつかっています。
◎このブログは2014年の4月に書かれたものです。ネアンデルタール人について、2015年10月の例会におはなしをすることになり、若干文章を付け加えて2015年8月に更新しました。
はじめに、で、ネアンデルタール人はなぜ、絶滅したのか?が書かれています。
ネアンデルタール人が絶滅した原因についてどのような立場を取るにせよ南ヨーロッパやアジアの拠点に現生人類が到達するころにはすでにネアンデルタール人はすでに絶滅の途上にあった。古典的ネアンデルタール人が出現した約12万5000年前にはかれらはすでに消えゆく運命にあった。それから10万年後気候が再び温暖化しところにはネアンデルタール人はもはや存在していなかったと、思われる。
◎ネアンデルタール人が住んでいた、ヨーロッパは何度も襲う大寒波と氷河時代に苦しめられました。しかしその寒さと光の少なさが、ネアンデルタール人に白い肌と青い目、赤い(時に金髪)多毛をもたらした。また寒さに適応して、ずんぐりして、マンモスなどを狩るためにがっしりした体形であった。腕力も強かったであろう。また脳容積は男性では1600CCもあり現代人の1450ccより大きかった。いわゆる北欧西洋人の形であった。それに対し。アフリカにいた、ホモ・サピエンスは、きゃしゃで、すらりとした体形であった。マサイ族などがイメージされるだろう。
◎見にくくて申し訳ありません。上の目盛は+2℃、下は―8℃です。一番下がった時は-9度くらいに落ちて居ます。温暖化よりも寒冷化が甚大な被害をもたらします。横軸は15万年前から現代までです。人類や動植物にとって何よりも恐ろしいのは温暖化よりも急速な寒冷化です。
◎現在の人類(ホモ・サピエンス)の遺伝子配列は驚くほど多様性に欠けて居る。チンパンジーでさえ、人類に比べ10倍もバリエーションがある。その原因は、7万5千年前に起きたインドネシアのスマトラ島ナバ火山で起きた大噴火によって、その灰が世界を覆い、ヴュルム氷河期となった。その時にアフリカで生まれたホモ・サピエンスは1000人以上1万人以下に減少し絶滅寸前までになったことにある。その時ネアンデルタール人はヨーロッパ南部や中東などで生存していた。そして、ジブラルタルの洞窟に2万4千年前まで生きていた。
人類の祖先すなわちホモ・サピエンスがネアンデルタール人を絶滅においやった。とおもっているが、そうではない。
ホモ・サピエンスもネアンデルタール人もホモハイデルベルゲンシスから分岐した。ホモ・ハイデルベルゲンシスは樹木や水源などがある変化にとんだ地勢になじんでいたようだ。ホモ・ハイデルベルゲンシスは、大型哺乳動物を素早くしとめる力と知性を兼ね備えた狩人であり、危険な捕食者はびこる世界で自らの居場所を見つけることができる人類だったのである。p160
豊で多様な巨大哺乳動物の世界でホモ・ハイデルベルゲンシスは絶頂期を迎えて居たが、やがて、寒冷・乾燥化が押し寄せてくると、豊かな環境も徐々に衰退し始め、これまで何度も見たように絶滅する種が現れてきた。
◎ホモ・ハイデルベルゲンシスから、ホモサピエンスとネアンデルタール人は分岐していった。ホモ・ハイデルベルゲンシスはアフリカかヨーロッパのどこか、あるいは両地域の間で、約60万年前にさかのぼると推定される。ヨーロッパのホモ・ハイデルベルゲンシスはネアンデルタール人になり、アフリカのホモ・ハイデルベルゲンシスは、ホモ・サピエンスになった。(厳密にはホモ・サピエンス・サピエンスとホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)
ビーズをつくっていた中東の早期現生人類は環境の激変のなかで絶滅してしまった。スフール、カフゼー洞窟での人類遺跡は早期現生人類の遺跡である。彼らは13万から10万年前に生存していた。
◎ ホモ・サピエンスも一時人口が激減し、絶滅の危機に瀕したことがあった。しかし、温暖なアフリカにいたホモ・サピエンスは氷河期の激変に苦しむネアンデルタール人よりは有利であった。
◎このころにネアンデルタール人とホモ・サピエンスはであっていたのではなかろうか。そして交配もしていたのではないだろうか。
最近の分子生物学からネアンデルタール人には髪の毛が赤い人たちがいたということ、赤毛には白い肌がつきものであったこと、ネアンデルタール人にとって、色素の少ない肌は紫外線を透過させるので、不足気味のビタミンDが合成しやすくなるからである。又もう一つの発見は、言語機能の発達に関与することで知られるFOXP2遺伝子において、ネアンデルタール人と私たちがおなじ変異を2か所共有しているというものだ。この遺伝子変異は、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先にも存在していたらしく、ネアンデルタール人が発話出来た可能性を示すものだと考えられている。 p148からp149
◎ しかし、ホモ・サピエンスほど十分ではなかったのだろうけれど
ネアンデルタール人は大型哺乳類と渡り合える体格になるには何十万年もようした。身を隠す茂みのない環境では群れを探すために長い距離の移動をしなければならなかった。
氷河期が繰り返される間にネアンデルタール人は次第に分断されすくなくなっていた。くりかえされるく最後の氷河期にもネアンデルタール人は生き抜いたが数はきわめてすくなくなっていた。
ゴーラム洞窟のあるジブラルタルからポルトガル南西部に最後のネアンデルタール人たちは孤立しながらほかの場所ではとっくにきえてしまった生活様式を保っていた。しかし気候の大きな変動があるたびにその数も減りついにはこつぜんと姿を消すことになった。p207
45000年前にはネアンデルタール人は、南ヨーロッパやアジアの拠点にいたが、しだいにへりはじめていた。そして3万年前になるとイベリア半島南西部に最後のネアンデルタール人がのこされた。
寒冷のヨーロッパのネアンデルタール人にくらべ、アフリカは温暖であって、ホモ・サピエンスにとっては有利であった。再び世界が温暖になると、ネアンデルタ-ル人の絶滅にくらべホモ・サピエンスは全世界にひろがっていった。
複数のヒト集団のなかでわれわれホモ・サピエンスのみが生き残ったのは「能力と運のおかげ」であるといっている。私たちが適切なときに、適切な場所にいたせいだと説明する。この考えにわたしはいつもはっとさせられ、自分の身の丈をおもいしらされるのである。 本文「はじめに」より。
ネアンデルタール人との異種交配はあったのか?p190~193
ネアンデルタール人の骨からDNAを抽出するのに成功したことで、異種交配の謎の解明に向け、新たな道がひらかれている。だがこれまでのところ、遺伝的交流があった可能性は完全に排除できないものの結果はかなり否定的だ―ネアンデルタール人の遺伝子からは双方が交配していたことはうかがえないのだ。
◎このように異種交配に否定的である。この著作は2009年に出版された。しかしその後のペーボ氏の研究により、この考えは覆された。ペーボ氏の著作は2014年に出版された。
◎ 最後の10章には、「ゲームの駒―農耕と自己家畜化」という章がある。前総合人間学会会長の小原秀雄氏の「自己家畜化論」が総合人間学会において一斉を風靡したが、この本にも書かれているのが興味深い。文章は下記のようである。
「新しく見につけた技術によって農耕社会は発展を継け、いつしか狩猟採集民を駆逐する力が備わるようになった。そして先ほど見たように、人々は動植物を栽培・家畜化してゆきながらも、いつしかそのサイクルに取り込まれ,自らも「家畜化」するようになっていった。ゲームのプレーヤーだと思っていたら,知らないあいだに、自分も駒の一つになっていたのだ。それでも1万年ほどはそれでうまくいっていた。時が経つにつれて彼らの世界はだんだん小さくなっていくことになる。」p272
◎ これが,本章の最後の言葉になる。そして「エピローグ 最後に誰が残るのか?」に続く。
では、すべてが崩壊するときに生き残るのは何者なのか歴史が示すように、それは安全地帯に住んでいる者たちでなさそうだ。電気、自動車、インターネットの奴隷となり、テクノロジーという支えがなければ数日間しか持ちこたえられない、自己家畜化した私たちではないのである。希望があるのは、「偶然」に選ばれた子どもたちだ。次の食事がいつどこで手に入るかわからず、わずかな食べ物を奪いあう日々を過ごしているに違いない貧しい人々が、生き残りに最も力を発揮する集団になるであろう。経済が破たんし、社会が崩壊するような、すさまじい混乱が起きるとき、勝ち残れるのはまたしてもイノべーターなのだ。その混乱を引き起こしたコンサバティブたちは、皮肉にも、自らの転落を自らの手で歴史に刻みこむことになるだろう。そして進化は、いまだ知られていない方向へ新たな一歩を踏み出すのである。p292
