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2017年8月

2017年8月24日 (木)

最近購入した3冊の本。山極寿一、鷲田清一、篠田謙一、大塚柳太郎氏、人間とは何かについて参考に

最近購入した本の中で、「人間とは何か]という、人間学にとって根本で的興味深い書物3冊がありますので紹介します。

1、「都市と野生の思考」

 鷲田清一、山極寿一 インターナショナル新書 集英社 2017年8月12日 740円+税

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鷲田清一氏は1949年京都府生まれ、京都大学大学院修了。大阪大学総長から京都市立芸術大学の学長となった哲学者である。

山極寿一氏は1951年東京都生まれ京都大学大学院修了。、学内選挙で京都大学総長となった霊長類学者である。山極氏はゴリラの世界的研究家で知られ、一時、総合人間学会にも参加されていました。

◎霊長類研究所

 京都大学の今西錦司教授が昭和24年(1948)に愛知県犬山につくった研究所。モンキーセンターも併設されている。今西氏はニホンザルの個体識別をし名前を付けてずっと観察するなどユニークな方法を編み出した。伊谷純一郎、河合雅夫、杉山幸丸、松沢哲郎、山極寿一氏など世界的な研究者を輩出している。霊長類研究では国際的な有力な研究所となっている

各章の興味あるテーマについて少し

はじめに 鷲田清一

第1章 大学はジャングル 

 大学が法人化されてから、従来は研究・教育と言われていたのが教育・研究と変わり、社会貢献が加わった。社会貢献も企業だけのことをいう。

 おもろいな、ほなやってみなはれが京大の世界観。ゴリラから学ぶリーダーシップ、-ゴリラには勝者、敗者がない。関西人の松下幸之助のリーダーシップ、サントリー創業者の鳥井もやってみなはれが口癖、愛嬌、運が強そう、後ろ姿で心服させる・・はゴリラそのもの

 京都は町中の住宅街にかならず仕出し屋と和菓子屋がある。近所の寄り合いがしょっちゅうあるからです。おいしいものを食べながらはなしをするのが大事だとわかっているからです。

◎きわめて当時の政府の意向に沿った研究を中心とする東京大学は、ユニークな研究が育ちにくく、ノーベル賞などのような画期的な研究は少なくなりがちである。ノーベル賞を取った東大の小柴さんも東大の中ではかなり異端児的であったと聞く。それに対してノーベル賞受賞者が一番多い京都大学はより自由闊達で、山極さんのような人が学長になっている。その差は大きい。しかし最近は大学に対しての政府の締め付けは厳しくなっている。

第2章 老いと成熟を京都に学ぶ

  わずか20年ぐらいの間に従来の社会資本を破壊したのがグローバリゼーション、コミュニティの消失も-以前は地域社会でまかなっていた衣食住をはじめとするすべてが、巨大なグローバル資本に侵食され、地域社会を支えていた生業の複雑な絡み合いが、根こそぎ引っこ抜かれてしまった。-コミュニティの消失。

 それにたいして、京都にある成熟した老い

  老化に学ぶ山極仮説 年を取ると子供に愛される体型となる いかめしさが取れてユーモラスになる 孫を育てるのに有利。女性の場合は「おばあちゃん仮説」があります。これは赤瀬川さんの「老人力」ですね。伊能忠敬のような例も。ところが最近はそれどころではない悲惨な現実が。貧困と格差が日本社会を語るキーワードに想像もしなかった。

 社会全体がギスギスして、結果的にゆったりした老後を送れる余裕がない。生きがいとは本来誰かに期待されることにより生まれるものです。ところが多くの人が自分の生きがいは自分で決めるものだと考える。・・「長老」『老師」などの言葉にある『老い』に対する尊敬は失われてしまった

第3章 家と家族の進化を考える

  明治維新以降プロ化をつきすすめた日本-生まれてから死ぬまでプロに任せる

  「許せない子ども」を生んだ資本主義 人間が作った最古のフィクション「家族」ー父子関係そのものがフィクションである

 性を隠して、食を公開した人間-  性を隠すのはおそらく父親を確定するためです 動物にとっては食は隠すもので、性は公に見せるもの、それを人間は逆転させた。 

 家族は人間社会に特有なものです。家族は互いに親密な関係があり、相手に対していろいろな奉仕をします、互いに見返りを求めずに、助け合おうとしています。しかしいま、家族が崩壊しかかっている

 家のあり様が変質し、それが人間関係を規定し、個人や家族を隔離し、社会とのつながりを分断している。それがいまの社会です。

◎家族、が人間を作った。 河合雅夫はいう。

NHKドラマ東京オリンピックのころのドラマ「ひよっこ」に見る、家族、地域の濃密な人間関係。良き時代へのノスタルジアを感じさせる。

第4章 アートと言葉の起源を探る

 ヒトは表現する生きもの、仮説検証型と現場発見型(ノーベル賞級の研究者は、狩猟採集的であり現場発見型)

 鷲田ー学問には2つのスタイルがある。資料を読み込み、実証実験をを積み重ねて仮説を立てるやり方と、山極さんのように動物の糞を見てv新たな理論を打ち立てるやり方と。

 山極ーゴリラを観察していると、これまで見たこともない行動をしている。そこから新しい学問世界がパーっと開ける。僕がホモセクシュアルのゴリラを発見したのはその典型です。

 鷲田ー狩猟民族的な学問のやり方に目覚めて、臨床哲学という看板を掲げた。周りからは「学問をやめたんか」みたいに言われた。

 人間の体にはホメオスタシスが働いている

第5章 自由の根源とテリトリー

 生後9か月から始まる他者への同調-j自分と他者と物体という3項目に変化する

 ゴリラにはテリトリーがない―ゴリラのオスは一人でいるのに耐えられない、人間もそう。自由イコール非依存、何にも頼らないというという考え方に賛同できません。

 ひとりで暮らすことを選ばなかったメス

 山極―自分と自分を取り巻く仲間たちとの間のレスポンスがきちんとした時代には、身体性としての責任が幼いころからはぐくまれていました。今はなんだかふわふわ浮いちゃってる。個人がコミュニティから切り離されてしまっているから、個人の責任があいまいになっている。

第6章 ファッションに秘められた意味

 ストーリーとしての服装 着物はかつて役割の階層性を示した

 かつて自由のシンボルだった制服 市民は自由を主張するために市民はみんなおんなじ格好をした。現代は自由がありすぎる社会でなくて、むしろ束縛が見えない社会と捉えるべきなんです。禁止が見えなくなった社会

