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2016年5月

2016年5月30日 (月)

人間学研・の2016年6月例会西田隆男氏の話,「人間学ニュース76号

人間学研究所第124回・実用的人間学研究会第84回合同例会
  2016年度第3回例会開催通知
日 時 : 2016年6月24日(第4金曜日)18時より
講 師 : 西田隆男氏
       自由の森学園、学校カウンセラー・埼玉ダルク理事長・人間学研究所研究員
テーマ : 依存症からの回復」
会 場 : 人間学研究所 (新大久保・サタケビル3F)
HUMANOLOGY(人間学研究所通信)No,76
目  次
 
1、実用的人間学研究会・人間学研究所例会開催通知 P1
2,2016年度会費納入のお願い P1
3、高橋喜代治 : 耕地という小さな宇宙から眺めてみて P2
4、永井治 : 当たり前と向上心との相克 P6
5、岩田好宏 :話し合って学ぶ P8~10
:*高橋喜代治氏の文章は、全文、「こういちの人間学ブログ」に、「耕地の子どもの暮らしと遊び」の紹介とともに掲載されています。

2016年5月29日 (日)

「耕地の子どもの暮らしと遊び」高橋喜代治氏の本と、「人間学ニュースの記事

 立教大学の特任教授で、人間学研究所員である高橋喜代治氏に、2016年4月の人間学研究所の合同例会でお話していただきました。そのことは、すでに、このブログで、お伝えしておりました。改めて高橋喜代治氏より、「耕地の子どもの暮らしと遊び」~旧倉尾村長沢耕地の記憶、発行、ブイツーソリューション、本体価格1000円+税、が送られてきました。本とともに毎日新聞の「火論」の記事と手紙も添えられていました。どうもありがとうございます。大変素晴らしい本の内容なので、このブログで皆さんにご紹介します。またおもしろそうだなと思いましたら、ぜひ直接お買い求めください。

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本の表紙です。大判の立派な本につくられています。

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昭和30年ごろの長沢耕地の地図大きな地図の左半分です。絵の上の方に高橋喜蔵さんの家があります。筆者高橋喜代治さんの家です。記事とともにたくさんのすてきな図版が載せられており、それも素晴らしいものです。

目  次

はじめに  

 昭和24年に長沢耕地で農家の二男として生を受けた。耕地とは農業を営む集落のこと・だ。この本を出すことを思い立ったのは、耕地で生を受けた私の経験をとおして、1人の人間の育ちと育んでくれた人々の面影を残しておきたかったからである。

(項目すべてを書きませんでした一部だけ書きました)

第1章 遊び P7

 遊び道具はほとんどが手作りである

 1、うまのり

 2、ぶっつけ(メンコのこと)

 3、三角自転車乗り

 4、釘ぶっとうし、(くぎ打ち)ビー玉

 5、ぺっことしゃ(蛙)と麦わら (新潟では蛙のことをゲル、オタマジャクシをゲルマンコと いった)

  6,かぞがらのチャンバラごっこ

 7、手作り車と坂道レース

 8、川遊び

 9、篠でっぽう(しのだけで作る水鉄砲)

 10、相撲

 11、たがまわし

 12、石弓と小鳥(パチンコ)

 13、河原野球

 14、竹スキー

 15、山遊びと木挽き峠、茅の坂峠

 16、青大将からペッとこしゃ(かえる)を助けた

第2章 事件・冒険 P41

 心を揺さぶった出来事

 1、サイばあさんと青大将とヤスさん

   2,鷹を捕った話

 3、牛のお産と母のお産

 4,1円札でリンゴを買いに

 5、「アチイ」と祖父のまじない

 6、村で初めてのテレビ

 7、亀蔵さんの「テッサク」

 8、犬のシロのこと

第3章 手伝い P57

 子どもの労働も重要な働き手としてあてにされた

 1、ウサギの飼育

 2、タバコ買いと行燈

 3、牛の世話、サイロ詰め、牛洗い、乳缶運び

 4、薪しょい、ぼや拾い

 5、ふろ沸かしと杉っぱ拾い

 6、水車当番と母の連れ

 7、茶摘み、紙漉き、味噌、豆腐

 8、オカイコあげ

 9、こんにゃくの消毒

 10、モロコシもぎ

第4章 食い物と遊び p79

 ひもじい思いはしたことはなかったが食い物は限られた

 1、ニシン沢とサワガニ捕り

 2、イシンタ(谷底)と魚捕り・洞窟探検

3、のぞきガラスと魚捕り

 4、蔵の下のスズメの卵

 5、百合の根ほり

 6、とっかんまめ屋(爆弾あられといった)

 7、どどめ(甘い桑の実)つかありとどどめ色

 8、まめごな(大豆を炒った黄粉)・こうせん(大麦を炒って引いてkなにしたもの)とぴーぴっぽ(葉っぱ)

第5章 行事 P97

 行事とはハレの日であり、うまいものが食えることだった

 1、お正月と子どもの仕事

 2,1月1日の登校とミカン

 3、正月と吉田の伯父さんとお年玉、自前の凧

 4、虫の口焼き(害虫の名を言い唾を吐きかけまたイワシの頭を火でやく)

 5、とおかんや(わらでっぽうで地面を叩く)

 6、運動会と「おひまち」

 7、お盆と盆流し

 8、つつっこ(米と小豆をほう葉で包みゆでるたべもの)

第6章 余禄 P113

 1、あかぎれと青っぱな

 2、満天の星と怖かった便所

 3、囲炉裏端と昔話

 4、病気、ケガと塚越の新井病院

 5、屋号と鍛冶屋の清君のこと

 6、よおめし(夕食)と夜のひと時

 7、大橋のおばさんと反物やさんのこと

 8、長沢のバス停と乗り合いバス

 9、上郷公民館と村芝居

 10、村社の祭り

 11、耕地のあいさつと口上

 12、皆野の「矢尾」の出店

 13、耕地の有線電話

 14、山菜取りなど

耕地考―あとがきに変えて  P141

 耕地は小さな宇宙である。長沢耕地にバス路線が開通したのが昭和29年のことである。

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17ページ、釘ぶっとうし、本当の5寸釘は少なかった。

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21ページ「チャンバラ遊び」チャンバラの刀はかぞがらを使うことが多かった。

かぞがらは楮の皮をむいた後の白い棒である。

 

ちょうど「Humanology]のNo,76が届き、高橋さんの文章が掲載されていたので、紹介させていただきます。

「耕地という小さな宇宙から眺めてみて」

 -拙著「耕地の子どもの暮らしと遊び」のあとさき・うらおもて

1、はじめに

 この春に「耕地の子どもの暮らしと遊び」という、私の子ども時分の暮らしや遊びなどを体験的に綴った本を自費で出した。秩父の北西部に位置する私が育った長沢耕地は(長沢耕地)は鋭く切れ込んだ谷のわずかな平地に開かれた15戸の山岳集落だ。我家の標高は550Mくらいだ。私はそこで高校生まで暮らして、大学に行くために東京に出た。

 この本がかって毎日新聞の記者をされていた倉田眞さん(本研究所所員)の知るところとなって、毎日新聞の火曜日連載のコラム「火論」(4月12日朝刊、玉木研二記者)で紹介していただいた。また4月22日(木)の人間学研究所の例会でもこの本をもとに報告させていただいた。

 私がこの本を出したいと強く思ったのは、失われていく耕地のなりわいや風景を遊びや仕事などなどの子どもの目をとおしてのこしたかったからである、。そして考えたかったからである。私はこの数年、このままでは私が育った長沢耕地は世の記憶から消えてしまうのではないかという焦燥感にかられてきた。おそらくそれは、家や畑や山林が消えるだけではなく、祭りも伝統も様様な技も一緒に消滅することになる。

 長沢耕地の私の体験にこだわって書いたから世間一般には通用しないことも多いと思うが、リアルさは出せたと思う。玉木さんはそれを「小宇宙から見る昭和戦後の一断面になったようだ」と評してくれた。

2、今、私の耕地はどうなっているか。

 耕地とは、山間に拓かれたひとまとまりの集落のことである。平成28年の今、私の長沢耕地はどうなっているか。私の子ども時分の昭和30年代と比べながら、エピソードふうに二つだけ述べて説明としたい。

(1)一人暮らしの老女Tさんのこと

 本ができてすぐに私は長沢耕地に戻って耕地の人々に本を一冊づつ配って歩いた。Tさんという87歳のひとり暮らしのおばあさんの家にも届けた。「コンニチワー」と玄関の戸を開けて2坪ほどの土間に入った。耕地ではどの家も玄関にカギはないので、昔からそうやってズカズカ入っていくのが普通である。中は真っ暗なので留守かとも思ったが、奥の方でテレビの青白い光が微かにチラチラしていたので「Tさん、お久しぶりですキヨジです。分かりますか」と大声で呼んだ。するとTさんが、4つんばいになってノロノロと暗闇から這い出してきて「ニシ(我家の屋号)のキヨチャンかえ。しばらくでがんす。」とすぐに私を認めた。

私が「こんな真っ暗の中でどうしたんですか。」と言うと、「一人だし、電気デーが持ってえねえから、つけねえでいたんだよー」と云い、続けて次々に今の不遇な身の上を話し出した。大工だった長男が病気で働けなくなりお金を入れてくれなくなったこと、二男が勤めていた会社が潰れてしまい消息不明になっていること、たった1人の娘は嫁ぎ先のことに忙殺されてめったに来てくれないこと、そして今は治療中の足腰の薬代にも困っている自分のこと・・・。Tさんの3人の子どもは私より少し年下だが、耕地中を駆け巡って遊んだ仲間で、中学を卒業し町で職に就いていた。私はふと、二男を産んだその翌日に近くの沢から飲み水を入れたバケツを天秤棒で担いでいた若い日の元気なTさんを想い出した。私が小学3年生の頃だ。

 私は愚問を発してしまったことを悔やんだが、10分ほどT さんの深刻でとりとめのない話を聞いて、本を渡し、そこを辞した。

 私が育ったころの長沢耕地は15家族100人が暮らしていた。子どもも30人ほどいて、いつも村中に甲高い歓声が響いていた。それはたぶん小林一茶の「雪とけて村いっぱいのこどもかな」の句と同じ世界だろうと思う。どこの家も祖父母・父母・こども三世代の家族構成で、一人暮らしの老人などいなかった。粗末なものを食い、これといった娯楽もなく、朝早くから働き、夜は8時頃には眠ってしまう日常。嫁舅の確執がどこに家にもあって、隠したつもりだろうが子どもの私の耳にも近所の嫁舅の互いの罵りが漏れ聞こえてきた。だが老人たちは家族に見守られ畳の上で死に、野辺送りされた。

