柴田義松氏の教育的人間学。2017年12月人間学研で米寿のお祝い。2018年10月ご逝去されました。12月14日偲ぶ会。
柴田義松先生、米寿のお祝い、を兼ねて忘年会 (2017年12月14日)
前列左から3番目が柴田先生。
このブログは2010年8月に書かれたものですが、追記して更新しました。
本来は柴田先生は2018年11月に満88歳になられますが、ちょうど忘年会に兼ねて少し早めてお祝いを、と木村先生の提案で開催することになりました。
場所は昨年と同じ居酒屋の文蔵で開催されました。参加者は少し少なく12名でした。ブログ筆者の住まいに近いところに設定していただきました。
筆者が司会役でお話ししました。
最初に「柴田先生、米寿おめでとうございます」、「柴田義松先生と人間学研究所」
という資料を皆さんに配布しました。
1960年 、柴田義松氏が女子栄養大学の教員(教育学)となる
1969年 女子栄養大学にユニークな人間コースができ、柴田先生のもと小原秀雄氏(動物学)、岩城正夫氏(原始技術史)が招へいされる。人間学の名で様々な本が出版される。
1985年3月 学士会館に柴田、小原、岩城氏と佐竹、野本さんらが参加。人間学研究会を 作ることになる
1985年5月 人間学研究会できる(第2次) 柴田、小原、岩城、佐竹ら、佐竹ビルにて数年で活動中止
1991年4月 人間学研究会再発足(第3次)人間学研究所準備室できる 第2佐竹ビルにて
1993年5月 実用的人間学研究会出来る
1999年4月 人間学研究所できる 所長柴田義松氏 現在に至る
「人間学研究所通信NO1」の発行
2000年12月 「人間学研究所年誌」2000発行 初めて国会図書館でNO1
2002年11月 総合人間学研究会出来る 20回研究会開催 事務局は人間学研究所その後学会へ
2004年2月 人間学研究所、新教育人間学部会 現在に至る、2017,11、例会137回 2018年11月145回
3月 「道具と人間」シリーズ 3巻発行 明治図書
2006年5月27日 総合人間学会設立記念集会 明治大学 300名参加 会長小林氏(憲法学) 柴田義松氏は小原氏とともに副会長
2006年 11月 シリーズ「総合人間学3」柴田先生 著と監修「現代の教育危機と総合人間学」 学文社 筆者は資料として、「人間学と人間科学の現状」を書く
2017年12月 忘年会兼柴田先生米寿の祝い
2018年10月 柴田先生ご逝去
2018年12月 柴田先生をしのぶ会
・祝う会では、資料説明後、柴田先生からのお言葉、それぞれの方からのお祝いの言葉。
みんなの寄せ書き、記念品贈呈ということで、お祝いの会としました。
・
2018年11月3日(土)追記、柴田先生のご逝去の知らせ
長らく入院されてから柴田先生の様子がわからなかったのですが、10月の半ば頃亡くなられていたということを、10月29日に木村廣子先生から連絡が入りました。
人間学研究所の今後の予定を書いた葉書を会員さんにお送りしたばかりですが、岩田所長のご提案で、「人間学研究所通信」の柴田先生の追悼文特集号を出すことになりました。それで急遽また葉書を出し柴田先生の追悼文特集号の記事募集のお願いをすることになりました。
◎2018年12月21日に、”柴田義松先生を偲ぶ会兼忘年会”
を新宿区百人町3-1-5西戸山タワーホームズ集会室にて午後6時から行います、
参加ご希望の方は、pcr92240@nift.com、佐竹までどうぞ。
◎柴田義松先生は人間学研究所ができてから、今年まで18年間一貫して所長を務めていただきました。研究会員の中には柴田先生に教えを受けた方も多く、人間学研究所においては重要な役割を果たされてきました。
人間学研究所では研究活動のみならず、研修会終了後の飲み会、カラオケなど楽しいひと時をご一緒できました、千葉の白浜温泉に1泊旅行をしたのも思い出されます。柴田先生は足が弱くなられ研究所の3階まで上がるのが難しくなりました。それで、ブログ筆者の近くの歩いてこられるところに年3回ぐらいは開催したいと思っていますということを提案しました。ブログ筆者も助かります。
◎これ以後は2010年8月に書かれたブログです
柴田義松氏は今年11月19日に80歳になられます。8月10日には著作集7巻を学文社からだされました。柴田義松氏は愛知県に生まれ、名古屋大学から東京大学大学院に進まれました。修士論文が、ウシンスキーの「教育的人間学」で、その後に取り組む、ヴィゴツキーとともに、柴田氏の理論の中核をなすものです。柴田氏は1960年に明治図書からウシンスキーの『教育人間学』に訳書を出されてから、国立国会図書館に登録されている本で現在208冊を数えるほど多くの本を出しておられます。