 昔は自分の身体だから自分の勝手にしていいなどと、口が裂けても言えなかった。

第7章 食の変化から社会の変化を読む

 南米をスペインが支配した時も、現地の人は人間ではないと言ってひどい扱いをする。逆に考えれば、そのぐらいの格差をつけて区別しないと、自分たちの悪行を正当化できなかったんだと思います

 食に見る所有と共有の起源、所有と共有をリセットした近代革命

 プライベートとパブリックの逆転

第8章 教養の本質とは何か

 臨床の哲学を捉え直す

 世界がどんどん細分化されていった結果、知の儀式すべてをつかさどる様なグレートシンカー(大思想家)みたいな人がいなくなってしまった。福島の原発事故でも、きちんと対応できる人がいなかった。-これは危機的な状況である

鷲田ーこれからの科学のあり方を考えると、例えば原子力発電についてけっして専門家ではないけれども、考える材料をひと通り集めることができて、自分なりの仮説を立てて検証できるような人が必要です。Ph.D(博士)とは本来、そうした仮説検証の訓練を受けた人物のはずでしょう。~自分の専門領域とは異なるテーマだったとしても、自分が身に着けている仮説検証のスキルを、他のテーマに応用して市民と一緒に考える。これがこれからの科学者のあるべき姿ではないでしょうか。

 科学者は知者ではなく賢者になるべき

◎人間学において、人間について総合的に知っていて対策を考える人をゼネラリストとして養成する必要性を提唱しました。専門化細分化は進み、そういう学問の風潮に逆らって、人間学、総合人間学を作ったつもりであった。しかし現実には総合人間学と名前だけは立派でも中身は旧態依然とし、新しい筆者のような取り組みは、断固として拒否するのが実態である。

第9章 AI時代の身体性

 資本主義時代の科学、みんなの夢を負って科学者の科学者の矜持を追い求めるような学問がとても貶められてしまった。そんなもの役に立たないじゃないかと。-教育を投資と考えるようではいけない

 鷲田―僕は博士号を持った先生に教わったことがない。僕の先生も助教授もカントが専門で『俺が一番カントのことがわかっているんや。その俺が論文を出したら、いったい誰が審査するんや」と真顔で言っていましたから。だから誰もは博士号なんて取らない。今そんなことをいったら書類審査ではねられるけどね。

◎ブログ筆者の学会誌に出した論文は、二人の査読者により否定された。その一つに日本における人間学人間学ブームについて書いたが、査読者はそんなことは聞いたことがないという。こちらは長年研究し、国会図書館の本の出版数などに基いての見解だが、自分が知らないからと否定した。筆者はこと日本の人間学の歴史については誰よりも詳しいと自負しているが、自分が知らないと却下するのである。また戦前の山本宣治や戸坂潤は唯物論的な立場から当時の進化論的生物学的人間学や哲学的人間学を批判した。筆者の批判も唯物論に基いた批判であった。進化論的生物学的人間学や哲学的人間学の批判はその立場の人たちにとっては面白くないことなのである。                     

 山極ー今盛んに英語化だ国際化だという。これだけたくさんノーベル賞を取っていて日本の研究が国際的になっているにも関わらずです。日本語化して考えてノーベル賞を湯川秀樹氏はとった。-英語化国際化にモノ申す

おわりに 山極寿一

◎さすがに知の巨人と言われる人の話は面白い。現在、何か自分の専門分野だけは詳しいけれど、参考にならないどころか、面白くもなんともなくて、、というものが多い。学会誌が来ても読む気も起らないものが多い。それどころか自民党政府におもねったような研究がはばを利かせます。地球温暖化論なども国策に添って膨大な税金をつぎ込まれているのを見ると嫌になります。

 それに比べて霊長類学者と哲学者であるが共にその専門を乗り越えて、話をかみ合わせいろいろな発想が自由に展開していくところはさすがに知の巨人と言われるだけのことがあります。お二人とも推挙されて大学の長となるだけの人間の魅力が感じられます。

 やはり国の官僚組織の頂点となる人物を養成すべく期待される東大と、自由な発想を重視する京大や阪大との違いがありますね。

2、「ホモ・サピエンスの誕生と拡散」

 篠田謙一監修 洋泉社 歴史選書 2017年6月19日 900円+税

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篠田謙一氏は1955年生まれ、京都大学理学部卒業。現在国立科学博物館副館長兼人類研究部長。専門は分子人類学。著書多数。

はじめに

序章 人類史を解き明かす科学技術

1、人類の誕生から出アフリカまで

2、世界に拡散するホモ・サピエンス

3、解き明かす日本人の成立史

◎人類の起源から現在まで、また日本人の成立について、最新の資料を要領よくまとめていてわかりやすい本である。1冊の本でこれらの概略を知ることができる。

3、ヒトはこうして増えてきた 20万年の人口変遷史

 大塚柳太郎、新潮社 新潮選書 2015年7月25日 1300円+税

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1945年生まれ、東京大学人類学卒業。東京大学大学院教授から国立環境研究所理事長を経て自然環境研究センター理事長。

何が人類をここまで激増させたのか?

 20万年前、アフリカで誕生したわれわれは穏やかに増えていくが、つい最近、突然の増加を見た。農耕が始まった約1万年前のわずか500万人が文明が成立し始めた5500年前には1000万、265年前の産業革命で7億②000万となり、2015年には72億人に。そしてこの先どう推移するのか?人口という切り口で人類史を眺めた新しいグローバル・ヒストリー。

第1章 賢いヒト

第2章 移住

第3章 定住と農耕

第4章 文明

第5章 人口転換

 産業革命、死亡率の低下、出生率の低下

第6章 現在

 人口増加への危機意識

2017年8月21日 (月)

総合人間学会の学会誌とニュースレターが送られてきました。経過と現状

 2017年8月、総合人間学会の学会誌(総合人間学11)とニュースレターNo32が送られてきました。2017年6月10日(土)に、学習院大学で総会が開かれました。
 総会では二期4年間務められた堀尾輝久会長が退任され(理事は継続)、尾関周二氏が4代目の会長となりました。総合人間学会の初代会長は憲法学者の小林直樹氏、二代目は哺乳類学者の小原秀雄氏でした。
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総合人間学11.今回から学文社からハーベスト社に変え。論文は電子ジャーナル版に変え費用を削減しました。
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裏面、1600円+税
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総合人間学会、ニュースレター32号。
総合人間学会について
 
