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2018年7月

2018年7月24日 (火)

「新宿区の民俗」昔の大久保・百人町、井戸掘り、桶やをしていたわが家について、父の話

新宿歴史博物館の出版物「新宿区の民俗」(6巻)が、淀橋地区編です。これは平成15年3月20日(西暦2003年)に発行されました。わが家は明治のころからこの大久保の地で曽祖父の代から桶屋をやっていたので新宿歴史博物館の人が、私の父母に話を聞きに来て、その話が「新宿区の民俗」にのったわけです。

 

本では第6章が「大久保と百人町」―軍人の街から多民族の街へ(p141からp169)となっています

1。はじめに

 

  平成14年当時の大久保通り 大久保1丁目付近の写真が載っています。

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「新宿区の民俗「」6 淀橋地区

 

 

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百人町2丁目,旧百十四銀行ビル当たり。今はプラザ1,2,3と韓国のテナントビルになっています。手前は盛好堂書店。間に床屋さんと百々やという化粧品店がありました。この向かいに筆者の佐竹ビル(百人町1丁目)があります。

 

「こういちの人間学ブログ」
『わが家のファミリーストーリー、父を中心として戦争中まで」

 

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/10/post-eb7d.html

 

つながります。兵隊時代の父の写真があります。ブログの後ろで次のブログがつながります。

 

「大正、昭和、平成を生きた父の死、2」

 

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/10/j-9214.html

 

つながります。戦後の父親のカッコ良い写真出ています。
三越デパートでの父の実演の時の写真もあります。

 

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2、市井の暮らし

大久保通り界隈

 

子どもたち

 

娯楽

 

井戸

 

ここの「井戸」と、「職人の暮らし「」の部分は、編集者から聞かれて父が話した内容です。

 

 

 



大正から昭和初期ごろまで、多くの家で井戸が使われていた。現在、当地のガス・水道工事などを取り扱う「エネスタ百人町」は、かって井戸掘りと桶製造を中心とした商店であったそうである。
 堀井戸には淺井戸と深井戸が有り、土地の高低や水脈によって掘る深さが決められた。当時の井戸は普通浅井戸だが、高台にあるヤッチャバ(中央卸売市場淀橋市場)のほうは深井戸であった。
 当地は固くて質の良い赤土なので、浅井戸の場合には掘ったまま側(がわ)を入れずに仕上げた。側とは掘った穴に入れる筒のことで、大正時代頃は時代頃には、杉木で作った桶を使っていた。そのため井戸家を兼ねる桶屋は多かったが、いつしか杉木よりも丈夫で安い土管を使うようになったという。

当時の桶職人は住み込みで働いたが、井戸の職人は必要な時にどこからか頼んできてもらった。井戸職人たちは特定の店に所属しているわけではなく方々から雇われた日給で作業を請け負った。職人は井戸を掘る「掘り方」、上り口に桶をもって土を受け取る「現場」、綱を引っ張る「綱子」などがおり、合計6,7人で作業をした。
 深井戸は2,3日、浅井戸は1日で掘りあがり、戦前の日給は掘方が4円ほど、綱子は2円ほどであった。当時の物価は、500円で阿佐ヶ谷付近に家が1軒買え、百円札はめったに見ることはなかった。新宿の夜店などで支払いに十円札を出すと「イノシシ(10円札のこと)じゃ,お釣りがないよ」と言われたという。

 井戸を掘るときには櫓を組み、滑車にかけた綱を綱とりが加減し、綱子たちが引っ張った。職人は歌のような掛け声をかけて調子を揃え、職人によって「お手もと―」と言ったり「おつもー(頭上に注意)」)ということもあった。井戸掘りは危険と隣り合わせの場合もあり、一酸化炭素のようなガスに当たって命を落とす人もいたようだ。

 井戸掘りだけでなく、井戸の修理も当店の仕事であった。関東大震災の後には数十軒の家で井戸が涸れ、それぞれを元どおりにどおり直すには、2,3か月かかったという。

 

