フォト
無料ブログはココログ

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月

2017年12月31日 (日)

大久保多国籍タウンの現状ー2018年新宿新聞元日号から

2018年1月1日の、新宿新聞の元日号が届きました。

 

 2018年元日号の新宿新聞では、コリアン街新大久保とありますが、筆者はあえて多国籍タウン大久保と書きました。2017年の初めまでは、ネパール料理店、ベトナム料理店の伸びが目覚ましかったのですが、半ばから韓国の店への来客が増えてきました。大久保の町はコリアンタウンの街といわれるより多国籍の街と言われたほうがいいなという、ブログ筆者の願望によるものです。ほかにも多国籍のレストランがたくさんあるのです。

 

新聞の見出しを見ると、
4ページは

 

171231_094802

 

「チーズダッカルビが韓流の街を席捲」

 

「料理、大型コスメ、グッズ、スーパー、若者客が増え、売り上げは3割増」、

 

「出店意欲高まりテナント賃料が上昇-17年当初は一階で5万円だったのが年末には坪6万5千円から7万円まで高騰した」、

 

「大久保通り賃料坪7万へ一気に高騰、駅前小型ビル巡り10社が争奪戦」

 

「17年大久保通りの駅よりでは、―新店は7店、コクミンドラッグを除き韓国系の業者だった」

 

「イケメン通り相場は坪3,5~4万、引き合い増も空き物件なく出店低調」、

 

「ドンキが地下テナント再開へ、職安通り久々にコスメ新店も」

 

「無料のK-シャトルバス、ルート拡大し平日も運行」

 

イケメン通りのお店

 

171231_094901

 

5ページは

 

171231_094801

 

「コスメ出店が再び加速、若者客の増加、スーパーが売り上げ2倍ー11月」、

 

「大久保通りの料理店、週末は1日8回転!客の7割がチーズ・ダッカルビ注文。

 

◎食べてみましたが、こってりとした味で、いかにも若者向き

 

「17年は過去最多ペース、新大久保の乗客、1日4,4万人」、

 

   ー12年に4万1千人が14年には3万8千人に減少、17年には4万4千700人に増加

 

「グッズ店、1万円の買い物客が復活、週末は10代、男性客が増」

 

 -「売り上げはまだピークの2011年の半分程度。12から13年の水準。2018年にはさらに良くなるはず」

 

171223_115701

 

  ◎12月で大変混雑する新大久保駅。もともと狭いのに、工事中で余計混雑。道路で待ち合わせをする人がたくさん。車いすでは通れません。新大久保駅はエレベーターがなく使いませんが。

 

 ◎以前のお客の主流は中年女性で客単価が高かった。今は若い女性が主力。

 

「韓国風ドッグ(ハットグ)が人気、インスタグラムで拡散

 

現在は、第1次、2003年~冬ソナブーム、(中高年女性)第2次、2010~K・ポップブーム(若者男女)に続く、第3次ブームだそうで、全体の4割ぐらいを占めるのが10代女性だそうです。)客単価は落ち、街頭で食べる若い女性が増えています。化粧品の売り上げは多い。

 

店も増えています。

 

 ◎お店の中で食べないで外で簡単に済ます、若い女性が多いということ。

 

「ベトナムは微増、ネパール料理店は失速」

 

こういう店には10代の女性はほとんど行きません。

 

161108_105901

 

公園そばのこのネパール料理のお店は韓国料理店に変わりました。

 

 
171223_113201

 

大久保通りから銭湯のほうに入ったネパール料理店。前はホットチリというお店でした。

 

 

171223_115301

 

韓国風ホットドッグのお店。こういう立ち食いの若い女性のお客で混んで大変です。

 

◎ チーズダッカルビを食べてみましたが、豚肉を甘辛く炒めた上に大量のチーズをかけます。こってりとしていかにも若者向きでした。前は豚肉の脂身サムギョプサル全盛でしたが。

 

 ベトナム店は微増となっています。ネパール料理店は大久保公園に隣接した店が辞めました。日本人の利用者はそう広がらず、いっぺんに20数店もできて、でき過ぎです。

 

 韓国風ドッグのところは道路で立ち食いしている客が多く、車いすでは通るのが困難です。

 

171231_094902

 

2、3ページは

 

「東京五輪後へと続く駅周辺・再開発」

 

ロッテ新宿工場跡地

 

「再開発に向けて検討」、「住宅展示場として暫定利用!?」

 

171231_095001

 

2017年に、新大久保の街について「こういちの人間学」に書いたこと

 

カテゴリー「大久保の街紹介」から

 

12・23「更地になったロッテ工場跡地。2273坪の広大な土地どうなる」

 

11・25「大久保・百人町地区の外国人について人口比較。1,2丁目日本人3割」」

 

5・14「5か所の東京新混雑エリアと新大久保のネパール料理店」

 

4,24「2017年の新大久保駅周辺の状況。だいぶ若い女性でにぎやかに」

 

1,29「新宿新聞、ネパール店が急増。リトルカトマンズと」

 

1,9「NHK日本紀行。大久保ドリーム。多国籍タウン夢追い人」

 

2016,12,30「大久保コリアタウンの現状 -大幅に変化、2017年、新宿新聞の元日号から」

 

◎興味がありましたらご覧ください。2017年前半まではネパール料理店に勢いがありました

2017年12月28日 (木)

2017年度第8回(2018,1月)人間学研究所・実用的人間学合同例会・中止 部会の変遷

人間学研究所第138回・実用的人間学第98回合同例会  中止

 

1、日 時 : 2018年1月26日(第4金曜日)18時より

 

2、場 所 : 人間学研究所事務所  新大久保

 

          東京都新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル3階

 

3、講 師 : 倉田 眞氏 人間学研究会員

 

          元毎日新聞西日本編集局長

 

4、テーマ :「データ、世論調査に見る政治の陥穽(かんせい)」

 

この例会は中止となりました。3月22日に開催されます。

 

問い合わせ・連絡は以下へ

 

  木村 廣子 (電話:090-4064-5174)

 

人間学研究所

 

   所長 柴田義松 東京大学名誉教授 (教育学)

 

参考 人間学研究所の部会の変遷

 

1991年4月 第3次人間学研究会 (人間学研究所準備室)

 

          (第2サタケビル2F)

 

1993年5月 実用的人間学研究会 (第1次)

