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2016年7月26日 (火)

「第五倫伝」 第1章 第五倫 一族を守る 恐るべき強弓と強弩(2)

恐るべき強弓と強弩(きょうど)
 敵は今度は体制を整え、距離を取って一斉に矢を射かけてきた。矢を射かけつつ、いっせいに矢を連ね、砂塵を巻き上げ怒涛の如く襲ってきた。それに備え、営保には隙間のないように木製の盾を並べ、矢を防いだ。
「兄者、今度は首領を倒さないと無理なようだ」弟は兄に語りかけた。
「うむ、まだこりぬようだが、今度は命をねらう」
兄は横にいる弟に声をかけた。弟は十石(二百六十七キログラム、普通六石)の強弩の名手なのである。力のあるものが足で強弩の弦を引き、箭(弓の矢にあたる)をつがね、予備の強弩をもち、ひかえている。
「おう、兄者は首領をねらってくれ、俺は副首領をねらうあいつらはゆるせない」
兄は先祖伝来の五尺、六百斤(三百キログラム)鉄の鎧をいくつも貫通する強弓をおもいっきりひきしぼる。矢じりは特別に、さす股型にした。二人は土塁に一斉に立ち上がり兄の弓弦が成った。矢はすごい音を立てて飛び、首領の顔面は血しぶきとともにくだけた。首領は、はじかれたように馬の背を逆に転げて地に落ちた。兄の弓弦はまだなっていた。
 同時に豚のような副首領の胸に鎧をとおして弟の箭がうなりとともに、貫通し、やはりその勢いで頭から転げ落ちた。敵がひるむすきに、いっせいに味方は立ち上がり、つぎつぎにやと箭をはなつ。ばたばたと敵は倒れる。賊はその弓の正確さと強さに驚きあわてた。
 「どうだ、まだ死にたいものはいるか」
長たる若者は、次の矢をつがえた。首領、副首領、二人の強烈な死にざまに賊はおびえた。
 ふたたび、一斉に後退し始めた。
「逃げ帰るなら、もううたないから死人やけが人を収容しろ」
 わかものは、よく通る声でふたたび大声を発した。
 賊たちは来た時の勢いはどこへやら、うなだれながら、死人やけが人の収容をはじめた。
「なんてことだ。おれたちがこんなに簡単に若造どもに負けるなんて」
「ちくしょう、覚えてろ、このままで済むと思うな、今度来たときはただじゃすまないからな」
 賊たちは、捨てぜりふをはきながら、倒れたり死んだりした馬を残し、死体と重傷者を馬にのせ、多くは歩き、よろめきながら、撤退を開始した。
 砦の人たちは一斉に「わー」と歓声をあげた。
武器と戦法の違いが戦いを決めた
 さて、ここで、ついでながら、弓と弩(ど)について話してみよう。弩は石弓ともよばれ、現在のボーガンと同じ形をした、横型にしてねらうものである。弩は戦国時代以降、歩兵の主要ぶきであった。弓に比べ、より遠くまで箭(や)を飛ばすことができ、目盛りのついた照準で敵をねらうことができ、正確さにもすぐれていた。弩の強さは石(こく)であらわされた。一石は約30kgで、手で簡単に引くことのできるものは、三石弩、弓に足をかけて全身で弦を引き寄せる六石弩では280mも飛んだ。それから見て弟の引く十石弩の威力がよくわかることであろう。ちなみに、アーチェリー競技で使う弦の強さは十八kg、的は90mさきである。
 弩には連弩という何本も同時に発射できるものや、連続して発射できるものがあった。蜀の諸葛孔明の発明した「元戎」(げんじゅう)は、一度に十本の鉄矢を放つことができたという。また、攻城用の巨大なものも発明された。
 ただ、弩の箭は二の矢を放つまでに時間がかかったということである。そこで、他のものが専門で箭をつがね、つぎつぎに渡していくということもあった。
 14世紀半ばのイギリスとフランスの百年戦争では、フランス軍の弩と、イギリス軍が新たに開発した強力な長弓とのたたかいになった。フランス軍の弩は320mも飛ばすことができた。それに対してイギリス軍の長弓は256mで、射程においては弩が勝ったが、イギリス軍のてだれの射手は1分間に10本の矢を飛ばすことができたのに対して、フランス軍の弩はなんと1本しかうてなかったのである。
