「第五倫伝」第2部、8章第五倫蜀郡太守へ、謝夷吾、寿長県令となり張雨を表彰する
第五倫伝、第2部、「第五倫太守へ、そして罪を得る」
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第8章、第五倫、蜀郡太守となる
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謝夷吾、寿長県令となり張雨を表彰する p228
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謝夷吾は第五倫により「孝廉」に推挙された。謝夷吾は『後漢書』には、「方術列伝」という中に書かれているとは前にのべた。前漢の正史である『漢書』にはそのような項目がなく、後漢時代には、さまざまな方術が盛んであったといえよう。
永平15年(72年)謝夷吾は寿長の県令(千石)に任命された。このとき謝夷吾は46歳、妻の孫泉と子供3人、方術の弟子李鵬と、馬三とで赴任する。妻の孫泉は、後で呉国を創立する孫家の先祖の一族にあたる人であった。謝夷吾は16歳をかしらに、14歳と12歳で、全部男であった。早産して亡くなった子も男の子で、謝夷吾は、女の子もほしいのだがみんな男になってしまうと言ってなげいていた。謝夷吾の乗る車も第五倫を見習って粗末な車であった。
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寿長の県の役所につくと、迎える諸役人は、いかにもにこやかで福々しい謝夷吾の顔を見ているだけで、気持ちが和やかになる思いであった。
県の役所に赴任して直ちにまず孝行な人、徳行のある人を表彰することにした。またいろいろな不公平なことや無駄がないかを調べた。
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親孝行の人の中でも、張雨という名前の女性が、特に評判であった。彼女は早くから両親を亡くしたが、孤児となった幼い弟二人の生活を支えるために、幼いながら必死で働くだけでなく、弟たちに四書五経を教え、人々の模範となるような、優れた立派な人物に育て上げた。そして二人とも良い伴侶となる人と結婚させるに至った。
しかし、そのため自分自身は50歳になっても嫁に行かなかった。謝夷吾はそのことを聞くと、従者一人だけをつれて張雨に会いに行った。
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張雨の家は小さいながらきれいに整えられていた。
「こちらは張雨さんのお宅でしょうか。突然お伺いして申し訳ありません。わたしはこのたび県令として赴任してまいりました、謝夷吾と申します」
と、ていねいに挨拶をした。
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家の門から、出てきた張雨は、突然訪ねてきた県令の訪問に驚いた。それも、共のものも1人だけできたのである。また、新しい県令は一見して長者の風のある立派な人物であった。今まで県令が訪ねてくることなど、1度もなかったのである。p229
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「私は、張雨と申します、狭苦しいところですがどうぞお入りください」
招き入れられた部屋は突然の訪問にもかかわらずきれいに片づけられていた。
謝夷吾がいろいろと話を聞く中で、張雨はうわさにたがわぬ立派な人物であり、自分が弟たちの犠牲になったなどという考えはつゆほどもなく、弟たちが独立した後も、周りの人々の手助けをし、人々の心を明るくし、その行いで教化していることが分かった。
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謝夷吾は、50歳には見えないしわひとつ無い若々しくはつらつとした張雨に。
「私も幼い時に父を亡くし、つらい思いもしました。でも私には母がいました。でもあなたは両親を亡くされて、さぞ大変だったでしょう。あなたのされたことは、なかなか出来ないことです。とてもつらかったと思いますが、よく頑張りましたね。そして今でもはつらつして元気いっぱいで、あなたはとても素晴らしい方ですね」
と大いにほめた。
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「恐れ入ります。新しくお見えになった県令様から、そのようなお褒めの言葉をいただけるだけでも感激でございます。弟たちもよく貧しさに耐え、力を合わせて頑張ってくれたからです。それに、周りの皆さんにもずいぶんと支えていただきました。ですから今まで決してつらいと思ったことはありません。
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「いやいや、謙遜されておられますが、人々が応援してくれたのは、それはあなたの行いが人々の心をうったからでしょう。なかなかできないことです。私は州府に優れた行為としてあなたを表彰させていただきます」
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しばらく歓談した後、謝夷呉は最後に。
「改めて具体的な顕彰のことで参りますが、今日はこれで失礼させていただきます」
新しく赴任してきた県令が真っ先に顕彰しに来てくれたことを、本人よりも、弟たちや家族や近くの人々が、姉の日頃の地道な努力が報われたとして大変喜んだ。
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謝夷吾はその言葉のように州府に張雨の門戸を推薦し、表彰した。張雨の老後の年金を出すことになったのである。また、その優れた行いを史官に歴史に残すように指示した(後漢書に記録されている)。
張雨は大変喜んで、お礼の言葉を謝夷吾にのべた。
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「私の行いをほめていただいただけでなく、老後の生活を助けていただくとはこんなにうれしいことはありません。本当にありがとうございます。今後もできる限り、人のお役に立てるように頑張ります」
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謝夷吾は、そのほかにもいろいろな、優れた行いの人を見つけ出してはきめ細かく表彰した。人びとのあいだにそれが伝わり、よい行いは表彰されること、人々はいたわりの心が大切なことを身近に感じた。罰を与えることなどしなくとも、しだいに人々は教化され、人々は礼節をわきまえていくようになっていったのである。
p229
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「謝夷吾、蝗の害を避ける」へ続く
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