 

1999年4月 人間学研究所設立(第2サタケビル)

 

教育人間学部会

 

1999年5月 第1回教育人間学部会例会 

 

2003年3月 後期教育人間学部会、14回で終了

 

2004年2月 第1回新教育人間学部会・

 

        途中から人間学研究所例会に、現在に至る

 

2010年3月 第2サタケビル2階から、佐竹ビル3階に移転

 

2018年3月 第138回人間学研究所例会 

 

 

実用的人間学部会

 

1993年5月 第1回実用的人間学研究会(人間学研準備室、第1次)

 

1999年5月 第1回実用的人間学例会(人間学研究所、第1次)

 

2003年8月 第1回実用的人間学部会(第2次)

 

2008年4月 実用的人間学研究会 第1回、(第3次)

 

       人間学研究所の姉妹団体として 現在に至る

 

2010年3月 佐竹ビル3階へ

 

2018年3月 100回例会 予定(98回に)

 

2017年12月26日 (火)

山火事は温暖化のせいか。2017年は「温暖化論」に転機の年、産業界,報道に変化か?」

1、 2017年12月25日の毎日新聞は”現場報告 トランプと世界”の特集
、1面と7面は大きくカラーで、「温暖化 南欧で災害、パリ離脱、厳しい目、欧州は目背けるな、温暖化火災、各国を提訴へ、ポルトガルの住民、米の抵抗続かぬ」という見出しです。
 毎日新聞が一時に比べ、「温暖化問題」についてあまり熱心に報道しないと思っていましたが、再び記事を目にしました。
171225_091901_2
毎日新聞1面の記事です。
 ポルトガル中部の山火事で60人以上が犠牲になった。「惨事の背景には地球温暖化がある」と考える被災地住民らは今、温室効果ガスの削減強化を複数の欧州主要国に求める初の訴訟を準備している。
171225_092001_3
 EUでは、 2017年の山火事で発生した焼失面積は99万ヘクタール、それに対して、08年から16年の平均焼失面積は23万ヘクタールである。
 ポルトガルでは人々が「欧州各国政府が温暖化対策を怠った」として欧州人権裁判所に提訴する準備を進めている。
 人為的なCO2の増加が気温上昇をもたらし、それが干ばつを引き起こし、山火事を引き起こしているというのだが果たして本当にそうなのか。
 一説によれば、いままでの気温上昇傾向はCO2の増加よりも一定の気温上昇の流れの時期により上昇したが―といっても100年で0,7度程度だがーこれからは太陽活動の衰える時期になり、近いうちに寒冷化に進む可能性が大きいと異説が多く唱えられています。
 「米国第1主義」をかかげるトランプ政権は、先進国最大の排出国が負うべき責任から背を向けパリ協定離脱を宣言。温暖化知策で途上国を支援するための資金拠出も停止しました。
 少し前に書いたブログで、CO2地球温暖化説に対する対応が、新聞各紙により微妙に変わってきています。一番熱心なのが共産党の赤旗です。毎日新聞はCOP23の会議中の報道はあまり熱心ではありませんでしたが、今日のこの記事で、トランプ大統領に反対で、温暖化に反対の姿勢を明らかにしています。一番変化が大きいのは日経新聞で、COP23の報道もほとんどせず、「地球が危ない」の連続記事でも、前半は動物の絶滅は温暖化のせいだといっていたのが、COP23後の、「続地球が危ない」では今のところ(3回まで)温暖化ということは触れなくなりました。
 もともと、動物の絶滅、減少は、人間によるものがほとんどなのですが、日経新聞の「地球が危ない」前半は温暖化のせいにしてあったので違和感を感じていました。後半の続く、は人間のせいで絶滅に瀕したが、保護活動により個体数が回復してきたというまっとうな記事になっています。
 「不都合な真実2」を見ると、何でも不都合なことは、温暖化のせいだとしてしまっています。温暖化によって、こういう良いことがあったなどということは絶対に書きません。
2、2017年は「温暖化論」に関しての転機の年であり、ブログ筆者にとっても「温暖化論」で明け暮れた年でした。
「こういちの人間学ブログ」の記事ではカテゴリーのうち、「温暖化論」は全部で37でしたが、そのうち2017年に書いたのものは約半分の18にも達しました。
 そのもっとも大きな影響は2017年6月1日に、アメリカのトランプ大統領が、パリ協定からの脱退を表明したことでした。
 2017年11月6日から始まったCOP23はドイツのボンで開かれましたが、その頃から、日本の実業界の「温暖化論のたいしての態度が代わりはじめ、その代弁者たる日経新聞などの、報道姿勢が変わってきました。
 何しろ温暖化論の優等生のつもりが、石炭による発電に積極的だとNGOはじめ諸外国のごうごうたる非難にさらされたのですから。
6月22日の「人間学研究所の例会で、筆者が話したテーマも「CO2地球温暖化仮説について」でした。
2018年3月末発行予定の、「人間学研究所年誌2017」NO15の記事も「CO2地球温暖化仮説。2017日本の経済界、報道界の空気変わる」でした。
今までの日本において、熱心に「温暖化懐疑論」を唱える者はどちらかといえば異端児であり、そのせいか、ブログアクセスも減り気味でした。
2017後半の報道の変化については、ブログにいろいろ書きました
最近書いた、ブログで、報道機関の温暖化論に対する報道の変化について書いたブログを参考までに提示します。。
2017年11月18日
「北海道のワイン、温暖化で脚光、日経記事、温暖化非難一辺倒の風向き変わる」
 
