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2016年5月27日 (金)

秋山佳胤氏の「不食という生き方に」ついて、ひどいウソ、マネは危険だし無理

秋山佳胤氏の本、大々的に広告 

 

 2016年5月27日朝刊の毎日新聞の広告に、幻冬舎の本の広告がありました。日経新聞には広告が入っていませんでした。著者は秋山佳胤氏、肩書は弁護士、医学博士となっていますが、最近とった(2012年)医学博士の称号は言っていることが科学的根拠があるように思わせますが、日本のものではなく、インドのヨガ系の大学の博士号のようです。(代替医療)

 

 広告を見ていただければわかりますが、書名は『不食という生き方』で2016年5月24日発売 1100円(税抜き)の本です。本は買っていませんが、インターネットのいろいろな記事を見てある程度のことはわかりました。
◎2016年6月11日(土)本を購入しました。さっそく読んでみました。

 

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本を読んだ感想を追記しました。◎印はブログ筆者の感想です。

 

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毎日新聞の広告です(上記)

 

 若杉友子氏の「長生きしたけりゃ肉は食べるな」や、南雲義則氏の「1日1食健康法」の批判をブログに書いて、今でも多くのアクセスがあり、2人の健康法がおかしいと思う人が大変多いということがわかります。
若杉氏は「肉を食べない」、南雲氏は「1日1食」ということで、マネをしてもなんとか続きそうです。たいていは、「もう無理」とやめてしまうようですが。
ところが秋山氏の本によれば、ダイエットでも断食でもない。8年間「食べない」を実践する弁護士と大きく書いてあります。

 

本の内容

 

もくじ

 

第1章 食べなくてもいい
食べる量を減らすと頭がさえる、不食と断食は違う ほか

 

第2章 否定しなくてもいい
悩みは「他人ごと」という姿勢で聞く、我儘はエゴ、わがままはエコ ほか

 

第3章 争わなくてもいい
訴訟相手に「ありがとう」を送る、コンプレックスは抱きしめればいい ほか

 

第4章 悩まなくてもいい
うつは深刻な病気ではない、時間は思い出の良し悪しも変える ほか

 

第5章 こだわらなくてもいい
ギャンブルは思う存分すればいい、家族には、思うほど深いつながりはない ほか
「食べなくてもいい」、「2008年以降一切の飲食が不要」、「ある不食者との運命的な出会い」(不食者(ブレサリアン=呼吸主義者)として世界中でワークショップを開催しているオーストラリア人のジャス・ムヒーンさん)「食べる量を減らすと頭がさえる」、「コツは食べない生活に体を慣らすこと」「空腹に慣れたときプラーナだけで生きられた」『不食と断食は違う」「ダイエットは推奨しない」「必要な水分はプラーナから作り出す」、「今が一番体力がある」「小食で若返り、長寿が手に入る」、「過食は心の飢えが原因だった」「蚊を殺すと、自分に痛みが走る」「トイレは普通よりは少ないくらい」「寝なくても平気になる」
そして、「悲しいと食べたくなる。つまらないと食べたくなる。悩みが増えると食べたくなる。とも書いています。
◎普通は、健康であるならば一定の時間が過ぎればおなかがすいて食べたくなります。それが普通で健康な姿です。.悲しかったり、つまらなかったり、悩みが増えたりすると、普通はあまり食欲がわかなくなるものですが。皆さんは悲しいと食べたくなりますか?

 

本の中から、これはというものを抜き出してみます

 

 オーストラリア人のジャスムヒーンさんという女性は1996年以来飲み物や食べ物の摂取をやめたそうです。
◎ジャスムヒーンさんは1957年生まれ、美人な女性。オーストラリアを拠点に活動。プラーナ栄養者。(固形物を摂取しない)、不食者(プレサリアン)。プラーナを摂取、太陽光栄養実践者。-水も飲まないのではないのかもしれません。
大気に無限に存在するエネルギー(プラーナと呼ばれます)を摂取して生きるというものでした。~ちなみにプラーナというのは日本的に説明すると「気」のことだそうです。これを毎日、大量に食べているから、特に物質的な物を摂取する必要がないー。p16

 

私はプラーナを食べて生きているので、厳密にいえば不食ではありません。p38

 

必要な水分もプラーナから作り出せますから、水も不要です。p40

 

私の家族、妻、長男、二男は不食ではありませんp43

 

あらゆる存在と自分とも結びつきが見えるのです。蚊に対しても結びつきが見えますので、一切殺さなくなります。蚊を殺すと痛みが走る。p55

 

不食者の中には目の前にある食べ物かラエネルギーだけを「抜き取る」人もいます。p59

 

稲葉やすえさんは、2015年にマキノ出版から「食べない、死なない、争わない」という本を出しました。

 

◎ 気、という言葉を、ウイキペディアで検索してみると

 

気とは中国思想、道教、 中医学などの用語、ラテン語のspiritusや、ギリシャ語のプシュケー、サンスクリット語のプラーナなどと同じいみ。

 

生命力や聖なるものとしてとらえられた気息、つまり息の概念がかかわっている。

 

しかし、そうした霊的、生命的な気息の概念、霊気、水蒸気などと区別されずにとらえられた大気の概念の一つのものとしてみなされて初めて思想上の概念としての「気」が成立する。
『気』に対し科学的手法で解析された学術論文はない。
 

 

◎稲葉さん、本当に死なないのですか?まさかね。残念ながら今まで不死の人間はいませんでした。インターネットによれば、死なないとは、死んでも霊のような存在として、生まれ変わるそうです。それは死なないとは言えません。霊のような違う存在になることを死ぬと言います。あくまでも霊というものが存在すれば、ということです。