 今、耕地の住民は、8軒15人である。独り暮らしはTさんを入れて4人である。多少の事情は異なるが、4人は似たような境遇になっている。耕地の人たちは否応なくそうなってしまうのである。

 火事になっても消す人がいない。天王様の祭りも幟を立てる人がいないから消えてしまった。行事や念仏講、種々の寄り合いもとっくに失せた。誰も「この耕地はおしまいだ」と思い、時代の流れ、運命だと諦めひっそりと暮らしている。

(2)耕地に獣が住みついた

 1オ年ほど前の春、未だ母が生きていた頃、帰京の折に吊るし柿にする蜂谷柿(渋柿)の苗を植えようとしたら。「キヨチャン、家の周りに柿を植えるのはよしてくんな。熊が出ておっかなくてしょうがないんだから・・・」

私は直ぐにあきらめた。確か前年の秋に、耕地の中にあった栗の木が熊にやられて、耕地が大騒ぎになったと母から聞いていた。

 今耕地は家々の庭先まで山林が忍び寄り、山と区別できなくなりつつある。我が家の裏のうっそうとした竹林はかっては麦畑で、金色の穂が波のように風になびいていた.土留め(桑の実)を探して歩いた桑畑も今は桑の木の林と化している。人手の入らなくなった山の杉林は荒れ放題で保水力が弱まり、大雨のたびに崩れていく。川は往時の半分にもならず、場所によっては枯れて水無し川になって白い川肌をさらしている。

かっては山の奥にいた獣たちは耕地の中に巣穴を作り、耕地中を闊歩する。イノシシが沢の石をひっくり返してサワガニを食い、ミミズや草の根を探して墓石までひっくり返す。生垣の若芽をシカがきれいに食ってしまう。タヌキが空き家になった家に入り込んで棲家とし、縁の下に糞の山を築いている。

新見南吉の名作『ごんぎつね』のごんの巣穴は村の山の森の中にある。ゴンはそこから村中に出てきてはいたずらばかりして村人から嫌われ、悲劇的な結末をむかえることになる。つまり、本来は山に居るべき獣が、人里に出てきてしまったのである。棲み分けのタブーを親から教わらなかったがために犯してしまったごんとうひとりぼっちの小ギツネの悲劇の物語である。耕地の奥山に棲んでいたキツネが、ごんのように、たまには出てきて裏山のサツマイモを掘り起こしたこともある。奥山でケンケンという犬が風邪を引いたようなキツネの鳴き声を聞いたこともある。だが、獣たちが耕地中を闊歩する今では、『ごんぎつね』のような奥山と里山と人里が背景となる物語は生まれようがない。

 集落の周りの畑を耕すこともなくなった。鍬も鋤などの農具も用なしになり朽ち果てるのを待っている。キツネやタヌキ、そして天狗も山奥に住んでいないから、そしてたまに夜遊びのために隣の村まで峠越えする人もいないから、化かしたり肝試しに村人の前に現れたりできない。柳田国男の『遠野物語』のような共同幻想の世界はもうおこりようもない。

3、読者からの感想を読んで

 本を読んだ感想の手紙がいくつか届いたので、二つ紹介する。

一つは86歳の埼玉県北の女性Sさんからで、「牛のお産と母のお産」(p47)の話について4枚もの鉛筆書きの丁寧な感想を寄せてくれた。

 我家では牛を1頭飼っていて子牛を産ませ、その後搾乳をしていた。母牛に種付けをしたりするときには必ず獣医を呼んで大騒ぎして産ませた。臍の緒は、鎌を囲炉裏の火で焼いて消毒し切ったという。

Sさんは80年近くも自分の胸のうち仕舞っておいたおいた母へのすまなさ、その時の心細さを次のように綴ってよこした。

 「特に心を打たれたことがあります。私が9歳の時、昭和13年1月13日、忘れもしません。『牛のお産と母のお産』を読んで同じようなことがあるんだなーと、びっくりしました。私の弟が生まれるとき、私がお湯をわかし、母が一人でお産をして臍の緒を切って、私がタライに湯を入れ母が湯加減を見ては初湯をつかわせたのです。そのことは誰にも話さず母と二人で話したことはあっても他人に話したことはなかったです。近くに産婆さんがいたけど我家の事情で頼めないことは子供ながらにわかっていました。このことは恥ずかしいし情けないと、いまだに母のことを想い出すと心がいたみます。」

 手紙を読んで、私はあったこともないSさんと何だか旧知の仲であるかのような錯覚におちいった。

もう一つは「サイばあさんと青大将とヤスさん」(p42)を読んだ、サイばあさんの曽孫の若い女性Mさんからの感想(謝辞)である。私が本に書いたサイばあさんにまつわる話とはおよそ次のようなものである。

 私が小学校に上がる前だった。ある夏の昼、耕地の往還をくねくねと横切る2メートルもありそうな青大将に私は出くわした。私は興奮して、一緒にいた友達と棒でたたき殺そうとした。その時、サイばあさんが目をつり上げて怒り甲高い上ずった声で「それはヤスだ。よせ。ヤス早く逃げろ」と怒鳴って道端に追いやってしまった。私は呆気にとられて見ているだけだった。

 後で知ったのだが、ヤスとはサイばあさんの二男の安衛さんという人で、戦争末期の昭和19年、ニューギニアで戦死した。享年21歳。もちろん遺骨などはない。この日はもしかしたら、ヤスさんの命日だったのかもしれない。

 Mさんはこの話を読んで初めて曾祖母にあたるサイばあさんのこのような事実を知った。そして「読んで涙がとまりませんでした。ほんとにありがとございました。」と書いてよこした。

 私はMさんとは全く面識はないが、ずいぶんと身近に感じた。 

4、結び

 私は懐古趣味でこの本を書いたつもりはない。もしそう感じられる人がいたら、それは私の力不足によるものだ。日本のどこにでもある深刻な限界集落の現実と消滅の意味が理解されていないように思う。このままでは伝統も技も永遠に失うことになることになるのではないか。日本の懐が浅くなって、のっぺりしたものになってしまうのではないか。そういう思いを書いたつもりだ。

 数年前に、私が担任した生徒たちの同窓会(中卒後30年経過している)があって、私も招かれて出席した。宴も中盤になってあちこちにいくつかのグループができた。私の周りにも数人が集まってきて、懐かしい話がとりとめなく続いていた。酔いも手伝って、消えゆく田舎のことを本にしたいと漏らしたところ、出版社に勤めていたK子(中1と中の時に私が担任した)が「センセー、それ私にやらせてください。安くしとくからー」と勢いよく名乗り出た。

 そんなわけで、K女史のおかげで本が成った。墨絵のイラストも全部彼女が担当してくれた。そういえば彼女は絵も得意で美術の成績がとても良かった。

◎発行所 ブイツーソリューション

 名古屋市昭和区長戸町4-40

 電話:052-799-7391

追記

 ブログ筆者は昭和18年生まれだが早生まれなので、級友は昭和17年の人が多かった。新宿という都会で生まれ育ったが、戦後まもなくは原っぱが多かった。特に戸山が原には弾除けの人口の山、三角山があり、自然が多くのこされていた。三角山では山の上の方と下の方、二手に分かれ、土塊を相手にぶつけるという遊びでした。戦後まもなくは戦前に作られた射撃場があり、鉄筋コンクリートのカマボコ状の射撃場ではいつも機関銃などを撃つ音がしていました。その後山は壊され、バタヤ部落になりました。それも壊され、今はいろいろな建物に変わっています。

 私たちもいろいろな野外の遊びをしました。この本にある遊びと、この本にない遊びがありました。馬乗り、釘差し、ビー玉、メンコ、チャンバラ(セイタカアワダチソウの枯れ枝と、うちは桶屋で木の木っ端があり刀が作れた。材木を乾燥させるために井桁に組んだところを基地にして遊びました。戦後まもなくでこの本にはない、「すいらいかんちょ」という遊びをしました。敵味方に分かれ、艦長、駆逐(艦)、水雷(艇)と役割が分かれます。艦長は駆逐艦に勝ち駆逐艦は水雷艇に勝ち、水雷艇は艦長に勝ちます。艦長は一人で水雷に捕まると負けです。水雷が一番数が多いのです。あとベーゴマもはやりました。Sケンというのもよくやりました。ほかにいろいろな集団的な遊びがあり、夢中で遊んだものです。

 手伝いはいろいろありましたが、中学生のころ木曾から早朝に大きなトラックで風呂の材料が届きます。檜の材は大きな長い板です。それを2人がかりで、特殊な道具でもって干場に運びます。それはかなり力がいるものでした。サワラの木は適当な大きさに束ねたものです。

2016年5月27日 (金)

秋山佳胤氏の「不食という生き方に」ついて、ひどいウソ、マネは危険だし無理

秋山佳胤氏の本、大々的に広告 
 2016年5月27日朝刊の毎日新聞の広告に、幻冬舎の本の広告がありました。日経新聞には広告が入っていませんでした。著者は秋山佳胤氏、肩書は弁護士、医学博士となっていますが、最近とった(2012年)医学博士の称号は言っていることが科学的根拠があるように思わせますが、日本のものではなく、インドのヨガ系の大学の博士号のようです。(代替医療)
 広告を見ていただければわかりますが、書名は『不食という生き方』で5月24日発売1100円(税抜き)の本です。本は買っていませんが、インターネットのいろいろな記事を見てある程度のことはわかりました。
◎6月11日(土)本を購入しました。さっそく読んでみました。
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本を読んだ感想を追記しました。◎印はブログ筆者の感想です。
 
