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2015年10月

2015年10月28日 (水)

ゴジラのTOHOシネマズと歌舞伎町周辺、昼食は車屋でランチ

 2015年10月27日(火)、ヘルパーの斉藤さんに車いすで連れていってもらい、歌舞伎町方面に行ってみました.
車屋さんでランチ
 タクシーで歌舞伎町の車屋さんに行き、そこで昼食を取りました。車屋さんは2週間ほど前の10月11日に下の息子の結婚したお相手のご家族との顔合わせで、2階で懐石料理を食べたばかりです。10月は色々行事があり、斉藤さんに外に連れていってもらうのは一度だけです。
 車屋さんはここが本店で昭和6年と古くからお店をやっていて、1階はいす席の日本料理、2階から上は座敷、地下1階が西洋料理となっています。前回和食だったので今回は洋食としました。
 10月は斉藤さんとのお出かけ1回だけなので、ちょっと豪華に5000円のコースで頼みました。
 前菜3品、スープ、メインの肉か魚料理、デザート、コーヒーというコースです。
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これは2品目の前菜、舌平目とマッシュルームのボンファムです。1品目はサーモンのマリネです。
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3つ目の前菜、カニとアボガドのタルタールだそうです。おしゃれに飾り付けられています。
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メインのステーキです。
デザートはいろいろある中から好きなもの2点を選びます。
これは女性に好評で、以前中学校のクラス会を行い、ケーキを選ぶのを女性たちに任せたことがあります。もちろん食べるのも。
2015年4月に完成した東宝ビルに行く
 車屋さんのすぐ近くです。有名な歌舞伎町交番も近くにあります。
道路を挟んで1丁目と2丁目に分かれます。
 ここは以前はコマ劇場、その隣に旧新宿東宝ビル、その他の小さいビルが有りましたが、一角をまとめて今度大きな東宝ビルになりました。昔のコマ劇場の隣の新宿東宝ビルには、今は懐かしいクラブハイツというキャバレーがありました。昔ながらの大きな(大箱といった)キャバレーが次々と亡くなり、最後に残った形でした。そこには専用のエレベーターがありました。大きな円形の客席があり、前には舞台がありバンド演奏がありました。いろいろな歌手が来ていました。舞台の下ではダンスが踊れるようになっていました。今は亡き父も叔父もダンスは上手でした。父親がキャバレーへ行くのが楽しみで、父親が85歳を過ぎた後には、週に1回父親と一緒にキャバレーに行くのが父の最大の楽しみでした。事故で92歳でなくなった父が90近くまでキャバレーが無くなってからは中国のクラブにいっていたのですから大したものです。戦争にいっていた時代を話すのが好きでした。クラブハイツのキャバレーのホステスさんは私と同い年で一緒に来る女性も同じくらいの年でした。2008年に旧新宿東宝ビルが閉鎖となり、クラブハイツも閉鎖となりました。
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靖国どうりからは入った、セントラルロードから見た実物大のゴジラ。これをまじかに見るホテルのゴジラルームが好評なようです。このゴジラの映画が最初にできたときはビルがまだ全体に小さく、ゴジラも大きく見えました。今ではビルがおおきくなりゴジラが小さく見えます。ちなみに、ゴジラは映画により高さの設定が違い、最初につくられたゴジラは高さ50mで周りのビルが大型化するに従いゴジラも大きくなり、一番大きくなって100mだそうです。