柴田義松氏と佐竹幸一との出会いは、1969年に柴田義松氏が女子栄養大学に、教授としてまねかれ、その後小原秀雄氏や、岩城正夫氏とともに画期的な「人間学科」(人間学コース)をつくられました。その後、佐竹もお会いしてお話する機会があり、しばらく休止していた、人間学研究会を再開しようということになり、1985年に第二次人間学研究会がスタートしました。その後は小原、岩城氏と共に、1991年の人間学研究所準備室、1999年の人間学研究所の設立に至りました。柴田義松氏は人間学研究所の設立から2010年の現在まで、ずっと所長をしていただいております。人間学研究所を母体にして、2002年には総合人間学研究会、さらには発展的に解消し総合人間学会になり、ずっと副会長を務めておられます。大学は東京大学の教授となられ、学科長も務められ、その後成蹊大学の教授もつとめられました。
ロシアからソビエトに至る教育の紹介という点においては、第一人者で、多くのお弟子さんがいらっしゃいます。今度著作集の出版記念パーティーと80歳の誕生祝いがありますが、多くの方が参加されると思います。専門は教授学で、教育内容・教科内容と教材の区別を提起したことはその後の教授学研究に革新をもたらしました。長らく日本教育方法学会の会長も務めておられました。また、略して「教科研」というのでしょうか、現在も月一回、人間学研究所で、教科教育内容などのビデオなどを会員と一緒に見ながら研究を続けておられます。
柴田義松氏とのお付き合いは、小原秀雄氏とのお付き合いほどは長くないとはいえ、もう30年ほどになります。(33年)まだまだとてもお元気でその活躍ぶりには本当に頭が下がります。1メートル80センチ以上の長身です。この年代の方ではきわめて長身だと言えましょう。また普段の会議などではあまり、発言をされないのですが、発言をされるときには、きわめて簡潔かつ的確なお話をされます。また講演をしていただく時には、きちんとした話でテープ起こしをするとそのまま原稿になってしまうようにきちんとしています。しかしいかにも大学者という雰囲気を漂わせていますがおよそ偉ぶるということは全くなく気さくにお付き合いをいただいております。人間学研究会の例会のあとの懇親会では、お好きな日本酒を飲むのを楽しみにしておられます。最近はカラオケも歌われます。
人間学研究所で出している、『人間学研究所年誌』や、『人間学研究所通信』(HUMANOLOGY)などの原稿も以前からきちんと、ワ-プロでつくっていただくので、大変助かります。携帯電話もすぐに使いこなして、おとしの割にと言っては大変失礼ですが、新しいものもどんどん積極的に取り組まれているのはすばらしいことだとおもいます。
ブログ筆者が、総合人間学会を皆さんとともに設立した時に、3冊の「シリーズ人間学」の本が出版されました。ブログ筆者は本の出版に当たり、2つの文章を書きました。一つは「人間学とは何か」であり、一つは人間学に関する資料集でした。2つとも出版社に送る手配をしたのですが、小林直樹氏と小原秀雄氏が相談して、筆者(佐竹)の文章は載せないことにしました。出版社から校正が来ないのでおかしいと出版社に言ったら、佐竹の文章は載せないと小林氏と小原氏で決めたというのです。小林氏は親せきの人が病気でとか言っていましたが。筆者が哲学的人間学を批判的に書いたのが気に入らなかったようである。
柴田先生は急遽、2つのうち1つは柴田先生の巻に「人間学と人間科学の現状」資料集を載せてくれることになりました。本文の部分は後で「人間学研究所年誌2006」に「人間学ノート」として載せてもらいました。柴田先生には本当に感謝いたします。
柴田氏は、ウシンスキーの『教育人間学』を翻訳し、「教育的人間学」という言葉をもっともはやく提唱したのが、ウシンスキーであると紹介しました。『教育的人間学』は1960年に明治図書から翻訳が出され、2010年に学文社から新訳版が出されました。ウシンスキーについては改めて、ブログで紹介しますが、ずっと教育的人間学の立場で研究し、現在でも人間学研究所の主要部会が「教育人間学部会」になっているように、永年教育人間学を提唱されている柴田義松氏が、1999年に出版された『日本の教育人間学』皇 紀夫・矢野智司篇(玉川大学出版部)に勝田守一、森 昭、大田 堯、堀尾輝久、和田修二などという人がのっているにも関わらず、柴田氏の名前がないのは、おかしいなと感じています。
追記 2018年12月25日、”HUMANOLGY”(人間学研究所通信)83号が発行されました。
今号は「特集 柴田義松先生(前人間学研究所所長)のご逝去を悼む」で、2ページから15ページまで、10人の方が追悼文を寄せられました。
偲ぶ会については、下記をご覧ください。
「こういちの人間学ブログ」2018年12月15日
「2018年12月14日 人間学研 柴田先生を偲ぶ会兼忘年会 『人間学通信82号』発行」
.http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/12/20181214-4194.html
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