 ブログ筆者は、総合人間学会の前身である総合人間学研究会(2002年11月設立)の事務局長であり、事務局は人間学研究所と同じ、第2佐竹ビル2階を使っていました。新たに長野敬氏や佐藤節子氏が参加された。総合人間学研究会では多くの方に発起人のお願いをし146名になった。その後総合人間学研究会は2006年総合人間学会となりました。筆者は総合人間学会の呼びかけ人にもなりました。また運営委員、事務局次長となりました。明治大学で行われた設立総会と記念講演には300人ほどが集まりました。学会員も300人ほどで最大でした。2008年11月には270名であった。
 ところが記念に出された、「シリーズ総合人間学」(全3巻学文社)の投稿論文をめぐって、トラブルがあり筆者の書いた2つの論文のうち1つしか掲載されませんでした。小林氏と小原氏は相談して私の論文を掲載しないと決めたそうです。ところがそのことを私に話しませんでした。小林氏は身内の病気のため忘れてしまったと言い訳しました。2つの論文のうちうち一つは柴田先生のほうで掲載してくれました。そのようなことがあり、任期途中で役員を辞めました。事情を知る岩田氏は今回はやめることを引き留めないとおっしゃいました。
 掲載されなかった論文は「人間学研究所年誌2006」に「人間学ノート」として掲載されました。
 しばらくした後に、途中で総合人間学会の監査役になってほしいという要請があり、学会で講演するとともに監査役となりましたが、学会で講演した内容をまとめた論文を、査読で却下され、それが納得できず1期で辞めました。監査になるのはいいが理事会にも参加させてほしいと言いましたが1度も理事会に呼ばれませんでした。掲載されなかった論文はそのまま「人間学研究所年誌2012」に「人間学研究会人間学研究所の歴史」として掲載してもらいました。
 小林氏は筆者がけなげにも人間学の事をやっていると言いました。小林氏から見ると民間の研究者などけなげな、という感じでしょう。ただこと人間学論、人間学史に関していえば学生の頃よりずっと研究を続け、第一人者と自負しています。小林氏も憲法学ではなく人間学については、筆者のほうが長く深く研究していると思っています。
 詳しくは筆者の書いた「人間学研究所年誌2007」人間学のあゆみ(一)と「人間学研究所年誌2008」人間学研究所のあゆみ(二)をご覧ください。
 
 初代会長の小林直樹氏と二代目の会長小原秀雄は、政治的なことにはかかわらないという主義でした。総会の席で鎮目奏夫氏はそのことを批判し辞めました。それからいろいろな理由があるでしょうが次々と有力な会員が辞めていきました。会員数も2014年には244名、2017年には入会員と退会数が同数で219名でした。
 (現在の名簿では発起人が30名です(筆者も発起人です)、他に発起人で顧問の人が13名です)
 ずっと前から人間学研究会、研究所の有力会員である岩城正夫氏(原始技術史)が、会の中で嫌なことがあったと辞めていきました。筆者の面識のある人では高橋哲哉東大教授、菅野盾樹大阪大名誉教授(哲学的人間学)、渋谷治美埼玉大教授(総合人間学)、池内 了名古屋大名誉教授などであり、忙しくてやめられたのか、大石芳野氏(写真家)、山極寿一(京大総長)、長野敬氏(科学史)なども辞められています。
 参考までに総合人間学会では、現在も役員、顧問となっている人間学研究所の方が5名います。顧問となっている、柴田義松氏、小原秀雄氏、理事の岩田好宏氏、宮坂しゅう子氏、森岡修一氏です。総合人間学会と人間学研究所両方に入っている人は全部で12名です。
 小林直樹氏は東大法学部名誉教授であり、小原秀雄氏も何かと小林氏は東大法学部だからねと言っていました。小林直樹氏は法学だけでなく、人間とは何かということで本格的な追及をされ、その熱意には敬意を表します。ところが小林氏は純粋にマックス・シェーラーらの哲学的人間学の系譜にあり、筆者の立場での、戸坂潤らの唯物論を基にした哲学的人間学批判の立場、と相容れないことになります。また山本宣治らの小泉丹、丘浅次郎らの進化論的・生物学的人間学批判は小原秀雄氏の生物学的人間学と相容れません。
 小林氏はどうして筆者がそういう考えになるのだろう。小林氏は小林氏の本を読めばそんな考えになるはずがないのにと言っていました。本を読んでいないのではなく読んで立場の違いを確信しているのです。結局小林、小原氏二人で相談して論文をボツにしたのですが、理論的に違うからと云えず、親戚の病気でうっかりしたとか、別の理由にしていました。
 

2017年8月16日 (水)

新宿タカシマヤの『新宿つな八』に行ってきました。おいしかったです。

 2017年8月15日(火)、、新宿高島屋の天ぷら店『つな八』さんに行ってきました。

 新宿つな八は創業大正13年、旧三越現ビックロの裏に本店があります。今では北海道から九州まで34店の支店があります。現在は3代目が社長のようですが、2代目の社長は、ブログ筆者と戸山高校時代同級であったということですが、会ったことはありません。今年の父親の7回忌には新宿のつな八さんで家族親戚が食事をしました。私は参加できませんでした。

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新宿タカシマヤの13階です。3時ころの店内。2時半にはいっぱいでした。

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ビールの中瓶と冷酒740円、大山特別純米酒、1296円口当たりの良い飲みやすいお酒でした。2人で分けて飲みました。

コースは税込み

小波  3672円     板前お任せ12品  8640円

黒潮  4536円     かき揚げ丼     3024円

汐浜  4536円     個別の単品天ぷら

浜風  6480円     つまみ各種

今回は汐浜のコースを頼みました。

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鯛かカンパチの刺身 おいしかったです。

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マグロのづけ。これもなかなか。

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てんぷらは汁だけでなく4種類の塩で食べられるようになっています。

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海老天と野菜4種。ごま油で揚げるそうです。カラッと上がっていました

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左は大浅利と野菜のてんぷら。右は何でしたか。

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小海老のかき揚げ丼。味噌汁と漬物。これもなかなかのものでした。

