ヒューマニスト「エンゲルス」の評伝、しかしマルクスにくらべ、誤解され評価の低いまま
『エンゲルス―マルクスに将軍と呼ばれた男』トリストラム・ハント著、は、原著は”The Frock-Coated Communist"で2009年に出版されましたが、日本語に翻訳されたのは2016年3月25日です。ハントは1974年イギリス生まれの歴史家でケンブリッジ大学、シカゴ大学を卒業後、ロンドン大学のクイーン・メアリ―校の英国史学講師です。2010年より労働党の議員をつとめています。翻訳されたのが17年後と少し遅い出版です。発行は筑摩書房、価格3900円+税です。
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本の帯封に佐藤勝氏(作家・元外務省の主任分析官)の紹介が書かれています。その内容は下記のようです。
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新自由主義的な弱肉強食の嵐が日本社会を席巻しつつある状況で、エンゲルスのヒューマニズムから学ぶべきことがたくさんある。
マルクスの盟友であったエンゲルスに関する本格的な評伝。エンゲルスは大学で学ばなかったが、独学によって独自の思想を形成した天才だ。エンゲルスの思想、科学哲学、経済学、社会主義像などが、マルクスより後世の社会主義者に影響を与えた。しかし、レーニンやスターリンは、エンゲルスの思想の底流に流れるヒューマニズムを理解しなかった。エンゲルスは、ソ連社会で公式理論とされた偏狭で、非人間的な弁証法的唯物論の考案者ではなかったことが、本書を読むとよくわかる。新自由主義的な弱肉強食の嵐が日本社会を席巻しつつある状況で、エンゲルスのヒューマニズムから学ぶべきことがたくさんある。
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本の内容の紹介
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序文 忘れられた彫像
1869年6月30日、マンチェスターの工場経営者フリードリッヒ・エンゲルスは、20年近く働いてきた、一族経営の企業内の仕事を手放した。チョールトンの質素な自宅に戻ると、迎えに出ていたのは、愛人のリジ―・バーンズと、泊りに来ていた旧友カールの娘、エリノア・マルクスだった。エリノアはのちに書いた~朝出かけるときに「これで最後だ!」と叫んだ彼の勝ち誇った声を私は決して忘れません。
フリードリッヒ・エンゲルスは繊維産業の有力者で、キツネ狩りを趣味とし、マンチェスターの王立取引所の会員であり、同市のシラー協会の会長でもあった。彼は人生を楽しくするものをこよなく愛した。そうほうかつぜいたくな暮らしを送り、大酒のみであり、ロブスター、サラダ、シャトー・マルゴー・ワイン、ピルスナー・ビール、お金のかかる女性たち、だが、その一方で、40年にわたってカール・、マルクスに援助を続け、彼の子どもたちの面倒を見て、怒りをなだめ、歴史上最も世に知られた思想上の共同経営の片翼を担った。『共産党宣言』の共著者となり、マルクス主義と呼ばれることになるものの共同創始者となったのである。
~(いろいろな運動で)困難に直面するたびにエンゲルスをたづねます。「そして彼への訴えが徒労に終わることは1度もありませんでした」。常に戦略的に考え、しばしば目上にたてつき、軍人であるとともに知識人でもあったエンゲルスはまさに「将軍」だった。
ロシアのエンゲルスの名を入れた都市、モスクワ郊外のエンゲリス市にはエンゲルスの銅像が残っている。でもドイツのエンゲルスの生まれたところ(ラインラントの町、ヴッパ―タール)でも、空き地のまま残され、小さな記念碑だけが残る。(解放後)マルクスの彫像はレーニン、スターリン、べリアの像とともに引き倒された。ところがエンゲルスはあまりにも無害なので銅像が引き倒されることもなかった。
近年世界の政治経済の矛盾がひどくなる中で、再びマルクスが見直されてきた。ニューヨークタイムスはマルクス株が上昇、120年ぶりに帰ってきた、とかいた。ローマ教皇ベネディクト16世ですらマルクスの「偉大な分析能力」をたたえる気になった。イギリスの経済学者メグナド・デサイは、熱がこもるマルクスに関する論文の一部で、すでにこの現象を「マルクスの復讐」と名付けている。p11
