「9条は幣原提案」新資料、マッカーサー書簡に明記、「押し付け憲法」論を否定
「9条は幣原提案」新資料、マッカーサー書簡に明記
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堀尾・東大名誉教授が発見
-「押し付け憲法論」を否定
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上図の写真は、幣原喜重郎首相とマッカーサー
「押し付け憲法論を否定」の文章の下はマッカーサーの回答
その下の文章は
上、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」
下、「本条は、幣原男爵の先見の明と、経国の才とえい知の記念塔として、永存する」
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戦争放棄をうたった憲法9条のアイデアは、幣原喜重郎首相(当時)が連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサーに提案したという学説を補強する新たな資料を、堀尾輝久・東大名誉教授が発見しました。安倍晋三首相ら改憲勢力が主張する「今の憲法は戦勝国に押し付けられたもの」と主張する論拠を覆す内容です。秋の臨時国会から憲法審査会で、改憲論議が狙われるなか、憲法の制定過程をゆがめて議論をすすめることはゆるされません。
(赤旗2016年8月19日、1面2面、深山直人)
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9条は、1946年1月24日に幣原首相とマッカーサー最高司令官との会談が発端となったとみられています。マッカーサーは「幣原首相の発案」と米上院などで証言していますが、幣原は9条の発意について長く口を閉ざしていたことから「信用できない」とする意見もありだれが提案したかについては見解が分かれています。
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堀尾氏は、57年にと当時の岸信介内閣のもとで改憲の議論を始めた憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の制定過程を調査するために渡米したことを重視しました。
高柳は、マッカーサーとの往復書簡を踏まえて、「わたくしは幣原首相の提案と見るのが正しいのではないかとという結論に達している」と論文に書いていました、書簡の具体的内容についてはこれまで不明でした。
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堀尾氏は、国会図書館所蔵の憲法調査会関係資料を探し、今年1月、英文の書簡と調査会による和訳を見つけました。
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この書簡は、高柳の質問にマッカーサーが回答したものです。58年12月15日付で「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。「提案には驚きましたが、首相にわたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」とマッカーサーは述べています。
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これに先立つ12月5日付の書簡でマッカーサーは、「(9条は)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は、幣原首相の先見の明と経国の才志と英知の記念塔として、朽ちることなく立ち続けることでありましょう」(堀尾氏訳)とたたえています。
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堀尾氏は「マッカーサーは同じような証言を米上院や回想録でもしていますが、質問に文書で明確に回答した書簡は重い意味があります」と話しています。
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幣原首相の「9条」提案 ”反戦平和のうねり結実”
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幣原首相はなぜ、戦争放棄をうたった憲法9条のアイデアをマッカーサーに提案したのでしょうか。
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上の写真は堀尾輝久東大名誉教授
真ん中の文書はマッカーサーと高柳憲法調査会長との書簡を収載した憲法調査会の史料
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幣原は1946年3月27日、自身の内閣内閣がつくった「戦争調査会」の開会あいさつで、原爆よりもさらに強力な破壊的新兵器も出現するあろう時に、「何百万の軍隊も何千隻の艦艇も何万の飛行機も全然威力を失う」と述べ、「世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、結局私どもと同じ(戦争放棄の)旗を翳(えい)遥(はる)か後方から付いてくる時代が現れるでありましょう」と述べました。
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幣原は、秘書官だった平野三郎氏による聞き取り(51年2月)に対しても「戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」と述べています。
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一方で幣原は戦争放棄と天皇制維持をセットで提案したかったが、敗戦から間もない状況で日本側から提案することはできず、「憲法は押し付けられたという形をとった」と説明しています。
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堀尾氏は「今回の新資料を、こうした発言とも重ね合わせると、9条が幣原の発意であったことについていっそう確信が持てると考えます」といいます。
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幣原がこうした提案をした社会的背景に何があるのか。堀尾氏は平和思想、国内外の反戦の流れを指摘します。
「日本にはもともと中江兆民、田中正造、内村鑑三らの平和思想があり、戦争中は治安維持法で抑圧されていましたが、終戦で表へ出てきて、国民も『戦争はもう嫌だ』と平和への願いを願いを強めていました。国際的にもパリ不戦条約をはじめ戦争を違法なものとする運動が広がっており、外交官でもあった幣原もその流れを十分認識していました。さらに原爆と戦争の惨禍を体験して、侵略への反省、反戦と平和への希求の大きなうねりが先駆的な憲法前文と9条に結実していったと考えます」
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安倍首相は、今秋から国会の憲法審査会を動かすとのべ、改憲に執念を見せています。堀尾氏はこう強調します。
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「9条は日本国民が求めてきたものであり、だからこそ国民は改憲を許してきませんでした。同時に、憲法の制定過程からも占領軍の押し付けではなく、日本側の提案を受けたものであることが明瞭になっています。世界中が戦乱の危機にあるいまこそ9条の理念を世界に広げ、平和を築いていく方向でこそ議論すべきです。これは憲法前文が求めていることなのです」
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幣原喜重郎