お土産に、中村屋と提携しての揚げ饅頭黒糖、酒香が1つ200円、4つ入りをお土産に。

◎当日は行きかえりとも雨でした。タクシーで行きかえりするのですが。新宿南口に最近できたバスやタクシーの乗り場、バスタで乗り降りしました。8月はまともに晴れたのは1日だけです。同じようなことは40年前にもあって、よく覚えています。気温の変化はいかに雲や雨が影響するかがよくわかります。今週いっぱい雨が続くようです。

2017年8月13日 (日)

佐竹幸一の講演記録と年誌論文他 (1) 2019年~2005年5月 追記版

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人間学研究所の研修室の一部です、書物は約1万冊そろっています。

(佐竹の病気後、8000冊は人間学研究所に2000冊は佐竹の今借りている自宅に置いてあります)

 

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「人間学研究所年誌2000」NO1から「人間学研究所年誌2016」NO14まで

2018年3月に『人間学研究所年誌2017』NO15が発行されました。

2019年3月に『人間学研究所年誌2018』NO16が発行されました。

 

実用的人間学研究会ができてから以後のみ

 

 佐竹は、自分の提唱する実用的人間学に基づいて、「人間に関するゼネラリスト」を目指し、人間に関しては、総合的に研究することを目指しました。その意味で様々な分野について積極的に、人間学研究所の例会で講師として話をしてきました。

 

 実際には1963年に生物科の学生組織で人間学分科会をつくって以後、数多くのお話を例会でお話ししてきました。これについては改めてブログに書くことにします。

 

 ここでは2005年5月の、「実用的人間学セミナー」のスタート以後についてだけ書くことにしました。そのほかに、とくに1999年の人間学研究所の設立以来、継続的に例会でお話ししています。お話しした場所は総合人間学会での話のほかはすべて人間学研究所です。

 

 「実用的」は実用的人間学研究会の略 「教育」は、新教育人間学部会

「準備会」は実用的人間学研究会準備会 「セミナー」は実用的人間学セミナー

 

2019年

 

4月19日 「大久保・百人町の歴史」 人間学研究所150回、実用的人間学120回例会

       西戸山タワーホームズ集会室

 

3月10日 「人間学研究所年誌2018」No16

 

      エッセイ「柴田義松先生の思い出と人間学研究所のこれから」

 

               佐竹幸一 p40-49

 

2018年

 

10月19日 「人間学研究所の歴史特に5年以後

           今後についても考える」  

 

6月28日 「人生100歳時代の明と暗」

 

        タワーホームズノースタワー集会室

 

3月10日 「人間学研究所年誌2017」NO15

 

      エッセイ「CO2地球温暖化仮説 今年日本の経済界、報道の空気変わる」

 

         佐竹幸一 p75-81

 

2017年

 

7月20日 「人間学研究所通信 HUMANOLOGY]NO79号発行

 

6月22日 合同例会(実用的93回、人間学研133回)

 

      「CO2温暖化仮説について」 67回例会 レジメ12p

 

      西戸山タワーホームズ集会室

 

      第1回実用的人間学例会は2008年4月より

 

3月10日 「人間学研究所年誌 2016」NO14

 

      エッセイ「どこまで人間と見るか」佐竹幸一 p67-82

 

2016年

 

10月11日 二火会にて、「どこまで人間とみるか」ヨーロッパ人と先住民 他

 

 5月19日 合同例会(実用的83回、人間学研123回)

                 講演回数 約66回 2005年以後分のみ

      (それ以前の例会は60回ほどプラスで、計130回ほどになります)

 

       「どこまで人間と見るか」その2    

        西戸山タワーホームズ集会室

 

3月10日 「人間学研究所 年誌 2015」NO13

 

      エッセイ『ネアンデルタール人などと私たち人類』佐竹幸一 p116

 

2015年

 

 10月 合同例会 「ネアンデルタール人などと私たち人間」

 

     実用的人間学研究会77回、人間学研究所第117回例会

 

     西戸山タワーホームズ集会室 参加者17名

 

 4月 合同例会「こういちの人間学ブログ」について

 

3月15日「人間学研究所 年誌2014」NO12

 

    短報 「こういちの人間学ブログについて」 佐竹幸一 p91

 

2014年

 

 11月 4月合同例会

 

     「視床出血1年が経過して―過去現在未来について」

 

11月1日 「人間学研究所年誌2013」NO11 

 

    「視床出血からの回復に向けて―私の病状報告」佐竹幸一 p72

 

2013年

 

 10月 第58回実用的 「食の危機と多国籍企業」

 

 6月 第95回新教育人間学部会 

          「長生きには肉を食るな、など健康法比較」

 

 5月 第94回新教育人間学部会 

         「2011年原発事故2年今福島は」視察報告  共同で

 

 5月 第54回 実用的 上記と同じテーマ 共同

 

 3月 第52回実用的

   「お金についていろいろ、日本の戦争と硬貨、ほか」

 

3月31日 「人間学研究所年誌2012」 NO10号

 

    「人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学」 佐竹幸一p100

 

2012年

 

 9月 第46回実用的「世界の99%を貧困にする経済」

 

 7月 第45回実用的「日本=百済説について」

 

 6月 第44回実用的 「原発のウソ」その2

 

 5月 総合人間学会総会にて発表

 

   「人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学」日大にて

 

  佐竹 総合人間学会監事となる(一期で退任)

 

 5月 第43回実用的 「大久保の街 探訪」

 

 3月 第81回教育   「原子力発電所事故と諸問題」

 

 2月 第40回実用的  「美人について」

 

3月31日 「人間学研究所年誌2011」 NO9号

 

    「原発のウソについて」 佐竹幸一 p37

 

2011年

 

 10月第37回実用的 「日本人の顔とルーツいろいろ」

 

 9月第36回実用的 「いい顔とはどのようなものか」

 

 5月第33回実用的 「二酸化炭素地球温暖化説と原発問題」

 

 2月 第71回教育 「人間学と人間科学の現状」

 

 1月 第30回実用的 「カウンセリングについて」

 

3月31日 「人間学研究所年誌2010」NO8号

 

   「人間学・人間科学の状況-大学の講座等に見る』佐竹幸一 p41

 

2010年

 

 12月 第29回実用的 「スピリチュアルな生き方か

 

 11月 第28回実用的 「ベトナムマレーシア旅行」

 

 9月 第26回実用的 「役に立つ、格言名言」

 

 5月 第23回実用的 「気温の変化と人間の歴史」

 

 1月 第20回実用的 「超能力とは何かーあるものなのか」

 

3月31日 「人間学研究所年誌2009」 NO7号

 