2017年11月06日
「温暖化  COP23きょう開幕。赤旗は熱心だが、他の新聞は関心薄い。日本の経済界は温暖化論見離し」
皆さんはどうお考えでしょうか。
日本は見事に世のなかあげて、「温暖化論」支持です。
 日本においては今まで、「温暖化論」を支持する人は70%以上だといわれます。環境・公害問題に対して真剣に考える真面目な素直な人はほとんど「温暖化論」支持です。今まで国を挙げてすべての政党、新聞が温暖化論支持なのですから無理もありません。筆者の身の回りの真面目な人も大体温暖化論支持者です。膨大な予算を投じて宣伝し、小さいときから、「シロクマがかわいそうじゃないか」と児童書などでも宣伝するし、学校の副読本でも勉強するのですから無理もありません。
 いままで日本も温暖化論とCOP支持の優等生を自任していましたし、排出量はほんのわずかなのに、3兆とも4兆ともいわれるアメリカが抜けた後では世界1と言われる膨大なお金を温暖化対策につぎ込んできましたから、ほめられるつもりが、強く非難され面くらっているに違いありません。安倍首相は4兆円をつぎ込むと自慢していました。
・ 
 アメリカではそれに対し、温暖化論に反対する学者、やマスコミの意見が強く、何しろ共和党が温暖化論に反対です。ですから国民の40%しか温暖化論を支持しないといわれます。
イギリスでも温暖化論に反対する学者・グループの動きは強力です。
12月27日 追記 「恐怖の存在」、日本は翻訳の壁
 アメリカやイギリスは、温暖化論に対して、極めて優れた批判的な著作があるのですが残念ながら、翻訳されなかったり、あまり翻訳されても読まれなかったりもします。
 たとえば、コメントをいつもたくさんいただいているイチロウさんに紹介されたマイケル・クライトンの小説、「恐怖の存在」です。
 マイケル・クライトンは「ジュラシック・パーク」など多くのすぐれた小説を書いていて「恐怖の存在」も欧米ではよく知られた著作です。この小説を読むと「温暖化論」がいかに、それによって利益を得る連中によってねつ造されてきたかがわかります。
 しかしながら、日本においてこの本を読んだ人はほんのわずかでしょう。日本には翻訳の壁というものがあるのです。
追記 2017年度の「地球温暖化対策関係」の政府予算額のまとめ 環境省がレポート
イチロウ様から貴重な資料をいただきました。転記させていただきます。
2017「地球温暖化対策関係」政府予算額 環境省がレポート  環境ビジネスオンライン
 
2030年までに温室効果ガスの削減に効果があるもの 4325億円
     経済産業省              1346億円
      省エネルギー投資促進       673億円
  農林水産省              1322億円
  環境省                 1283億円
2030年以降に温室効果ガスの削減に効果があるもの 566億円
  経済産業省              365億円
  文部科学省              102億円
  環境省                 99億円
その結果として温室効果ガスの削減に資するもの   2903億円
  経済産業省              1154億円
  環境省                 526億円
基礎的施策など                         382億円
合計                              1兆3270億円
詳しくは直接ご覧ください。これは国の予算のみです。これと同等の地方自治体の予算があります。さらに大学などの研究費は別です。合計3兆円とも4兆円ともいわれる。1世帯当たり年20万円とも言われます。
この無駄なお金の少しでも、生活保護費を削ったりしているのに回せればどれだけ助かることか。国民には消費税を上げようとしているし。
 これだけのお金をかけて温室効果ガスを減らし、地球の気温を下げられたのでしょうか。
トランプ大統領の推し進めていることは、温暖化問題以外は反対です
 トランプ大統領と共和党が推し進めている、諸政策のうち、温暖化対策に無駄なお金をつぎ込むことに反対するのはいいことですが、そのほかの諸政策の大半は反対です。
 12月6日、トランプ大統領はイスラエルの首都をパレスチナと認め、アメリカ大使館をテルアビブから移すといった。これによりイスラム諸国の反発をかい混乱を生じます。
 法人税を大幅に下げるのは、他の諸国並みに下げ、税金をアメリカで払うように変えるのでしょうが、一般庶民への福祉の後退など感心しない政策ばかりです。
 多くのトランプ大統領の政策はあからさまにアメリカの大企業のための政策です。
化石燃料なしで全世界の発電が可能なのか?
 温暖化問題でもアメリカの石炭産業などがトランプ大統領を支持しているからなのであり、石炭産業での雇用などわずかなのだから、政策転換すべきだ、とかいう考え方がよく言われます。電気はクリーンだといいますが、では発電をどうするかが問題です。しかし、現実にはアメリカだけではなく、先進、後発諸国を問わず、CO2を出す化石燃料(石油、石炭、天然ガス)を抜きにして、クリーンだとされる光、風力、水力などだけでは、能力的にまったく不可能なのです。もう原子力は安全確保にお金がかかり、効率がよくありません。アル・ゴアの「不都合な真実2」では、デンマークでは、1か月風力だけでまかなったと書いてありますが、アメリカや日本で風力発電で賄うなど現実的でありません。
 ヨーロッパなどでは電気自動車へのシフトが急速に進んでいますが、ハイブリット車で先行する日本などに対抗しようというのです。
日本政府、報道機関も変わる?
 前にも書きましたが、日本などが開発を進めている、有害な廃棄物を出さず、極めて効率の良い石油、天然ガス、を使った高効率発電装置―それを使えば中国やインドなどで問題となっている公害問題も解決されるのです。その石炭による高効率発電装置とそれのための融資を非難されました。このように日本の主張はCOP23は否定しました。今後日本の産業界、それに依存する日本政府の態度も変わって来るでしょうし、日経新聞などにすでに表れています。
 安倍首相の対米従属ぶりはトランプ大統領の来日の時に見事にまで示されました。よくトランプ大統領に物申すべきと言いますが、とても無理なことです。温暖化問題でも日米ともに利害が一緒になれば、温暖化論べったりの姿勢から容易に変わることでしょう。
 果たして、2018年はどのような展開をするのでしょうか。
2018年追記 石炭火力、環境省「脱炭素へ」×経団連「必要」
毎日新聞、2018年1月17日、朝刊の記事
中川雅治環境相は16日、経団連の榊原定征(さだゆき)会長ら幹部と面談し地球温暖化対策について意見交換した。二酸化炭素排出が多い石炭火力発電所の国内新増設や途上国への輸出が海外から批判を浴びる中、中川環境相は「世界のビジネスも政治も確実に脱炭素に向かっている」と強調したが、経団連側は石炭火力の必要性を訴え、認識の違いが改めて浮き彫りになった。
経団連側は国内新増設について、「電源構成の見地から必要だ」、途上国への輸出は「高効率の発電所を輸出すれば、地球規模で温暖化対策に貢献できる」と主張した。
また炭素税や排出量取引の形でCoz2排出を有料化する「カーボンプライシング」の導入に向けた議論を環境相が進めていることに対し、経団連側は「規制敵手法をとると日本企業の国際的競争力が弱まる」など、否定的な意見が出たという。
中川環境相は「石炭火力を輸出するする姿勢そのものが厳しい目で見られている。経済界の意見には重みがあるが、我々の思いを共有し前向きに取り組んでほしい」と話した。
◎温暖化論の連中は、何でもかんでもCO2排出反対の原理主義で、石炭火力発電で高効率発電で、CO2排出や、汚染物質を抑えるなんか見向きもしない。原子力もCO2を出さないからと容認する連中である。環境省と経団連の対立が深まれば、経団連の政府への圧力が増し、アメリカのように、環境省の反対があっても温暖化論否定の方向に変わっていくかもしれません。
1月29日追記
 1月29日の「赤旗」の「主張」で、「石炭火力」の推進―「脱炭素化の流れに逆行するな」という記事が載りました。
 石炭火力は火力の中で最もCO2の多い発電で、液化天然ガスの2倍以上です。
安倍首相は22日の施政方針演説で「世界の脱炭素化をけん引していくと」述べました。しかし実際にやっていることは全く正反対です。国内では、既存の約30基の石炭火発に加えて、新設計画が約40基に及んでいます。 仙台市な地方自治体の反対がある。~
 日本が官民一体でアジア諸国での石炭火発の新設を進めていることや、トランプ政権と、石炭火発技術を輸出する方針で一致したことには国際的な批判が沸き上がっています。
 安倍政権がエネルギー基本計画で、原発とともに、石炭火発を「ベースロード(基幹電源)に位置付け、活用していることは重大です。石炭火発を「高効率」にすると言っていますが、削減される排出量は10から20%減に過ぎず、新規に増やされれば総量の規制にはなりません。
 原発ゼロと、石炭火力から脱却して、発電コストが世界的に低下してきた太陽光、風力など再生可能エネルギーによる電力供給に大胆に転換すべき時です。
◎原子力発電は論外です。地元住民の反対もあり再稼働は容易ではありません。石炭火発は、地球温暖化説が正しいとすれば、少しは違うでしょが、正しくないとすれば、効率が良い発電です。風力や太陽光でもって、日本のような大量に電気を使う国では、すべての発電を賄うのはとても無理な話です。
追記:イチロウさんのコメントで特に参考になるものです。
「2017年クルマ業界」現実離れしたパリ協定、総EV 総化は本当に地球を救う?
 