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毎日新聞の広告です
 
 若杉友子氏の「長生きしたけりゃ肉は食べるな」や、南雲義則氏の「1日1食健康法」の批判をブログに書いて、今でも多くのアクセスがあり、2人の健康法がおかしいと思う人が大変多いということがわかります。
 若杉氏は「肉を食べない」、南雲氏は「1日1食」ということで、マネをしてもなんとか続きそうです。たいていは、「もう無理」とやめてしまうようですが。
 ところが秋山氏の本によれば、ダイエットでも断食でもない。8年間「食べない」を実践する弁護士と大きく書いてあります。
本の内容
もくじ
第1章 食べなくてもいい
 食べる量を減らすと頭がさえる、不食と断食は違う ほか
第2章 否定しなくてもいい
 悩みは「他人ごと」という姿勢で聞く、我儘はエゴ、わがままはエコ ほか
第3章 争わなくてもいい
 訴訟相手に「ありがとう」を送る、コンプレックスは抱きしめればいい ほか
第4章 悩まなくてもいい
 うつは深刻な病気ではない、時間は思い出の良し悪しも変える ほか
第5章 こだわらなくてもいい
 ギャンブルは思う存分すればいい、家族には、思うほど深いつながりはない ほか
 
 「食べなくてもいい」、「2008年以降一切の飲食が不要」、「ある不食者との運命的な出会い」(不食者(プレサリアン=呼吸主義者)として世界中でワークショップを開催しているオーストラリア人のジャス・ムヒーンさん)「食べる量を減らすと頭がさえる」、「コツは食べない生活に体を慣らすこと」「空腹に慣れたときプラーナだけで生きられた」『不食と断食は違う」「ダイエットは推奨しない」「必要な水分はプラーナから作り出す」、「今が一番体力がある」「小食で若返り、長寿が手に入る」、「過食は心の飢えが原因だった」「蚊を殺すと、自分に痛みが走る」「トイレは普通よりは少ないくらい」「寝なくても平気になる」
 そして、「悲しいと食べたくなる。つまらないと食べたくなる。悩みが増えると食べたくなる。とも書いています。
◎普通は、健康であるならば一定の時間が過ぎればおなかがすいて食べたくなります。それが普通で健康な姿です。.悲しかったり、つまらなかったり、悩みが増えたりすると、普通はあまり食欲がわかなくなるものですが。皆さんは悲しいと食べたくなりますか?
本の中から、これはというものを抜き出してみます
 オーストラリア人のジャスムヒーンさんという女性は1996年以来飲み物や食べ物の摂取をやめたそうです。
◎ジャスムヒーンさんは1957年生まれ、美人な女性。オーストラリアを拠点に活動。プラーナ栄養者。(固形物を摂取しない)、不食者(プレサリアン)。プラーナを摂取、太陽光栄養実践者。-水も飲まないのではないのかもしれません。
 大気に無限に存在するエネルギー(プラーナと呼ばれます)を摂取して生きるというものでした。~ちなみにプラーナというのは日本的に説明すると「気」のことだそうです。これを毎日、大量に食べているから、特に物質的な物を摂取する必要がないー。p16
 私はプラーナを食べて生きているので、厳密にいえば不食ではありません。p38
必要な水分もプラーナから作り出せますから、水も不要です。p40
私の家族、妻、長男、二男は不食ではありませんp43
あらゆる存在と自分とも結びつきが見えるのです。蚊に対しても結びつきが見えますので、一切殺さなくなります。蚊を殺すと痛みが走る。p55
不食者の中には目の前にある食べ物かラエネルギーだけを「抜き取る」人もいます。p59
稲葉やすえさんは、2015年にマキノ出版から「食べない、死なない、争わない」という本を出しました。
◎気、という言葉を、ウイキペディアで検索してみると
 気とは中国思想、道教、 中医学などの用語、ラテン語のspiritusや、ギリシャ語のプシュケー、サンスクリット語のプラーナなどと同じいみ。
 生命力や聖なるものとしてとらえられた気息、つまり息の概念がかかわっている。
しかし、そうした霊的、生命的な気息の概念、霊気、水蒸気などと区別されずにとらえられた大気の概念の一つのものとしてみなされて初めて思想上の概念としての「気」が成立する。
『気』に対し科学的手法で解析された学術論文はない。
・ 
◎稲葉さん、本当に死なないのですか?まさかね。残念ながら今まで不死の人間はいませんでした。インターネットによれば、死なないとは、死んでも霊のような存在として、生まれ変わるそうです。それは死なないとは言えません。霊のような違う存在になることを死ぬと言います。あくまでも霊というものが存在すれば、ということです。
◎蚊を殺すと痛みが走る。蚊をこえて、どこまであてはまりますか、寄生虫や細菌やウイルスはどうですか。
 「食べていないのにトイレにはいくのだろうか」そんな質問もうけます
 一般の人よりは少ないが、トイレに行きます。おしっこもうんちも出ます
 私はプラーナを大量に食べており、そのプラーナで水を生成しています。そもそも人体の約50~60%水分で構成されていますは。おしっこの約98%は水分です。うんちの70~80%が水分では残りが食べたもののかすだったり、腸内細菌や腸壁細胞だったりします。
p58
 そんな排泄にも、私たちの体はエネルギーを使います
食べることを減らして排泄の量や回数が減ると、体内のエネルギー消費が減りますのでエネルギー全体に余裕ができ、すこぶる健康になります。
 排泄が減るとエネルギー消費に余裕ができ、すこぶる健康になるp61
◎いくらなんでもそんなことは、ありえないでしょう!もし出来たならニッポニウムより大発見ですから。水を飲まないでも生きることができるなら、汚い水しか飲んでいない地域の貧しい人たちへの朗報です。方法を教えてあげてください。
 粗食で1日3回が2回になっても大丈夫です。江戸時代までは1日2食でした。p48
◎江戸時代の粗食2食ではなかなか50まで生きられません。
◎2年ぐらいかけてゆっくり「不食」になるということですから、あたっているかどうかは直ぐには自分ではわかりません。また、以後の文章は、大部分は不食とあまり関係がない、秋山さんの生き方の問題です。
ギャンブルは思う存分すればいいp154
 家族には、思うほどふかいつながりはないp170
私たちは何度もこの世に転生しています、どこかの生で船に一緒に乗りわせた人々、イメージとしてはこれが今の家族です。p171
◎ギャンブルはブログ筆者はしませんが。ギャンブルは麻薬性依存性があります。また胴元が儲けるようにできています。やればやるほど損失は進み泥沼にはまります。ギャンブルを思う存分して身の破滅をしても秋山さんはいいと思うのですか。
◎転生について、筆者はそうは思いません。私たちは"絶対に”転生などしません。だからこの1度の人生を大事に生きてゆこうと思います。永遠に転生するなどまっぴらではありませんか。ブッダは輪廻転生する苦しみから抜け出すことを目指しました。転生する苦しみから離れ、涅槃に至るのです。後世、極楽に生まれ変わるのは、6道のうちの天界に転生するのとごっちゃになってしまいました。(地獄、餓鬼、修羅、畜生、人界、天界)
「 トイレは普通より少ないくらい」というのはおかしいのではないでしょうか。水も食べ物も取らなければ1か月もすれば大小便ともに全くでなくなるはずです。「普通よりは少ないくらい」、というのはふに落ちません。あとに書く、プラーナ(霞のようなもの)が排便されるのでしょうか。気体のプラーナが体内で固体や液体の便に変わるのでしょうか。便が全く出ないというのではなく、便が普通よりは少ないくらい、ということは、少なめだけど普通に食べている証拠です。食べないのに排便をし続ければ、いずれ体重はゼロになるはずです。必要な水分はプラーナから作り出すとありますが、単純な物理の法則から外れます。
 不食と関係ありませんが、「こだわらない、悩まない、争わない、人生のヒント」
 「失敗したと裁かない、ちょとづつ進めばいい」ということも書いています。
 秋山佳胤氏は、インターネットの最初に出てくる2011年3月のインタビュー記事を見ますと、肩書の一つにホメオパスというのが出てきます。ホメオパスとはサミュエル・ハーネマンが始めた療法で、薬を極限までに薄めても効果があるというのです。それをレメディーという丸薬(レメディー)にして投与します。日本では看護師がビタミンK を投与しなければいけない赤ん坊にレメディーを与え赤ん坊が死亡した事件がありました。
 インターネットの記事を見ると、「僕のことを知らないで、僕のためにお肉の料理を出してくれたなら、それはよろこんで食べる」と言います。また違う記事に、子どもたちのお祝いの時にも食べるのだそうです。それは「2008年以降一切の飲食が不要」という話と矛盾します。それとも2008年前でしょうか。不食ではなく小食ならわかります。
 不食の実践者の有名な俳優榎木孝明氏(59歳)は30日間不食をして9キロ体重が落ちて71キロになったそうです。水とお茶、コーヒーは普通に飲んだのだそうです。塩分糖分も少し補給したそうです。不食を終えて、本人はすがすがしい気分だと言っていますが、ブログ読者の反応は、相当やつれているという感じです。これが普通の状態です。
水は飲まないとすぐ死んでしまう
 このような、「不食」を実践してかなりの死者が出ています。ばかまじめにのまず食わずを実践したのでしょうね。
 食べ物は2から3週間食べなくとも体の脂肪や筋肉を消費して生きていけます。ところが水は1滴も飲まないと4から5日で死んでしまいます。地震などで生き埋めになったとき何日目ということが問題になるのはそのためです。体の体重の10%が失われると痙攣、循環器不全、腎不全などがおきます。20%でみんな死んでしまいます。水は呼吸や汗、尿、大便などでうしわれます。普通は1日2キロ(2L)を排出します。
 食事をしたり、水を飲む代わりに秋山氏はプラーナから作り出すと言います。
プラーナとは、サンスクリット語で呼吸、息ぶきのことを言います。日本では気息と言います。ヨーガでは調気法-呼吸法「プラーナヤーマ」は不可欠の行法です。
 仙人が霞を食べると言いますが、その霞が、プラーナになります。普通は食べることによって取り入れます。プラーナが多い食物があります。またよく噛んで食べるといいと言います。その点は筆者の推奨する咽津法(唾液健康法)と同じです。
 しかし、プラーナというのがいささか不明瞭です。秋山氏は霞を食べて仙人のように生きているというのでしょう。でも、本人だけのいうことですから信用できません。不食はともかく水を飲まず、というのは信用できません。本当なら大変なことです。世界的な大ニュースです。ズルをしてひそかに飲食できないように、公開で実験してみてください。榎木氏はちゃんとおやりになったようです。ぜひ秋山氏もやって見せてください。現在世界中で飢餓で餓死する人がたくさんいます。その人たちを救ってください。
人相術から見ると
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現在より前の写真です。もっと鮮明な写真ではしわが目立ちます。
 
