焼け跡の「戦後の貧民」,70年前の日本人たち 塩見シリーズ完結。”駅の子”の放送
2015年9月20日、塩見鮮一郎氏の『戦後の貧民』が文春新書(800円+税、文芸春秋)として出版され、「貧民シリーズ」が完結しました。筆者のブログでも 『江戸の貧民』、『貧民の帝都』を紹介しました。『中世の貧民』はまだ紹介しておりません。
昭和20年夏、敗戦。焼け跡から立ち上がる日本人は逞しかった。復興マーケット、闇市、赤線、…7歳で終戦を迎えた著者だから語りえた、あの時代の日本と日本人!
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この本のカバー裏にかかれている言葉です。昭和18年2月に生まれたブログ著者は、戦前の様子また戦争直後の状況を知りません。しかし戦後の混乱期は、自分自身で見聞しています。
この写真は檻に入れられた浮浪児たちです。
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まえがき
有史以来、庶民がもっとも貧困に喘いだのは、このときである。
そう遠いむかしではない。
すぐそばのことだ。数千万の人が絶望的な飢えと病気にさいなまれ、路上にうち伏して夜をすごした。水を求め、まだ熱くくすぶっている焼け跡をさまよった。読者の近親や知人に、その時間と空間を生きた人をまだ見付けることができるかもしれない。
7歳のわたしは死がすぐそばにうずくまる赤土の焼け跡にたたずむだけであった。
無残な破壊の意味を問う余裕はなかった。
少年のわたしが見た「リアルな残虐の世界」を、二十一世紀の「豊穣の幻影の社会」にうまく伝えることができるのだろうか。蚤に食われ、虱にたかられ、皮膚病にくるしんだ現実こそが大事であった。何日も風呂に入れない。病院は燃えて医師はどこかへ逃げている。赤痢やチフスなどの伝染病が蔓延する。
下痢がやまない子がいた。
わたしもそのひとりだ。
悪趣味にならないように注意しながら、史上最悪の日々の片鱗を書きとどめたい。
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序の章 占領
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第1章大移動の始まり
兵士の帰還
闇市の成立
バタヤ部落とアリの街
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第2章米兵慰安婦と売春
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GHQと特殊慰安施設協会
夜のパンパン
東京の赤線と青線
戦争未亡人
親なきこと混血児
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第3章さまざまな傷痕
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伝染病の蔓延
見捨てられた皇軍兵士
原爆被災地の地獄
厳寒のシベリア
戦後の部落
今世紀になって出現した「ヘイトスピーチ(憎悪表現)に意表をつかれた思いがした。政治的な背景があるのだろうが、「韓国へ帰れ」とか「朝鮮人は死ね」などという言葉が白日の街頭で聞かれるようになった。新宿区新大久保の路上にあらわれた黒い集団は、日の丸や旭日旗を掲げて怒号した。わたしは耳をふさぎ、目をこすった。信じられない。在日朝鮮人がさまざまな特権を与えられていると妄想したのか、わざと誤伝しているのか、いずれにしても貧しい精神だ。かなしいのは、かれらもまた社会から相応の評価を与えられないまま堪えがたい日々にいることだ。かしこいメフィストが憤懣のはけ口の弁をあけて、閉塞感からの解放をすすめた。社会の常識に挑戦しろ、言いたいことをいえ。裏返った旧左翼みたいだ。奈良県の水平社博物館の前の広場にやってきて、拡声器を使って街宣をする。
「ド穢多どもはですねえ、慰安婦イコール性奴隷だと、こういったことを言ってるんですよ。文句あったら出て来いよ、穢多ども。〜」199
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ほんの一部だけあげておきました。他は表題だけをあげておきます。詳しい本の内容はおいおいに書いていきます。
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あとがき
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「闇市にゴミは出なかった」
このフレーズは物資がいかに欠乏していたかを如実に物語っている。
日本軍がアジアの国々に支配を広げて略奪した歴史をもっとはっきり学校で言うべきだ。戦力を誇示し、武器で農民をおどして満州国を作り抵抗する農民を「殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす「という三光作戦で残虐を極めた。そのことを、ちゃんと教えなければおかしい。
