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2016年4月

2016年4月30日 (土)

母が96歳で死去しました。優しかった母の思い出。浄土真宗のお葬式

 
 母が2016年4月22日、96歳で老衰でなくなりました。
あと半月ぐらい生きていれば97歳でした。天寿を全うしたと言えるでしょう。
 4月28日がお通夜で、翌29日が告別式でした。
菩提寺での葬儀では筆者は車いすでは困難なので、落合の斎場にしてもらいました。
母の生い立ち
 母は大正5年5月12日に荒川区尾久で生まれました。父は金子幸作,母は金子タケです。生家は大変繁盛していた青果店だったそうです。子どものとき荷車を押すのを手伝ってよくお小遣いをもらったこと、お店が繁盛して、札束を足で踏んで固めるほどだとよく母は自慢していました。後年母がだいぶ認知症がひどくなってきたとき、面会に行った私をよく死んだおじさんなどとまちがえました。
 兄弟は大変多く、6人兄弟の長女です。兄1人と妹4人です。
 母の兄は中国へ兵隊として行き、そこで、父と親友となり、妹と結婚してくれ、そうすればずっと義理の兄弟でいられるからということで、一番上の妹、すなわち母と結婚しました。
結婚したのは昭和18年3月1日です。筆者が生まれたのは2月20日ですから、子供が生まれてから入籍したことになります。父はその後2度目の招集となり中国へ行きました。前半は満州へ、後半は中国の地です。父は8年近く戦争に行き何とか生き延びましたが、母の兄、は戦死しました。戦地で小人数で巡回しているときに匪賊に襲われ、死骸も何も残らなかったそうです。
 母の実家の出身地は新潟です。金子家と渡辺家が先祖です。母方の先祖に、体の大きな人がいて、鴨居に頭をぶつけるようだったそうで、村相撲の大関を張るほどだったそうです。体が大きくなり太りやすい遺伝子が母に伝わり、私や妹に伝わり、さらに子供たちにも遺伝したようです。
父方の祖先について
 初めに東京に出ていた息子(祖父)を頼って曽祖父が新潟の長岡から出てきました。そこで東京で桶屋を始めました。ところが、曽祖父、曾祖母ともにひどいばくち打ちだったそうで、祖父は大阪へ逃げ出しました。
 筆者の祖父と祖母は大阪で結婚し、長男が生まれました。ついで父は2男として大正6年5月15日大阪の東成郡榎本村で生まれました。新宿の大久保の地で桶屋をやっていた曽祖父傳蔵が大正11年に亡くなり、祖父母一家は仕事を引き継ぐため新宿、大久保の地に戻ってきました。仕事は桶風呂の製造販売、井戸堀の仕事です。関東大震災のとき大久保の地は家屋と火災をまぬかれ、多くの人が下町から引っ越してきたそうです。
 父についての話は、父が平成21年12月18日に亡くなったときにブログに書きました。
2009年12月25日
 大正、昭和、平成時代を生きた父の死、1
2009年12月26日
 大正、昭和、平成時代を生きた父の死、2
 祖父母が大久保の地に戻ってきてから、昭和15年に長男の房次郎は井戸掘りをしているときに酸欠事故でなくなりました。父も同じ井戸で倒れ九死に一生を得ました。この事故は当時の新聞にも載ったそうです。
 祖母はとても頼りにしていた優秀な私の伯父を家業の井戸掘りでの酸欠事故で亡くしました。とても優秀だったらしく薬専(薬科大学)へ行きたかったようで、またそれに入る優秀さもあったようです。祖父母としては大変落胆する出来事だったとおもいます。私の父は勉強が嫌いで小学校しか出ていませんでした。
 それで祖母としては唯一の跡取り息子である私を大事にしたようです。なかなかしっかり者の祖母としては、のんびりした母に任せておけないという気持ちが強かったのです。そして私はかなりひどくおばあちゃん子になり、息子は祖母にとられたようにかんじていました。その反動で妹は両親のほうに全く任せるという形になったのです。
  祖母は98歳で亡くなる寸前にも見えている幻覚を私だけが見えるんだねというほど、しっかりしていました。のんびりした母とは合わないところがありました。
 ですからいろいろと家の中の確執を強く感じていました。母としては妹がかわいそうだと言い続けましたが、祖母は私を跡取りとして大事にしているのであって、両親に疎まれていた私は寂しい思いをしていたものです。後年そのようなことを母に言いましたら、そんなことは考えもしなかったそうです。
 妹は職人や商売の家では高校などでなくてもいいなどと両親ともに言っていましたが、私が強く言って高校に行かせました。それはお兄さんが言ってくれたからと妹が言っていました。兄妹は大きくなってからは確執はなくなりました。
戦後の家の状況
 戦後、木風呂を製造していたころは家族が多いうえに、住み込みの職人さんも多く、食事の時間は大変でした。祖父母、両親、叔父と叔母、兄妹、それから住み込みの職人さん5から6人、そしてお手伝いさんまで一緒に住んでいました。大きな食卓を二回に分けて使います。職人の早飯で早く食べて席を開けなければなりません。私なども早くなります。早飯食いの癖はずっとついてしまいました。お爺さんだけは家長として別のところで食べ、お酒とカニ缶などの酒のつまみがつきます。あとはみんな一緒の食事です。家族団らんなどはありませんでした。母はなかなか料理は上手でした。家族団らんなどとは縁遠かったのです。
 