◎これが、この書物の結論である。
◎この本は、巻末に大変丁寧に参考文献が載せられているのは素晴らしいものです。
解説
近藤 修氏による巻末の解説では、この本では、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との交配はほとんどないと書いてあるが、2010年のネアンデルタール人の全ゲノムの配列が公表されて以来大きく変更されつつある。またデニソワ人との交配についても述べられている。氏は東京大学大学院准教授
◎1856年にドイツのネアンデル谷(タールはドイツ語で谷を意味する)で最初に骨が発見された。しかし最初は古代の人類と認められなかった。その後、いろいろなところで発見される。クロアチアのクラビナ(1899-1905)、フランスのラ、シャぺルオン、サン、(1908)イスラエルのカルメル山のタブーン人、(1931-1934)アフリカではローデシア人(1921)イラクではシャニダール人(1953∸1960)などである。
◎参考ブログ 「こういちの人間学ブログ」2015年9月
「ネアンデルタール人について、図像の変化、赤い髪、白い肌、イメージ大きく変わる」
「人類は多くの人類と共存した、ネアンデルタール人、アカシカ人、デニソワ人、フローレス人」
「ネアンデルタール人は私たちと交配した」スヴァンテ・ペーボ4
「ネアンデルタール人の首飾り」岩城正夫氏の解説
追記 2015年3月21日
デニソワ人
ロシアにネアンデルタール人と同時代の人類が存在していた。
アカシカ人
中国雲南省14500年―15000年前に生存
フローレス人
インドネシア
参考書
太字は「こういちの人間学ブログ」で紹介の資料
(人間学研究所にあるもののみ―ネアンデルタール人を中心に)
ICE AGE「氷河時代」 ブライアン・フェイガン 2011年9月 悠書館 5800円+税
[地球 絶滅人類記1] 香原志勢監修、今泉忠明 1911年9月 8544円+税 竹書房
大型本
「旧石器時代の人類」 M・M・ゲラシモフ 1971年2月 中島他訳
大型本 復元画像多数 3000円+税 河出書房新社
「原始人」 ライフネーチュアライブラリー 1970 4500円 タイムライフブックス
「ヒトが人間になるとき」 ドビーニン等 1979訳 1976原著 2500円 講談社
「オリジン 人間はどこから来てどこへ行くか」 リーキー他 岩本光雄訳 1980年8月
邦訳 1977原著 4500円 平凡社
「図説 原始人類 サルからヒトへ 目で見る進化の歴史」 ヴォルフ著
ズデニック・ブリアン 画 1982訳 1977原著 4600円 啓学出版 画像多数
「ヒトの進化」カラーリングブック 1987訳 2800円+税 木村邦彦訳 広川書店
「ホモ・サピエンスの科学 最新人類論」 1995年 学習研究社
「生命40億年はるかな旅」 5 ヒトがサルと別れた日 1995年 3200円 NHK出版
「別冊 日経サイエンス」 人類の祖先を求めて ジョハンソン他1996年12月
2700円 日経サイエンス社
「イラスト、ガイド 私たちヒトの進化」 ピーター・アンドリュース他 遠藤万里訳
2000年2月 1989原著 2200円 画像多数 てらぺいあ
「DNAでたどる日本人10万年の旅」 崎谷 満 2300円+税 2008年1月 昭和堂
[ナショナルジオグラフィック」2008年10月号 ネアンデルタール人その絶滅の謎
「ネアンデルタール人奇跡の再発見」 小野 昭 2012年8月
1300円+税 朝日新聞出版
「137億年の物語」 2012年訳 2990円+税 文藝春秋
「人類進化大全」 改訂普及版 クリス・ストリンガー他 2011年訳 馬場悠男他訳
5800円+税 2005年原著 図版多数 悠書館
「ヒューマン」 なぜヒトは人間になれたのか NHKスペシャル取材班 2012年
1600円+税 角川書店
「人類20万年はるかな旅路」 アリス/ロバーツ 2013年訳 原著2009年
1900円+税 文藝春秋
「そして最後にヒトが残った」 クライブ・フィレンソン 2013年邦訳 原著2009年
2600円+税 上原直子訳 近藤 修解説 白揚社
「ナショナルジオグラフィック」2014年1月号 ネアンデルタール人の少女の想像図
「人類進化700万年の物語」 チップ・ウォルター 長野敬他訳 2014年4月邦訳
2800円+税 原著2013年 青土社
「日経サイエンス」 2014年12月 大特集 人類進化今も続くドラマ 日経サイエンス社
「私たちは今でも進化しているのか」 2015年 マーリン・ズツク
1800円+税 原著2013年 文藝春秋
「ネアンデルタール人は私たちと交配した」 スヴァンテ・ペーボ 野中香方子訳 2015年
1750円+税 2014年原著 文藝春秋
「特別展 生命大躍進」 国立科学博物館 2015年
「ネアンデルタール人の首飾り」 フアン・ルイス・アルスアガ著
藤野邦夫訳 岩城正夫監修
2008年11月訳 3024円 新評論 1999年原著
「ネアンデルタールの悩み」進化心理学が明かす人類誕生の謎 ウイリアム・オールマン
堀 瑞絵訳 1600円 1996年10月 青春出版社
「ルーシーの子供たち」謎の初期人類、ホモ・ハビリスの発見 ドナルド・ジョハンスン
馬場悠男監修 堀内静子訳 2500円 1993年11月 早川書房
「現代人の起源論争」ブライアン・M・フェイガン 河合信和訳 3500円 1994年4月
どうぶつ社
「進化論の5つの謎」いかにして人間になるか 船木 亨 780円 筑摩書房
「98%チンパンジー」分子人類学から見た現代遺伝学 ジョナサン・マークス
長野敬他訳 2800円 2004年11月 青土社
未購入書籍
「ネアンデルタ-ル人類のなぞ」 岩波ジュニア新書 奈良貴史著
2003年10月 709円
「われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで」 内村直之著 朝日選書
2005年9月 1404円
「服を着たネアンデルタール人-現代人の深層を探る」 江原昭善著 雄山閣
2001年7月 2376円
「ネアンデルタール人」 エリック・トリンカウス他 中島健訳
1998年6月 3672円
「日本人になった祖先たち」 篠田謙一 994円
「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで 」溝口優司 788円
「ネアンデルタールと現代人―ヒトの500万年史」河合信和 文春新書
1999年8月
「アナザー人類興亡史」金子修一 1706円
2013年6月
「ネアンデルタールの謎」ジェイムズ・スリーブ
1996年11月
「歌うネアンデルタール人-音楽と言語から見るヒトの進化」ミズン・スティーブン 2592円
2006年6月
「氷河期以後―紀元前2万年からはじまる人類史」 ミズン・スティーブン 4860円
2015年4月
「ネアンデルタール」ダーントン・ジョン
1996年11月
「5万年前―この時人類の壮大な旅が始まった」ニコラス・ウェイド イーストプレス
「人類の足跡10万年全史」 2592円
2007年8月スティーヴン・オッペンハイマー
このブログは2010年に初めて書かれてから、次々に追加の文書を加えたものです。文章を2015年に書きくわえて更新しました。2016年6月にも、フローレス人の記事を追加しました。
ネアンデルタール人が、ホモ・サピエンスと同時代に生きていて、アフリカ人以外のホモ・サピエンスと交配しその遺伝子がホモ・サピエンスに組み込まれていることは、注目されています。しかし、ネアンデルタール人以外に、ホモ・サピエンスと共存していた人類がいたことが次々にわかってきました。今後も新しい人類の発見があるかもしれません。
ネアンデルタール人
は、20数万年前から28000年前まで生存していました。
「ネアンデルタール人は私たちと交配した」スヴァンテ・ペーボ 2015年6月
文藝春秋 原著2014年
ホモ・サピエンスがアフリカで誕生してから、いろいろな地域に移住してゆき、いろいろな地域に応じて急速に変化していったのは、共存していた他の人類と交配した、その地に適した遺伝子を取り込んでいったという話は、納得ができます。
3万7000年~4万2000年前、現在のルーマニアがある地域に暮らしていたある現生人類の男性に、わずか4代前にネアンデルタール人の祖先がいた。このネアンデルタール人は、男性の高祖父か高祖母になる。
マックスプランク研究所のスヴァンテ・ペーボ氏が「ネイチャー」に発表した。この現生人の遺伝子には6~9%ネアンデルタール人に由来することがわかった。
