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2015年8月10日 (月)

ネアンデルタール人について,図像の変化、赤い髪、白い肌 イメージ大きく変わる・洞窟壁画も?

2014年に書いたブログですが、2015年8月に追記して、更新しました。10月に人間学研究所の合同例会でおはなしをする、元となるものです。

 

追 記: 2018年2月23日の夕刊に「最古 6万年前の壁画 ネアンデルタール人か」という記事が載りました。本当なら画期的なことです。

 

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2月24日の新聞朝刊各紙で紹介されました。24日の毎日新聞、「余禄」でもネアンデルタール人のことが書かれました。

 

「イラクの洞くつで見つかったネアンデルタール人の骨は右腕が委縮し、左目も見えなかったが、推定年齢40歳。彼らはちゃんと体の不自由な仲間を世話していたのだ。この洞窟には別のヒトの人骨から大量の花粉が見つかった。野蛮視されていたネアンデルタール人のイメージを変える発見となった。ただこの花粉の由来には異論もあるようだ。~ネアンデルタール人は化石人類で、脳の最大の容量があったが、今まで絵を描いていた痕跡はなかった。ところがスペインのラパシエガ洞窟の壁画が6万4800年以上前に描かれたらしいという研究が発表された。壁画には動物のような線画やはしごのような図形がある。年代が正確なら、ネアンデルタール人にも抽象的な象徴表現ができたことになる。いわば現生人類と同じ進化の跳躍台に立っていたのだ。~ネアンデルタール人と現生人類の交雑は約6万年前という説がある。改めて壁画の写真を見れば、心優しい薄幸の親戚の面影がよぎる」

 

ラ・パシエガ洞窟は、スペイン北部のアルタミラ洞窟に近いところにあります。

 

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参考:10000年前のイギリスにいた現生人、「チェダーマンの復元図」

 

黒い肌、やや巻いた黒い髪、目は青い姿,アメリカの原住民(ネイティブ・アメリカン)に似た風貌

 

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◎以上は2018年2月の記事を追記したものです。ネアンデルタール人が絵を描いていたということになると大発見です。すでに、肌の白いネアンデルタール人の少女の想像図が描かれイメージがだいぶ変わりましたが。今度の発見でさらに親近感が増すように感じます。

 

  ネアンデルタール人は今まではホモ・ネアンデルターレンシスー旧人といわれていたが、今では、同じホモ・サピエンスの亜種としてとして、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスと呼ばます。現代のわれわれ人類は(ホモ・サピエンス・サピエンス-新人)と呼ばれます

 

 ドイツのデュッセルドルフから東へ約13キロのところに、ネアンデルタール渓谷がある。ここの小シェルトホーファー洞窟で、石灰岩の採掘中に偶然ある骨が発見された。1856年のことである。後年、ネアンデルタール人を研究するときに基準となる模式標本として有名になった化石人骨である。昔はネアンデルタール人は旧人と位置づけされた。その後石灰岩の採掘のためすべての洞窟がなくなってしまった。そして場所がわからなくなっていた。1997年にネアンデルタール渓谷で新たに骨を発掘し、前の大腿骨の一部に接合した。1999年に模式標本の場所が奇跡的に特定された。(『ネアンデルタール人奇跡の再発見』より)

 

ネアンデルタール博物館

 

 この場所に1996年ネアンデルタール博物館が作られました。薄緑色の巨大な宇宙船のような建物だそうです。そこに様々な、ネアンデルタール人の生活ぶりが展示されています。ネアンデルタール人が発掘された場所が保存整備されています。インターネットではbeingで「ネアンデルタール人の画像」、もしくは「ネアンデルタール博物館の画像」と検索すると、多数の画像が見られます。

 

 ネアンデルタール人は北は北ドイツやベルギー、イギリス、南はイタリアからスペインまでヨーロッパ各地に約20万年ほど住んでいました。又中東地にもすんでいた。ホモ・サピエンスたる現在の人類は東アフリカで発生し北のほうへ拡散するとき、出会ったと思われます。

 

ネアンデルタール人の生活

 

 中期旧石器時代と呼ばれ、約20万年の生存期間の間、前半は温暖で後半は氷期だった。彼らは狩猟採集生活者で、それぞれの時期に特徴的な動物群を対象としていた。その文化はムステリアンと呼ばれており、ルヴァロア技法と呼ばれる方法で石器を作っていた。石器は動物の解体や、木や骨などの素材を削る道具として用いられた。木製の槍を使っていた証拠もある。彼らは主として岩陰や洞窟を住居として利用したが、オープンサイトにも住居跡が見つかっている。また発掘によって、彼らは意図的に死者を埋葬したことも明らかになっている。(「特別展 生命大躍進」の資料より 篠田氏)

 