 私がその後結婚し、妹も結婚し、店舗兼住居のビルができてから、私たちは5階に、両親は3階に住むようになりました。妹が結婚してからも、妹から見ると、私のお父さん、お母さんよ、という気持ちはつづいていました。
 私の両親は子供たちを連れてどこかへ遊びに連れていくということはほとんどなく、どこかに家族連れで4人で泊りがけで行ったという記憶は1度もありません。おばあさんに遠慮してということもありましたが、おばあさんがなくなった後も変わりはありません。父は子供をどこかに連れていくなどということはありませんでした。
 父は若い時からの写真を見せてもらいましたが当時としては背が高いほうで、騎兵になりました。奥目な方でやや西洋人風な顔立ちをして、ゲーリー・クーパーに似ていると言われたと言っていました。お母さんもお父さんが大好きでしたが、キャバレーなどに行ってもてているのをやきもきしていました。
 母は、とても優しいのんびりした性格で、筆者の妻などにもとても優しく接してくれました。優しいお母さんでよかったと、妻は常づねいっていました。半面商売などに口を出すことは全くありませんでした。
 筆者が、自分の会社に入って間もなく、専務となり、東京ガス部門はほとんど私の担当となりました。木風呂の製造販売は戦後まもなくはたいへん盛んでしたが、次第に木風呂は作らなくなり、仕事の大部分は、東京ガスの下請けの仕事になりました。社員の80人ぐらいになり、建築リフォームの仕事も売り上げの4割近くになりました。
 その後、筆者が社長となり父は会長となりました。
 その後、1997年9月、母がクモ膜下出血を起こし入院し手術を受けました。その後遺症がいろいろ出るようになりました。その後退院してからは後遺症があっても父と同居し家事の援助は家内が5階から3階に降りてやっていました。母が病気で倒れる前に祖母はなくなっていましたがその後両親で旅行にも行っていません。母は旅行好きでしたが父は枕が変わると眠れないといって旅行にあまり行きたがりません。母は外国旅行に行きたがっていましたが、ついにどこへも行けませんでした。病気になるのがもう少し遅ければ外国旅行へも連れて行ったあげたのに、と残念なことをしました。
 そして、退院後10数年がたってから、徐々に幻覚や妄想がひどくなってきました。いつも東京音頭が聞こえたり、ビルの外壁をがりがり削っている音が聞こえたり、ついには女性が寝室で寝ているという幻覚まで現れ、父を責めたりします。父もとても耐えられず、2008年4月、妹の住んでいる所沢の近くの老人施設に入ってもらいました。老人施設でも幻覚は出て最初困ったようですが、次第に落ち着いてきました。
 その後父は家の中の事故で92歳で急死しましたが、施設にいて、母には、もうほとんど状況がわからない状態でした。
 妹はよく通って母の世話をしてくれて本当に感謝しています。
しかし、母はだんだん人の顔の区別がつかなくなり、私が行っても知らない人の名前を言ったりします。帰る頃に名前を思い出したりするのですが。ついに妹の顔もわからなくなりました。自律的な食事がとれなくなりましたが、胃瘻をしてかえって元気になりました。施設でも一番の高齢者になりました。
 それが2016年4月22日朝母のところに妹が行った時には何ともなかったのに夕方には急に死去しました。
 お通夜と告別式は前に書きましたが落合の斎場で行いました。筆者は、喪主として、ともに来ていただいた方々に挨拶をしましたが。少し早めに帰らしてもらいました。まだ長時間の参列は困難だからです。
 母は途中で病気になり、不本意でもあったでしょうが、97歳近くまで生きていられたのは天寿を全うしたと言えるでしょう。
浄土真宗のお葬式
 うちは浄土真宗大谷派の専福寺が菩提寺です。浄土真宗のお葬式は、他のお寺のお葬式と少し変わっています。浄土真宗はかなり合理的な考えに立っています。
 多くの仏教でも、神道でも、死は穢れたものとされています。ですから、穢れをはらうためのいろいろなことを行います。いろいろな、仏教、神道のお葬式に行くとその違いはいろいろです。原始仏教では死がけがれているとは考えません。ところが、日本では長い間神仏習合であったため、穢れ意識の強い神道の影響を強く受けたのです。
 ほとんどのお葬式では清めの塩をもらいます。またいろいろな穢れをはらうための、いろいろなことを行います。宗派によりこんなことまでやるのだというのがあります。しかし、浄土真宗ではそういうことをしません。お経を読み、死者は法名をもらい、阿弥陀如来のお弟子になリ極楽浄土に行っているのですから、おめでたいことであり、穢れたことではないという考え方です。だから清めの塩なんてとんでもないことですね。まあ、考えてみたらそうですね。浄土真宗は迷信的なことを否定します。また妻帯しています。浄土真宗は北陸方面に多くの信者がいます。うちは先祖が新潟出身ですから、浄土真宗なのです。ところが東京では他の宗派が多く、お葬式の時に、清めの塩をもらうことになります。また、お葬式では会葬者が右左の参列者に頭を下げますが、そういうことをしないようにとお寺からの指示がありました。お香を3回手で頭のほうに向けて焼香するのではなく、ただ2回そのままお焼香します。祭壇なども花などであまり華美に飾り付けないようにともいわれましたが、花で盛大に飾り、棺桶にも花をたくさん入れたりするべきではないと言われました。花にも命があるのだからと。でも花が好きだった母のために棺には妹の意向でたくさん花を入れましたが。
 このように、浄土真宗のお葬式は他の宗派と少し違ったところがあります。
自宅の仏壇でも、位牌を作りません。法名を書いた掛け軸のようなもの―なんというのでしょうか―を下げます。お墓には卒塔ばを置きません。先代の住職の時はあまり厳密ではありませんが、今の住職は非常に厳密です。
 