ネアンデルタール人と現生人は1~2万年ほども接触があり、2つの間の人類に交雑があったと思われる。それは文明の発生から1万年ほどたっていない我々現生人類にとっても極めて長い間接触があったということです。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの関係は他で詳しく書きますので、ホモ・サピエンスと同時代に生存していた人類として、ここでは、アカシカ人、デニソワ人、フローレス人について書きます。
追 記
ナショナル‣ジオグラフィックの6月25日のnewsで、「4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明-欧州で見つかった約4万年前の人骨の研究から」
3万7000~4万2千年前、現在のルーマニアがある地域に暮らしていたある現生人類の男性に、わずか4世代前にネアンデルタール人の祖先がいた。つまりこのネアンデルタール人は、男性の高祖父か高祖母(祖父母の祖父母)だ。
「ネイチャー」に論文が発表された。発見したのは論文の共著者であるスバンテ・ペーボ氏である。現代人のゲノムの場合、最大で4%で、この骨は6~9%がネアンデルタール人に由来することがわかった。
「アカシカ人」の発見
2012年3月15日追加
中国南部に1万4500年~1万1500年前、未知の人類がいた可能性がある。オーストラリアと中国の研究グループが14日付の米オンライン科学誌『プロスワン』に現生人類と異なる特徴をもつ人類の化石を見つけたと発表しました。(2012年赤旗3月15日の記事)
記事によれば、化石が見つかったのは、中国南部、雲南省にある2つの洞窟で、1979年(1989年3体)に最初の1体の化石が見つかって以来、研究が進められていました。これまでの研究結果からは、現代的な特徴と古代的な特徴を併せ持っていることがわかったといいます。未知の人類は洞窟でアカシカを食べていたことがわかったため、研究グループは「アカシカ人」と名付けました。
アカシカ人(レッド・ディア・ケーブ・ピープル〉口絵はPeter Schoutenによる
追記 nappi11さんのブログから
一つの推論として彼らがデニソワ人の可能性がありロシア南部の南部アルタイ山脈のデニソワ洞窟見つかったデニソワ人がアジアにも広く分布していた可能性がある。ネアンデルタール人やデニソワ人が現生人類との共通祖先から分かれたのは80万4000年前、ネアンデルタール人とデニソワ人の祖先は64万年前に分かれたと推定される。
インドネシアや、今回の中国にアジア起源の人類が、ネアンデルタール人や、そのDNAを持つホモ・サピエンスと混血し彼らが南洋や日本にまで来ていたとするのは理解しやすいし、アジア人とのホモ・サピエンスとの骨格の違いも説明がつく、想像は膨らむが、今後の科学的研究成果が待ち遠しい。
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/3329095.html
赤鹿人の想像図が描かれています
★従来、アジアには原人(ホモエレクトス)が分布していましたが、アフリカからやってきた現生人類(ホモ・サピエンス)に入れ替わったと考えられていました。しかし1万年前にフローレス人が、4万年前にはデニソワ人もいたということがわかっています。
こうしてみますと、20万年前にホモ・サピエンスが生まれて移動を開始したときにもずいぶん多くの他の人類が生存していたことになります。ヨーロッパのネアンデルタール人もホモ・サピエンスと共存し、一部混血した証拠が残っているそうです。1万年前ごろから、現生人類は家畜や、農耕などの文明がおこり、急速に人口が増えましたが、それまでの間に、まだ未知の人類も含め、様々な人類と共存していたことがわかります。しかし、言葉と文明を持ったホモ・サピエンスが、急速に人口を増やす中で、各地にいたホモ・サピエンス以外の人類も急速に絶滅していったように思われます。
先日NHKスペシャルで放送された、「HUMAN」でも、6万年前にアフリカを出て、南米の先端までのグレートジャーニーをしたホモ・サピエンスは、先端にフックのついた投げ槍機を発明し、そのことにより離れた距離からでも、獲物をとったり、敵の人類を倒すことができるようになったといいます。これも、ホモ・サピエンスが他の人類を圧倒した理由でもあるのでしょう。
★ 「ヒューマン なぜ人は人間になれたのか」 NHKスペシャル取材班
2012年1月22日発行 1600円 角川書店
デニソワ人の発見
2010年12月23日追加の文章です
2010年3月25日のイギリスの科学誌「ネイチャー」に、ドイツなどのマックス・プランクの進化人類学研究所などの研究チームが、ロシアのシベリア南部のデニソワ洞窟から約4万年前の人類の指の骨片が見つけ、DNA解析の結果、現生人類であるホモ・サピエンスやネアンデルタール人の共通の祖先から104万年前に枝分かれして進化した人類であると載せられました。そのニュースは、さっそく各新聞で報道されました。この化石は2008年に、4万8000から3万年前の地層の洞窟から発見されたものです。
追記 2015年3月21日
デニソワ人はDNA解析の結果、チベット人が、優れた高地適応能力をもっているのは、ちょうどネアンデルタール人とホモサピエンスとの交雑で、金髪や白い肌、青い目といった寒冷地での条件に適した遺伝子を取り込んだように、交雑によりデニソワ人の高地適応能力を取り込んだと考えられる。取り込んだ遺伝子はホモサピエンスの6%ぐらいではなかろうかといわれている。
追記 2015年8月14日
「ネアンデルタール人は私たちと交配した」というスヴァンテ・ペーボ氏の著作には、第22章に「デニソワ人」を発見するという章と、第23章の「30年の苦闘は報われた」は主に、デニソワ人について、書かれています。
22章の冒頭、2008年に発見され、2009年、デニソワ洞窟から小さな骨が届いた。さして重要と思わなかったが、一応DNAを調べると、なんと未知の絶滅した人類だったのだ。と書かれています。これは小指の本の小さい骨片です。調べてみると、ホモ、エレクトスより後ネアンデルタール人の祖先より前にアフリカを離れた一員だったのだ。
そして、デニソワ人の臼歯も発見されました。これらのDNAの解析の結果,第一に、デニソワ人の核ゲノムは、現生人類のゲノムよりネアンデルタール人のゲノムとより密接な関係があること、アジアにいたより古代型のホミニンがこれらデニソワの個体のmtDNAに寄与したという筋書きだ。第2の発見は、デニソワ人は、ゲノムをネアンデルタール人と比較した現代人5人の中で特にパプア人とより多くのSNPを共有していたのだ。
デニソワ人の指の骨の持ち主は5~7歳の少女だと結論付けられた。又調査の結果デニソワの少女とデニソワ人は現生人類とよりも、互いに密接につながっていたということもわかりました。(41,000年前の化石と判明)
またデニソワ人はパプアニューギニアの人たち(メラネシア)により近いということもわかった。デニソワ人のDNAから、アフリカ人以外の人々の約、2、5%はネアンデルタール人由来で、パプア人はそれに加えてゲノムの約、4,8%をデニソワ人から寄与されたと推定しました。また中国南部の住人の遺伝子構造のやく1%が、デニソワ人由来ということも、スエーデンのウプサラ大学の研究チームから出されている。従ってパプア人のおよそ7%をデニソワ人とネアンデルタール人からもらったことになる。p339.そして、これは、ネアンデルタール人デニソワ人も完全には、絶滅していないことを意味する。
以下、ウイキペディアより
デニソワ洞窟はネアンデルタール人の化石発見地のうち、もっとも近いイラクのシャニダール遺跡から、4000㎞の距離がある。(ロシア、アルタイ地方でロシア、中国、モンゴルの国境に近い地域)
40-30万年前にアフリカを出、中東を経てヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール人になり、中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。それに送れて6-5万年前にアフリカを出た我々現生人類の祖先は、中東やアジアの内陸部でネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しながら全世界に広がり、現在に至った。
ジョージワシントン大学の古人類学者のブライアン・リッチモンドは、デニソワ洞窟で見つかった大人の臼歯から、デニソワ人の体格はネアンデルタール人と同じか、それよりも大きいと見ている。
アジア内陸部でデニソワ人と交雑した現生人類祖先は、そののち長い期間をかけてメラネシアなどに南下していったと考えられる。また中国方面に移住したグループは漢民族となり、高地に移住したグループはチベット人になったともされる。
フローレス人