 秋山氏の写真を見ると、確かにあまり食べないのでしょう。痩せてしわの多い顔をしています。この写真では不明確ですが。1969年生まれの2016年現在47歳ですね。筆者の見るところ今のままでは短命な人相をしています。不食とやらを自分がおやりになるのは結構ですが、マネをして命を縮めたり病気になる人が出てきたら困ります。
 人相術では、口やあごの部分を下停といい、晩年運を見るところです。徳川家康は肖像画によれば若い時には顎が細かったようです。しかし、固いものをよく噛んで食べているうちに、がっしりしたあごとなりました。歯も丈夫でたくさんありました。よく噛めば唾液もたくさん出ていろいろな優れた効果があります。その結果長生きし、いつまでも元気だったのです。しかし豊臣秀吉は柔らかいノリがゆのような食べ物が好きで、そのために歯が全部抜けてしまいました。晩年にはもうろく症状が出て、結局豊臣政権は瓦解してしまいました。
 どうせ、本を読まれた人も真似をすることはできないでしょうが、無理をして命を縮めないでほしいと思います。
 秋山氏は不食だそうで、そのためか顎がとても貧弱です。そして本当は不食ではなくて小食のようですが、もう少し年を取ると、貧弱なあごと栄養不良はいろいろな障害を起こしていきます。それで短命の相があるというのです。秋山氏がご自分で好きなように生きて短命になるのは、それで結構ですが、他のよくわからない人が、長生きするつもりで、かえって、命を縮めるのはとてもかわいそうです。
追記
 この本では食べることを否定していますが、おいしくものを食べることは人生における、大きな楽しみではないでしょうか。人はただ生きるだけのために食べているのではありません。特に親しい人と楽しいおしゃべりをしながらおいしい食べ物を食べることはとても素敵なことです。
 不食だということで、そういう生きていく上での大きな楽しみを失ってしまうことは本当に詰まらないことです。
 コーヒーが好きで、自分で焙煎してコーヒーを入れてひとに振る舞い、それも商売にしているそうですが(ロータスコーヒー)、そのコーヒーも自分は一切飲まないことになります。つまらないですね。
2016年6月11日追記
 このブログは、書いてから、アクセスが急増しました。5月27日に書いてから6月10日までに2400件ほどのアクセスがあります。「不食という生き方」での検索順位は現在3番目です。おかしいと感じられる方が多いのですね。他の方はあまり、おかしいと書かないのですね。
2016年8月14日追記
 このブログを読み直してみましたら、字の誤りがいくつかありました。直しましたが。どうも失礼いたしました。
 

2016年5月25日 (水)

「パナマ文書」、タックスヘイブン。税の不公平は世界中で、アメリカでも日本でも

パナマ文書が世界を揺るがす
 2016年4月、タックスヘイブン(租税回避地)の実態が、いわゆる「パナマ文書」によって明らかになった。南ドイツ新聞の匿名の記者が入手したパナマの法律事務所、モサック・フォセンカの内部資料を40年分も明らかにしました。南ドイツ新聞は1100万件もの情報の分析のために「国際調査報道ジャーナリスト連合』に協力を求めました。そして約1年後の4月3日、内容を一斉に報道しました。
 政治家や富裕層が税率が0か、極端に低いタックスヘイブンを使って蓄財や金融取引をしていることは昔からわかっていたが、今回のように、その一部の全容が明らかになり、改めてタックスヘイブンの問題が世界中で問題になってきた。いろいろな政治家や著名人の名前があがっているがアイスランドのグングロイ首相は7日に辞任した。イギリスのキャメロン首相も、亡父が設立した投資ファンドで利益を得ていたことで批判を浴びている。日本人も400人名前が挙がっていると発表された。日本では富裕層増税が続き最高税率45%に上っている。また控除縮小もある。海外資産の申告数は14年分が前年比47%増の8184人、財産総額は3兆1000億円と2割強増えたが「実感より1ケタ少ない」と国税庁のOBはいう。
租税回避地
 タックスヘイブンは世界中に広がっている。パナマはじめ、英領バージン諸島、ケイマン諸島、バハマなどカリブ海諸国のほかセーシェル、およびルクセンブルク、スイス、モナコ、リヒテンシュタインなどのヨーロッパの小国もかかわっている。香港やシンガポールなどの税率の低い国をさすこともある。OECDの推計によれば世界で失われる法人税は年最大2400億ドル(約26兆円)全世界の法人税の1割に当たる。
 ペーパーカンパニーが設立された主な国地域-実態なき会社の温床、法人税や所得税は入らないが会社設立の手続きなどの手数料のみはいる。
 英領バージン諸島11万5千社、パナマ、4万8千社、バハマ1万5千社、セーシェル1万5千社など
 徹底した秘密主義も特徴の一つ。だが08年の金融危機に伴う各国の財政悪化で、大企業や富裕層の課税逃れに対する世論の眼は厳しくなっている。17年から各国の税務当局による定期的な情報交換が始まる。
「パナマ文書が問う」日経新聞、上、中、下
 逃げる富 揺らぐ税の信頼
 倫理と透明性に疑いの目
 進まぬ改革、企業見切り
 相続などに悩む多くの事業オーナーらはタックスヘイブンを使った節税に走る。マレーシアのラブアン島にはアジアなどから流れ込む富裕層のマネーが急拡大している。相続税がゼロのためだ。(香港も)
 はるかに複雑となった現代の税逃れは二重、三重に国境を越え分厚いベールに覆われる。
 世界の銀行の回避地向けの投融資も5年で3割弱増え、2015年末には2,4兆ドル(250兆円)に達した。
 海外資産の申告数は14年分が前年比47%増の8184人。財産総額は3兆1000億円強と2割増えたが「実感より1ケタ少ない」と国税庁OB.
 民主党サンダース議員の陣営が作った「税逃れ10社リスト」はボーイングやファイザーと並んでGEを名指し。「2013年までの6年間に339億ドル(3兆6000万円)超の利益を米国内で稼いだのに、法人税の実効税率はマイナス9%」と指摘した。サンダース氏は「米国の雇用を奪い税金も払っていない」と批判した。
 米ゴールドマン・サックスによると、様様な節税策の実行税率は29%と法定の約40%をしたまわった。税率40%を超えるカリフォルニア州に本社を置くアップルも15年は26%と低い。
 米国の多国籍企業が海外に蓄えた2兆ドルは米法人税収入の約4年分。
日本人の実名リスト
週刊文春の2016年5月19日号には、「パナマ文書実名公開、『日本人230人』リスト」という記事が載っている。
 セコムの創業者飯田亮氏は90年代前半英領バージン諸島(BVI)などにペーパーカンパニーを設立し、当時の取引価格でやく700億円のセコム株を管理していた。BVIでは基本的に法人税は免除され株式情報は未公開、当局は国内からは口座の中身も把握できません。
 三木谷氏はあくまでも純投資であるという。
榎本氏はライブドア第2の大株主で個人資産は50億円以上と言われた。
 タックスヘブンはマネーロンダリングの温床ともいわれる。
 もちろん、パナマ文書に名前がある=租税回避、さらには違法な脱税を示すものではない。
上がった名前は
飯田 亮・セコム最高顧問、上島剛太・UCCホールディング社長、三木谷浩史・楽天会長兼社長、重田康光・光通信会長、榎本大輔・ライブドア元取締役、島田文六・シマブンコーポレーション前社長、友杉直久・金沢医科大学名誉教授、久保伸夫・医療コンサルタント、大場剛、機器メーカー社長、松下孝明・スーパー経営、井上成雄・FX取引仲介会社社長、宮本敏幸、村橋ゆう徳各氏など、会社は伊藤忠商事、丸紅、ライブドア、ソフトバンクBB,東京個別指導学院、東洋エンジニアリング、イースタジアグループ、エムエイチグループ、などである。
◎ここには、政治家に絡んだ名前などはあがってこなかった。タックスヘブンは他にいろいろあり、ここにあるのはほんの氷山の一角であろう。
世界最悪のタックスヘイブンはアメリカにある。
 Newsweekの4月12日の記事で、ルーシー・クラーク・ビリング氏は、タックス・ヘイブンと聞くと普通はケイマン諸島やバミューダ諸島など、遠いカリブ海の島々を想像することだろう。オバマ大統領は「パナマ文書などを引き合いに出してグローバルな租税回避の取り締まりを強化しようと世界の指導者に呼び掛けた。
 だが実は、オバマがたつホワイトハウスからたった160キロのところに、れっきとしたアメリカのタックスヘイブンがある。デラウエア州だ。米東部のこの小さな州には、人間より多くの企業が存在している。最新の集計では、人口89万7934人に対し企業数は94万5326社だ。
 デラウエアのどこが魅力か。
「企業に優しい風潮」と企業に特化した司法制度が、企業弁護士たちの巨大なネットワークや経営者を優遇する法律と相まって、デラウェアは租税回避者にとっての「夢の国」になっている。
 企業がデラウェアに行ってしまうおかげで,他州は税収を何十億ドルも損している。また秘密の匿名会社設立をもくろむ人々も多い。こうした会社を通じて租税を回避する個人や法人のせいで、連邦政府には計りきれない税収ロスが生じているのだ。
 「2009年、金融秘密度指数のランキングで、ルクセンブルグとスイスを抑えてアメリカを1位に上げた。その理由の一つはデラウエア州だとしている。
 デラウエアのもう一つの魅力は、企業設立が手軽で迅速な点だ。何日もかからずに会社を立ち上げることができ、いったん設立すると、役員と株主の権利はデラウエアの法律で手厚く守られる。
 昨年は13万3297社がデラウエアで設立された。アメリカ国内の全公開会社の半分近くが法人格を取得したことになる。
 アメリカの企業はどこかの時点で、国外で上げた利益を本国に引き上げて連邦税を払わなければならない。ところが、デラウエアなら、州法の抜け穴を使った租税回避は永遠に続くのだ。
Gigazine 2016年1月29日
「企業が「税金逃れ」で使うタックスヘイブン、世界で最も人気な土地はアメリカ合衆国
日本の大企業・富裕層がタックスヘイブンで世界第2位の巨額の税逃れを行っていることが話題になっています、
 世界有数の都市銀行であるロスチャイルド」はネバダ州のリノに信託銀行を開き、バミューダなどのタックスヘイブンに資金を隠し持っていた海外顧客の資金を、同銀行に移動させています。これは、OECDによる新しい情報交換基準に対抗するための施策なわけですが、なぜリノの資金を移せば安全なのかというと、ネバダもといアメリカはOECDの新しい情報交換基準が適用外となる地域なためです。
 ロスチャイルドのアンドリュウ・ペニー代表は「顧客の資金をアメリカに移動させればいいのさ。そうすれば無課税となり、政府からも隠すことができる。」とアメリカが現在世界的に見てもとても有用なタックスヘブンになっていることを語っています。ロスチャイルドと同様に、世界最大級の国際投資信託であるTrident Trustなども、多くの口座をスイスやケイマン諸島からアメリカに移動させているとのこと。サウスダコタ州にあるTridentの支部で代表を務めるアリス・ロカー氏は、「スイスにあった銀行口座の多くから資金がなくなってしまったことにはとても驚きました」と、OECDの新基準に備えて多くの人々が資金を移動させていることにについて語っています。-現在多くの富裕層がアメリカの口座が最も安全と案じているわけです。
 スイス銀行は国内の隠し口座に1兆9000億ドル(約230兆円)もの資金を残したままである、とカりオルニア大学バークレー校で経済学の教授を務めるガブリエル・ザックマン氏は推測しています。
 