2016年4月20日 (水)

近況1、5月人間学例会で話の準備、2、目白でランチ3芳林堂へ4、漢方の医者へ

1、5月人間学研究所の例会で講師、その準備を
 2016年5月19日(木)18時から、人間学研究所の第123回例会と、実用的人間学第83回例会の合同例会を、西戸山タワーホームズN棟集会室で筆者がお話をするために、現在準備をしています。テーマは「どこまで人間と見るかーその2」というテーマで、人間学の根幹をなすテーマです。このテーマは過去の2009年4月の第12回実用的人間学例会で,かって、「どこまで人間と見るか―ヒューマニズムの根源」というテーマで、筆者がお話しをしております。その準備のため、ブログの更新は少し遅れています。
 前回お話ししてからちょうど7年が経過し、いろいろな新しい知見が加わっていることと、2016年以降に研究所に加われた方も多いので、改めて[「どこまで人間と見るか」をお話しすることにしました。
 前回は7ページの文章と3ページの図版でした。今回は8ページの文章と4ページの図版で資料をお渡ししようと思います。今回文章、図版とも凝縮して内容は増加しています。
 増加した部分は、石黒 浩氏の、「アンドロイドは人間になれるのか」という本と、夢枕獏氏の「人間って何ですか?」という夢枕氏が各界の8人に「人間とはなにか」ということを聞いていることの簡単な紹介です。あとは、前回お話しした、現生人とネアンデルタール人との違いを通して、改めて「人間とは何か」を見つめなおそうとするものです。もともとのお話の部分もあり、わずか文章を8ページに凝縮してありますので、最低限の問題提起にとどまります。
2、月2回のお出かけに、目白のフランス料理、「ぎんきょう」へ
 月2回、ヘルパーさんの斉藤さんと一緒に、お出かけをするのですが、初めは、広尾に行って、昼食を食べ、「ナショナル」という外国人がたくさん買い物に来て珍しいものを売っているスーパーに行こうとしました。以前は都立中央図書館に本を探しによく行き、その途中にある、「ナショナル」というスーパーや、有栖川記念公園などにもよく行ったものです。公園に隣接してモルモン教の教会もありました。広尾には各国の大使館がたくさんあり、「ナショナル」の商品の品名には必ず英語表記がついていました。
 しかし今回は恵比寿から地下鉄に乗り換え、広尾駅に、またレストランも多すぎてどこを選んでよいかわからず、今回は取りやめにし急きょ近くの目白にしました。
 目白は半分が新宿区の落合地区半分が学習院などの文京区です。比較的高級住宅もあり、イタリア料理より、フランス料理が目立ちます。
 インターネットで事前に調べて、「ぎんきょう」というお店にすることにしました。ぐるなびなどでの評価を見ると、3点台の低い評価と4点台の高い評価が人により混在していました。
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 目白駅から車いすで郵便局の横を入ってと思ったのですが、気づかず通り過ぎてしまいました。戻ってきて、お店につきましたが住宅街の中で、かまぼこ型の屋根が特徴です。
 前日、予約をしたのですが、11時45分と言ったら、1時半に来てくださいと言われ、斉藤さんにも早めに来てもらいました。しかしお客は他にいず12時過ぎに1組その後、帰るまでに2組来ただけでした。11時半までにというのは意味がなかったのです。
 ランチメニューは2500円から8500円までありました。今回少しおごって6000円のコースにしました。
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前菜です
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魚料理、鮭でしたか鱒でしたか 2人ともこれ
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メインの一つ、ポーク料理 筆者が頼んだ料理
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メインのうちの鴨料理 斉藤さんが頼んだ料理
 前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザート、コーヒーです。それぞれメニューによってプラス500円とか1500円とかなっていて、最低のものでもプラス500円でした。魚は鮭、メインは私はポーク、斉藤さんはカモでした。以前行った神楽坂のル・クロ・モンマルトルというフランス料理店と同じものを頼みました。デザートも標準の一皿にシャーベットとケーキのもので、プラスアルファ―で高いものもありました。
 お店は高級感があるつくりで美術館のような作りになってなっていました。お店の対応は普通です。スープは斉藤さんのポタージュはおいしいようですが、私の頼んだコンソメはおいしき感じず残しました。メイン料理のポークは、神楽坂の、モンマルトルというお店で食べたほうがおいしくがっかりしました。そこはお昼のランチで、前菜、メイン、デザートで、高いほうが2760円です。
 ぎんきょうでは追加の高いものを頼まなかったのですg、2人で赤ワイン1杯づつで合計2600円、奉仕料10%で1640円、消費税1443円で19483円でした。お昼のランチで2万円というのは、病気をしてから今までに一番高い料理で、ずいぶん高いわりにいまいちという感じでした。
3、一人でお出かけ、芳林堂書店へ
 電動車いすで、一人で買い物に出かけました。高田馬場の芳林堂書店は倒産し書泉に買い取られ、名前が変わっているかと思いましたがそのままでした
 買ってきた本は
なぜ疑似科学が社会を動かすのか」石川幹人PHP新書
   「偽科学を見抜くセンス」  新日本出版社と同じ本
 「古代倭王の正体」  小林恵子  祥伝社新書
     ちょっと首をひねるものも多い
 「エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男」
   トリストラム・ハント  筑摩書房
 
 「戦闘技術の歴史5」 東洋編 宅急便で
  いずれ内容は紹介します
4、漢方の医者へ行ってみる
 病気をしてから、麻痺のある右の顔特に瞼がよく痛くなりましたが、眼科的には何ともないと言われ、右の鼻、耳の奥もよくかゆくなります。特に血の巡りが良くなると瞼はだいぶ痛くなります。西洋医学ではどうしようもないといわれました。たまたま、家内が胃腸の調子が良くなかったのを漢方の薬をもらってよくなったというので、私も診察してもらいました。
 その結果顔が赤くなりずきずきするのを抑える薬として、『黄連解毒湯』というのを処方してもらいました。家内は苦い薬をお湯で溶かして飲んでいますが私はカプセル入りをもらいました。朝昼晩と2錠づつをもらいます。どうなるでしょうか。

2016年4月16日 (土)

