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2015年9月

2015年9月30日 (水)

「人間学通信NO73号の発行と、合同例会のお知らせ 佐竹幸一話を

 2015年9月25日に人間学研究所通信
   (HYMANOLOGY)NO73号が発行されました。
目  次
第117回人間学研究所・第77回実用的人間学研究会
                2015年第6回例会開催通知
 日 時::2015年10月15日(第3木曜日)18時
    会場は17時30分より
 講 師: 佐竹 幸一 (人間学研究所専務理事
              実用的人間学研究会会長)
 テーマ: 「ネアンデルタール人などと私たち人間」
            -なぜ絶滅したのか
 場 所: 西戸山タワーホームズ集会室
       新宿区百人町3-1-5 1階
 
      終了後、希望者は懇親会をおこないます。
      Henessy XOの1ℓ瓶をもらいました。
      みなさんで飲みましょう。
次回例会
  11月例会は人間学研究所で、白村直也氏のお話
  をしていただく予定です。
記  事 
永井 治氏 :「殺戮を条件とする争い」
                     p2-4
倉田 眞氏:「2020東京五輪迷走・混迷の原因と責任」
                     p6-10
『人間学研究所年誌2015』第13号刊行、原稿募集
 『人間学研究所年誌』NO13を2016年3月に発行する
 予定です。
 編集、執筆要領は下記のようです。
 編集方針
 a,原著論文 b、短報、c、エッセイ、d、研究所活動報告
 刊行日:2016年3月31日
 原稿締切日:2015年12月31日
 応募受付締切日:2015年10月22日
 応募資格:人間学研究所所員、実用的人間学会員
 原稿提出先、応募連絡先:岩田好弘
 人間学研究所 
・ 
    発行責任者: 柴田義松
   〒169-0073  新宿区百人町1-3-17
               佐竹ビル3階
   ◎当面の連絡先  木村廣子
               文京区小石川5-11-5-1001
               03-3815-2598

2015年9月27日 (日)

近藤晃さんに続き、田口隆彦さんも逝去 11月に追悼パンドリナの会

 2015年9月27日に、旧東京教育大学生物学科、動物学専攻の唐沢孝一さんから、同窓生の田口隆彦さん逝去の報せが、旧クラスの全員にメールが届きました。田口さん逝去の報せは同窓の角田さんからすでに聞いていました。唐沢さんの報せで詳しい状況を知ることができました。
東京教育大在学中の田口隆彦さん。下田の臨海実験所にて。
写真でも朗らかで、みんなを楽しませるのが、大好きな・・・
というところが、良く表れています。
写真は一部消去いたしました
・。
 今から15年ほど前のことでしょうか。前の人間学研究所で開かれた、東京教育大学のクラス会の写真です。この時11人が参加しました。左手前が田口さんです。右端が近藤さんです。田口さんも近藤さんもこの時はとても元気でした。
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 田口隆彦さんは,小児麻痺の後遺症で若干足が不自由でしたが、極めて明るい性格で、動物学科在学中はいろいろとお付き合いさせてもらいました。囲碁が好きで、お手合わせをしてもとてもかなわなかったです。自分では遊び人みたいなことを言っていましたが、本当はとてもまじめな人です。
 在学中にパンドリナという文集をいくつか出しました、前に住んでいた部屋のどこかに置いてあります。パンドリナというのは16細胞の生物で、われわれ16人の名前にふさわしかったのです。
 田口隆彦さんは近藤 昊さんとともに、東京教育大の大学院に進み、ともに博士課程を修了されています。以後ともに東京都老人研究所の分子生物学研究系にはいられ、いろいろな論文を書かれていますが、近藤さんとの共同研究も多かったみたいです。そして、定年まで一緒に務められました。定年後は田口さんは健康を害され、教育大のクラス会にも参加されませんでした。近藤さんは総合人間科学大学に教授として、定年まで努められました。
 それが、今年2015年1月8日に、近藤 昊さんががんでなくなられ、1月12日の納骨式には8名のパンドリナの会のメンバーが参加しました。筆者は残念ながら参加できませんでした。そして、1月10日にそのことは、筆者のブログに書きました。
 田口隆彦さんの奥様から7月に、唐沢さんあてに暑中見舞いが届き、そこに、今年の4月15日に田口さんが亡くなられ、既に所沢欅霊園に埋葬されたそうです。3年前ほど前に脳委縮による筋肉の拘縮があり、ずっと入院されていたそうです。なんと、近藤さんが亡くなられてから3か月ぐらいであとをおったかたちになります。そのことは、今度のパンドリナの会の幹事役の角田さんも藤沢さんも筆者も知りませんでした。それで唐沢さんから全員にこのことをメールで連絡してくれたわけです。
 思い起こせば大学在学中からずっとお二人はつながりと縁が強く、亡くなられるのもほぼ、一緒になってしまいました。
 11月21日の土曜日に午後1時集合で、パンドリナの会が開かれる予定です。それまでに追悼業績文を藤沢さんがまとめてくれるそうです。場所は筆者が車椅子で行ける高田馬場の駅前の「キリンシティ」にしてもらいました。
 近藤 昊さん、田口隆彦さんの、心からのご冥福をお祈り申し上げます。
追記
 平成14年5月の「老人研情報」に次ぎのような退職の挨拶がのっています。
「遺伝子情報部門」老人研には29年11か月勤務しました。
Mech.Ageing Dev.92,143-157,1996と同雑誌9937-47.1997
をご覧ください。
 

2015年9月26日 (土)

多国籍の街、新大久保がNHK「新日本風土記」に

 2015年9月25日(金)午後9時から10時まで、新大久保のことが、NHKの「新日本風土記」で取り上げられました。まともに1時間NHKで取り上げられたのは珍しいことです。テーマは「東京異国の香り、新大久保絶品キムチとマッコリ」です。大久保と百人町の大久保地域は人口約4万人、そのうち1万人が外国人です。
◎歌舞伎町に隣接した、大久保1丁目と百人町1丁目では、日本人より外国人の方が多く、正式に、外国人登録をしてないで、観光ビザで働いている人を含めると、圧倒的に外国人の方が多いのです。以前国勢調査を300件ほど担当してわかりました。
新大久保駅
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 昨年設立100週年を迎えた、新大久保駅の乗降客は、朝晩は、圧倒的に外国人が多いのです。それは、大久保地域に日本語学校が多く、最近では中国や韓国だけでなく、ベトナムの人などが多いのです。新大久保駅では10か国語で案内をしている。
◎昨年発行された100週年記念切符は買いました。先に総武線の大久保駅のほうが早くできました。あとでできたので新大久保と名付けました。筆者の店もはじめは大久保駅に近かったのですが新大久保駅ができて、新大久保近くに移転しました。
ハラルフード
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ナセルさん
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モスクでお祈り  
 新大久保駅のすぐそば、で、インド人でイスラム教徒のナセルさんは、57歳、イスラム教徒が食べていい肉など、「ハラルフード」の店が無く、魚ばかり食べて居たことがあった。自分でハラルフードの肉を作ろうと思った。ナセルさんたちは小さい礼拝所、モスクも作った。お隣の日本人経営の「新宿八百屋」とは仲良くしている。
◎この辺りを国際横丁というらしい。イスラム横丁という人も。
この辺りには、韓国料理、中国料理、ベトナム料理、インドネシア料理などいろいろ。昔からの日本のお店も。居酒屋仙力、人間学の後の懇親会でよく行く豆腐料理越路やお好みやき屋さんも。グローブ座につながる文化道りもいろいろなお店が。
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◎「新宿八百屋」このお店も24時間営業。安いので評判。外国人のお客のほうが多い。テレビで放送され筆者もブログにも書きました。
生マッコリ
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 日本では本当の生マッコリがなかった。生マッコリ家のハンさん(64歳)は、山梨で生マッコリを醸造しました。発泡性の生マッコリは韓国にも無いそうです。もう人生の半分は日本ですごしましたという。
◎生マッコリ家は大久保道りから少し横道を入ったところにあります。前は、「ナマズや」さんがあったところで大きなナマズが看板としてそのまま飾られています。生マッコリは本当においしく、人間学研究所の例会の後の懇親会でも何回かみんなで行きました。
韓国広場とキムチ
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 韓国のスーパー「韓国広場」の金クンヒ社長は、職安通りにあり古くから、日本で韓国スーパーやレストランなどを経営しています。嫌韓デモのころはひどかったと話しています。店をやめて韓国に戻った人もたくさんいた。今は韓国の料理教室などを開催しています。
◎韓国広場のキムさんとは、昔筆者の会社との取引が多く、韓国広場のお店の内装も、家で行いました。
管楽器修理
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 管楽器修理 大久保は昔から楽器関係の店が多かった。高橋さんのお父さんが日本初の管楽器修理店を作る。高橋管楽器修理店、高橋一朗さん。親子3代、先代からやっている。今は息子さんと2人でやっている。難しい修理もお手のもの。外国からの依頼もある。新大久保駅のすぐそばには楽器店も多い。
多くのネパール人
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 新宿には、2800人のネパール人が住んでいる。イ(ンド人よりずっと多い)前ネパールでは大きな地震があった。ネパール新聞が発行され、救済が呼びかけられた。
ネパールの食材店、Barahiがある。
新大久保とつつじ
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つつじを見に来た人々、江戸時代の絵  
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 新大久保の街は江戸時代の100人組鉄砲同心の屋敷があった。その人たちの守り神として、皆中(カイチュウ―皆当たる)稲荷神社が作られました。火縄銃や鎧兜が整備され、お祭りで、鉄砲隊の実演がある。その鉄砲に必要な炭などからつつじが植えられ、江戸時代には、つつじの名所として有名になった。明治時代につつじは群馬県の舘林に移植された。皆で舘林に行き、つつじの見物と火縄銃の試射なども実演した。(箱根のつつじも大久保のつつじだそうです)
◎皆中神社の先代の宮司(死去)は、筆者の祖父が、木曽から連れてきたそうです。
新大久保映画祭と商店街の取り組み
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歴代の新大久保商店街理事長
 