 この東宝ビルのゴジラは52mでほぼ最初のゴジラと同じ大きさです。今では52mですと、それほど大きくなく怖さも少なくなりますね。
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大型映画館の東宝シネマズ
 旧ミラノ座から見た東宝ビル。ゴジラの看板が目立ちます。旧ミラノ座は閉鎖中です。以前グランドオデオンのあったところはアパホテルになっています。ミラノ座の隣にあった映画館も閉鎖中で、さびれた感じです。東宝ビルができるまでは閑散としていました。
東宝シネマズは12のスクリーンがあり、新宿では松竹ピカデリー、新宿バルトと並んで大きな映画館です。
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歌舞伎町の1丁目と2丁目を分ける、靖国どうりや職安通りと平行に走っている道を、花道通りといいます。一方通行の道です。車屋は2丁目、東宝ビルは1丁目となります。1丁目には、大久保病院とハイジアが入ったビルや、マンモス交番、歌舞伎町交番があります。2丁目には雑居ビルが大変多いところです。職安通りにはビルの壁面にハングルで書いた看板がたくさんあります。
 ここは花道通りの南側にある、ホテルグレイスリー新宿のホテル で、8階から30階までとなっています。前に書いた車屋さんはホテル入り口のすぐ前です。。グレイスリーホテルはワシントンホテルに比べるとやや高級なホテルだそうです。部屋数は970室です。ちなみに新宿ワシントンホテルの室数は633室です。椿山荘やグレイスリーホテル、ワシントンホテルなどは藤田観光の系列です。ちなみに近くにできたアパホテルは28階620室です。今は外国人観光客が多く、ホテルの部屋が少なくなり問題になっています。
 西武新宿駅の周辺は以前、脱法ハーブを売っている店が多かったのですが最近は減少しました。
 帰りは、車いすを押してもらいながら、いわゆるイケメン道りをとおり大久保通りからマンションまで帰ってきました。 天気は良かったのですが、人通りはあまり多くなかったです。
日本の店で何店か閉店しているところがあります。その状況は改めてご報告します。
歌舞伎町の歴史
 歌舞伎町という名は1948年の戦後作られました。それ以前はいろいろな町がありました。
この地は昔は湿地で池があり鴨場があったそうです。戦後間もなくのころにも小さな池があったように記憶していますが記憶違いかもしれません。なんかの博覧会が今の映画館があるあたりで開かれているのを記憶しています。歌舞伎町ははじめは現在の歌舞伎町1丁目のところだけでした。そのころの西大久保1丁目は普通の民家が多いところでした。それが1978年に住居表示で変更となった時、西大久保1丁目が歌舞伎町2丁目と名前が変わりました。西大久保2丁目が大久保1丁目と名前が変わりました。その時には、うちは東京ガスの委託店をしていましたが、西大久保1丁目が歌舞伎町の2丁目になったためガスの担当地区が変更となりました。ミラノ座や1956年にコマ劇場ができてから大変にぎわうようになりました。大久保通りの自宅から映画館がいはすぐ近くで、良く歩いて映画館にいっていました。
 コマ劇場が閉まり、ミラノ座もしまって一時ゴーストタウン化しました。今度東宝ビルができにぎやかさが次第に回復してくるでしょう。