(筆者注、ピケティの「21世紀の資本」が世界的に注目される中、マルクスの「資本論」も注目された)
それに対して、今まで、エンゲルスは、1989年以後に意識的に忘却されたことの一環で、エンゲルスは大衆の記憶からかき消された。一方、マルクス・レーニン主義の恐るべき行き過ぎの責任を押し付けられている。倫理的・人道主義的なマルクス、に対して機械的で科学的なエンゲルス、と対比された。エンゲルス株は下降していった。マルクス主義研究者のノーマン・レヴィンは「エンゲリズムが結果として直接スターリン時代の弁証法的唯物論を導いた。~スターリン時代、マルクス主義だと理解していたものは、実際には、エンゲリズムだったのだ」といった。
エンゲルスはマルクス主義と呼ばれるものの共同者創始者となった。20世紀を通じて、この説得力のある哲学が、人類の3分の一をゆうに超える人々の上に影を落とすことになった。しかも、社会主義世界の指導者たちは、しばしば、その政策を説明するため、行き過ぎた行為を正当化するため、そして自分たちの体制を強化するために、マルクスではなくまずエンゲルスを頼った。解釈されては、誤解され、引用されては間違って伝えられるわけで、フリードリッヒ・エンゲルス―フロックコートを着たヴィクトリア朝時代の綿業主ーはグローバル共産主義の中心的な立役者の一人となったのである。p8
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「僕は今哲学と批判神学で非常に忙しい」探求心旺盛な知識人エンゲルス19歳の自画像
山岳派オスヴァルト。ロマン主義の空想家エンゲルスの肖像写真1840年
本の内容 要約 目次から
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序文 忘れられた彫像
第1章 シオンのジークフリート
1820年2月、エンゲルスは実業家の長男として生まれた
ロマン主義の洗礼 エンゲルスの父は福音派の保守主義
政治的熱情の萌芽
「ヴィッパ―タールだより」発行工場主の19歳の跡継ぎによって書かれる
資本主義が人間に課した人的損失を、見事なまでに容赦なく批判したものになった。
1841年近衛砲兵隊に[志願]、約1年間、大学の聴講生に
第2章 竜の種
青年ヘーゲル派の影響、
フォイエルバッハのヘーゲル批判、1841年「キリスト教の本質」出版
(一時熱烈に支持)、ただその唯物論は不完全だった。
マルクスとの出会い、マルクスは2歳年上。マルクスの父は改宗したユダヤ人
1844年、マルクスとエンゲルスは再び会い、考え方が完全に一致することを確認
1844年マルクスとの共著「聖家族」、
「新ライン新聞」
第3章 黒と白のマンチェスター
(エンゲルスは父の経営する会社のあるマンチェスターへ)
1845年、イギリスにわたる
マンチェスターの地獄図絵とそれをもとにした
「イギリスにおける労働者階級の状態」1845年
階級社会の未来展望,「国民経済学批判大綱」
第4章 少々の忍耐と若干の威嚇
マルクスとエンゲルスのパリ、青年ヘーゲル派との決別
愛人問題(エンゲルスの「愛人」または「妻」と表現されたメアリー・バーンズ
「ドイツイデオロギー」、新時代を切り開く変化の歴史的推進力が階級闘争
であることを明らかにした
「共産主義者宣言」1848年
第5章 限りなく豊作の48年
1848年の革命の進展、フランス2月革命の波及、反動のパリ、
実戦と敗走 エンゲルスは反乱軍側の司令官ヴィリヒの副官となる。総勢13000人の革命
軍の4倍もあるプロイセン軍と戦う。積極的に戦い手柄を立てた、敗走とスイスに亡命
第6章 さまざまな灰色のマンチェスター
マルクスの隠し子、フレディ・デムート、非公式に自分の子として認知したのはエンゲルス、養育も行った。
マルクスの「資本論」の執筆支えるために、エンゲルスは己の経済的安定と哲学的研究
、さらには自分の名声すら喜んでささげたのだ。戦後のマルクス、エンゲルスの困窮
父との和解、再び会社の経営者に、1850年、再び経営者としての仕事に就く(エンゲルスはエンゲルス家の長男)、社交生活、マンチェスター社会の重鎮