 新大久保映画祭の呼びかけ。昨年は韓国中心、昨年は韓国の作品が多かったが、今年は色々な国(7か国)が参加。実行委員も多国籍。
映画祭は8月15日から開催された。実行委員長呉(オ)ヨンスクさん。
イ・スンミン氏、(副委員長)語学学校(新大久保語学院)の経営者などが呼びかけ。新大久保商店街が協力。17作品が上映される。
 現理事長伊藤節子さん(ハンコ屋さん)、前理事長の観賞魚販売の諏訪信雄さん(手前)、洋品店コマドリの森田恵幸さん(右奥)、大橋さんなども協力。イさんも含め、韓国料理店に集まって話。
 商店街では、1998年から「天使の棲む街」ということを、宣伝。天使は国籍が無いから。新大久保のガード下に、絵をみんなで描いた。諏訪さんは商店会に入るように勧めて回ったが、はじめ反応が無かった。イさんが回ったら10数軒が参加。一緒に街づくりをしようという機運が。
大久保小学校とつつじの里帰り
 大久保小学校は、大久保地域(大久保1丁目)にある小学校ですが、生徒187人のうち、外国人の家と片親が外国人の家が6割を占めます。岡島さん、大久保小学校主任教諭の話。小学校では1時間日本語の特別な授業をしている。つつじとのかかわりを授業の中で話をした。舘林と交渉し、学校でつつじを育てようということになった。林さん一家、台湾から帰化した。6年前、大久保小学校の開校130週年記念行事として、林さん(元台湾人)の娘さんなど、取り組みを強める。区やいぶき町会も協力。何年後かに林さんたち先輩と後輩の小学生たちと話。林さんは帰化している。
◎筆者の出た戸山小学校は、大久保小学校の後にできた。戸山小学校も外国人の子供が多いが、大久保小学校ほどではない。
大久保の昔と今
 大久保の街は小泉八雲や国木田独歩などの文学者が多数住んでいた文化人の街だった。今は多国籍の街へ変貌している。
◎新大久保はまた、戦前は軍人の街でもあった。陸軍戸山学校、射撃場、陸軍の研究所、陸軍病院などで、東条英樹など軍人もたくさん住んでいた。
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 のら猫を保護している活動がある。地域猫を生きがいにしているおばあちゃんがいる。
◎大久保地域や歌舞伎町には、のら猫がたくさんいます。
「こういちの人間学ブログ」に新大久保のことを書いたブログがたくさんあります。
カテゴリー「大久保の街の紹介」を、ご覧ください。
 「大久保の外国人について~」 2015,5,23
 「大久保の街の状況~」     2015,2,12
 「大久保の状況、再び多国籍の街へ」2015,1,29
 「新大久保の現状、外国人他国化」2015,1,2
  2015以前は略
2015,10,1 追記  
 NHKの新日本風土記に関するものでで、「旅 風土記スタッフ直伝のとっておき」というものがあります。それを一部転記します。
 「新大久保」を担当したプロデューサーの中村です
 新大久保は大久保どうりの、職安通りと大きな道路に囲まれていますが,その間には小さな路地がたくさんあります。初めて取材におとづれたとき、たくさんの猫と出会いました。もちろん野良猫、地域猫と呼ばれる猫たちです。路地の真ん中を堂々と横切る黒猫、車の下や、公園の一角に寄り集まるいろいろな猫たち。自由で、気ままな生き方をしているように思いました。でも、猫と共生していくのは、それなりに大変。増えるのを防ぐため、ボランティアの人たちが捕獲して、避妊手術や、去勢を施し、また街に帰しています。猫の耳に三角の切れ目を入れた猫に出会ったら、そういう猫です。猫好きな方は新大久保に立ち寄った際、見つけてみませんか。早朝や夕方がおすすめです。
 

2015年9月21日 (月)

日本顔学会と20週年記念発行『顔の百科事典』について

日本顔学会大会2015の開催
 日本顔学会の第20回顔学会大会「フォーラム顔学2015」が開催されました。
2015年9月12日(土)から13日(日)で、場所は名古屋の中京大学で、共催が中京大学、名古屋市科学館,後援は読売、中部経済新聞社、科学技術交流財団、名古屋テレビなどです。
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 日本顔学会はちょうど20年前に作られ、ちょうど20年の節目の年ということで、『顔の百科事典』が作られました。筆者は創立の年から日本顔学会に参加しております。学会誌すべてと、時々発行されるニュースレターも全部とってあります。日本顔学会は入会している人もさまざまであり、会員も比較的多く、いろいろな企業、団体の寄付が多いため、年会費が5000円と安い割に、立派な会誌が送られてきます。
 日本顔学会誌は今年から大会誌と論文誌に分かれます。大会誌は2015年(平成27年)NO1,VOL15は2015年9月に発行され、論文誌ーニ十週年特集号(第2号)は2015年中に発行予定だそうです。学会誌は素晴らしい紙で作られています。
・ 2014年11月16日に、日本顔学会の初代会長を10年つとめられた、香原志勢氏がなくなられました。享年は86歳。『現代人間学2、人と動物』『顔と表情の人間学』などの本を書かれ人間学にも興味を持っておられました。著者も顔学会で、お話を何回かうかがいました。4人の方が追悼記事を書いています。
日本顔学会ニュースレター58号
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いとう せいこう氏の「日本顔学会って何?」
中に、「日本顔学会20年史」が4ページにわたって書かれています。
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『顔の百科事典』
『顔の百科事典』は、日本顔学会の記念の図書として、作られました。本は日本顔学会編、編集委員長は原島 博(東京大学名誉教授)、副編集委員長、輿水大和【中京大学)、馬場悠男(国立科学博物館名誉研究員)です。色々な分野の方が分担して各項目を書いておられます。日本顔学会員は特別割引制度があり25000円の本が22500円になり、さっそく振り込みましたので、本は届きました。2015年9月発行です。640ページ、出版社は丸善出版です。
目  次
プロローグ 顔って面白い
1章 動物の顔-顔の動物学
2章 ヒトの顔―顔の人類学
3章 生きるための顔―顔の医学
4章 見る顔、見られる顔―顔の心理学
5章 社会・文化・時代の反映としての顔―顔の社会学
6章 表象としての顔―顔の芸術学
7章 コンピュータと顔―顔の情報学
8章 装う顔―顔の美容学
9章 似せる顔―似顔絵に見る顔の印象学 
エピローグ いい顔になろう
付録 ダヴィンチ科学を目指す日本顔学会
    顔に関する書籍一覧(9ページにわたり、大変参考になります)
    顔の各部の名称
◎筆者も「顔の人間学」として、独自の勉強を続け、東洋、西洋人相学それから、顔学会で研究されている顔についての総合的研究も続けています。「こういちの人間学ブログ」でも、カテゴリー「顔の人間学」に多角的に書いてきました。
 「人相術の科学的検証」も、2-耳、5-額、4-口などはアクセスが多くなっています。
 日本顔学会の会誌、「顔学」の2015年12月に、15巻のNo2が「20週年特集号」として発行されました。20年を振りかえっての、顔学会の歴史などが詳しく掲載されています。