 

2017年12月23日 (土)

柴田義松氏の教育的人間学。2017年12月人間学研で米寿のお祝い。2018年10月ご逝去されました。12月14日偲ぶ会。

柴田義松先生、寿のお祝い、を兼ねて忘年会 (2017年12月14日)

180109_200002

前列左から3番目が柴田先生。

 このブログは2010年8月に書かれたものですが、追記して更新しました。

 本来は柴田先生は2018年11月に満88歳になられますが、ちょうど忘年会に兼ねて少し早めてお祝いを、と木村先生の提案で開催することになりました。

 場所は昨年と同じ居酒屋の文蔵で開催されました。参加者は少し少なく12名でした。ブログ筆者の住まいに近いところに設定していただきました。

 筆者が司会役でお話ししました。

最初に「柴田先生、米寿おめでとうございます」、「柴田義松先生と人間学研究所」

という資料を皆さんに配布しました。

1960年 、柴田義松氏が女子栄養大学の教員(教育学)となる

1969年 女子栄養大学にユニークな人間コースができ、柴田先生のもと小原秀雄氏(動物学)、岩城正夫氏(原始技術史)が招へいされる。人間学の名で様々な本が出版される。

1985年3月 学士会館に柴田、小原、岩城氏と佐竹、野本さんらが参加。人間学研究会を 作ることになる

1985年5月 人間学研究会できる(第2次) 柴田、小原、岩城、佐竹ら、佐竹ビルにて数年で活動中止

1991年4月 人間学研究会再発足(第3次)人間学研究所準備室できる 第2佐竹ビルにて

1993年5月 実用的人間学研究会出来る

1999年4月 人間学研究所できる 所長柴田義松 現在に至る

 「人間学研究所通信NO1」の発行

2000年12月 「人間学研究所年誌」2000発行 初めて国会図書館でNO1

2002年11月 総合人間学研究会出来る 20回研究会開催 事務局は人間学研究所その後学会へ

2004年2月 人間学研究所、新教育人間学部会 現在に至る、2017,11、例会137回 2018年11月145回

    3月 「道具と人間」シリーズ 3巻発行 明治図書

2006年5月27日  総合人間学会設立記念集会 明治大学 300名参加 会長小林氏(憲法学) 柴田義松氏は小原氏とともに副会長

2006年 11月 シリーズ「総合人間学3」柴田先生 著と監修「現代の教育危機と総合人間学」 学文社 筆者は資料として、「人間学と人間科学の現状」を書く

2017年12月 忘年会兼柴田先生米寿の祝い

2018年10月 柴田先生ご逝去

2018年12月 柴田先生をしのぶ会

・祝う会では、資料説明後、柴田先生からのお言葉、それぞれの方からのお祝いの言葉。

みんなの寄せ書き、記念品贈呈ということで、お祝いの会としました。

2018年11月3日(土)追記、柴田先生のご逝去の知らせ

長らく入院されてから柴田先生の様子がわからなかったのですが、10月の半ば頃亡くなられていたということを、10月29日に木村廣子先生から連絡が入りました。

人間学研究所の今後の予定を書いた葉書を会員さんにお送りしたばかりですが、岩田所長のご提案で、「人間学研究所通信」の柴田先生の追悼文特集号を出すことになりました。それで急遽また葉書を出し柴田先生の追悼文特集号の記事募集のお願いをすることになりました。

2018年12月21日に”柴田義松先生を偲ぶ会兼忘年会”

を新宿区百人町3-1-5西戸山タワーホームズ集会室にて午後6時から行います、

参加ご希望の方は、pcr92240@nift.com、佐竹までどうぞ。

◎柴田義松先生は人間学研究所ができてから、今年まで18年間一貫して所長を務めていただきました。研究会員の中には柴田先生に教えを受けた方も多く、人間学研究所においては重要な役割を果たされてきました。