 

◎蚊を殺すと痛みが走る。蚊をこえて、どこまであてはまりますか、寄生虫や細菌やウイルスはどうですか。
「食べていないのにトイレにはいくのだろうか」そんな質問もうけます

 

一般の人よりは少ないが、トイレに行きます。おしっこもうんちも出ます

 

私はプラーナを大量に食べており、そのプラーナで水を生成しています。そもそも人体の約50~60%水分で構成されていますは。おしっこの約98%は水分です。うんちの70~80%が水分では残りが食べたもののかすだったり、腸内細菌や腸壁細胞だったりします。p58

 

そんな排泄にも、私たちの体はエネルギーを使います

 

食べることを減らして排泄の量や回数が減ると、体内のエネルギー消費が減りますのでエネルギー全体に余裕ができ、すこぶる健康になります。

 

排泄が減るとエネルギー消費に余裕ができ、すこぶる健康になるp61

 

◎いくらなんでもそんなことは、ありえないでしょう!もし出来たならニホニウムより大発見ですから。水を飲まないでも生きることができるなら、汚い水しか飲んでいない地域の貧しい人たちへの朗報です。その方法をぜひ教えてあげてください。

 

粗食で1日3回が2回になっても大丈夫です。江戸時代までは1日2食でした。p48

 

◎江戸時代の粗食2食ではなかなか50くらいまでしか生きられません。

 

◎2年ぐらいかけてゆっくり「不食」になるということですから、あたっているかどうかは直ぐには自分ではわかりません。また、以後の文章は、大部分は不食とあまり関係がない、秋山さんの生き方の問題です。

 

ギャンブルは思う存分すればいいp154

 

家族には、思うほどふかいつながりはないp170

 

私たちは何度もこの世に転生しています、どこかの生で船に一緒に乗りわせた人々、イメージとしてはこれが今の家族です。p171

 

◎ギャンブルはブログ筆者はしませんが。ギャンブルは麻薬性依存性があります。また胴元が儲けるようにできています。やればやるほど損失は進み泥沼にはまります。ギャンブルを思う存分して身の破滅をしても秋山さんはいいと思うのですか。

 

◎転生について、筆者はそうは思いません。私たちは"絶対に”転生などしません。だからこの1度の人生を大事に生きてゆこうと思います。永遠に転生するなどまっぴらではありませんか。ブッダは輪廻転生する苦しみから抜け出すことを目指しました。転生する苦しみから離れ、涅槃に至るのです。後世、極楽に生まれ変わるのは、6道のうちの天界に転生するのとごっちゃになってしまいました。(地獄、餓鬼、修羅、畜生、人界、天界)
◎「 トイレは普通より少ないくらい」というのはおかしいのではないでしょうか。水も食べ物も取らなければ1か月もすれば大小便ともに全くでなくなるはずです。「普通よりは少ないくらい」、というのはふに落ちません。あとに書く、プラーナ(霞のようなもの)が排便されるのでしょうか。気体のプラーナが体内で固体や液体の便に変わるのでしょうか。便が全く出ないというのではなく、便が普通よりは少ないくらい、ということは、少なめだけど普通に食べている証拠です。食べないのに排便をし続ければ、いずれ体重はゼロになるはずです。必要な水分はプラーナから作り出すとありますが、単純な物理の法則から外れます。
◎不食と関係ありませんが、「こだわらない、悩まない、争わない、人生のヒント」
「失敗したと裁かない、ちょとづつ進めばいい」ということも書いています。

 

秋山佳胤氏は、インターネットの最初に出てくる2011年3月のインタビュー記事を見ますと、肩書の一つにホメオパスというのが出てきます。ホメオパスとはサミュエル・ハーネマンが始めた療法で、薬を極限までに薄めても効果があるというのです。それをレメディーという丸薬(レメディー)にして投与します。日本では看護師がビタミンK を投与しなければいけない赤ん坊にレメディーを与え、赤ん坊が死亡したという事件がありました。
インターネットの記事を見ると、「僕のことを知らないで、僕のためにお肉の料理を出してくれたなら、それはよろこんで食べる」と言います。また違う記事に、子どもたちのお祝いの時にも食べるのだそうです。それは「2008年以降一切の飲食が不要」という話と矛盾します。それとも2008年前でしょうか。不食ではなく小食ならわかります。
不食の実践者の有名な俳優榎木孝明氏(59歳)は30日間不食をして9キロ体重が落ちて71キロになったそうです。水とお茶、コーヒーは普通に飲んだのだそうです。塩分糖分も少し補給したそうです。不食を終えて、本人はすがすがしい気分だと言っていますが、ブログ読者が写真をみた感想では、相当やつれているという感じです。これが普通の状態です。

 

水は飲まないとすぐ死んでしまう
このような、「不食」を実践してかなりの死者が出ています。ばかまじめに飲まず食わずを実践したのでしょうね。

 

食べ物は2から3週間食べなくとも体の脂肪や筋肉を消費して生きていけます。ところが水は1滴も飲まないと4から5日で死んでしまいます。地震などで生き埋めになったとき何日目のリミット、ということが問題になるのはそのためです。水分が体の体重の10%が失われると痙攣、循環器不全、腎不全などがおきます。20%でみんな死んでしまいます。水は呼吸や汗、尿、大便などでうしわれます。普通は1日2キロ(2L)を排出します。
食事をしたり、水を飲む代わりに秋山氏はプラーナから作り出すと言います。
プラーナとは、サンスクリット語で呼吸、息ぶきのことを言います。日本では気息と言います。ヨーガでは調気法-呼吸法「プラーナヤーマ」は不可欠の行法です。