2015年9月20日 (日)

「ネアンデルタール人の首飾り」岩城正夫氏の解説について

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「ネアンデルタール人の首飾り」”El Collar Del Neandertal”は、スペインのファン・ルイス・アルスアガという、スペイン生まれの世界屈指の古人類学者によって書かれました。氏はマドリード大学古人類学の教授を務めています。原著は1999年に出版され、2008年8月に藤野邦夫氏訳、岩城正夫氏監修により新評論社により、出版されました(定価2800円+税)。
 岩城正夫氏は柴田義松氏、小原秀雄氏そして筆者とともに人間学研究所の創立に関わった方で和光大学の、名誉教授で原始技術論を研究されています。筆者は長い間大変お世話になりました。今は人間学研究所の名誉会員をしていただいています。古代の発火法を研究され、古代発火法検定協会の理事長です。和光大学でのお弟子さんで、古代発火法のチャンピオンである関根氏は人間学研究所の有力会員で、よく例会で実演を交えお話いただきます。
写真解説
 「シマ・デ・ロス・ウエソス」(骨の穴)で発見されたネアンデルタール人の祖先と見られる人類のコレクション。1976年に発見。重要なのは、骨格のすべての部分が発見されていることで、中耳の3つの骨のようなごく小さい骨さえ、驚くべき保存状態で残されている。
プロローグ   -帯封の言葉から
 ネアンデルタール人が本書の中心人物になるのは,かれらがわれわれの祖先だからでなく、まさに祖先でないからである。何十億年前に出現した最初の生物と現代人を結ぶ長い連鎖のひとつを研究してみても、たいして意義はないだろう。
・ 
 それに反してネアンデルタール人は数万年ものあいだヨーロッパで、われわれの種と無関係に進化した類似の人類の代表である。ネアンデルタール人はわれわれが自分の姿を見つめ、その結果、より以上に自分を知るための驚くべき鏡になる。
・第1部 過去の影
・第1章 孤独なある種
‣ 気候の大変動があった。280万年前ごろから、変動は4万1000年ごとにしかおきなくなり、変動の幅がはるかに大きくなった。(氷河期と間氷期)ホモ・ハビリスはまた、森林性の環境に完全に限定されていない最初のヒト科だった。サバンナのような場所だったのだろう。
・第2章  人類のパラドツクス
・ホモ・ ハビリス(180万年以前)が草におおわれたサバンナという開かれた生態系に適応したことは、生息域だけでなくニッチ〔生態学的地位〕の変更も意味した。ハビリスの新皮質の増大。パラントロプスは、脳は目につくほど大きくならなかった。ハビリスは手作りの鋭利な道具のおかげで、肉食者というまったく新しいニッチに到達することができた。
 ホモ・エルガスターという最初の人類(180万年前以後)トゥルカナ湖、身長が伸び、脳も増大。大型の動物もしとめる。
 ・第3章 ネアンデルタール人
 ネアンデルタール人は時代の流れにとりのこされた生きた化石でなく、時代遅れでもなかったのだ。当時の彼らはクロマニヨン人と同じく全く「現代的」だった。脳の大きさはかえってクロマニヨン人より大きい。
第2部氷河時代の生活
第4章にぎやかな森
  イベリア半島 最寒冷期にイベリア半島の年間平均気温が12度から18度も低かった。
 かってイベリア半島の表面積ほぼ大部分は森林におおいつくされていた。
・第5章トナカイがやってくる
極寒の土地から来たマンモス
 トナカイの時代
・第6章 大絶滅
 おばあちゃん仮説について
 最後のマンモス
ウルム氷期の極寒のもっとも乾燥した時代には樹木は皆無だった。
ヨーロッパで人類が生き残るには、動物性たんぱく質と動物性脂肪が常に不可欠だった。
アタプエルカ山地の住人の食物が植物起源だった
第3部歴史の語り手たち
第7章 毒入りの贈り物
 ネアンデルタール人の化石の多くは、事件の多い生活の中で突発した病気や外傷性障害の痕跡をとどめている。〜大きな怪我の後も集団の成員の世話を受けて生きていた。〜広大なテリトリーを放浪したネアンデルタール人のとって洞窟は中継地にすぎない。非常に年老いた個体は洞窟までたどり着けず置き去りにされただろう。洞窟の中に老人の化石が無い理由。
第8章 火の子どもたち
,スペインのアルプエルカ山地の考古学遺跡「シマ・デ・ロス・ウエンス」(骨の穴)で発見されたネアンデルタール人の祖先と見られる古人類の骨のコレクション。4000個以上の化石、28体に及ぶ完全な人骨が発見されている。これほど多くの完全な骨の遺跡は無い。
ネアンデルタール人の骨は非常に広い音階と微妙な言語音の算出を可能にしただろう。p273しかし声道の水平部分はまだ原始的だったので、正確な意味では現代人のように話はできなかっただろう。コンピューターを使って現代の幼児とネアンデルタール人に話をさせた。コンピューターでシミュレートされた声は現代の幼児と成人の声にそっくりだった。しかしi,u,eと二つの子音k,gを算出できなかったらしい。
 ・
 ネアンデルタール人が組織的・計画的にに火を使ったことは間違いない。火の子どもたちであった。
第9章 そして世界は透明になった
 最後の氷河期にネアンデルタール人は3万2000年前までにイベリア半島を除き、多くのテリトリーを失っていた。大昔の強かったヨーロッパ人の血液は一滴も混ざっていない、混ざっていれば誇らしいのだが。p293ある幼児の化石は祖先の中にネアンデルタール人がいたことを示す、いくつかの形質を持っていたという。この地域ではその4000年前か3000年前に絶滅していたのである。
アルシ・シュール・キュールにあるレンヌ洞窟の人骨は、非常に断片的だったがネアンデルタール人と判定された。この遺跡からはまたシャテルペロン文化に属する道具類とともに、穴をあけた溝を彫った歯と骨が発見されている。これらは象牙のビーズやリングや海の生物の化石と同じく首にかける予定だったか個人のアクセサリー用に考えられたものであろう。本書の『ネアンデルタール人の首飾り』という表題は、この驚くべき発見から思いついたものだった。レンヌのネアンデルタール人はネックレスをつけていたのである。p398
◎この点に関していえば、1999年に書かれた「ネアンデルタール人の首飾り」は2009年に明らかになり、2014年に出版された本で、ペーボ氏がアフリカ人以外の人類にネアンデルタール人のDNAが含まれていることを明らかにしたので、混血がなかったとの著者の考えは覆されたことになります。
エピローグ 家畜化された人間
 ネアンデルタール人はヨーロッパで進化したが現代人はアフリカで進化した。3万年前にはわれわれとネアンデルタール人は身体的にも行動的にもそれほど違っていなかった。両種のはっきり異なる進化がおきたのは比較的最近のことであり、その時代に脳の第二次の重要な増大がおきた。以上の現象はヨーロッパとアフリカで別々におきたので、結果は同じではなかったのだ。
 