井戸端会議・瓦版
 パナマ文書問題が大きく報じられないのは、日本国内にタックスヘイブンが存在するからだ。日本にも存在するタックス・ヘイブン
 この件(パナマ文書)において日本とアメリカだけは極端に当事者が少ないという特徴があります。
タックスヘイブンへの対処が難しい理由は、これらすべての手法が合法であることです。
 「パナマ文書」問題でアメリカ企業やアメリカ人の名前がほとんど皆無だったため、アメリカ政府の陰謀だと感じた人もいるでしょう。ですが、タックスヘイブンを利用した「節税」をアメリカ企業がパナマで行う必要などどこにもないのです。
 日本の法人税率は約35%と主要国ではアメリカに次いで高い税率です。
 家電大手のパナソニックは調達、ロジステックスにかかわる本部機能を2012年4月から順次シンガポールに移動させています。これはシンガポールの法人税率が17%だからです。
 今回の「パナマ文書」で大きな問題になっているのは、マネーロンダリングなどが行われる”地下経済”の金の流れが表ざたになったことでしょう。
 
 日本の法人税率は高いのですが、それが課されるのは黒字企業だけです。つまり赤字企業であれば、資本金に基づく分だけであり、公的資金が注入された場合は納める税金額はほぼゼロになります。
 バブルが弾けた後に多額の公的資金が注入された銀行はその返済が終わる10~20年は法人税を払っていません。また、破たんしたJALも負債分が相殺されるまで法人税は免除されるという恩恵を現在も受けています。
 子会社を用いて利益額を圧縮しているマスコミが、”日本版タックスヘイブン”を厳しく追及することはないでしょう。
ケイマンに投資74兆円、安倍政権下で25兆円増
 
 タックスヘイブンとして有名な英領ケイマン諸島への日本から証券投資の残高が2015年末時点で74兆4264億円に達し、14年末に比べ11兆1319億円も増えたことが、日本銀行の国際収支統計(24日公表)でわかりました。
 01年末から14年間で約57兆円も急増しています。特に安倍晋三政権の発足後、12年末から15年末の3年間で約25兆円も増えました。
 日本の対外証券投資のうちケイマン諸島への投資残高は、米国に対する投資165兆円(15年末)に次ぎ、2番目に大きな金額です。
 ケイマン諸島には所得税や法人税がなく、株式譲渡益も課税されないため、多国籍企業や富裕層が課税逃れに利用するタックスヘイブンとして知られます。
 ヘッジファンドの3分の一がケイマン諸島に籍を置いているとの調査もあります。
日本における大企業の払う法人税
 2014年9月に「税金を払わない巨大企業」という本が、中央大名誉教授の富岡幸雄氏により,文春新書から出版されました。表紙の帯封ににソフトバンク0,006%、ユニクロ6,92%と書かれています。
 研究開発費の減税など様々な特典があります。詳しくは「税金を払わない巨大企業」をご覧ください。前にも書いてありますが大銀行が長い間税金を払わないでいたことはおかしいと感じました。
 2014年11月11日の筆者の「こういちの人間学ブログ」に「法人税を下げようとする安倍自民党政府、税金を払わない大企業」を書きました。
2015年11月29日に「法人税下げ、あからさまな大企業奉仕、庶民には消費税増税、このままでよいのか」を書きました。2014年のブログには大企業は税金を払っていますよ、と哲学的会計士さんから反論があり、筆者ととら猫イーチさんも交え、三つ巴の論争もありました。
 いろいろな資料を羅列しただけですがが、大企業と富裕層の税逃れの実態はお伝えできたのではないかと思います。

2016年5月22日 (日)

電動車いすで行動範囲広がる。しかし新大久保、高田馬場ほとんどの店が車いすで入れず。

電動車いすを借りてから半年、いろいろなところへ
 電動車いすを借りて書いたブログが2015年12月16日です。翌年5月22日でほぼ半年が経過しました。電動車いすを借りて、現在は一人で出かけられるようになりました。昨日は一人で11時から出かけて、初めて外食をして、お土産を買い1時ころ帰ってきました。今日も一人で出かけてきました。昨日外食したからと、新大久保の町を電動車いすで走って写真を撮り1時間半ほどで帰ってきました。家内も天気が良いので、小金井公園へでも行ってこようかしらとと言って出かけました。]
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自宅のスロープを取り付けたところです。これがあれば一人で戸を開け閉めして、出かけられます。
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ここは今住んでいるマンションから、新大久保へ行く途中の道(文化通り)です。ここからかなり下っています。また上がります。以前この坂で前輪が浮き上がり横滑りして、少し真ん中に見える電柱にぶつかりました。今は気を付けておりていきます。結構新大久保、高田馬場は坂があります。左片足を下して制御しながら下がります。
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電動車いすについている転倒防止の小さい車輪です。あまり余裕はありません。坂が急だと前輪が浮いて危なくなります。あるいはどこか前輪と転倒防止の車輪が支え、真ん中のタイヤが宙に浮くこともります。
 新大久保から高田馬場周辺はかなりいろいろなところに一人で出かけました。自宅の百人町から明治どうり、早稲田通りからそこのスーパー三徳あたり近くまでが最長です。21日は明治通りの最近できたドン・キホーテの店(前はユニクロ)から戸山公園を通り、スーパーマーケットマルエツとその周辺のお店に行き、日本料理寿で初めて一人で外食をしました。今までは、お店があっても車いすではなかなか入れず、結局スーパーかコンビニでお弁当を買ってしまうのでした。新大久保周辺、そして高田馬場周辺の9割以上の店が入口に段差があり車いすでは入れません.寿さんは車いすのまま入れたのです。今度時々行くことにします。高田馬場駅近くの下がドン・キホーテのビルの2階の4軒の店は車いすで入れます。そのうちキリンシティ―、ロシア料理の店、和食の店は、車いすで入りました。
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日本料理の寿さんです、車いすで簡単に入れます。
 新大久保でも、高田馬場でも、車いすのままではほとんどのお店が入れません。道路から5センチくらいの段差もしくは階段があります。誰かに介助してもらってでなければ入れません。段差解消なためにスロープがついているところがありますが、新大久保駅前のパチンコ店の2階のカラオケ店、ビック・エコーのスロープは行きはよかったのですが、帰りは車いすのモーターつきのタイヤが溝にはまり、近くの人に車いすを押してもらってかろうじて動きました。
、セブン・イレブンの増加、身障者に優しい店とそうでない店
 近年コンビニ店のセブン・イレブンのお店が急に増えてきました。新大久保ではローソンやファミリーマートが多かったのですが、このところ新しくできる店はほとんどセブン、イレブンです。こんなにたくさんできて大丈夫なのでしょうか。
 今住んでいるマンションに最も近い店ということで、ヘルパーの斉藤さんによくつれていってもらった,諏訪通のセブン・イレブンの店(高田馬場店、高田馬場4-33-1)はスロープが急で、後ろから押してもらえば大丈夫ですが、電動車いすで一人では上がれず断念しました。電動車いすには転倒防止の補助車輪がついています。前輪と補助車輪が地面について、メインのモーターのついている車輪(タイヤ)が浮いてしまうのです。先ほど書いたカラオケ店の前のスロープもそうでした。現在は一人で行くときは、文化どうりの百人町2丁目店に行きます。店へは少し段差がありますが、後ろに重心を移して左足を地面について勢いよく上がると上がれます。
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2階のビッグ・エコーというカラオケ店に入るスロープ。入るのはスムースでしたが出るとき身動きができませんでした。
 5月末ごろにまた、セブンイレブンの店が新しくできます。今度できた高田馬場のガーデンタワーのビルに近く、それを当て込んでいるでしょう。
 コンビニ店や、住んでいるマンション近くのマイバスケットというミニスーパーや高田馬場駅近くの成城石井などのお店は車いすでは、特にレジの近くではものが置いてあリ通れないのです。わざわざ入口近く戻って清算するようでした。明治通りのドンキ・ホーテも通路にやたらとものが置いてあり通れません。商品も高いところにあり、その商品を取るためにイスがおいてありますがそのイスも邪魔になります。身障者が行くところではありません。
 百人町の戸山公園に隣接したスーパーマルエツはゆったりしていて、身障者にはとても便利です。
 街を車いすで走っても、他に電動車いすで走っている数はまだまだ少ないのです。車いすでもはいれるように作っている店はまだまだ少ないのです。しかし高齢者が増えるに従い、今後次第に増えてくるでしょう。道路でもお店でもバリアフリーのところが増えてくればいいのですが。今度東京オリンピックとパラリンピックが開かれます。パラリンピックの重要性も今後ますます高まるとおもいます。身障者の目で見てどうかということを、今後、発信していきたいと思います。それで、身障者も積極的に街に出やすいようになればと思います。
 

2016年5月16日 (月)