2015年10月24日 (土)

増えてきたバリアフリーの旅、の取り組みの現状 NHKの番組から。

 2015年10月24日(土)の、朝6時から始まるNHK「おはよう日本」の番組の中で、7時ころから朝の特集「バリアフリー観光」”先進地”の伊勢志摩という放送がありました。
 三重県の伊勢志摩はバリアフリー観光への取り組みに熱心で、三重県の鈴木英敏知事も先頭に立って取り組んでいるようです。
 人口の中で占める高齢者の割合が高まるにつれ、身体障碍者の比率も増えてきています。障害者は身体障害者、知的障碍者、精神障碍者に分けられます。身体障害者は内閣府の資料によれば平成18年には357,6万人でそのうち65歳以上の人が61,8%を占めて居ます。平成25年には393,7万人で1000人当たり31人となっています。もうすぐ2016年、平成27年になりますが、特に高齢の障害者はもっと増えていることでしょう。
 昨年にはいつも送られてくる、クラブツーリズムの旅行案内にも障害者用の旅行のパンフレットが作られ、送られてきました。いつも大量の旅行案内が送られてくるのですが、いよいよそういう案内が送られてくるほど障害者で旅行に行きたいという人が増えてきたということです。大手旅行会社でもクラブ・ツーリズムとHISがインターネットで身体障碍者用の旅行案内を出しています。また「ゆこゆこ」や「じゃらん」でも宿泊先のバリアフリー対応度を一覧表にしていました。
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今年には、合弁会社になったSTコミュネット(株)の社長の平野さんが、旅行先の北海道でゴルフ中に脳出血を起こし、右半身が麻痺を起こしました。私よりも症状が軽いようで杖でだいぶ歩けるようになり、もうしばらくしたら会社にも出勤できるようです。ところが右側の感覚はなかなか戻らないようです。
 さて、前にあげた三重県では日本一のバリアフリー県をめざし、取り組んでいるようです。NPO法人「バリアフリーツアーセンター」が鳥羽駅の前に作られているそうです。各地にもそのような施設が作られ、「日本バリアフリー観光推進機構」という組織も新宿の四谷に作られています。
NHKの番組で、バリアフリー観光についての放送です。
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 バリアフリーのトイレの一般的な形。この形は足が不自由で腕は健常な人に向いています。ほとんどこの形です。
 しかし筆者のように右の足と手にまひがあるばあいには不便なのです。自宅のトイレは便器が前を向いていて前の壁に横のバーがあります。バーがあればつかまって立ち上がれますから、使いやすいのです。厳密には右麻痺の人用のトイレと左麻痺の人用のトイレは違います。病院のトイレは、右麻痺用と左麻痺用とで別に作ってありました。
 タクシーに乗り込むにも右麻痺と左麻痺とで違いがあります。筆者のように右麻痺ですと、車の後部から見て左からが乗りやすく、左麻痺の場合は右側です。即ち、健常な右足と健常な右手で乗りこみます。タクシーに乗り込むとき車道側から乗りやすいのですが、それができず、なおかつ道路の縁石などでタクシーと縁石が狭い場合、そして混んで居て焦った時に、頭からタクシーの座席に入ってしまい、足が踏ん張れず、乗り込むのにえらい苦労をしたことがあります。
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伊勢志摩のホテルでの取り組み。
畳の部屋と車いすとの差を埋める、特殊なテーブルを用意。
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 とはいえ、現実的には障碍者にとってはまだまだバリアフリー化は進んでおりません。
一口に障害者といっても、いろいろな障害の段階があります。車いすを介助者に押してもらわなければならないケースとある程度はつえを使って歩ける場合では全然違います。車イスごとバスに乗せるリフト付きバスは極めて少なく、例えば都バスにも一応車椅子で乗れることになっていますが、運転手さんに乗せてもらわなければならず、えらい手間がかかるのでとても乗れません。
 それから、一番困るのがトイレの問題です。インターネットで調べるときにまず最初にバリアフリーのトイレがあるかどうかを調べます。バリアフリーの多目的トイレも、だんだん増えてきて、新しい施設には必ずできています。ところが古い施設にはそういう対応がありません。11月にうちの先祖代々のお墓で、父親の7回忌がありますが、極端に段差が多く、トイレも入りにくく、お墓にも車いすで入るのが困難な状態です。結局欠席させてもらい、妻と息子たちに頼みました。10月はいろいろな行事があり外に出かけました。ところが例えば下の息子の奥さん親族と新宿の車屋で会った時、バリアフリーのトイレがなく、水分をできるだけとらないようにしました。10月はそういうことが多く、水の飲み方が少なくなり、便秘気味となりました。
 11月になると、発病から2年となります。今、朝、晩つえで、ベッドから食事のテーブルまでわずかですが歩いています。来年になりもう少し安定的に杖で歩けるようになれば、旅行ももう少し行きやすいのですが。先日近くのミニスーパーのマイバスケットへ行けるかどうか試してみました。平らなところは左足で制御し左手で車を回して問題ないのですが、車道から歩道に上がるときが問題でした。力いっぱいタイヤを回して上がれるのですが左側ばかりに力を入れるため車いすが右に曲がってしまいます。又歩道が狭いため向きを変えるのが困難でした。結局まだ一人では無理ということになりました。又新大久保、高田馬場いずれの駅の方向でも途中にきつい坂があり、車いすでは無理です。押してくれる家内も手の関節に異常がありきつい坂を車いすで上るのは困難になっています。電動車いすの場合でも現在のように段差が急で傾斜が斜めのようだと転倒の危険もあります。
 5年後にオリンピックとともに、パラリンピックの大会が東京で開かれます。これを機会に障害者に優しい街づくりをぜひお願いしたいと思います。

2015年10月18日 (日)