   「人は自分の考えに固執する エセ科学と懐疑論」佐竹幸一 p74

 

    -「真の科学者」になるための実用的人間学

 

2009年

 

 12月 第19回実用的 「実用的人間学式お悩み相談」

 

 11月 第18回実用的 「大久保の街探訪」

 

 10月 第17回実用的 「ブッダとキリストと宗教」

 

 9月 第16回実用的 「韓国の歴史ドラマについて」

 

 7月 第15回実用的 「血液型人間学について」

 

 6月 第54回教育  「人間学いろいろ」

 

 6月 第14回実用的 「後漢初期の永平の治とは」

 

 4月 第12回実用的 「どこまで人間と見るか」

 

 3月 第11回実用的 「健康状態を人相から判断する」2

 

 2月 第10回実用的 「健康状態を人相から判断する」1

 

 1月 第9回実用的  「実用的人間学式健康法」

 

3月31日 「人間学研究所年誌2008」 No6

 

    「人間学研究会の歩み」2 佐竹幸一 p81

 

2月新教育人間学部会31名、実用的人間学研究会33名

 

2008年

 

10月 第6回実用的 「河合隼雄のこころの処方箋に学ぶ」2

 

10月 第46回教育 「人間学とは何かー人間学と名のつく

 

              書物の整理を終えて」

 

 9月 第5回実用的 「河合隼雄のこころの処方箋に学ぶ」1

 

 7月 第4回実用的 「実用的人間学式テスト試案」2

 

 6月 第3回実用的 「実用的人間学式テスト試案」1

 

 (第1回実用的人間学研究会は4月女子栄養大学松柏軒にて開催)

 

5月31日 「人間学研究所年誌2007」 NO5号

 

    「人間学研究会の歩み」1 佐竹幸一 p88

 

8月、実用的人間学研究会始まる(二次、現在につながる

 

 会長佐竹幸一、副会長、杉山

 

 3月 第10回準備会 「手相術について」

 

 2月 第9回準備会 「ゼネラリスト養成講座 今後の構想」

 

 1月 第8回準備会 「エスニックの街、大久保探訪」

 

 2007年

 

 9月 第4回準備会 「カウンセリング教室に学んで」

 

 7月 第3回準備会 「人間関係の改善について」2

 

 6月 第2回準備会 「人間関係の改善について」1

 

 5月 第1回準備会 「実用的人間学セミナーと準備会について」

 

実用的人間学研究会準備会始まる

 

 4月 第10回セミナー 「今後のセミナー、修了式」

 

 2月 第8回 セミナー 「うつ病の人間学」

 

 1月 第7回 セミナー 「おみくじについて」

 

6月30日 「人間学研究所年誌2006」 NO4号

 

    「人間学ノート」 佐竹幸一

 

2006年

 

シリーズ総合人間学3 「現代の教育危機と総合人間学」編集責任者 柴田義松

 

 2006年11月1日 学文社 発行 資料2「人間学と人間科学の現状」佐竹幸一

 

 10月関西設立記念集会 龍谷大学

 

 11月 第5回 セミナー 「後漢初期の人間学」

 

 10月 第4回 セミナー 「実用的人間学的な生き方とは」

 

 10月 第28回 教育   「小泉政治がもたらしたもの」

 

 7月 第3回 セミナー  「宗教的信仰と科学的信念」

 

総合人間学会設立 明治大学リバティータワー講堂にて設立総会

 

 参加者300名ほど、講演、小柴東京大名誉教授、加藤周一氏、

 

 会長 小林直樹、副会長、小原秀雄、柴田義松

 

 佐竹は運営委員、事務局次長 月1回程度例会

 

第二期実用的人間学セミナー 第1回 6月スタート

 

 4月 第11回 セミナー  「人間と社会」

 

 3月 第10回 セミナー  「宗教と死の人間学」

 

 2月 第9回 セミナー   「人間とは何か」

 

 1月 第8回 セミナー   「生き方の人間学」その2

 

2005年

 

 12月 第7回 セミナー  「生き方の人間学」その1人生論

 

 11月 第6回 セミナー 

    「人間の心をさぐる」 ーカウンセリングとコーチング

 

 10月 第5回 セミナー 「占いの人間学」

 

 9月 第4回 セミナー  「身振り、しぐさの人間学」

 

 7月 第3回 セミナー  「人相術手相術」自分を判定する

 

 6月 第2回 セミナー  「人相術手相術」基礎編

 

 5月 第1回 セミナー  「健康法の人間学」

 

実用的人間学セミナー開始

 

以前の実用的人間学研究会では1993年の4月に始まり。1999年3月に64回の例会をもって終了しました。

 

 ★ それぞれの例会での、講演資料は、すべて、人間学研究所に複数保管してあります。お話しした内容は、「こういちの人間学ブログ」にいろいろな形で書かれております。興味をお持ちになり、資料ご希望の方、並びに講演会等でこのテーマで話してほしい、などがありましたら、人間学研究所事務局長、佐竹幸一までご連絡ください。

 

◎ 2005年5月以前の内容は佐竹幸一の講演記録(2)に書かれております。 

 

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2017/08/2005419924-1602.html

 

    人間学研究所

 

     東京都新宿区百人町1ー3-17 佐竹ビル3階

 

          pcr92240@nifty.com   

 

                       佐竹幸一 090-6549-2677

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐竹幸一の講演記録と論文他 (2)2005年4月~1992年4月 修正版