 

◎当時の大久保の街は有名人がたくさん住んでいて、それらがみんな井戸と風呂桶のお得意さんだったそうです。新大久保駅の近くに横綱太刀山の屋敷があり、そこにも井戸掘りに行ったそうです。大久保には総理大臣や著名人がたくさん住んでいました。それもみんなお客さんだったそうです。
 酸欠事故で、父の兄、私から見るとおじさんが井戸掘りの酸欠事故で死にその時に、一緒に井戸掘りをしていた父も危うく命を落とすところだったそうです。事故は当時の新聞に記事が載ったそうです。
 大正9年に、祖父の一家が大阪から新大久保に引っ越してきました。曽祖父が桶屋をやっていましたが、脳溢血で倒れその看病のためと仕事を引き継ぐために大阪から転居してきたのです。祖母は大阪出身で、父も大阪生まれで、その時まだ3歳ほどです。東京と大阪では食べ物や味付けが違い祖母は相当苦労したようです。

 


大正12年(1923年)9月関東大震災がありました。父親はその時、小学年1年生ころで、昼食がちょうど大好きなとんかつで、地震で慌てて外に飛び出し、あとで家に戻ったらゴミがいっぱいとんかつにかかって食べられないのがとても残念だったと、話していました。
 その当時の家の斜め前は古川男爵の別邸で、そこの竹林の中で余震が続く中過ごしたそうです。この古川男爵邸は今は立派な教会に変わっています。この辺りは地盤が固く家が倒壊しなかったので、この地震後、下町方面から多くの家が転居してきたそうです。家がどんどん建つと、井戸や、桶屋はかなり忙しく繁盛したようです。
  
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現在のビルにするまでは土地が80坪ほどありました。50坪が自分の土地で30坪は、当時裏にあった原田工務店からの借地でした。古い家は平屋で店と住まいで30坪位を取り
あとは ずっと昔は材木置き場で一部で鶏を飼っていました。一角に材木を切る丸鋸の機械が有り、そこの入口には佐竹ポンプ店の店名の入ったガラス戸がありました。以前は桶屋というより井戸ポンプ店が主な仕事だったようです。

 

あたらしい2階建ての家を建て替えてからは、裏は1階が材木置き場(風呂桶の木の乾燥場で、2階は職人さんの泊る部屋でした。その後に借地権は売って、残りの50坪に5階建てのビルを建てました。

 


職人の暮らし
 以後もとの文章のまま

 前項の「エネスタ百人町」のは、かって住み込みの桶職人が3,4人働いたそうである。職人はワカイシと呼ばれ
、休日は月の1日と15日に決まっていた。桶風呂はサワラ、桶風呂はヒノキを素材とし、ヒノキの価格はサワラの3倍近く大変贅沢なものだった。

 

(◎エネスタ百人町とは、東京ガスの下請けの東京ガス百人町サービス店から変わった名前です。それからライフバル百人町となり、合併によりその名前も消滅してしまいました。
昔の名前は、「桶商佐竹」、「佐竹風呂・ポンプ店」、「有限会社佐竹製作所」、そして「株式会社サタケ」、となり現在も続いております。創業は明治40年、会社化してからは平成30年3月に68期の決算です。)

毎朝8時ちょうどに仕事を始められるように朝食をとり、12時ちょうどに昼食をとる規則正しい生活で、当時のお嫁さんはそれぞれに合わせて朝晩1升づつのご飯を炊いた。また「職人は「立膝で食べるものだ」と言って、10分と立たないうちに食事を終えて仕事を始めるのがふつうであった。一時はワカイシ合わせて13人もの家族1(や職人)がおり、大鍋で作ったカレーや煮物があっという間になくなったという。

 

◎何しろ同じテーブルで急いで交代で食べますから、筆者も早食いの癖がついてしまいました。
東京ガスのサービス店になった時も、主な仕事は風呂やのほうでした。当時は公団住宅に大量にガスぶろの納入に行きました。風呂のほうは父親の担当、ガス部門は筆者の担当でした。はじめは卸もしている風呂部門のほうが圧倒的に大きかったのです。

