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2017年8月24日 (木)

最近購入した3冊の本。山極寿一、鷲田清一、篠田謙一、大塚柳太郎氏、人間とは何かについて参考に

最近購入した本の中で、「人間とは何か]という、人間学にとって根本で的興味深い書物3冊がありますので紹介します。

1、「都市と野生の思考」

 鷲田清一、山極寿一 インターナショナル新書 集英社 2017年8月12日 740円+税

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鷲田清一氏は1949年京都府生まれ、京都大学大学院修了。大阪大学総長から京都市立芸術大学の学長となった哲学者である。

山極寿一氏は1951年東京都生まれ京都大学大学院修了。、学内選挙で京都大学総長となった霊長類学者である。山極氏はゴリラの世界的研究家で知られ、一時、総合人間学会にも参加されていました。

◎霊長類研究所

 京都大学の今西錦司教授が昭和24年(1948)に愛知県犬山につくった研究所。モンキーセンターも併設されている。今西氏はニホンザルの個体識別をし名前を付けてずっと観察するなどユニークな方法を編み出した。伊谷純一郎、河合雅夫、杉山幸丸、松沢哲郎、山極寿一氏など世界的な研究者を輩出している。霊長類研究では国際的な有力な研究所となっている

各章の興味あるテーマについて少し

はじめに 鷲田清一

第1章 大学はジャングル 

 大学が法人化されてから、従来は研究・教育と言われていたのが教育・研究と変わり、社会貢献が加わった。社会貢献も企業だけのことをいう。

 おもろいな、ほなやってみなはれが京大の世界観。ゴリラから学ぶリーダーシップ、-ゴリラには勝者、敗者がない。関西人の松下幸之助のリーダーシップ、サントリー創業者の鳥井もやってみなはれが口癖、愛嬌、運が強そう、後ろ姿で心服させる・・はゴリラそのもの

 京都は町中の住宅街にかならず仕出し屋と和菓子屋がある。近所の寄り合いがしょっちゅうあるからです。おいしいものを食べながらはなしをするのが大事だとわかっているからです。

◎きわめて当時の政府の意向に沿った研究を中心とする東京大学は、ユニークな研究が育ちにくく、ノーベル賞などのような画期的な研究は少なくなりがちである。ノーベル賞を取った東大の小柴さんも東大の中ではかなり異端児的であったと聞く。それに対してノーベル賞受賞者が一番多い京都大学はより自由闊達で、山極さんのような人が学長になっている。その差は大きい。しかし最近は大学に対しての政府の締め付けは厳しくなっている。

第2章 老いと成熟を京都に学ぶ

  わずか20年ぐらいの間に従来の社会資本を破壊したのがグローバリゼーション、コミュニティの消失も-以前は地域社会でまかなっていた衣食住をはじめとするすべてが、巨大なグローバル資本に侵食され、地域社会を支えていた生業の複雑な絡み合いが、根こそぎ引っこ抜かれてしまった。-コミュニティの消失。

 それにたいして、京都にある成熟した老い

  老化に学ぶ山極仮説 年を取ると子供に愛される体型となる いかめしさが取れてユーモラスになる 孫を育てるのに有利。女性の場合は「おばあちゃん仮説」があります。これは赤瀬川さんの「老人力」ですね。伊能忠敬のような例も。ところが最近はそれどころではない悲惨な現実が。貧困と格差が日本社会を語るキーワードに想像もしなかった。

 社会全体がギスギスして、結果的にゆったりした老後を送れる余裕がない。生きがいとは本来誰かに期待されることにより生まれるものです。ところが多くの人が自分の生きがいは自分で決めるものだと考える。・・「長老」『老師」などの言葉にある『老い』に対する尊敬は失われてしまった

第3章 家と家族の進化を考える

  明治維新以降プロ化をつきすすめた日本-生まれてから死ぬまでプロに任せる

  「許せない子ども」を生んだ資本主義 人間が作った最古のフィクション「家族」ー父子関係そのものがフィクションである

 性を隠して、食を公開した人間-  性を隠すのはおそらく父親を確定するためです 動物にとっては食は隠すもので、性は公に見せるもの、それを人間は逆転させた。 

 家族は人間社会に特有なものです。家族は互いに親密な関係があり、相手に対していろいろな奉仕をします、互いに見返りを求めずに、助け合おうとしています。しかしいま、家族が崩壊しかかっている

 家のあり様が変質し、それが人間関係を規定し、個人や家族を隔離し、社会とのつながりを分断している。それがいまの社会です。

◎家族、が人間を作った。 河合雅夫はいう。

NHKドラマ東京オリンピックのころのドラマ「ひよっこ」に見る、家族、地域の濃密な人間関係。良き時代へのノスタルジアを感じさせる。

第4章 アートと言葉の起源を探る

 ヒトは表現する生きもの、仮説検証型と現場発見型(ノーベル賞級の研究者は、狩猟採集的であり現場発見型)

