1万年前のヨーロッパ人は暗い肌に、黒い髪、青い目、イギリス、スペインなど
1、2018年2月7日のニュースで、1万年前のイギリス人は、暗い肌に黒髪だったことが、DNA 解析の結果わかったと、顔の復元模型が発表されました。目は青く、従来考えられていたのと異なる復元図でした。
すでに、2015年1月に発表されていた、7000年前のスペイン人も(後述)黒い肌、青い目だったと、発表されていました。その他にも7700年前のハンガリー、8000年前のルクセンブルクからも中石器時代の黒い肌を持つ古代人が見つかっており、今回見つかったイギリス人も遺伝的に近いことが証明されました。(National Geographic などによる)
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チェダーマンの復元図
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イギリス―ブリテン島は4万年前ごろに人が住んでいたが、3万年前ごろに極端に気温が下がり人類がいなくなり、1万5000年前に気温の上昇とともに人類が戻った。しかしその後
この時代は最終氷期の時代が終わるころで、最も厳しい寒さとなりました。イギリスのブリテン島は大陸とつながっていました。日本も大陸とつながっていました。その後11000年前ごろから地球の気温は徐々に安定して来ました。
イギリスの南西部で発見された人骨を復元し、DNAシークエンシング技術で分析。
「チェダーマン」と呼ばれている約1万年前の人骨は、1903年に英国サマーセット州のチェダー渓谷で見つかりました。チェダーマンは、遺伝子地図が作成された最古のイギリス人となりました。
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その顔を、英ユニバーシティカレッジ・ロンドンの科学者、マーク・トーマス氏がロンドン自然史博物館の協力で復元したところ、、明るい青色の目の色、わずかにカールした髪、そして黒い肌を持っていたことが明らかになりました。以前にマンチェスター大学での復元図では肌が白く、白人であったが、今回の結果では黒い肌(Dark to Black) であることが明らかになりました。黒肌の確率は76%だそうで、ヨーロッパじゅうで10000年前には黒い肌の人たちが、たくさん住んでいたことになります。(後述のスペイン人なども黒い肌をしています)
また、このDNAは現代のイギリス人の10人に1人が関係していることが明らかになりました。
身長は165センチほどでした。
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チェダーマンの顔の復元作業をしたのは、モデル製作者のアドリエ・ケニス氏とアルフォンス・ケニスという双子のオランダ人で、3Dスキャナーと3Dプリンターを利用して復元した顔に肉を付け加えました。
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トーマス氏によると、肌の色を決める遺伝子はさまざまな場所に点在するので、従来のDNAシークエンシング(遺伝配列の特定)技術によっては判定困難であった。
しかし、新しい技術で、点在する染色体の簡単に行われるようになったといいます。
トーマス氏によると「目の色を決めるのは、ある特定の遺伝子と、その遺伝子の中にある特定の変異体」だと言います。「肌の色は、たくさんの変異体によって決まります」
この地域の人々は時間とともに肌の色が薄くなっていったが、その理由や時期は分かっていない、といいます。
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「肌の色が薄ければ,浴びる紫外線紫外線が多くなり、生成されるビタミンDも多くなるからでしょう。とビラール氏は推測する。ビタミンDは健康な骨を作るのに欠かせないが、紫外線を浴びることでも生成される。しかし、温帯地方では、人が日光を浴びる頻度は少なくなるため、、多くの紫外線を吸収できるように、肌の色が白くなったというわけです。
ビラール氏は肌の色については最も説得力のある説だが、目の色は説明できません。
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2014年の研究での説では、人々が耕作するようになったことで、食生活の多様性が減り,日光からより多くのビタミンD を吸収しなければならなくなったというものだ。なお現在の食生活では日光を浴びなくともビタミンD を賄うことができると彼は付け加える。
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◎白い肌は、突然変異で一定の比率で「白っ子」が生まれます。アフリカの黒人でも生まれます。北ヨーロッパなどでは、「「白っこ」が有利で増えていったのかもしれません。北極でヒグマから白熊が生まれたようにです。また性選択で白い肌が好まれたのかもしれません。現代は白い肌が好まれます。