2011年12月24日追加 NHKBSプレミアム「人類進化はるかな旅」
すでに、2004年(2003年とも)には、インドネシアのフローレス島(コモドオオトカゲで有名なコモド島の東隣の小さな島)で、身長1m程度で、頭の大きさもホモ・サピエンスの3分の1程度(猿人なみの脳容積400ml)の人類が、約10万年前に発生し、1万8000年前まで存在し、その後1万3千年前火山噴火で絶滅するまで、ホモ・サピエンスと共存していたと発表されています。彼らはインドネシアに存在していた、ジャワ原人の子孫とも思われます。小さい島にいると全体に身体が小型化して適応する傾向がみられ、他の動物たちも全体に小型化しています。脳がきわめて小さいにも関わらず、一緒に出てきた石器などを見るとかなり高度な文化を持っていたとみられます。当時フローレス島に住んでいた、小型の象であるステゴドンや大型で獰猛なコモド大トカゲなども食料にしていました。
現代人との大きさの比較。極めて小さいということが分かります。
現生人類では、現在ホモ・サピエンスのみが生存しておりますが、今から4万年前には、旧人と呼ばれる、ネアンデルタール人、今度発見されたデニソワ人、そしてフローレス人が共存していたということになります。他にもおそらくまだ発見されていない、未知の人類がいたと思われます。ネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅しましたが、フローレス人はその後も生き残っていたとは驚きです。
身長は極めて低く、1メートルくらいしかありません。
従来は、人類の祖先は、アフリカにいた初期ホモ属から、170万~70万年前に、アフリカ人、アジア人の元の北京原人、オーストラリア先住民のもととなるジャワ原人、ヨーロッパではネアンデルタール人から、クロマニヨン人へと進化していったという、いわゆる他地域起源説が有力でした。この説はヨーロッパ人が早くから、ほかの人類より優秀であるという根拠にも使われました。
フローレス原人についての追加記事 2013年4月19日
2013年4月19日のしんぶん赤旗にフローレス人についての記事が掲載されました。興味深い記事なので、転載いたします。
小柄な「フローレス原人」祖先はジャワ原人か
インドネシア・フローレス島で2003年に化石が発見された小柄な「フローレス原人」は、初期のジャワ原人が孤島に渡って身体が小さくなった可能性が高いと、東京大学と国立科学博物館の研究グループが17日、科学誌『英王立協会紀要』電子版に発表しました。もうの大きさを精密に測定して分かりました。
フローレス原人は7万4000年~1万7000年前に、同等に生息していたことが判明。食料が少ない熱帯雨林の島で「島しょ化」とよばれる現象が起き、身長が約1メートルまで小さくなったと考えられていますが、祖先は謎とされていました。
東アジアと東南アジアには以前からジャワ原人や北京原人など、アフリカから進出してきた大柄で進歩した原人「ホモ・エレクトス」がいました。
東大の久保大輔特任研究員や同博物館の河野礼子研究主幹らは約2万年前のフローレス原人の成人女性頭骨化石について、X線コンピューター断層撮影(CT)で内部を精密に測定し、模型を作製。壊れた部分を粘土で修復しました。その結果、頭骨う内部の脳容積量は426CCと、従来推定の約400CCより大きいことがわかりました。
研究グループは初期ジャワ原人の脳容量・860CC程度で、差が縮まったことなどから、初期ジャワ原人が祖先の可能性が高くなったと見ています。
参考 フローレス島とは
インドネシア連邦の島の一つです。小スンダ列島の中にあり、細長い島です。面積は、13,540km2で、日本の四国を小さくしたほどの大きさです。島の中には9つの県があります。西隣に小さなコモド島があり、コモドオオトカゲが有名ですが、そこへの中継地点ともなっています。あまり観光化されてはいませんが、この島のリアンブア洞窟でフローレス人が発見され有名となりました。
2016年6月9日追記、「マタ・メンゲ原人」はフローレス原人?
6月9日の新聞、テレビなどの報道機関で、国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長たちの国際研究グループはインドネシアのフローレス島に少なくとも70万年前前に小型の、小型の原人が住んでいたことを突き止め、8日付(9日?)の科学誌『ネイチャー』に発表しました。(新聞各紙の総合)
フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス)の化石は見つかったフローレス島西部の、リャン・プア洞窟で2003年に発見されました。洞窟から75キロほど離れた島の中部のソア盆地では100万~70万年前の石器が見つかっていますが、人骨は見つかっていませんでした。オーストラリアとインドネシアの研究者たちは14年前に、盆地内のマタ・メンゲで、人類の右下顎骨1個と歯6本を発見し、海部さんに形態学的分析を依頼していました。
大きさはフローレス原人と同程度かやや、下顎骨はジャワ原人やフローレス原人のものと似ており下顎大臼歯は全体的に初期のジャワ原人のものに似ていました。地層は70万年前ごろと決定されました。
海部さんは「マタ・メンゲの原人」はフローレス原人の直接の祖先であった可能性が極めて高い。分類学的にもフローレス原人といってよいと思うが、結論付けるには頭骨化石の発見が必要だ」と説明しています。
初期のジャワ原人がフローレス島にわたり島しょかと呼ばれる現象で小型化したという説が有力です。
フローレス島は、初期のジャワ原人が住んでいたとみられるほかの大陸や島と陸続きになったことがなく、初期のジャワ原人がどうやってフローレス島にやって来たかわかっていません。
海部さんは「70万年前からフローレス原人のような小型の人類がいたことに驚いている。100万年前にいたのはどんな人類だったのか見てみたい」と今後の発掘に期待しています。
ミトコンドリアのDNA(デオキシボリボ核酸)で起源を探る
細胞の中にある、細胞内でエネルギーを発生させる重要な小器官である、ミトコンドリアは母方からしか受け継がれない性質があります。ミトコンドリアは一定の年数で、突然変異していくという傾向があります。そこでミトコンドリアのDNAの塩基配列を調べると、どの系統とどの系統が近いか、どのくらい前に分岐していったかの系統がわかるようになっています。その祖先をさかのぼっていくと約16万年(14~29万年)前に、アダムとイヴにちなんでミトコンドリア・イヴということを考えたのです。(イヴ仮説)ただし、一人の女性というわけではありません。そこで、現生人類である、ホモ・サピエンスはアフリカ大地溝帯に生まれた人類が世界中に広がったという、単一人類起源説が今では有力になっています。 また、全身骨格が発見されなくともDNAさえ採取されれば、デニソワ人のように指の骨だけで、系統と位置づけを知ることができるようになるのです。
アフリカ単一起源説と人類の拡散
16から20万年くらい前に、生まれたホモ・サピエンスは、同時代にいた、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシスただしネアンデルタール人もホモ・ピエンスに加える考え方もあります)と共存していたということはすでに述べました。ネアンデルタール人は、脳容積は現生人類より大きく、埋葬等の宗教的なものの芽生えなどがあり、以前考えられたほどのちがいはなく、現生人類とほとんど変わらない外見でした。しかし大きな違いは、言葉の発声に必要な顎(おとがい)が発達しておらず、言語をとうした文化の差の違いで、次第に競争に負け、ついには絶滅してしまいました。ホモ・サピエンスは10万年前にアフリカを出て、世界中に広がっていきました。15000年前には氷結したベーリング海を渡りアメリカ大陸に到達し、南下をつづけて、12000年前には南米の先端にまで到達しました。現在は、それぞれの地域に適応した人種の違いがあり、一見大きな変異があるように見えますが、ホモ・サピエンスの中での変異はきわめて小さいものです。人種で、優劣をうんぬんする考え方は完全に破たんしました。
2010年12月23日追加