ヒューマニスト「エンゲルス」の評伝、しかしマルクスにくらべ、誤解され評価の低いまま

『エンゲルス―マルクスに将軍と呼ばれた男トリストラム・ハント著、は、原著は”The Frock-Coated Communist"で2009年に出版されましたが、日本語に翻訳されたのは2016年3月25日です。ハントは1974年イギリス生まれの歴史家でケンブリッジ大学、シカゴ大学を卒業後、ロンドン大学のクイーン・メアリ―校の英国史学講師です。2010年より労働党の議員をつとめています。翻訳されたのが17年後と少し遅い出版です。発行は筑摩書房、価格3900円+税です。
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本の帯封に佐藤勝氏(作家・元外務省の主任分析官)の紹介が書かれています。その内容は下記のようです。
 新自由主義的な弱肉強食の嵐が日本社会を席巻しつつある状況で、エンゲルスのヒューマニズムから学ぶべきことがたくさんある
 マルクスの盟友であったエンゲルスに関する本格的な評伝。エンゲルスは大学で学ばなかったが、独学によって独自の思想を形成した天才だ。エンゲルスの思想、科学哲学、経済学、社会主義像などが、マルクスより後世の社会主義者に影響を与えた。しかし、レーニンやスターリンは、エンゲルスの思想の底流に流れるヒューマニズムを理解しなかった。エンゲルスは、ソ連社会で公式理論とされた偏狭で、非人間的な弁証法的唯物論の考案者ではなかったことが、本書を読むとよくわかる。新自由主義的な弱肉強食の嵐が日本社会を席巻しつつある状況で、エンゲルスのヒューマニズムから学ぶべきことがたくさんある。
本の内容の紹介
序文 忘れられた彫像
 1869年6月30日、マンチェスターの工場経営者フリードリッヒ・エンゲルスは、20年近く働いてきた、一族経営の企業内の仕事を手放した。チョールトンの質素な自宅に戻ると、迎えに出ていたのは、愛人のリジ―・バーンズと、泊りに来ていた旧友カールの娘、エリノア・マルクスだった。エリノアはのちに書いた~朝出かけるときに「これで最後だ!」と叫んだ彼の勝ち誇った声を私は決して忘れません。
 フリードリッヒ・エンゲルスは繊維産業の有力者で、キツネ狩りを趣味とし、マンチェスターの王立取引所の会員であり、同市のシラー協会の会長でもあった。彼は人生を楽しくするものをこよなく愛した。そうほうかつぜいたくな暮らしを送り、大酒のみであり、ロブスター、サラダ、シャトー・マルゴー・ワイン、ピルスナー・ビール、お金のかかる女性たち、だが、その一方で、40年にわたってカール・、マルクスに援助を続け、彼の子どもたちの面倒を見て、怒りをなだめ、歴史上最も世に知られた思想上の共同経営の片翼を担った。『共産党宣言』の共著者となり、マルクス主義と呼ばれることになるものの共同創始者となったのである。
 ~(いろいろな運動で)困難に直面するたびにエンゲルスをたづねます。「そして彼への訴えが徒労に終わることは1度もありませんでした」。常に戦略的に考え、しばしば目上にたてつき、軍人であるとともに知識人でもあったエンゲルスはまさに「将軍」だった。
 
 ロシアのエンゲルスの名を入れた都市、モスクワ郊外のエンゲリス市にはエンゲルスの銅像が残っている。でもドイツのエンゲルスの生まれたところ(ラインラントの町、ヴッパ―タール)でも、空き地のまま残され、小さな記念碑だけが残る。(解放後)マルクスの彫像はレーニン、スターリン、べリアの像とともに引き倒された。ところがエンゲルスはあまりにも無害なので銅像が引き倒されることもなかった。
 近年世界の政治経済の矛盾がひどくなる中で、再びマルクスが見直されてきた。ニューヨークタイムスはマルクス株が上昇、120年ぶりに帰ってきた、とかいた。ローマ教皇ベネディクト16世ですらマルクスの「偉大な分析能力」をたたえる気になった。イギリスの経済学者メグナド・デサイは、熱がこもるマルクスに関する論文の一部で、すでにこの現象を「マルクスの復讐」と名付けている。p11
 (筆者注、ピケティの「21世紀の資本」が世界的に注目される中、マルクスの「資本論」も注目された)
 それに対して、今まで、エンゲルスは、1989年以後に意識的に忘却されたことの一環で、エンゲルスは大衆の記憶からかき消された。一方、マルクス・レーニン主義の恐るべき行き過ぎの責任を押し付けられている。倫理的・人道主義的なマルクス、に対して機械的で科学的なエンゲルス、と対比された。エンゲルス株は下降していった。マルクス主義研究者のノーマン・レヴィンは「エンゲリズムが結果として直接スターリン時代の弁証法的唯物論を導いた。~スターリン時代、マルクス主義だと理解していたものは、実際には、エンゲリズムだったのだ」といった。
 エンゲルスはマルクス主義と呼ばれるものの共同者創始者となった。20世紀を通じて、この説得力のある哲学が、人類の3分の一をゆうに超える人々の上に影を落とすことになった。しかも、社会主義世界の指導者たちは、しばしば、その政策を説明するため、行き過ぎた行為を正当化するため、そして自分たちの体制を強化するために、マルクスではなくまずエンゲルスを頼った。解釈されては、誤解され、引用されては間違って伝えられるわけで、フリードリッヒ・エンゲルス―フロックコートを着たヴィクトリア朝時代の綿業主ーはグローバル共産主義の中心的な立役者の一人となったのである。p8
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「僕は今哲学と批判神学で非常に忙しい」探求心旺盛な知識人エンゲルス19歳の自画像
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山岳派オスヴァルト。ロマン主義の空想家エンゲルスの肖像写真1840年
 