 

仙人がよく霞を食べると言いますが、その霞が、プラーナになります。普通は食べることによって取り入れます。プラーナが多い食物があります。またよく噛んで食べるといいと言います。その点は筆者の推奨する咽津法(唾液健康法)と同じです。

 

しかし、プラーナというのがいささか不明瞭です。秋山氏は霞を食べて仙人のように生きているというのでしょう。でも、本人だけのいうことですから信用できません。不食はともかく水を飲まず、というのは信用できません。本当なら大変なことです。世界的な大ニュースです。ズルをしてひそかに飲食できないように、公開で実験してみてください。榎木氏はちゃんとおやりになったようです。ぜひ秋山氏もやって見せてください。現在世界中で飢餓で餓死する人がたくさんいます。その人たちを救ってください。
人相術から見ると

 

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現在より前の写真です。もっと鮮明な写真ではしわが目立ちます。

 

秋山氏の写真を見ると、確かにあまり食べないのでしょう。痩せてしわの多い顔をしています。この写真では不明確ですが。1969年生まれの2016年現在47歳ですね。筆者の見るところ今のままでは短命な人相をしています。不食とやらを自分がおやりになるのは結構ですが、マネをして命を縮めたり病気になる人が出てきたら困ります。

 

人相術では、口やあごの部分を下停といい、晩年運を見るところです。徳川家康は肖像画によれば若い時には顎が細かったようです。しかし、固いものをよく噛んで食べているうちに、がっしりしたあごとなりました。歯も丈夫でたくさんありました。よく噛めば唾液もたくさん出ていろいろな優れた効果があります。その結果長生きし、いつまでも元気だったのです。しかし豊臣秀吉は柔らかいノリがゆのような食べ物が好きで、そのために歯が全部抜けてしまいました。晩年にはもうろく症状が出て、結局豊臣政権は瓦解してしまいました。

 

どうせ、本を読まれた人も真似をすることはできないでしょうが、無理をして命を縮めないでほしいと思います。

 

秋山氏は不食だそうで、そのためか顎がとても貧弱です。そして本当は不食ではなくて小食のようですが、もう少し年を取ると、貧弱なあごと栄養不良はいろいろな障害を起こしていきます。それで短命の相があるというのです。秋山氏がご自分で好きなように生きて短命になるのは、それで結構ですが、他のよくわからない人が、長生きするつもりで、かえって、命を縮めるのはとてもかわいそうです。

 

追  記
この本では食べることを否定していますが、おいしくものを食べることは人生における、大きな楽しみではないでしょうか。人はただ生きるだけのために食べているのではありません。特に親しい人と楽しいおしゃべりをしながらおいしい食べ物を食べることはとても素敵なことです。
不食だということで、そういう生きていく上での大きな楽しみを失ってしまうことは本当に詰まらないことです。
コーヒーが好きで、自分で焙煎してコーヒーを入れてひとに振る舞い、それも商売にしているそうですが(ロータスコーヒー)、そのコーヒーも自分は一切飲まないことになります。つまらないですね。(水は飲まない、でもコーヒーは飲みます‥ではないでしょうね)
追  記:2020年6月6日
「暮らしの中のニセ科学」(平凡社新書2017年6月15日)という本の中に、136ページから秋山氏の不食と言うお話について書かれています。著者は左巻健男氏で、法政大学の教授をされています。佐巻氏は他に「ニセ科学を見抜くセンス」や「学校に入り込むニセ科学」などの書物で、非科学的な考え方を批判されています。
佐巻氏は秋山氏のことを、「愛と不食のスピリチュア弁護士」とされていると、紹介します。彼を「ホメオパス」-(ホメオパシーの治療を行うものとしています。そして日本ホメオパシー医学協会と、イギリスホメオパシー協会に所属しています。医学博士を持っていると言っていますが、インドのヨガ系からのもので、正規に認められるものではなくいわゆる、「ディプロマミル」です。ディプロマミルとは、実際に就学していないにもかかわらず、お金で高等教育の学位を授与すると称する機関のことです。その博士号は研究者の世界では、「ニセ学位」とされていますが、ニセ科学を広めようとする人や、ニセ科学商品を販売する人の名刺には良くそういった「ニセ学位」が書かれていて箔をつけるのに活用されています。
2006年に秋山氏はジャスムヒー氏のプラーナのワークショップに参加しています。2008年に再度参加し、それから、ものを食べず水も飲まない完全な不食になったと称しています。プラーナを取り入れて生命を維持しているというのです。
トイレは普通より少ないくらいというが、これは少なくとも食べて飲んでいることをしめしています。~水を飲まないで尿が出ていったら体内の水はどんどん減っていって生きていられるはずがありません。
岩田健太郎医師は『食べ物のことは身体に訊け―健康情報に騙されるな』(ちくま新書、2015年)で、彼の不食について論じています。彼がイギリスの有名な医学雑誌「ランセット」がホメオパシーについて書いていることを引用しているが、「権威の重みを借りて巧みに誘導する行為です。彼が本当に自信があるのなら、こんなせこいことをしないくたってよい」、「誠実な人ならホメオパシーが現代医学で否定され、ランセットにも肯定的な見解は少ない~事実にも背を向けなかったでしょう」「食べないということもウソの可能性が高いと思います」と書いています。
「もしなんとならば、神戸大学の僕の教室でこの実験をお手伝いしてもよいぐらいです。僕は不食で人間が生きていける証明ができれば、こんなにうれしいことはありません。大歓迎します」。「それをなぜしないのでしょうか。あるのは自己申告と「お仲間」の逸話だけです」
2016年6月11日追記
このブログは、書いてから、アクセスが急増しました。5月27日に書いてから6月10日までに2400件ほどのアクセスがあります。「不食という生き方」での検索順位は現在3番目です。おかしいと感じられる方が多いのですね。他の方はあまり、おかしいと書かないのですね。
2016年8月14日追記
このブログを読み直してみましたら、字の誤りがいくつかありました。直しましたが。どうも失礼いたしました。
2018年5月25日、急にアクセスが増大しました。
2019年4月10日追記
昨日4月9日の夜、2時間の間に1700件ほどのアクセスがありました。秋山佳胤氏の名前で検索すると、否定的な
ブログは筆者ぐらいなもので、ほとんど賞賛するブログばかりですね。
4月10日も409件のアクセスがありました。
2020年1月21日追記
21日の夜中から今アクセスが急増中です。
参考:2018年6月28日(木) 人間学研究所過去の例会
人間学研究所、実用的人間学研究会合同例会のお知らせ
「人生100歳時代の明と暗」
講 師: 佐竹幸一 実用的人間学研究会会長
場 所: 西戸山タワーホームズ北棟集会室 東京都新宿区百人町3-1-5
参加自由、参加費無料
お申し込み,お問い合わせは pcr92240@nifty.com  佐竹まで

