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2016年9月10日 (土)

「ヒトー異端のサルの1億年」について、島 泰三氏 興味深い本

 2016年8月25日に中公新書から、島 泰三氏の『ヒトー異端のサルの1億年』という本が出された。表紙のカバーにはオランウータンの写真とともに、「サルが生まれ、人が誕生し、日本人になるまで」と書かれている。
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・ 
裏のカバーには、
 我らも、アイアイやオランウータンのようなものだった。
 1億年前、インドとマダガスカルからなるレムリア大陸で霊長類は産声を上げた。2000万年前前には、東南アジアの失われた大陸スンダランドで類人猿が進化し、アフリカに到達したその仲間からヒトが生まれる。華奢な骨格と裸の皮膚、巨大脳を持つ、異端なサル=現代人は、いつどこで生まれたのか。そして日本人の祖先はどこからやってきて、どこに行こうとしているのか。サルから日本人へのはるかな足跡を追う。
◎今まで、いろいろな人類の起源についての本を紹介してきましたが、サルの発生から、人類の誕生、そして日本人の成り立ちまでの、長いスパンで書かれた本はほとんどありませんでした。
 著者の島泰三氏は山口県に、1946年生まれ、東大の学生のとき、学生運動にかかわり、1968年の佐世保エンタープライズ寄港阻止運動に参加、1969年の東大安田講堂事件では、学部生の「本郷学生隊長」として参加、逮捕されて懲役2年の判決を受けました。理学博士号は京都大学で取得しています。東大の人類学科大学院を出て、どこかの大学の先生になるのではなく、「房総自然博物館」2代目館長、雑誌『にほんざる』の編集長などを歴任。2002年以降、NGO日本アイアイファンド代表として、マダガスカル北西部の「アジアンギラーナ監視森林」を保護・観察している。マダガスカル国5等勲位シュバリエ授与。
 このように民間の研究機関の研究員やNGOなど幅広く活躍されています。また、2005年に、参加した学生側の視点から東大紛争を記述した『安田講堂1968-1969』を刊行しています。(「ウイキペディア」より)
『どくとるアイアイと謎の島マダガスカル』1997 八月書館
『アイアイの謎」        2002 どうぶつ社
『親指はなぜふといのか」 2003年 中公新書
『人はなぜ立ったのか?』2007年 学習研究社
『孫の力、誰もしたことがない観察の記録』 2010
など著書多数。
 はじめに、で
「私にとって「ヒトとは何か?」という問いは「人間とはどういうサルなのか?」という問いなのである。
 万物の霊長がヒトであり、世界に冠たる神州清潔の民が日本人であるという予見をことごとく捨て去って、一種の大型のサルとしてヒトを、また日本人を観察すると何が見えるのか?
 もともと、他人の説は無論のこと、大家の学説に無関心であり、信用もしない性格である。誰もが一致して認める定説などに興味がなく、ひたすらヒトに至るサルたちの階梯を、自分が納得できる形で理解することに集中してきた。
 こうして明らかになったサルたちやヒトの姿は、私にとって驚きに満ちたものだった。
目  次
はじめに
 
第1章 起源はレムリアー マダガスカル・アンジアマンギラーナの森から
これほど多様なマダガスカルの原猿類はどこでうまれた
霊長類はどこで生まれたのか
霊長類の起源は9200万年前と推定された。
霊長類の分類とその系統
 