 鷲田ー学問には2つのスタイルがある。資料を読み込み、実証実験をを積み重ねて仮説を立てるやり方と、山極さんのように動物の糞を見てv新たな理論を打ち立てるやり方と。

 山極ーゴリラを観察していると、これまで見たこともない行動をしている。そこから新しい学問世界がパーっと開ける。僕がホモセクシュアルのゴリラを発見したのはその典型です。

 鷲田ー狩猟民族的な学問のやり方に目覚めて、臨床哲学という看板を掲げた。周りからは「学問をやめたんか」みたいに言われた。

 人間の体にはホメオスタシスが働いている

第5章 自由の根源とテリトリー

 生後9か月から始まる他者への同調-j自分と他者と物体という3項目に変化する

 ゴリラにはテリトリーがない―ゴリラのオスは一人でいるのに耐えられない、人間もそう。自由イコール非依存、何にも頼らないというという考え方に賛同できません。

 ひとりで暮らすことを選ばなかったメス

 山極―自分と自分を取り巻く仲間たちとの間のレスポンスがきちんとした時代には、身体性としての責任が幼いころからはぐくまれていました。今はなんだかふわふわ浮いちゃってる。個人がコミュニティから切り離されてしまっているから、個人の責任があいまいになっている。

第6章 ファッションに秘められた意味

 ストーリーとしての服装 着物はかつて役割の階層性を示した

 かつて自由のシンボルだった制服 市民は自由を主張するために市民はみんなおんなじ格好をした。現代は自由がありすぎる社会でなくて、むしろ束縛が見えない社会と捉えるべきなんです。禁止が見えなくなった社会

 昔は自分の身体だから自分の勝手にしていいなどと、口が裂けても言えなかった。

第7章 食の変化から社会の変化を読む

 南米をスペインが支配した時も、現地の人は人間ではないと言ってひどい扱いをする。逆に考えれば、そのぐらいの格差をつけて区別しないと、自分たちの悪行を正当化できなかったんだと思います

 食に見る所有と共有の起源、所有と共有をリセットした近代革命

 プライベートとパブリックの逆転

第8章 教養の本質とは何か

 臨床の哲学を捉え直す

 世界がどんどん細分化されていった結果、知の儀式すべてをつかさどる様なグレートシンカー(大思想家)みたいな人がいなくなってしまった。福島の原発事故でも、きちんと対応できる人がいなかった。-これは危機的な状況である

鷲田ーこれからの科学のあり方を考えると、例えば原子力発電についてけっして専門家ではないけれども、考える材料をひと通り集めることができて、自分なりの仮説を立てて検証できるような人が必要です。Ph.D(博士)とは本来、そうした仮説検証の訓練を受けた人物のはずでしょう。~自分の専門領域とは異なるテーマだったとしても、自分が身に着けている仮説検証のスキルを、他のテーマに応用して市民と一緒に考える。これがこれからの科学者のあるべき姿ではないでしょうか。

 科学者は知者ではなく賢者になるべき

◎人間学において、人間について総合的に知っていて対策を考える人をゼネラリストとして養成する必要性を提唱しました。専門化細分化は進み、そういう学問の風潮に逆らって、人間学、総合人間学を作ったつもりであった。しかし現実には総合人間学と名前だけは立派でも中身は旧態依然とし、新しい筆者のような取り組みは、断固として拒否するのが実態である。

第9章 AI時代の身体性

 資本主義時代の科学、みんなの夢を負って科学者の科学者の矜持を追い求めるような学問がとても貶められてしまった。そんなもの役に立たないじゃないかと。-教育を投資と考えるようではいけない

 鷲田―僕は博士号を持った先生に教わったことがない。僕の先生も助教授もカントが専門で『俺が一番カントのことがわかっているんや。その俺が論文を出したら、いったい誰が審査するんや」と真顔で言っていましたから。だから誰もは博士号なんて取らない。今そんなことをいったら書類審査ではねられるけどね。

◎ブログ筆者の学会誌に出した論文は、二人の査読者により否定された。その一つに日本における人間学人間学ブームについて書いたが、査読者はそんなことは聞いたことがないという。こちらは長年研究し、国会図書館の本の出版数などに基いての見解だが、自分が知らないからと否定した。筆者はこと日本の人間学の歴史については誰よりも詳しいと自負しているが、自分が知らないと却下するのである。また戦前の山本宣治や戸坂潤は唯物論的な立場から当時の進化論的生物学的人間学や哲学的人間学を批判した。筆者の批判も唯物論に基いた批判であった。進化論的生物学的人間学や哲学的人間学の批判はその立場の人たちにとっては面白くないことなのである。                     

 山極ー今盛んに英語化だ国際化だという。これだけたくさんノーベル賞を取っていて日本の研究が国際的になっているにも関わらずです。日本語化して考えてノーベル賞を湯川秀樹氏はとった。-英語化国際化にモノ申す

おわりに 山極寿一

◎さすがに知の巨人と言われる人の話は面白い。現在、何か自分の専門分野だけは詳しいけれど、参考にならないどころか、面白くもなんともなくて、、というものが多い。学会誌が来ても読む気も起らないものが多い。それどころか自民党政府におもねったような研究がはばを利かせます。地球温暖化論なども国策に添って膨大な税金をつぎ込まれているのを見ると嫌になります。