ワカイシとは(若い衆)のことでこのあたりの人はみんなそう呼んでいました。
戦後はガス風呂が中心で、当店はガス風呂組合の最初の指定商でした。そして、東京ガスのガス風呂の店となり、さらに、東京ガスを退職した人を社員に迎え、ガス料金の受付やガス器具を販売する店、東京ガスのサービス店になったわけです。

ガス風呂ははじめ木風呂に銅のガス釜などの組み合わせでした。木を組み合わせて銅のタガで締め付けるのを角丸式と言い,その中に釜を入れ、釜の上部に小さい上がり湯の区画がありました。大きさは普通、大人と子どもが一人入る並2人で、大人2人が入れる大きいものは本2人と言いました。角丸並2人風呂、というように言いました。前は五右衛門風呂やタイル風呂など、いろいろありました。プラスチックスのポリ風呂やステンレスの浴槽が出てからは木風呂はほとんど売れなくなりました。

ヒノキの大きい板を組み合わせて作るものは箱型と言いやはり並2人、本二人と言いました。
お風呂の入れかえ工事で水を吸った箱風呂は恐ろしく重く、それを持ち上げるのは大変です。筆者はそういう力仕事をして筋肉が付き,胸幅も広くなりました。ガス風呂の前はマキ風呂が中心で、その場合スレートで煙突を立ち上げます。それは屋根に上りかなり危険な仕事でした。
 ・

 

以後原文から

1年中大変忙しく、ことに大みそかは1年間の集金を済ませるため、夜12時ごろまで店を開けていた。また大晦日には普段井戸の修理などを頼まれる地主さんに歳暮として砂糖を贈り、その代わりに半纏を贈られた。このように、あいさつに行く地主さんは3軒ほどあった。正月は元日だけ休み2日は手ぬぐいをもってご近所回りをした.3かと4日は得意先を回る日で、地主さんの家には贈られた半纏を着て年始に行った。5日は風呂桶を納めている遠方の得意先を回る日にしていたが、このころには早々と仕事の依頼を受けることもあったという。

店の職人は腕がよく、戦後に三越本店で開催されたガス展の折には組合から選ばれ、ふろおけを作る実演を見せた。その仕事の速さを褒められることもしばしばであった。

 

◎当社の風呂は,木曽の材木問屋から胴巻きにお金をもって、現金で直買いしていました、それで安くていい材木が手に入りました。値段が同じでもいい材料でつくった風呂は評判良かったのです。他の店に恨まれました。

 

◎昔、筆者が子供のころ、家族は、祖父母、両親、叔父、叔母そして私と妹。住み込みの職人は4,5人、おてつだいさんが1人という大人数で済んでいました。そのうち叔父、叔母は結婚して家を離れました。職人さんは別棟の2階に住んでいました。
父も職人として働き、三越本店で風呂製造の実演をしたのも父親でした。

 

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右上の写真は北新宿2丁目、T家の井戸。戦後しばらく使われていた。佐竹ビルのすぐ近くの、第2サタケビルの地下1階を作ろうとして地面を掘ったら地下水が湧き出ました。昔の井戸の跡らしく徳利やらいろいろなものが出てきました。水が出やすいようです。

 

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162ページに百人町の鉄砲隊の屋敷絵図があります。この鉄砲隊には組頭1名、与力20名、鉄砲同心が100名いて江戸城の警備にあたっていました。与力と思われる人は敷地が2千坪以上、同心でも千数百坪の土地があります。ちなみに、同心たちの菩提寺の長光寺の隣には朝倉(菊?)吉の名前があります。子孫の朝倉さんはまだここに住んでいて前の百人町東町会の町会長をされていました。浅倉さんの土地は図面によると千百4十坪の敷地です。ロッテの元新大久保工場の敷地が2千273坪で広大な敷地ですから,同心でも広い土地を拝領していたようです。それだけ土地が広ければつつじ栽培の内職が成り立ちます。百人町1丁目から4丁目まではかなりの広さがあります。そこに121の屋敷だけだったのです。屋敷は間口が狭く,奥いきが細長い作りで、攻め込むにはむづかしい作りにしたようです。

