近藤晃さんに続き、田口隆彦さんも逝去 11月に追悼パンドリナの会
2015年9月27日に、旧東京教育大学生物学科、動物学専攻の唐沢孝一さんから、同窓生の田口隆彦さん逝去の報せが、旧クラスの全員にメールが届きました。田口さん逝去の報せは同窓の角田さんからすでに聞いていました。唐沢さんの報せで詳しい状況を知ることができました。
東京教育大在学中の田口隆彦さん。下田の臨海実験所にて。
写真でも朗らかで、みんなを楽しませるのが、大好きな・・・
というところが、良く表れています。
写真は一部消去いたしました
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今から15年ほど前のことでしょうか。前の人間学研究所で開かれた、東京教育大学のクラス会の写真です。この時11人が参加しました。左手前が田口さんです。右端が近藤さんです。田口さんも近藤さんもこの時はとても元気でした。
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田口隆彦さんは,小児麻痺の後遺症で若干足が不自由でしたが、極めて明るい性格で、動物学科在学中はいろいろとお付き合いさせてもらいました。囲碁が好きで、お手合わせをしてもとてもかなわなかったです。自分では遊び人みたいなことを言っていましたが、本当はとてもまじめな人です。
在学中にパンドリナという文集をいくつか出しました、前に住んでいた部屋のどこかに置いてあります。パンドリナというのは16細胞の生物で、われわれ16人の名前にふさわしかったのです。
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田口隆彦さんは近藤 昊さんとともに、東京教育大の大学院に進み、ともに博士課程を修了されています。以後ともに東京都老人研究所の分子生物学研究系にはいられ、いろいろな論文を書かれていますが、近藤さんとの共同研究も多かったみたいです。そして、定年まで一緒に務められました。定年後は田口さんは健康を害され、教育大のクラス会にも参加されませんでした。近藤さんは総合人間科学大学に教授として、定年まで努められました。
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それが、今年2015年1月8日に、近藤 昊さんががんでなくなられ、1月12日の納骨式には8名のパンドリナの会のメンバーが参加しました。筆者は残念ながら参加できませんでした。そして、1月10日にそのことは、筆者のブログに書きました。
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田口隆彦さんの奥様から7月に、唐沢さんあてに暑中見舞いが届き、そこに、今年の4月15日に田口さんが亡くなられ、既に所沢欅霊園に埋葬されたそうです。3年前ほど前に脳委縮による筋肉の拘縮があり、ずっと入院されていたそうです。なんと、近藤さんが亡くなられてから3か月ぐらいであとをおったかたちになります。そのことは、今度のパンドリナの会の幹事役の角田さんも藤沢さんも筆者も知りませんでした。それで唐沢さんから全員にこのことをメールで連絡してくれたわけです。
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思い起こせば大学在学中からずっとお二人はつながりと縁が強く、亡くなられるのもほぼ、一緒になってしまいました。
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11月21日の土曜日に午後1時集合で、パンドリナの会が開かれる予定です。それまでに追悼業績文を藤沢さんがまとめてくれるそうです。場所は筆者が車椅子で行ける高田馬場の駅前の「キリンシティ」にしてもらいました。
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近藤 昊さん、田口隆彦さんの、心からのご冥福をお祈り申し上げます。
追記
平成14年5月の「老人研情報」に次ぎのような退職の挨拶がのっています。
「遺伝子情報部門」老人研には29年11か月勤務しました。
Mech.Ageing Dev.92,143-157,1996と同雑誌9937-47.1997
をご覧ください。
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