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2015年9月17日 (木)

久しぶりに東京駅へ、地下の飲食品店はあまりに数が多すぎて困りました。

新しい東京駅に初めて行きました

 2015年9月15日(火)隔週のお出かけに、東京駅に出かけてみました。東京駅は戦争により消失した昔の建物が復元されてだいぶたちます。東京駅は1914年(大正3年)に現在の駅舎が作られました。昨年2014年駅ができてからちょうど100年になります。新大久保駅も作られてからも100年がたちますからほぼ同じころになります。戦争前の建物を復元しようという計画ができ、2007年に改築工事が始まりました。2階建てになっていたのを3階建てに直し、左右のドームも前の姿に戻しました。建築は鹿島建築が担当しました。基礎には、免振工事がほどこされ、地震が起きても大丈夫になりました。完成は2012年10月です。いずれ、新しい駅舎を見に行こうとしていましたが、2013年11月に脳出血おこし、それ以後行くことができませんでした。今回ようやく東京駅に行くことができました。

 事前にインターネットで東京駅を調べておこうと思いましたが、余りにj情報量が多く、一部だけをプリントアウトしていきました。ともかく東京駅の地下街はあまりに広く、それぞれにストリートの名前が出ていてどうにもなりません。東京駅構内図は、見えないような極めて小さい図が50ほどありその一つ一つを拡大してプリントするのが大変で断念しました。

 地下街にはGrann AgeとかGransta Dining、Central Street、GranRoof、黒塀横丁、ラーメン横丁など数え切れないほどの区画があります。

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東京駅の地下1階の通路です。地下通路が網の目のようになっています。両側に飲食店や土産物店があります。ちょうど、2時ころで人どうりが少ない時間です

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飲食店の一覧表です。60店ほどがパネルに出ていました。店の数が多すぎて、ここから店を選ぶのは大変です。

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上の写真は大丸デパートの地下食料品売り場です。ずいぶん混んで居ました。

 自宅から車椅子を押してもらい高田馬場から、山手線で東京駅まで行きました。午後1時に出ましたから電車の中は空いていました。東京駅から地下1階の各コーナーには、飲食店と土産物店とが多数入り混じっています。車いすで、あちらこちらにいろいろ行きましたが時間もだいぶ過ぎてきましたのでどこか店を決めてお昼を食べることにしました。ワイン食堂「旅する子ブタ」という、グランルーフフロント店に入って見ました。メニューの中でフォアグラハンバーグ、ローストビーフ、イベリコ豚のソテーをとって見ました。赤ワイン2つで2000円、合計7100円でした。カップ式のスープは付きましたがあとはライスだけです。食べ終わったのは3時ころです。前に言った神楽坂のフランス料理店などに比べてしまいますと、ちょっと落ちますが、まあまあというところでしょうか。

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「旅する子ブタ」の入り口です。

 地下1階に身障者用トイレはたくさんありました。

大丸デパートの地下でおみやげに夕食のお弁当、PAULのパン、鈴廣のあげカマ、四季のカステラ栗などをかいました。どうも買い慣れたお土産を買ってしまいます。

東京駅の駅舎とその周辺

 丸の内側で東京駅の丸天井を写してきました。新しくとてもきれいです。

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東京駅駅前丸の内口にはいくつも高層ビルがたっていました。もうすぐ日本一の高層ビルを建てるそうです。(北口近くに400m近い、日本一の高層ビルを日本)ビルジングなどがあるところに立てる計画だそうです。三菱地所)

 東京駅の中央部分のドーム部分のところを写してきました。途中にステーションホテルの入り口がありました。

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駅のドーム部分が右奥に写っています。新しく、とても立派な建物です。

帰りも山手線で高田馬場に戻ってきました。ずっと車いすを押してくれた、斉藤さんありがとうございました。

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コメント

とら猫イーチ様
 コメント、ありがとうございます。
京都駅は以前よく行きました。階段状の長いエスカレーターが特徴ですね。大阪駅は最近大幅に変わったのでしょう、日本1のビルもたちましたし。おそらく東京駅と同じようにお店が多いのでしょうね。確かに地下は迷路のようになっていて、わからなくなります。災害が起きたら大変なことになりそうです。

 阪堺電車は市電ですか。東京も早稲田から王子を通って言問のほうに行くのが唯一残っています。3~4年前に王子の飛鳥山公園の桜を見に行きました。のんびりした電車です。

 阪堺電車もさぞのんびりしたいい電車なんでしょうね。お母さんともよく一緒にのられたのでしょうね。お母さんが振り返って、お話になったような感じの時にちょうど、目的地というのは、本当に不思議な感じがしたのでしょうね。

 こういち 様。

 最近のJRの駅は、駅前広場や駅舎を改築して多数の店舗を作り、災害でもあれば混雑して犠牲が多数になるのではないか、と心配になる程です。

 大阪でもJR大阪駅前南側には百貨店があり、その上に改築で北側にも商店街を作り、駅舎を取り囲むように建築物が配置されていますので、息苦しくなるようです。 何か非常災害があれば乗客が避難するのが難しくなるようで、心配ですが、こうした駅の改築は全国で行われているようです。 

 京都でも、駅舎を取り囲むように商店を満載した建築物が周囲に配置されています。 

 大阪でも京都でも、駅から外部へ出るのに一苦労する程です。 

 でも、阪堺線と云う大阪市と堺市との間を走るチンチン電車の駅には、そのようなものは無く、ただ、停留所があるだけです。 車両は一両のみで、運転手が車掌も兼ねていて、一人で勤務しています。 

 本当に街中を走りますので、良く周囲が観えます。 また、背の高い電車ですので、周囲が良く観えますので、街中の見物には最高です。 

 数十年前に乗った時と同じ車両では無くても、気分が昔に戻ります。 何か時間が止まったようです。 この春に乗った折には、亡母が振り返って、「次の停留所で降りるんやよ」と私に云うような感じがしました。 そして降りたところが、目的地であったので、一瞬、不思議な気分でした。 

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