私たちだけがなぜ生き残れたのか C・ウォルター ネアンデルタール人早く大人へ、現生人は幼児化
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「人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか」”Last Ape Standing The Seven-Million-YearStory of How and Why We Survived”チップ・ウォルター著、長野敬+赤松眞紀訳、2013年原著、2014年4月邦訳出版、2800円税別、青土社について、興味深い本なので紹介いたします。著者は科学ジャーナリストで「この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス」(早川書房)などがある。
帯封に「立ち上がったサルから、今も歩き続ける最後のヒトまで―すべての人類の歴史を語る!」地球上に直立歩行する最初期の人類が現れては消え、そして私たちだけが残った。きゃしゃな体とひきかえに、数々の利点を手に入れた現生人類は、自然界の厳しい環境をいかにして生き延びたのか?私たちと、今はもう存在しない祖先や隣人たちの足跡に新たな光をあてる。
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本の中にある、ネアンデルタール人の画像.大きな眼窩上隆起、大きな鼻、突き出た顔面部、後退した額などが特徴
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はじめに
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27種類の人類の中で、26種類は絶滅してしまった。
なぜ我々だけが生き残ることができたのだろうか。
わたしたちは、700万年の進化の実験と愚行の驚異的で興味深い混合物なのだ。
どうしたわけか私たちだけが生き残ることができた…今のところは。
なぜだろう。
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第1章 存続をかけた戦い
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人類がとりあえず700万年とした理由は、2001年~2003年にチャドで発見されたサヘラントロプス・チヤデンシスの発見による。二足歩行をしていたと考えられることから。人類進化のカレンダー、1月1日とすると、アウストラロピテクス・アファレンシス(ルーシー)は7月15日。ネアンデルタール人は11月19日まで現れない。ホモ・サピエンスは12月21日にようやく出現する。
未知の先祖から3つの系統に分かれる
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頑丈型人類、(パラントロプス)ゴリラに近い形 古代人類、(サヘラントロプス、ケニアントロプスなど) 華奢型人類(250~300万年前、アウストラロピテクス・ガルヒ、、190万年前ホモ・ルドルフェンシス、アファレンシス―ルーシー、ホモ・エレクトスなど)アウストラロピテクスからホモ属へ
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サバンナの生活の厳しさ。直立二足歩行に移行、それにより移動性を高めた。より大きくなった脳のおかげで、彼らの危険な捕食者から逃げおおせるようになった。危険な状況に適応。また仲間とうまく協力できるようになる。食物の不足が慢性的であることが、脳の成長を加速する。老化速度が遅くなり、細胞は死ににくくなる。これはサーチュインというタンパク質の1種によるところが大きい。これが細胞の成長速度を減少させるのではないかと推測する科学者もいる。〜、体は加齢の速度を遅らせるが、知能を増大させる。このことは、350万年前に、すなわちルーシーや同時代の類人猿が予測不可能な辺縁の土地で必死に食物をあさっていたころに彼らが直面した慢性的な食糧不足が、彼らの脳の成長を加速させたことを意味する。p37
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第2章 幼少期という発明(または、なぜ出産で痛い思いをするか)
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1915年~1929年にかけて、ルイス・ボルク「人間の発生問題」-「人類は類人猿の胎児状態を大人で永続する」幼いチンパンジー、平らな顔と広い額など。ネオテニー現象が起きて居ることを明らかに。
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ホモ・ハビリス、アウストラロピテクス・ガルヒ、セディバ、アフリカヌス、アファレンシス、アナメンシスから
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ホモ・エルガステル、ホモ・エレクトス、ホモ・ルドルフェンシス、ホモ・ハビリスへ
(突き出た口元は平になり、額は広くなって傾斜を失い、顎は頑丈になった。足の親指や方にまっすぐ載った頭部などは、青年時代ばかりでなく成人時代まで存続するようになった。-若さの延長)
