人間学研、実用的人間学研究会2016年第6回例会 仁科邦男氏犬の話
人間学研究所第126回、実用的人間学第86回例会
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1、日 時 :2016年10月20日(第3木曜日)18時より
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2、テーマ :西郷隆盛ー西南戦争と犬
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3:講 師 :仁科邦男氏 (柏市在住 1948年生まれ)
日本動物学会会員
元毎日新聞出版局長 サンデー毎日編集長
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4、会場:人間学研究所
新宿区百人町 佐竹ビル3階
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仁科氏は、動物特に犬にまつわる歴史、習性、人間とのかかわり等の多くの歴史文書を渉猟し、数多くのご著書があります。
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連絡とお願い
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「人間学研究所年誌2016」を2017年3月に刊行することになりました。ついては大勢の方のご応募をお願いします。詳しくは「Humanology」次号でご連絡します。
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問い合わせは
木村廣子 090-4064-5174 へ
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仁科氏は犬と猫についていろいろな本を書いておられます。
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「伊勢屋稲荷と犬の糞 江戸の町は犬だらけ」2016,8 1500円 草思社
「犬たちの明治維新 ポチの誕生」 2014,7 草思社
「犬の伊勢参り」 2013,3 平凡社新書
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江戸初期は犬は食べられた。そのため数は少なかった。また鷹の餌にされた。
将軍綱吉 生類憐みの令、中野に犬屋敷、白米を食べさせたので脚気で死ぬ犬多し
運動不足とビタミンBの減少、犬の急増と急減
将軍吉宗 里犬(町犬、村犬)は狩りの邪魔とされた 江戸へ流れ込む
里犬は村で共同で養う、部外者の侵入 吠えたてる役目
明治初め 里犬はなくなる、野良犬は巡査が撲殺 洋犬の導入
以後個人で飼う以外ダメになった
明治58年ころから、教科書により犬はポチ、猫はタマが一般的に
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ハナサカ爺さん はじめ犬はシロ 後でポチに変わる
明治の教科書で、ポチ、タマになっていることにより定着
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「伊勢屋稲荷に犬の糞」
。
10月2日、購入しました。
帯封に
「江戸に多いもの、伊勢谷稲荷に犬の糞」といつだれが言い出した?
-かっての江戸の町のありさまを表す 上方発祥。明治20年ころから東京で広まる
浅草、麻布、八丁堀にあった”犬の糞横丁”とは?
ー正式な名前ではない。浅草、麻布飯倉、八丁堀の与力屋敷近くなど
犬死、犬侍、犬畜生、幕府の犬…なぜ犬はよく言われない?
ー犬とは密偵・スパイのいみがあった
輸送革命をもたらした大八車の登場で、犬の交通事故多発
ー大八車は便利だがブレーキがない。犬がよくひかれた
綱吉時代、江戸に約10万匹
いた犬が551匹に激減!なぜか?
ー雄、雌分離して飼う、脚気による病死、普通の場合でも寿命10年ほど、減少
綱吉が死ぬと残った犬の多くが殺された
将軍吉宗の犬規制、鷹狩の復活、「犬は遠くに捨てなさい!」
-野良犬化した 狂犬病がはやりだす
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神楽坂にあった、お稲荷さん。伏見稲荷の分社です。町中にこういう小さなお稲荷さんがたくさんあります。
江戸の町には伊勢屋は10、7軒に1軒、稲荷は2千以上、浅草寺には僧房も含め合計で50の稲荷社があった。王子稲荷神社が江戸では総社
台所の残飯は一か所に集められ、犬が食べる。ごみ処理の重要な役目。
江戸時代は人糞をはじめほかの動物の糞も有効利用された。しかし犬は飢饉や刑場の死体をカラスとともに食べるということがあり、犬の糞も忌み嫌われた。
