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2017年7月19日 (水)

日野原重明さん死去、105才。そしてがんになった早川先生、こんなはずじゃなかった。

1、日野原さん死去、105才
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毎日新聞より
 日野原重明さんが2017年7月17日、呼吸不全のため、105歳で亡くなられました。毎日新聞の17日夕刊の1面に記事が載り7月19日の朝刊社説にも「日野原重明さん105歳で逝く 長命社会に希望ともした」と書かれています。
 毎日新聞社説の内容(長命社会に希望ともした)を中心として紹介します。
「日野原重明さんは予防医学や終末期医療に尽くし、聖路加国際病院名誉院長であった。100歳を超えても現役の医師として働き、長命社会をどのように生きるかについて身をもって示した。
 日野原さんが予防医学の重要性を訴え、民間病院として人間ドックを開設したのは、1954年。脳卒中や心臓病などの成人病を「生活習慣病」と提唱したのは70年代だ。その後、食生活や運動などの重要性に注目が集まるようになり、厚生省(当時)が正式に「生活習慣病」の呼称を採用したのは96年である。
 日本の医療は専門分野ごとに細分化されてきた。それに対し日野原さんは患者中心の医療を訴え、地域に密着した医療の再構築に努めた。
 戦時中は東京大空襲の被災者の救済に奔走し、乗客として遭遇した「よど号事件」(70年)では機内で人質のケアに当たった。地下鉄サリン事件(95年)では多数の負傷者が運び込まれた聖路加国際病院で院長として陣頭指揮を執った。
 こうした体験から平和や命の大切さを伝える教育にも力を入れるようになった。各地の小中学校で開催してきた「命の授業」」では200校を超える。指揮者の小澤征爾さんと広島で平和コンサートも開いた。
 何歳になっても常に新しいことに挑戦した。童話「葉っぱのフレディ」のミュージカル用脚本を書き、ニューヨーク公演を実現させたのは98歳の時だ。老いのあり方を説いた著書「生き方上手」(2001年)は、ベストセラーになった。
 世界各国で平均寿命は伸び続けている長い老後をどのように生きるかは現代人の切実な課題だ。
 元気に自立生活ができる「健康寿命」を延ばすとともに、夢や生きがいを持ち続け、社会に貢献することの大切さを示したのが日野原さんだ。その軌跡は超高齢社会を生きる人々の指針となるであろう」
 聖路加病院の院長になったのは80歳の時からで、普通はもう退職しています。4年間院長を務めます。日本医学教育学会名誉会長、2005年には文化勲章を受章しています。
 睡眠は1日4時間半ほど、食事は控えめという生活習慣を守り、講演や執筆、大学での講義、病院の回診も続けて生涯現役を貫いた。
2、「こんなはずじゃなかった―医師 早川一光」
 2016年5月26日にNHKの「ハートネットテレビ」で、医師 早川一光(かずてる)氏の「こんなはずじゃなかった」(Eテレ)が放送され、2017年4月にETV特集で「こんなはずじゃなかった~在宅医療 ベッドからの問いかけ」再放送、7月15,19日にも再放送されました。
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 はじめこちらの記事を書く予定でしたが、急きょ、日野原さんの死去の話が出てきたので、対比しながら見てみることにしました。まだ生きておられるのか不明です。生きておられれば93才です(2017年)
 2014年10月に血液ガンの多発性骨髄腫を発病。抗がん剤治療を続けながら自宅で闘病生活を送っている。
 多くの人を見取り、老いや死について語ってきたはずだった。しかし病に向き合うと、心が千々に乱れた。布団の中では最後の迎え方をあれこれ考えてしまい、眠れない。食欲が落ち、化学療法を続けるかで気持ちが揺れた。
「在宅医療」を切り開いた早川さんが、みづからガンになり、在宅医療を受ける立場になった時、口をついて出た言葉が「こんなはずじゃなかった」だった。そしてまた、「先生、夜が怖い」という。「僕がこんなに弱い人間とは思わなかった」ということだった。
 早川さんは1924年満州生まれ、1948年京都府立医大卒、その第1外科に入局するが民主化運動のため半年で大学を追われた。その後堀川病院の院長となる。住民主体の地域診療に専念。1980年に「わらじ医者 京日記 ボケを見つめて」で毎日出版文化賞受賞。1982年「とおりゃんせ」という、テレビドラマにもなる。1995年から滋賀医科大学で医学概論を「総合人間学」の名前で講義する。
 1987年 KBS京都ラジオでの放送始まる。1988年に立ち上げた「総合人間学研究所」所長として、人間を医学の面からも哲学の面から宗教の面も見ていこうという総合人間学の研究、各地での講演活動を行う。2002年に「わらじ医者よろず診療所」を開設している。著書多数。
 好きな食べ物は肉、スイカ。若いころから肉、特にビフテキが大好きだが、野菜は嫌いでほとんど食べない。魚は大嫌いで、お酒は飲まない、とかなり偏った食生活だったみたいです。
 「早川先生は患者としてのつらさ、特に医師の視点から治療への疑問を率直にぶつける」「治らないのに鎮痛剤で痛みをわからなくするのがいまの治療か。本当の医療とは何や」
 同僚だった根津医師は言う。 「在宅医療では痛みや苦しみを取ることしかできない。でも、それは生活を守ること、患者のつらさを少しでも和らげる、早川先生自身もやってきた医療ではないですか」
 早川さんは「どうせ避けられないさんずの川や。上手な渡り方を勉強し、みんなに評価を問う。それが僕のこれからの道やないか」「自分が病気になり初めて病む人の気持ちがわかった。死ぬ怖さを知りました」
日野原さんと早川さんの違い
 日野原さんは、呼吸不全で死去しましたが、胃ろうによる延命装置を断ったそうです。文字通りの「ピンピンころり」での大往生です。105歳まで元気でいられるというのは驚異的です。
 一方早川さんは2014年10月にがんを発病し、2017年現在で3年近くが経過している。現在93才。かなり長命のほうと言えど、抗がん剤での治療は体力を著しく奪うので、日野原さんとは全然違います。「こんなはずじゃなかった」という弱音を吐くのも、やむおえないと思われます。
 がんという病気はじわじわとからだを蝕みます。肉に偏り、野菜を食べない食生活もがんの発生に影響しているでしょうか。
 ブログ筆者の父親は92才で自宅内で転倒し頭を強打し、脳内出血でその日のうちに亡くなりました。前日には筆者と二人で寿司を食べに行ったりしてとても元気だったのに、急な死去で、びっくりです。事故がなければ少なくともあと4~5年は元気でいたと思われます。
 文字通りのピンピンコロリだったのですが・・・
 早川さんの総合人間学については興味があります。筆者も人間学研究所に所属し、総合人間学会に所属するからです。