 

 

 

 

 

 

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人体と健康法」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。宜しくお願いします。私はオーディオが趣味ですが、オーディオの世界にも、生き死にには関係ありませんが、「ケーブルを変えれば音質が向上する」「100V電源からバッテリーに変えれば音が良くなる」という意見があります。それに対して、「ケーブルで音が良くなる訳がない。試さなくても分かる」「バッテリーに変えたら良いのなら、とっくに全人類がバッテリーにしているはずだ。わざわざ実験するまでもない」という反論が一定数湧き上がります。つまり、理屈っぽい反論はするが、遠巻きの批判でしかないんですね。「自分で試しもせずに、工夫がないなぁ」と思います。こういちさんは実際に不食を試してみましたか? 「やらなくても分かる」とおっしゃるなら、医学も科学もそこでストップしてしまいます。

コメントが重なり、うまく1つが消せません。どうしたことでしょう。久しぶりに試しにもう一つ書いてみます。
この後に続けばいいのですが。

でもね、と付け加えます。霊的心理様へ

へ―そんな人もいるんだと、ポディティブにとらえれば、とおっしゃいますが、あまりに非科学的なことに関しては、それは間違えではと言いたくなりますよ。
信仰や宗教の世界と科学の世界は、別物であくまでも科学的なものの見方を私は信じます。

個人でそう信じるのはご自由ですが。

でもね、と付け加えます。霊的心理様へ

へ―そんな人もいるんだと、ポディティブにとらえれば、とおっしゃいますが、あまりに非科学的なことに関しては、それは間違えではと言いたくなりますよ。
信仰や宗教の世界と科学の世界は、別物であくまでも科学的なものの見方を私は信じます。

個人でそう信じるのはご自由ですが。

自分自身と相容れない思想や人間に触れた時は
へーそんな人がいるんだ!
てポジティブにオープンなマインドで向き合うと人生が豊かになりますよ。

嘘かどうかなんて、秋山さん本人にしか分からない。
いちいちネガティブにあら探しして、ここのここが矛盾してる!と批判するのは、誰にでも出来ます。
自分自身の人格や精神を損なうので辞めましょう。

秋山さんの不食の話は、「不食という生き方」の最初に出てきます。

「私は2008年3月以降、一切の飲食が不要となりました。いわゆる不食です」これが10ページ、第1章の本の冒頭の言葉です。
そして、それが自然にできてしまったから、不食生活を続けてこられました。10ページ。
 今は、家族や友人との食事会などでたまにいただく程度です。ー「えっ、それで不食といっていいのかな」

 たまにいただくという食事が、3日か4日に1回、あるいは1週間に一回、十,分食事をすれば誰でも生きていけます。それを私は不食を2008年から続けています、というのとは矛盾しますね。そんな不食でいいのでしょうか。
小食なのは事実でしょうが。
 でも、秋山さんを神様のように信奉している方にとってそんなことはどうでもいいのでしょうね。

秋山さんの不食の話は、「不食という生き方」の最初に出てきます。

「私は2008年3月以降、一切の飲食が不要となりました。いわゆる不食です」これが10ページ、第1章の本の冒頭の言葉です。
そして、それが自然にできてしまったから、不食生活を続けてこられました。10ページ。
 今は、家族や友人との食事会などでたまにいただく程度です。

 たまにいただくという食事が、3日か4日に1回、あるいは1週間に一回、十,分食事をすれば誰でも生きていけます。それを私は不食を2008年から続けています、というのとは矛盾しますね。そんな不食でいいのでしょうか。
小食なのは事実でしょうが。
 でも、秋山さんを神様のように信奉している方にとってそんなことはどうでもいいのでしょうね。