外国人を見ると犬は余計ほえたてたー邪魔ものと
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とら猫イーチ様 ご愁傷さまです
猫なのに侍のようでしたと、3度も書かれていました。さぞ、立派な大往生で、逝かれたと思います。
人間と猫という境界を超えた素晴らしい心の交流であったと思います。
残念ながらうちの老猫は最後をみとらないままで済んでしまいました。いずれにしてもトラ猫イーチさんのような深い心の交流はありませんでした。
とら猫イーチさんと「とら」さんの心の交流は後々まで、記憶されるべきものと感じます。
気を落とされて体の調子を崩さないようにしてください。
投稿: こういち | 2016年10月 3日 (月) 12時59分
こういち 様
「とら」は、本日(10月3日)5時32分にあの世に行きました。
これからは、亡父母とともに、私を見守り、私が来るのを待つことになります。
最期は、昔の侍のように、前を見詰めて、そのまま息絶えました。
私が、「とら」に起こされるようにして起き、とらの下の世話をして、吐いたものも拭いた後、手を取り、これからも一緒だよ、絶対に離さないよ、と話しかける中で、真っすぐに前を向いて穏やかで侍のような厳しい顔のまま二度と再び帰ることはありませんでした。
先週水曜日に嘔吐とともに倒れ、そのまま死を迎える処を二度、三度と私の呼びかけに答えて帰ってくれたのですが、本日早朝は、それが叶わず、厳しい表情で私の呼びかけを拒絶し、自分は行く、との意思表示をしたのでした。
猫なのに侍のようでした。 泣くな、とも言っているようでした。
何とも穏やかな表情のままでした。 これでは泣けません。 これから、「とら」のように生きます。
長年の公務員生活に終止符を打ち、愛猫との楽しい生活を夢見て自宅を整理・整頓している処でしたが、私の怠惰のために、それがままならず、「とら」と一緒に寝る処が無いまま迎えた最期の戦いですが、最期の二日間は、添い寝が出来ました。 これも「とら」が気力を振り絞り、死期を伸ばしてくれたお蔭です。
猫なのに侍のようでした。 私には、勿体無い程の本当に可愛くて、賢くて、強い猫でした。 古の侍に倣い、記念に鬣の毛を頂きました。
投稿: とら猫イーチ | 2016年10月 3日 (月) 12時11分
とら猫イーチ様
コメントありがとうございます。
トラちゃんが、重篤になって、28日にはもう危ないという状況の中で、もう5日間も頑張って生きているのは、もうペットと人間の関係を超えた心の交流を感じられます。
そこまで深い関係にはなかなかなりません。うちの場合も二年前に雄猫をごく最近メスの老猫にゃー丸をなくしました。残念ながら2匹とも1度も会わないままに逝ってしまいました。
おっしゃる通り、犬の場合は人間に服従する関係からのつながりからですが、猫の場合は本当に心からのつながりになるのでしょうね。
人間と猫の場合との心のつながりがそれほど強い例として記憶されるべきもののように感じられます。
投稿: こういち | 2016年10月 2日 (日) 06時57分
犬と猫のお話に関してですが、実は、我が家の長男猫(男:19歳5カ月)が、28日(水)に嘔吐し体調の変化が激しく、昏睡状態になり、皮下輸液と時折に意識が戻った折の栄養剤投与で、何とか命を長らえているのです。
処が、飼い主の私の意識が、飼い猫「とら」を猫とは思えないまでになってしまっていまして、狼狽し、獣医院へ連れて行くのは勿論のこと、情報を頼り、救命に必要なあるゆる努力をしている処なのです。
自分でも思います。 自分の意識が、何故、これほどまでに、一頭の猫を愛情を持って思いつめるまでになっていたのか、と。
自分で自分に呆れる程です。 他に何頭もの猫を自宅で飼育しているにも拘わらず、一番年かさの猫を此れほどまでに思っていた、とは。
これには何か理由がある筈、と思うのです。
本日、獣医さんにも御伝えしたのは、猫と自分とが結ばれている、と云う仮説です。 愛情は、勿論ですが、何か、家族愛とか、友情とか、それらの情愛が出来ているのだと思うのです。
これは、種の習性として主に従う犬とは違い、猫は、主に従う習性が無いので、そのために、他の情愛を人と交わすと犬よりも結びつきが強くなる、と私は思っています。
兎に角、我が家の長男猫との関係では、不可思議な事柄が多くあり、言葉を超えた意思疎通が可能なのです。
人間学会でも、この不可思議な生き物と人間との関わりを取り上げて頂きたいものと思いまして、コメントを致します。
今回の我が家の長男猫の重篤な病状の間にも、言葉を超えた意思疎通があり、28日に亡くなるものを今まで堪えて呉れています。 それは、猫とも思えない気力を振り絞った力を感じます。
ただ、それは、一日一日、光が小さくなるようです。
私も、あと何日かを気力を振り絞り支える積りです。
投稿: とら猫イーチ | 2016年10月 1日 (土) 20時52分