23日付の新聞に、今年の3月に発表された、「デニソワ人」が骨から細胞内器官である、ミトコンドリアのDNAを調べた結果、ネアンデルタール人の姉妹種であるということが分かったと、科学誌『ネイチャー』に発表されたと載せられました。デニソワ人はこの地域にいた現生人類(ホモ・サピエンス)とも、ネアンデルタール人とも違う人類であったというのです。そしてデニソワ人は64万年前に、ネアンデルタール人と分離したということが分かったといいます。ニューギニアなどメラネシアの人々とわずかながら共通した部分(5%)があり、現生人類とデニソワ人が混血し、その人たちがメラネシアに移動したのではないかと言っています。なお、同じ地層から見つかった上顎の臼歯はデニソワ人と確認されたが、小指の骨は別人であると分かったということです。 すでに他のネアンデルタール人とも、ホモサピエンスと混血したといわれていますので。混血することができるということはホモサピエンスと、ネアンデルタール人や、デニソワ人との差異がきわめて小さいということができます。混血し子どもがうまれ、さらに子孫を残していくとすれば、生物学的に言って、同じ種であるということになるのではないでしょうか。
追 記
2018年8月16日、「こういちの人間学ブログ」 ・
「デニソワ洞窟で、母ネアンデルタール人、父デニソワ人の人骨発見」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/08/post-6ef4.html
追 記 2019年4月18日
☆アジアで第4の原人として台湾の膨湖人、さらに第5の原人としてフィリピンでルソン人(5万~7万年前)が発見されています。
アジアでは第一の原人としてジャワ原人、二番目が北京原人,三番目がフローレス原人です。
2014年に書いたブログですが、2015年8月に追記して、更新しました。10月に人間学研究所の合同例会でおはなしをする、元となるものです。
追 記: 2018年2月23日の夕刊に「最古 6万年前の壁画 ネアンデルタール人か」という記事が載りました。本当なら画期的なことです。
2月24日の新聞朝刊各紙で紹介されました。24日の毎日新聞、「余禄」でもネアンデルタール人のことが書かれました。
「イラクの洞くつで見つかったネアンデルタール人の骨は右腕が委縮し、左目も見えなかったが、推定年齢40歳。彼らはちゃんと体の不自由な仲間を世話していたのだ。この洞窟には別のヒトの人骨から大量の花粉が見つかった。野蛮視されていたネアンデルタール人のイメージを変える発見となった。ただこの花粉の由来には異論もあるようだ。~ネアンデルタール人は化石人類で、脳の最大の容量があったが、今まで絵を描いていた痕跡はなかった。ところがスペインのラパシエガ洞窟の壁画が6万4800年以上前に描かれたらしいという研究が発表された。壁画には動物のような線画やはしごのような図形がある。年代が正確なら、ネアンデルタール人にも抽象的な象徴表現ができたことになる。いわば現生人類と同じ進化の跳躍台に立っていたのだ。~ネアンデルタール人と現生人類の交雑は約6万年前という説がある。改めて壁画の写真を見れば、心優しい薄幸の親戚の面影がよぎる」
ラ・パシエガ洞窟は、スペイン北部のアルタミラ洞窟に近いところにあります。
参考:10000年前のイギリスにいた現生人、「チェダーマンの復元図」
黒い肌、やや巻いた黒い髪、目は青い姿,アメリカの原住民(ネイティブ・アメリカン)に似た風貌
◎以上は2018年2月の記事を追記したものです。ネアンデルタール人が絵を描いていたということになると大発見です。すでに、肌の白いネアンデルタール人の少女の想像図が描かれイメージがだいぶ変わりましたが。今度の発見でさらに親近感が増すように感じます。
ネアンデルタール人は今まではホモ・ネアンデルターレンシスー旧人といわれていたが、今では、同じホモ・サピエンスの亜種としてとして、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスと呼ばます。現代のわれわれ人類は(ホモ・サピエンス・サピエンス-新人)と呼ばれます
ドイツのデュッセルドルフから東へ約13キロのところに、ネアンデルタール渓谷がある。ここの小シェルトホーファー洞窟で、石灰岩の採掘中に偶然ある骨が発見された。1856年のことである。後年、ネアンデルタール人を研究するときに基準となる模式標本として有名になった化石人骨である。昔はネアンデルタール人は旧人と位置づけされた。その後石灰岩の採掘のためすべての洞窟がなくなってしまった。そして場所がわからなくなっていた。1997年にネアンデルタール渓谷で新たに骨を発掘し、前の大腿骨の一部に接合した。1999年に模式標本の場所が奇跡的に特定された。(『ネアンデルタール人奇跡の再発見』より)
ネアンデルタール博物館
この場所に1996年ネアンデルタール博物館が作られました。薄緑色の巨大な宇宙船のような建物だそうです。そこに様々な、ネアンデルタール人の生活ぶりが展示されています。ネアンデルタール人が発掘された場所が保存整備されています。インターネットではbeingで「ネアンデルタール人の画像」、もしくは「ネアンデルタール博物館の画像」と検索すると、多数の画像が見られます。
ネアンデルタール人は北は北ドイツやベルギー、イギリス、南はイタリアからスペインまでヨーロッパ各地に約20万年ほど住んでいました。又中東地にもすんでいた。ホモ・サピエンスたる現在の人類は東アフリカで発生し北のほうへ拡散するとき、出会ったと思われます。
ネアンデルタール人の生活
中期旧石器時代と呼ばれ、約20万年の生存期間の間、前半は温暖で後半は氷期だった。彼らは狩猟採集生活者で、それぞれの時期に特徴的な動物群を対象としていた。その文化はムステリアンと呼ばれており、ルヴァロア技法と呼ばれる方法で石器を作っていた。石器は動物の解体や、木や骨などの素材を削る道具として用いられた。木製の槍を使っていた証拠もある。彼らは主として岩陰や洞窟を住居として利用したが、オープンサイトにも住居跡が見つかっている。また発掘によって、彼らは意図的に死者を埋葬したことも明らかになっている。(「特別展 生命大躍進」の資料より 篠田氏)
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ヨーロッパのネアンデルタール人の分布図 図が切れて居ますが、イスラエルあたりにもアムッド遺跡やタブーン遺跡なども有ります。おそらく人類最古の墓はタブーン遺跡から発見されています。(「人類進化大全」より)
追記 2016年2月
ロシアのデニソワ洞窟のネアンデルタール人(デニソワ人)の遺伝子から現生人類の遺伝子が見つかった。10万年前に中東で現生人と混血したネアンデルタール人がデニソワ洞窟に住み着いたという。ヨーロッパでは、現生人類との混血はずっと後になる。
中東で見つかった主な人類遺跡の位置(13万年前から10万年前は温暖期であった)
ネアンデルタール人 アムッド、タブーン,ケバラ
早期現生人類 スフ―ル、カフゼー
上図は「そして最後にヒトが残った」クライブ・フィンレンソン、2013年訳、原著、2009年、白揚社の本より。ネアンデルタール人の遺跡と、初期ホモ・サピエンスの遺跡が大変近かったことがわかります。
本の表紙に、ネアンデルタール人の子どもの想像図が出ている。あごにおとがいがないことを除けば現生人類とほとんど同じです。
同じイスラエルのスフール洞窟やカフゼー洞窟には早期現生人類の化石が発見されている。現生人類とネアンデルタール人はおなじころに生存していたので、お互いに出会い、交配した可能性が大きい。
ヨーロッパで、ネアンデルタール人が、髪が赤茶けていて、肌が白かったであろうということから、よりネアンデルタール人の遺伝子を多く受け継いでいるかという話が話題になっている。ちょうど、日本人が縄文系と弥生系とで、どちらに近いかという話が話題になったのと、同じようです。
ネアンデルタール人系の顔立ちといえば、同じネアンデルタール人の顔立ちの想像図でも、ヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人と、中東に住んでいたネアンデルタール人とでは想像図が違います。ヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人は赤茶けた髪、白い肌、青っぽい目などとともに、眉上隆起が大きい、額が斜めに傾斜している、比較的毛深い、余り頤が出ていないなど、ネアンデルタール人に共通した特徴がある。筋骨がたくましいという特徴もあります。こういう感じの人は北方のノルマン人系やゲルマン系の人などにありますね。ネアンデルタール人の全ゲノムの解析が分かって居るので、ある人のネアンデルタール度を調べるサービスがあるようです。
◎2018年2月、追記 10000年前にイギリスに住んでいた人(チェダーマン)は、顔が黒く、髪の毛も黒く、目が青いヒトであることがわかったと発表された。ほかの地域でも顔は黒かったと言われます。
「こういちの人間学ブログ」
「ネアンデルタール人と私たちの50万年史 なぜ絶滅したのか」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/2014/04/post-1b19.html