熊本大地震発生、火山が誘発されないか、川内原発大丈夫?毎日社説追記

熊本地方中心の大地震、阪神淡路大震災並み 
 4月14日に熊本市を震源とした、M 6,5の地震があり、一部地域で震度7を記録しました。その後翌15日0時3分にM 6,4の地震、これは14日の地震の余震とみられていました。ふつう最初の大きな地震の後余震がだんだん小さくなりながら起きるものですが、4月16日の深夜1時25分M 7,3の地震がありました。気象庁によれば4月14日の地震が前震で、16日の地震が本震だそうです。震度は幾何級数的大きくなりM 7,3はM 6,4の10倍(30倍一説では)の強さだそうです。(阪神・淡路大震災とほぼ同じ)
 
追記 4月28日で、震度1以上の地震が1000回以上になったと報じられました。
今度の地震のようにいつまでも余震がつずくのは珍しいことです。
 テレビで連日放送を続けていますが現在進行中でどのくらいの被害になるか想像ができません。震源地は断層に沿ってあちこちに移動し、一部の震源地は大分県に及んでいます。大分県も観測史上初の震度6弱となったそうです。地震はいまだ進行中ですからどうなるかわかりません。活断層に沿って横ずれと縦に線が入って隆起が起きています。
 熊本県活断層ということで、クリックすると、2003年7月の「政府の地震調査委員会」の調査で、布田川、日奈久断層帯で今後最大で最大で震度6強の地震が起きると予測しています。その通りになりました。断層は長さ50キロ、幅20キロに及ぶそうです。今回の地震で上空から映像を見ると長い帯状に断層が表面にあらわれています。
 国土地理院によればM7,3 の地震エネルギーは阪神大震災の約1、4倍に当たるということを発表した。
 阪神大震災のモーメントマグニチュード(Mm)は6,9だったのに対して、今回の地震はMm7,0でした。Mmが0,1増えると地震のエネルギーは1,4倍になります。
 布田川断層帯64,4キロのうち北東部の27,1km、幅12,3kmわたり、3,5mずれたといいます。60センチずれたとも書いたものがあり、その違いは改めて書いていきます。
  南阿蘇村基準点が水平方向に最大で97センチ右横ずれに動いたと国土地理院は発表しました。
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 崩れ落ちた熊本城の瓦屋根です。その後余震が続き、石垣が崩れいくつかの櫓も崩れたり、崩れる寸前になっています。これを修復するには何十年もかかると書いています。
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毎日新聞4月17日号の写真です。わかりにくくて申し訳ありません。
上は活断層のずれのイメージ図です。布田川断層帯が下は左方向へ、上は右方向にずれました。
 真ん中の図は中央構造線断層帯で愛媛県の端に四国電力伊方原発があります。
下の図は従来の地震は最初に大きな地震があり、次第に修復するのですが、今回の地震は本震があり、そこから地震が多発して、特異な形をしています。マグニチュード3,5以上の地震回数では2004年の新潟県中越地震を超えました。18日の新聞によればM3,5以上の地震は最多の165回で、中越地震を超えました。南西側に活動拡大と書いてあります
 今多くの方々が避難していますが、いつまた大きな地震があるかわからず、家にけれない状態です。
 4月18日の毎日新聞朝刊では、トップ記事に「熊本地震20万人避難」と大きく載っています。死者は42人、行方不明者7人だそうです。
地震発生から5日目の夜、夕方8時ごろでも阿蘇や大分県の竹田市でも震度5強となっている。こんなに長引くのはいままで例がないようです。
 避難所がいっぱいで車の中で生活している人が多いです。
 
