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2015年11月 6日 (金)

「敵」を作りだす人間ー相対的に見る必要、ゴリラ研究の山極寿一氏、時代の風から

 2015年11月1日の毎日新聞の朝刊2面に、「『敵』を作りだす人間-あらしのよるに」という京都大学学長の山極寿一氏の文章が出ていました。山極寿一氏は毎日新聞の「時代の風」という欄に月に1度ほど投稿を続けています。「時代の風」には、中西寛(京大教授)や西永美恵子氏(元世界銀行副総裁)、増田寛也氏(元総務省)などが、記事を書いています。
 11月1日の山極氏の文章を紹介し、また山極氏が昔から、動物のみならず、人間と人間学にも興味を持っておられることを紹介します。以下毎日新聞から。
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 京都南座で「あらしのよるに」という新作歌舞伎を見た。中村獅童がオオカミのガブを、尾上松也(オノエマツヤ)がヤギのメイを演じる。二人とも見事なはまり役である。
 ある嵐の晩に、小屋に逃げ込んだガブとメイが、暗闇の中でお互いの正体がわからないままに話をしながら仲のいい友達になる。翌日の昼に再会を合わせてみたら、食う食われる関係にあるオオカミとヤギだったというわけだ。二人は互いの動物の領域で煩悶する。ごちそうと天敵の関係だ。仲間に説き伏せられて心が折れそうになるが、あらしの夜に友達になった気持ちを優先して手を取りあって進むという物語だ。
 たわいのないファンタジーと言うなかれ。ここには意外な真実と可能性が描かれている。ヤギはオオカミに食べられるものという常識はいったいだれが決めたのだろうか。オオカミはヤギを食べなければ本当に生きていけないのか。ヤギにとってオオカミは永遠に天敵なのだろうか。
・・・
 実は、こうした一見常識に見える絶対的敵対関係を、人間は勝手に作りそして勝手に解消してきたのである。私が長らく研究してきたゴリラはその人間の身勝手な常識に翻弄されてきた。19世紀の半ばにアフリカで欧米人により「発見」されて以来、ゴリラは狂暴なジャングルの巨人として有名になった。人間を襲い、女性をさらっていくという話を真に受けて、多くのゴリラが殺された。逆に中央アフリカの低地ではゴリラは肉資源として昔から狩猟の対象とされている。人間はゴリラにとってオオカミのような存在なのだ。しかしゴリラの平和な暮らしが明らかになると、その見方は一転し、今度は人間の大切な隣人として観光の目玉となった。低地でもゴリラはもはや食料とは見なされなくなりつつある。
 人間どうしの関係でも同じことが言える。江戸時代には、日本人にとって白人たちは人間を食う鬼と見られていた。第二次大戦中、鬼畜米英と呼んで抱いていた恐れと憎しみは一体何だったのか。今だって、テロ集団やテロ国家は抹殺せねばならない存在とされている存在とされている。彼らと平和に共存することは、本当にできないのだろうか。
・・・
 昔から寓話やファンタジーは、動物の姿を借りて人間社会の機微を描きだして、私たちが見習うべき教訓を描きだし、私たちが見習うべき教訓を語りかけてきた。「あらしのよる」から私たちは何を学ぶのか。それは一見とても変更しようのない関係も、気持ちの持ち方で変えられるということだ。知能の高い人間だけに可能な話ではない。野生のチンパンジーも時折肉食する。タンザニアのマハレで50年も研究を続けている日本人研究者によれば近年獲物の種類が変わってきたそうだ。昔はイノシシやカモシカの仲間を食べていたのに、今はほとんどサルしか食べない。これはチンパンジーの狩猟イメージが変わったためだという。
 アフリカでは、人間を襲うライオンもいるが、人間に敬意を表して距離を置くライオンもいる。それは、ライオンと人間双方が長い時間をかけて友好的な関係を築いてきたからだ。私はゴリラが人間の食糧とされていた地域で、武器も餌も使わずにゴリラと仲良くなろうと努力してきた。最初ゴリラたちは私たちを見るなり逃げ去り、追うと恐ろしい声をあげて攻撃してきた。突進を受けて、私も頭と足に傷を負った。しかし、敵意がないことを辛抱強く示し続ければ、ゴリラは態度を変えて人間を受け入れてくれる。10年近くかかったが、やっとゴリラと私たちは落ち着いて向かえ合えるようになった。
 このように友好的な関係になったのは、この地域では、たった1つの群れだけである。他の数万のゴリラたちはまだ人間に強い恐怖と敵意を抱いている。しかしそれがいつか変わる日が来ると私は確信している。それは人間社会にも言えることではないだろうか。ぜひ「あらしのよる」を体験してほしいと思う。
 ◎以上が山極寿一氏の「時代の風」の文章です。以下は筆者の感想です。
 オオカミは人間と違いものすごく嗅覚がききますから、暗闇でもヤギの臭いなどは、すぐわかってしまうでしょう、などとは考えないことにしましょう。
 9月27日にも「都市と故郷」という文章が書かれています。「時代の風」は2010年7月から始まり、2012年の5月20日から山極氏も書き始めました。