不食が可能な方法があるならば飽食の国では無く飢餓に苦しむ国で布教していただきたいです

>秋山氏はさんざん書いているように不食ではなくご家族と時々ちゃんと食べていると言っています

「科学的に云々~」などは不要で、その事実だけで「不食ではない」という十分な根拠になるのでは?もちろんどこに書いてあるのかという典拠は必要でしょうが。

このブログは2016年5月に書きました。書いた直後からアクセスが大変ありました。それから4年半が過ぎてもアクセス数が1位なのです。最近でも11月の途中から急にアクセスが増えました。1日に1000以上もアクセスがあり28日現在でも11月の累計アクセスが2200ほどありました。いかにこのことに関して皆さんの関心が多いのかがわかります。

秋山氏の書かれた本や、記事に対しても検索してみると批判的に書いているのはほとんどありません。このブログでのコメントを見ていただいても、不食でも生きられるということを支持される方がかなり多いことが分かります。

秋山氏はさんざん書いているように不食ではなくご家族と時々ちゃんと食べていると言っています。不食が可能だと主張される方は、それなのに水も飲まず食事をしなくても生きられることが可能だといいます。日本人で飲まず食わずで生きている人が1人でもいるのでしょうか。教えてください。

秋山氏は食べなくとも生きていられるということよりもいろいろ書かれているような秋山氏の生き方を推奨したいだけだとおもいます。

こういう話は「科学的に云々・・・」と言って否定しようとしても意味がないと思うんですよね。なぜならその科学そのものが「観測事実ありき」で成り立っているものなので。どんな科学でもそうで、まずは「現実を観測した結果こうなっている」という事実からスタートして、「それはなぜか?」と追究して理論を構成していきますよね。
つまりもし現行の科学理論にそぐわない出来事が起こったとしても、観測された事実そのものは科学理論によっては否定できないということです。理論よりも観測事実が先だっているからです。
もしそれを否定するなら観測そのものが間違っていたと証明するしかないでしょう。この話において言えば「不食だということが事実ではなかった」と証明することです。
あなたの言っていることがすべて正しく「現行の科学理論では不食は不可能だ」と結論づけられたとしても、現行の科学では説明不可能な理由によって不食が可能であることは論理的に自明です。

太平洋戦争中のニューギニア戦線において侵攻した連合軍に補給を断たれた兵士達がアイタぺ目指して攻撃した会戦がありました。 

突撃命令を下した将校もやせ衰えた兵士達もその作戦が「口減らし」のためだ、と自覚していたのです。 銃剣のみ持ち、連合軍の銃火を目指して突撃を繰り返した兵士達を称して、連合軍曰く「自己の生命を無視した攻撃」と。

飽食の時代にあって、わざわざ「不食」とは何と傲慢な行いなのか、と餓死した英霊達を思い呆然とします。

私は断続的に断食するようになって8年目になります。去年、思う所あって、ジャスムヒーンさんの21日間プログラムを3度実践しました。

食べ物も水も摂らずに7日間、その後は14日間果物ジュースと水のみで過ごすという内容です。

これを続けて3度実践しましたので食べ物も水も摂らずに7日間過ごす事はクリアしました。3度。

ただ、やはり餓死の危険はゼロではないですからお勧めはできないですが。

イチロウ様

コメントありがとうございます。
飲まず食わずなのに排便するということに、おかしいという方は、さすがに多いようですね。プラーナと言う気体から糞便という固体が生ずるようですが、そういうことを信じる方も多いのですね。
前にも書きましたがほんの少しのサツマイモを食べて水は飲み、便は出ないという人はありそうです。腸内細菌が大活躍している感じです。

こういち 様

「不食」と言う自然の摂理を無視した在り得ない一種の「宗教」は、超自然の無窮の宇宙を漂う人の願いなのです。 「願い」は「願い」なりに宗教の摂理に従う他は在り得ません。

現代では、宗教は宗教として科学とは分離して論ずるのが当然とされていますが、戦前には、意識的に混濁した存在にされて他国との戦争に当たっても宗教を一般兵士から国民一般にも強いる無茶苦茶が横行していました。 補給を無視して戦争をしたのですから兵士の餓死が銃弾に中っての戦死よりも多かったのです。

一切の科学を無視した宗教的論説が二十一世紀の現代にまで横行している現実には、口を開けて呆れる他はありません。

これでは、また、戦前のように馬鹿げた国家主義的・宗教的主張が国民一般の願いになることも在り得る、と思われます。 そしてまた、死して無窮の大義に生きよ、と言われて死ぬのでしょうか。 

懐疑主義者では長生きできないと思うぞ。誰からも学ぶ精神が大事。あんたのやり方では非人道的で吐き気がしますよ。

2019年12月にコメントが27となりました。アクセスもブログを書いた時からトップか2位を続けています。いかに不食ということに関して興味を持っているかがわかります。
12月8日に不食太郎さんのコメントを頂きましたが、1863年生まれの長南幸恵さんを、ネットで調べましたが、かなりありうるかもしれないと思いました。水は飲み、少しのサツマイモは食べるらしいです。ほとんど排泄物は出ない・・というのもそうでしょうね。単純な足し算、引き算でもでもそうです。
 気を食べて食べ物を食べず、水も飲まないのに排泄物が出るというのはインチキをしてこっそり食べているに決まっています。
 さんざん言うように本当に3日以上、飲まずに生きていける方法を見せてけもらいたいものです。食べなくてもかなり生きられますが・・・。

