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2016年10月27日 (木)

第五倫伝 第14章「第五倫危うし」 第五倫暗殺計画 第五倫柯岩にて襲われる p181-185

第、14章、「第五倫危うし」
第五倫暗殺計画
 曹紳は会稽郡に散らばる配下の巫祝を集めて言った。
 男性である祝(ほふり)女性の大巫女など主だったものが、曹紳の屋敷に集まった。
それぞれにある狂信に取りつかれた異様な姿のものが多かった。
 曹紳は50歳ぐらいであごが張り、大柄で眼光が異様に鋭く、人を威圧する容貌をしていた。それが低く、重みのあるある声で皆を見回しながら言う。
 「どうだ、牛祭りが禁止され、今度の太守が思うがままにしていたら、次から次へあれがいけない、これがだめと禁止してくるにちがいない。そうすれば我々の仕事がなくなってしまうぞ。どうしたらいいと思うか」
 「曹紳殿の言うとおりだ、牛祭りが欠かせない祭りだということを新しい太守に説得すべきだが、あの様子ではとてもむつかしいであろう」細長い顔で鼻がとがった曹尚は、ひげをしごきながら、話をつづけた。
 上虞県の曹尚は曹紳の親戚であり、上虞県の巫祝の有力者であった。この子孫が上虞で親孝行の鏡としての曹娥となるのである。
 曹紳はそれを受けて。
「ひそかにわれわれの力で呪い殺す、場合によっては丁候どのにお願いしてひそかに消えてもらったらどうだろうか」
 それがいいと賛同の声が続き、一同は、曹紳の提案に従うことになった。
 そこでさっそく、曹紳らは、牛祭りを後援する豪族の丁侯に相談した。丁侯は銭糖県で王充の父といさかいを起こした丁伯の親戚である。丁侯も牛祭りを取り仕切りそこで大きな利益を得ていたのである。
 丁侯は山陰県(紹興)隋一の豪族で、広い荘園をもち、そのなかに城砦のような屋敷を持っていた。その身内の者が何人か都や県の役人になっていた。また部曲という私兵を百人ほど抱えていた。昔から一族は紹興酒を作っており金回りも豊かであった。
 丁侯は宴会を行うので集まってほしいということで、第五倫に反対するものをひそかに広大な屋敷に集めた。当時の豪族はしばしば一定の盟主の地位を維持するために豪華な宴会に招待したものである。
 そこには、丁侯と、上虞の豪族孫徹、あるいは、銭糖県などから集まってきた丁伯の子などの豪族など。呪術師の長である曹紳や曹尚さらには山陰県の功曹掾をやめさせられた蒙臣、銭糖県の獄曹掾の杜安生などの県の役人もいた。彼等は皆第五倫の政策により民から利益を搾り取ることができなくなった者たちである。
 酒の席が進むにつれ、第五倫が赴任してきて、いかにいろいろなことがやりにくくなったかと、不満の声が上がった。ほかのことは我慢するにせよ、特にずっと続けてきた牛祭りを廃止するのだけは許せないという声が強くなってきた。
 話の盛り上がりで、第五倫はわいろも効かず頑固だから、何とかひそかに始末してしまおうとという話になった。丁侯も第五倫の政策により、民から搾り取ることができにくくなった。そこで第五倫を暗殺するという豪族と悪徳役人と巫祝そしてならず者などの、一大連合が出来上がった。
 直接手を下すのははばかれるために、特殊な武術者やならず者たちに暗殺を依頼した。巫祝たちも一斉に第五倫の呪詛を行う。
 山陰県の前功曹掾の蒙臣は第五倫が山陰から銭糖へ小人数で出発するという情報をひそかに仲間に知らせた。
 これは絶好のチャンスであると。
 丁侯と曹紳は裏社会のボスで、腕では誰にも負けたことがないと自慢する、牛殺しと異名のある趙袁を屋敷に呼んだ。趙袁は身長8尺5寸(1m95cm)筋骨たくましく、暴れ牛を角をもってねじり倒したという怪力の持ち主であった。 得物は鉄槍(てっそう)である。鉄槍とは、普通槍の柄は堅い木であるが、すべて鉄で作られたものである。これは刺すだけでなく強力な打撃兵器となった。しかし大変重くなり、よほどの膂力がないと使いこなせないものであった。またその槍さばきもすさまじいものであった。今まで多くの戦いで一度も負けたことがないと自慢していた。