 レムリア大陸は中生代ジュラ紀の1億6000万年前にアフリカ大陸から分かれた。
 1億2000万年前にはマダガスカルはほぼ現在の位置へ8000から7000万年前インドと
 マダガスカルと離れた。マダガスカルは他の哺乳類との競合がない原猿類だけの島になった。
 ユーラシア大陸とつながることによってグレーター・インドは現在にまで続く霊長類の歴史を展開することになる。
 霊長類はユーラシア大陸の南部で真猿類を生み出した。この真猿類の枝の一つである類人猿こそ、私たち人類につながる。
第2章 歌うオランウータン ーボルネオとスマトラの密林から
類人猿第1世代
類人猿2000万年の歴史
 2000万年前のモロトピテクスとアラビア半島の1800万年前のヘリオピテクスが最古の類人猿化石とされているが、確実な記録ではドイツの1700万年前のグリフォピテクスとされる類人猿化石が最も古い。
中新世後期の類人猿第2世代
高木層を持つ熱帯雨林の巨大果実食の類人猿が現れるのは、初期類人猿が絶滅した後の中新世後期に入ろうとする1200万年前でありそこから類人猿の第2世代=中新世類人猿の時代が始まる。これをシヴァピテクス・ドリオピテクスと呼んでもいいかもしれない。
オランウータンは歌を歌うーロング・コールと呼ぶ
第3章 笑うゴリラ ーヴィルンガ火山の高原から
 ゴリラの主食は何か
 アフリカの類人猿第2世代とゴリラの起源
  960万年前ーヴァレンシアン・クライシスヨーロッパで類人猿がほとんど絶滅、全地球的な寒冷化ードリオピテクス絶滅。900万年前からアフリカでの類人猿の記録は途絶し、温暖化の始まる600万年前になってようやく、アフリカ類人猿が復活する
   ゴリラにはO型の血液型はない
 ゴリラは笑うし、言葉も使うー相手の目を見ることは普通は威嚇である。ゴリラは「君の目をよく見せてくれ」と語りかけているのだ。ゴリラの言葉は人間と共有できるものがある。
第4章 類人猿第三世代のチンパンジーとアルディピテクス ータンガニーカ湖畔の森から
 類人猿第3代世代―チンパンジーとの遭遇
 チンパンジーの選んだ道
 類人猿第3世代その2 アルディピテクス
 アルディピテクスとはどんな類人猿なのか
 アルディピテクスは人類の祖先かー祖先である
 東アフリカー隆起による乾燥化
   乾燥化に適応した人類アルディピテクスは絶滅 その20万年後草原と化した東アフリ
  カに出現した、アウストラロピテクス
第5章 類人猿第四世代、鮮新世のアウストラロピテクスーツァボ国立公園にて
 アウストラロピテクスの誕生
 アナメンシスとアファレンシス
 アファレンシスの歩き方
 アナメンシスとアファレンシスの臼歯のエナメル質の厚さ
 その歯は何を示しているか
 アウストラロピテクスの社会
 ジャッカルの目―マサイマラ国立保護区
第6章 ホモ・エレクトゥスとハンドアックスの謎
   類人猿第4世代
   ボノボの出現
   更新世のアウストラロピテクス類
   ホモ属の出現
   ホモ・エレクトゥス(原人たち)の主食は何か
   ハンドアックスの謎
   謎その一ー巨大さ
   謎その二ー定型的な形
   謎その三-分布の特異さ
   謎その四-使用痕がないこと
   ハンドアックスの用途についての学説
   威嚇
   王獣ホモ・エレクトゥス
   では原人たちはどんな群れをつくったのか
第7章 格闘者ネアンデルタール
   ネアンデルタールの時代―50万年前から3万年前まで
   ネアンデルタールの生活環境
   体の重武装化
   人類史上最大の脳
   ネアンデルタールの石器―中期旧石器時代
   ネアンデルタールの生活と主食
   ネアンデルタールの絶滅-動物地理学的解釈
・   
第8章 ホモサピエンスの起源―ナイヴァシャ湖にて
    アンタナナリヴの沼
   ホモ・サピエンスの起源
   どこで、ホモ・サピエンスは出現したのか
   「バビルーサ」と同じこと
   ゲノムの解析によってホモ・サピエンスの特性、裸の皮膚がほの見える
第9章 最後の漁労採集民、日本人―宇和海の岸辺にて
   東へ、日の昇る彼方へ
   日本人の近縁者たち、
   日本人の起源、
   朝鮮からつながる古日本半島の時代-15万年前まで
   新日本半島時代15万年からAT噴火(2万6千年前)
   ホモ・サピエンス、日本列島に入る
   最終氷河期の最盛期―3万年前から1万3000年前まで
   「かりに真理を犬としてみる」
   言葉の起源
   縄文漂流民
   完新生温暖期に農耕が始まり、脳は縮む
 