 それに比べて霊長類学者と哲学者であるが共にその専門を乗り越えて、話をかみ合わせいろいろな発想が自由に展開していくところはさすがに知の巨人と言われるだけのことがあります。お二人とも推挙されて大学の長となるだけの人間の魅力が感じられます。

 やはり国の官僚組織の頂点となる人物を養成すべく期待される東大と、自由な発想を重視する京大や阪大との違いがありますね。

2、「ホモ・サピエンスの誕生と拡散」

 篠田謙一監修 洋泉社 歴史選書 2017年6月19日 900円+税

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篠田謙一氏は1955年生まれ、京都大学理学部卒業。現在国立科学博物館副館長兼人類研究部長。専門は分子人類学。著書多数。

はじめに

序章 人類史を解き明かす科学技術

1、人類の誕生から出アフリカまで

2、世界に拡散するホモ・サピエンス

3、解き明かす日本人の成立史

◎人類の起源から現在まで、また日本人の成立について、最新の資料を要領よくまとめていてわかりやすい本である。1冊の本でこれらの概略を知ることができる。

3、ヒトはこうして増えてきた 20万年の人口変遷史

 大塚柳太郎、新潮社 新潮選書 2015年7月25日 1300円+税

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1945年生まれ、東京大学人類学卒業。東京大学大学院教授から国立環境研究所理事長を経て自然環境研究センター理事長。

何が人類をここまで激増させたのか?

 20万年前、アフリカで誕生したわれわれは穏やかに増えていくが、つい最近、突然の増加を見た。農耕が始まった約1万年前のわずか500万人が文明が成立し始めた5500年前には1000万、265年前の産業革命で7億②000万となり、2015年には72億人に。そしてこの先どう推移するのか?人口という切り口で人類史を眺めた新しいグローバル・ヒストリー。

第1章 賢いヒト

第2章 移住

第3章 定住と農耕

第4章 文明

第5章 人口転換

 産業革命、死亡率の低下、出生率の低下

第6章 現在

 人口増加への危機意識

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コメント

イチロウ様

 コメントありがとうございます。

 偉大なネコちゃんである、”とら”ちゃんの存在は、他のネコちゃんにとっていかに大きな存在だったかがわかりますね。

 うまくまとまっていたのが、”とら”ちゃんがいなくなくなったとたんバラバラになるというのは恐ろしいようです。

 学会もいろいろな見解を持っていても、幅広い包容力を持っていれば、そんなに会員が減ることもないのでしょうが。意見が違うからと言って拒否し、排除してゆけば次第に先細りになってしまいます。
 ”とら”ちゃんのような、ヒト―ネコを心服させるような学会幹部であればいいのですが。

こういち 様

人間学会の内部に関わっては詳しくは存じませんし、何も言うことは出来ませんが、御論稿を拝見している内に、我が家の猫達のことが頭を過ぎります。

実は、我が家の愛猫「とら」が昨年10月3日に亡くなってから、僅か三頭の猫達がバラバラになりました。 下に引きましたとおりに、「とら」が健在の時には、全ての猫達が揃って寝ていましたが、亡くなると残った猫達は全てバラバラになり寝るのでした。 尤も、亡くなる数か月前より次男猫は、私の布団で寝ていたのですが。

猫ちゃんホンポへの投稿欄より
https://cdn.wanchan.jp/c/necochan.jp/pro/resize/800x800/100/1/e3ed56a56ca0de107fc80c5732854ba2.jpg

亡くなったことを長年の間御世話になっております獣医さんに報告しました折に、これから御宅の猫さんがどうなるのかが問題ですね、と変なことを言われたので不審に思ったのですが、それが、どう言うことかは次第に私にも分るようになったのでした。

即ち、それまで我が家の猫達を纏めていたのは、飼い主では無く「とら」だった、と言う事実です。 何頭もの猫達を仔猫の時代から面倒を見ながら、飼い主が仕事で不在の日中に他の猫達を統率していたのです。 夜には、自分が階下で他の猫達と共に寝て、飼い主一人が朝まで気儘に寝られるようにしてくれていたのです。

処が、その纏め役が居なくなりますと、残った猫達は、夫々が自分のテリトリーを主張し始め、ある猫は、飼い主と寝て、家の中の殆どは自分の縄張り、と主張し、階段その他の場所にテリトリーの印として自分のウンチを残し、他の猫は、そんな主張には従わずに、夜中に飼い主の布団に入り、其処に寝ている猫と紛争を起こし、またある猫は、此処が自分のテリトリーと主張し始める、と言った戦国時代になった訳でした。

最近、何とかこの我が家の騒乱を鎮静化するために、ストレス状態にある猫を保護団体に託すことにしました。 有料制ですので、年金生活の身には負担ですが、仕方がありません。

猫達の紛争に例えるのは、不謹慎ですが、学会も「とら」のような人が居ないと、学門的関心が様々な人々を纏めるのは、難しいのではないでしょうか。 

或は、猫達の観察に依り人間学の片鱗をも垣間見ることが可能かも知れませんし。 

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