1、ネアンデルタール人を最新の科学で再現すると
イメージ大きく変わる
2001年チューリッヒ大学のグループが、眉上の突起が目立たない五歳前後の少女のネアンデルタール人画像をコンピューターを使って復元を作りました。下図参照 DNA分析により、髪が赤く、白い肌をしていた可能性が高かったといわれます。約7万年まえには衣服につく虱の遺伝子の研究によりすでに衣服をまとっていたと考えられます。さてこのネアンデルタール人の少女が街角で、何気なくあるいていたら、周囲ははたして気が付くでしょうか
5歳の少女の復元図、チューリツヒ大学の人類学研究所のクリストフ・ツォリコッファーらによるもの。コンピューターによる、復元像にシリコン塗装をしたもの。
「ナシヨナルジオグラフィック」 2014年1月30日
2、ネアンデルタール人その絶滅の謎「復元模型図ケニス・ケニス」
1994年3月スペイン北部ビスケー湾のすぐ南にあるエル・シドロンという洞窟で140の人骨をほりだしましたこれは。43000年前にこの地域でくらしていたネアンデルタール人の化石でした。2000年以降すくなくとも9人のネアンデルタール人の骨であることが分かった。
研究者はそのネアンデルタール人を復元しました。中年の女性を復元していますが、白い肌赤茶けた髪、青っぽい目をしているということです。そしてこれらの人骨は食べられたあとがありました。
彼らは西ヨーロッパで、もっとも多かった時期でも15000人程度だと推定されています、
ヨーロッパで生活をしていた23万年前に現れた彼らは27000万前に姿を突然消しました。
10万年前ごろ発生したホモ・サピエンスは、約6万年前にアフリカをでてネアンデルタール人と交雑し、非アフリカ系の現代人はDNAの1〜4%といえネアンデルタール人から受け継いでいます。わずか1〜4%とはいえ、そのゲノムは重大な影響力を保持している可能性が高いという。特に皮膚、毛髪、病気に対する耐性に影響が残った。白い肌は日光が弱いヨーロッパではビタミンDの体内合成に有利でした。
「ナショナルジオグラフィック2008年10月号特集ネアンデルタール人その絶滅の謎」
3、現生人類に残るネアンデルタールDNA
アフリカをでた現生人類がネアンデルタール人と出会い、交雑し新天地にあった遺伝情報を取り込んだのだろう。
「ネアンデルタール人は私たちと交配した」スヴァンテ・ペーボ 2015年6月
文藝春秋
ネアンデルタール人の遺伝子配列を完全に解読した結果、アフリカ以外のホモ・サピエンスに数パーセント、遺伝子が共有されていたことがわかりました。またロシアに住んでいたデニソワ人もアジア人やアボリジニなどに影響を与えた。
詳しくは別のブログで、
★すでに男性のネアンデルタール人の想像図で現生人類と近い想像図があり、洋服を着て人ごみの中にいたらだれもわからないだろう、といわれていました。
☆ブログに「ネアンデルタ ール人が絶滅したのは女性が美女だったから」などというものがあります。「異種族混交接」だが個体数が少ない、ネアンデルタール人より現生人類のほうが多かったため「消滅してしまった」という説があるぐらいです。
昔のネアンデルタール人イメージ
72歳の私が昔ならった人類学の教科書では、ネアンデルタール人は脳は大きいけれど、眉のつきでた毛むくじゃらな想像図が一般的でその違いにおどろかされます。
たとえばすばらしい図説集である、ブリアンの図による「図説原始人類」(The Dawn Of Man)1977、邦訳1982啓学出版、によればネアンデルタール人はかなり下図のようにいきわめて原始的に描かれています。ブリアンはチェコスロバキアの世界的画家です。この本では160余の復元図が描かれています。
この図によれば毛むくじゃらで、原始的のイメージがよくあらわされています。
同じブリアンの本でも、ネアンデルタール人の少年の像は、われわれ現代人とあまり変わりません。中央アジアのテシク・タシュで発見された頭蓋骨をもとに復元したものです。p90
◎「地球 絶滅人類記1」 1991年 監修香原志勢、著者今泉忠明 竹書房
によれば、ネアンデルタール人に関して112pから176pまで書かれている。
本によれば旧人ーネアンデルタール人はヨーロッパのみならずアフリカ南端から東南アジア中国まで分布していた。
そして具体的にそれぞれの地域のネアンデルタール人が歴史的変化とともに詳しく書かれています。これをみると、ネアンデルタール人といっても、時代や場所により大きな変異があることがわかります。
この画像は本の裏表紙に書かれているものです。(部分)本文では140から141ページに書かれています。ベルギーのネアンデルタール人、スピー人です。遺体の上で火をたくなど埋葬儀礼がすっかり定着しています。
◎「旧石器時代の人類」M.M・ゲラシモフ 河出書房新社1971年刊 1964年 原著 旧ソ連時代
この書物はそれぞれの時代の発掘された人骨とそれをもとにした復元図が多数掲載されている。すぐれた書物です。これによれば、同じネアンデルタール人も地域によりかなり変異があることがわかります。
この画像は、p74のネアンデルタール人の女性の頭蓋骨をもとに復元されたものです。ジブラルタルから出土しました。この本には復元図がたくさんあります。
ネアンデルタール人の画像です
上図は、はじめのころ、1888年当時のネアンデルタール人の想像図。ブリアンの画像と同じく原始的なイメージである。
この画像は「氷河時代」ブライアン・フェイガン著で、2009年に書かれ、2011年に翻訳されたもの(悠書館)に載っているネアンデルタール人の画像です。
ヨーロッパのネアンデルタール人。厚い胸、大きな頭、短い手足といった特徴は寒い気候への解剖学的な適応を反映しているのであろう。(原著より)
上図は「人類進化大全」クリス・ストリンガー、ピーター・アンドリュース著2012年邦訳、2005年原著、悠書館、の画像です。中年の女性の想像図ですが、髪は赤茶色ですけれども、このブログの最初にえがかれたネアンデルタール人の少女のイメージとはかけ離れて居ます。
上図は「私たちヒトの進化」ピーター・アンドリュース他、モーリス・ウィルソン絵(2000年出版、1898原著、てらぺいあ)による、ネアンデルタール人の家族の想像図です。髪はまだ黒っぽく表現されています。ジブラルタルの5万年前の想像図です。毛皮をかぶっていますが,もうこの時期に歯、衣類をまとい始めたようですが。こどもも表現されていますが、子どもは特殊化が少なくより現代人に近かったのです。
イラクのシャニダール洞窟のネアンデルタール人
解剖学者でイラストレーターのジェイ・マターネスは、イラクのシャニダール洞窟の化石頭骨をモデルにしてネアンデルタール人の肖像画を描いた。大きな団子鼻で眼窩上隆起が発達しているが1981年にScience誌にのったマターネスのネアンデルタール人は現代人によく似ていた。(Jay Mattemes)
この画像は赤い髪で白い肌のネアンデルタール人というより、中近東の人や、エジプトなどの人々にイメージが似ています。ネアンデルタール人といっても年代や場所によりいろいろちがっていたのではないかと思われます。
「別冊、日経サイエンス 人類の祖先を求めて」 p106
2015年に「NHKスペシャル、生命大躍進」で放送されたネアンデルタール人の画像
『人類進化700万年の物語』におけるネアンデルタール人
「ナショナル・ジオグラフィック」誌に掲載された、槍を持つネアンデルタール人の女性の想像図。ルーマニアに37000年~42000年前に現生人の男性で4代前の高祖父母
にネアンデルタール人がいたと思われる骨を発見した。6-9%のネアンデルタール人の遺伝子を持つ。普通は最大でも4%にとどまる
。
ネアンデルタール博物館の展示
赤毛のネアンデルタール人。上の画像より少し若い。
ドイツのネアンデルタール博物館の「スーツを着たネアンデルタール人」会場をスーツを着て見下ろしているようになっている。私たちの中にスーツを着て紛れ込んでいたら、おそらくわからないだろうということです。
上の写真は、国立科学博物館で開催中の、特別展「生命大躍進」で展示された、ネアンデルタール人の画像です。
下の写真は、同じものを顔を大きく写したものです
2015年、上野の国立科学博物館で開催中の、「生命大躍進展」に展示されている、ネアンデルタール人の像です。赤茶色の髪、白い肌など西欧人のイメージそのものです。ずいぶんと、イメージが変わっているのがお判りでしょう。
この画像は「生命大躍進」の特別展で発行された資料に載っていた、ネアンデルタール人の画像ですp175(J,H,Matternesによる)。髪の毛は赤茶色ですが西洋人的なイメージはありません。
上の画像は2016,9,11の赤旗日曜版に掲載された図像
ドイツのライン州立博物館の復元図 現代人でもこんな感じの人はいます