終章 ほほえみの力
あとがき
◎ 目次では、5章からは全部載せましたが、それ以前は興味深い項目だけをブログに転記しました。この本で感心するのは中公新書という、一般書でありながら、21ページに及ぶ総引用文献と10ページに及ぶ注である。興味深い図版も大変多い。
 サルの起源から日本人までという極めて長い期間を書いているわけですが詳しい裏付けが示されていることです。実に幅広くいろいろな部分に論及されていることに驚きます。
 はじめに、の最後の、(「私にとって驚きに満ちたものだった」に続いて)
 「ここで描かれた類人猿やヒトに先行する人類の姿は、世の常識とはかけ離れたものかもしれない。ヒトの姿は、あるいは不愉快に感じられるかもしれない。しかし、予断を排して事実を積み上げる方法以外を、私は採用しなかった。どんなに受け入れがたくとも、彼らの姿には裏付けがある。その当否は、読者諸賢の高察にゆだねたい。
◎本の中で興味深いところをいくつか書いてみたい
類人猿第3世代のチンパンジーとアルディピテクス
 類人猿第3世代のチンパンジーは、サバンナに生きるのではなく、類人猿の本来の生活圏に住んで、熟れた果実を主食とすることだった。小型の獣など狩猟できる機会があれば、毛xして逃すことがない半捕食性類人猿ともなった。p84
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類人猿第3世代ーその2、アルディピテクス(・ラミダス)
 440万年前でアウストラロピテクスより古い、脳容積はチンパンジー程度
 東アフリカ―隆起による乾燥化 p91
全世界的な寒冷化は、アフリカにもおよび、東アフリカでは800から600万年年前までの間にウッドランド(森林地)から草原への転換が始まり、500から300万年前の間に草原が拡大する。
 