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ヨーロッパのネアンデルタール人の分布図 図が切れて居ますが、イスラエルあたりにもアムッド遺跡やタブーン遺跡なども有ります。おそらく人類最古の墓はタブーン遺跡から発見されています。(「人類進化大全」より)

 

追記 2016年2月

 

 ロシアのデニソワ洞窟のネアンデルタール人(デニソワ人)の遺伝子から現生人類の遺伝子が見つかった。10万年前に中東で現生人と混血したネアンデルタール人がデニソワ洞窟に住み着いたという。ヨーロッパでは、現生人類との混血はずっと後になる。

 

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中東で見つかった主な人類遺跡の位置(13万年前から10万年前は温暖期であった)

 

ネアンデルタール人  アムッド、タブーン,ケバラ

 

早期現生人類   スフ―ル、カフゼー

 

上図は「そして最後にヒトが残った」クライブ・フィンレンソン、2013年訳、原著、2009年、白揚社の本より。ネアンデルタール人の遺跡と、初期ホモ・サピエンスの遺跡が大変近かったことがわかります。

 

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本の表紙に、ネアンデルタール人の子どもの想像図が出ている。あごにおとがいがないことを除けば現生人類とほとんど同じです。

 

 同じイスラエルのスフール洞窟やカフゼー洞窟には早期現生人類の化石が発見されている。現生人類とネアンデルタール人はおなじころに生存していたので、お互いに出会い、交配した可能性が大きい。

 

 ヨーロッパで、ネアンデルタール人が、髪が赤茶けていて、肌が白かったであろうということから、よりネアンデルタール人の遺伝子を多く受け継いでいるかという話が話題になっている。ちょうど、日本人が縄文系と弥生系とで、どちらに近いかという話が話題になったのと、同じようです。

 

 ネアンデルタール人系の顔立ちといえば、同じネアンデルタール人の顔立ちの想像図でも、ヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人と、中東に住んでいたネアンデルタール人とでは想像図が違います。ヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人は赤茶けた髪、白い肌、青っぽい目などとともに、眉上隆起が大きい、額が斜めに傾斜している、比較的毛深い、余り頤が出ていないなど、ネアンデルタール人に共通した特徴がある。筋骨がたくましいという特徴もあります。こういう感じの人は北方のノルマン人系やゲルマン系の人などにありますね。ネアンデルタール人の全ゲノムの解析が分かって居るので、ある人のネアンデルタール度を調べるサービスがあるようです。

 

◎2018年2月、追記 10000年前にイギリスに住んでいた人(チェダーマン)は、顔が黒く、髪の毛も黒く、目が青いヒトであることがわかったと発表された。ほかの地域でも顔は黒かったと言われます。

 

「こういちの人間学ブログ」

 

 「ネアンデルタール人と私たちの50万年史 なぜ絶滅したのか」

 

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/2014/04/post-1b19.html

 

1、ネアンデルタール人を最新の科学で再現すると

 

 イメージ大きく変わる

 

 2001年チューリッヒ大学のグループが、眉上の突起が目立たない五歳前後の少女のネアンデルタール人画像をコンピューターを使って復元を作りました。下図参照 DNA分析により、髪が赤く、白い肌をしていた可能性が高かったといわれます。約7万年まえには衣服につく虱の遺伝子の研究によりすでに衣服をまとっていたと考えられます。さてこのネアンデルタール人の少女が街角で、何気なくあるいていたら、周囲ははたして気が付くでしょうか

 

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5歳の少女の復元図、チューリツヒ大学の人類学研究所のクリストフ・ツォリコッファーらによるもの。コンピューターによる、復元像にシリコン塗装をしたもの。

 

「ナシヨナルジオグラフィック」 2014年1月30日

 

2、ネアンデルタール人その絶滅の謎「復元模型図ケニス・ケニス」

 

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1994年3月スペイン北部ビスケー湾のすぐ南にあるエル・シドロンという洞窟で140の人骨をほりだしましたこれは。43000年前にこの地域でくらしていたネアンデルタール人の化石でした。2000年以降すくなくとも9人のネアンデルタール人の骨であることが分かった。

 

 研究者はそのネアンデルタール人を復元しました。中年の女性を復元していますが、白い肌赤茶けた髪、青っぽい目をしているということです。そしてこれらの人骨は食べられたあとがありました。

 

彼らは西ヨーロッパで、もっとも多かった時期でも15000人程度だと推定されています、

 

ヨーロッパで生活をしていた23万年前に現れた彼らは27000万前に姿を突然消しました。

 

 10万年前ごろ発生したホモ・サピエンスは、約6万年前にアフリカをでてネアンデルタール人と交雑し、非アフリカ系の現代人はDNAの1〜4%といえネアンデルタール人から受け継いでいます。わずか1〜4%とはいえ、そのゲノムは重大な影響力を保持している可能性が高いという。特に皮膚、毛髪、病気に対する耐性に影響が残った。白い肌は日光が弱いヨーロッパではビタミンDの体内合成に有利でした。