2018年5月13日 NHKスペシャル 人類誕生2
「ネアンデルタール人謎の絶滅人類」
という番組でのネアンデルタール人
◎この番組の放送前後に、このブログのアクセスが急増しました。
肌の色は白く、赤い髪。眼窩上隆起は大きい。
現生人と対比したネアンデルタール人の父子。寒冷に適応したずんぐり、がっしりしたからだ。女の子は特殊化が少なく、現在のヨーロッパ人そっくりです。現生人はきゃしゃでスマートです。
ネアンデルタール人の女性。現生ヨーロッパ人をそのままモデルにしています。こんなに美人ではなかったでしょうが。現生人との間に子供が生まれます。
現生人とネアンデルタール人との子ども。アフリカ人を除いて2%ほどのネアンデルタール人のDNAが組み込まれている。
「ネアンデルタール人は私たちと交配した~」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/08/post-4a24.html
1、人間学研究所10月例会でお話を
人間学研究所の2015年10月例会で、講師としておはなしをすることになっていました。先日国立科学博物館で、「生命大躍進」という特別展があり、それに参加して、その内容の概略を、このブログに書きました。そこでも、ネアンデルタール人の復元像が、だいぶ今までのイメージと違い、西洋人風に変わっていることを示しました。
「生命大躍進」展でも、紹介され、NHKスペシャルでも取り上げられた、スヴァンテ・ペーボ氏の書いた本「ネアンデルタール人は私たちと交配した」をもとにして、ネアンデルタール人とわれわれ、ホモサピエンスとの関係についていろいろ紹介してみることにしました。又、ネアンデルタール人の想像図がどのように変化してきたかを例会で紹介してみることにしました。
比較的、最近まで、ネアンデルタール人は、眼窩上隆起が大きく、がっしりした体で、少し猫背で、毛むくじゃらな野蛮人というイメージでした。しかし、近年、ネアンデルタール人の遺伝子配列がすべて解読され、赤毛か金髪で、肌も白く、目も青いものがあるという、西欧人に近いイメージに変わりました。
アフリカで生まれた、ホモサピエンスの祖先がわずかな期間で、寒冷地に適した遺伝子を獲得したのは、寒冷地に適応したネアンデルタール人と交雑したことによる、とされています。又、近年発見され、ネアンデルタール人と同じころに生存していたデニソワ人の遺伝子が、高地に適応したチベット人の遺伝子に影響を与えたこと、またメラネシア人に多くの遺伝子の影響が残っていることが明らかになった。
私たち人類に大きな影響を与えた、ネアンデルタール人やデニソワ人について、新しくわかったことを紹介することは、意義のあることだと思います。今、いろいろな資料を整理しております。人類の起源に関する書物が20冊ほどあります。原著が出版された日、翻訳された順に並べて居ます。近年急激にいろいろな発見があり、興味深いものです。特に『サイエンス』に2010年2月に論文を提出し5月に掲載された、ペーボ氏らの論文は画期的でした。そして2010年の12月には、「サイエンス』の年間最優秀論文に選ばれています。
また2008年ペーボ氏らは、ロシアのデニソワ洞窟で発見された、小さな指骨とその後に発見された臼歯の遺伝子配列を決定し2010年には、論文を発表した。
デニソワ人はパプア人に大きな遺伝子的な影響を与えていることがわかった。アフリカ以外の人の、ゲノムの約2,5%はネアンデルタール人由来です。パプア人はそれに加えてパプア人はゲノムの約、4、8%をデニソワ人から寄与されたと推定しました。.従ってパプア人はおよそ7%を、初期の人類からもらったことになる。従って現生人類が世界各地へ広がっていく過程で古い型の人類と交配するのは、例外的なことではなく、ごく普通のことだったと考えられる。そしてこれはネアンデルタール人も、デニソワ人も完全には、絶滅していないことを意味する。彼らの一部分が、現代人の中で生きているのだ。(「ネアンデルタール人は私たちと交配した」スヴァンテ・ペーボ 339-340p 2015年 文藝春秋刊)
「ネアンデルタール人と私たちの50万年史 そして最後にヒトが残った」クライブ・フィレンソン著では原著が2009年に書かれたもので、この本では、ホモサピエンスと、ネアンデルタール人が交配したかどうかはわからないと書いている。この本が書かれて、1年後にペーボ氏の論文が発表されたのです。
今、上野の国立科学博物館で開催されている、特別展、「生命大躍進」は大変貴重な資料が展示されています。ぜひ10月4日の開催期間中に行かれることをおすすめします。なお上野の国立科学博物館での展示が終了後、関西などで順次展示会が開催されます。
2、「こういちの人間学ブログ」6年目に
2009年7月に「こういちの人間学ブログ」を書き始めてから、2015年8月に6年あまりが経過しました。途中入院で4か月ほどのブランクがあります。
アクセス累計は約109万5千件ほど、記事数674件、コメント634件です。
3、退院してから1年半経過
2013年11月に入院し、2014年2月に退院しました。退院してから1年半ほどが経過しております。週3日のリハビリなどで、だいぶ治ってきたことと、余り治らないことがあります。
基本的な体力がつき、車いすで出かけることも多くなり,一泊旅行もしてみました。人間学や2火会の例会も、皆さんに来ていただいてですが、お話ができるようになりました。車イスばかりではなく、ベッドから、食卓までは毎朝つえで、自分で歩いていくようになっています。いずれ、トイレや事務机も、見守りなしでつえで行けるようになると思います。(今は、見守られて行く状況)
感覚はなかなか戻りません。麻痺した方の手の指を触られても、弱ければ何指かわかりません。右まぶたが時々痛くなり、顔の右半分がずきずきします。リハビリなどで、歩きますと、麻痺した側の膝の表、裏が痛くなります。前は左側がもっぱら痛かったのですが、今は軽くなり、リハビリで負担のかかる右足が痛くなります。
4、小説『人相食む』の簡略版をつくる。
「小説 『人相食む』ー後漢初期の人間学」は、2012年5月に一応完成しました。前漢末期から、後漢初代の光武帝から後漢4代皇帝の和帝没後の混乱期までの100年を以上を書いています。主人公は名臣として名高い第五倫です。それに、王充や、謝夷吾など、登場人物は100人に及び、リッチテキスト方式でも365ページに及ぶ大小説になってしまっています。今、CDロムに保管されています。中国の歴史上、正史に最も長い間、人が人を食べた―「人相食むという悲惨な事態が起こらなかった時代を書きました。そういう時代を実現した4代の後漢の皇帝と、第五倫などの名臣の活躍を書いたものです。もっと簡単な時に,自費出版をしようとも思いましたが、余りに費用がかかり断念しました。
あまりにも余計なものを書きこみ過ぎましたので、半分ぐらいの量に縮めたものに書き換えて、改めて出版してみようと思います。最近は電子出版なら費用が少なくても済みそうなのでそれで、再び取り組んでみたいと思います。
2015年8月1日(土)、上野の国立科学博物館で7月7日から10月4日まで開催されている「脊椎動物のたどった道 生命大躍進」展を見に行きました。これは、既に3回にわたってNHKで放送されたものをもとにしています。すでに7月6日の「こういちの人間学ブログ」で、「人類誕生の秘密~」ということで、3回目の放送の概要を紹介しました。
朝9時にヘルパーの斉藤さんに来てもらいました。予約して迎えに来たタクシーで上野までいきました。
国立科学博物館の日本館正面です。右奥に地球館があり、生命大躍進の展示はそこで行われています。入場料1600円。身体障碍者手帳提示でもう一人のつき添いの人を含め、無料です。
「生命大躍進「展の会場見取り図です。インターネットで同じものが打ち出せます。次の順序に従い展示されています。
(Newton2015年7月号も参考にさせてもらいました。イタリック体で表示)
8月22日 NHKの再放送で、「探検ナイトミュージアム」という番組を見て、録画しました。それをもとにして、追加いたします。
45億6700万年前 微惑星の衝突
45億6000万年前原始惑星の成長
45億5000万年前マグマオーシャン
ドロドロに溶けた「マグマの海」におおわれる
45億3300万年前 ジャイアントインパクト
火星サイズの天体が衝突 月の誕生
38億年前
海や地球磁場が誕生
プロローグ 生命誕生
37億年前の生命の痕跡ができてくる グリーンランド 炭素は生物由来であることが明らかにされている。
最古の生命の痕跡
40から37億年前に生命誕生したであろうと推測
35億年前の岩石(チャート)には、微生物のかたちが残されている。
あらゆる生物の祖先が海底の熱水噴出孔で生きていた?
