「中世の貧民」 説教師と廻国芸人 塩見鮮一郎、貧民シリーズ
文春新書における、塩見鮮一郎氏の「貧民シリーズ」は4冊出され、3冊はすでに「こういちの人間学」ブログに書きました。しかし「中世の貧民」は、なんとなく、まとめづらくブログに書きませんでした。今回ようやく完結します。890円 +税
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書 名 出版年月 こういちの人間学ブログ
中世の貧民 2012年11月 2016年12月
江戸の貧民 2014年8月 2014年9月
貧民の帝都 2008年9月 2014年5月
戦後の貧民 2015年9月 2015年9月
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帯封に
すさまじい貧困と差別 説教節からあぶりだされる室町期庶民の実態
帯封の裏に、
蔓延する疾病と頻発する一揆
遊女と奴隷を確保する人身売買
生活のため放浪する賤民
合戦にともなう略奪と暴行
店を張れず、物を売り歩く行商人
障害者を使った「人間カカシ」
ホームレスや病者が流れ着く「こじき町」
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説教節の名作『小栗判官』を題材に、餓鬼として甦り、土車で引かれる主人公の熊野への旅を改めて検証するとともに、貴族や高僧といった上流階級ではなく、庶民の目線から見た、貧困、病、そして恋の道行き等の実態を描く。
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目 次
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まえがきー説教節の愉楽
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1章 六根片端の男
つちぐるまの吸引力
中世の小田原宿
貴種の来歴
復讐と鎮魂の系譜
奇想世界『をぐり』の成立
2章 魅惑の倒錯
美人の特権神話
獣姦を特別視しない文化
道行の幻視
散所・陰陽師村・声聞師村
拷問と苦役の果て
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3章 中世の恋
盲目杖に咎はなし
乙姫はつよし、小萩もけなげ
無謀な求婚
なぜ人食い馬なのか
受難の放浪劇
人商人と中世奴隷制
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4章 よみがえりの夢
鏡の里の女たち
逢うも別れもの関
清水坂の雑踏
四天王寺の摩多羅神
熊野からお急ぎあれ
復讐譚で物語誕生
不具者と不治の普遍
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あとがきー説教師の変遷
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話のあらすじ
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二条の大納言(藤原兼家)が息子を「常陸小栗」と名付けた。放蕩無頼で、72人を離縁した。をぐりは蛇の化身と情を交わす。父親から勘当される
小栗城主は敗残の将として埋葬、しかし、閻魔大王が黄泉の国から帰す。
しかし、蘇生したが、餓鬼すがたである。あばら骨が出て、腹は膨らみ、足はゴボウのように細い。らい病で、感覚器官がすべてだめな片端に(六根片端)。一遍の時宗の遊行上人が男の髪をそって坊主にして『餓鬼阿弥陀仏ー餓鬼阿弥』と名付けた。『この者を一引き引いたら千僧供養、二引き引いたは万僧供養」と札を付ける。
土車に乗り、首から札が下がっている。「をぐり判官」、閻魔大王の直筆で、「熊野本宮の湯峰に入れてたまわれや、」と。ひとびとは『えいさらえい』と引き立てる。-箱根越えから東海道へと進み、熊野を目指す。
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説教語り(師)は、立ったまま語る。取り巻く観衆はしゃがみ込み話を聞く。竹で作ったすりササラでさっささらさらと拍子をとる。褐色の裃を着た説教師はござの上にはだしで立つ。大きな傘をひろげる。庶民はわずかな銭を握りしめ話を聞く。当時の数少ない娯楽の一つである。説教師は語りながら、全国を回る。『伊勢のこじき』と言われるほど伊勢出身者が多かった。このような芸を売る人々は賤民と位置付けられていた。
このような説教師は寅さんの世界につながるものです。
今日につながる説教節は「かるかや」、「さんせう太夫」、「をぐり」、「しんとく丸」、「あいごの若」、で、五説経という。1915年森鴎外、翻案して「山椒大夫」がつくられる。
「さんせう太夫」は中央の権力が衰えた時代だからこそ存在で来たアウトローの長者。
諸国を遊説する『念仏聖』、『盲御前』-盲目の女芸人,『琵琶法師』
一部の盲人は芸能で生活を立てた かれらは散所者といわれる
散所は、寺社に付属して雑役に従事する人たちの土地。呪術師のいる散所は『陰陽師村」という。
当時は多くの商人は店を張れず、納豆や豆腐、その他を売りに来る人々、行商人がほとんどであった。戦後でも、農家のおばさんが野菜などを売り歩き、担ぎ屋さんと呼ばれた。富山の薬の置き薬もあった。
芸能も渡り歩いて行う。芸能の代価ではなく喜捨として。乞食と同じようー物貰いとしての位置づけ。河原乞食とも。
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さんせう太夫(アウトローの長者)ー安寿と厨子王 逃げ出そうとした罰として額に焼き鏝をいれる
水田で鳥を追う『人間の案山子』の図
今の案山子は藁人形だがかっては本物の人間であった
不具者ー乞食。農村では案山子の役、手足の腱を切って人間案山子にすることもある
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『鎌倉大草紙』ができたのは文明11年(1479年)のことである。これが『をぐり』に影響を与える。『をぐり』は徳川初期に記録された。正本は1675年。絵巻物、浄瑠璃に歌舞伎にといろいろに演じられて現在でも演じられている。
