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2016年7月28日 (木)

「第五倫伝」第1章   第五倫と第五雄、李秀の昔語り(3)

「第五倫伝」第1章
第五倫と第五雄
「やったー。勝った」
「なんと、たわいのないものだ」
「さすが、倫さまと、雄さまはすごいものだ」
一族はお互いの顔をみあいながら喜びの声をあげた。砦側は弓矢にあたった者はいるが、なんと、1人の重傷者もでなかったったのである。目の前にはけがをして置き去りにされた馬や死がいが転がる。
「今日は、ひさしぶりに肉をたっぷり食べられるぞ」
あるものが、大声を出した。
「そうだな」
「ずいぶん、肉なんて食べられなかった」
「今日はお祝いだ」
 しかし、喜んでばかりはいられない。
「こんなに簡単に負けてしまっては敵の面子、丸つぶれだ。必ず復讐に来るであろう。今度は敵も油断しないで来る。今度は大変な戦になる」
 その若者こそは姓は斉の王族である田氏から由来する。第五といういささか変わった姓であり、名は倫といった。この兄弟の兄の第五倫こそ、後世において聖人としてあがめられる人物となるのである。
 (前)漢の初めころ、戦国時代に、斉の国の国主であった田氏の一族は漢が都を長安に移したとき、最初に来た田氏を第一氏とし、五番目に来た田氏を第五氏と名付けた。確か七氏か八氏まであったようである。詳しくは後で述べよう。
 一方。弩の名手、弟は雄といった。また砦の見張りをしていたのは遠くまで目のきく末弟の悌であった。
 第五倫は次の備えについて弟や主だった人たちと協議した。
「このままではすまない。今度は大勢でくるであろう。京兆(長安の所司代)の軍の助けがいる。もしもの時は助けをよぼう。
 敵が襲ってきた時に、裏山からひそかに救いを求める使者を出す出す手配をした。
みな、砦を強くするために必死で働いた。今度は簡単にはいかない。言われなくとも皆は心の中でそう思った。落とし穴を彫り、堀を広げ、武器や食料をたくわえた。
 いろいろ張り巡らした情報から、来襲する敵はこんどは200あまりという。田氏一族でここころならずも賊に加担しているものがいて、ひそかにしらせてきたのえある。
 時は、西暦26年(後漢建武二年)前年劉秀の後漢王朝の成立が宣言されたが、まだほかの王朝もあり、赤眉の賊などはまだ勢力を保ち、まだ世は定まっていなかった時代である。
 戦乱のさなか、この年開中地方で飢饉が発生し、人が人を食べた(関中飢え、人相食む)と正史に記録されている。そういう時代である。
 京兆尹(けいちょういんー長安の長官)の鮮于褒(せんうほう―周の武王が箕子(きし)を朝鮮に封じた)。その子孫はその領国の名をみづからの姓にした。は事前に赤眉軍の攻撃の知らせをうけていた。
 ついでながら、当時の長安の地方政治組織を見てみよう。長安は前漢(中国では西漢)の都であり、後漢(中国では東漢)の時代となり皇帝が東の洛陽に移っても、いわば副首都として重要な役割を持っていた。いわば、東京遷都後の京都が東京以上の人口を持っているといイメージである。
 長安を含め周辺の地域を3つに分割し、その中央を京兆と呼び、その長官は京兆尹(中2000石、実質2160石)といった。その担当地域の行政と治安を担当するとともに、配下に丞(副官600石)二人、長安市令(市場をつかさどる)や、長安厨令(食料市場をつかさどる)などがあった。長安の東側を担当する役職としては左まのしょう
、右がわを担当するものは、右扶風(うふふう)があった。それに京兆尹をくわえて、三輔と呼んだ。
 参考までに洛陽の都には同じような官職として河南尹(かなんいん、首都圏長官、中2000石)を置いた。しかしこのときは長安の都は戦乱のさなかであり、荒廃し人口は極端に少なかった。まわりのまちも人口が減少してところどころに、第五倫のような、砦が散在するだけというありさまであった。
李秀の昔語り
 赤眉の敵の再来集を前にした、あわただしい中である日の夕方、家の中のいろりを囲んで、この砦の最年長の李秋が、孫娘や倫の兄の子などの子どもたちに、昔話を始めた。
 「もうわしも60を越して、あまりみなのお役にたてなくなった。でも、一番の年寄として,この第五の一族の話をして、語り継がれるようにしていかなければならないなー」