本の内容 要約 目次から
序文 忘れられた彫像
第1章 シオンのジークフリート
 1820年2月、エンゲルスは実業家の長男として生まれた
 ロマン主義の洗礼 エンゲルスの父は福音派の保守主義
政治的熱情の萌芽
「ヴィッパ―タールだより発行工場主の19歳の跡継ぎによって書かれる
 資本主義が人間に課した人的損失を、見事なまでに容赦なく批判したものになった。
 1841年近衛砲兵隊に[志願]、約1年間、大学の聴講生に
第2章 竜の種
青年ヘーゲル派の影響、
フォイエルバッハのヘーゲル批判、1841年「キリスト教の本質」出版
 (一時熱烈に支持)、ただその唯物論は不完全だった。
マルクスとの出会い、マルクスは2歳年上。マルクスの父は改宗したユダヤ人
1844年、マルクスとエンゲルスは再び会い、考え方が完全に一致することを確認
 1844年マルクスとの共著「聖家族」、
「新ライン新聞」
第3章 黒と白のマンチェスター
(エンゲルスは父の経営する会社のあるマンチェスターへ)
 1845年、イギリスにわたる
 マンチェスターの地獄図絵とそれをもとにした
「イギリスにおける労働者階級の状態」1845年
  階級社会の未来展望,「国民経済学批判大綱」
第4章 少々の忍耐と若干の威嚇
 マルクスとエンゲルスのパリ、青年ヘーゲル派との決別
 愛人問題(エンゲルスの「愛人」または「妻」と表現されたメアリー・バーンズ
「ドイツイデオロギー」、新時代を切り開く変化の歴史的推進力が階級闘争
  であることを明らかにした
「共産主義者宣言1848年
第5章 限りなく豊作の48年
 1848年の革命の進展、フランス2月革命の波及、反動のパリ、
 実戦と敗走 エンゲルスは反乱軍側の司令官ヴィリヒの副官となる。総勢13000人の革命
 軍の4倍もあるプロイセン軍と戦う。積極的に戦い手柄を立てた、敗走とスイスに亡命
第6章 さまざまな灰色のマンチェスター
 マルクスの隠し子、フレディ・デムート、非公式に自分の子として認知したのはエンゲルス、養育も行った。
 マルクスの「資本論」の執筆支えるために、エンゲルスは己の経済的安定と哲学的研究
 、さらには自分の名声すら喜んでささげたのだ。戦後のマルクス、エンゲルスの困窮
 父との和解、再び会社の経営者に、1850年、再び経営者としての仕事に就く(エンゲルスはエンゲルス家の長男)、社交生活、マンチェスター社会の重鎮
 貴族や大資本家とキツネ狩り、エンゲルスは家業に精を出し、マルクスの経済的支援のために働く。しかし、エンゲルスの二重生活は病気からうつ状態そして衰弱へと追い込まれた。
第7章 悪徳商売の終わり
「ドイツイデオロギー1845-46 マルクスとエンゲルスによって書かれる
 大部分がエンゲルスによって書かれる。生前には出版されなかった
 1869年 仕事を辞める。エンゲルス49歳。
 軍事史の研究、アメリカの百科事典に軍事部門に多数項目執筆
「ザ・ニュー。アメリカン・サイクロペディア」1857-1860
 大月書店、マル、エン全集、第14巻
「ドイツ農民戦争」1850年
「資本論」刊行1867年第1部、2,3部はエンゲルスにより後で発行
   「告白」の内容―後述、
 1870年ロンドンに転居、マルクス、エンゲルスは近いところに住む
第8章 リージェンツ・パーク・ロードの大ラマ僧
(~ロードはエンゲルスの書斎、大ラマ僧はエンゲルスのこと)
 パリコンミューンとインターナショナル、
「反デューリング論」1878 百科事典的に幅広く(「生命とは蛋白体の存在様式である」)
「空想から科学へ」1880
 第2インターナショナル(1889-1914)重要な役割をはたす
 最強のライバル、バクーニン
 有能な証券投資家、エンゲルス夫人(リジー)の死
 盟友マルクスの死(1883年)
第9章 マルクスのブルドック
 科学革命の時代に 1870年代半ばH・スペンサーンの「社会進化論」の学派に疑念
「唯物論的科学」
「自然の弁証法」(未完、1927年に発刊)、唯物論的科学の3つの法則について、
 1、量から質への変換の法則、2、肯定と否定などは分離しがたく相互に浸透する、法
 則。3、否定の否定(対立物の統一の法則)
 の法則により、高い段階へ、
(◎「自然の弁証法」中における「サルからヒトへの移行において労働が果たした役割」
と いう文章は,進化生物学者グールドが19世紀のダーウィン主義思考の傍流の中でも、際立って印象的なものとみなしていた。
 ヒトの進化における三つの本質的な特徴―言語、大きな脳、直立姿勢に注目することで、エンゲルスはいかに「労働が人間をつくりだしたか」を証明しようとした。ヒトが木から下りて「ますます直立姿勢を取るようになった」とき、、手が自由になって道具が使えるようになったのだ。自然の支配は手の発達とともに、労働とともに始まり進歩を遂げるごとにヒトの視野を広げていった」労働の要求は。徐々に共同体を1つにまとめ、相互援助の制度を育み、言語をはじめとする知的な行為が生じうる環境をつくりだした。労働の物質的要求がまず生じ、言語はそのあとに続いたに過ぎなかった。道具によって狩猟用具を使うようになると、ヒトは「もっぱら採食から肉も同時に利用する」。肉食により脳に栄養が行き渡り、容量が増えた。p375-376
ーエンゲルスによるこの考え方は、人間学にとって極めて重要な文章である)
「資本論」第2部発刊、マルクスの悪筆を読めるのはエンゲルスだけ
  第3部発刊1894年
「家族私有財産国家の起源
 近代の家族は、そのあらゆる欠点―家父長制、偽善性、欲求不満、ごまかし―とともに私的所有の産物なのである。女性の世界史的敗北性差を生物学的に決定されたものではなく経済的に生み出されたものである
(◎これも、人間とは何かを知るにあたって極めて重要な資料である)
「フイエルバッハ論」1888出版、アメリカ旅行
第10章 ついに第一バイオリンに
 あふれ返る社会主義者
 国際労働者大会での歓迎、
 「将軍」の死 、1895年、遺産は相続税を引いても2万378ポンド。(今の400万ドル、4億円以上)エンゲルスの遺灰は海へ
エピローグ 再びエンゲりス市へ
 エンゲリスの栄光と転落、ヴォルガのドイツ系入植者の町
 マルクスとエンゲルスは常々ロシアでプロレタリア革命がおきる可能性については、慎重であり続けた。
 資本主義社会の矛盾が共産主義への変貌に必要条件だと信じていたプレハーノフは、マルクス主義に「弁証的唯物論」の称号を最初に与えた人物だった。そして、レーニンが主張する前衛に立つエリートが引き起こすトップダウン方式の社会主義革命を心底から嫌っていた。(共産主義の土台にツアーリの専制政治が復活する)
 レーニンはエンゲルスのマルクス主義は―修正もありうると謙虚を装いながら―教義へと変容したのである。レーニンにとって「マルクス主義」は「鋼鉄の塊」にも似た理論の完全な体系なのであった。p468
 スターリンは共産党の遂行するすべての政策は必然的にマルクス主義的な神聖さを持つものとしてイデオロギー面で認可されることになった。
スターリン主義者がどれだけ彼(エンゲルス)を父と仰ぐと主張したとしても、20世紀のソ連の共産主義には決して賛成しなかったであろう。
 彼はまた現在の状況も決して受け入れなかっただろう。今われわれが20世紀の、マルクスレーニン主義によって付着したもの、つまり社会主義の井戸を毒で汚染した「弁証法的逸脱」をはぎ取って、19世紀のヨーロッパの本来のエンゲルスに戻ればきわめて異なった、驚くほど現代にも通じる声が再び聞こえてくる。
 エンゲルスの時代のマンチェスターの労働者の悲惨さと、2000年の中国の労働者の状況は極めて似通っている、p477
 中国共産党がエンゲルスに認可されたことだとどれだけ主張したがろうと、その政策によって引き起こされた野放しの搾取は明らかに、決してエンゲルスが描いた理想社会の概念ではない。
◎エンゲルスの著作については、本書にないものまで記入しました。
訳者あとがき 東郷えりか
 「エンゲルスの伝記を訳している」と、告げると、私の知人、友人はみな一様にぽかんとした表情を浮かべた。「マルクス・エンゲルスの?」とためらいがちに尋ねてみてから「なんでまた?」と目で問いかける人もいた。エンゲルスはもはや、時代遅れか、忘れられた存在のようだ。「フロックコートを着たコミュニスト」という題に凝縮されている。エンゲルスは忌み嫌う実業家として人生の多くの年月を過ごしただけではなく、高位の貴族とともにキツネ狩りを楽しみ、死後には酒屋に彼専用のワインが142ダースも残されていたほどの大酒飲みという、およそ共産主義者らしからぬ人物だった。
 ロマン主義者で歴史上の偉大な軍人に惹かれ、志願兵として1年間入隊していたほか、1848年の革命では戦闘に加わり、軍事評論家の側面も持つ彼は、「将軍」というあだ名で呼ばれていた。
 マルクス、エンゲルスは前衛が先導するトップダウン方式の革命には懐疑的だった。
晩年のエンゲルスは民主主義の持つ可能性に期待し、「普通選挙が社会主義の武器庫の中の、立派な武器であるとみなすようになっていた」74歳まで生きたエンゲルスの見解は無視され、、レーニン、スターリン、毛沢東など、まるで異なる社会で育った人々によって彼らの都合のよいように作り替えられ、それが20世紀以降に生きる多くの人間にとっての共産主義となったのだ。
参考
エンゲルスの「告白」の内容  p300(以前のブログにも書きましたが)
最も好む美徳    陽気さ
    男性には   他人事に口出しをしない
    女性には   ものの置き場を間違えない
主な特徴       あらゆることを生半可に知っている
幸せとは       1848年物のシャトー・マルゴー
不幸とは       歯医者に行くこと
許せる悪徳     あらゆる種類の過剰
嫌いな悪徳とは   口先fだけの言葉
嫌悪するもの    とりすまして、気取った女性
最も嫌いな人物  「チャールズ・八ッドン」影響力のあったパブティスト派の牧師
好きなこと      からかったりからかわれること
好きなヒーロー   「なし」
好きなヒロイン   「いすぎて一人に絞れない」
好きな詩人     「狐物語」の悪賢い狐のルナール、シェイクスピア、アリオスト
好きな散文     「ゲーテ、レッシング、ドクター・サミュエルソン
好きな花       ブルーベル
好きな色       アニリン以外なら何でも
好きな料理      冷たい料理―サラダ、温かい料理―アイリッシュ・シチュウ―
好きな格言     特になし
モットー        気楽に
◎wikipediaで、エンゲルスをひくと
 ドイツの社会思想家、政治思想家、ジャーナリスト、実業家、共産主義者、軍事評論家、革命家、国際的な労働運動の指導者となっている。
 いかに、エンゲルスの活動が広い範囲に及んでいるかがわかります。
1820年、11月28日生まれ、1895年8月5日死去、74歳
 
 
◎「こういちの人間学ブログ」におけるエンゲルス
「こういちの人間学ブログ」において、「マルクス・エンゲルス人間論」というカテゴリーがあります。ブログを書き始めた2009年に、マルクス・エンゲルスと言いながら、実際にはエンゲルスの人間論について書きました。その後このカテゴリーは全然書かれないままでした。
「人間観変えても世の中変わらない?」2009.9、4
「共産主義社会に画家はいなくなる?」2009,9、12
「マルクス・エンゲルス人間論」その1、「イギリスにおける労働者階級の状態」2011,3,3
「マルクス・エンゲルス人間論」その2、「人間とは」2011,3,3
「マルクス・エンゲルス人間論」その3、「エンゲルスの伝記」2009,11,11
2009年のこのブログを書き始めたころのブログです。
接続できます
 学生時代、筆者はマルクス・エンゲルスの著作や伝記を読み、その素晴らしき考え方、行動に感銘を覚えました。エンゲルスと同じように家業をやりながら、活動や、研究をやろうとしました。エンゲルスに比べますと、月とスッポンですが人間学研究は自分が研究者として抜きんでるより、組織者、応援者として、裏方として支えていこうと思い、それは実現しております。そして、ささやかながら人間学研究所を作り、それは現在もつづいております。
学生時代から卒業してから数年、マルクス・エンゲルスの「人間」に関する文章を、「マルクス・エンゲルス人間論」としてまとめました。当時、マルクス・エンゲルス教育論とか個別のテーマでまとめたものは多かったのですが、「人間論」は現在に至っても出版されません。マルクス、エンゲルスには、人間がない,のではなく、多すぎてまとめられないことがわかりました。人間論に関しては、生命の起源についてや、進化の問題を論じた、「自然の弁証法」とくに「サルが人間になるにあたり労働の果たした役割」は重要です。神秘現象を批判的に論じたものもあります。また「家族、社会、および国家の起源」も重要です。人間論に関しても「ドイツイデオロギー」などに重要な説明があります。
 このエンゲルスの評伝は、まだ詳しく読んでいません。記事と関係なくエンゲルスの本の出版日が、書いてあります。また読んで感銘を受けたところを追記していきたいと思います。
参考書
「フリードリッヒ・エンゲルス、若き日の思想と行動」土屋保男、新日本新書、1964年
”Der Junge Engels" Urrich  1966
参考 エンゲリス市
 ヴォルガ川下流の、ロシア連邦サラトフ州の、1都市。2002年、人口19,4万人。エカチェリーナ2世の出身地がドイツだったので、ドイツ人を多数迎え入れた。1924年ソヴィエト連邦成立の時、サラトフ州内に、ヴォルガ・ドイツ自治ソヴィエト社会主義共和国ができる。エンゲルスの名にちなんでエンゲリス市と名称を変える。共和国の首都となる。
 スターリンの時、ここに住むドイツ人はシベリアなどに強制移住された。その後その命令は解消されたがドイツ人はもどらなかった。
参考 ヴッパ―タール市
 エンゲルスの生地。ドイツのデュッセルドルフの東36キロ。ドイツ産業革命の中心工業都市。ヴィッパ―川の上にかかる世界最古のモノレールがある。人口4,5万人。タールは谷。ネアンデルタール人のネアンデルタール谷は近くにある
 
 
 

2016年5月 8日 (日)