 

 

 

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大正5年前後の大久保・百人町

 

山手線に新大久保駅ができて間もないころです。ちょうど父親が生まれたころで、祖父の家族は大阪にいました。
このころは曽祖父が大久保駅に近いところで桶屋をやっていました。その頃の商店名の入っている地図には桶商佐竹と書いてあります。曽祖父が病気になってから祖父の一家が大阪から移ってきました。
 新大久保駅ができてから、新大久保駅に転居してきました。
このころはまだ畑も多く、大久保つつじ園も駅の近くにありました。戸山小学校もできて間もないころです。駅のそばに大久保キネマという映画館がありました。

◎7月26日に「戸山小学校開港100年!戸山小学校同窓会 記念総会」というお知らせが来ました。10月28日に新宿ワシントンホテルで同窓会総会と懇親会を行う、というお知らせです。小学校で同クラスだった田中稲生さんが37期卒で、常任幹事です。卒業年で見ると。最も古い人は第4期生で1909年の生まれの人がいます。なんと109歳です。

 

 

 

 

 

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昭和10年(1835年)ごろの大久保・百人町(地図の左半分)

このころの戸山小学校の卒業生が当時の記憶に基づいて作ったもの。このころにはわが家も新大久保駅近くの現在の場所に転居していました。父親が18歳ころです。この地図は今から25年前、平成5年,戸山小85周年の記念に作られたものです。

 

真ん中に山手線、左のほうに中央線・総武線が通っていました。右上の赤い枠で囲ったところが戸山小学校。卒業生の名前と何期という数字が入っています。詳しく当時の様子も書かれている貴重な地図です。

 

 

2018年7月20日 (金)

NHKスペシャル「人類誕生」3「日本人のルーツ解明」・ホモサピエンス日本へ

2018年7月15日、NHKスペシャル、「人類誕生「の最後は、「高橋一生の人類誕生3、「日本人のルーツ解明!?」「海を越え、極寒に耐えた苦難の道をリアル体験」でした。

人類は現在76億人もいる。その原動力は何か。鍵は日本列島にある。
日本は大陸から海で隔てられ(台湾と与那国島は110キロも離れている)、北は極寒の地シベリアとつながっている。そこを乗り越えられたのはホモ・サピエンスのみ

沖縄県石垣島の白保竿根多原遺跡で、2万7000年前の遺跡が発見された。そこで、全部で19体の人骨が発掘されました。彼らは白保人と名づけられました。以前に発見された港川人より背が高いということがあきらかになりました。
土肥正美氏は白保人を調べ、外耳道骨種があることがわかりました、海に潜るのが習慣としていたと分かりました。

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南方ルートの大海原を渡って日本に至るコースと、北方の氷河時代で陸続きになった陸地を通って日本に至る道がある。

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白保人の顔の復元図・南方系の顔

「こういちの人間学ブログ」2018年4月21日

「国内最古の旧石器時代人、石垣島で発見。港川人との違いは?追記国内最古の顔復元」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/04/


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氷河時代海水面の低下により、東南アジアに広大なスンダランドができ、そこにたくさんの遺跡群が
篠田謙一氏がそこに住む人々のDNAの解析する。

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インドネシアのティンプセンドウロ壁画 アジア最古の壁画。 今までは壁画はラスコーなどのヨーロッパが最初と思われていた
39900年前の手形やいろいろな絵も残っている。