 人間学研究所では研究活動のみならず、研修会終了後の飲み会、カラオケなど楽しいひと時をご一緒できました、千葉の白浜温泉に1泊旅行をしたのも思い出されます。柴田先生は足が弱くなられ研究所の3階まで上がるのが難しくなりました。それで、ブログ筆者の近くの歩いてこられるところに年3回ぐらいは開催したいと思っていますということを提案しました。ブログ筆者も助かります。

◎これ以後は2010年8月に書かれたブログです

 柴田義松氏は今年11月19日に80歳になられます。8月10日には著作集7巻を学文社からだされました。柴田義松氏は愛知県に生まれ、名古屋大学から東京大学大学院に進まれました。修士論文が、ウシンスキーの「教育的人間学」で、その後に取り組む、ヴィゴツキーとともに、柴田氏の理論の中核をなすものです。柴田氏は1960年に明治図書からウシンスキーの『教育人間学』に訳書を出されてから、国立国会図書館に登録されている本で現在208冊を数えるほど多くの本を出しておられます。

 柴田義松氏と佐竹幸一との出会いは、1969年に柴田義松氏が女子栄養大学に、教授としてまねかれ、その後小原秀雄氏や、岩城正夫氏とともに画期的な「人間学科」(人間学コース)をつくられました。その後、佐竹もお会いしてお話する機会があり、しばらく休止していた、人間学研究会を再開しようということになり、1985年に第二次人間学研究会がスタートしました。その後は小原、岩城氏と共に、1991年の人間学研究所準備室、1999年の人間学研究所の設立に至りました。柴田義松氏は人間学研究所の設立から2010年の現在まで、ずっと所長をしていただいております。人間学研究所を母体にして、2002年には総合人間学研究会、さらには発展的に解消し総合人間学会になり、ずっと副会長を務めておられます。大学は東京大学の教授となられ、学科長も務められ、その後成蹊大学の教授もつとめられました。

 ロシアからソビエトに至る教育の紹介という点においては、第一人者で、多くのお弟子さんがいらっしゃいます。今度著作集の出版記念パーティーと80歳の誕生祝いがありますが、多くの方が参加されると思います。専門は教授学で、教育内容・教科内容と教材の区別を提起したことはその後の教授学研究に革新をもたらしました。長らく日本教育方法学会の会長も務めておられました。また、略して「教科研」というのでしょうか、現在も月一回、人間学研究所で、教科教育内容などのビデオなどを会員と一緒に見ながら研究を続けておられます。

 柴田義松氏とのお付き合いは、小原秀雄氏とのお付き合いほどは長くないとはいえ、もう30年ほどになります。(33年)まだまだとてもお元気でその活躍ぶりには本当に頭が下がります。1メートル80センチ以上の長身です。この年代の方ではきわめて長身だと言えましょう。また普段の会議などではあまり、発言をされないのですが、発言をされるときには、きわめて簡潔かつ的確なお話をされます。また講演をしていただく時には、きちんとした話でテープ起こしをするとそのまま原稿になってしまうようにきちんとしています。しかしいかにも大学者という雰囲気を漂わせていますがおよそ偉ぶるということは全くなく気さくにお付き合いをいただいております。人間学研究会の例会のあとの懇親会では、お好きな日本酒を飲むのを楽しみにしておられます。最近はカラオケも歌われます。

 人間学研究所で出している、『人間学研究所年誌』や、『人間学研究所通信』(HUMANOLOGY)などの原稿も以前からきちんと、ワ-プロでつくっていただくので、大変助かります。携帯電話もすぐに使いこなして、おとしの割にと言っては大変失礼ですが、新しいものもどんどん積極的に取り組まれているのはすばらしいことだとおもいます。

 ブログ筆者が、総合人間学会を皆さんとともに設立した時に、3冊の「シリーズ人間学」の本が出版されました。ブログ筆者は本の出版に当たり、2つの文章を書きました。一つは「人間学とは何か」であり、一つは人間学に関する資料集でした。2つとも出版社に送る手配をしたのですが、小林直樹氏と小原秀雄氏が相談して、筆者(佐竹)の文章は載せないことにしました。出版社から校正が来ないのでおかしいと出版社に言ったら、佐竹の文章は載せないと小林氏と小原氏で決めたというのです。小林氏は親せきの人が病気でとか言っていましたが。筆者が哲学的人間学を批判的に書いたのが気に入らなかったようである。

 柴田先生は急遽、2つのうち1つは柴田先生の巻に「人間学と人間科学の現状」資料集を載せてくれることになりました。本文の部分は後で「人間学研究所年誌2006」に「人間学ノート」として載せてもらいました。柴田先生には本当に感謝いたします。

 柴田氏は、ウシンスキーの『教育人間学』を翻訳し、「教育的人間学」という言葉をもっともはやく提唱したのが、ウシンスキーであると紹介しました。『教育的人間学』は1960年に明治図書から翻訳が出され、2010年に学文社から新訳版が出されました。ウシンスキーについては改めて、ブログで紹介しますが、ずっと教育的人間学の立場で研究し、現在でも人間学研究所の主要部会が「教育人間学部会」になっているように、永年教育人間学を提唱されている柴田義松氏が、1999年に出版された『日本の教育人間学』皇 紀夫・矢野智司篇(玉川大学出版部)に勝田守一、森 昭、大田 堯、堀尾輝久、和田修二などという人がのっているにも関わらず、柴田氏の名前がないのは、おかしいなと感じています。

追記  2018年12月25日、”HUMANOLGY”(人間学研究所通信)83号が発行されました。

今号は「特集 柴田義松先生(前人間学研究所所長)のご逝去を悼む」で、2ページから15ページまで、10人の方が追悼文を寄せられました。

偲ぶ会については、下記をご覧ください。

「こういちの人間学ブログ」2018年12月15日

「2018年12月14日 人間学研 柴田先生を偲ぶ会兼忘年会 『人間学通信82号』発行」

.http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/12/20181214-4194.html

2017年12月19日 (火)