23年くらい前に、人間は食べなくても生きていける事を悟った者です。おおよそ3か月くらいの哲学的思索の末に辿り着きました。
「気」の存在は知ってましたが、不食の知識は全くありませんでした。
日本国内の有名な人の中での本物の不食者は、おそらく長南年恵さんだけだと思います。
森美智代氏は「微食者」で、超常的ですが、病気が発端ですし不食までには壁があるように感じます。
残りの有名な、秋山佳胤や山田鷹夫は、いかがわしさだけが目立ちます。不食でないことは明白ですが、摂取カロリーが基礎代謝量を下回るような超常的な「微食者」であるかどうかは、何とも言えません。彼らには不誠実さを感じるのでどうでもいい事です。
そういう自分はというと、断続的に7年間は道徳的観点からビーガンでした。
実現できるかどうか解りませんが、そろそろ独自の手法で不食を目指そうと思ってます。

江戸時代は平均寿命が50さいくらいというのは、医療が進んでいなかったので、新生児や乳児でなくなる子が特に多く、平均寿命を押し下げているだけです。大人にしても、医療の問題です。
2食だから、3食の人より弱い、病気になりやすいということは絶対にないはずです。2,3どちらにしても少食が一番です。

また不食は無理になる、目指すものではなく、自然になる、気づいたらなるものだと思います。
1年後までに肉やめる2年後までに野菜果物のみ、とか目指してするものではなく、森美智代さんのように、腸の吸収がよくなり、どれだけ食事を減らしても太ってしまうようになり、最終的に青汁1杯になった、というのが理想だし本物?だと思います。
そういうパターン以外はどこか無理があるのではないかと思います。

イチロウ様

コメントありがとうございます。

全くおっしゃる通りですね。不食で生きることが可能なら多くの日本兵が餓死しないで済みましたね。

この不食のブログが最近のアクセスのトップということは、多くの人が関心を持っているということです。

秋山佳胤と検索すると、まともに批判的に書いているのは私のブログぐらいで他の人はほとんど書いていません。不食~を称賛するものばかりです。
 まさか真似をして死ぬ人はいないでしょうが、体を壊す人はいるのではないかと思います。水も飲まないで生きられるなんて、生物学それ以前の理科を小学校でちゃんと教わらなかったのでしょう。

こういち 様

申し訳ありません。 

誤字がありました。 「適用」では無くて、「適応」です。 お詫び申し上げて訂正いたします。 

こういち 様

もう数年も前のご投稿に世間の関心が向くのも、健康法に飢えている人々が多数居る、と云うことなのでしょうね。

でも、不食で死なないのは自然の摂理に反しますので、噓か、小食を誇大に表現しているのか、どちらか、と疑われても仕方は無いのかも知れません。

人間が何も食べずに生きられるのならば、太平洋戦争中に餓死した日本軍兵士達も助かったのでしょう。

インパール作戦では、後方より補給も無く、弾丸も食糧も尽き果てて、やせ衰えた兵士達が死線をさまよい多くが餓死しましたが、不食で餓死しなければ元から補給も要らない訳でした。 

専門家によれば、戦争で補給を断たれて死んだ兵士は、戦闘で戦死した兵士を大幅に上回る、とのことです。 

中には、米軍の飛び石作戦で、完全に無視された島に居た兵士達も居たのです。 そうした島々では、戦闘よりも飢えとの闘いが終戦まで続きました。 

飢えて死んだ兵士達の肉を喰らい生き延びた兵士たちも居ましたが、不食で死なないならば、そのような悲劇も無かったのでしょう。 

因みに、ヴィーガンのことですが、南インド等では、ヴィーガンで無くても宗教的に肉食をしない人々が殆どです。 でも、現地では、植物でも果実等から必要な栄養を得られますので、同様の果実等が無い日本とは様相が違います。 

南インドその他では、肉食をしなくても体格は良いですし、健康的です。

同様に南半球では、肉食をしたくても出来ない処もありますが体の方が適用しているようです。

でも不食には適用の仕様が無いでしょう。

名無し様

コメントありがとうございます。アクセス急増した原因を教えていただきありがとうございます。
 ヴィーガンというのも初めて知りました。ベジタリアンより徹底して卵や牛乳もゼリーも食べないようですね。
 6月に100歳の長寿者の話をしますが、ヴィーガン=絶対菜食主義者とかいう人は長生きできないようですね。

5/25にアクセス数増加したのは、海外のヴィーガンYouTuberが、ガンで死亡したというニュースが出た為と思われます。
変な食事療法ということで言うと共通点が多いですし。

こういちさんも仰っている通り、自分で不食だなんだとやるのは構わないですが、それを他人にも押し付けたり、さも最高の健康法だと誤認させてしまうのは大きな罪ですね。これを妄信的に受け入れてしまう人にも問題があるとも思いますが…

びっくりぽん様

調べるには1年拘束とかしないと調べられそうにないですね。・
―調べるには1年拘束する必要はありません。1週間あれば調べられます。一週間、1滴の水を飲まずに生きられただけでも大変なことです。
 水を飲まないで生きられる方法があるなら地震で生き埋めになった人は生きながらえるのですが・・・
 残念ながら無理なようです。
でも、こんな話を信じる人が多いというのが驚きです。

昔の記事に失礼します。 丁度この本がAmazonの「まだ間に合う 男の体マネジメント」というカテゴリーに上がってきたので 「は?」っと思い調べてみたらたどり着きました。
結構評価が高いコメントが多かったです。

 内容がもし本当なら食糧危機なんて心配する必要ないですし、餓死なんて言葉は存在しないでしょう。 筆者が特異体質という可能性も考えられますが、、、、
調べるには1年拘束とかしないと調べられそうにないですし、失敗したら死んでしまうので証明はできそうにないですね。
本にデータは記載されてるのでしょうか?せめて、会食だかの細かい日時と水分を摂取した6年間のデータがあれば、科学者も相手にするかもしれないですね

