「第五倫伝」第2部、8章第五倫蜀郡太守となる 謝夷吾、蝗の害を避ける
謝夷吾、蝗の害を避ける p230
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謝夷吾が赴任して間もない同じ西暦72年(永平15年)時は秋、収穫のときである。しかし各地に夏から干ばつがあった。高温が続くと普段はおとなしいイナゴ(蝗)は突然形を変える。体も黒ずみ、羽が長く変わり、長距離飛べる凶暴な形(飛蝗-ひこう)に変化する。そして草や穀物を食い尽くし、猛烈に繁殖する。
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そして泰山に蝗が大発生し、各地に飛来し始めた。
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謝夷吾はそれを聞くと、直ちに弟子の李鵬と馬三に情報を集めさせた。また、方術を使う仲間たちからも情報をえたり、商人からの情報も集めた。その結果、寿長県にも飛来する可能性があるのがわかった。
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謝夷吾は県の役所に主だった役人を緊急に集めた。県の人々にも直ちに緊急事態の通達を出す。県の役所に集まったものに。
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「よいか、ここで収穫が蝗に食い荒らされたら飢饉が発生する。私の指示するようにせよ」
大きな模型でつくった地図上に、泰山からの蝗の飛来経路の予測が示されていた。
「蝗は風に乗ってくるのだが、今の風の状況ではおそらくこの地を通る。県民をこの県境に集結させよ。蝗を絶対県内に入れてはならぬ」
謝夷吾は風角占候の方術で風の予測をぴたりとあてることができるのである。
一斉に役人は県民の動員の手配に動く。収穫できるものは早めに収穫させた。
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県民は必死である。干ばつで少ない穀物をさらに蝗に食われれば餓死する危険性がある。県境は川であった。謝夷吾は蝗が通ると確信する幅広い谷に皆がよく見えるところに祭壇をつくった。およそ千人の老若男女が続々と集結する。謝夷吾の三人の子どもたちも叩きを持ち、長男はいろいろな部署への伝令役を買って出た。他にも多くの子どもたちも参加した。謝夷吾の妻である孫泉も、他の吏員たちの妻たちを指揮し炊き出しやいろいろな手配をてきぱきとこなしていた。
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すでに、謝夷吾が驚異的な方術の使い手であるとみんな知っていた。
みなで力を合わせ木々の葉は落とされ草は刈りこまれた。乾燥させて河原のところどころに積み上げた。皆は祭壇にゆったり座っている、道士の服と羽扇を持った、色白、鳳顔にして威厳のあるまたいささかゆったりした体の謝夷吾を見上げた。
皆それぞれに蝗を叩き落とすもの、乾いたわらなどを持つ。
そして仮小屋で泊まりながら蝗を待つ。
「今日あたり来るぞ、油断するな」謝夷吾から各伝令が届く。
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朝日が昇り、からからに乾ききった地上に次第に明るさが増してくるころ。
と、黒い雲のようなものが、川向こうの地平から沸き上がり、しだいにザーといううなりのような音が皆を包む。青空がみるみる曇っていく。
「来た」、「すごい」。人びとは思わず固いつばを飲み込んだ。あるものは指さし、あるものははたきを握りしめた。
地上に降りてきたその蝗は、普段見るおとなしいものでなく、黒く、大きく、いかにも凶暴な姿をしていた。
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祭壇から夷吾は羽扇を振る。直ちに太鼓が一斉に乱打された。それを合図にいっせいに積み上げられた枯草、枯れ木のやまに火のついたわらを放り投げた。
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その枯草の山には硫黄、瀝青(天然のタール)などがかけてあった。一斉に黒煙が上がり谷を覆いつくす。人びとは一斉に布で口を覆う。
煙に幻惑された蝗は次々に谷に落ちてきた。まわりは蝗の風のようなありさまである。人びとは命に従い一斉にはたきでたたきつぶす。
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人々は命に従い、持ってきた、かごに入れてきた、うんと腹をすかせた鶏を一斉にはなつ。その数およそ2千羽。一斉に蝗を追い、食べはじまる。まさにそこは戦場であった。