 現代人の成果は分節言語である。記号を操作し、ストーリーを語り、想像の世界を作りだすわれわれ独特の能力は分節言語にもとづいている。われわれの特殊性は創造力にあり、それはヨーロッパの枝でなくアフリカの枝に出現した。ネアンデルタール人は、われわれのように情報を伝達する革新的なシステムを発展させることができなかった。
 現代人は、ほかの人間から送られる信号にいつも注意をはらう特別な社会的能力を持っており、そのおかげで他人の精神現象を読み取ったり、他人の行為を予想したりできる。ほかの人間の顔を注意深く観察するので、わずかしか感じ取れない印象にも気づいてしまう。
岩城正夫氏の解説
 この本はネアンデルタール人を主題にしながら、実はわれわれ人間の未来について、このままでいいのかという根本的な提起しているように思われる。ごく最近急速な進展を見せた古人類学の研究成果を紹介し、対立する、様々な学説を紹介しつつ、人類の何百万年という長い歴史を経た現在、ついに地球規模での大繁栄に至ったわれわれ人間の存在なるものが、実は相対的なものにすぎないということを、特にネアンデルタール人の絶滅との対比において論じることで、それを読者自身に読み取ってほしいと願いつつ書かれた本と思われる。
 原人たちがユーラシア大陸に渡ってからの過去百数十万年の期間においていくたびもおとずれた氷河期と温暖な間氷期の繰り返しのなかで、イベリア半島の地理的位置と構造は、氷河の南端部がやっと届くかどうかの位置とあいまって、気候風土の多様化を頻繁に現出させ、さまざまな動物や植物、そして人類もが、はげしくイベリア半島に出入り出没し、それぞれの生活の痕跡を残してきたと思われる。-(4章、5章)
 スペインの遺跡には、アルタミラの洞窟画など多くの先史時代の遺跡がある。
ネアンデルタール人は発見当初は、野蛮な人類と思われていたが、研究が進むにつれ決してそうではなく優れた道具を作り、火を作りそれを上手にコントロールし、恐らくは言語も使い、、身体障害者や年寄りをいたわって、一緒に生活し、死者を埋葬する文化人だった。彼らは西ヨーロッパ全域に散らばって居住し、なんと20万年もの長期間にわたって生活を維持していたのだ。
 ところが、4~5万年ほど前、現生人類(ホモ・サピエンス)が、アフリカからヨーロッパにわたってきて各地に散らばって生活をはじめ、もちろんイベリア半島にも4万年前ごろに入りこんできた。そして、ネアンデルタール人と1万年ほどの併存ないし共生期間を経たのち、今から3万年前にネアンデルタール人だけが絶滅してしまった。両者に争いが無かったとは言えないだろう。しかし、1万年もの併存というのは驚くほど長い。より自然な想像は、両者がそれぞれ、自分流議の生活を続けつつ、たまには交流もあったろうし、文化的・知的刺激も与えあったろうということだ。だが絶滅したのはネアンデルタール人の方だけだった。
 著者はそのネアンデルタール人たちの絶滅の過程を詳しく追及した。先史時代遺跡が豊富で、著者自身にとって身近なイベリア半島の地を選び、地理的、気候的、動物学的、植物学的、そして生態学的な各側面から、さらに100万年という歴史的視点をも加えつつ総合的にその問題を検討したのだ。
 その研究過程の中で、ある洞窟遺跡からまとまった数のネアンデルタール人の祖先の骨が出土したが、そのいずれも若い遺体だったことに興味をもった。なぜ若くして死んだのか。これまで、先史時代の人類の普通の寿命は25~26歳だったろうという説があり、それを私も何かの文献で以前読んだことがあるが、本書の著者は、その見方に強い疑問を持ち、その俗説に反論を加え(第7章)、先史時代の人の寿命は特別短かったわけではなく、現代の採集狩猟生活をしている諸民族と同じであり、かなりな年配の人たちもそれなりに共に生活しているはずだったことを論理的に証明してみせた。そのうえで、先にふれたある洞窟になぜ若い死体だけが大量に残されていたのか、その理由を推理してみせた.その部分は圧巻ともいえる。
 優れた文化の担い手だったネアンデルタール人(この本の著者は「首飾り」という言葉によってそのことを象徴的に示した )は、ホモ・サピエンスとの出会い、併存の結果として最終的には絶滅に至ったことを具体例で示したかったのだと思う。
 この本を読んで私は、現代の地球上における人類の驚異的繁栄と、世界各地で絶滅の危機にさらされている人類以外の動物たちの運命を重ね合わせて考えざるを得なかった。
他の動物たちが次々と絶滅していくなか、このままホモ・サピエンスだけが、繁栄を続けることが可能なのか?という問題だ。
 21世紀の現代、世界各地での地域民族紛争が絶えないようで、その解決は可能なのかという重大問題がわれわれに迫ってはいるが、そうしたこととは別の次元において、人類を他の生物たちとの相互関係が根本から問いなおすべきときではないのか?
 またさらに現代において、衣食住の問題は確かに先史時代に比べたら驚くほど進歩しているといえるかもしれない。とくに一部先進諸国といわれるところでは、有り余るほどの物量で満たされてはいる。が同時にそこに生活する人たちのあいだでは精神的ストレスが年々増加しつつある。それはやがて限界に達することにはならないのか?
 ネアンデルタール人に対比するなら、たしかに現生人類であるわれわれは抽象的思考により優れ、豊富な諸芸術になれ親しんでいる。そのより優れた抽象的思考力・想像力は様々な観念世界をも創造し、世界に張りめぐらされた情報伝達の網の目を通して交信し交流し、とくに若者たちの心に重大な影響をあたえつづけている。それはまたわれわれの精神的ストレスを強化・増幅することに大きく加担していると思われる。いま先進諸国の人々のあいだでの精神的な「病」の増加はとどまることを知らないとさえいわれる。そこにおいて人類の真の幸福とはいったい何なのか、再検討せざるをえないときが来ているいるのではなかろうか。
 この本が、われわれ人類の未来を根本的に考えるための参考になればと思う。
訳者あとがき
 アタプエルカ山地の遺跡は、アフリカを出たホモ・エルガスターがヨーロッパや中東でネアンデルタール人に進化するまでの過程を推測できそうな大きな可能性がある。世界最大の最も充実した発掘中の遺跡。
 著者の中心的論点は、ネアンデルタール人が現代人(クロマニヨン人)と無関係に進化したとしても、現代人と同じように明確な意識をもって概念的に思考し、意識的に行動したヒト属だったということにある。
 ネアンデルタール人が現代人より知的・技術的に劣っていなかったが、微妙な一点で違っていたことを示唆して刺激的である。著者の議論は「意識」が人類史のどこまでさかのぼるのかという問題や、現生人類の未来にかかわる問題までも考えさせるであろう。

2015年9月19日 (土)

安保法成立 時代の転換点へ 新聞各紙の扱い比較

 安全保障関連法案が19日(土)参院本会議で成立しました。新聞各紙の19日の朝刊でトップ記事として扱われました。いずれにしても日本の政治の大転換点であり、戦争ができる国に大きく転換した日ということもできるであろう。この記事を各新聞でどのように書いているか、際立った違いがあるので比較検討することにしました。
 安保法案に反対の立場が朝日、毎日、東京新聞であり、安保法案に賛成の立場が読売、日経、産経新聞です。
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上記は安保反対派の、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞です。
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上記は安保賛成派の読売新聞、日経新聞、産経新聞です。
各紙の1面の見出しは、反対派は
朝日 安保法成立へ、海外で武力行使に道 自公、意見批判押し切る
毎日 安保法案成立へ 平和国家の転換 集団自衛権可能に
東京 戦後70年「戦える国」に変質 安保法案成立へ 憲法違反の疑い
賛成派は
読売 安保法案成立へ 参院未明の採決 集団的自衛権可能に
日経 安保法案成立へ 戦後政策の大転換 集団的自衛権行使可能に
産経 安保法案成立へ 参院未明の採決 内閣不信任など否決
1面の主張
朝日 民意軽視の政治 問い続ける ゼネラルエディター
毎日 国家の過ちに謙虚であれ 論説委員長
東京 不戦の意志 貫こう  論説主幹
読売 戦禍を防ぐ新法制 政治部長
日経 なし
産経 視点 中国の脅威 抑止力強化
社説
朝日 安保法案と国会 塾議を妨げたのはだれか
毎日 安保転換を問う 憲法ゆがめた国会の罪
東京 さあ 選挙に行こう
読売 抑止力高める画期的基盤だ 説教的
日経 どう使うかで決まる安保法の評価
産経 主張 軽減税率に絞り議論せよ 東芝企業統治の形骸化許すな
社会面
朝日 39面 民意のうねり続く 38面 政治訪うた4か月
毎日 31面 やまぬ抗議 32面 語られぬリスク 
 