アルディピテクス(初期人類のニッチ)生態的地位
 森が小さな区画をなす森林地帯、または「森林の下層が草になっている湿った冷涼な森林地帯」
 半ば乾燥した森林で植物の果実や木の葉を食べていたであろう
主食はオウギバヤシの果実ではないか 木をつかむ親指が太くなる
アウストラロピテクス、アナメンシスとアファレンシス
 アナメンシスはアウストラロピテクスの祖先種と考えられる
アファレンシス約400万年前の地層から見つかった。有名なルーシーである。
 より完全な直立二足歩行を行った。ルーシーは、身長1,07メートル体重27キロの小柄な雌だが骨盤は現生人類の女性とほとんど変わらない。
アウストラロピテクスの時代は200万年間も続いた。
◎完全な直立二足歩行が人類への大きな進化を示す
ホモ・エレクトゥスとハンドアックス
 類人猿第4世代、ホモ属(原人)
 彼らは常時石を持っている 現代人とほぼ同じ身長、同じ歩き方
ハンドアックス 巨大で、定型的、分布の特異さ、使用痕がないこと
 大型獣を、ハンドアックスを振り上げて威嚇したのではないか
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写真は重さ3キロにもなる大型ハンドアックス
 ホモ・エレクトゥスは大型のハンドアックスを使い他の「捕食獣」達にも優越する「王獣」だったのだ。生態的地位が上位であるほど数が少なくなる。この「王獣」の直接の後継者たるネアンデルタール人は、この正当なニッチェを確保していたが、裸というありえない特性をもった、ホモ・サピエンスは正統派ホモ人類とは全く別の系統であった。
◎今までは、人類が大型肉食獣におびえた存在だと思われていたが、ここでは全く逆に見られている。
ネアンデルタール人
 ネアンデルタールの生活はきびしい。ほとんどすべての成人の骨にけがや病気の後が残されている。
(マンモスなどを接近して槍で倒す。身体能力は最大に-ケガも多い)
ネアンデルタール人は人口密度は低い。ヨーロッパ全体でも4400人から5900人程度。
ネアンデルタール人は身長が高く体もがっしりしていた。脳容積も大きい。
イヌなしで大型哺乳類を倒すのは大変。魚は食べない。ヨーロッパは最終氷期に現在のシベリアのような気候となった。
基礎代謝が高く、カロリーの大きい大型哺乳類を狩る必要があった。
ホモ・サピエンスの勝利は必然でなく、場合によってネアンデルタール人がヨーロッパに今日まで住み続けたかもしれない
◎(最終氷期の極端な寒冷化が無ければ。ネアンデルタール人は生き延びたかもしれない。ホモ・サピエンスとの交流で、石器も向上した。それに比べ温暖なアフリカのホモ・サピエンスはずっと有利であった)
ホモ・サピエンス
ホモ・サピエンスの裸の皮膚は、生存に適していない形質である
1987年アラン・ウイルソンら、人類の共通祖先はアフリカの一人の(あるいは少数の)女性から始まったことを証明した。「ミトコンドリア・イヴ」仮説である。
もっともホモ・サピエンスの古い骨、エチオピア南部の19万年前のオモ川(魚が豊富)
好んで泳ぎ、魚を捕り貝をあさり、水草や、海藻を食べる全く新しい大型類人猿、ホモ・サピエンス、水辺で生まれる
ホモサピエンスの狩は犬との共同作業
ホモサピエンス・イダルトゥ 約20万年前、アフリカ起源説
ホモ・サピエンスの骨はホモ・エレクトスやネアンデルタール人より華奢であること
顔の皮膚が薄いため皮膚は多彩な表情をつくりだす
(投げやりの発明も大きかったでしょう)
最後の漁労採集民、日本人
 ホモサピエンスは12万5000年前には紅海沿岸のエリトリアのアブドル・リーフに貝塚を残し中東への道を探していた。しかし12万年前には地中海東岸のスフールとカフゼー遺跡に痕跡を残した9万年前のネアンデルタール人の出現とともに姿を消した。ホモ・サピエンスの出アフリカの「第1の失敗」
 ホモ・サピエンスの社会の特性
年長の子どもたち、こどものない大人、そして老齢者が赤ん坊の面倒を見る社会特性
 ホモ・サピエンスは長い子供時代に遊びの中からはぐくまれた創意工夫と、爆発する人口を背景にした若者世代の破壊力と壮年時代の技術開発力、老年時代の知識伝達により2万4000年前から1万3000年前まで続く『全面的氷河』の時代を乗り切っていく。p203
 ホモ・サピエンスは犬によって支えられたといっても過言ではない
イヌが家畜化されたのは1万5000年か6000年前、長江の南
東アジアこそ犬の起源地だった。オオカミにないでんぷんの消化能力が見つけられたとき明らかになった。
 
 日本では氷河期が終わり「縄文海進」の時代、いろいろな漂流民を受け入れる
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p209  大陸とのつながり
朝鮮からつながる古日本半島の時代―15万年前まで の海面低下
新日本半島の時代―15万年から2万6000年前まで 最大氷期による海面低下
ホモ・サピエンスは農耕が始まってから「現代人」となり、脳容積を縮め、魂を細らせた
終章、ほほえみの
 「これから先は筆者の偏見ですよ」と断って、その後の日本人とその先行きについて
第1の視点
  日本列島は広い、南北3500キロ
第2の視点
  日本人を構成する遺伝的・文化的多様さ
  少なくとも8系統の言語と民族が関係している
  今なお生きている方言の無数の広がりこそ、日本人の多様さを示している。
第3の視点
  日本人の行動学的な特徴である和とほほえみである
第4の視点
  その文化的な変容自在さである
あとがき
 日本列島、一番幸せな漁労採集民が残っていた。1950年代、の水俣病が多発、幸せな風紀はついに幕を閉じた。1959年水田に最初の農薬がまかれた。パラチオン。
 12歳で現代人の文明を全く信用しなくなった。
 「かしこい人、ホモ・サピエンス」だったはずの現代人の中にはあえて名付ければ文明化人ホモ・クルトゥスとでも呼ぶしかないような戦争を産業とし、階級差別を制度化する別人種が生まれつつある。
 
◎とても、すべてのことは書ききれません。面白そうだと思われた方は、直接、およみください。
 

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