戦後に生まれた子は何も知らされていないから、70年も過ぎたのに、中国や韓国が『反日の言辞』を述べるのが得心できない.不当にいちゃもんを付けられたように錯誤している。相手が無理難題を執念深く言いふらすので、ひとりいら立ち「厭中嫌韓」の感情に閉じ込められた。わたしが少年のころ「大東亜戦争」がなにかを教えられないまま「軍国少年」になった姿と、今反韓を唱えている若者は似ている。
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◎この本を書いた塩見鮮一郎氏が、『貧民シリーズ』を書いたエネルギーは戦後間もない時期の、「有史以来、庶民がもっとも貧困にあえいだのは、この時である」
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◎戦後から現在に至る、新大久保での、、筆者が実際に見聞した状況については、前に書いた下記のブログに書きましたので、そちらをご覧ください。
「貧民の帝都」隠蔽された東京―新大久保にあったスラム」
1、簡易宿泊所
今も、山手線の線路際などに少し残る、以前は街中にたくさんあった。一部屋を3段ぐらいに仕切ってベッドがある。この前火事になって問題になったが3畳ぐらいを2つに変形した形に仕切った部屋が出てきた。
2、バタヤ部落
新大久保にあったものは撤去された。公営住宅やマンションなっている。廃品回収や、日雇い労務者。
3、今もいるホームレス
戸山公園や新宿中央公園などにビニールシートで作ったテントがたくさんあった。今は追い出されている。アルミ缶の回収などで生計をたてている。自動販売機を回り、お釣りの取り忘れ、販売機の奥に入ったコインを回収する。
4、乞食
新大久保のガード下など。ひどく腰の曲がったおばあさんの乞食がいたが、強制的にどちらかの施設に収容された。
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◎一見、身ぎれいな格好をしていても、最下層ぎりぎりの生活をしているワーキングプアの人々が増えている。正規労働者が減り、非正規労働者が増加している。
2014年の師走の総選挙で政権与党は雇用が100万人増えたと喧伝していたが、そのうち正社員はどれくらいかというと、実は減っていた。
2012年7月から9が月の正規労働者は3327万人だったが、2014年7月~9月期は3305万人で22万人の減。逆に同期間の非正規労働者は1829万人から1952万人へ123万人の増。差し引きで101万人増加したというだけだ。
「今日からワーキングプアになった」から。
-底辺労働にあえぐ34人の姿
増田明利、平成27年11月刊、彩図社
増田明利の本シリーズ
今日、ホームレスになった
ー15人のサラリーマン転落人生
今日、ホームレスになった
-平成格差社会論
今日から日雇い労務者になった
-日給6000円の仕事の現場
今日。会社が倒産した
-16人の企業倒産ドキュタリー
彩図社
◎戦後70年たっているが、貧困の状態は変わらない。仕事が厳しく、精神的に病んでいる人も多い。一部の富裕層はますます富栄え、格差は増大している。
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最近新大久保では最下層で汚い身なりをしたホームレスが、目に触れにくくなって居るがどこかに追い払われただけです。新大久保でも部屋を細かく区切った部屋などが作られ、火災の発生などで死者が出て問題になったりしている。現在は様々なかたちの非正規社員が増えている。(「今日からワーキングプアになった」など。)中年でもどんどん非正規者社員となっていることにより、やって生活している人が増えている。これでは結婚など不可能であり、人口など増えようがない。
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塩見鮮一郎氏の著作とそれに関するブログ
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「貧民の帝都」隠蔽された東京-新大久保にあったスラム
『貧民の帝都」 塩見鮮一郎、2008年9月20日、文春新書
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「部落差別の根源、穢多と非人とは、-『江戸の貧民』から
『江戸の貧民』 塩見鮮一郎、2014年8月20日、
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『中世の貧民』説教師と廻国芸人
塩見鮮一郎 2012年11月20日、文春新書
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NHKのおはよう日本で、2015年8月15日(土)同じような内容がテレビでも最近放送されました。
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「”駅の子”の経験を 子どもたちへ」
終戦の日で、戦争孤児の問題を扱っています。
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太平戦争末期、空襲などによって親を亡くした「戦争孤児」、全国で12万人以上板とされています。戦後、孤児の中には駅で暮らす子どもたちがいて、”駅の子”と呼ばれることもありました。