東京 31面 自衛官戦場いつか 30面 世代超え怒りの嵐 32面NOの地鳴り 
読売 39面 半分以下 深夜の国会審議延々
日経 43面 3分の1 変わる安保 覚悟と懸念
産経 29面半分 安保大転換 賛否の波 「抑止力につながる」「危険及ぶ」
◎ 見出しを見ても、取り扱い分量を見ても、極端な差があることがお判りだと思います。
◎ 2012年7月の筆者のブログでも、
「さよなら原発集会に対する」各新聞社の~」について書きました。
追記
・毎日新聞と日経新聞の9月19日夕刊の記事
・毎日新聞  1面、安保関連法で成立、最大の活字で
       違憲批判押し切り、来夏参院選の争点に
      2面、3面未明の議場大荒れ 海外派遣拡大に道
      11,12面、闘いはこれから、この日を忘れず
・日経新聞 1面 安保政策新段階 関連法未明の成立
       首相「未然に戦争防ぐ」1面の3分の1
      3面安保国会 攻防の末 4分の1
      9面賛否の渦収まらぬ議論 2分の1

2015年9月17日 (木)

久しぶりに東京駅へ、地下の飲食品店はあまりに数が多すぎて困りました。

新しい東京駅に初めて行きました

 2015年9月15日(火)隔週のお出かけに、東京駅に出かけてみました。東京駅は戦争により消失した昔の建物が復元されてだいぶたちます。東京駅は1914年(大正3年)に現在の駅舎が作られました。昨年2014年駅ができてからちょうど100年になります。新大久保駅も作られてからも100年がたちますからほぼ同じころになります。戦争前の建物を復元しようという計画ができ、2007年に改築工事が始まりました。2階建てになっていたのを3階建てに直し、左右のドームも前の姿に戻しました。建築は鹿島建築が担当しました。基礎には、免振工事がほどこされ、地震が起きても大丈夫になりました。完成は2012年10月です。いずれ、新しい駅舎を見に行こうとしていましたが、2013年11月に脳出血おこし、それ以後行くことができませんでした。今回ようやく東京駅に行くことができました。

 事前にインターネットで東京駅を調べておこうと思いましたが、余りにj情報量が多く、一部だけをプリントアウトしていきました。ともかく東京駅の地下街はあまりに広く、それぞれにストリートの名前が出ていてどうにもなりません。東京駅構内図は、見えないような極めて小さい図が50ほどありその一つ一つを拡大してプリントするのが大変で断念しました。

 地下街にはGrann AgeとかGransta Dining、Central Street、GranRoof、黒塀横丁、ラーメン横丁など数え切れないほどの区画があります。

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東京駅の地下1階の通路です。地下通路が網の目のようになっています。両側に飲食店や土産物店があります。ちょうど、2時ころで人どうりが少ない時間です

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飲食店の一覧表です。60店ほどがパネルに出ていました。店の数が多すぎて、ここから店を選ぶのは大変です。

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上の写真は大丸デパートの地下食料品売り場です。ずいぶん混んで居ました。

 自宅から車椅子を押してもらい高田馬場から、山手線で東京駅まで行きました。午後1時に出ましたから電車の中は空いていました。東京駅から地下1階の各コーナーには、飲食店と土産物店とが多数入り混じっています。車いすで、あちらこちらにいろいろ行きましたが時間もだいぶ過ぎてきましたのでどこか店を決めてお昼を食べることにしました。ワイン食堂「旅する子ブタ」という、グランルーフフロント店に入って見ました。メニューの中でフォアグラハンバーグ、ローストビーフ、イベリコ豚のソテーをとって見ました。赤ワイン2つで2000円、合計7100円でした。カップ式のスープは付きましたがあとはライスだけです。食べ終わったのは3時ころです。前に言った神楽坂のフランス料理店などに比べてしまいますと、ちょっと落ちますが、まあまあというところでしょうか。

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「旅する子ブタ」の入り口です。

 地下1階に身障者用トイレはたくさんありました。

大丸デパートの地下でおみやげに夕食のお弁当、PAULのパン、鈴廣のあげカマ、四季のカステラ栗などをかいました。どうも買い慣れたお土産を買ってしまいます。

東京駅の駅舎とその周辺

 丸の内側で東京駅の丸天井を写してきました。新しくとてもきれいです。

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東京駅駅前丸の内口にはいくつも高層ビルがたっていました。もうすぐ日本一の高層ビルを建てるそうです。(北口近くに400m近い、日本一の高層ビルを日本)ビルジングなどがあるところに立てる計画だそうです。三菱地所)

 東京駅の中央部分のドーム部分のところを写してきました。途中にステーションホテルの入り口がありました。

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駅のドーム部分が右奥に写っています。新しく、とても立派な建物です。

帰りも山手線で高田馬場に戻ってきました。ずっと車いすを押してくれた、斉藤さんありがとうございました。

2015年9月 9日 (水)

