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2018年4月21日 (土)

国内最古の旧石器時代の人骨、石垣島で発見 港川人との違いは?追記、国内最古の顔復元

 2018年4月20日ごろの新聞各紙に昨年5月に見つかった旧石器人の顔の復元像が出来上がり、国立科学博物館で展示されたと報じられました。追記して更新しました。
2017年5月20日の各新聞に、国内最古、2万7000の年前の全身人骨が、沖縄石垣島の「白保竿根田原洞窟(シラホサオネダバル)遺跡」で見つかったと報じた。

 

 毎日新聞26面には、「旧石器時代の人骨19人分」、「2万7000年前 最古の墓」、「洞窟に風葬」とあり、日経新聞には「国内最古の全身人骨」、「沖縄・石垣島 2万7000年前と推定」「旧石器時代の墓か」とあります。

 

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毎日新聞

 

 沖縄県立埋蔵文化財センター(西原町)は19日、石垣島の遺跡で5年(2012~16年)の発掘調査で、旧石器時代の人骨を1000点超、少なくとも19人分確認したと発表した。出土量は世界最大級。国内最古の全身骨格の人骨もあった。同センターは洞窟を墓にして風葬のように葬ったと判断。旧石器時代の人骨の葬送と墓域がわかるのは初めてで国内最古とみられる。日本の墓制の起源や当時の葬送概念を考える上で重要な成果となる。(墓域を初めて確認した)

 

 人骨の年代は2万7000~1万8000年前。全身骨格がそろった人骨は2体分あり、うち1体の年代は2万7000年前で頭蓋骨を含めて国内最古となる。高齢の成人男性で身長は165センチ。これまで旧石器時代の全身骨格は、沖縄本島の港川フィッシャー遺跡(2万2千年前)でしか見つかっていない。

 

 この人骨は洞窟内の岩陰にあり、遺体はあおむけのまま、ひざは胸まで、ひじは両手が顔に近づくまで降り投げていた姿勢とわかった。他の人骨も岩陰で見つかった。同センターは屈葬の形で岩陰に置いて葬り続けたとみている。

 

当時の死生観反映

 

土肥直美・元琉球大准教授(形質人類学) 毎日新聞

 

 旧石器時代の人骨が19人分も出土するのは世界でもありえない発見。遺体をわざわざまげて葬っているところに、当時の死生観がうかがえる。

 

毎日新聞・大森顕浩

 

白保竿根田原洞窟遺跡

 

 旧石器時代から近世の人骨や骨が出土する沖縄県石垣島の複合遺跡。空港建設に伴う調査で発見され、同県立埋蔵文化財センターが2012~16年に本格調査を実施した。旧石器時代の人骨では初めてヒトのDNA抽出にも成功。中国大陸南部や東南アジアなどが起源のパターンと判明し、日本人のルーツを探る貴重なデータとなっている。

 

日経新聞

 

 東方アジアの人類史解明進む

 

松浦秀治 お茶の水女子大名誉教授 日経新聞

 

 今回の成果から遺跡が旧石器時代人の文化的活動の場であったことが明らかとなり、遺跡の重要性が再認識された。沖縄本島を含む琉球列島各地域からの旧石器時代人骨資料の充実によって、証拠が点から線へまた面へと広がりつつあり、東南アジアの人類史の解明が進むことが期待される。

 

日経新聞

 

 同センターの金城亀信所長は、記者会見で「日本の人類史上に新たな1ページを刻むことができる重要な発見だ」とした。
 全身骨格は高齢の成人男性ととされ、推定身長、165センチで「港川人」より10センチ程度高かったと言い、虫歯のような跡もあった。

 

 同センターは、地中に埋葬せずに風化させる「風葬」が行われていた可能性に言及、。生活の痕跡は見られず「死者を葬る場所と生活の場所が分かれていた」と指摘する。

 

 全身骨格は放射性炭素年代測定値を実年代に合うように補正し、約2万7千万年前と推定した。

 

 全身人骨などは20~28日、同センターで一般公開される。

 

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毎日新聞より

 

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遺跡の場所
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岩陰に葬られた際のイメージ、沖縄県立埋蔵文化財センター提供

 

追  記

 

「しんぶん赤旗」の2017年7月24日号の『科学』欄に大きく半ページを使って記事が載っていました。

 

人骨次々”謎の遺跡”正体は・・・国内最古の墓地だった。みえてきた石垣島の旧石器人

 

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調査が行われていた時の白保竿根田原洞窟遺跡の全景

 

調査に最初から携ってきた土肥直美・元琉球大学准教授(形質人類学)は、「人骨は出るのに、生活の痕跡がないので、私たちは発掘中から人骨は風葬された人たちの骨だろうと考えていました」

 

 土肥さんは「4号人骨の発見で、人骨が風葬されたものであるものだと確信しました

 

沖縄の風葬のやり方は、以前葬られた人骨を奥に集め、空いた場所に新たな遺体を安置します。白保竿根田原遺跡の出土状況は崖葬墓(外装簿)と呼ばれる、それとよく似ています。

 

 沖縄の崖葬墓に詳しい片桐千亜紀・沖縄県立埋蔵文化センター主任研究員は「旧石器時代の人々が、生活の場所と別の場所を墓地としていたことが明らかになりました。沖縄の風葬の歴史は、これまで
縄文時代までさかのぼるとみられていましたが、旧石器時代から続いていた可能性があるとわかったのは大きな意義があると思います」と説明します。