4月17日の毎日新聞によれば、今回地震を引き起こした断層帯の延長線上に、国内最大級の断層群「中央構造線断層帯」がある。一連の地震活動により中央構造断層帯が刺激される可能性があり「警戒が必要だ」と指摘する専門家もいる。
 奈良県から愛媛県までの360キロを中央構造断層帯と見るが、九州の今回の断層を中央構造線断層帯ととらえる研究者も多い。そのすぐ南側には四国電力の伊方原発(愛媛県)もある。
 「今回の地震に誘発され九州と四国を隔てる豊後水道を震源とする比較的大きな地震が起きる可能性もある。四国地方も含めて警戒が必要だ」と元東京大准教授で国立研究開発法人建築研究所の都司嘉宣氏は話している。
 ◎阪神淡路大震災の状況を保存した淡路島の家を以前、見ましたが,数メートルにわたって断層が生じています。自然の力のすさまじさがよくわかります。
インターネットによれば、今度の地震が東南海地震の引き金となるのではないかと、心配されると、書かれている。
 いずれにしても1995年、1,17の阪神淡路大震災(マグニチュード7,3)とおなじ、、2011年3月の東北大震災(マグ二チュード9,0)に次ぐ大地震です。
 気象庁も他の人も今度の地震の予知などはできず、地震の予知の難しさを示しています。熊本城も瓦が落ち石垣が崩れました。今回の地震は余震が大変多く、初め家の崩れが生じて、それが何回も余震が続くために、家がすべてくづれてしまうという状態です。余震が長引いているのが特徴で最終的にどのくらいの被害が出るのかわかりません。
 大地震で亡くなられた方は16日午後1時現在、25人だそうです。いろいろ被害がわかるにつれ被害が増しそうです。
16日午後5時ごろには、今まで、震度5弱以上の地震が19回もあったそうです。死者も32人となりました。強い余震が長く続くのが今回の地震の特徴です。
 今晩から、大雨が降るようなので、さらなる土砂崩れなどが心配です。
火山活動との関連
 地震とともに恐ろしいのが、1つには火山との関連です。九州には歴史的に火山の大爆発があり、壊滅的な被害がありました。一つは阿蘇山であり、南九州の姶良カルデラと桜島です。すでに、阿蘇山はいままで活動が活発になり警戒レベル2の入山規制がつづいています。今日1か月ぶりに小さい噴火があったそうです。噴煙が1000mも上がっているそうです。その後1500mまで。(100mとも)
この後の火山活動の活発化が恐ろしいです。
 大きな地震の後にはそのあとに火山の爆発が続くことが多いのです。江戸時代の地震と富士山の爆発などがそうです。1707年に宝永大地震があり、その49日後に富士山の大噴火がありました。その有様は今でも宝永火山の噴火口が大きく口を開けていることでわかります。
 ー現在の日本は、地震も火山もかってない活動期にあるのです。
川内原発との関連
 このような状態ですから、現在稼働中の九州の鹿児島県薩摩川内の川内原発が心配されるのは当然です。活発な活火山桜島は原発との距離52キロです。すでに、インターネットではこのような地震でも、大丈夫だということで、川内原発の稼働を続けていて、それに大きな非難が高まっていますが、騒ぎすぎだという意見もあります。
 丸川珠代原子力防災大臣は16日午前中の非常災害対策本部において、川内原発は自動停止させる基準を下回っているので停止の必要なし、大丈夫だと語りました。
 本来川内原発は昨年8月に、2016年3月までに免振重要棟を作る予定が、昨年12月に撤回しています。前の原発事故とまったく同じように、電力会社も政府も極めて楽観的でみとおしのない態度です。
 ただ、原発による発電は何かの災害があったときに取り返しのつかない事態となる可能性があり、今までのようにほかの発電で十分であれば、採算性だけで、原発を動かすべきではないと考えます。
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4月20日夕方 死者は48人、それに行方不明者がいます。直接の死者でなくエコノミークラス症候群でなくなった方が11人。まだまだ増えそうです。震度7は一度だけといっていたのが実は震度7は2回だったといいます。震度1以上は700回を超えているそうです。多くの人が不安で、車で寝泊まりしています。
追記
 菅官房長官は、20日午前の記者会見で、「リーマンショックや大震災級の出来事がなければ、消費税の引き上げを行う予定であり、今回は大震災級ではないので、消費税を引き上げるといったそうです。まだ、地震が収束していないで大変な事態なのに、大震災級でないとは、驚くべき言葉だとおもいます。
追記:4月21日  地震発生より1週間、
 震度1以上21日0時までで累計726回
21日に週刊文春と週刊新潮の新聞広告
週刊文春は
 原発は本当に大丈夫か?トップ特集
 熊本大地震不都合な真実
 停止必要なし丸川珠代担当大臣・原発は素人同然
 阿蘇山大噴火と南海トラフ地震への予兆
 安倍グラグラで自民も激動
  など、政府批判と原発の危険性指摘
週刊新潮は
 熊本地震がれきに咲く花
 前震から本震まで8時間!生死を分けた人間ドラマ
 川内原発停止を言い出した野党「便乗政治家の」の見識
2つの週刊誌は、全く基本的立場が違います
 毎日新聞5面に
 民心、川内停止要求せず
 旧維新側検討、旧民主側要求せず
 意見集約の難しい党内事情を認めざるを得なかった
毎日新聞4月28日社説の要旨
 地震国と原発―常に用心深くありたい
予測不能の現実認識を
 いつ、どこで、大きな地震が起きてもおかしくない。しかもそれを予測することはできない。熊本地震が突きつける地震大国・日本の現実である。
 地震で川内原発、伊方原発について懸念の声が上がっている。リスクはこの地方だけではない。にもかかわらず政府は「原発回帰」を進めようとしている。
 すべての地震が電力会社や規制委の想定に収まるとは考えられない。
地震に限らず、規制委の基準をクリアしたからと言って原発の安全が確保されたわけではない。
安全神話に戻らずに
 九電は免振重要棟新設を撤回したが、地震に対する油断がないか再考してもらいたい。
「福島のような事故はもう起きない」という安全神話の再来を懸念する。なしくずしの「原発回帰」は認められない。
 地震国として、原発の過酷事故を体験した国として、用心深さを忘れてはならない。
 