貴族や大資本家とキツネ狩り、エンゲルスは家業に精を出し、マルクスの経済的支援のために働く。しかし、エンゲルスの二重生活は病気からうつ状態そして衰弱へと追い込まれた。
第7章 悪徳商売の終わり
「ドイツイデオロギー」1845-46 マルクスとエンゲルスによって書かれる
大部分がエンゲルスによって書かれる。生前には出版されなかった
1869年 仕事を辞める。エンゲルス49歳。
軍事史の研究、アメリカの百科事典に軍事部門に多数項目執筆
「ザ・ニュー。アメリカン・サイクロペディア」1857-1860
大月書店、マル、エン全集、第14巻
「ドイツ農民戦争」1850年
「資本論」刊行1867年第1部、2,3部はエンゲルスにより後で発行
「告白」の内容―後述、
1870年ロンドンに転居、マルクス、エンゲルスは近いところに住む
第8章 リージェンツ・パーク・ロードの大ラマ僧
(~ロードはエンゲルスの書斎、大ラマ僧はエンゲルスのこと)
パリコンミューンとインターナショナル、
「反デューリング論」1878 百科事典的に幅広く(「生命とは蛋白体の存在様式である」)
「空想から科学へ」1880
第2インターナショナル(1889-1914)重要な役割をはたす
最強のライバル、バクーニン
有能な証券投資家、エンゲルス夫人(リジー)の死
盟友マルクスの死(1883年)
第9章 マルクスのブルドック
科学革命の時代に 1870年代半ばH・スペンサーンの「社会進化論」の学派に疑念
「唯物論的科学」
「自然の弁証法」(未完、1927年に発刊)、唯物論的科学の3つの法則について、
1、量から質への変換の法則、2、肯定と否定などは分離しがたく相互に浸透する、法
則。3、否定の否定(対立物の統一の法則)
の法則により、高い段階へ、
(◎「自然の弁証法」中における「サルからヒトへの移行において労働が果たした役割」
と いう文章は,進化生物学者グールドが19世紀のダーウィン主義思考の傍流の中でも、際立って印象的なものとみなしていた。
ヒトの進化における三つの本質的な特徴―言語、大きな脳、直立姿勢に注目することで、エンゲルスはいかに「労働が人間をつくりだしたか」を証明しようとした。ヒトが木から下りて「ますます直立姿勢を取るようになった」とき、、手が自由になって道具が使えるようになったのだ。自然の支配は手の発達とともに、労働とともに始まり進歩を遂げるごとにヒトの視野を広げていった」労働の要求は。徐々に共同体を1つにまとめ、相互援助の制度を育み、言語をはじめとする知的な行為が生じうる環境をつくりだした。労働の物質的要求がまず生じ、言語はそのあとに続いたに過ぎなかった。道具によって狩猟用具を使うようになると、ヒトは「もっぱら採食から肉も同時に利用する」。肉食により脳に栄養が行き渡り、容量が増えた。p375-376
ーエンゲルスによるこの考え方は、人間学にとって極めて重要な文章である)
「資本論」第2部発刊、マルクスの悪筆を読めるのはエンゲルスだけ
第3部発刊1894年
「家族私有財産国家の起源」
近代の家族は、そのあらゆる欠点―家父長制、偽善性、欲求不満、ごまかし―とともに私的所有の産物なのである。女性の世界史的敗北。性差を生物学的に決定されたものではなく経済的に生み出されたものである
(◎これも、人間とは何かを知るにあたって極めて重要な資料である)
「フイエルバッハ論」1888出版、アメリカ旅行
第10章 ついに第一バイオリンに
あふれ返る社会主義者
国際労働者大会での歓迎、
「将軍」の死 、1895年、遺産は相続税を引いても2万378ポンド。(今の400万ドル、4億円以上)エンゲルスの遺灰は海へ
エピローグ 再びエンゲりス市へ
エンゲリスの栄光と転落、ヴォルガのドイツ系入植者の町
マルクスとエンゲルスは常々ロシアでプロレタリア革命がおきる可能性については、慎重であり続けた。
資本主義社会の矛盾が共産主義への変貌に必要条件だと信じていたプレハーノフは、マルクス主義に「弁証的唯物論」の称号を最初に与えた人物だった。そして、レーニンが主張する前衛に立つエリートが引き起こすトップダウン方式の社会主義革命を心底から嫌っていた。(共産主義の土台にツアーリの専制政治が復活する)
レーニンはエンゲルスのマルクス主義は―修正もありうると謙虚を装いながら―教義へと変容したのである。レーニンにとって「マルクス主義」は「鋼鉄の塊」にも似た理論の完全な体系なのであった。p468