1,小説の見直し2身の回りの仕事3今後の日程4安保法案どうなる5U18野球について

近 況
 このところ、ブログの更新が減っております。10月におはなしをする、人間学研究会の資料作りでかなり時間をとられています。人類の起源―とくにネアンデルタール人、についての図書が25冊ほどあり、それを読んでまとめるだけでも結構大変です。読み終わったものは一部はブログにも書いております。
1、小説の見直し
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 第五倫の肖像 仁和寺 賢聖の障子 元は清涼殿内
 小説『人相食むー後漢初期の人間学』の書き直しもやっています。はじめ小説を書こうと思ったのは、1998年です。後漢初期の善政の時代を書こうと思いました。このころ後漢書が翻訳されておらず、後漢書の翻訳をするためと、また王充や第五倫の活躍した紹興や上虞を訪れるために中国語を習い始めました。その後小説に応募したり原稿用紙100枚の、小説を書いてたりしました懸賞小説に応募し。これは落選です。自費出版をしようとしたこともあります。だんだん文章を加えて量が多くなり自費出版も大変になり中断しました。その後さらに書きくわえてだんだん量が多くなりました。さらに出版もなかなか大変になっています。今は書き直したら、電子出版でもどうかと思いますが、これなら費用も少なくて済みます。でもなかなか売るのは難しいと思います。
 後漢前半の「元元を主とするー民衆を第一とするという光武帝の遺訓は明帝、章帝、和帝の3人の皇帝に引き継がれました。また主人公の第五倫や謝夷吾、鄭弘、王充などの優れた政治家や学者が活躍し、中国の歴史上最も長く、正史に「人相食む」ということがなかった時代を書きました。自公政府の横暴を見るにつけ、昔の善政の時代のことを読んでもらいたいのです。この時代の話だけでなく人間学の話も折り込みました。たとえ小人数でも読んでいただける人がいればうれしいです。
 A4版で、リッチテキスト方式で360ページです。普通の本で上下2冊分の分量です。
2,身の回りの仕事を増やしています
 前から旅行でも泊りがけで行って来たら、といっていました。以前は交代で長期の外国旅行にもいっていました。もう大丈夫と思ったのか、10月に家内が泊りがけの旅行に行くことになりました。はじめ泊まった翌朝のことが心配で、ヘルパーさんに来てもらおうかとかいっていました。来てもらわなくて大丈夫ということで、自分でやることを増やしています。今までやってもらっていた仕事で、今度自分でやっていることは、着替えた衣服をまとめて洗濯場へ車椅子でもっていくこと。食べ終えた食器を自分で洗うこと。夜中に使った尿瓶をトイレに持っていき、洗っておくことなどです。すでに9月の初めごろから続けております。冷蔵庫にある食品を電子レンジで温めて食べたり、届いた宅急便などを受け取ったりは前からやっていました。元々今まで病気をする前は、家内が外国へ行くなど長期旅行へ行っているとき一人で生活していました。食事の支度、掃除洗濯のほかに、店の前の掃除、猫や金魚の餌やりや、植木への水やりもあります。一泊だけでなく、もっと長い間泊まって来ても大丈夫だよと言っていますがとりあえず、まず一泊で問題がないことを示します。近くのミニスーパーで買い物を一人で行けるようになればいいのですが。ただ車道と歩道との段差がどうかということです。
3,今後の日程
異常な暑さが続いたと思ったら、一転して毎日雨模様で、ついには何か所も堤防の決壊か所が出て、多数の死者,行方不明者が出ました。また最近は東京で震度5〜4の地震がありました。ようやく朝、日の出が、きれいでした。9月初めスカイツリーあたりです。
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  色々と行事が重なり忙しくなります。
 9月15日(火) 火曜日のお出かけで、東京駅を見に行きます
      ー 隔週の火曜日の午後、ヘルパーさんに車いすおしてもらい出かけます。
 10月11日(日)に下の息子の結婚した、お相手の方のお母さんが宮崎から出てこられて、
    弟さんも含めて、私たち夫婦と上の息子の家族とで、初めての顔合わせをします。
    歌舞伎町 車屋にて
 10月13日(火)に家内の古希の誕生日です。やはり古希の妹も一緒に3人で 
    パーク・ハイアットホテルの和食レストランの「梢」こずえ、に行ってきます、
 10月15日(木)に人間学研究所の10月例会があり講師を務めます
         主にネアンデルタール人について 準備中
 10月20(火),21日(水)に家内が筆者の病気後初めて泊りがけの旅行に行きます
 11月6日(金) 2年前旅先で病気になった日
 11月初めごろ、上の息子がどこかへ、泊りがけで連れていってくれると、言っています。
    前回箱根へ行っているので車椅子で岸壁から釣りの出来る海がいいなといってあり 
    ます。せいぜい、ハゼ釣り程度です。
  11月21日(土)旧東京教育大、動物科 故近藤昊さん、回顧文集発表と小集会 予定
         午後1時より、高田馬場のキリンシティにて
      追記: 9月22日に東京教育大動物学科で、同じように東京教育大の大学院を出て,    、 東京都の老人研究所に行った、田口隆彦さんが今年の4月に亡くなられていたことが、
  わかりました。2人の追悼の集いになります。
 11月29日(日)父親の7回忌法事 専福寺にて、お寺に段差があり車いすごと持ち上げて    
    もらうようです
 
4、安保法案どうなるか
 安保法案が今後どうなるか9月中に山場を迎えます。自民党、公明党は安保法案を何としても通そうとしています。
 
 自民党総裁選挙では、野田聖子氏が立候補を断念し、安倍晋三氏の無投票当選が決まりました。前の自民党は党内派閥がいろいろあり、状況で総裁が変わりましたが、今は安倍一色です。安倍に逆らって、いじめられるのが怖いのでしょう。
 自公政府も世論の動向に逆らって、安保法を通せば、痛いしっぺ返しが来ることでしょう。
 そして、いよいよ表面的な景気も悪くなってきました。無理無理な株価の釣り上げも、さんざんもうけた外資が見切りをつけたので、もうおしまいです。日本の一般投資家がまた、ババをつかむことになります。
 維新の党は分裂して、橋下大阪市長の大阪維の党が出来るようです。この前の大阪都が是か非かという選挙で敗退し、政界から引退するといった舌の根も乾かぬうちに、この分裂騒ぎです。橋本市長はかなり、安倍首相にすり寄っていて、大阪維新の党は、自公両党の補完勢力になるのでしょう。
 毎日新聞の「余録を」毎週水曜日に作業療法士さんの指示で切り抜き、麻痺のある右手で、字を書く練習をしています。6項目を毎日1項目で、宿題として書いています。もう22回になります。今週は、次のようなテーマです。
 カトリックでは、誰かを聖人に列する際にその人物をあげつらう人を任命した。多数派にあえて反論する少数派の意見を述べる人「悪魔の代弁者」を任命した。多数派の同調圧力で正しい判断をできぬことを防ぐためである。
 自民党総裁選挙で「悪魔の代弁者」役を買って出ようとした野田聖子氏が立候補を断念。安保関連法案の審議で野党に付け込まれたくなかったらしい。少し度量が狭すぎやしなかったか。勝ち馬に乗れ長いものに巻かれろ、が巨大与党の合言葉では情けなさすぎる。少数派が多数派の圧力を意識して沈黙を深めていく沈黙を深めていく悪循環は「沈黙のスパイラル」と呼ぶ。「悪魔の代弁者」はそのスパイラル脱却の妙手だが、、それを封じた巨大与党の気味の悪い静寂だ。
 毎日新聞の9月14日の夕刊に、「牧太郎の大きな声では言えないが」というコラムがあります。NHKは「右向け―右」という題です。
 安倍晋三首相はあからさまな、「お友達人事」で、日ごろ気に入らなかったNHKのトップを代えた。就任した「皆様の(はずの)NHK会長は「政府が右というものを左とは言えない」と言い放つ.そのころからNHKのニュース報道がおかしくなった。
 安全保障関連法案を巡る報道では、いつもおっかなびっくり。8月30日の国会周辺のデモは3番手扱い。日本の運命に関わる大ニュースなのに。・・安保隠しの異常な扱いではないか。NHKは安倍さんの号令で「右向け-右」になったのか。
5、U-18野球について
 
  9月6日、U-18世界の高校生の食事の野球大会があり、16日決勝戦でアメリカに日本が破れ、準優勝にとどまりました。今年の高校野球は下の息子が卒業した東東京代表の関東一高等学校となり、西東京代表が、早稲田実業高校になりました。早稲田実業はもともと学校が新宿にあったこと、(今は国分寺)尊敬する王選手の出身校であること、筆者が東京ガスの代理店、エネスタ百人町の社長の時、業務用の課長であった江口さんにいろいろ公私にわたって大変お世話になったことがあります。江口さんは早稲田実業でコーチ、東京ガスでも監督をしておられて、先日の新聞記事に談話が載っていました。関東一高はオコエ・瑠偉選手、早稲田実業が1年生の清宮幸太郎選手が活躍し有名となりました。ピッチャーもみんな素晴らしい成績を上げました。両校のチームは甲子園ではともに惜しくも準決勝で敗れました。その後のユース18世界大会でも、素晴らしい快進撃でしたが、決勝でアメリカに2-1で敗れました。いままで守備の乱れがなかったのに決勝戦では、ミスが出てしまいました。いままでBS朝日で放送していたのが、決勝戦はテレビ朝日で急きょ一般放送で実況をやるなど、大変な盛り上がりでした。普段はほとんど野球のテレビを見ないのに今度は甲子園の高校野球からU-18大会までずっと全試合見ていました。
 

2015年9月 5日 (土)