 

2016年4月 7日 (木)

新大久保最近の変化、ベトナム、ネパール料理店他が増え、人口も1年で3割近く増加

2016年4月6日、一人で電動車いすで大久保の街を走ってみました。
6日は新大久保駅から山手線の内側の地域を回りました。
 
 2016年4月1日現在の新宿区に住む(登録した)外国人数は、1位中国、13722人、2位韓国、朝鮮10136人です。3位はベトナム3319人、ネパール3034人です。1年前の同じ4月1日の外国人の数は中国人13112人、朝鮮・韓国人10428人で、少し減少気味ですがほとんど変化がありません。ところが、ベトナム2597人、ネパール2395人で、前年比ベトナム128%、ネパール127%で、急増しています。
 新大久保の韓国系のお店は、一時期のブームがなくなりましたが、ある程度採算の取れない店がやめた後一応落ち着いてきたように思えます。、ところが、ベトナム人、ネパール人の増加に伴いベトナム料理店。ネパール料理店が急増してきました。ベトナム料理店は一時1店しかありませんでした。タイ料理の店は増えていません。
 その様子を見るために大久保の街を走ってみました。7日は大久保駅周辺に行こうと思いましたが、雨のために行けず、晴れたらまた出かけようと思います。
 インターネットで新大久保、大久保駅周辺のベトナム料理店を調べましたら7店でした。ネパ-ル料理は10店です。職安どうりから歌舞伎町方面は除きます。
 4月15日、新大久保駅から大久保駅にかけての地域に行っていました。そこでの写真を追加いたします。主にベトナム、ネパール料理店を主体にここに載せました。他のお店は別のブログで紹介します。
ベトナム料理
1、ソムオー
Kc4a04830001
  百人町1-11-24 YSビル1F
  新大久保駅のすぐそば 歩いて1分
  ベトナム料理とタイ料理両方がメニューにあり、幅広く頼める
  新大久保の店では一番古くなりました。
  品数はなんと160品だそうです 3366-8686
  車いすでは段差が大きく手伝ってもらわないと入れないですが大丈夫です
  何回も行っていて、クーポン券にはんこうを押してもらいます
  歌舞伎町に姉妹店 サームロッテ店があります
  おすすめのお店です 既にほかのブログで紹介しました。
2、ベトナムちゃん
   百人町1-19-17 大久保駅すぐそば 1分
   2011,1オープン 03-3365-0107
 階段があり、車いすではいけません。店は右側です。
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3、ヘオちゃん
   大久保1-9-16 洋ビル1F 大久保通り
   焼肉もやっているとか 5273-4855
4、ベトナム・フォー1号店
   百人町2-4-5 及川ビル2階 新大久保駅そば
   文化通り
   2014,12オープン    
5、ベトナム・フォー2号店
   大久保2丁目 大久保通面す 2階の店
Kc4a09070001  
6、ホアングン
   大久保2-19-1セントラル大久保B1F
   スカイプラザ手前
Kc4a09020001
大久保通り、大久保2丁目、東京中央教会(韓国系)の隣の多国籍料理、ハラルフッドの店。看板にいろいろな国の国旗が書いてあります。
Kc4a09010001
7、アオザイ
   百人町1-22-1NSビル2F 小滝橋通り
   6908-9710
ネパール料理
 ネパール料理はインド料理とあまり違わないように思えます。2階や地下の店が多く、車いすではいけません。
1、モモ 1号店
   百人町2-10-9 新大久保イニシャルハウス2F
   新大久保駅すぐ近く、ハラルフッドを多く売っている、いわゆるイスラム通りのところに
   あります。
   比較的前からやっている店です