 趙袁の弟分蓬越も八尺を超す偉丈夫である。
 丁侯は言う。
「良いか、今度、お前たちの一世一代の大仕事だ。太守の第五倫をひそかに始末してほしい。うまくいけばほうびは望み放題、望めば官につくこともできる。今度、第五倫は山陰から銭糖に行く情報をつかんだ。相手は10人ぐらいだそうだ。そこをお前の部下と私の部下えりすぐりを50人も出せば、いくら何でも殺せるだろう。絶対に殺して来い。
 しかし、ことはお前たちが勝手にやったことで、絶対われわれのあずかり知らぬこと、名前は出すな。名前を出すようならお前たちの家族にも災いが降りかかるだろうよ」
 趙袁はいかつい、あごが突き出した、いささか巨人症気味の巨体で、どすの利いた声で言うには。
「 牛殺しの趙袁と言われる俺の力を見くびってもらっちゃー困る。お前も知っているだろうが、今まで戦って一度も負けたことのないこの俺だ。第五倫なんて野郎は俺一人ででも倒せるぜ」
「だが第五倫は恐ろしい弓の名手と聞く、盗賊を一人で追い払ったとか。護衛の人間も腕の立つものを連れて行っているだろうが、気を付けることだ」と丁侯が言うと。
「おう、その辺はうまく弓を使わせないようにするさ」
長いあごひげを上から下にしごき
「それに俺の配下には腕の立つ奴はいくらでもいるぜ。任しておくがよい」
「それは心強い。それでは前金として千両をもっていくがよい」
成功したらその倍以上をやろう」
「早速手配するぜ」
足早に出て行った。
 丁侯らはそれぞれ影響下にある部下たちに第五倫の悪口を言いふらさせた。牛祭りをやめさせる第五倫にはたたりがあり、急死するであろうと。
 その動きを察知して、謝夷吾は自分の弟子たちを、宋三は塩の商人の仲間から、厳八は庶民の中からその持ち味を生かして調べ始めた。丁侯らに怪しいたくらみがあることは分かったが具体的なことはわからなかった。
 丁侯らは新参の太守にはそれほどの探索能力はないと高をくくっていた。督郵、鄭弘はもしもに備え部下を常に武装させいつでも出動できるようにした。
 鄭弘、謝夷吾らは怪しい動きがあるので、移動には多くの護衛兵をつけるように、第五倫に言った。
 しかし、第五倫は出歩くとき、多くの護衛兵を付けることを好まなかった。その代り必ず、宋三と厳八がついていくことにした。
     p183
第五倫、柯岩(かがん)にて襲われる
 二月のまだ寒い日、巡察で第五倫と宋三と厳八、あと護衛の兵が7人。護衛の兵は鄭弘えりすぐりの弓術、剣などに優れた者たちであった。合計10人の一行は山陰県(紹興)から、隣の銭糖県(現在の杭州)に馬で向かうところであった。
 その道は海岸に近い運河ぞいの 道で、はるか昔より作られていた道である。
 今でも、運河、有料道路、鉄道がとおる大動脈である。
その動きを察知した趙哀はひそかに自分の部下の中から、えりすぐりの50人の暗殺団を組織した。
 偵察のため、先行していた厳八は、道のはるか向こうから、多くの物々しいいでたちの騎馬の一団がたむろしているのにきがついた。その殺気立った様子からこちらを襲うと見た厳八は、一瞬にして第五倫一行の危機を察した。すぐに近道の道を通り、息せき切って第五倫に知らせた。
「賊が襲ってきます。その数およそ五十」
大声で倫の一行に知らせた。
 10人余りの一行を五十人もの数で襲う。行動も白昼大胆に。これだけの人数で襲うという情報は、第五倫一行はつかんでいなかった。
 「厳八よ、急いで、山陰の(会稽)郡の役所に知らせておくれ」
厳八は聞くやいなや、背後を気にしながら、直ちに馬にムチを入れ、第五倫襲わると知らせに走った。
 第五倫は直ちに
「この平地では危険だ、平地では防ぐものがない。近くの岩の切り出し場、柯岩に行こう」
第五倫の一行は直ちに近くの石の切り出し場、柯岩を目指した。