 

「ナショナルジオグラフィック2008年10月号特集ネアンデルタール人その絶滅の謎」

 

3、現生人類に残るネアンデルタールDNA

 

アフリカをでた現生人類がネアンデルタール人と出会い、交雑し新天地にあった遺伝情報を取り込んだのだろう。

 

ネアンデルタール人は私たちと交配した」スヴァンテ・ペーボ 2015年6月

 文藝春秋

 

 ネアンデルタール人の遺伝子配列を完全に解読した結果、アフリカ以外のホモ・サピエンスに数パーセント、遺伝子が共有されていたことがわかりました。またロシアに住んでいたデニソワ人もアジア人やアボリジニなどに影響を与えた。

 

 詳しくは別のブログで、

 

★すでに男性のネアンデルタール人の想像図で現生人類と近い想像図があり、洋服を着て人ごみの中にいたらだれもわからないだろう、といわれていました。

 

☆ブログに「ネアンデルタ ール人が絶滅したのは女性が美女だったから」などというものがあります。「異種族混交接」だが個体数が少ない、ネアンデルタール人より現生人類のほうが多かったため「消滅してしまった」という説があるぐらいです。

 

昔のネアンデルタール人イメージ

 

 72歳の私が昔ならった人類学の教科書では、ネアンデルタール人は脳は大きいけれど、眉のつきでた毛むくじゃらな想像図が一般的でその違いにおどろかされます。

 

 たとえばすばらしい図説集である、ブリアンの図による「図説原始人類」(The Dawn Of Man)1977、邦訳1982啓学出版、によればネアンデルタール人はかなり下図のようにいきわめて原始的に描かれています。ブリアンはチェコスロバキアの世界的画家です。この本では160余の復元図が描かれています。

 

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この図によれば毛むくじゃらで、原始的のイメージがよくあらわされています。

 

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同じブリアンの本でも、ネアンデルタール人の少年の像は、われわれ現代人とあまり変わりません。中央アジアのテシク・タシュで発見された頭蓋骨をもとに復元したものです。p90

 

◎「地球 絶滅人類記1」 1991年 監修香原志勢、著者今泉忠明 竹書房

 

によれば、ネアンデルタール人に関して112pから176pまで書かれている。

 

 本によれば旧人ーネアンデルタール人はヨーロッパのみならずアフリカ南端から東南アジア中国まで分布していた。

 

 そして具体的にそれぞれの地域のネアンデルタール人が歴史的変化とともに詳しく書かれています。これをみると、ネアンデルタール人といっても、時代や場所により大きな変異があることがわかります。

 

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 この画像は本の裏表紙に書かれているものです。(部分)本文では140から141ページに書かれています。ベルギーのネアンデルタール人、スピー人です。遺体の上で火をたくなど埋葬儀礼がすっかり定着しています。

 

◎「旧石器時代の人類」M.M・ゲラシモフ 河出書房新社1971年刊 1964年 原著 旧ソ連時代

 

 この書物はそれぞれの時代の発掘された人骨とそれをもとにした復元図が多数掲載されている。すぐれた書物です。これによれば、同じネアンデルタール人も地域によりかなり変異があることがわかります。

 

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この画像は、p74のネアンデルタール人の女性の頭蓋骨をもとに復元されたものです。ジブラルタルから出土しました。この本には復元図がたくさんあります。

 

 

 

ネアンデルタール人の画像です

 

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上図は、はじめのころ、1888年当時のネアンデルタール人の想像図。ブリアンの画像と同じく原始的なイメージである。

 

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この画像は「氷河時代」ブライアン・フェイガン著で、2009年に書かれ、2011年に翻訳されたもの(悠書館)に載っているネアンデルタール人の画像です。

 

ヨーロッパのネアンデルタール人。厚い胸、大きな頭、短い手足といった特徴は寒い気候への解剖学的な適応を反映しているのであろう。(原著より)

 

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 上図は「人類進化大全」クリス・ストリンガー、ピーター・アンドリュース著2012年邦訳、2005年原著、悠書館、の画像です。中年の女性の想像図ですが、髪は赤茶色ですけれども、このブログの最初にえがかれたネアンデルタール人の少女のイメージとはかけ離れて居ます。

 

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上図は「私たちヒトの進化」ピーター・アンドリュース他、モーリス・ウィルソン絵(2000年出版、1898原著、てらぺいあ)による、ネアンデルタール人の家族の想像図です。髪はまだ黒っぽく表現されています。ジブラルタルの5万年前の想像図です。毛皮をかぶっていますが,もうこの時期に歯、衣類をまとい始めたようですが。こどもも表現されていますが、子どもは特殊化が少なくより現代人に近かったのです。