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苦しかった戦争孤児の体験を、若い世代に伝えてほしいという動き。
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奥出広治さん(76)戦争孤児、京都駅での暮らしを生徒たちに話す
「今、日本が戦争に巻き込まれるとか巻き込まれないとか言う話が出ているので、今の若者に、戦争とはどういうものであるか知ってもらいたい」
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「例えば1日に1回だけサツマイモ、生のまま、それを駅のトイレで洗って丸かじり」
「一番つらかったのは、僕の父が僕のそばで死んだこと」
「死んだといってもまだ完全には死んでいなかった。虫の息だったが死んだとみなされて、職員が担架に乗せて乗せて連れていく」「人間の死体を山のように積んでいる」「そこにポイとほかされて、その時が一番つらかった」『結局、戦争をしたら絶対いいことは残らない僕らみたいな惨めなもの〈を生みだす〉僕は戦争の体験は無いけれど、戦争の被害者」
「孤児になったのは6歳の時、駅で物乞いや靴磨きをしながら、飢えをしのいだ」
「駅には同じような子がたくさんいました」
「その後民間の施設に保護され、駅の暮らしからは解放されたが、寂しさは消えず、両親の面影を求めて何度も施設を抜け出した」
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立命館宇治中学校の本庄豊さんが教室で奥出さんの話を子どもたちへ
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◎筆者は幸い家族もそろっていたので、新大久保周辺がすべて戦災で丸焼けとなり、そこでバラックを建てて住んだが、駅に住む浮浪者に比べればはるかに恵まれていた。しかし、新大久保の周辺でのバタヤ部落、簡易宿泊所、などのきびしい生活の状況は良く知っていた。その貧困の厳しさは、現在もつづいている。前に書いた「貧民の」帝都に関するブログに書きました。
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コメント
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とら猫イーチ様
コメントありがとうございます。新大久保にあったスラムがいや簡易宿泊所の様子は前に書きました。
最近新大久保周辺で乞食や浮浪者やビニールシートに住む人は見当たらなくなりました。しかし、それは、そういう人がいなくなったのではなく、目に触れないようにしただけでしょう。格差は広がっているように感じます。
新大久保の街並みは韓流ブームがあり、それがさびれてベトナムや、イスラム圏の店が増え、多国籍化しています。コンゴの店まで入っています。家賃は下がっています。駅から離れた店は閉まったままです。今後どうなるのでしょうか。でもましなほうです。
館山に一時いましたが、郊外に大駐車場がありイオンやニトリ、ヤマダ電機、レストランなどすべてそろっていました。駅の周辺はひどくさびれています。大量仕入れ、大量販売するものが勝ち残っていきます。全国がそうなってしまっています。
人口が減少し誰も住んでいない老朽化住宅がどんどん増えているのに、高級高層マンションが増えています。新大久保には1室に何人もの外国人がぎゅうずめで交代で住んでいます。
格差がどんどん広がるような今の政策はひどいものです。
投稿: こういち | 2015年12月 1日 (火) 09時31分
私の幼児期にも、悲惨な貧困は、すぐ其処にありましたよ。
進駐軍(米軍)が撤収した跡地の飛行場に、バラックが建てられて、其処に多くの浮浪者が集まり住んでいました。
飛行場が再建されてバラックは壊されてしまいましたが、浮浪者は、直ぐには無くなりませんでしたし、今も、大阪の街には、其処此処に居られます。
郊外でも、大きな公園の隅に、ブルーシートで住まいを作り住んでいる人たちが居ます。
私たちの生活も、昭和30年代の中頃までは、住まいは別にして、あまり変わらないものでした。
食事内容は、今と比べて、質素と云うよりも、生きることが出来る程度のもので、小魚と野菜があれば良い方でした。 肉等は、食べようにも入手出来ませんでした。
大阪市の郊外では、交通の事情も悪くて、生活必需品が手に入らずに、電気は、始終停電して、水道は無しで、下水道等は、見ることも出来ませんでした。 ガスが無かったので、炭や牧を燃料にしていました。 亡母が大阪市の平野出身でしたので、田舎での生活は大変だったと思います。
今、また、貧困が広がっています。 大阪市の中でも、街並みが汚れ、住民が老齢化し、商店街にシャッター通りが出来て、昭和30年代を思わせるところが出来て来たのです。
その昔、亡母とともに歩いた街並みがそのままあるところが沢山あり(出来て)、自分だけが老齢になったのが不思議です。
こうした感覚は、1970年代から1980年代には、全く無かったのですが。。。
何か、街並みが薄汚れて、活気も無くなり、土木・建築物の新築・改築も少なくなり、街が老いたのでしょうか。 人間と同じですね。
投稿: とら猫イーチ | 2015年11月30日 (月) 23時33分