 

 崖葬墓は沖縄だけでなく、鹿児島県のトカラ列島以南の南西諸島、さらにアジアや東南アジアの島々にも広がっていると言います。

 

◎コメント追記

 

もっともしっかり人骨が残っているものを、4号人骨と呼びます。写真の人骨は4号人骨です

 

人骨展示の沖縄県立埋蔵文化センターは9時から午後5時までオープン、入場無料

 

098-835-8751

 

人骨にはげっ歯類(ネズミ)のかじり跡があり、風葬によって葬られた証拠と見ます。

 

港川人の顔の復元図いろいろ

 

 今回2万7000年前に見つかった人骨と、18000年前とみられる(5000年の差とも)港川人(沖縄本島)との違いは?港川人は身長男性153~155センチ、女性144センチ。身長の差10センチもある。顔つきは、顔の復元が待たれる。

 

 港川人は、縄文人の祖先と見られたこともあるが、最近ではアボリジニやパプアニューギニアの人たちにちかいのではないかと言われている。国立科学博物館の顔の復元図もだいぶ変わってきた。

 

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初めに想像された港川人、縄文人のルーツであると考えられた。

 

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沖縄県立博物館の復元図

 

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国立科学博物館で展示されている港川人

 

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国立科学博物館の新しい研究に基づいた復元図。

 

2009年に国立科学博物館で調査し直したところ、従来の復元では下あごの骨を取り違えていて、実際はもっと短いことが分かった。その結果、オーストラリアの原住民などに近いとされ作り直された復元図。

 

(オーストラリアの先住民アボリジニや中国南部の柳江人に近いということから変更された新しい復元図)

 

 さて今度の人類はどうでしょうか。
氷河期の最後のころには海面が低下し、日本と本土はつながっていた。2万年前ごろまで最終氷期
2018年4月20日 追記 各紙で、国内最古の旧石器人の顔を復元したと発表

 

2017年5月20日の各紙で発表されたものに、2018年4月20日の新聞各紙に、国内最古の旧石器人の顔を復元したと発表されました。

 

国立科学博物館の企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」で展示されている4号人骨の頭骨のデジタル復元に基づく復顔像」

 

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記事は4月21日の赤旗によります

 

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これまでの頭骨の形態分析では、湊川人を含め、中国南部やベトナムなど琉球列島よりも南方系の人々に近いことがわかったと言います。

 

20日から上野の科学博物館の企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」で展示されています。

 

 

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人間とは何か -人類学」カテゴリの記事

コメント

イチロウ様

コメントありがとうございます。
最近いろいろな人骨の復元とDNAの解析が進み大変面白くなってきました。

沖縄の旧石器人が南方からカヌーに乗ってきた人々らしいということはすでに言われていました。お隣の台湾の原住民の人とは大変よく似ています。

 前のブログにも書きましたが1万年前のイギリスに住んでいた人の肌の色が黒褐色で、ネアンデルタール人が赤い髪で白い肌をしているということなど、肌の色で人種差別をしていた人間には微妙なところでしょう。5月のNHkの特別番組ではネアンデルタール人とクロマニヨン人の混血でヨーロッパ人(東洋人も)出来上がったことを強調するみたいです。

 ヨーロッパの言語も本当に近いですね。特に難しい言葉は語尾だけが違うみたいに。
 フィンランド語が独特なのはモンゴル系の言葉がもとになっているのでしょうね。

こういち 様

日本人とは、やはり南方系と北方系やそれ以外の民族が出会い、混血の結果出来上がったものでしょうか。

全国各地へ旅行した訳でもありませんが、夫々の地方に依り、南方系から北方系の混血の結果が違うような気もします。 

専門ではありませんので、全くの素人の感想なのですが、肌の色の違いには以前から気がついています。 詰まり、肌の色が白人に限りなく近くて、顔の彫りが深い人と、顔色が褐色系で、南方系の顔立ちがした人との混じった系統があるような気がしています。

但し、地方に依り、その傾向が強かったり、弱かったり、と様々なのです。 

全くの素人の感想ですが、世界の諸国でもそうなのでしょう。 英国等が同じ傾向でしょう。 歴史上にその傾向が表れています。 但し、北欧諸国は、余り民族の混交が無いように思えます。 勿論、これからは違うでしょうが。

例えば、言語の面から見れば、スウェーデンとノールウェイは、同じ民族のようにも思えます。 余り、違う言語のようには思えないのです。 欧州では、大きく分けると、ゲルマン系とラテン系の言語系統がありますので、二系統に大分類出来る訳です。

フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル等が同じ系統なので、同時に学習しても何倍もの努力が要るとは限りません。 また、ゲルマン系の代表のドイツ語さえ習得すれば、後は楽でしょう。 その昔に、夫々の言語を初級学習本でざっと見た限りでは、そう思いました。

ただ、フィンランド語は、夫々の系統とも違うようで、相当に手こずるように思えました。

外国から見て、日本語はどうなのでしょうか。 知り合いの米国人は、そう難しくない、と言っていました。 尤も奥様が日本人なので、何時でも学べる訳ですが。 

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