1万年前のヨーロッパの人々は、まだ狩猟採集をしていましたが、その後農耕が始まり、栄養が穀物に偏り、ヨーロッパの日光が少ないところでは、皮膚の色を薄くして、ビタミンDを摂取する必要があり、次第に肌が白くなったともいわれます。
採集狩猟時代は(日本の場合、縄文時代)は食べ物は変化に富んでいた。しかし農耕時代になると食べ物が穀物類に偏り、また身分の分化により下層社会の人々は栄養不良となり身長も低くなったのです。身長の「平均値は低下しました。
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◎現生人より前にヨーロッパに生存していた、ネアンデルタール人の肌は白く、混血により現生人は2から3%遺伝子を取り込んだと言われます。その取り込んだものの中に白い肌の遺伝子も含まれたかもしれません。
白い肌が生存に有利となり次第に増えていったのかもしれません。
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◎今回、復元されたチェダーマンの顔立ちは、どちらかというと、アメリカのネイティブ(インディアン)に似ています。
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◎イギリス人は、日本と同じように様々な人達の吹き溜まりのように混合しています。1万年前の、チェダーマン、その後に住んでいたケルト人、大陸から攻め込んできた、デーン人やノルマン人などです。
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「こういちの人間学ブログ」
「イギリスの歴史は多くの民族の混合の歴史~」2011年8月
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2、スペインからの古代人、7000年前の復元図
Nature誌のオンライン版で発表。バルセロナの進化生物研究所,イニョ・オラルテ氏
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この男性LA BRANA 1はヨーロッパ人の特徴である色素沈着があり、青い目の遺伝的変異を持っていました。また、2万年以上前のシベリア人の祖先(アメリカのネイティブ・アメリカンとリンクしている)をスカンジナビア人と共有していたことも分かりました。
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場所は北西スペインのレオン近くのLA Brana Arintero洞窟で、そこで見つかった人骨の歯のDNA分析を行いました。
彼は石器時代の人間であり、、狩猟生活が主だった。
その後にやってくる新石器時代の主食成分であるでんぷん質や,乳糖の消化は苦手だったに違いない。
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以前に、青い目の起源はフィンランドあたりに住んでいた人々からはじまったと聞いたことがあるが、7000年前にはすでにシベリアからフィンランド、スペインまでまでの遺伝的連続があったことになる。
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また、白い肌よりも先に、青い目の広がりが先行していたことも今回の調査は示している。
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◎肌の色は黒く、目の色は青で、チェダーマンと同じですが、顔立ちが、チェダーマンと全然違います。いわゆる現代ヨーロッパ人の顔立ちをしています。人により変化はあるでしょうが、チェダーマンの復元図のほうが当時の人たちに近かったように思えます。
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◎ヨーロッパのいわゆる白人は、ずっと前から肌が白いことを自慢していますが、実は7000年から10000年前ころのヨーロッパ人はどちらかというと、いわゆる黒人であった、ということがわかります。前からヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人はいわゆる白人ですが。。。青い目は比較的早く青い目になりましたが、白い肌はかなり後年に変わってきたということは面白いことだと思います。
同じヨーロッパ人でも北方にすんでいた、ゲルマン人(ノルマン人含む)は肌が白いですが南ヨーロッパにもともと住んでいた人は真っ白ではありません。
ゲルマン人、ノルマン人が世界中に侵略していった結果、そのまま世界を支配する形になっています。-イギリスの今の王朝はノルマン系です。
◎日本においては10000年前には、石器時代から縄文時代に移るころです。南方由来の黒潮にのってきた人々や、中国の南方の倭人が主体だったでしょう。倭人は日本だけでなく、高床式住居、稲作、入れ墨をした人々です。
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◎は、筆者の見解です。
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