皮膚科受診のため、12月18日慶応病院へ,あと4回病院へ1月16日、2月13日再度検査,4,17最終

 今年(2017年)は、今までかかったことのない皮膚科に何度もかかりました。初めは巻き爪で山手皮膚科クリニックで手術をし、今度はかゆみで2つの診療所と慶応病院へ行きました。
 慶応義塾大学病院(東京都新宿区信濃町35)は診察していただいた、東新宿駅前皮膚科クリニックの院長さんがおられた病院が慶応病院で、そちらに紹介状を書いてもらいました。東新宿皮膚科で何らかのアレルギーがあるかと検査しましたが全項目該当なしでした。
皮膚のかゆみと炎症の状況は以前のブログ(2017年11月)に書いてあります。ご覧ください。
「皮膚のかゆみに困っています。原因はわかりません。ステロイド剤について」
慶応義塾大学病院皮膚科へ
 初診日は12月19日ということで、介護タクシーを予約、8時ころに来てもらいました。8時半ころ飯田橋の慶応病院に到着しました。
 慶応病院は以前母が脳出血の手術を受け、見舞いで何回か行きましたが自分が病院に行くのは初めてです。
 慶応病院はかなり混むといわれていましたがそうでした。来年春大きな病棟が完成するみたいです。
171219_120301
病院入り口にある福沢諭吉の銅像
診  察
 今日の診療窓口は4つで、私の担当医は、海老原 全(たもつ)先生でした。
海老原先生は慶応義塾大学准教授で皮膚アレルギー分野が専門のようです。
診察の時には4,5人研修医と思われる人たちがいました。
どうも薬疹が疑われるとのことでした。
 その後血液検査と尿検査をしました。その後診察費を支払い薬を薬局でもらいました。
 
今後の予定は
2017年12月25日(月)14:00~14:30  生検・手術
        1cm紡錘状に炎症が起きた皮膚を切り取り、検査する そのあと縫合する
       この部分にはステロイド剤を手術の日まで塗らないようにということでした。
   背中や、おなかの部分とか言われましたが右の腕にしました。
2017年12月26日(火)10:30~11:00   消毒、処置
2018年1月1日(月) 11:00~11:30   抜糸
2018年1月16日(火) 10:00~10:30  診察 海老原先生
処方された薬は
171219_125001
ピラノア 20mg   1日1回  就寝前
   アレルギー性鼻炎、かゆみを抑える薬
 
アンテベート軟膏 100g
   皮膚の炎症を抑える薬 1日2回
病院からタクシーで帰ってきましたが、12時半ごろでした。
今後の結果は追記していきます
12月23日
 ステロイド剤の効果か次第に快方に向かっているようです。
見た目は、黒ずみ、悪くなっているようにも見えますが、それは終期です。
ともかく、原因を知りたいです。
最近は
いつも長年使っていた点鼻薬は使うのをやめました。やめても大丈夫です。
時時飲んでいた市販の風邪薬(パブロン)はやめました。
痛み止めの貼り薬もやめました。(インドメタシン・パップ)
食べ物少なくし、お酒もほとんど飲みません。―痩せました
12月25日(月)
 午後、生検、手術 かなり病院は混みました
右腕の1か所、スレロイド材を塗らない部分を切り取る手術
消毒、麻酔注射、手術、1センチほど皮膚を切り取り、縫合(3針)
麻酔で痛みは無し、かゆみは強い
あとで痛み止めの飲み薬をもらう―コカール200mg3回分
アンテベート軟膏100g 追加
26日は消毒で病院へ、帰りは電車で
12月29日(木)
 生検のため ステロイド剤を塗らなかったので、右腕のかゆみと、赤みがひどい状態です。
本日久しぶりに入浴します。縫合したところはシャワー程度に。
171228_123901
・2018年1月1日  抜糸に慶応病院へ
2018年1月16日 慶応病院へ海老原先生
   検査結果を聞く 非常に混みました
薬剤リンパ球刺激試験(薬疹を調べる)
フェブリク                 陰性
プレミネント配合錠LD(ロサルヒド)  陰性
2種類のみの検査で再度血液採取をしました
2月13日(火)慶応病院再訪
2種類も異常なし、残るはマグミットのみ。マグミットは今後のまないことに。
かゆみはだいぶ減りましたが、塗り薬の塗り方が少なくなると、また赤い斑点ができます。
塗り薬はアンテベート100g。2つをもらう。
3月13日、再訪
ビラノア20mgをもらう。就寝前1回。アレルギー性鼻炎、かゆみを抑える薬。
1か月後に再訪。
4月17日(火)慶応病院、最終訪問
 症状が大分おさまったので最終訪問ということで。
今度は最初に紹介状を書いてくれた、東新宿駅前皮膚科へ
今日は大変混んで、完全に終わるまで4時間かかりました。
 5月7日に慶応病院の外来診察室などの多くが新病院棟に移転します。

2017年12月16日 (土)

早稲田大学の大隈講堂隣のリーガロイヤルホテルのランチを食べてきました。

 2017年12月12日(火)月二回のお出かけの日に、早稲田大学大隈講堂と大隈庭園のすぐ近くの、リーガロイヤルホテル東京のランチを食べてきました。リーガ・ロイヤルホテルは関西が元のホテルで、系列ホテルを含めると12のホテルがあります。比較的近いホテルなのですが、今回初めての訪問になります。
  新宿区戸塚町1ー104-19、03-5285-1121 高田馬場駅からシャトルバス
171212_131301
レストランはすべて1階にあり、中華料理皇家龍鳳、日本料理なにわ、西洋料理ダイニングフェリオ、カフェ、バー等があります。
 今回は西洋料理のビュフェ、ダイニング・フェリオにしました。
平日ランチは選べるメイン料理・サラダドリンク・デザートで2600円です。牛フィレ肉の網焼きだけ500円+です。すべて平日限定ディナーコースは4700円です。すべて税、サービス料込みです。
 今回はフェリオセットを頼みました。メインを牛肉にし少しプラスで4100円です。赤ワインが600円です。
休日は少し高くなります。
 写真はフェリオの入り口です。
171212_132801
上の四角いさらに入っているサラダは間違えて持ってきてしまった、選べるランチのサラダでした。改めて下のサラダが来ました。でも「どうぞ召し上がりください」、と言ってくれました。どうもすみませんでした。
171212_134401
コーンスープです。おいしかったです。
171212_135901
ビーフのステーキです。うっかりして写真を写す前に切ってしまいました。
171212_140501_2
カニのピラフです。なかなかおいしかったです。
最後にコーヒーが出ました。
171212_142901
ホテルから見た、大隈公園です。
帰りはお土産にお菓子を買いました。

2017年12月13日 (水)