華奢型人類が成功しサバンナ環境の過酷な状況で生き抜いた。直立歩行と大きな脳。
ヒトは二本足で効率よく歩くためには骨盤の構造を根本的に変えなければならなかった。直立した歩き方は腰を細くする。腰が細くなると産道が細くなり、新生児が生まれにくくなる。
直立して大きくなる脳も生まれにくくする元だ。そのために早い時期に子どもを世の中に送りだすようになった。未熟な状態で生まれる。-ネオテニー現象という。
ネオテニーとは「動物の成体に幼児の特徴が保持されていること」をいう。
ネオテニー現象は進化の不都合さを覆い隠すと同時に、私たちを独自であり奇妙な存在にさえしているもののかなりの部分を説明する。
ボルク「人間の発生問題」類人猿の胎児状体が人間の成人で永続するようになったもの、平らな顔と広い額―幼いチンパンジーと私たち人間と共有するもの
グールドは私たちの特徴的なネオテニーのことを、人類進化の中で、最も重要なものの一つであると呼んだ。
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第3章 学習機械
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誰でも1人、二人の幼児が活動しているところを見たことがあるだろう。平均的な2歳児は、知的欲求のかたまりで、計画性もずるさも全くなくて、この世の中のものすべてを手に取ろうとする。彼女あるいは彼が、これまでに宇宙でもっとも貪欲で、最も成功した学習機械であることは間違いない。
なぜそもそも脳が存在するのか。
私たちが純粋に遺伝子の存在でもなく、すべてが個人的経験の結果でもなくて、その両方である理由を説明する1助となる
人間の大脳皮質は生まれてから最初の3年間で3倍の大きさになる。
昔からある生まれか育ちかという議論を無意味にしてしまう。子供時代に脳が作る無数の結合は、私たちが純粋に遺伝子の産物でもなく、全てが個人的経験の結果でもなくて、その両方である理由を説明する一助となる。
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第4章 絡み合った網―道徳的な類人猿
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仲間とともに生き残るために働き、子どもを育て、友情やどうめいをきづき、食べ物をかき集め、脳と体の限りにコミュニケーションを図る。そうしなければ死んでしまうのでほかの選択肢はない。
嘘つきが人をだまし、だまされた人はじょうずな嘘をゆく人の策略を解き明かす。この競争が人間ができるもっとも巧妙な技に貢献することは確実だ。それは他人の立場に立って考えることだ。この複雑さ、競合する要求の中から道徳的な人類が生まれた。
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第5章 そこかしこにいる類人猿
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約70万年前にホモ・ハイデルベルゲンシスが現れた。この種から私たちとネアンデルタール人が生じた。アフリカにとどまったものとヨーロッパに向かったネアンデルタール人である。ハイデルベルゲンシスは骨格が太く、がっしりして力強かったようだ。
ネアンデルタール人は寒冷による気候と戦った。アフリカ系統の生活も困難だった。波状的に襲い掛かる致命的な干ばつを生き延びることを意味した。約20万年前に二つのまったく異なる種への変化を完了した。
(人類の最も新しいメンバー。ーアウストラロピテクス・セディバ、アルディピテクス・カダッパ、赤鹿人、デニソワ人が発見された)私たち人類と交雑して私たちのDNAに永遠に寄与した人々)
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第6章 いとこたち
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ネアンデルタール人は古人類学者が取り組んだ研究の中でも最も悪評の高い種に含まれている。最初のネアンデルタール人の化石は1856年に発見。ダーウィンが「種の起源」を出版する3年前だ。解剖学者のウイルヒョウは骨格と著しく隆起した眉の部分からこの骨がクル病を患い穴居生活をした隠遁者と考えた。1863年にTHハクスリーが「自然における人間の位置についての証拠」で、現代人に先行した人類であるといった。1908年、マルセル・プールは障害のあるネアンデルタール人をサルのようにがに股で前かがみの、今でも考える穴居人の原型的な戯画―頭が鈍く、野卑で、のろまな、(ハリーポッターのトロールのようなもの)になった。
ネアンデルタール人がヨーロッパやアジアで暮らした20万年近い年月の間、驚くほど厳しい状況下で暮らしたにもかかわらず、彼らは残忍でも馬鹿でもなかった。
人口が6桁(10万)に達することはなかったが何千キロも広がることができた。
寒さへの適応―身体的特徴が彼らを野蛮人と考える理由の一つとなっている。
イラクのシャニダール洞窟では、ホモ・サピエンスより前の10万年前に死者を埋葬しはじめた。狩りなどで傷ついたものも傷が治るまで仲間を守っていた。
ネアンデルタール人も染色体に発話に関するFOXP2遺伝子を持つ。音楽と身振りの名手だった。