人間学研究所5月合同例会「どこまで人間と見るか」その2,で話

人間学研究所、実用的人間学研究会合同例会
 2016年度第2回
 (第83回実用的人間学研究会・第123回人間学研究所)
テーマ
「どこまで人間と見るか」その2
   2015年5月19日 午後6時より
   西戸山タワーホームズ集会室
   講師: 佐竹幸一(実用的人間学研究会会長、人間学研究所専務理事)
 このテーマは2009年10月の第12回実用的人間学例会で、「『どこまで人間と見るか』-ヒューマニズムの起源」というテーマでお話ししました。今回は、同じテーマを、その後加わった資料も加えて再度お話しします。
 (以前の資料は、文章7ページ、図版資料3ページでした。今回は文章8ページ、図版4ページでした。)
はじめに
人間とは何か
 人間はどこまで自分の仲間、「人間」と認めるのか
 人間の歴史は、自分の仲間(同じ人間として認める拡大の歴史)
 正義や善悪も人間と認めた自分の仲間だけに通用する
 人間でないと判定されたものは、ヒューマニズムの対象外
 ともかく、「人間」を様々な資料から取り上げてみて、多面的にとらえ問題提起してみました。
「どこまで人間と見るか」その2
配布資料要旨
・・
Ⅰ、人間というものをいろいろ考える
―人間を人間と見ない、あるいは劣った人間と見る歴史
1、アメリカインディアン、インディオ
 1537年ローマ法王がアメリカインディアンなどもアダムとイブの子孫(人間)と認めた。
 それまでは人間ではなかった
2、オーストラリア原住民、アボリジニに対して
 1828年イギリス兵士にアボリジニを自由に捕獲、殺害する権利
  オーストラリア原住民はじめ人口50万人、90%人口減。
 タスマニア原住民絶滅―有袋類は保護するのに
3、カースト制度、身分制度、ダリット、白丁、非人
 インド、朝鮮、日本において
4、アフリカのピグミーに対しての食人行為
 2003年コンゴのピグミーが国連に提訴
 (21世紀の現代、こんなことがあるなんて)
5、白人による執拗な人種差別や優生学
 白人が最も優れている。黄色人種が少し落ち、黒人は類人猿に近いと
Ⅱ、いろいろな側面から人間を考える
1、人間とは何か、他の生物や宇宙人などとの比較
 いろいろな例 マンガに見る 別図9ページ
2、人間、ロボット、アンドロイドなどとの比較(新資料)
 「ロボットと人間』石黒浩氏の取り組み
 人とAI(人工知能)
3、人間(ヒト)と近い動物との比較
   人間とチンパンジー、ボノボ
   遺伝子配列は近い
   数字の記憶能力などはヒトより優れる
   京大の松沢氏はちんぱんじんと呼ぶ
4、王充の「論衡」から
 人間は300から360の裸の生物のうち最も高貴で最も知的である。
 しかしそれは程度の差であり、人間もシラミのように地上をはい回っているに過ぎなかった。-神は聞こえない、だから神に祈っても無断なことである。
Ⅲ、人間とは何か
1、ヒトの生物人類学的位置づけ
2、人類の歴史
  化石人類 絶滅 ホモ・サピエンスだけが生き残る
3、人間とは、人間、人(ヒト)、人間の意味
 1、人類-畜類などと対比
 2、人、ヒトーヒト、生物、人類学的意味
 3、人間-元は世間という意味
4、「人間って何ですか?」夢枕獏、8人との対談(新資料)
  いろいろな立場から考える
5、「人間の境界はどこにあるのだろう?」
  訳者、長谷川真理子のあとがき
最後に(筆者からの)一言
 2009年4月に人間学の例会で「どこまで人間と見るか」についてお話をしてから、ちょうど7年が経過しました。それ以後、1つはネアンデルタール人のゲノムが解析され、アフリカ人以外の人類にネアンデルタール人の遺伝子が組み込まれていることがわかりました。2014年には発見者ペーボの自伝的な書が出版されました。(邦訳は2015年)また、石黒氏は人間そっくりなロボット(アンドロイド)を作り、「人間とは何か」について問題提起しました。今後AI(人工知能)との問題が大きくなっていくでしょう。科学の急速な発展により、「人間とは何か」という問題もさらに深く掘り下げられることでしょう。
別図
別図-9ページ
マンガに見る、人間とは
 
ブッダ     手塚治虫 バリア(非人)のタッタ
 
鉄腕アトム  手塚治虫 人間としての権利を求めるロボット、それに反発する人間に壊される
火の鳥    手塚治虫  直立歩行し知性を持ったナメクジ?
14歳     楳図かずお 選ばれた子供たちに食料としてロケットに載せられる人工人間 
・      (もの)
別図ー10ぺーじ
「人間の境界はどこにあるのだろう」
  人種差別、人間とチンパンジー、ボノボ
  争わないようになったボノボ
  (一部、新資料)
別図―11ページ
ネアンデルタール人の少女の想像図(カラー)
ネアンデルタール人、昔のイメージと最近のイメージ
 「人類進化700万年の物語から」
  (一部新資料)
別図―12ページ
「アンドロイドは人間になれるのか」石黒浩
 (新資料)
 テレノイド、(見かけと動きと声)、石黒氏のジェミノイド、コミュ―とソータ
 マツコロイド、桂米朝のアンドロイド
 美人すぎるジェミノイドF、ハグビー(触覚と声)
 「AIの遺電子」山田胡瓜
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9ページ、手塚治虫の「ブッダ」から、バリア―非人
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9ページ、手塚治虫の「火の鳥」から、突然変異したナメクジ型、人間?
Kc4a09180001
11ページの石黒氏のいろいろなロボット
追記:2016年5月20日
 昨日例会が開催されました。参加者は15名でした。話の内容は、面白く参考になったと言っていただきました。1時間のお話のあと、1時間半ぐらいはベルギービール飲み比べなど、懇親会となりました。
 

2016年5月 7日 (土)

近況、1、5月は忙しい、二火会、株主総会、人間学例会講師、2、大江戸ビール祭り3、、蘭花盛り

1、五月は忙しい
① 二火会参加 5月10日(火)18時より 「あうん」にて、
  異業種交流会の二火会は、病気をしてから年に1回ほど参加しています。事務局の石橋さんより、どこか、場所を設定ほしいと連絡がありました。昨年はマンション集会室で行いました。今年は今まで何回も例会や有志の会を開いていた「あうん」にしました。
  自宅から電動車いすで行くつもりですが、雨模様なのが心配です、少しの雨は、合羽を来て、行きます。
2016年5月11日、電動車いすで、行きも帰りも行ってきました。昨日雨模様なので午後7時15分ごろ早めに帰らしてもらいました。帰る途中で雨に降られましたが、少しなので大丈夫です。
② (株)サタケ 株主総 5月13日(金) 18時半より 「あうん」にて
  なんと、1週間のうち2回も「あうん」に行くことになりました。
  金曜日は、天気がよさそうです。
③ 人間学研究所 合同例会 5月19日(木) 18時より
    西戸山タワーホームズ集会室
「どこまで人間と見るか その2」筆者が講師となります。
  配布資料、文章8ページ、写真など4ページです。 当日は懇親会でベルギービールを 
飲んでもらいます。
追記:2016年5月20日
  昨日人間学の合同例会が開催されました。
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参加者は15名で、会場にぴったりの人数でした。柴田義松会長、森岡副会長なども参加されました。6時から1時間、資料に基づいて、お話しました。内容は別のブログでご覧ください。
 その後、懇親会となり、用意したベルギービールや、ブランデー、焼酎などと、つまみで、飲んでもらいました。食事は外に注文し好きなものを頼んでもらいました。8時半ごろ終了しました。
  人間学研究所で行う例会の後の懇親会は、すべて越路でしたが、今度は時々車いすでも参加できる場所で開催すれば筆者も参加できるということで、今後そうするということになりました。
2、大江戸ビール祭り 
 4月にオープンしたばかりの、高田馬場ガーデンタワーのところにできた催物場、ベルサール高田馬場で、4月29日から、5月8日の連休の間、大江戸ビール祭りが開かれました。ここは、広さ2275m2で1日の部屋の借り賃は8時間で約400万円だそうです。
 オープンの日の29日は電動車いすで様子を見に行きました。その日はビールは飲まず、ソーセージなどを買い、夕食に食べました。
 5月3日(火)は、昼頃ヘルパーの斉藤さんと出かけました。
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ビールはベルギービールとフランスビールのお試しセットです。斉藤さんによれば、ベルギービールはおいしかったけれど、フランスビールはいまいちということでした。フランスのビールというのはあまり知名度はありませんが、4種類のうちたまたま私が飲んだビールはおいしかったです。飲む量が以前に比べると大幅に減っています。それで日本のビールは飲めませんでした。29日も8日も大変な混みようでした。
会場は672席、店舗は36コーナー、食事提供を兼ねている店はは12店です。
外国製のビールは少なくドイツ、ベルギー、イギリス、フランスぐらいです。
 5月3日は座る席は一杯で長テーブルだけの席しか空いていませんでした。
つまみは若い人向けのものが多く、和風のものは、海鮮串焼きのお店だけで、混んでいてとても買えませんでした。和風のつまみの店ももう少しあったらいいのにと思いました。
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フランスビールのお試しセット。
 
 今日か明日また一人で行って見ようと思います。今度は日本のビールを飲んでみます。5月19日に飲んでもらうビールを買おうとしましたが、瓶入りはなく成城石井で、ベルギー・ビールを買ってきました。
◎5月7日の日経新聞、NIKKEIプラス1の、「なんでもランキング」で地ビールの祭典 飲めば陽気に、というのが載っていました。
1位は「全国地ビールフェスティバルIN一関 岩手県 150種類以上の地元食材
2位、けやき広場春のビール祭り(さいたま市)
3位 ビアフェス東京(東京・目黒)
4位 地ビールまつり京都(京都市)
5位 ベルギービールウィークエンド東京(港区)
6位 地ビールフェスタINひろしま(広島市)
ベスト10まで出ています 今このようなクラフトビール(地ビール)が流行ってきているのですね。ガーデンタワーから、高田馬場駅まで行く道の途中にもクラフトビールのお店ができました。
9月16-25、開催のベルギービールに入ってみようと思っています
 六本木ヒルズアリーナ
3、蘭がきれいに
 5月8日(日)は母の日です。よく花のプレゼントを家内にしていました。
今住んでいるマンションは日当たりがよく、気密性が良いので、蘭が良く育つようです。
 蘭もだんだん増えてきています。
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/
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胡蝶蘭はここに出ているほかに3本ほどあります。
デンドルビュームはどんどん増えてこんな状態に

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