パソコンが不調です・体調が不良ですー身体もひどいかゆみ、その他色々

パソコンの不調
12月13日 パソコンの画面が真っ暗になり変化しなくなります。
前から不調でしたが、ちょうどつながっている時にご連絡します。
コメントいただいてもつながらないかもしれません、
その節は申し訳ありません。
 14日いったん強制終了してからパソコンのふたを閉めてから立ち上げるとつながることがあります。それで書いています。
「ページに安全に接続できません。古い安全でないTLS設定が使用されている可能性があります」WEBサイトの所有者に連絡してください」ところが、青で「直前のページに戻る」しかありません。何かこれが影響しているように感じます。
 昨日日皮膚科へ、結果はアレルギー反応ゼロ。今度は19日慶応病院で検査ということで
 14日夜6時から「人間学研究所」の忘年会、「文蔵」で、柴田義松所長の米寿のお祝いを兼ねて行うことに。
 参加者は今年は少なく12名でした。
追記 12月15日
 昨日の人間学研究所の忘年会は楽しく過ごしました。ビールは1杯だけですが食事は普段の2倍以上食べてしまいました。次の日の食事量を減らしています。
 昨日からかゆみがひどく、よく寝られません。昨日ヘルパーさんが来て入浴してもヒリヒリして入っていられずすぐ出てしまいました。朝もかゆくて早く目覚め、寝不足で頭もぼーっとしています。ふぃふかでもらった薬ももう残りわずかです。火曜日の慶応病院で精密検査してもらうまで、往診の先生にステロイド剤をもらわねば。
12月16日
 いちいち初めから立ち上げなければならないので、面倒ですが、何とかパソコン使えますので、早稲田のリーガロイヤルホテルのランチに行ったブログを一つ書きました。
 最近ブログの記事も減り、アクセスも減り気味です。
2018年発行の、「人間学研究所年誌2017年、15号」の文章を作っています。
 エッセイで、温暖化説についてです。

2017年12月10日 (日)

「新聞記者」、望月衣塑子の本について。戸山高の1年後輩の高原伸夫さんに筆者は同感です。五行歌-民衆の歌について。

望月衣塑子さんの「新聞記者」
171205_153301
この本はメール交換をしている戸山高校の1年後輩の、高原伸夫さんの紹介で書いてみました。
 2017年10月10日発売で、11月10日にすでに3版でした。買いに行きましたが、近くの芳林堂書店には在庫がありませんでした。通販で『武器輸出と日本企業』とを含めて購入しました。
 前のブログにも書きましたが、体中に湿疹?が起き、体中がかゆく、あまり夜もよく寝られません。そのためにも本をじっくり読んで、ブログを書く気力がなくなり、2週間ぶりの更新となってしまいました。
 本の詳しい紹介は無しにしまして、高原伸夫さんのご紹介を中心にして書くことにしました。
2017年12月21日追記
芳林堂へ行きましたら、「新聞記者」が売れ行き第4位でした。やはり大きな注目を集めていることがわかります。
 
.
171208_164401
 望月衣塑子さんは東京・中日新聞の記者で、慶大卒。前は防衛産業を取材し本を書いています(下記)。その後2017年6月8日の官房長官記者会見の取材で、加計学園問題に関して、40分の時間をかけて23回の質問を繰り返し注目されました。
 望月衣塑子で検索すると、(アット・ニフティ)、最初は望月さんのTwitterで次はウィキペディアの記事で、3,4番目は望月さんを攻撃する産経ニュースなどの記事です。そのあと支持する記事、攻撃する記事と入り乱れています。
「新聞記者」の内容
目 次は
はじめに 
第1章 記者への憧れ
第2章 ほとばしる思いをぶつけて
第3章 傍観者でいいのか?
第4章 自分にできることは何か
第5章 スクープ主義を超えて
あとがき
 