あまり石器などは進歩しなかった。最大の技術的進歩はクロマニヨン人と出会ったあとのことのようだ。2万5千年間、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は世界の同じ場所を共有してきた。
アリゾナ大学のS・クーンとM・スタイナーは現代人類は集団内で労働の役割分担をして、ヨーロッパへやってきた。妊娠した女性、母親、子どもたちの大部分の仕事は野菜、果実、ナッツの収集など安全な作業だった。その間、男たちは大型動物の狩りに専念した。ネアンデルタール人は、全く分担していなかった。男女ともに大型動物を倒す命がけの仕事を行い、狩りで命を落とした女性がもう子どもを生めないことを意味した。狩りでの10代、20代の若者の死はさらに集団の人口を減少させた。ネアンデルタール人のほうが丈夫だとしても、何千年もの間の競争に生じたその違いは人口のバランスを完全に変えてしまった。
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人類は幼少期を長くする傾向があったが、進化は明らかに厳しい環境の中であまりにも早く死んでしまう年長のメンバーを補うためできるだけ早く成長して子どもを生みサイズと力の上で大人になる子どもを好むようになった。ネアンデルタール人は、15歳で完全に成熟するようになったが、ネアンデルタール人にとってこれは好ましいものではなかった。第一にネアンデルタール人の子どもたちは、遊びや学習、社会性や創造性を習得する時間が少なくなった。第2に集団内の若いメンバーに貴重な知識を伝達できるものの数が減少することを意味した。ネアンデルタール人は早い時期に成長することで20万年うまくいった後に駄目になってしまった。
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第7章 野獣の中の美女たち
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人間の顔は自然界において健康状態をあらわす最高の宣伝の一つだ。赤ん坊のような顔を持つ特徴が男の子や女の子たちに伝えられる可能性が増して、私たちみんなにネオテニー的容貌が増していくことになった。
遺伝子が鮮やかな羽や鮮やかな色をもたらすように、脳は100万の異なる方法で私たちに欠ける能力を増加させる仕事に熱心に取り組む。
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私たちが長い間子供っぽいことを意味する。それによってもっとも創造的で適応性の高い生物になったのだ.子どもの遊びと創造性には深いつながりがあるのだ。
どれだけ長生きしようと、私たちは自分の中の子どもを完全に一掃できないようだ。
7万5千年前にたった1万ほどの絶滅の淵から70億まで地球の隅々までいきわたらせたばかりか~。ネオテニーは一生を通して柔軟性のある回転の速やかな脳を作りだしてユニークな人々とユニークなアイデアを作りだした。
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ネアンデルタール人は、私たちより速く生きて若く死んだ。おそらくそこに私たちが残って彼らが残らなかった理由があるだろう。
言語は私たちを今までになく密接に結びつけたが、もうひとつ素晴らしいことをやってのけたということだ。それはわたしたちが認識していることを認識させたのだ。それはまた狂気をも可能にしたかもしれない。
「もしも私たちがなんらかの機械だったとしたら、私たちは学習機械だ」
どれだけ長生きしようと、私たちは自分の中の子どもを完全に一掃できないようだ。
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第8章 頭の中の声
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私たちが「考え」と呼ぶ声はどこから生じてるのだろうか。ジェインズはこう考えた。頭の中の声は誰でどうやってそこにやってきたのだろうか。紀元前1万年前から紀元前1000年までの間の現代人は、自分の心の中で聞こえる声を、自分のものではなく首長あるいは悪魔あるいは神の声のように自分の心の外に実在するものの声として考えた。
私たちは実際に何かをする前にそれを自分の心の中で完全に想像できるようになった。私たちが自分で想像したシナリオに基づいて意識的に行動した瞬間に、それは自分で自分の行動を支配したことを意味する。象徴的な「あなた」の発明によって、意図と自由意志が生まれた。あるいは少なくとも説得力のあるその幻想が。
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統合失調症は現実と想像の世界や経験との区別が難しくなる病気だ。
ふつう自閉症は、統合失調症ほど劇的でも衰弱を伴うものではないが、これも創造的な精神の謎を垣間見る機会を提供する。自閉症の人は素晴らしい才能を持つことがある。しかし他者との人間関係を築くのが困難だった。
終章 次の人類
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私は自分の中の子どもの部分、変化するにあたって私たちが失うわけにはいかないのは、非実用的で柔軟な部分なのだ。それは、他の動物にもない方法―過ちに陥りがちで、柔軟で独創的であること―によって私たちを自由にしてくれるからだ。それが私たちをここまで連れてきてくれた部分なのだ。