著者の本は3冊読んだ。
人生論みたいな部分はともかく、
不食とか水も飲まないとかは・・。
著者は即身成仏するだろう・・。

えい様

 コメントありがとうございます。

不食を実行されているということですが、ぜひお聞きしたいとおもいます。元の本を読んでいないとのことですが。

 まず、えい様は水を飲んでおられないのでしょうか。秋山氏は水はプラーナからとっているから大丈夫だそうです。秋山氏には聞けないので、ぜひ教えてください。もし5日間以上水を飲まないで、大丈夫ということでしたら、すべての常識がひっくり返る大事件ですから、その具体的内容を教えてください。
 
 公開で水を飲まずに5日以上生きられる例がありましたら、大変な大事件です。その方法がわかれば、生き埋めになった時など5日間の壁を超える方法として大変な朗報になりますので。よろしくお願いします。

 こういち

記事を拝読しました。
実は私自身不食中です。
特定の宗教に関わっていない一般人であり、きちんとした家族もいます。

本は読んでいないのですが、こちらの記事で抜粋された弁護士さんの仰ってることに概ね同意見です。驚くほど体に不調もありません。しかし、人に推奨もしません。
したいくらいですが、肉体的にも精神的にもチャンスが訪れて、出来る人だけで良いと思っています。無理して始めて体調不良になる方もいらっしゃるでしょうし。
家族や周囲の人間にも不食の人間はいません。

一般的に反対意見が多いのは大変良く理解できます。私ももし数年前にこんな考え方を聞いたら、とんでもない、と拒絶していました。
しかし思っていたより色んな可能性がある、という事が実践の上分かっただけでも私は勉強になりました。
でもこの弁護士さんは正直もう少しお太りになられても良いですね。あまりにスリム過ぎて、不食又は少食生活をされているという説得力はありますが、不食についての賛同は得難いと私も思います。

科学的な視点と言いながら、疑いの目で見ている偏りを感じます。ブログでは何一つ実証しておらず、秋山氏は実践している。プラーナ、気という言葉は伝統的に世界にありますが、全て安易に荒唐無稽の伝説と片付けるのは、怠惰に過ぎるかと。あなたは科学している人間では無く、未だ大多数の世間で認められて無いものを怖がる消極的な人間なだけです。科学によって、現代は頭でっかちで手を動かさない怠け者が増えてしまいました。

大和様

 コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、インターネットで見ますと、筆者のような批判的なブログは少なく、賛美したブログばかりです。そしていわゆる学者先生はばかばかしいのでまともに相手にしないのでしょうね。

 -高校生物までの知識があれば、虚偽が自明です。本当におっしゃる通りですね。生物ということ、生きていること、に関して先生は何を教えているのでしょうね。

 残念なことですが現代の世の中では科学的にものを見るより非科学的・神秘的主義的なもののみかたのほうが圧倒的に強いのです。

 まあ、このブログをいまでもたくさんの方に読んでいただいているのは、健全なものの見方をする方がまだ多いということです。

なぜこうした批判が少ないのはあなたのような知識人を含め、今の社会では無意味だと思われてるからでは無いでしょうか。事実、高校生物までの知識があれば虚偽が自明です。
だのに、このような事態が生じるのは一般人の教養不足を含め、メディアリテラシーの欠如が問題であると考えます。が、啓蒙するにしても現在のマスメディアに敵う手段は無いように思われます。
ただ、私の母が随分と傾倒してしまい、何を言っても現在の科学を凌駕する科学があると信じており、情報化社会の恐ろしさを実感した次第です。
ちなみに自分は1日2食ですがこれが通常の人間のエネルギー消費量にとって最低ラインだと思います。
とりとめない文章で大変申し訳ありません。
追記、
ニホニウムの引用には笑わせて貰いました。イマドキですね。

大野晶子様

 質量とエネルギーの転換ではほんの僅かの質量がエネルギーに転換すると膨大なエネルギーに変わります。水爆いくつものエネルギーです。その逆におなかを満たすほどの物質(食べ物)をエネルギーから転換することなどまったく不可能です。
ちなみに、E=mC2で、Eはエネルギー、mは質量、Cは光の速度・その2乗です。
 私はおいしいものを食べる楽しみをなくすなんてまっぴらです。大野さんはご自分でも物を食べなくてよくなるほうがいいですか。
 

秋山さんの場合には、ウェブを見てわかるように、
石から、なんか波動みたいなのを受け取ったようですね。ご存じのとおり、アインシュタインの質量とエネルギーの変換法則によると、エネルギ‐と質量は常に変換しあっていますね。だから、エネルギーを摂取できる体質になればこんなことも可能なんじゃないかと、私は思います。便利ですねえ。。

不食で生きられたら、って考えると不思議で面白いと思うけど、現実的に冷静に考えたら無理でしょ!