2、モモ  2号店
   百人町1-20-15
   大久保駅そばミツオビル2F
   最近できた店です
3、ナングロガル
   百人町1-17-10 細野ビル3,4階 リトルカトマンズと言っています
   大久保どうりに面す 龍生堂薬局近く
4、ホット・チリ
   大久保1丁目15-17、サンハイム大久保1F 
       秋山ビル隣です。奥は銭湯 万年湯
   050-3207-0273 3207-6273 
   ネパール・インド、アジアエスニック料理 
      14種類のこだわりカレ-,デリバリー可
5、KB・キッチン
   百人町2-23-1 第28東京ビル地下1F
   3360-2998
6、ソルマリ
   百人町2-20-23 2階 階段
   平禄ずし横入る 大きい店のようだ
   2015年4月オープン
7、レストラン786 アリババ
   大久保2-18-7
   大久保通り面す
8、シカール
   百人町1-24-6 地下 40席
   春山外科近く
9、ミラン
   北新宿1-28-18 大久保通り  2F
10、Tokyo-Rodhi CLub
   大久保1丁目  ランチビュッフェ 
    元和民が入っていたところ 新しい店でチラシを配っていた
    大きな店のようだ ライブハウスにもなっています
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2階がお店です
そのチラシです。お店の人が配っていたのをもらいました。
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・下の写真は
ツロという名前でしょうかネパール料理店です
大久保駅南口のすぐそばにあります。狭くて中に入れません
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その他
1、クンメー  タイ料理
    新大久保駅近く
   ソムオーができるまではこちらの店によく行っていました。おいしいお店です。
   1から3号店まであります。
2、ハンニバル チュニジア料理
  大久保ユニオンビル1F 小滝橋通り 大久保駅近く
  渋谷千駄ヶ谷より、その前は新大久保駅の近くにあったようだ
  同じ店なら何回か行っています
  クスクスが代表料理、ワインもおいしい
  6304-0930 5時から営業 
  ベリーダンスショーも
3、ラジュール 地中海料理、チュニジア料理
  百人町1-24-8 新宿タウンプラザビル2F
  3366-4004
  2階にあり チュニジア料理 マスターはチュニジア人奥さんはフランス人
  何回かいったことがあります 2階で行けません。看板だけです
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4,バラカーデ(ダイニングバー・ラウンジ)
 大久保1-14-18バリュー大久保ビルB1F
  4月11日にポストに小さいチラシが入っていました。4月オープンのお店で,なんと、ペ
  ルー、メキシコ、コロンビア、ブラジル、イタリア、インド、ネパール料理店だそうです。
  03-6205-6659大久保交番の斜め前当たりのようです。
  地下なので、車いすで行けるか聞いてみます。
  ランチセット500円だそうです。
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バラカーデのチラシです。4月中はオープンキャンペーンとか
5,トルコ料理 ヒサル
 大久保駅南口から、チュニジア料理のラジュールの近くです
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ほかの店
 
