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2016年7月20日 (水)

小説『人 相食む』のブログに連載について、題名変更 そして2016年皆さんに読んでもらうように

はじめに

 このブログは2010年4月25日に始め書かれたものです。小説は一応2015年に一応完成しました。それでCDにも打ち込み、人間学研究所の1部の方に読んでもらいました。しかしそのままという状況でした。このブログも2016年7月20日に一部手直しして更新しました。

 この小説は後に書いてある通りいろいろな経緯があってだんだん分量が増えてきてしまったものです。はじめは何らかの形で出版できないかと思いましたが、結局うまくいきませんでした。今後ここのブログに各章ごとに書いていき、皆さんに無料で読んでもらうことにしました。文章も打ち直し、一部変更していくかもしれません。よろしくお願いします。カテゴリーも「小説『人 相食む』というものを新たに作りました。

小説『人 相食む』 後漢初期の人間学 とは 

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王充と論衡について調べる

 1999年4月に、人間学研究所が設立されました。そのころは、1999年7月にノストラダムスの恐怖の大王が降ってくるとかの話があり、オウム真理教や、いろいろなカルト宗教ができて騒然としていた時代でした。私はそのような世相に反発し、今から1000年も前に、当時のさまざまな非科学的な言説に真っ向から反対し、大著『論衡』を書いた後漢の唯物論哲学者の王充に共感し、その王充の生涯と、考え方を示すために小説を書こうと決意しました。

 そのころは現在と違い、『後漢書』は和訳されておらず、訳の無いところは中国語版の後漢書を自分で訳していきました。また王充が誕生し、その墓もある上虞(紹興市)の地も訪れるために、1999年から中国語の教室に通い始めました。上虞の訪問記録はこういちのブログにも書きました。また、2001年には同じカルチャーセンターで「懸賞小説に応募する」というコースもとりました。後漢時代の資料もいろいろ揃えました。特に、東京教育大学の先輩で、福島大学の(現在は名誉)教授である、大久保隆郎氏の王充に関する諸論文はとても参考になり、国立国会図書館に何回も通いました。大久保氏にはそのご、直接お話をするようになりました。ちなみに大久保氏は、以前の資料をもとに、『王充思想の諸相』を今年2010年1月29日に発行されました。ちなみに779pで、12000円、汲古書院発行の大著です。

歴史文学賞に応募

 2001年6月締め切りの新人物往来社の歴史文学賞に『第五倫ー後漢のくそまじめ人間』(原稿用紙100枚)に応募しましたが、まったくだめでした。

 また、浦和文芸家協会賞にも『謝夷吾ー後漢の万能人』で応募しましたがそれも落選しました。しかしその文章は人間学研究所の理事である北原眞一氏のご厚意で、同人誌『孤帆』の24号に6ページと文章を縮めてのせてもらいました。第五倫も謝夷吾も王充と同時代のすぐれた政治家でした。

『人相食む』として執筆を継続

 その後、第五倫や王充について書くだけではなく、後漢初期全体についての全体を見通す小説にすることにしました。題は『人 相食む』という題です。ペンネームも「王伯人」としました。尊敬する第五倫の字が王伯魚だったからです。

 さて清朝末までの中国の正史ではどこどこで、何年に人が人を食べた(人相食む)という記録を克明に書き続けてきました。それはなんと10数年に一度という割合で行われてきました。その歴史の中で、西暦26年から108年までの82年間のながきにわたって「人相食む」という恐るべき事態が起こらず、人口も王莽の戦乱で激減した人口が、急速に回復し、世に、「建武、永平の治」と呼ばれた優れた時代について書こうということにしたのです。さらにその小説に私のやっている実用的人間学で得た知識もどんどん入れていきました。

文芸社と新風舎の懸賞論文応募

 2006年には、パソコンの、リッチテキスト方式で、250枚ほどになって、一通りのまとまりがついたので、文芸社と新風社の懸賞小説募集に応募しました。その結果、いささかのほめ言葉と200から300万出せば出版するとのことでした。とてもそれだけのお金を出して、出版する気はなくて断りました。その後新風社は大幅に金額を下げるからどうかと言ってきましたが、断りました。その後まもなく2008年には新風社は倒産しました。もし頼んでいたら大変なことになってしまいました。

その後小説は広がる

 その後少しづつページ数を増やし、初期後漢史と言えるほどのページ数になってきました。2009年6月には、リッチテキスト方式で本文321ページ、参考資料ともで364ページ、登場人物170人で、前漢末から後漢中ごろまでの、分量だけは大小説になってしまいました。

 さて前漢には「項羽と劉邦」とかいろいろ本があるのに、後漢については私の知る限りでは、『光武帝』『班彪』だけです。後漢書にはいろいろと現在ことわざに使われている言葉も大変多くかかれていますし、後漢初期のすばらしい善政を多くの人に知ってもらいたい、そして荒廃した中国を立て直した光武帝からその後の3代の皇帝そして、第五倫や謝夷吾や王充などの活躍をぜひ知ってもらいたいと思っています。それは不景気が続く日本でもとても参考になるものです。この内容もわたしのブログで一部書きました。

 昨年6月から、「こういちの人間学」ブログをかくことを中心にし。事務所の移転もあり、なかなかふたたび小説に取り組めませんでしたが、改めて、『人、相食む』の執筆を再開します。まだまだ文章が固く、後漢書からのひき写しにすぎないところも多いので、よく整理し、それをより面白くしていくつもりです。小説として、正史としての後漢書に書かれていない、庶民や、女性を魅力的に創造して、面白い内容に変えていこうと思います。まとまったら、電子出版でもできればいいなとおもっています。

★ 読売新聞に連載されていた、宮城谷昌光氏の『草原の風』上・中が2011年10月発行されました。主人公は光武帝です。

2014年6月5日に「こういちの人間学ブログに「光武帝の小説『草原の風』と『人相食む』私の小説 、後漢時代初期の面白さ」を書きました。 

◎ 2010年9月に新たに書き加えたのが最終になっています。よく練れているところと、『後漢書」の引き写しにすぎないところがありまだ不十分です。『草原の風』に刺激されまた書き続けたいと思います。

◎ 2011年11月17日 2010年9月時点 「人 相食む」 A4用紙 

リッチテキストで370枚   総字数  40万字です。

◎ 2016年7月20日

 岩城先生とその息子さん、マンガ家の岩明均さんのことをブログに書きました。

そして書いているうちに、せっかくブログ筆者の書いた小説がそのままになるのは残念なので、このブログに少しづつのせて、興味のある人には、無料で読んでもらおうと思いました。書いた文章をそのままうまくブログに転載する方法がわからないので、各章ごとにもう一度ブログに書き直すことにしました。そして文章を再度見直そうと思います。

◎ 2016年7月25日、小説の題を一番最初に書いた

「第五倫伝」 後漢初期の人間学  

 に戻すことにしました。

参考

「こういちの人間学ブログ」に書いてきたこと

2009.8「後漢の万能人謝夷吾、風角占候を行う

2009,9「王充の墓をたづねて、紹興、上虞をたづねて」

2011,7「後漢、光武帝の善政」1,2,3

2013,9「王充の論衡について」1,2、

2014,6「光武帝の小説『草原の風』と『人相食む』私の小説

2014,6『後漢書」、「人相食む」に出てくるの故事について」1,2

2014,6『第五倫 小説『人相食む』の主人公

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