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・筆者のコメント
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◎『人類進化700万年の物語』の要旨を書いてみました。70万年前以後、多くの人類が生まれたにもかかわらず、すべて絶滅してしまい。なぜ我々人類だけが生き残ってきたのだろうか、という問題について、書かれている。ほかの本にも書いてあるが一つには、たまたまということだ。何度も襲いかかる氷期に対して、アフリカのほうが温暖であった。しかし、ホモ・サピエンスもひどい干ばつに苦しんだ。又大噴火の影響で、7万5千年前には人口が1万人近くまで減少し、絶滅寸前にまでなった。しかし、男女の分業で子どもが生まれる量が違ってきたこととともに、この本の一番いいたいことであるように、ネオテニーー幼形成熟化したことである。長い青少年期を持つこと、さらに大人になり年をとつても、遊び心がなくならないことが、いろいろな文化を発展させてきた。それに対してネアンデルタール人が厳しい環境を乗り越えるため、次第に伸びてきた大人になるのが遅くなる傾向(ネオテニー化)に逆行して、はやく大人になっていたのが文化の発展を妨げる原因になったと考えています
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◎子供っぽさや遊び心というのは時代により、ずいぶん変わってきました。筆者の祖母は大阪生まれでした。とても頭がよくて、先生も勧め、高等小学校へ行きたかったのに、子供が多くたしか尋常小学校も中退させられて子守をさせられたといいます。尋常小学校は4年生までで12歳ぐらいまでです。父親は大正生まれで義務教育の高等小学校まで行っていますが尋常小学校4年と、高等小学校2年までです。家業の井戸掘りでの酸欠事故で死んだ伯父―父親のお兄さんは中学校にいきました。頭がよくその後は本当は薬専(薬科大学)に行きたかったそうですが。お祖母さんは薬専にいっていれば死ななかったのにと悔やんでいました。父親は小学校すぐに仕事に出されました。学校に画材を入れる仕事だったと聞いています。大八車を引いてものを運び大変だったといいます。その後家業の桶屋と井戸掘りの仕事につきました。父も酸欠で死にかけたそうです。いずれにしても早い時期から仕事をさせられていたのです。子ども時代は短かったのです。
それに比べると今はかなり遅くまで仕事をしない人が増えました。又、仕事をしていても、また仕事をやめた後でもずっと、遊び心を持つている人が増えました。江戸時代にも、裕福な豪農、商人や暇を持て余した武士などもずいぶん遊び心を持っていたようです。
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◎最近の日本では、ゆとりをもっていろいろな遊びをしたり、創造的な方面に力を発揮する若労働者がいる反面、正社員を増やさず、非正規社員を増やしていく社会の風潮の中で、いわゆるブラックバイトなどの低賃金と長時間労働によって、健康を害したり、将来の夢を失ってしまう若者もいる。若者だけではなくいろいろな世代で問題点は広がっている。いい意味での創造的な遊びが減っていく風潮は人類進化の流れと逆行しているかもしれない。
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2016,9,11、追記 赤旗日曜版
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「ネアンデルタール人新たな謎」
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という記事で、「石器技術の差で絶滅」説覆るとして、
名古屋大学の博物館講師の、門脇誠二さんが、新しい説を発表しました。
従来は、アフリカで革新的な技術である、投げやりを現生人(新人)が発明し、ヨーロッパのネアンデルタールを打ち負かしていったという説でしたが、実際はヨーロッパに進出した新人が約4万2千~3万9千万年前、ヨーロッパで投げやりの先につける石器、尖頭器、革新的な石器技術を開発したという説です。
西アジアのシリア北方のラッカ市の東50キロの調査。3万8千~3万7千年前に尖頭器がつくられました。
新人の技術的発達は、拡散以前からあったわけではないという考古学的事実の発見
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数千年もの共存
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日本人の遺伝子の中にも2%程度、ネアンデルタール人の遺伝子が混ざっていることが分かっています。
ネアンデルタール人は寒冷地に適応するように進化。
1対1では個人的能力はネアンデルタール人の方が勝る。
交代劇は地球規模の環境激変期にあたる。
(最終氷期が最も寒冷化した)
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