◎概略で60回ほどです、読売市民講座などで話したのは除く

2005年4月以前 1992年~

第5回 人間学オープンセミナー

            2004年12月 「神秘主義と人間学」

2004年2月 新教育人間学部会できる

 専門性を深める

「道具と人間」 人間を学ぶ総合的学習 明治図書 2004年発行

 柴田義松、小原秀雄、北原監修 全3冊 佐竹は3項目担当

3月30日「道具と人間」出版記念パーティー 

    小学生中学年用、高学年用、中学生用 

第1回実用的部会 2003年8月 「ゼネラリスト養成講座について」

旅と人生文学会 2003年4月「王充の墓を訪ねて」 湯沢町公民館にて

第1回 実用的人間学 2003年8月 「ゼネラリスト養成講座について」

8月1日 「人間学研究所年誌2003」 NO3

    「ゼネラリスト養成講座について」 佐竹幸一 

2003年8月 第1回実用的人間学部会始まる

第6回人間学講座 2002年12月「占いとは何かあたるのか」

第1回人間学講座 2002年5月

2002年11月 総合人間学研究会できる

 記念集会 明治大学 150名参加

 場所は人間学研究所 佐竹は事務局長、2006年に総合人間学会となり発展的解消する

2002年6月8日第1回人間学シンポジウム準備会と記念講演 森岡修一氏参加

2002年3月人間学講座始まる

2001年

第5回実用的部会 2001年10月 「人相手相術と占い」

第5回セミナー2001年8月 「大久保の町探検訪問」2

第4回セミナー 2001年7月 「比較リーダーシップ論」

第2回セミナー 2001年5月 「大久保の街探訪」

第1回セミナー 2001年4月 「面白、人生・経営人間学」

「第1回人間学シンポジウム」

2000年から2002年まで教育的人間学部会では、トピックブック「道具と人間」の編集に取り組む。

11月30日 「人間学研究所年誌2002」 NO2

     「人間学を取り巻く状況」 佐竹幸一 p44

     「人間学研究所の概要」 佐竹幸一

2001年4月「人間学基礎論部会」できる 岩田氏中心 3部会

2000年

12月1日  「人間学研究所年誌2000」 p165 創刊号

       「人間学の概要」 佐竹幸一 p70-81

第一回人生・経営人間学セミナー (セミナーと略)

第14回実用的部会 2000年10月 「上海、紹興、上虞旅行報告」

第8回実用的部会 2000年2月 「後漢時代と王充」

第3回実用的部会 1999年7月 「比較人生論」

実用的人間学部会 以上から

第1回 土曜セミナー 2000年6月  唾液健康法

2000

1999年4月1日に 人間学研究所準備室から人間学研究所が設立されました。

4月24日開所記念講演会 成蹊大学 参加40名

 所長柴田義松、名誉所長、小原秀雄副所長。岩田好宏

1999年6月より「人間学研究所通信」HUMANOLOGY、第1号発行

1999年5月より、教育人間学部会と、実用的人間学部会が発足

          しました。

第64回 実用的 1999年3月 「人間に関するゼネラリストか可能か」 

    (*今回が実用的人間学研究会としては最終の例会でした)

第61回 実用的 1998年11月 「宮城谷昌光における人間学」2

第52回 実用的 1998年1月  「健康法について考える」

第50回 実用的 1997年11月 「実用的人間学の今後について」

第49回 実用的 1997年10月 「死について考える」

第46回 実用的 1997年7月  「遅咲きの人間学」                    

      ・北条早雲、毛利元就、徳川家康、伊能忠敬

第42回 実用的 1997年3月  「人間学いろいろ」

第40回 実用的 1997年1月  「実用的人相術」

第37回 実用的 1996年10月 「最近の人間学の動きと船井グループ」

第35回 実用的 1996年8月 「自分を知るとは」

第32回 実用的 1996年3月 「宮城谷昌光における人間学」

第31回 実用的 1996年1月 「顔の人間学」より カント

第28回 実用的 1995年9月 「船井由紀夫の人間学」

第27回 実用的 1995年8月 「人間学の応用について」

第24回 実用的 1995年4月 「星占いの原理と終末思想」

第22回 実用的 1995年2月 「科学と宗教の人間学」

第19回 実用的 1994年11月 「日本人はどこから来たか」

第18回 実用的 1994年10月 「三国志の人間学Ⅲ」

第17回 実用的 1994年9月 「三国志の人間学Ⅱ」

第16回 実用的 1994年8月 「三国志の人間学Ⅰ」

第15回 実用的 1994年7月 「人間とは何か」2

第14回 実用的 1994年6月 「人間とは何か」1

ライフコーディネイト入門 1994年6月

 1、「人間とは何だろう」

 2、「生きることとは 幸福について」

 3、「人生とは何だろう」 いづれも 小川公民館にて

第12回 実用的 1994年4月 「会社経営に人間学をどう活かすか」

第11回 実用的 1994年3月 「病気の人間学」

第10回 実用的 1994年2月 「思想としての人間学」

第7回 実用的 1993年11月 「戦争の人間学」

第6回 実用的 1993年10月 「超能力の人間学」

第3回 実用的 1993年6月 「精力と健康の人間学」

第2回 実用的 1993年5月 「信長、秀吉、家康の人間学」

第1回 実用的人間学研究会例会は、1993年4月からスタートしました。

実用的人間学研究会 以上 (場所 人間学研究所準備室)

  1993年9月 人間サロン開設 31回開催

  1996年   人間サロンと実用的人間学研究会が合同

実用的人間学講座 1993年1月から6月 全12回 読売市民大学

  「顔と身体と心の人間学ー自分を人間を知ろう」

             読売文化センター京葉にて

小川公民館 高齢者講座

   「人相術と手相術を学ぶ」1993年5月から9月 全12回

             小川公民館にて

第12回 1993年3月 「人間はいかに生きたらいいのか?

              人間学と宗教の対比

第11回 1993年2月 「人間はどう見られてきたか」

              人間学史から

第10回 1993年1月 「人間と社会そして人類の未来」

第9回  1992年12月 「歴史上の人物から学ぶ」

               歴史人間学および経営人間学

第8回  1992年11月 「人間と自然、および環境問題について」

               人間と自然、社会とのかかわり

第7回 1992年10月  「人間の成長と教育」

               教育人間学から

第6回 1992年9月   「人間の心は外からわかるのか?」

               観相人間学

第5回 1992年8月   「人間の身体のしくみとそのコントロール」

               人体の生理、ヨガ、気功についても

第4回 1992年7月   「人間の心と其のコントロール」

               心理学、精神医学から

第3回 1992年6月   「脳の働きと心について」

               大脳性医学からみた人の心

第2回 1992年5月   「人間とサルはどう違うのか?」

               人類の起源、そしてサル学にもとづき

第1回 1992年4月   「生きているとはどういうことか?」

               現代生物学の成果をもとに

人間学セミナー   以上 人間学研究所準備室にて

1991年9月 市民企画教育講座 「子供の自立ってなあに」

    第1回「子育ての人間学」 東大和市立蔵敷公民館

1991年4月 第2サタケビル完成 人間学研究所準備室できる

第三次人間学研究会発足

      会長小原秀雄 副会長 柴田義松、佐竹幸一

      事務局長 岩城正夫

 人間学セミナーは、人間全般にわたって、佐竹が一人で話をしたものです。

 人間に関して全般を話すために自分自身の良い勉強になりました。

 これらの話は、すべてかなり詳しい資料がそれぞれのテーマごとに複数あります。資料を読んだだけであわかるように詳しく書くようにしました。

◎これ以前も話をしておりますが。古いものは後日と言うことにします。また人間サロン等で話した内容は後で付記いたします。

◎ 2005年5月以降の講演内容は、その1をご覧ください。

1985年5月 第2次人間学研究会

 会長小原秀雄 副会長 柴田義松、岩城正夫、事務局長、佐竹幸一

 会員54名連絡13名 研究会例会26回開催

 1986年東大にて公開シンポジウム 100名参加

1965年4月16日 人間学研究会始まる(第一次)