 山極寿一氏は、1952年に東京で生まれ、京都大学を卒業し人類進化論研究室に所属しました。京都大学の霊長類研究は今西錦司氏から始まり、伊谷純一郎氏、河合雅夫氏などに引き継がれてきました。霊長類を名前を付けて長期にわたって自然な姿を観察するなど世界的に見ても大変ユニークな研究です。
山極寿一公式ウェブサイトによれば、研究テーマと対象は、次のようです。
1、ニホンザル社会の種内変異
2、ゴリラの社会進化と生態学的適応
3、ゴリラとチンパンジーの種内関係
4、家族の起源とホミニゼーション
5、博物館的手法による野生動物保護
そして2014年の10月には教職員の推薦により学長になりました。人望もあるのですね。
 インターネットで山極寿一氏で名前を検索すると、いろいろなものが出てきます。たとえば。
 ◎山極寿一京大総長の名言bot-「名言録]がありますが
専門領域に閉じこもるものではなく新しい発想を生みだす土壌を持たないと専門分野が広がっていかない。文芸や職人の世界、ものづくり文化が必要で、京都が持つ強みを生かしていきたい。
 みえを切れば戦いが起こるわけでなく、ドラミングはむしろゴリラのオスが戦わないで面子を保って引き分ける用いられるための方法で、これは勝負をつけずに緊張した場面を免れる引き分けのために用いられる。
・ 
 ほんのわずかを出してみましたが、単なるゴリラの研究にとどまらず、社会の問題について深い関心を持っていることがわかります。非常に幅広く文章を書いています。芥川龍之介の文章で、「桃太郎の鬼退治の話が出てきます」一方的に鬼が悪者で、退治されるのは当然と考えるのは、問題だ。鬼の立場でも見なければいけないというのです。これと同じような文章は他でも見ました。山極氏は鬼の立場から考えています。
 興味がある方は、直接いろいろ文章を読んでいただけるとよいと思います。
 筆者も生物学出身で、人間学を目指してきましたが、相対的に人間の立場を考えるという点において、山極氏と同じです。「こういちの人間学ブログ」においても、その観点でいろいろ書いてきました。「桃太郎の鬼退治」の問題も書いてきました。退治される、鬼がかわいそうではないかとという文章の紹介。スターウオーズにおいて、敵方は悪人だからを星ごと全滅させてしまっても平気なこと、渡来民族は在来の竪穴住居の縄文人を土蜘蛛とか、鬼とかいって、征伐していったこと、などを書いてきました。また支配層は被支配者の不満をそらすために外部に敵を使って戦を起こしてきたことなどを書いてきました。中国、韓国、日本の関係も極度な国内の不平等格差の広がりによる不満をそらすために外部に敵を作っています。
 人間学は宇宙レベルから、ミクロの世界まですべての存在の中の一部として、人間を総合的、相対的に捉えます。一時筆者もネアンデルタール人のことを専門に取り上げましたが、ホモ・サピエンスたるわれわれを相対的に見るには必要なことです。
 生物学などからより広く人間を相対的に見ていくこと、その表れが山極寿一氏が総合人間学会にも所属し、いろいろ文章を書かれていることでもわかります。
京都新聞に「日本のサル学のあした」霊長類学という「人間学の可能性」という文章を書かれたり、2010年の総合人間学会の「戦争を総合人間学から考える」でもニュースレターに書いています。その他いろいろ総合人間学会に文章を書かれています。
 これは、はじめに今から50年前に小原秀雄氏と私などが、人間学研究会を始めたときから、小原氏が今西錦司氏のころの京都大学の霊長類研究所とのつながりが大きかったことからもいえます。
 野生動物の保護を進めている、野生生物保全論研究会でも、山極氏は理事として活躍しておられます。野生生物保全論研究会は総合人間学会の前会長の小原秀雄氏がやはり前会長で、名誉会長になっています。小原氏は人間学研究所の名誉所長であり、人間学研究所の副所長の岩田好弘氏も野生生物保全論研究会の顧問となっています。
 興味のある方は、ぜひ引き続き、山極氏の文章を読んでいただければと思います。
2015年11月14日追記
 京都大学の学長選挙の時、たくさん「学長選挙で山極氏に投票しないで」というビラが貼られたそうです。学長になって,雑務に追われると研究が進まなくなるからということからだそうです。
・「サル化する人間社会」集英社インターナショナル、2014年7月
 人間は平和的なゴリラと、争いあうサルの両方の性質を持って
  いる。人間はゴリラからサルのほうへ傾きつつある。
 サルは序列社会である。そしてサルは食べ物を分け合う
  ことができない。
 ゴリラには勝ち負けが付かない、うまく引き分けをする、
 ゴリラは遊ぶことが大好きである。
  ゴリラは家族を中心とした社会を作っている。
追記
 2015年の12月11日の、インターネットの記事です。
ロシアのウラジオスティックの動物園で。生餌として与えられた雄ヤギと、オスのアムールトラが、仲良くエサを食べたり遊んだりして話題になっているそうです。普段から虎は十分な餌をもらっているそうですから、ヤギを餌として襲う必要がないのでしょう。
 

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