近況、1、人間学研究所の例会での話、2、息子の結婚相手の家族、3、自宅の一部を貸し、猫の世話を

 すでに、以前に書いたブログで2015年10月の忙しさについて書きました。10月4日(日)は私の家内と妹の古希のお祝いのささやかな集まりがパークハイアットホテルであり、そのことはブログに書きました。
 いろいろ忙しさにかまけて、ブログの更新もおろそかになり、10月16日の時点で1件だけでした。そのせいか、1日のアクセスも500件をきることがありました。
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最近の朝日です雲がかあっています。。5時50分ごろ、左のほうにスカイツリーが見えます。夏場はスカイツリーの左側に朝日が出ます。
1、人間学研究所の例会での話
 忙しさの一番の原因である人間学研究所と実用的人間学研究会の合同例会も10月15日(木)に終わり、一段落したところです。
 病気後、人間学研究所などでお話しするのは、これで3回目ですが、今までは私の病気のこと、「こういちの人間学ブログ」のことなどでしたが、今回は学術的な内容です。ネアンデルタール人を中心とした人類に関する問題ですが、さまざまな資料を集め、整理していき、その結果を要領よくわかりやすく参加者の皆さんにお話しするのは大変でした。参加者は17名でした。久しぶりに参加する方もあり、近況をそれぞれにお話していただければよかったのですが、あまり時間がありませんでした。詳しくは前日に書いたブログをご覧ください。
2,10月11日(日)、下の息子の結婚した相手のご家族との初めての顔合わせがありました。
 下の息子はすでに、婚姻届けを出していますが、お相手の方の家族とは初めての顔合わせとなりました。お母さんは宮崎に住んでおられて、東京へ出てこられました。夕方の顔合わせの前に、初めての東京で東京タワーと上野動物園のパンダを見に行ったそうです。新しいスカイツリーよりも昔ながらの東京タワーに行ってみたいというのは、面白いな、と思いました。
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向きが悪いですが、大きな立派な鯛です。刺身はこれで半身だそうです。
 場所は新宿歌舞伎町の車屋です。車屋は支店がいろいろありますがここが本店です。車屋は古くからのお店で、いままで色々な会合でよく使いました。1階が和食のいす席の店、2階以上がお座敷の個室。地下が洋食となります。
 参加者は下の息子夫婦と私たち夫婦と上の息子一家5人、下の息子の奥さんのお母さんとその息子さん2人の12名です。2人とも東京にいてすでに働いているそうです。車屋は二階以上はバリアフリーになっておらず、畳の上にカーペットを強いて、それで車いすで走行できるようになります。部屋にはかなり段差があり、男性二人で車いすごと持ち上げてもらいました。トイレもバリアフリーでないので、トイレに行かないように水気はあまりとらないようにしました。
 料理は和食の懐石料理です。前日に上の息子が大きな鯛を外房で釣り上げ、それを車屋さんで調理してもらいました。なかなか見栄えのする立派な鯛です。車屋さんは地下1階が洋食なので、上の息子の子供のうち、中学生は大人と同じ懐石料理ですが、小学生と3歳の男の子はハンバーグや空揚げなどを作ってもらいましたが、そこは大変便利でした。木で作る車などのおもちゃを子ども3人にプレゼントされ、組みたてて遊ぶことができ、飽きないように工夫されていました。
入院後初めてワイシャツにネクタイ、普通のズボンという格好になりました。車イスでこのような格好でいるのはいささか疲れます。
3、自宅の一部をお貸しし、そのかわり猫の世話などをしてもらうことに。
 10月の半ばごろから、上の息子の知り合いに、部屋の一部を使ってもらい、その代わりにネコや金魚の世話をお願いすることになりました。コンピューター関係のひとで、うちは猫の世話に通うのが少なくなりとても楽になりました。前にいた自宅はエレベーターの無い5階で車いす生活の私にはとても無理でした。火、水、土はヘルパーさんのところで朝ねこの世話をお願いしあとの月、木、金、日は家内がと金魚の世話にいっていました。そのほかに、ビルのゴミ出し、道路の清掃、3階のベランダの植物の水やりなどがありました。前は、植物の水やり、ビルのゴミ出し、道路の清掃は私がやっていましたから負担が全部かかっていました。そのほかにテナントの苦情などの処理があります。それを私の突然の病気以来、ずっと家内が一人で担当してきました。大変な負担です。
 月曜日から金曜日までその人にお願いし、土曜日は従来どうりでヘルパーさんのところで、日曜だけ世話に行けばよくなりました。道路の清掃、ごみの片づけは近くのビルの清掃をやっているところに頼みました。家内はいままで、ほぼ2年間通いつづけました。大変だったと思いますが、これでかなり軽減しました。ご苦労様でした。
 黒猫くろべえは、はじめ知らないオジサンが来たとかくれていたそうですが、餌をもらい、なでてもらったりしているうちに、なついてきたそうです。でも最初の緊張で餌を食べず、少しやせたそうです。運動不足でお腹がブランブランしていましたから、ちょうど良かったかもしれません。メスねこ老猫のにゃまるはボーとしているそうです。
 Adobeのファイルを操作しているときに、有料で月に200円から2000円ぐらいまで一定のお金を払わなければ次に進んでいかないようになり、仕方なくお金を今後支払うように手続きしようとしたら、英文だけの長い説明がきがあり、それを操作している間に、パソコン画面が全部消えてしまいました、ちょうど、今度入居した方が、パソコンに詳しい方でしたので、家内がパソコンをもっていってなおしてもらいました。詳しい方がいると助かります。それにしても、Adobeはわかりにくく不便です。
 ◎家内が私の入院後初めての泊りがけ旅行に
 あと、10月21,22日に家内が入院後初めての泊りがけ旅行に出かけます。私は大丈夫だからということで出かけてもらいます。前は外国旅行などに家内が一人で出かけても平気でした。今まで、さんざん苦労をかけましたから、たまにはゆっくりしてもらいたいです。
21日22日ともひとりではなく、21日はマッサージの方、22日はリハビリの方2人が来られますから、普段と同じです。
◎昨日、(10月18日)「下町のロケット」のテレビドラマがありました。
 10月から、朝日新聞に「下町のロケット2」の連載が始まるということで、それに合わせて、TBSで10回にわたり連続ドラマが始まります。最初は2時間番組です。新聞のテレビ欄にも大きく広告が出ていました。
 ドラマは1と2をまとめてドラマにするそうです。主演は主人公の佃公平に阿部 寛そのほか多彩なメンバーです。早速テレビを見ましたが、阿部 寛はまじめなこのドラマの主人公にぴったりです。
 本が発売されたときに書いたブログは、かなりアクセスがありましたが、昨日はアクセス数1位の反響がありました。
 大企業の横暴さ、銀行の中小企業に対する態度など、それに敢然と挑戦する主人公たちの態度は感動を呼び起こすと思います。おそらく、このドラマは結構視聴率が高くなると思います。