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宗教と死」カテゴリの記事

コメント

こういち様

早川氏は、御自身に正直に生きておられるのでしょう。 誰しも、自身が亡くなることを目前にすれば動揺もすることでしょうから。 無意識にでも、生きているものが死を恐れるのは自然なのです。 動物でも恐れるでしょう。

でも、その死を前にして立ち竦むのでは無く、生きているものは最後まで生きることに全力をつくすべき、と私に教えてくれたのは、哲人でも禅師でも無く、我が家の最愛の猫「とら」でした。

「とら」は、必死で生きて生涯を全うしました。 

亡くなる寸前には、介護のために自分の傍で寝ている私を起こし、私が下の世話をしている間に胃の中のものを遠くに吐き飛ばし、慌てて抱き上げた私を見詰めたまま天に昇りました。 真っすぐに飼い主の眼を見ながら、でした。

私は、飼い主として最愛の猫を抱きながら亡くなるのを見詰めることが出来たのでした。 最愛の猫が、飼い主に別れの時間を与えてくれた訳です。

因みに、私は、この猫の御蔭で、何度か死ぬ処を救われもしました。 また、この猫のことを考えることで何度も危急の折に救われもしました。 とても偶然とは思えないのです。

その内の一度は、大阪市内で右折車が歩行者である私に気付かずに急発進して来た時でした。 咄嗟に左に回転しながら飛んで避けたので轢かれませんでした。 警察を呼び、厳重に注意して貰ったことは言うまでもありません。

その時には、ふと、「とら」はどうしているのかな、と気になって視線を前方より泳がせた折に、右折車の運転手が歩行者である自分を注視していない事実に気付くことが出来たのでした。 前方のみ注視し、歩くのに注力しているのみでは、恐らく轢かれていたことでしょう。

世の中には不思議なことが多いものです。 猫が人の生き方に影響を与えることもあるのです。 

私の人生で、これからは、神様、仏様に御参りすることはありません。 自分の最愛の飼い猫が一番貴重な教えを授けてくれたのですから。

イチロウ様

 コメントありがとうございます。

生きているものは、死を前にして立ちすくむのではなく、最後まで生きることに全力を尽くすべきと、教えてくれた「とら」ちゃんの姿は本当に大きな感動を与えますね。そうありたいものです。

 とらちゃんことを考えてそれで車を見つけとっさに避けたというのはすごいことですね。何か神がかっているようにも感じます。
 ひとの生き方に大きな影響を与えた猫というのはすごいことです。

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