1872~1951年。外相を4回務め、国際協調、軍縮路線を主張したとされます。終戦後の45年10月から首相となり、現憲法の制定にかかわりました。
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憲法制定過程をめぐる主な流れ
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1946年1月24日 幣原首相とマッカーサーGHQ司令官が会談
2月13日 GHQ草案を日本側に提示
6月20日 帝国議会に提出
10月7日 成立
11月3日 日本国憲法が公布
1947年5月3日 憲法が施行
51年5月5日 マッカーサーが9条は幣原の発案と米上院で証言
58年12月 高柳憲法調査会長が渡米、マッカーサーと書簡を交わす
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◎「日本会議」や「神道政治連盟」と安倍内閣との関係については
「こういちの人間学ブログ」
「最近の世の中の動き、日本を動かす日本会議、安倍内閣の巧妙さ」
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このブログは「日本会議」についての出版物を読んで、要点を書いていったものです。追加追加で書いていったものですから、いささかまとまりの悪いブログで、申し訳ありませんでした。
2016年の参議院選挙が終わり、安倍内閣が改造され、安倍首相と、日本会議や神道議員連盟などは、いよいよ、憲法を変える段取りに移ります。選挙では憲法を変える云々はほとんど争点としないで選挙で改憲勢力が3分の2以上になったからと憲法を変える段取りに入るのですから、ひどいやり方です。憲法を変えるということをまともに公約にしていたら、世論調査の結果では、改憲の必要がないという人の方が多いのです。
「日本会議 戦前回帰の情念」という、山崎雅弘氏の本(集英社新書)では、帯封に「安倍政権と日本会議は、なぜ『日本国憲法』を憎むのか」と書いてあります。
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参議院選挙の世論調査
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参議院選挙前後の世論調査を見ると、読売新聞によると、自民、公明、大阪維新の党の改憲勢力が勝利したことを、良かったとした人が48%、良くなかったという人が41%となっています。毎日新聞の世論調査では、6月24日、改憲に反対が45%安倍内閣支持42%。7月18日では改憲の議論をすすめることに、賛成51%、反対32%となっています。
しかしまた時事では7月22日の調査で改憲論議を急ぐべきではない、という意見が54%となっています。
今年5月の世論調査では、憲法9条を変えない方がよい68%(郵送)。NHKでは9条を守りたいが68%で替える方がよい27%となっています。
自民党は、参院選で勝利したから、さあ、改憲だといきり立つことでしょう。しかし改憲勢力といっても、公明党、おおさか維新の党の改憲というニュアンスはだいぶ違っています。公明党は憲法第9条については、変えない方がいいと言っています。しかし内閣に入っている以上、安倍首相など「日本会議」勢力に飲み込まれてしまうような気がします。
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いささか不思議に思うのが、宗教界全体の中で、神社と新興宗教とで、日本会議の主要メンバーを占めていますが、そのほかの宗教界はどう思っているのでしょうか。2016年の日本会議の役員名簿を見ると神社関係と新興宗教とで主要役員をしめ、一人だけ武 覚張超氏だけが比叡山延暦寺代表委員となっていて、他に居ません。他の仏教指導者やキリスト教関係者はどのように思っているのでしょうか。今度の内閣で公明党の大臣以外、日本会議会員がほとんどで、全員神道議員連盟の会員というのは、異常です。
着々と昔の日本に戻すべく、運動を進めている日本会議などの実態がようやく広く国民の目の前に明らかにされました。日本会議に関する本が多数平積みされて売られているのでわかります。
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「日本会議とは何か」上杉 聡、合同出版より p16
図04、宗教団体の系譜
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宗教右派系 神社本庁 8万社、霊友会、139万人仏所護念会120万人、
崇教真光 46万人、オイスカ・インターナショナル、84万人
などが人数が多いところ
平和主義的側面を持つ教団
立正佼成会、586万人、(創価学会、600万人)、天理教、200万人
、実践倫理宏正会、300万人、PL 教団113万人など
◎こちらの方が断然信者数が多いのに、どうして自民党は宗教右派に乗っ取られたのだろうか。
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マスコミをおとなしく言うとうりにさせ、教育に対しての締め付けを強め、さまざまな手を打って、着々と憲法と第9条を替え、この日本を昔の日本に引き戻そうとしています。この前の選挙では民進党、共産党など4党が連携して一定の成果をあげましたが、まだまだ不十分です。特に民進党では、日本会議に参加しているような右翼的な議員たちがいます。1人区では協力しましたがそれ以外の協力はありませんでした。
このまま自民党と日本会議などの人たちの思うようにしないため、より幅広い勢力が結集して、憲法と9条を守り、再び戦争への道を歩まないようにしなければなりません。
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「シニア左翼とは何か」小林哲夫、朝日新書2016年3月、という本を購入しました。帯封に、デモ初参加の70歳・専業主婦も健在とあります。反安保法制、反原発運動で出現、孫を戦争に行かせたくない!という人たちがSEALDsをささえた影の主役と。筆者もわずかながらも戦前の生まれで、戦争を直接はしりませんが、その惨禍はよくわかります。どうもこのままでは、いつか来た道で、戦争に巻き込まれる国になってしまいそうです。何とか力を合わせてそうならないように、食い止めなければなりません。
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「日本会議の正体」青木 理 から
1969年 神道政治連盟結成
1979年 元号法制定
1997年 日本会議結成
1998年 道徳教育の推進
1999年 国旗国歌法成立
2006年 1万人大会、皇室の伝統を守る会
教育基本法を変える国民署名362万人
教育基本法全面改正
2007年 国民投票法案が成立
2010年 夫婦別姓外国人参政権法案反対運動
2012年 女性宮家創設反対
2013年 憲法改正に実現へ本格的運動開始
2014年 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」設立
憲法改正に向け国民投票実現に向けて1000万人賛同者拡大運動
◎堀尾輝久氏について
1933年1月生まれ。福岡県出身。東大大学院修了。東大教授、教育学部長。
日本教育学会会長、日本教育法学会会長、2006年、総合人間学会、2014年総合人間学会会長。
関連して
柴田義松氏について
1930年11月生まれ。東大大学院修了。東大教授、教育学部長。教授学。日本教育方法学会会長、総合人間学会副会長。現在人間学研究所所長。
◎ ブログ筆者は、人間学研究所専務理事。また総合人間学会の設立にもたずさわりました。
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