私たちだけがなぜ生き残れたのか C・ウォルター ネアンデルタール人早く大人へ、現生人は幼児化

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「人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか」”Last Ape Standing  The Seven-Million-YearStory of How and Why We Survived”チップ・ウォルター著、長野敬+赤松眞紀訳、2013年原著、2014年4月邦訳出版、2800円税別、青土社について、興味深い本なので紹介いたします。著者は科学ジャーナリストで「この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス」(早川書房)などがある。
 帯封に「立ち上がったサルから、今も歩き続ける最後のヒトまで―すべての人類の歴史を語る!」地球上に直立歩行する最初期の人類が現れては消え、そして私たちだけが残った。きゃしゃな体とひきかえに、数々の利点を手に入れた現生人類は、自然界の厳しい環境をいかにして生き延びたのか?私たちと、今はもう存在しない祖先や隣人たちの足跡に新たな光をあてる。
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本の中にある、ネアンデルタール人の画像.大きな眼窩上隆起、大きな鼻、突き出た顔面部、後退した額などが特徴
はじめに
 27種類の人類の中で、26種類は絶滅してしまった。
なぜ我々だけが生き残ることができたのだろうか。
 わたしたちは、700万年の進化の実験と愚行の驚異的で興味深い混合物なのだ。
 どうしたわけか私たちだけが生き残ることができた…今のところは。
 なぜだろう。
第1章 存続をかけた戦い
 人類がとりあえず700万年とした理由は、2001年~2003年にチャドで発見されたサヘラントロプス・チヤデンシスの発見による。二足歩行をしていたと考えられることから。人類進化のカレンダー、1月1日とすると、アウストラロピテクス・アファレンシス(ルーシー)は7月15日。ネアンデルタール人は11月19日まで現れない。ホモ・サピエンスは12月21日にようやく出現する。
未知の先祖から3つの系統に分かれる
頑丈型人類、(パラントロプス)ゴリラに近い形                                      古代人類、(サヘラントロプス、ケニアントロプスなど)                                   華奢型人類(250~300万年前、アウストラロピテクス・ガルヒ、、190万年前ホモ・ルドルフェンシス、アファレンシス―ルーシー、ホモ・エレクトスなど)アウストラロピテクスからホモ属へ
 サバンナの生活の厳しさ。直立二足歩行に移行、それにより移動性を高めた。より大きくなった脳のおかげで、彼らの危険な捕食者から逃げおおせるようになった。危険な状況に適応。また仲間とうまく協力できるようになる。食物の不足が慢性的であることが、脳の成長を加速する。老化速度が遅くなり、細胞は死ににくくなる。これはサーチュインというタンパク質の1種によるところが大きい。これが細胞の成長速度を減少させるのではないかと推測する科学者もいる。〜、体は加齢の速度を遅らせるが、知能を増大させる。このことは、350万年前に、すなわちルーシーや同時代の類人猿が予測不可能な辺縁の土地で必死に食物をあさっていたころに彼らが直面した慢性的な食糧不足が、彼らの脳の成長を加速させたことを意味する。p37
第2章 幼少期という発明(または、なぜ出産で痛い思いをするか)
 1915年~1929年にかけて、ルイス・ボルク「人間の発生問題」-「人類は類人猿の胎児状態を大人で永続する」幼いチンパンジー、平らな顔と広い額など。ネオテニー現象が起きて居ることを明らかに。
ホモ・ハビリス、アウストラロピテクス・ガルヒセディバ、アフリカヌス、アファレンシス、アナメンシスから
 ・
ホモ・エルガステル、ホモ・エレクトス、ホモ・ルドルフェンシス、ホモ・ハビリスへ
(突き出た口元は平になり、額は広くなって傾斜を失い、顎は頑丈になった。足の親指や方にまっすぐ載った頭部などは、青年時代ばかりでなく成人時代まで存続するようになった。-若さの延長)
 華奢型人類が成功しサバンナ環境の過酷な状況で生き抜いた。直立歩行と大きな脳。
 
 ヒトは二本足で効率よく歩くためには骨盤の構造を根本的に変えなければならなかった。直立した歩き方は腰を細くする。腰が細くなると産道が細くなり、新生児が生まれにくくなる。
 直立して大きくなる脳も生まれにくくする元だ。そのために早い時期に子どもを世の中に送りだすようになった。未熟な状態で生まれる。-ネオテニー現象という。
 ネオテニーとは「動物の成体に幼児の特徴が保持されていること」をいう。
 ネオテニー現象は進化の不都合さを覆い隠すと同時に、私たちを独自であり奇妙な存在にさえしているもののかなりの部分を説明する。
ボルク「人間の発生問題」類人猿の胎児状体が人間の成人で永続するようになったもの、平らな顔と広い額―幼いチンパンジーと私たち人間と共有するもの
グールドは私たちの特徴的なネオテニーのことを、人類進化の中で、最も重要なものの一つであると呼んだ。
第3章 学習機械
 誰でも1人、二人の幼児が活動しているところを見たことがあるだろう。平均的な2歳児は、知的欲求のかたまりで、計画性もずるさも全くなくて、この世の中のものすべてを手に取ろうとする。彼女あるいは彼が、これまでに宇宙でもっとも貪欲で、最も成功した学習機械であることは間違いない。
 なぜそもそも脳が存在するのか。
 私たちが純粋に遺伝子の存在でもなく、すべてが個人的経験の結果でもなくて、その両方である理由を説明する1助となる
 人間の大脳皮質は生まれてから最初の3年間で3倍の大きさになる。
昔からある生まれか育ちかという議論を無意味にしてしまう。子供時代に脳が作る無数の結合は、私たちが純粋に遺伝子の産物でもなく、全てが個人的経験の結果でもなくて、その両方である理由を説明する一助となる。
第4章 絡み合った網―道徳的な類人猿
 仲間とともに生き残るために働き、子どもを育て、友情やどうめいをきづき、食べ物をかき集め、脳と体の限りにコミュニケーションを図る。そうしなければ死んでしまうのでほかの選択肢はない。
 嘘つきが人をだまし、だまされた人はじょうずな嘘をゆく人の策略を解き明かす。この競争が人間ができるもっとも巧妙な技に貢献することは確実だ。それは他人の立場に立って考えることだ。この複雑さ、競合する要求の中から道徳的な人類が生まれた。
第5章 そこかしこにいる類人猿
 約70万年前にホモ・ハイデルベルゲンシスが現れた。この種から私たちとネアンデルタール人が生じた。アフリカにとどまったものとヨーロッパに向かったネアンデルタール人である。ハイデルベルゲンシスは骨格が太く、がっしりして力強かったようだ。
 ネアンデルタール人は寒冷による気候と戦った。アフリカ系統の生活も困難だった。波状的に襲い掛かる致命的な干ばつを生き延びることを意味した。約20万年前に二つのまったく異なる種への変化を完了した。
(人類の最も新しいメンバー。ーアウストラロピテクス・セディバ、アルディピテクス・カダッパ、赤鹿人、デニソワ人が発見された)私たち人類と交雑して私たちのDNAに永遠に寄与した人々)
第6章 いとこたち
 ネアンデルタール人は古人類学者が取り組んだ研究の中でも最も悪評の高い種に含まれている。最初のネアンデルタール人の化石は1856年に発見。ダーウィンが「種の起源」を出版する3年前だ。解剖学者のウイルヒョウは骨格と著しく隆起した眉の部分からこの骨がクル病を患い穴居生活をした隠遁者と考えた。1863年にTHハクスリーが「自然における人間の位置についての証拠」で、現代人に先行した人類であるといった。1908年、マルセル・プールは障害のあるネアンデルタール人をサルのようにがに股で前かがみの、今でも考える穴居人の原型的な戯画―頭が鈍く、野卑で、のろまな、(ハリーポッターのトロールのようなもの)になった。
 