171205_153302
 2016年7月10日発売、角川新書、800円+税です。
 世の中が、安倍首相のもと、着々と昔の大日本帝国復活を目指す勢力が力をつけ、いやな世の中に向かおうとするとき、戦争の悲惨さを心の底から感じ、戦中、戦後のひどい時代を知っている我々にとって、さまざまな。攻撃をものともせずに奮闘されている望月さんの奮闘に心から、共感するものです。
戸山高校1年後輩の、地元大久保につながりのある高原伸夫さんについて
 この本は、前にも書いたように、2017年10月ごろからメールをいただいている、戸山高校で1年後輩にあたる高原伸夫さんから、教えていただきました。高原さんはいろいろメールでお話を伺うと、さまざまのことで縁がつながっているころがわかりました。高原さんのことを紹介させてくださいということで、許可を得ましたので、皆さんにご紹介します。
 高原さんは、元のお住まいが大久保で、小学校は大久保小、戸山小と違いますが、大久保中学と戸山高校は同じでした。大学は私は東京教育大、高原さんは東大と違います。今の主たるお住まいは福岡ですが、お母さんが住んでおられた自宅はそのままで月の4分の一は大久保に来られるそうです。
 10月27日のNHKの放送で、「異国の香り、新大久保」という番組を見て、さらに新大久保について詳しく知りたいと検索していましたら、筆者のブログにたどり着いたそうです。
 いろいろ、メールでお話していると、いろいろな点で縁が深いことを感じました。
 戸山高校では新聞部で、戸山高校では筆者と同じクラスの望月さんや戸田さんと同じ部であったこと、東大のサークルでは教育研究会に所属しそこの顧問は、前身の総合人間学研究会(筆者は設立者の一人事務局長)の時から会員で、総合人間学会の3代目の会長である堀尾輝久氏だったこと。戦前戦後の悲惨な時代を経験し、戦争はまっぴらだということを強く思っている、などにも共通点がりました。
 2016年1月12日の筆者のブログに「戦争伝える最若手が手記 戸山高1年後輩が自費出版、本が届きました」というものがありますが、高原さんはそこにも記事を寄せられていました。400人の卒業生のうち35人が手記を寄せました。
本の名前は「私たちの戦争体験」桐書房です。
160117_123401
 ブログ筆者が思うに、当時の戸山高校には数学の武藤先生のようなとても素晴らしい先生がいて、その影響も大きかったように思います。
高原伸夫さんのその中での文章は「私が終戦前後,見聞、体験したこと」という内容です。
要旨を書いてみます。
ーこの本はまだ在庫があるのでしょうか、高原伸夫さんで検索するとわかります。
 「戦争で高原さんのお母さんの兄弟二人が戦死し、伯父と叔父も戦死しました。お父さんは病弱で戦争に行かなかったため生存しました。
 筆者の母方の伯父は中国で戦死しました。父は前後7年も満州に中国にと兵隊として行ってきました。当時の厳しかった話は父からよく聞いています。中国だから生き残ったけれど、南方に行っていたら生きていなかったろうといっていました。
 終戦直後は大久保で10歳くらいまでバラックに住んでいました。厳しい生活でした。筆者も大久保の地ではじめバラックの家でした。自宅から遮るものが何もなく伊勢丹のビルがよく見えました。
 戦争が嫌いなのは全てが焼け跡の灰のにおい、が強烈に残っているからと書いておられます。同じ世代で、同じ地に住んでいたものとした、まったく同感です。
新憲法は私という人間の骨格となっている。
 筆者にも戦後しばらく受けた非常に民主主義的な教育の影響も大きかったのです。
 その後の日本はアメリカの直接の占領から、間接的な半占領状態に変わりました。
筆者ーアメリカのトランプ大統領に対しての安倍首相の卑屈なおべっか使いの状態を見てもそのことはよくわかります。筆者も同感です。
 高原さんは、大学卒業後、総合商社に入り、日本が世界中で取引できるのは平和憲法のおかげだと痛感しました。ベルリンフィルハーモニーのコンサートで、隣の席が、ドイツのヴァイツゼッカー大統領と握手を交わせたのもいい思いでだと話しておられます。」
 高原さんと筆者は同じ大久保の地で同じ戦後の荒れ果てた大久保の街を体験しているのです。
 高原伸夫さんは文学的な面での活躍もしておられます。高原伸夫と検索すると、いろいろと記事が掲載されています。
その中で、「五行歌」のことがたくさん出てきます。福岡と東京で奥さんと共にその普及活動をしておられます。福岡ではカルチャースクールもやっておられます。そして詩集「南の風」を発行しています。最新号を送っていただけるとのことでした。届きましたら、またご紹介します。
 いろいろな立場、年齢の人たちが、自由に歌を作っています。そしてその感想を述べあっています。いいですね。
 学会などでは思想的立場の違いを、査読などと称してふるいにかけます。筆者は総合人間学会を設立した一人ですが、哲学的人間学に対して批判的な論文を出しましたら、哲学的人間学の立場の会長などが、私の原稿を勝手にボツにしました。再度復活して監査役になりましたが、学会で発表した文章を、またほかの人により査読と称して否定されました。筆者よりこと人間学に関してはよく知らない人間が、例えば第何次人間学ブームとかは聞いたことがないとか言って否定しました、いやな世界です。
 
このブログを出した日に、高原さんから五行歌交流誌の『南の風が届きました。それも12月号(77号)と10月号の2冊もです。ありがとうございます。追記して、本の画像と、高原さんの五行歌を紹介します。
171210_151801
12 月の今号で第77号になります。大したものです。総ページ、p176内容は
私の歌ーメイン
エッセイ
交流ひろば
その他いろいろです
『南の風』
 定価700円、送料別
編集・発行 「南の風編集グループ」
連絡先 高原TEL/FAX 092-885-3833
会誌は隔月発行
興味をお持ちの方は、ぜひお申し込みください
五行歌に興味を持ち、本誌の趣旨に賛同するものは誰でも参加できます。
会員には会員と読書会員とからなります。
会員になるには1年間8400円。高校生以下半額。
171210_152301
高原伸夫さん(福岡)の五行歌です―まったく同感です。
日本列島の真ん中
信州・佐久の
空は広い
ふんわり白雲浮かべて
時代を眺めている
空いっぱいの
うろこ雲を
軽やかに着こなして
今宵の名月さんは
殊のほか美しい
海があるから
福岡市でも別世界の
能古島
色とりどりのコスモスと
笑顔が風に揺れていた
主のいなくなった
門への道に
今年も咲いた
木槿
何を思っただろう
どうしてこんなに
腹が立つのだろう
傲慢総理は
解散を口にして
平然とNYへ
「一億火の玉」ぶりが
こわい
国防が第一と
新聞が
書き立てる
明恵と外遊します
トランプ呼んでゴルフします
税金じゃんじゃん
兵器も買います
国会論戦は いたしません
総理大臣は
憲法を
守らなきゃいけないって
学校で
習わなかった?
◎信州ののどかな風景、名月の美しさ、福岡の能古島のコスモス、そして木槿の花の美しさ。それに比べて傲慢総理の美しくないふるまいはなんと醜いことでしょう。この2つを見事に対比されています。
  美しいものと醜いものの対比ではなく最初から醜い政治の現状を書く人もいます。その辺は自由なのでしょう。
 会員は福岡の人が多いのですが、全国にいらっしゃいます。
「五行歌の生い立ち」について 高原伸夫 p160
 五行歌の原点がどこにあるのか、民衆の歌の歴史については書き残されたものが少なく研究者も限られている。
 明治以前の短い詩歌はー特権階級のものだけだが、一般庶民が口ずさんで、生まれては消えていった詩歌がたくさんあったに違いない。
①民衆の中にあって、貴族や武家など特権階級のものではない短い歌があった。
②定型に捕らわれないものがたくさんあった。漢詩の書き下しを吟じる詩吟は、七五調とは無縁だった。
③リズムのある詩なのだから行分けは自然だが、紙が貴重だったから短冊に一,二行書きされている。七五調の定律が大部分なので、抵抗なく読まれていた。
④民衆の言葉使いで、技巧に走らず、自然を、人生を、恋を、世の中を詠う詩歌に注目したい。
⑤歴史の表舞台に出ずとも、歌い継がれてきた。作者不明のものも多い。
追記、ブログの更新が遅れた理由
 11月28日から、今まで、ブログの更新をしておりませんでした。前にもブログで書きましたが、皮膚のかゆみがひどくなり、皮膚科にも行き、塗り薬を塗っていますが。あまり思わしくありませんでした。12月9日に違う皮膚科で、アレルギーの原因となる血液検査をしてもらいました。
 かゆみが体中に及び、かゆくて、夜時々目を覚まし、昼間なんとなくぼんやりしています。ブログ更新の元気が出ませんでした。
「皮膚のかゆみに困っています~」
 

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック