「ネアンデルタール人たちと私たち人類」人間学研究所例会で、話
合同例会の開催
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2015年10月15日(木)午後6時より、人間学研究所と実用的人間学研究会の合同例会が開催されました。講師は病気後例会でのお話が3回目となる人間学研究所専務理事・実用的人間学研究会長の佐竹幸一です。場所は、西戸山タワーホームズの集会室です。参加者は17名、柴田義松人間学研究所所長はじめ、森岡修一副所長や、杉山靖夫実用的人間学研究会副会長などが参加されました。17名中5人の方が、大学の教授や名誉教授です。
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合同例会配布資料
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当日は9ページの資料を用意しました。「こういちの人間学ブログ」で書いた、主にネアンデルタール人に関するブログ6つと、人類の起源に関する8つのブログをできるだけ要領よく圧縮するのに苦労しました。又、その内容を1時間以内にまとめなければなりません。
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はじめの4ページで『人類進化700万年の物語』チップ・ウォルター、『そして最後にヒトが残った』、『ネアンデルタール人の首飾り』F、R,アルスアガ(人間学研究所の名誉会員である岩城正夫氏が監修されています)、『ネアンデルタール人は私たちと交配した』スヴァンテ・ペーボの4冊の本の要約を説明しました。又、ホモサピエンスや、ネアンデルタール人と同時代に生存していたデニソワ人、赤鹿人、フローレス人も簡単に説明しました。又、『特別展 生命大躍進』展に作られた資料の中で篠田謙一氏の資料も紹介しました。
5、6,7ページと8ページの一部はカラーで、ネアンデルタール人に復元図がどのように変化していったかを図像を見てもらいながらわかるようにしました。又、人類進化の系統樹、「私たちが類人猿の赤ん坊に似ている一つ」、デニソワ人の小さい小指の骨、篠田氏のホモサピエンスの系統樹とデニソワ人、ネアン
デルタール人との交雑の状況に関する資料などを載せました。1ページは「人類進化に関する資料」で、人間学研究所から、佐竹の現在の自宅に置いてある本の一覧表を書きました。最後に「こういちの人間学」ブログの、ネアンデルタール人とその他の人類に関するブログの一覧表を載せました。
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ネアンデルタール人は厳しい氷河時代の中で、はやく大人になり、幼少期をあまり持たなかった。それに対して、温暖なアフリカにいた、ホモ・サピエンスは比較的長い、幼少期を持ち、遊びをする期間が長かった。又男女が分業をし、子どもを生む女性が減ることは少なかった。それでも3万年前のころには、あまり違わなかった。ネアンデルタール人は優れた文化を持ち、不完全ながらしゃべることもできた。怪我をした仲間をいたわり、死んだものを埋葬した。しかしネアンデルタール人は遊びや、学習、社会性、創造性を習得する時間が少なかった。
一方、ホモ・サピエンスも75000年前のインドネシアのトバ火山の大爆発とそのあとの氷河期に伴う大干ばつで、ホモ・サピエンスは最小1000人〜最大1万人ぐらいに減少した。-絶滅寸前になる。
われわれホモ・サピエンスが生き残ったのは能力と運のおかげ。適切な時に適切な場所にいただけ。
日本人は10年前ほどから人口が減り始めた、このまま進めば5000年~10000年後に人口ゼロ―絶滅する計算となる。
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは2万年ほども共存し、交配していた。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は99,5%遺伝子が一致する。ペーボ氏はネアンデルタール人の全遺伝子配列を解明した。その結果、アフリカ人と非アフリカ人の遺伝子をくらべると非アフリカ人(ヨ-ロッパ人、中国人、パプア人)は常に2%多く、ネアンデルタール人と一致した。非アフリカ人はネアンデルタール人と交配し、寒冷地に適した遺伝子を取り込んだ。中央アジアにいたデニソワ人はアジア人特にパプアに大きな影響を与えた。又未知の人類も我々に影響を与えているであろう。
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ルーマニアで4代前にネアンデルタール人の祖先がいた骨を発見
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3万7000年~42000年前のルーマニアで現生人類の男性に、わずか4代前のネアンデルタール人の祖先がいたことがわかった。4代前は高祖父母に当たります。ペーボ氏は、「こんな個体を見つけられるとは、信じがたいほどラッキーです」この骨から取りだされたゲノムは6-9%がネアンデルタール人から由来することがわかった。現代人の場合、最大でも4%だ。
槍を持つネアンデルタール人の女性の想像図です。(ナショナル・ジオグラフィック)
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現代人―ホモ・サピエンスはネアンデルタール人のほか、赤鹿人、デニソワ人、フローレス人らと共存した。そのほかにも共存した未知の人類がいるにちがいない。
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追記 2016年2月18日
「ネイチャー「誌の記事によれば、デニソワ人と言われたものは、ネアンデルタール人と位置付けられ、10万年ころに、中東を経て、アジアに入った現生人類はネアンデルタール人(デニソワ人)と混血していたことがわかったといいます。
配布した資料の画像部分
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ネアンデルタール人の図像も実に様々である。1888年当時の最初の想像図は毛むくじゃらな野蛮人そのものです。1977年に書かれたブリアンの「図説原始人類」もごつくて毛むくじゃらであるが、少年の想像図は現代人とよく似ている。後世のネアンデルタール人の想像図は大幅に変わって来て、野蛮人というイメージはなくなってくる。ネアンデルタール人の復元図でもヨーロッパに住む、ネアンデルタール人は白い肌、茶色の髪で、北欧の人たちとおなじイメージで、イラクのシャニダール遺跡からのネアンデルタール人の復元図はそのあたりのホモ・サピエンスと似たイメージです。ホモ・サピエンスと同じように地域的な差があると思われます。
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一番上の左の画像は1888年当時の復元図です。右隣り2つの画像は1977年の想像図。真ん中の段、左はその内子どもの復元図。以後いろいろな復元図。
真ん中の左の服を着ている像は
、ドイツのネアンデールタール博物館に展示してある、上から見下ろす洋服とネクタイをしたネアンデルタール人の像。その右隣りは、「そして最後にヒトが残った」という本の表紙にあるネアンデルタール人の子どもの顔です。左下はイラクのシャニダール洞窟のネアンデルタール人の想像図。
横の画像で見にくくて申し訳ありません。一番下はチューリッヒ大学が作った5歳の少女の復元図。白い肌、金髪、青い目で、ヨーロッパ人そのものです。上2つは、国立科学博物館の復元像。筆者が国立科学博物館の「生命大躍進「展で展示されたものを写したもの。
一番上は顔を大きく写したもの。白い肌、赤い髪、青い目、西洋人そのものです。
左上は、私たちが類人猿の赤ん坊に似ている理由の一つ。
現代でも、子どもっぽい顔に魅力を感じる傾向がある。平均的な画像をデジタル処理で作りだしたもの。上は白人、下は日本人。
右上は人類進化の系統樹です。ホモ・エレクトスから、ホモ・ハイデルベルゲンシス、そこから、ヨーロッパに、ネアンデルタール人、アフリカに、ホモ・サピエンスが生まれます。アジアにはフローレス人のようにホモ・エレクトスから分かれて進化した人々がいました。
真ん中左は小さい黒いものがデニソワ人の小指の化石。これと歯1つだけで、ペーボ等はデニソワ人の全DNAの配列を見つけ出した。真ん中右はアジアの中国雲南省にいた赤鹿人です。
一番下は国立科学博物館の篠田謙一氏の資料です。
◎これらの画像は小さくて不鮮明ですが、それぞれをブログで見ていただけば、大きな画像で見られます。
日本人の祖先についての話も出されました。日本人は色々な民族がさまざまに融合したものです。以前の例会で、お話ししましたが、また折があればお話したいと思います。
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質問などの後に懇親会
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1時間の講師のお話の後、30分間は、参加者が感想を話しあったり、質問を受けたりしました。
懇親会では、今半のお弁当を16個用意しておきました。ちょうど良いぐらいの数でした。
飲み物は、水と、お茶の他は、貰い物の高級ブランデーHennessy xoを用意しました。小さいグラスを用意して、余り普段お酒を飲まない人もどんなものか試しに少し飲んでみてくださいといいました。1リットルのHennessyは3分の1ぐらい残りました。私も試しましたが強烈な香りでした。さらに追加で、ビールと小さい焼酎を近くの「マイバスケット」で買ってきてもらいました。
8時40分ごろ、閉会としました。
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感想など
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今回の人間学研究所の合同例会のためにかなり、いろいろと資料も集めてみました。それに10月は色々と用事が多く、ブログの更新をほとんどしませんでした。そのためか、1日のアクセスが500件をわることがありました。
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お話を始める前に、最近ネアンデルタール人や、古代人類に関していろいろな発見や、展示会などが開催されたが、例会参加者がどの程度興味をもって、テレビを見たり、展示会に参加したかどうかを聞いてみました。
「ネアンデルタール人は私たちと交配した」という、ペーボの6月末に出された本、それと関連して7月7日から10月4日まで、上野の科学博物館で開催された「生命大躍進」という展示会、それらと関連してNHKスペシャルで3回にわたって放送された特別番組などを、見たり、行ったりしたかを聞いたのですが、残念ながら一人も手をあげませんでした。本当は見たり、行ったりしたのに、手をあげなかったのかもしれませんが。
例会において、いろいろな質問を受けましたし、例会参加者も多かったので、実際の関心は高かったのでしょう。
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