2015年10月17日 (土)

「ネアンデルタール人たちと私たち人類」人間学研究所例会で、話

合同例会の開催
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 2015年10月15日(木)午後6時より、人間学研究所と実用的人間学研究会の合同例会が開催されました。講師は病気後例会でのお話が3回目となる人間学研究所専務理事・実用的人間学研究会長の佐竹幸一です。場所は、西戸山タワーホームズの集会室です。参加者は17名、柴田義松人間学研究所所長はじめ、森岡修一副所長や、杉山靖夫実用的人間学研究会副会長などが参加されました。17名中5人の方が、大学の教授や名誉教授です。
合同例会配布資料
 当日は9ページの資料を用意しました。「こういちの人間学ブログ」で書いた、主にネアンデルタール人に関するブログ6つと、人類の起源に関する8つのブログをできるだけ要領よく圧縮するのに苦労しました。又、その内容を1時間以内にまとめなければなりません。
 はじめの4ページで『人類進化700万年の物語』チップ・ウォルター、『そして最後にヒトが残った』、『ネアンデルタール人の首飾り』F、R,アルスアガ(人間学研究所の名誉会員である岩城正夫氏が監修されています)、『ネアンデルタール人は私たちと交配した』スヴァンテ・ペーボの4冊の本の要約を説明しました。又、ホモサピエンスや、ネアンデルタール人と同時代に生存していたデニソワ人、赤鹿人、フローレス人も簡単に説明しました。又、『特別展 生命大躍進』展に作られた資料の中で篠田謙一氏の資料も紹介しました。
 5、6,7ページと8ページの一部はカラーで、ネアンデルタール人に復元図がどのように変化していったかを図像を見てもらいながらわかるようにしました。又、人類進化の系統樹、「私たちが類人猿の赤ん坊に似ている一つ」、デニソワ人の小さい小指の骨、篠田氏のホモサピエンスの系統樹とデニソワ人、ネアン
デルタール人との交雑の状況に関する資料などを載せました。1ページは「人類進化に関する資料」で、人間学研究所から、佐竹の現在の自宅に置いてある本の一覧表を書きました。最後に「こういちの人間学」ブログの、ネアンデルタール人とその他の人類に関するブログの一覧表を載せました。
 ネアンデルタール人は厳しい氷河時代の中で、はやく大人になり、幼少期をあまり持たなかった。それに対して、温暖なアフリカにいた、ホモ・サピエンスは比較的長い、幼少期を持ち、遊びをする期間が長かった。又男女が分業をし、子どもを生む女性が減ることは少なかった。それでも3万年前のころには、あまり違わなかった。ネアンデルタール人は優れた文化を持ち、不完全ながらしゃべることもできた。怪我をした仲間をいたわり、死んだものを埋葬した。しかしネアンデルタール人は遊びや、学習、社会性、創造性を習得する時間が少なかった。
 一方、ホモ・サピエンスも75000年前のインドネシアのトバ火山の大爆発とそのあとの氷河期に伴う大干ばつで、ホモ・サピエンスは最小1000人〜最大1万人ぐらいに減少した。-絶滅寸前になる。
 われわれホモ・サピエンスが生き残ったのは能力と運のおかげ。適切な時に適切な場所にいただけ。
 日本人は10年前ほどから人口が減り始めた、このまま進めば5000年~10000年後に人口ゼロ―絶滅する計算となる。
 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは2万年ほども共存し、交配していた。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は99,5%遺伝子が一致する。ペーボ氏はネアンデルタール人の全遺伝子配列を解明した。その結果、アフリカ人と非アフリカ人の遺伝子をくらべると非アフリカ人(ヨ-ロッパ人、中国人、パプア人)は常に2%多く、ネアンデルタール人と一致した。非アフリカ人はネアンデルタール人と交配し、寒冷地に適した遺伝子を取り込んだ。中央アジアにいたデニソワ人はアジア人特にパプアに大きな影響を与えた。又未知の人類も我々に影響を与えているであろう。
ルーマニアで4代前にネアンデルタール人の祖先がいた骨を発見
 3万7000年~42000年前のルーマニアで現生人類の男性に、わずか4代前のネアンデルタール人の祖先がいたことがわかった。4代前は高祖父母に当たります。ペーボ氏は、「こんな個体を見つけられるとは、信じがたいほどラッキーです」この骨から取りだされたゲノムは6-9%がネアンデルタール人から由来することがわかった。現代人の場合、最大でも4%だ。
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槍を持つネアンデルタール人の女性の想像図です。(ナショナル・ジオグラフィック)
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 現代人―ホモ・サピエンスはネアンデルタール人のほか、赤鹿人、デニソワ人、フローレス人らと共存した。そのほかにも共存した未知の人類がいるにちがいない。
追記 2016年2月18日
「ネイチャー「誌の記事によれば、デニソワ人と言われたものは、ネアンデルタール人と位置付けられ、10万年ころに、中東を経て、アジアに入った現生人類はネアンデルタール人(デニソワ人)と混血していたことがわかったといいます。
 