27億年前,大気に酸素はなく、空は赤かった。光合成により酸素の大発生をもたらす「シアノバクテリア」(ラン藻類)が発生。シアノバクテリアが空を青く変えた。
22億年前全球凍結 光合成をもたらした酸素が、温室効果ガスとして機能していたメタンを酸化により分解してしまったため、急激な寒冷化。全球凍結の後生命史上の大変化が。
約20億年前真核生物の誕生 他の生物を取り込み、ミトコンドリア(好気性細菌)ができた。酸素呼吸の開始。
約20億年前 2,3回目の全球凍結の後、多細胞生物の出現
9億年前 超大陸ロディニアの出現
6億5000万年前全球凍結 1000万年続く 大絶滅
-生物はどこにいた1、火山の周りの温泉 2、氷に閉じ込められ眠ってい
た❓3、海底の熱水噴出孔?
凍り付いた地球と生命を火山活動が救う
6億3000万年前 多細胞生物の出現
ストロマトライト(層状の構造)を持つ岩石の形成
現在、オーストラリアに実在 シアノバクテリアによって作られる、層状の岩石
先カンブリア紀
末期にエディアカラ生物群 ウミエラ、クラゲ、うみうしなど
第1章 カンブリア大爆発 5億4100万年前
古生代
1、カンブリア紀
大気中の酸素濃度の増大など、生物の多様化 カンブリア爆発
2回の大進化がおきる
堅い外骨格を持つ生物の発生
5億年前 植物由来で眼が生まれた
眼をもった三葉虫の繁栄
2、オルドビス紀 4億8500万年前
軟体動物や魚類の発生 眼の発達
ー脳や目の発生
ピカイア(脊椎動物の祖先、5億800万年前)ウナギに似た生物
オパビニア 目が5つある長く伸びた口吻を持つ
アノマロカリス(この当時最強な捕食動物、精巧な複眼)
メタスプリッギナ 魚類の先祖 複眼に対しカメラ型の精巧な目を持つ
デボン紀4億1900万年~3億5900万年前 顎のある魚が発生
3、シルル紀 4億4340万年前
4億4300万年前のオルドビス紀末の大絶滅①
85%が絶滅 その後シルル紀からデボン紀へ
2mをこす巨大なウミサソリの発生
4、デボン紀 4億1920万年前
2億5000万年前ベルム紀末の史上最大の絶滅②
大規模火山活動による灰の冬
デボン紀後期の大量絶滅、③ 80%から90%が絶滅
5、石炭紀 3億5890万年前
石炭紀からベルム紀へ 酸素濃度増大 大型昆虫発生
シダの大森林 石炭の元に 3億年前
6,ベルム紀 2億9800万年前
ディメトロドン 単弓類 背中に大きな帆のようなものを持つ (下図)
哺乳類の元 眼の後ろの穴、人間にこめかみにくぼみある 名残
2億100万年前の三畳紀(中生代)末の大絶滅 ④
(カンブリア紀から現在までの間5億4100万年前までに5回の大量絶滅が起きた)
第2章 海から陸へ
ユーステノプテロン デボン紀 シーラカンスにちかい魚類 両生類への進化の過程が見られる ひれから足へ
デボン紀のある時期(3億8千万年前)脊椎動物は陸に上がった。両生類の発生 イクチオステガ 大気を肺呼吸
水辺からの決別 爬虫類の発生(3億3000万年~3億6000万年前)
からのついたたまご
中生代
1,三畳紀 2億5217万年前
単弓類の繁栄 リストロサウルス 哺乳類に最も近いグループ
キノドン類 ジュラ紀前期までに絶滅した
2、ジュラ紀 2億130万年前 恐竜の全盛時代
3、白亜紀 1億4500万年前
白亜紀末(6600万年前)の隕石落下による恐竜などの大量絶滅 ⑤
その後新生代へ
第3章 哺乳類の出現と多様化
哺乳類の出現 アデロバシレウス【2億4000年前) 最初の哺乳類 12cm
胎生の確立(1億6千万年前)
ディメトロドン 単弓類 爬虫類と別な種類 哺乳類の近縁 三畳紀に栄える
大きな帆のようなものを持つ
、ジュラマイア ジュラ紀に発生した最古の哺乳類 ネズミのような形
夜行性、目の発達
新生代 6600万年前
新獣類の繁栄(6600万年前)
有袋類の繁栄【6600万年前)
第4章 人類への道
イーダ、(ダーウィニクス・マシラエ)霊長類での完全な化石
霊長類の中から地上への進出を試みるものがあらわれる。700万年前 猿人
二足歩行(440万年前)始まる
猿人の足跡の上を歩いてみよう 模型が展示されている
近くにアウストラロピテクス・アファレンシスの化石が発見
ラミダス猿人アウストラロピテクスより古い猿人
猿人から原人へ ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス(ホモ属)
ネアンデルタール人 20万年~3万年前 1万年ほど現生人類と共存
現代人の中の遺伝子に組み込まれる
ホモ・サピエンス・イダルテゥ 16万年前 エチオピア
エピローグ 受け継がれたDNA
大型4k映像で、全体の流れを見ます
★様々な珍しい化石や映像などが展示され、初めて見るものが多く、とても参考になりました。生命の発生から、人類の発生、そして、ホモ・サピエンスへ流れがよくわかります。
9時半ごろ、もうだいぶ混んで居ます。夏休みで子どもがたくさん来ていました。中は映像以外は自由に写真を撮ってよいそうです。始めてみる珍しい化石がたくさんあり、大人も子供も楽しめる内容です。ぜひ、一度行ってみることをおすすめします。今後、いろいろな場所で展示されます。
ウミサソリを食べようとしている、巨大なダンクルオステウス(板皮類)
実物大の模型
霊長類イーダの化石(ダーウイニクス・マシラエ)胃の内容物までわかる、霊長類としてもっとも完全な標本。
ネアンデルタール人 赤い髪、白い肌、青い目で、西洋人に近い復元図です。
ホモ・サピエンス・サピエンスはネアンデルタール人の遺伝子を交配により受け入れ、寒冷地での生活が可能になりました。
詳しくは、「ネアンデルタール人、図像の変化~」、「こういちの人間学ブログ」をご覧ください。
第二会場に
発掘と研究紹介コーナー
NHKスペシャル「生命大躍進」について
オリジナル、ショップなどがありました
参考資料
地球館の特別展示会の資料 大判オールカラーで200ページ以上ある、立派な資料です。値段は3千数百円です。値段書いてないので忘れました。
◎生命大躍進 人類誕生の秘密 NHK7月7日より 国立科学博物館
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/05/nhk-3809.html
◎ Newton 2015年7月大特集「地球と生命 46億年をさかのぼる旅」ニュートン プレス 1200円税込み も参考にしました。
◎ NHKスペシャルでの放送
1、そして、目が生まれた
2、こうして、母の愛がうまれた
3、ついに知性が生まれた
8月、再放送があります。
◎ 日本館の地下1階にあるミュージアムショップで、「人類進化大全」という本も買いました。悠書館2012年改訂版、5800円+税と、少し高い値段です。
帰りに、昼食を不忍池近くの「黒船亭」でランチを食べました。昔ながらの洋食屋さんです。12時半ごろなので座れました。帰るときは行列でした。御徒町駅近くの上野松坂屋で夕食のお弁当を買いました。
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