 当時のフランスはイギリスの五倍もの人口と兵力を誇ったが、クレシ―の戦いや、ヘンリー五世の活躍で有名なアジンコート(アジャンクール)の戦いで、わずかなイギリス兵に負けてしまった。シェイクスピアの「ヘンリー五世」は劇場のみならず、何本も、映画になっている。筆者は、その映画やビデオを、わくわくしながらみたものである。
 数において圧倒的な戦力を持つフランス軍と戦う、つかれきったイギリス軍の中で、「もう少し兵がいたらいいのに」と嘆く将の声が声があった。ヘンリー五世はその声をききつけ、
「それは違う、兵は少ないほうがいい。今ここで王とともに戦う名誉をイギリス本土にいる、安楽な生活をする人は持てない。われわれはここでの勝利を末永く、王とともに戦ったという誇りを戦いから帰って語り続けるであろう。そのためには少ないほうがいいのだ」
 この感動的な名演説に、兵士たちは、一斉に「オー」と答えた。
その兵士たちを鼓舞して、大勝利をおさめる場面を記憶している方もあるであろう。
イギリス軍の勝利は、ひとつには長弓と弩の兵器の差がある。しかしこの兵器の差があっても、フランスはイギリス式の長弓を採用しなかった。イギリス軍の中核は、国王に忠誠を誓う自由農民が主体であり、難しい長弓を扱える十分な訓練をしていた。フランス軍はバラバラな古臭い封建貴族(領主)が中心で、自領の隷属的な農民に新しい装備をさせたり、訓練させたりはしなかった。そんな訓練をさせて、自分たちに農民が反逆することをおそれたのである。
 この忠誠心と武器の差が、圧倒的に数が少ないイギリス兵が、アジンコートの戦いにおいて大軍のフランス軍を壊滅させることになるのである。
 兵器の進歩と、民衆軍の圧政を打倒しようとする意欲があいまったとき闘いは大きく変わり、歴史を前進させてきた。
 同じようなことが、アメリカの独立戦争において行われた。1776年独立宣言をした後も、アメリカ軍がイギリス軍と同じような戦い方をしている間は、軍事的にはイギリス正規軍はアメリカ軍を圧倒していた。しかし1777年のサラトガの戦いで、アメリカ独立軍は決定的な勝利を得た。
 サラトガの戦いは松林の前で行われた。赤い鮮やかな軍服を着たイギリス軍はいつもの通り太鼓の音にあわせて、方形をした密集した隊形で歩兵がすすみ、所々で立ち止まり一斉射撃をするというかたちであった。アメリカ軍も同じ戦い方をしていた時には、よく訓練されたイギリス軍が圧倒していた。
 当時のイギリス軍の銃は滑空銃(かっくう銃―銃身の中に旋条がないもの)であった。ところが、独立軍の銃は、ペンシルバニア、ライフル(あるいはケンタッキーライフル)と呼ばれる、銃身に旋条があり、銃身も長く、命中精度はよく、強力で弾の装填もかんたんであった。これは、開拓者が狩猟用として使っていたものであった。
 そして、このサラトガの戦いで始めて採用された戦法があった。すなわち、密集隊形でなく散兵で戦うということであった。散兵はそれぞれが戦う強い意志があり、自分が何をなさなければならないかを自覚していなければ成り立たない。自由のためにと全アメリカの民衆が立ち上がった軍隊は、制服などバラバラであっても、極めて戦意が高かった。
 特に、ダニエルモーガン大佐は500人の狙撃兵を率いて、森の陰に隠れて、正確に敵を倒し、イギリス軍を大混乱におとしいれた。彼らは鹿革服を着た開拓者たちであったのである。
 ところが、命令に従い行動するイギリス軍は、司令官のフレイザー准将が敵の弾に倒れると、まとまりがなくなって、一気に敗走してしまった。
 このサラトガの戦いで、新しい戦法とライフル銃の威力が証明された。そして、アメリカ軍の勝利が確定したのであった。
 同じように、ベトナム戦争においては、ベトナム兵は自分の国の独立を願い、自覚的、自律的に戦って、ゲリラ戦でアメリカ軍を悩ませ、圧倒的な戦力を持つアメリカ軍を打ち負かした。
(2)
 
 
 
 

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