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上はアジアンレストラン・ホットチリ、ネパール料理など
入口はわき道から
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ネパール料理店の看板です。モモは代表的なネパールの水餃子です。
◎全体に2階か地下に店があって、車いすではいけないお店が多いのです。
追記:ネパール料理とインド料理などとの違い
 ネパール料理は、インド文化が多く影響を与えていますが、中国やチベット文化の影響も大きいそうです。カレーも多いですが、インドよりは少ない。チョーメン(焼きそば)やモモ(水餃子)、コティ(焼き餃子)、ツクパ(麺)などの、アジア文化の影響が強いようです。日本人には食べやすいかもしれません。インドではサイドメニューもサモサなどカレー味だそうです。
 同じインド料理でも、ムガール王朝の宮廷料理と、庶民の料理では違いが大きいそうです。また、インドとパキスタンではヒンズー教徒(牛はダメ)イスラム教(豚はダメ)の違いがあり、インド、パキスタンでは、お酒はダメなようですが、ネパールは大丈夫だそうです。
 ネパールの庶民の主食はダルパートで、豆のスープカレーとぶっかけご飯だそうです。インドでは米よりはナンなどを食べます。
 タイカレーはカレー粉を使わず、グリーン、レッド、イエローカレーなどがあります。ダメな肉はありません、

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