ゆみえ様

 コメントありがとうございます。

yahooの記事で不食を推奨していたのですか。
だいたい、秋山氏は不食ではなくて、小食です。子供と一緒に食べるそうですから。本当に飲まず食わずで、1週間生きられたら、大変なもので、史上初めての人間ということになります。

 こんな詐欺に引っかかって体を壊す人が出たら、いってみれば犯罪です。
 ゆみえさんが餓死寸前のところうまく回復されてよかったですね、

 今まで、極端な健康法を提唱する人は、うそをつく詐欺か、本当にやっているなら早死にします。多くの例があります。秋山氏も不食=小食で早死にしますね。人相に短命の相がよく表れています。本がたくさん売れても短命ではしょうがないですね。

 むしろブログにも書きましたが、117才長寿記録の大川さんみたいに長生きに元気で長生きにはおいしいものをバランスよく食べることが大事でしょうね。
 

こんにちは。私がこの記事を読むのは二度目になります。一度目は去年です。今日またなぜここに来たかといいますと、Yahooのニュースで不食を推奨するような記事があったからです。
芸能人の不食生活や、極端な少食生活を紹介しています。

私自身かなり少食ではありますが食べないといくらダラダラした生活を送っていても身体が持ちません。ましてや働く人間が食べないのは大変なことです。食べないでも平気という人は自分がきついのもわからないんだと思います。
とても生き物らしい生活を送っているとは思えません。

私は最近鬱状態になり、食事も水分もとれなくなりました。しかし、食べないと何日も下痢をし、水分がどんどん減るのを感じ、焦ってポカリスエットを飲みました。飲む点滴というだけはあってすぐに体力は回復しました。それからは少しずつ食欲も戻りなんとかいつもの状態になりました。

食べない飲まないというのは普段食べて飲んで暮らしている人間が急にやるとどうなるのか…というのを体験できたように思います。
というわけで私は悲しいときに食べたくはならない派でした。
食べない間は死ばかりを考えていましたよ。生きるって食事なしでは厳しいです。

ここのコメント見てもわかるように、ありのままを見つめることが出来ない人達ばかりなんだよ。食べようが食べまいが、食べない事は生きる事にならないんだよ。
釈迦だって、断食では悟れずに、苦行を止めて粥食って悟ってんだ。「苦行は無意味」だと。

食べたくないなら食わなきゃいい。ただそれだけの事を健康だの、人生だのになぞらえる生き方は、人間のそれではなく、人間のふりをしているだけだよ。だから、こんなことをおすすめされて、動揺していてはならないのだよ。そういう修行だと思ってね。食わない事は基本的には悪徳であって、説明は省くけど、涙を流す人の気持ちを蔑ろにする行為に繋がっていくのだよ。そこまで見つめて、考えて、選んでいくのが人の道。人間ってのは、神との対話イコールこの世界のあるべき姿を見つめて「存在の儚さ」とどう向き合うかだけで生きる事なのよ。

1日1食試したことありますか?意外とすぐ慣れますよ。空腹感はあるんですが、そんなにつらいと感じるほどじゃなくて、こんまんま何にも食べなくても死ななそうな「感じ」はしなくはないです。食べないと死ぬでしょうけど。それからすすんで何にも食べない、さらに水分すら取らないっていうのには流石に常人には無理があると思いますが、中にはそういう人がいてもおかしくはないかなという気にはなりますよ(笑)。

おじゃまいたします。

>悲しかったり、つまらなかったり、悩みが増えたりすると、普通はあまり食欲がわかなくなるものですが。皆さんは悲しいと食べたくなりますか?

本文中のこの問いかけに、私自身について記しておきます。
私は精神的にネガティブだったり不安定な状況、悲しみや悩みのある時は食べたくなります。
気晴らし食い、というやつかもしれませんね。
私自身にとって言えば、食べることは大きな楽しみであり癒される行動なのでしょう。

こういち様の「普通」は、こういち様の知る「普通」なのだと思います。
表現に公平さがありますと、読者としてはすんなりと記事を読むことができますね。

今日、MSNでインドで40年不食の人がいてインドの政府が検証しても事実の人のことを見ました。排尿、排便なかったそうなので、この弁護士は食べているのでしょうね。
https://gunosy.com/articles/a6pzg

とら猫イーチ様

 コメントどうもありがとうございます。不食などではなく、菜食を実行している人は多いですね。インドでは何億という人が菜食です。菜食でも栄養のバランスはよくとれ、強肩な体を作り上げているようです。
 万福寺は旅行で行ったことがあります、有名なお店ではありませんが普茶料理も食べてみました。うまく作っていますね。
 新大久保、百人町には台湾の仏教寺院が作られ、大きな弥勒菩薩の像があり、付属施設として精進料理のレストランがあります。以前何回か行ったことがあります。こんにゃくなどをうまく使って、肉そっくりな見た目と味を作っています。いろいろな精進料理の素材も売っています。大したものですね。

 こういち 様

 御論稿に取り上げておられる「不食」は、とても健康法とは言えませんよね。 著者の写真は、栄養不良のように見えます。 栄養不良で健康法とは呆れます。 

 不食は論外ですが、肉食を禁じて、菜食を貴ぶ民族や、宗教も存在しますが、肉から栄養を取らず、野菜・根菜類や大豆等豆類の加工食品から栄養を摂取する場合も多いです。

 私も、禅宗の精進料理が好みで、参考文献を集めて調理しています。確かに健康には良いと思います。 

 最近では余り食べられない大豆加工食品をたくさん食べることになりますし、何より米を中心として食することになります。 

 例えば、南インドでは、宗教的理由も合わさって肉食はしませんが、豊富な野菜、果実、穀類を使用する調理法があり、美味しくて栄養価の高い食事が可能です。 

 精進料理では、中国風の精進料理である黄檗山萬福寺の普茶料理が栄養価も高くて良いと思っています。 

 この普茶料理、東京にも専門店があった、と思います。 一度、お試しを。 

 下記は、その専門料亭です。 私には、敷居が高くて、一度も行ってはおりませんが、お寺の前にあり、お寺へ行く度に観ております。

 京都宇治 普茶料理(精進料理)の白雲庵 
 http://www.hakuunan.com/

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