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常陸の国に常在した小栗家は、伊勢神宮の御厨の管理を任されていた。
茨城県の筑西市に常在
鎌倉公方、堀越公方、関東管領などの争いー戦国時代に
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武蔵と相模の郡代・横山氏の姫 照手姫は、をぐりと会い恋に落ちる 怒った父親は照手姫を海で殺すようにという。横山氏の兄弟が助ける 横浜市六浦に漂着 漁夫の大夫に助けられるが 姥が2貫文で売る 転々と売られ、13貫文になる 彼らは役立つ間は最低限の食事などが与えられるが役に立たなくなると捨てられた。零落する
「をぐり」を横山氏のたくらみで、「鬼鹿毛』という人食い馬に食い殺させようとする。
「をぐり」は「鬼鹿毛」をてなづけける。鬼鹿毛はいろいろな芸をする。
横山氏はをぐり主従を毒殺、「をぐり」を土葬し、10人の家来を火葬にする。
「をぐり」だけが餓鬼姿で再生。
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「人商人」(人身売買と中世奴隷制)売買された奴隷は賤民よりひどい暮らし。
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『さんせう太夫』この題名は柳田国男により、もとの題「つし王」
だまして人買い船に連れ去られる。母とうばは北へ、ずし王と安寿の船は西へ。母は蝦夷へ売られる、二人は京都府宮津の『さんせう太夫』に売られる。さんせい太夫には5人の息子、三郎は情け知らず。2人にやきごて。姉は塩汲み、弟は柴刈り。蝦夷の母親は足手の腱を切り『鳥を追う仕事』-人間案山子に
賤民は移動の自由があるが、買われた隷属民は全く自由がない。物や家畜と同じ。
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◎付記
人さらい、人買いは大きな産業とも言えたぐらい横行した
ポルトガル人が日本人を海外に売り飛ばす。豊臣秀吉の人身売買禁止令が出るまで続いた。
九州の諸大名は、火薬などを手に入れるため日本人婦女子をポルトガル人に売り飛ばし、その数は50万人に及んだ。
江戸幕府も禁止したが、年貢上納のため娘を売るのは許可。そのあとも、人身売買は非合法の形で続き、人身売買禁止の法律が制定されたのは、1870年子供を中国に売ることを禁止。1911年工場法まで女性の人身売買的労働があった。第2次世界大戦終了後、売春に関する人身売買の禁止。不徹底。1956年の売春防止法それでも、現在まで続く。
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照手姫の最終到着地は青墓宿。遊女で有名。照手姫は遊女屋に売られる。常陸小萩と名をつける。しかし遊女になるのをことわり、かわりに16人分の水汲みの過酷労働をさせられる。それを助ける千手観音。3年の月日が過ぎる。
遊女屋のところで土車がぴたりと止まる。再会しているが気づかない。土車の餓鬼の札を見る。この土車を引いて夫の供養をしよう。休みをもらうように頼む。君(遊女)の長は3日のところ5日に。
照手姫は供養のためと思い、5日の休みをもらい、狂女のふりをして、をぐりと知らず縄を引く。期限が来ての二人の別れ。
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逢坂の関、大津の関蝉丸神社には旅人がひきもきらない。
琵琶法師の守護者 蝉丸神社 諸芸道の聖地
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京都清水坂の非人 1000人も集まっていた。
1割から2割がらいしゃであった。らいしゃは物乞いに出る。らい者の監督、犬神人
犬神人は頭をそり、柿色の衣をつけ、白い覆面をしている。
喪送の権利を独占
「六道の辻」の先は鳥辺野の葬送地 清水寺の近く
貧困者の死体は埋葬もされない
大阪、四天王寺の参道は貧民の解放区
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難路の大辺路を行く 熊野街道は小栗街道ともいわれる
「をぐり」は熊野の湯峰温泉へたどりつく、病は快癒
父兼家を訪ねる
美濃の国司となる
常陸小萩=照手姫との再会
横山氏の三郎と人買いに売った老婆への復讐
復讐へと続く
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◎『貧民シリーズ』のなかでも中世の貧民はすさまじい。貧民は死んでも埋葬もされず、打ち捨てられた。確かに現代の日本はその時代に比べればましである。
しかし、12月19日の毎日新聞の1面トップは、「最低賃金未満5%超」今年度、東京大阪の中小という記事であった。ルールを無視した低賃金労働が蔓延していると。最低賃金が生活保護の基準となっている。その基準以下の賃金がまかり通っているということだ。
低賃金のもととなる非正規労働者の割合は増えている。
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一方,安部首相は外国に派手にお金をばらまいています。この前ロシアのプーチン大統領が来日しました。経済協力で日本から60件、3000億円の経済協力のお金を出す約束をしています。パーティーには日ロの経済人900人が参加したそうです。そのお金には日本の大企業がくっついて潤っています。しかし、領土問題でいい返答を得て、その勢いで解散総選挙という目論見は外れました。それなのに、マスコミを支配し、高支持率を得ているのが実態なのである。
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小栗判官の場所は茨城県筑西市、栃木県に接し平坦で、農業が盛ん。近年人口は減りつつある。現在人口は10万人。小栗判官祭りが行われている。
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