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2016年1月 7日 (木)

巣鴨のお地蔵様と商店街へ、赤パンツの店、電動車いすで、おみくじのことも

 2016年1月5日(火)巣鴨のお地蔵様とその商店街へ行ってきました。電動車いすを借りるようになって、初めての、電車に乗ってのお出かけです。いつものように隔週の火曜日の午後、ヘルパーの斉藤さんについていってもらいます。
車いすで電車へ1人で乗るのは難しい
 午後1時ちょっと前に斉藤さんは来ました。自宅から高田馬場まで電動車いすで走ります。いつもですと車椅子を押してもらうのですが今度は見守りだけです。山手線の下をくぐる急な坂も難なく上れました。高田馬場駅では山手線の電車とホームとの間が5センチほどあり、そこは、電動車いすでは無理なので、斉藤さんに持ち上げてもらいました。一人で電車に乗り込むには駅員さんに助けてもらうようです。そうすると、降りるときにも駅員さんがホームで待っていてくれて下してもらうようです。足が悪くて両腕にちゃんと力が入れば車いすでも一人で乗りこめるでしょうが、片麻痺ですと難しく、電動車いすでも危なそうです。
巣鴨のお地蔵さん
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巣鴨のお地蔵さん本堂の入り口です。
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観音様を洗うための行列
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観音様はかすかに見えて居ます。
 巣鴨のお地蔵様には10年前ほど前に母親と家内などで来たことがあり、その前にもきましたから、3回目ぐらいです。巣鴨駅を降りると目の前は白山通リ〈中山道)です。このあたりは江戸時代、交通の要衝で、トゲぬき地蔵(延命地蔵菩薩)で有名な高岩寺や、江戸6地蔵とといわれた真性寺また、巣鴨の庚申塚があり、道祖神が祭られているとともに猿田彦の神様も祭られています。山手線の巣鴨駅と、庚申塚のある、都電の庚申塚の駅の間が、おばあちゃんの原宿として有名な、巣鴨地蔵通り商店街です。
 地蔵通りのバリアフリー情報を見てみると、お年寄りが多いせいか、バリアフリーは進んでいるようです。車イスOKのトイレは地蔵尊脇やアトレVie5F,駅の内外などにあります。地形的にもフラットであると書いてありました。
昼食はお地蔵様脇の鶴ずし
・鶴ずしのメニューの一部です
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 事前に飲食店のホームページを見て巣鴨のお地蔵さんのすぐ脇にある脇道を入った道路のエチゴヤ洋装店の2階にある和風創作料理の鶴ずしにしました。
 事前にインターネットで色々調べました。かば焼きの八つ目やにしむらや、割烹加瀬政、5日休みですが、ラーメン屋で初めてミシュランの一つ星がついた蔦(つた)などがあります。込み具合や車いすOKということで鶴ずしにしました。
 サーヴィスコース、8品、3800円(税抜き)を頼みました。寿司のほかにコロッケのような揚げ物もある料理です。お正月なので、ビールと久保田碧寿1合を2人でわけて飲みました。味はまあまあいいかな、という感じです。帰り、エレベーターが点検中で、おぶってもらって下へ降りるようかなと言っている間にエレベーターが動き始めました。
 食事の後、とげぬき地蔵へ、人気の洗い観音は行列でいっぱいでした。以前母親などと着て母親が観音様を洗った時は古くて、たわしでこすっているためかたちが崩れていました。7年ほど前に新しい観音様になり、たわしでなく布でこするように変わって居ました。まだピカピカの新しい観音様です。
トゲぬき地蔵とおみくじ
 