 会長 小原秀雄、事務局長、佐竹幸一

 会員20名、連絡するもの10名 例会は月2回、人間学ニュース発行17号まで

 1967年5月解散

 佐竹幸一、人間論研究会つくる 1970年9月まで

1963年12月学生組織「関東生物科学生懇談会」(生懇)分科会の「人間学」

 責任者 佐竹幸一 58回の例会 東京教育大にて 大学卒業と共に人間学研究会に移行

 

人間学研究所

 169-0073 新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル3階

   pcr92240@nifty.com  

       お問い合わせは 佐竹幸一 090-6549-2677           

 

2017年8月 8日 (火)

2016,17年度新大久保駅山手線トップの伸び率、追記 2018年度もJR東日本でトップ。2019年度は1位下がる。

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新大久保駅の入り口、若い女性でごった返しています。混んでいるのに駅の入り口は逆に

 

狭くなっています。車いすで通るのは大変です。

 

新大久保駅。奥に建築中の駅ビルの建物ができています。

◎追記

2019年乗降客 山手線で25位 102876人 下から5番目

 

新宿新聞の記事
2017年8月5日付の新宿新聞では新宿周辺の状況が報告されている。
1ページには、新宿大通り。五輪に向け新ビル次々と。超1等地で3棟建て替え、銀座に並ぶ「投資エリア」に、とある。
2ページには、新宿駅は365万人(一日乗降客)で日本一とされている。(2016年度はさらに増えて370,9万人)

 

2016年度の1日乗降客数
 新宿駅 8本 370,9万人
 渋谷駅 6本 327,9万人
 池袋駅 4本 264,2万人

 

 記事によれば新大久保駅は、1日の乗降客数、山手線トップの伸び率となっています記事によれば。

 

「山手線沿線の各駅で伸び率で他駅を圧倒したのがコリアンタウンに位置する新大久保駅。乗降客数は前年に比べ5,2%増8万8千人となった。反韓デモ後、減少していた駅前の韓流ショップを訪れる韓流客が回復してきてことに加え、最近はネパール料理店が急増し多国籍タウンとして駅周辺の街の魅力が多様化しているのが理由」

 

参考までにスコットランドで一番大きな駅が、エジンバラ駅で1日乗降客14万人だそうです。
2019年8月25日の新宿新聞によれば、2018年度のJR東日本の乗降客象1位は、新大久保駅でした。
2018年度(2018年4月から2019年3月)まで  JR都内駅
 新大久保駅 10,3万人  6,7%
 大崎駅   34,6万人  5,0%
 目黒駅   23,1万人  3,5%
 東京駅   93,4万人  3,2%

 

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新大久保駅の増改築しているところを新大久保駅から脇道(郵便局通り)に入ったところから見る。突き当りは大久保通り。

 

最近の新大久保駅周辺の変化

 

「新大久保駅にエレベーター,もっと国際色豊かな駅に、新宿新聞」

 

「大久保コリアタウンの現状 2017年新宿新聞 元日号から」

 

「2017年4月の新大久保駅の状況 だいぶ若い女性でにぎやかに」

 

駅の周辺

 

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新大久保駅前の交差点付近。駅前の高いビルは、はじめは韓流のお店の雑居ビルでした。その後全部がカラオケ店のビルになりました。その後営業を停止し、かなり長い間テナントが入らない状態でした。ごく最近韓国のコスメ店が1階に入りました。他の階は空いている模様。

 

1階に入ったお店

 

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かなり混んでいます。

 

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ロッテ工場跡地について

 

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ロッテの工場跡地、工場が壊され更地になっています。ここがロッテの創業の地です。チュウインガムを作っていました.工場近くでは甘い匂いがしていました。戸山小学校入り口近くからの写真。広さは7500m2。

 

 戸山小学校に向かう通学路の左側がロッテ工場でした。

 

奥に新宿の高層ビル群が見えます。新大久保駅の近くで、大変な広い土地が空きました。今後何になるのかわかりません。

 

新宿区百人町2-2-33

 

文教地区なのでできる施設は限られています。
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工場跡地の看板にパラリンピックの看板が

 

工事予定は2017年1月から8月31日まで。

 

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工場跡地の端のところ、駐車場になっています。駅の資金の一等地です。果たして何になるのでしょうか。工場の周辺はロッテが所有する土地が多く、多くは駐車場となっています。

 

ロッテについて

 

 ロッテは在日韓国人の重光武雄氏が新大久保・百人町の地でチューインガムの製造を始め、1948年に(株)ロッテを作りました。この工場ができたことが、新大久保に韓国人が増える元ともなりました。

 

 その後、お菓子の幅を広げるとともに、さまざまな分野に手を広げていきました。

 

 ロッテは野球チームを持ち、ロッテ千葉マリーンズ球場を作りました。球団事務所は一時本社が百人町にありました。(現在は本社は西新宿、非上場企業)他に、ロッテリア、クリスビー・ドーナツ、ゴルフ場、ホテルなど幅広く取り組んでいます。

 

 韓国にも進出し、韓国では10の財閥の中の一つに数えられるまでになりました。創業者の息子の兄が日本を弟が韓国を担当していますが、現在いろいろな問題が生じています。

 

2013年にロッテ新大久保工場の閉鎖が決まり、更地へと変えています。今後何になるかは発表されておりません。

 

新大久保駅の裏手、郵便局通り

 

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郵便局通りにあるネパール料理店、ナマステ・キット・ガザル。元の店は韓国料理店。

 

その一角が以前はシシカバブを売る店でしたが、ベトナム料理の店に変わっていました。

 

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8月20日(日曜日)曇り、新大久保駅の周辺すごい混雑に

 