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謝夷吾は、壇上で一心に風向きが変わる祈祷を行う。弟子の李鵬はそれを手伝う。もう一人の弟子の馬三は蝗退治の指揮をとる。
「がんばれ、蝗を県に入れるな」口々にそれぞれの持ち分で奮闘する。
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奮闘すること4時間余り、、燃えるものが少なくなり、皆の疲れも極限に達するころ。
「風向きが変わった。蝗が離れていくぞー」、人々の歓声が上がる。
「オー、」一斉にどよめきが上がる。
「やったー」それは、歓喜の声に変わった。
期せずして、「尭卿さま(謝夷吾の字名)万歳!」の声が上がる。
どんどんどんと、勝利の太鼓がたたかれる。
あるものは、祭壇に向かい伏し拝んだ。
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―良かった。県は救われた。ほっとしてあたりを見回すと、そこらじゅう、蝗のじゅうたんのようである。滑って転ぶ者もいる。
またかごに戻すため、おなかがいっぱいになった鶏を追いかけて、大騒ぎであった。その有様を、見てみんな大笑い。それに口を覆っていた手拭いを取ると皆、口の周りだけ白く、上半分は、すすで真っ黒であり、お互いに顔を見合って大笑いした。
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「良かった。良かった。皆さんご苦労様でした。ここに食べ物、飲み物を用意しました。鮭も少しですが用意してあります」
人々は車座になり、おそい昼飯を食べた。またお互いに汗とすすと土ぼこりで真っ黒になった顔を見合いながら笑いあった。
謝夷吾や、妻の孫泉や弟子たちはねぎらいの酒をついで回った。直々に県令からお酒を注いでもらった人は大感激であった。
それにしても、尭卿様の方術はすごいものだと感心しあったものだった。
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「蝗は家畜のえさにしてもよいしわらと混ぜて発酵させて肥料にするとよい。少し臭いがするが人も食べられるよ」夷吾はいった。
「いい肥料となって土が肥えるだろうよ」
一渡り、軽い宴が終わる夕どき、皆が帰り始めたころ、空に昇った黒煙を核として、待ちに待った雨が降ってきた。
「わー。雨だ雨だ」老若男女久しぶりの雨に濡れてかさもささずに喜び合った。
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「謝尭卿さまは神様のようなお方だ」人びとの中に、謝夷吾を伏し拝む者がいる。
「そうだ、そうだ、私たちの神様だ」
皆は確信したのであった。
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その出来事の後、神のようにたたえられる謝夷吾は県民から、絶対的に信頼され、謝夷吾も県民も熱心に働き、県民の生活はみるみるよくなった。評判を聞きつけて県に移住してくるものも大変多くなった。その驚くべき成果は洛陽の都にも刻々と伝えられるようになった。
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謝夷吾が県令として赴任して三年、永平18年明帝が崩御し、三代皇帝章帝が即位した。
第五倫がさっそく三公(司空)に招かれる。このいきさつは改めて書くことにする。
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司空、第五倫は直ちに、謝夷吾を県令から、荊州の刺史(州内の監察官二千石)に推薦した。荊州は、現在の湖北省、湖南省、河南省、貴州省、広東省、江西省の一部を含む大きく重要な州で、大きな抜擢であった。
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寿長県民は謝夷吾の出世を喜ぶとともに、県を離れることをとても悲しんだ。赴任の日には多くの県民が県境まで見送りなごりを惜しんだ。
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なお、謝承書による『後漢書』では、寿長の県を泰山の蝗が通り過ぎた。飛び去って集まることはなかった記すだけである。
やはり泰山の蝗が飛来したとき、同じように鄭弘は騶県(すうけん)の県令であり、蝗は下りてこず飛び去ったと書かれている。
p232
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「鄭弘名をあげる」に続く
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