 ネアンデルタール人がヨーロッパやアジアで暮らした20万年近い年月の間、驚くほど厳しい状況下で暮らしたにもかかわらず、彼らは残忍でも馬鹿でもなかった。
 人口が6桁(10万)に達することはなかったが何千キロも広がることができた。
 寒さへの適応―身体的特徴が彼らを野蛮人と考える理由の一つとなっている。
イラクのシャニダール洞窟では、ホモ・サピエンスより前の10万年前に死者を埋葬しはじめた。狩りなどで傷ついたものも傷が治るまで仲間を守っていた。
 ネアンデルタール人も染色体に発話に関するFOXP2遺伝子を持つ。音楽と身振りの名手だった。
あまり石器などは進歩しなかった。最大の技術的進歩はクロマニヨン人と出会ったあとのことのようだ。2万5千年間、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は世界の同じ場所を共有してきた。
  アリゾナ大学のS・クーンとM・スタイナーは現代人類は集団内で労働の役割分担をして、ヨーロッパへやってきた。妊娠した女性、母親、子どもたちの大部分の仕事は野菜、果実、ナッツの収集など安全な作業だった。その間、男たちは大型動物の狩りに専念した。ネアンデルタール人は、全く分担していなかった。男女ともに大型動物を倒す命がけの仕事を行い、狩りで命を落とした女性がもう子どもを生めないことを意味した。狩りでの10代、20代の若者の死はさらに集団の人口を減少させた。ネアンデルタール人のほうが丈夫だとしても、何千年もの間の競争に生じたその違いは人口のバランスを完全に変えてしまった。
 人類は幼少期を長くする傾向があったが、進化は明らかに厳しい環境の中であまりにも早く死んでしまう年長のメンバーを補うためできるだけ早く成長して子どもを生みサイズと力の上で大人になる子どもを好むようになった。ネアンデルタール人は、15歳で完全に成熟するようになったが、ネアンデルタール人にとってこれは好ましいものではなかった。第一にネアンデルタール人の子どもたちは、遊びや学習、社会性や創造性を習得する時間が少なくなった。第2に集団内の若いメンバーに貴重な知識を伝達できるものの数が減少することを意味した。ネアンデルタール人は早い時期に成長することで20万年うまくいった後に駄目になってしまった。
第7章 野獣の中の美女たち
 人間の顔は自然界において健康状態をあらわす最高の宣伝の一つだ。赤ん坊のような顔を持つ特徴が男の子や女の子たちに伝えられる可能性が増して、私たちみんなにネオテニー的容貌が増していくことになった。
 遺伝子が鮮やかな羽や鮮やかな色をもたらすように、脳は100万の異なる方法で私たちに欠ける能力を増加させる仕事に熱心に取り組む。
 私たちが長い間子供っぽいことを意味する。それによってもっとも創造的で適応性の高い生物になったのだ.子どもの遊びと創造性には深いつながりがあるのだ。
 どれだけ長生きしようと、私たちは自分の中の子どもを完全に一掃できないようだ。
 7万5千年前にたった1万ほどの絶滅の淵から70億まで地球の隅々までいきわたらせたばかりか~。ネオテニーは一生を通して柔軟性のある回転の速やかな脳を作りだしてユニークな人々とユニークなアイデアを作りだした。
 ネアンデルタール人は、私たちより速く生きて若く死んだ。おそらくそこに私たちが残って彼らが残らなかった理由があるだろう。
 言語は私たちを今までになく密接に結びつけたが、もうひとつ素晴らしいことをやってのけたということだ。それはわたしたちが認識していることを認識させたのだ。それはまた狂気をも可能にしたかもしれない。
「もしも私たちがなんらかの機械だったとしたら、私たちは学習機械だ」
どれだけ長生きしようと、私たちは自分の中の子どもを完全に一掃できないようだ。
第8章 頭の中の声
 私たちが「考え」と呼ぶ声はどこから生じてるのだろうか。ジェインズはこう考えた。頭の中の声は誰でどうやってそこにやってきたのだろうか。紀元前1万年前から紀元前1000年までの間の現代人は、自分の心の中で聞こえる声を、自分のものではなく首長あるいは悪魔あるいは神の声のように自分の心の外に実在するものの声として考えた。
私たちは実際に何かをする前にそれを自分の心の中で完全に想像できるようになった。私たちが自分で想像したシナリオに基づいて意識的に行動した瞬間に、それは自分で自分の行動を支配したことを意味する。象徴的な「あなた」の発明によって、意図と自由意志が生まれた。あるいは少なくとも説得力のあるその幻想が。
 統合失調症は現実と想像の世界や経験との区別が難しくなる病気だ。
ふつう自閉症は、統合失調症ほど劇的でも衰弱を伴うものではないが、これも創造的な精神の謎を垣間見る機会を提供する。自閉症の人は素晴らしい才能を持つことがある。しかし他者との人間関係を築くのが困難だった。
 
終章 次の人類
 私は自分の中の子どもの部分、変化するにあたって私たちが失うわけにはいかないのは、非実用的で柔軟な部分なのだ。それは、他の動物にもない方法―過ちに陥りがちで、柔軟で独創的であること―によって私たちを自由にしてくれるからだ。それが私たちをここまで連れてきてくれた部分なのだ。
・筆者のコメント
◎『人類進化700万年の物語』の要旨を書いてみました。70万年前以後、多くの人類が生まれたにもかかわらず、すべて絶滅してしまい。なぜ我々人類だけが生き残ってきたのだろうか、という問題について、書かれている。ほかの本にも書いてあるが一つには、たまたまということだ。何度も襲いかかる氷期に対して、アフリカのほうが温暖であった。しかし、ホモ・サピエンスもひどい干ばつに苦しんだ。又大噴火の影響で、7万5千年前には人口が1万人近くまで減少し、絶滅寸前にまでなった。しかし、男女の分業で子どもが生まれる量が違ってきたこととともに、この本の一番いいたいことであるように、ネオテニーー幼形成熟化したことである。長い青少年期を持つこと、さらに大人になり年をとつても、遊び心がなくならないことが、いろいろな文化を発展させてきた。それに対してネアンデルタール人が厳しい環境を乗り越えるため、次第に伸びてきた大人になるのが遅くなる傾向(ネオテニー化)に逆行して、はやく大人になっていたのが文化の発展を妨げる原因になったと考えています
◎子供っぽさや遊び心というのは時代により、ずいぶん変わってきました。筆者の祖母は大阪生まれでした。とても頭がよくて、先生も勧め、高等小学校へ行きたかったのに、子供が多くたしか尋常小学校も中退させられて子守をさせられたといいます。尋常小学校は4年生までで12歳ぐらいまでです。父親は大正生まれで義務教育の高等小学校まで行っていますが尋常小学校4年と、高等小学校2年までです。家業の井戸掘りでの酸欠事故で死んだ伯父―父親のお兄さんは中学校にいきました。頭がよくその後は本当は薬専(薬科大学)に行きたかったそうですが。お祖母さんは薬専にいっていれば死ななかったのにと悔やんでいました。父親は小学校すぐに仕事に出されました。学校に画材を入れる仕事だったと聞いています。大八車を引いてものを運び大変だったといいます。その後家業の桶屋と井戸掘りの仕事につきました。父も酸欠で死にかけたそうです。いずれにしても早い時期から仕事をさせられていたのです。子ども時代は短かったのです。
 それに比べると今はかなり遅くまで仕事をしない人が増えました。又、仕事をしていても、また仕事をやめた後でもずっと、遊び心を持つている人が増えました。江戸時代にも、裕福な豪農、商人や暇を持て余した武士などもずいぶん遊び心を持っていたようです。
◎最近の日本では、ゆとりをもっていろいろな遊びをしたり、創造的な方面に力を発揮する若労働者がいる反面、正社員を増やさず、非正規社員を増やしていく社会の風潮の中で、いわゆるブラックバイトなどの低賃金と長時間労働によって、健康を害したり、将来の夢を失ってしまう若者もいる。若者だけではなくいろいろな世代で問題点は広がっている。いい意味での創造的な遊びが減っていく風潮は人類進化の流れと逆行しているかもしれない。
2016,9,11、追記 赤旗日曜版
160911_083501
「ネアンデルタール人新たな謎 
 という記事で、「石器技術の差で絶滅」説覆るとして、
名古屋大学の博物館講師の、門脇誠二さんが、新しい説を発表しました。
従来は、アフリカで革新的な技術である、投げやりを現生人(新人)が発明し、ヨーロッパのネアンデルタールを打ち負かしていったという説でしたが、実際はヨーロッパに進出した新人が約4万2千~3万9千万年前、ヨーロッパで投げやりの先につける石器、尖頭器、革新的な石器技術を開発したという説です。
 西アジアのシリア北方のラッカ市の東50キロの調査。3万8千~3万7千年前に尖頭器がつくられました。
 新人の技術的発達は、拡散以前からあったわけではないという考古学的事実の発見
 数千年もの共存
 日本人の遺伝子の中にも2%程度、ネアンデルタール人の遺伝子が混ざっていることが分かっています。
 ネアンデルタール人は寒冷地に適応するように進化。
 1対1では個人的能力はネアンデルタール人の方が勝る。
交代劇は地球規模の環境激変期にあたる。
(最終氷期が最も寒冷化した)
 

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