 

 

 

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 イラクのシャニダール洞窟のネアンデルタール人

 

 解剖学者でイラストレーターのジェイ・マターネスは、イラクのシャニダール洞窟の化石頭骨をモデルにしてネアンデルタール人の肖像画を描いた。大きな団子鼻で眼窩上隆起が発達しているが1981年にScience誌にのったマターネスのネアンデルタール人は現代人によく似ていた。(Jay Mattemes)

 

この画像は赤い髪で白い肌のネアンデルタール人というより、中近東の人や、エジプトなどの人々にイメージが似ています。ネアンデルタール人といっても年代や場所によりいろいろちがっていたのではないかと思われます。

 

 「別冊、日経サイエンス 人類の祖先を求めて」 p106

 

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2015年に「NHKスペシャル、生命大躍進」で放送されたネアンデルタール人の画像

 

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『人類進化700万年の物語』におけるネアンデルタール人

 

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「ナショナル・ジオグラフィック」誌に掲載された、槍を持つネアンデルタール人の女性の想像図。ルーマニアに37000年~42000年前に現生人の男性で4代前の高祖父母
にネアンデルタール人がいたと思われる骨を発見した。6-9%のネアンデルタール人の遺伝子を持つ。普通は最大でも4%にとどまる

 

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ネアンデルタール博物館の展示

 

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赤毛のネアンデルタール人。上の画像より少し若い。

 

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ドイツのネアンデルタール博物館の「スーツを着たネアンデルタール人」会場をスーツを着て見下ろしているようになっている。私たちの中にスーツを着て紛れ込んでいたら、おそらくわからないだろうということです。

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上の写真は、国立科学博物館で開催中の、特別展「生命大躍進」で展示された、ネアンデルタール人の画像です。

 

下の写真は、同じものを顔を大きく写したものです

 

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 2015年、上野の国立科学博物館で開催中の、「生命大躍進展」に展示されている、ネアンデルタール人の像です。赤茶色の髪、白い肌など西欧人のイメージそのものです。ずいぶんと、イメージが変わっているのがお判りでしょう。

 

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この画像は「生命大躍進」の特別展で発行された資料に載っていた、ネアンデルタール人の画像ですp175(J,H,Matternesによる)。髪の毛は赤茶色ですが西洋人的なイメージはありません。

 

 

 

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上の画像は2016,9,11の赤旗日曜版に掲載された図像

 

ドイツのライン州立博物館の復元図 現代人でもこんな感じの人はいます

 

2018年5月13日 NHKスペシャル 人類誕生2

 

「ネアンデルタール人謎の絶滅人類」

 

 という番組でのネアンデルタール人

 

◎この番組の放送前後に、このブログのアクセスが急増しました。

 

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肌の色は白く、赤い髪。眼窩上隆起は大きい。

 

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現生人と対比したネアンデルタール人の父子。寒冷に適応したずんぐり、がっしりしたからだ。女の子は特殊化が少なく、現在のヨーロッパ人そっくりです。現生人はきゃしゃでスマートです。

 

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ネアンデルタール人の女性。現生ヨーロッパ人をそのままモデルにしています。こんなに美人ではなかったでしょうが。現生人との間に子供が生まれます。

 

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現生人とネアンデルタール人との子ども。アフリカ人を除いて2%ほどのネアンデルタール人のDNAが組み込まれている。

 

「ネアンデルタール人は私たちと交配した~」

 

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/08/post-4a24.html

 

 

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人間とは何か -人類学」カテゴリの記事

コメント

とら猫イーチ様
 コメントありがとうございます。ねこちゃんもいろいろな起源があるのでしょうね。いろいろなネコ科の図鑑をみるといろいろな猫類がいて興味深いです。  
 このブログもネアンデルタール人についての、「そして最後にヒトが残ったーネアンデルタール人と私たちの50万年史」クライブ,フィレンソンという人の本を紹介しようと思ったのです。ところがアマゾンでの住所変更がうまくいかず、くわしくかけませんでした。
 ようやくあした届けられるのでまた書いてみようと思います。

 人類は、その発祥の地から世界各地に移住した経過から、他の人類類似のヒトと交雑して現在の世界の人類となったのでしょう。 
 他の動物でもよくあることです。 例えば、猫ですが、リビアヤマネコが先祖と目されている現代の猫でも、我が家のトラ猫のように、先祖に近似のトラ猫も居れば、ペルシャ猫のような猫も居ますし、体型が大きく、肉食獣そのもののような猫も居ます。 
 猫は兎も角、赤毛の髪に白い皮膚ならば、現代の北欧に住む人々ともあまり相違無く、人類とはよく似たヒトであったのでしょう。 昔の想像図は、きっとその時代のヒトの思い込みだったのでしょうね。 

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