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新大久保駅山手線内側。

 

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文化通りの八百屋さん。ネパール人の人が経営。同じ文化通りに新宿八百屋があります。

 

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高田馬場にむかう新しくできた通り(補助72号線)のビル。そこの1,2階にできたカフェの「ホミビン」です。2016年10月オープン。ふわふわのかき氷がおすすめとか。長い行列でした。

 

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行列を後ろから見る。

 

第2サタケビル1階のソウルレコード。2,3階のコンゴの食材店はやめました。
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向かいのグッズ店,カンカンは閉店しました。
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2019年度は新大久保駅の駅の乗降客の順位が1位下がり率も低下しました。

2017年度  JR東 97位 51438人 前年比 6,7%増

2019年度  98位 49438人 前年比 -3,9%

 

 

 

 

 

 

2017年8月 5日 (土)

近況、1、梅雨明け宣言から天候不順、体調も不調です.2,・安倍内閣改造、民進党代表戦どうか

 2017年7月26日にブログを更新してから、10日ほどもブログを更新しませんでした。
1、体調が不調です
 今年の今までの天気は、関東では7月19日に、平年より2日早い梅雨明けでした。実際、7月はちっとも梅雨らしい天気ではなく、連日いい天気で、暑い日が続いていました。ところが梅雨明け宣言をした後からは、逆に曇り空と雨が続きました。
 前のブログを書いてから、あまり体調がすぐれず、本などもほとんど読まず、ブログを書く気力もありませんでした。それは、体調が落ちてきていることによります。
1) 麻痺側の右上半身が固くなりだいぶ痛みが出ています。右半身を下にしていつも寝ているせいもあるのでしょうが右側の首筋、右上肢、右肩甲骨が固くなり痛みが出てくるのです。
 リハビリをしてくれる理学療法士さんのお話では、皆さん低気圧が来て天気が悪くなると、いろいろな体調不良を訴えるそうです。
 2)左足の足の裏のしびれが強くなっています。脳出血で右側が麻痺していますが、左の足首から下、特に足の裏がよくしびれます。左足の親指が上に反り返っているのでしっかり足の親指で踏ん張れません。
 「右の足の親指が巻き爪で手術をして、もう巻き爪になりません」と、ブログに書きましたが、左の足の親指も巻き爪になりかかっています。月1回来てくれる看護師さんが巻き爪が皮膚に食いこまないようにする、テープの巻き方を教えてくれました。
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 3)皮膚に発疹が出て、かゆく,治りません。2、3週間前あたりから首の回り、胸の上部、背中に発疹が出てなかなか治らず困っていました。巻き爪の手術後の検診でそのことを医者に言い、ステロイド入りの軟膏をもらいつけていましたがよくなりません。月に2回来てくれる医者に話したところ、2週間前に朝晩飲んでいた薬のうち抗アレルギー剤の「エビナスチオン塩酸塩錠(サワイ)20mgを朝だけにしたけれど、そのせいもあるかもしれないとのことでした。
 エビナスチオン塩酸塩錠は、ぜんそく、アレルギー性鼻炎の症状や、じんましんや皮膚炎にともなうかゆみを改善する薬です。アレルギー反応を引き起こすヒスタミンなどの働きを抑制して、抗アレルギー作用を示します。
 追加で薬を出してもらい昨日から(4日)飲み始めています。単なるあせもでしたら、ステロイド軟こうも塗っていますので、治るはずですが、いろいろなところに皮膚にぶつぶつができてかゆいのでどうもそうでないように感じます。
2、安倍内閣改造、どうか。人気回復に必死だが。 どうなる民進党代表選挙
 安倍内閣は8月3日、第3次内閣改造を行い、凋落した支持率を回復しようと必死です。
今までも身内中心のお友達内閣を改め、総務大臣に野田聖子氏をむかえ、外相に河野太郎氏を迎えました。2人とも今度の総裁選に出ると早速言っています。
 あまりの支持率の低下に何とか歯止めをかけようというのでしょう。そして、何とか森友、加計問題などをうやむやにして収束させようとしています。
 第3次安倍内閣では昨年8月の内閣改造時では、閣僚20人中15人が「日本会議議連」のメンバーで、稲田朋美防衛相、高市早苗総務相などが安倍首相のお気に入りの大臣でした。これらの人たちは解任されましたが、依然13人が日本会議のメンバーです。
 
 8月5日の早速の世論調査では、毎日新聞が、内閣支持9ポイント回復35%、不支持47%であり、日経新聞では内閣支持3ポイント上昇42%、不支持49%でした。共同通信で支持44,4%(8,6上昇)、不支持43,2%(9,9%下落)でした。読売新聞は支持率42%でした。
いつものパターンです。
 毎日新聞では「下げ止まり」に安ど、自民内に早期解散論もと書いている。
 これは民進党が低迷しているうちに解散・総選挙をしてしまおうということだ。都民ファーストが国政に乗り出す前にということもあるでしょう。
8月7日のTBS系列のJNNの調査では安倍内閣を支持するが、39,7%、支持しないが59%で支持率が続落しているようです。
民進党代表選挙
 民進党の細野豪志前代表代行が、党を出て新たな政権政党を作る決意で立ち上がりたいと述べた。憲法改正をしようとしない執行部に不満という。都民ファーストからの新党に合流するのではないかと思われる。
 民進党は現執行部が辞め、月末に代表戦が行われるが、民進党の分裂が止まらない。
自民党よりも深刻な内部崩壊現象が起きている。
 2016年3月27日に維新と合流したが、もともと民主党、民進党は非自民党的保守政党と、一部の旧右派社会党系勢力との連合であり、しっかりした党の方針が定まってはいない。政権を取れるときは妥協するが、いよいよ御身が危ないとなれば、より当選できるものにすり寄る。
 自民党寄りの前原誠二氏(いずれ細野氏らを含む都民ファースト的第2自民党に合流)と旧右派社会党寄りの枝野幸男氏の戦いになると思われる。民進党は、ほぼ自民党と同じ人達(第2自民党)と、枝野氏などに分裂し、もっとわかりやすくなったほうがいいと思われます。
 結果は追記します。
 8月6日の毎日新聞2面に民進代表、保守vsリベラル 
前原氏 加憲で自衛隊明記
枝野氏 9条改憲に否定的
低迷 党内矛盾あらわ
  -と新聞見出しにあった
170806_101201
二人の主な争点
前原氏が代表となりました。
 
 

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