スターリンは共産党の遂行するすべての政策は必然的にマルクス主義的な神聖さを持つものとしてイデオロギー面で認可されることになった。
スターリン主義者がどれだけ彼(エンゲルス)を父と仰ぐと主張したとしても、20世紀のソ連の共産主義には決して賛成しなかったであろう。
彼はまた現在の状況も決して受け入れなかっただろう。今われわれが20世紀の、マルクスレーニン主義によって付着したもの、つまり社会主義の井戸を毒で汚染した「弁証法的逸脱」をはぎ取って、19世紀のヨーロッパの本来のエンゲルスに戻ればきわめて異なった、驚くほど現代にも通じる声が再び聞こえてくる。
エンゲルスの時代のマンチェスターの労働者の悲惨さと、2000年の中国の労働者の状況は極めて似通っている、p477
中国共産党がエンゲルスに認可されたことだとどれだけ主張したがろうと、その政策によって引き起こされた野放しの搾取は明らかに、決してエンゲルスが描いた理想社会の概念ではない。
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◎エンゲルスの著作については、本書にないものまで記入しました。
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訳者あとがき 東郷えりか
「エンゲルスの伝記を訳している」と、告げると、私の知人、友人はみな一様にぽかんとした表情を浮かべた。「マルクス・エンゲルスの?」とためらいがちに尋ねてみてから「なんでまた?」と目で問いかける人もいた。エンゲルスはもはや、時代遅れか、忘れられた存在のようだ。「フロックコートを着たコミュニスト」という題に凝縮されている。エンゲルスは忌み嫌う実業家として人生の多くの年月を過ごしただけではなく、高位の貴族とともにキツネ狩りを楽しみ、死後には酒屋に彼専用のワインが142ダースも残されていたほどの大酒飲みという、およそ共産主義者らしからぬ人物だった。
ロマン主義者で歴史上の偉大な軍人に惹かれ、志願兵として1年間入隊していたほか、1848年の革命では戦闘に加わり、軍事評論家の側面も持つ彼は、「将軍」というあだ名で呼ばれていた。
マルクス、エンゲルスは前衛が先導するトップダウン方式の革命には懐疑的だった。
晩年のエンゲルスは民主主義の持つ可能性に期待し、「普通選挙が社会主義の武器庫の中の、立派な武器であるとみなすようになっていた」74歳まで生きたエンゲルスの見解は無視され、、レーニン、スターリン、毛沢東など、まるで異なる社会で育った人々によって彼らの都合のよいように作り替えられ、それが20世紀以降に生きる多くの人間にとっての共産主義となったのだ。
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参考
エンゲルスの「告白」の内容 p300(以前のブログにも書きましたが)
最も好む美徳 陽気さ
男性には 他人事に口出しをしない
女性には ものの置き場を間違えない
主な特徴 あらゆることを生半可に知っている
幸せとは 1848年物のシャトー・マルゴー
不幸とは 歯医者に行くこと
許せる悪徳 あらゆる種類の過剰
嫌いな悪徳とは 口先fだけの言葉
嫌悪するもの とりすまして、気取った女性
最も嫌いな人物 「チャールズ・八ッドン」影響力のあったパブティスト派の牧師
好きなこと からかったりからかわれること
好きなヒーロー 「なし」
好きなヒロイン 「いすぎて一人に絞れない」
好きな詩人 「狐物語」の悪賢い狐のルナール、シェイクスピア、アリオスト
好きな散文 「ゲーテ、レッシング、ドクター・サミュエルソン
好きな花 ブルーベル
好きな色 アニリン以外なら何でも
好きな料理 冷たい料理―サラダ、温かい料理―アイリッシュ・シチュウ―
好きな格言 特になし
モットー 気楽に
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◎wikipediaで、エンゲルスをひくと
ドイツの社会思想家、政治思想家、ジャーナリスト、実業家、共産主義者、軍事評論家、革命家、国際的な労働運動の指導者となっている。
いかに、エンゲルスの活動が広い範囲に及んでいるかがわかります。
1820年、11月28日生まれ、1895年8月5日死去、74歳