 襲われた場所は田園地帯で縦横に運河が走る柯橋。紹興酒のもととなる名水、かん湖に隣接したところである。秦の時代からの石切り場があるところである。そこまで5キロ、今では根元が極端に細い奇岩、柯岩や石の大仏やお寺のある大きな公園になっている。
 暗殺団は途中で第五倫の騎馬の一行は柯岩のある石切り場に向かったと知り、馬の向きを変えた。
急いで走る第五倫一行。果たしてうまくたどり着けるか。
 ようやく、馬も人も息せき切って、後ろが岩山でそこに小さなお堂があるところに立てこもった。
 しばらくして腕に自慢の荒くれども五十人。その中には腕はたつし、特殊な戦闘能力で雇われたものもいた。うまく殺せば大金が入ると勇んでやってくる。
「よいか、第五倫は大変な弓の名手だそうな。盾に身を隠しながら行け。
 暗殺団は第五倫一行がお堂の中に隠れたようだと知る。
第五倫たち九人はお堂の中から外の様子をうかがう。
「後ろは崖だ、後ろからくることはない。敵は石段を上がってくるので見通しがきく」
 第五倫が言う。
 敵は、堂を見上げる位置から一斉に矢を射かけてきた。木の壁や戸に突き刺さる。
戸の隙間や窓から堂の中に入ってくるものがある。
 「使える矢は拾っておけ」
第五倫が指示。
戸の隙間から外の様子をうかがう。
 賊はたてのうしろに隠れながら隠れながら石段をじりじり上がってくる。
 「どれもこれも相当な使い手のようだな。これは手ごわいぞ」
 敵の矢の斉射が終わった後、九人はいっせいに戸の間から弓のねらいを定める。
「できるだけ近くまでひきつけろ」
 弓の名手宋三は
「相手は多い、矢は大事に使え」
「盾から出たところをきちんと狙え。足元があいているぞ」
「弓を打つため、盾を放した時がねらい目だぞ」
 第五倫は強弓のねらいを定め、次々に矢をつがえ、たちまちのうちに3人の敵を倒した。
 他の護衛兵たちも手練れである。次々に矢を放つ。矢に当たり階段を転がり落ちるもの続出である。たちまち敵は早くも混乱した。さらに敵は7人が傷ついた。
 「これはいかん」
相手を小人数だとみくびっていた敵は、
 「下がれ、下がれ」
と一斉に弓矢の届かないところまでいったん後ろに引いた。
 「人数が少ないと、少し甘く見てしまったな」
 「よし、火攻めにしろ」
趙袁はいった。
また、堂にちかづき、階段の下から、上を見上げて火矢をうとうとする。
 しかし、火矢は普通の矢ほどには飛ばない。
射程距離が長い、第五倫の強弓の矢は、火矢を射ろうとするものを次々と倒す。
 これはたまらん。さらに後ろに下がった。
これはどうしたものか。攻めあぐねて主だったもので相談する。
「数を頼んで切り込もう」
 すでに十数人が死んだり、手傷を負っている。
 残ったものの中から盾を持たずに30人ほどが一斉に階段を駆け上がった。
さらに九人は狙いを定め、次々に射落とす。
 ところが矢を避けて6人ほどが堂の前にやってきた。
そして、近くから火矢を打つ。
 何本かは堂に刺さって燃え始めた。
 「三人は俺と一緒に上がってきた敵を倒せ」
言うや否や、宋三は堂から飛び出して
先頭の敵を槍で突き伏せる。
 敵は次つぎに階段を上がってくる。
堂の前は激しい切りあいになる。
 残りの6人は矢を射続ける。
敵は死人けが人を残して退いた。
ただ、敵も手ごわく、堂を出て行った3人は手傷を負い、堂の中でも矢が刺さって、手傷を負った。かなりの重傷を負ったものもいる。
 敵もさすがに手傷を負うものが多く、疲れが出て、いったん退いた。
お互いに一時の小康状態が生まれた。
 「一人が知らせに行ったぞ、ぐずぐずすると奴らに応援が来る」
「いやあ山陰の郡役所からくるまでにはまだ時間がある」
賊のかしら、趙袁が
「奴らの矢玉も尽きてきたころだろう。そろそろ俺様が行って仕留めてやる」
にやりと笑った。
   p185
「謝夷吾、風角占候で、危機を知る」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/12/
 
 
 
 

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