 痩せて、頭も白くなり枯れ木のような李秀は、白湯をごくりと飲んでから、話し始めた。
 「わしらの一族はなー、代々この家にお世話になっての、わしも小さいころの倫様の、おじいさんのころから、お世話になっておったのよ。
 もともとは、みんなも知っている戦国時代の斉の国を治めていた田氏が第五氏の先祖でな、それはみんなもきいておるだろう?
今から200年も前に漢の国ができたときに、斉の国から田氏の一族がこちらの長安の都の近くに移り住まわされたのだよ、田氏の一族でこちらに来た順に第一氏、第二氏とつけていったんだよ。だから第五の一族は5番目に来たことになるね。そのあとも次々に来たようだよ。(第八氏というのが歴史に残っている。この辺りはわしがまだ子供だった50年も前は今の戦乱のもとになる王莽が新という国を作る10年以上も前で、この長陵の地も(長陵邑)、もたくさんの人が住んでいたのだよ。ちなみに王莽の王氏という姓も斉の田氏から出た苗字なんだ。
 昔は、この営保(砦)もなくて普通の家がたくさんあって、よく耕された田畑がたくさんあって、緑の多いとてもいいところだったのだよ。倫様のおじいさまもお父様の第五禹様もとても立派な方で、このあたりの、由緒ある大地主として尊敬を集めていたんだ。
 代々、長安の都のお役人になったり、三老になられたりして、みんな素晴らしい方だったときいているよ。そして第五禹様と。奥方の王麗様には男のお子さんばかり5人も生まれたのだよ。長男の憲様に続き二男の倫様も23年前に生まれて、つぎつぎにその後雄様、悌様と生まれて、男のこばかりでとてもにぎやかなおうちだったんだ。長男の憲様はとても素晴らしい方で将来を期待されていたんだよ。そして、かわいい女の子も生まれてそれが小香ちゃんなんだ。
とまだ小さい第五香と名付けられた子供を見つめた。
「それにね、4番目のお子さんは小さい時に病気で亡くなられたので、今は3人のご兄弟だけが残っているというわけだ。
 ところが18年前に王莽の新の国ができてから、急に世の中が乱れるようになっての、それから10年もすると、いろいろな盗賊が村を襲うようになってきた。それで今から3年前だからお前たちも知っているだろう。盗賊が何度も攻めてきて、倫様のお父様もお兄さんの憲様も殺されてしまったんだ。その時、わしの息子夫婦も殺されてしまった。わしの身内は蘭、お前だけになってしまった。みんなの親もその時に殺されてしまったんだ。運よく隠れておって見つからなかったものがいまここにいるのだよ。
 賊たちはひどいもので、おとなしく、食べ物や、家畜を手渡せば、殺しはしないけれど、いづれ、自分たちが餓死するようになる。戦えば、大人たちは、殺され、若い娘や子どもはさらわれて奴隷に売られる。食べ物が全くなくなると、人が人を食べるという恐ろしいことも行われたんだ。
 それでの、この近くではほとんど人もいなくなってしまい、家も廃墟ばかり木も切りつくし、畑も荒れ果ててしまったんだよ。
 聞いている子供たちは、みんな親しい親族をなくしたものばかりで、みんな涙ぐんだ。
 李秀の話は続く。
 「倫様は一族と頼ってきたまわりの人たちとで、営保(砦)を作ったのだね。それからは何度も賊は襲ってきたけれど、倫様や雄様やみんなで力を合わせ、まもって来たんだよ。
 でも、今度襲ってくる赤眉の敵は爺が一度も経験したことのない恐ろしい敵になる。なんとかみんなで力を合わせて、敵をやっけようね。
「うんがんばるよ」男の子たちが声を出した。
小香も涙を手の甲でこすりながらうなづいた。
 「みんな、この世にせっかく生まれてきて、早くに死んでしまうのは、本当に心残りと思う。命は本当に大切だけれども、こんなにも命が粗末にされた粗末にされたことはない時代に不幸にもお前たちは生まれてしまった。この爺のように六十すぎまでも、生きていればもう十分だがな。お前たちは何とか生き延びておくれ。
 龍秀さまの漢の国はもうすぐ、全国を統一して、平和な世の中にしてくれることだと思う。もうあとほんの少しの辛抱じゃ。何とか頑張って、いい時代に長生きしておくれ。
 李秀は話つかれたのか、話しながら、うとうとしだした。
  (3)
 

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