◎「こういちの人間学ブログ」におけるエンゲルス
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「こういちの人間学ブログ」において、「マルクス・エンゲルス人間論」というカテゴリーがあります。ブログを書き始めた2009年に、マルクス・エンゲルスと言いながら、実際にはエンゲルスの人間論について書きました。その後このカテゴリーは全然書かれないままでした。
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「人間観変えても世の中変わらない?」2009.9、4
「共産主義社会に画家はいなくなる?」2009,9、12
「マルクス・エンゲルス人間論」その1、「イギリスにおける労働者階級の状態」2011,3,3
「マルクス・エンゲルス人間論」その2、「人間とは」2011,3,3
「マルクス・エンゲルス人間論」その3、「エンゲルスの伝記」2009,11,11
2009年のこのブログを書き始めたころのブログです。
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接続できます
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学生時代、筆者はマルクス・エンゲルスの著作や伝記を読み、その素晴らしき考え方、行動に感銘を覚えました。エンゲルスと同じように家業をやりながら、活動や、研究をやろうとしました。エンゲルスに比べますと、月とスッポンですが人間学研究は自分が研究者として抜きんでるより、組織者、応援者として、裏方として支えていこうと思い、それは実現しております。そして、ささやかながら人間学研究所を作り、それは現在もつづいております。
学生時代から卒業してから数年、マルクス・エンゲルスの「人間」に関する文章を、「マルクス・エンゲルス人間論」としてまとめました。当時、マルクス・エンゲルス教育論とか個別のテーマでまとめたものは多かったのですが、「人間論」は現在に至っても出版されません。マルクス、エンゲルスには、人間がない,のではなく、多すぎてまとめられないことがわかりました。人間論に関しては、生命の起源についてや、進化の問題を論じた、「自然の弁証法」とくに「サルが人間になるにあたり労働の果たした役割」は重要です。神秘現象を批判的に論じたものもあります。また「家族、社会、および国家の起源」も重要です。人間論に関しても「ドイツイデオロギー」などに重要な説明があります。
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このエンゲルスの評伝は、まだ詳しく読んでいません。記事と関係なくエンゲルスの本の出版日が、書いてあります。また読んで感銘を受けたところを追記していきたいと思います。
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参考書
「フリードリッヒ・エンゲルス、若き日の思想と行動」土屋保男、新日本新書、1964年
”Der Junge Engels" Urrich 1966
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参考 エンゲリス市
ヴォルガ川下流の、ロシア連邦サラトフ州の、1都市。2002年、人口19,4万人。エカチェリーナ2世の出身地がドイツだったので、ドイツ人を多数迎え入れた。1924年ソヴィエト連邦成立の時、サラトフ州内に、ヴォルガ・ドイツ自治ソヴィエト社会主義共和国ができる。エンゲルスの名にちなんでエンゲリス市と名称を変える。共和国の首都となる。
スターリンの時、ここに住むドイツ人はシベリアなどに強制移住された。その後その命令は解消されたがドイツ人はもどらなかった。
参考 ヴッパ―タール市
エンゲルスの生地。ドイツのデュッセルドルフの東36キロ。ドイツ産業革命の中心工業都市。ヴィッパ―川の上にかかる世界最古のモノレールがある。人口4,5万人。タールは谷。ネアンデルタール人のネアンデルタール谷は近くにある
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