 高岩寺の本尊は延命地蔵菩薩で秘仏です。お札でさすったり飲んだりして病気や刺さったとげを抜くようにお願いするようです。観音様は混んで居て、本堂へも車いすでは上がれんません。斉藤さんにお神籤を買ってきてもらいました。結果は第40番の吉でした。普通、木の枝やおみくじを結ぶ場所で結んでくるのでしょうが、本来吉か凶かの結果だけでなく教えを参考にして行動するための指針とするべきだといいます。
 筆者はおみくじを収集していますので持ちかえりました。
 全体の運勢は吉で、
「このみくじにあうひとは、善は栄え、悪は亡びるという形の運勢である。悪も盛んなれば天に勝つとは言うが、結果は必ず滅び去る運命である。しかし善の栄えには必ず障害がある。これを乗り越えることが必要である。この為には一時的欲望に目をくれてはならぬ。正直の頭に神が宿るという金言を、誘惑に負けず、只管(ひたすら)に正しい道を歩むことである。必ずや成功を勝ち得て、喜ばしい生涯が開けてくる、誠実な一歩一歩の歩みこそ大切である。」
とあります。
 そして下の行は「願い事」から始まり、「出産」まで14項目の運勢が書かれている。吉だからといって、すべて良いわけでない。「願い事」は、「心と行為が正しければ、いかなる障害も恐れず突き進むべし。一時苦境はあっても後必ず願望は成就す」このあたりで吉となるのでしょうが。「訴訟」は、心正しければ必ず勝、不正の時は負けて身を滅ぼす。「恋愛」、色情、欲望等あっての恋愛なれば身を滅ぼす。という具合に戒めの言葉となっています。また、たとえば、「旅行」は「旅行は半吉なり、途中争いが起きる故注意すべし」となっています。「待ち人」は「途中に手支障があって遅れて来るべし、吉報無し」。といい内容ではありません。「病気」は「心静かに療養すべし、医薬を用い、信仰すべし」というぐあいです。
 全体に戒めの言葉になっていますが、普通そういうところを見ずに、吉とか凶とかだけを見てみて、どこかに、結んでしまうようです。
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 全国のおみくじの7割は「女子道社」で作っていますが、このとげぬき地蔵さんのおみくじはオリジナルなようです。
 筆者はおみくじを全国そして、台湾や横浜の道教寺院のおみくじなど70種類ほど集めています。
2013年に書いたおみくじに関するブログもお正月になるとアクセスが増えます。
「神田明神、湯島天神、徳大寺、お参りとおみくじ」
「おみくじについて、2013年「二宮神社」、タイの子どもの名を決めるおみくじ」
商店街でお土産を買う
地蔵通り商店街です。かなり長い商店街です。端まではいきませんでした。
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1月22日のNHKニュースで、このお店のことを放送していました。
今年は申年で赤いお尻にちなんで、赤いパンツが売れるそうです。
巣鴨のマルジさんです。日本一の赤パンツとのことです。家族全部に贈って見たり、こどもが赤いパンツをはいて逆上がりにチャレンジするなどが放送されていました。
1月5日もずいぶん混んでいました。
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 地蔵通りを電動車いすで走りました。道の途中で引き返しました。古くからの色々な商店があります。全部赤いパンツやシャツを売っている店もあります。丸天という練り物の店でさつま揚げを、いも菓子専門のお芋やさんで大学芋と芋のたるとや、塩大福などを買いました。夕飯の足しでお稲荷さん3つなどです。普通なら佃煮が大好きなのですが、家内から塩分控えめといわれているので買うのをやめました。お菓子を買ったところで猿田彦神社の御宝銭をもらいました。中にひもで結んだ5円玉が入っていました。
 家に帰ってから、塩分が高いしカロリーオーバーだといわれ、少し口げんかになりました。
練り物を夕飯で少しと塩大福は1つを2人で食べ、1つは冷蔵庫へ、あとは自宅へ来た息子にあげたのでしょうか。ベッドのわきにある冷蔵庫には入っていません。一応気を付けているのですが、カロリーオーバーと塩分高いとよくいい争いになることがあります。
 

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コメント

とら猫イーチ様
 いつもコメントをしていただきましてありがとうございます。

 住吉大社に行かれたそうで。インターネットで調べましたら、神功皇后の頃からの由緒ある神社で、住吉神社の大元で摂津の国一の宮なんですね。建物も立派です。多くの方が参拝に行くようですね。いろいろな思い出が浮かんでくるところのようですね。前に行かれた加賀屋商店街に行かれるそうですが、良い商店街なんでしょうね。

 それに比べますと巣鴨のお地蔵さんは、お地蔵さんとしては大きいほうですが、たかが知れています。
 おばあちゃんの原宿としての方が有名です。他で売っていないおばあちゃん向きの服などを売っています。たわしで痛いところをこするために、母親のつき添いで前二回ほど行きました。

 こういち 様

 明けまして、おめでとうございます。 

 本年もよろしくお願いいたします。

 さて、電動車いすでの、発の電車での外出。 お正月らしい場所ですね。

 巣鴨のお地蔵さんは、地蔵と言うには、規模が大き過ぎ、地方の神社ほどもありますね。 それ程に、信仰を集めている、と云うことなのでしょうね。

 私は、四日に、住吉大社へ行って来ました。 

 何十年も行っていませんでしたが、亡父母と叔父等と一緒に、阿倍野から阪堺電車で行ったのを思い出しましたし、私が職場の同僚たちと行ったことも思い出して、行きました。

 人出が凄いので、お参りを早々に済ませて、南海線沿いにある粉浜の商店街を歩きました。

 商店街は、賑やかで、其処で、「住吉っさんの特上巻」と名付けられた巻きずしを買いました。 

 四十年程も前に勤務先の同僚、若い女性たちと歩いた商店街です。 他の寂れた商店街と違い、賑やかで、どの店も繁盛しているようでした。 

 ちきゅう座に書きました思い出の他にも、沢山の記憶を思い出していまして、住吉大社近辺での、亡父母との記憶も、歩きながら思い出しました。 

 単に、思い出を紐解くのではなくて、その現場に行ってみますと、思い出せなかった事々まで、鮮明に思い出せるようでした。

 記憶を辿ると、昭和30年代半ばの亡父の家探しは、住吉近辺までに及んでいたようでした。 

 粉浜商店街へ父母と行ったことはありませんでしたが、近郊の玉出商店街や、加賀屋商店街へ行ったことを思い出したのです。 

 この週末には、その加賀屋商店街へ行く予定です。

 母親の思い出は、尽きることが無いようです。 続編を書かねば、と思っております。 

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