配布した資料の画像部分
 ネアンデルタール人の図像も実に様々である。1888年当時の最初の想像図は毛むくじゃらな野蛮人そのものです。1977年に書かれたブリアンの「図説原始人類」もごつくて毛むくじゃらであるが、少年の想像図は現代人とよく似ている。後世のネアンデルタール人の想像図は大幅に変わって来て、野蛮人というイメージはなくなってくる。ネアンデルタール人の復元図でもヨーロッパに住む、ネアンデルタール人は白い肌、茶色の髪で、北欧の人たちとおなじイメージで、イラクのシャニダール遺跡からのネアンデルタール人の復元図はそのあたりのホモ・サピエンスと似たイメージです。ホモ・サピエンスと同じように地域的な差があると思われます。
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一番上の左の画像は1888年当時の復元図です。右隣り2つの画像は1977年の想像図。真ん中の段、左はその内子どもの復元図。以後いろいろな復元図。
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真ん中の左の服を着ている像は 、ドイツのネアンデールタール博物館に展示してある、上から見下ろす洋服とネクタイをしたネアンデルタール人の像。その右隣りは、「そして最後にヒトが残った」という本の表紙にあるネアンデルタール人の子どもの顔です。左下はイラクのシャニダール洞窟のネアンデルタール人の想像図。
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横の画像で見にくくて申し訳ありません。一番下はチューリッヒ大学が作った5歳の少女の復元図。白い肌、金髪、青い目で、ヨーロッパ人そのものです。上2つは、国立科学博物館の復元像。筆者が国立科学博物館の「生命大躍進「展で展示されたものを写したもの。
一番上は顔を大きく写したもの。白い肌、赤い髪、青い目、西洋人そのものです。
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左上は、私たちが類人猿の赤ん坊に似ている理由の一つ。
現代でも、子どもっぽい顔に魅力を感じる傾向がある。平均的な画像をデジタル処理で作りだしたもの。上は白人、下は日本人。
右上は人類進化の系統樹です。ホモ・エレクトスから、ホモ・ハイデルベルゲンシス、そこから、ヨーロッパに、ネアンデルタール人、アフリカに、ホモ・サピエンスが生まれます。アジアにはフローレス人のようにホモ・エレクトスから分かれて進化した人々がいました。
  真ん中左は小さい黒いものがデニソワ人の小指の化石。これと歯1つだけで、ペーボ等はデニソワ人の全DNAの配列を見つけ出した。真ん中右はアジアの中国雲南省にいた赤鹿人です。
 一番下は国立科学博物館の篠田謙一氏の資料です。
◎これらの画像は小さくて不鮮明ですが、それぞれをブログで見ていただけば、大きな画像で見られます。
 日本人の祖先についての話も出されました。日本人は色々な民族がさまざまに融合したものです。以前の例会で、お話ししましたが、また折があればお話したいと思います。
質問などの後に懇親会
 1時間の講師のお話の後、30分間は、参加者が感想を話しあったり、質問を受けたりしました。
 懇親会では、今半のお弁当を16個用意しておきました。ちょうど良いぐらいの数でした。
飲み物は、水と、お茶の他は、貰い物の高級ブランデーHennessy xoを用意しました。小さいグラスを用意して、余り普段お酒を飲まない人もどんなものか試しに少し飲んでみてくださいといいました。1リットルのHennessyは3分の1ぐらい残りました。私も試しましたが強烈な香りでした。さらに追加で、ビールと小さい焼酎を近くの「マイバスケット」で買ってきてもらいました。
8時40分ごろ、閉会としました。
感想など
 今回の人間学研究所の合同例会のためにかなり、いろいろと資料も集めてみました。それに10月は色々と用事が多く、ブログの更新をほとんどしませんでした。そのためか、1日のアクセスが500件をわることがありました。
 お話を始める前に、最近ネアンデルタール人や、古代人類に関していろいろな発見や、展示会などが開催されたが、例会参加者がどの程度興味をもって、テレビを見たり、展示会に参加したかどうかを聞いてみました。
 「ネアンデルタール人は私たちと交配した」という、ペーボの6月末に出された本、それと関連して7月7日から10月4日まで、上野の科学博物館で開催された「生命大躍進」という展示会、それらと関連してNHKスペシャルで3回にわたって放送された特別番組などを、見たり、行ったりしたかを聞いたのですが、残念ながら一人も手をあげませんでした。本当は見たり、行ったりしたのに、手をあげなかったのかもしれませんが。
 例会において、いろいろな質問を受けましたし、例会参加者も多かったので、実際の関心は高かったのでしょう。
 

2015年10月 5日 (月)

パークハイアットホテル、ニューヨークグリルと梢へ、バリアフリーの状況

2015年9月29日(火)と10月4日(日)に、久しぶりに東京新宿のパークハイアット・ホテルに行ってきました。9月29日は、ヘルパーさんに連れていってもらい、ニューヨークグリルへ。10月4日は家内と妹が、ちょうど70歳の古希になるので、お祝いに和食の梢に行ったのです。
パークハイアット・ホテルについて
 パークハイアット・ホテルは1994年7月に開業しました。東京ガスが建てたパークタワービルの39階から52階までを使っています。所有者は東京ガスの子会社東京ガス都市開発です。部屋数は178室で比較的小さなホテルですが、その分なかなかきめ細かいサービスがされています。もっとも広いスイートルームは290mもあります。同じ敷地内に東京ガスの支社の建物や展示場などがあり、東京ガスの委託店をしていたので、会議等の時にはよく立ち寄りました。一定の業務成績を納めた店には、ホテル開店にあたり、東京ガスから、クラブ・オンザパーク(45階―47階)というフィトネスクラブの会員権をプレゼントされました。会員権は700万円で、私の会社がグループで合弁会社になるとき、400万円売却しました。このフィットネスクラブは豪華で、以前はよく行きましたが会員になりたいという人は順番待ちだったそうです。ジャグジーで石田純一さんが隣にいたこともあります。けっこう有名人が来ていました。レストランには52階にニューヨークグリル、41階にメインダイニングのジランドールとピークラウンジ、40階には和食の梢があります。1階にデリカテッセン、2階のホテル入り口にケーキなどを売るところ(ペストリーブティック)などがあります。
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パーク・ハイアットホテルはパーク・タワービルの中にあります。三つの三角の塔が目立ちます。一番上はニューヨークグリル、真ん中はプール、一番下はホテルの入り口です。パークタワービルは、元の東京ガスの建物とガスタンクのあったところです。ガスが天然ガスに変わり、ガスタンクが不要になりました。そして、パークタワービルと、東京ガスの展示場、そして地域冷暖センターが作られました。パークタワービルには、ホテルのほか、いろいろな住宅設備や機器の展示場、オゾンや、フランスの高級雑貨のコンランショップまた地下にはレストランや郵便局、銀行の窓口などもあります。あとの階はオフィスとなっています。
 設計は丹下健三事務所で、お隣の東京都庁と同じ丹下健三事務所設計で、両方で景観が合うようになっています。
 ホテルのある西新宿は元の百人町サービス店(株式会社サタケ経営)担当エリアであり、東京ガスの会議のある時や、近くにある当社の分店などに立ち寄った時にはいつもパークハイアットホテルのフィットネスクラブに行っていました。会員権があれば1000円だけで、プールやスポーツマシンやジャグジー、サウナが使え、マッサージもなかなか上手でいささか贅沢な施設でした。レストランや結婚式場なども割引がありました。息子たちの結婚式場には使いませんでしたが。
 ホテルは開業当時、フォーシズンズホテル椿山荘、ウエスティンホテル東京とともに、新御三家と呼ばれ、、ソフィア・コッポラ監督の「ロスト・イン・トランスレーション」の舞台ともなりました。東京には、ほかに、ハイアットホテルとしてはハイアット・リージェンシーとグランド・ハイアットホテルがあります。パークハイアットホテルは21年たった今でも開業当時と同じ美しさがあります。
ニューヨーク・グリルについて
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北側の52階のニューヨークグリルからの、都庁方面の眺め。左は公園。
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西の方で晴れていれば富士山が見えます。
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オペラシティビルが右側に見えます。
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ニューヨークグリルの室内。左側が窓になります。
 ニューヨークグリルは、ホテルの最上階52階にあります。52階全部を使っているので,見晴らしは最高です。高い天井で開放感がありました。メインディッシュを6種類ほどの中から選び、あとの前菜とデザートは好きなものを好きなだけテーブルから取れるようになっています。メインディッシュは、ビーフ、鮮魚のグリル、大山鶏のグリル、子羊のグリル、松阪ポークばら肉のグリル、イカスミタリオりー二のパスタから、選びます。昼のブランチメニュー価格はサービス料、消費税で込みで6000円少々です。この価格はオープン当時と変わりませんが、量は少なくなっています。ホテル開店当時は、付け合わせのマッシュポテトもアメリカサイズの山盛りのすごい量でした。ビーフステーキは基本はオーストラリア産ビーフですが、追加のお金を出せば高級な肉となります。たとえば米沢牛プラス5800円です。ちなみに最も高い本日の神戸牛はプラス12000円です。
 メインディッシュが終わるとデザートとコーヒーはピアノなどの楽器のある場所に変わります。デザートは好きなものを自分で好きなだけ選べます。夜はここはバーに変わります。景色が変わりますのでなかなか素晴らしいです。
梢について
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焼き物八寸5品盛です。これで3人分です。
 
 40階の和食レストランは梢(こずえ)です。41階のホールやバー、ラウンジのあるところから専用のエレベーターで1階下がります。普通は階段で降りてしまいますが車いすなのでエレベーターで降ります。エレベーターを降りたところから、階段があり、スロープが付いています。又、さらに段差がありますが、そこは車いすの人がいると付けるそうです。その日は私以外に車いすの人がもう一人いました。昼はそばと天ぷら主体の玄が2200円、合鴨天丼2700円、ぐらいからありますが、悦という7200円のコースを頼みました。一番上は昼は9700円のコースです。他に飲み物、税サービス料込で一人11,000円くらいでした。
 料理は秋田の名物を中心にしていました。なかなか器などもおしゃれで、おいしいのですが、今私がかなり小食になっているのでいいのですが、そうでなければ2時間以上かけるには少し量が少ないように感じました。
バリアフリーについて
 41階のトイレに、バリアフリーのトイレがあります。ホテル開業時からできています。
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2階から1階の「デリカテッセン」を見る。すぐ下ですが、階段で降りられません。
 1階の「デリカテッセン」に、いろいろなおしゃれな食料品が置いてあり、置いてある食品をそばのテーブルで食べることができます。しかし2階のホテル入り口から階段ですぐ降りられるのですが、車いすでは無理です。また1階にはエレベーターでそのまま行けず、まず地下1階に行きそれから別のエレベーターで1階に行きます。しかしまた一階からは高い階段が3段ありこれも車いすでは無理です。結局ここへいくのは無理でした。

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