台湾の八仙洞遺跡に絵が残っている
台湾から島伝いに日本にわたってきたのではないか。
台湾から日本へ、黒潮の流れー台湾から物を流すと日本まで届かない

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南方ルートについて解明しようと、海部陽介氏の研究グループは、草(ヒメガマ)で作った船を試す。(実験考古学)船で新しい土地に移り住むには最低、5組10人は必要であると。2隻で与論島を出発。しかしこの船では黒潮の流れに逆らって、石垣島などへ渡るのは困難と分かった。


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北方ルート
2万5千年前、2003年北方の地、シベリアでマンモスの骨で作ったアクセサリーが見つかった。いろいろな細石器が発見される。また骨から作った針も発見。これで皮を縫いあわせて服を作り寒さを防ぐことができた。

エベンキ族 縫い針を4つの工程で作る。縫い針を作れるのはホモ・サピエンスのみ

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脳・ブローカ野―言語能力をつかさどる分野が発達。道具と言語が並行して発達。

白保人は釣り針を作ることができた。世界最古の釣り針。


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石器で斧を作り、丸木船を作り、海に乗り出す。実際に試してみる。草の船に比べ力強く進んでいく。
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海部陽介氏(国立科学博物館人類史研究部長)


参考書

「日本人はどこから来たのか」、NHKスペシャル制作班、馬場悠男、海部陽介監修、2016年2月10日

「大逆転!奇跡の人類史」、NHKスペシャル制作班、馬場悠男、海部陽介監修。2018年5月26日

◎日本人は、古くは、中国大陸や、台湾など南方から丸木舟にのってきた人たち一方、北の大陸から来た、人々が混合し縄文文化を形成しました。地球寒冷化に伴い、百済、新羅、高句麗などの朝鮮半島の人々や、中国大陸の戦乱を逃れてきた人たちが相次いで移住してきた。

日本人は北はツングース系(韓国由来の細面の狐顔―おひな様顔)、モンゴル系(丸顔)、北方の漢民族系、(四角などいろいろ)
南中国系、(庶民的な丸顔―狸顔)、南方の(海洋民族的な顔―白保人の顔は典型的)、少数だが遠くシルクロードから来た人の顔など様々である。東洋の諸民族の吹き溜まりのような状況にあります。それらが融合して日本人が形成されました。

7月25日:追記

7月25日の毎日新聞夕刊1面トップに「日本人の足跡たどる」、「3万年前の航海再現」
今回は丸木舟、台湾~与那国島で来夏挑戦、という記事が載りました。

2018年7月17日 (火)

新宿髙島屋の東京蕎麦「小松庵」に行ってきました。お蕎麦屋さんはひさしぶりです

2018年7月17日8日(火)、新宿高島屋の東京蕎麦総本家「小松庵」に行ってきました。お蕎麦屋さんには普段あまり行かず、今回初めて行ってみました。場所は渋谷区千駄ヶ谷5-24-2,タカシマヤ・タイムズスクエア13階です。食べログの点数は3,52点です。
TER・03-5361-1865・注文したのは、生粉国産牛朴葉焼き、、3100円と夏のTokyou-Soba、3000円です。他にグラスワイン赤(600円)と八海山1合(1000円、を頼みました。ー合計8370円(税込み)でした。                      -
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小松屋さんの入口の看板です。


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外の景色です、。なかなかいい景色です。山手線の外側です。

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夏のTokyo-Sobaのメニューです 

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メニューです。おそばとご飯のメニューです。もう一つ頼んだのはここにありません。


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生粉国産牛ホウ葉焼です。肉はおいしかったですが、おそばが少ないように感じました。

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これからはTokyo-Sobaのコースです。前菜3品です

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そばの実のおかゆです

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エビのかき揚げです


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メインのカレー・そばです。

こちらのコースはちょうどよい分量です。

連日暑い日が続いていますが、今日は少し暑さが和らいだようです。

今日は書いた文章が行間が全部詰まってしまうのが治ったようです。なんなんでしょうか。

2018年7月15日 (日)

追記・更新版、「縮小ニッポンの衝撃」その社会は必然か?毎日社説で連日とりあげ、「安倍1強」の弊害。出生率は国の政策次第

2018年7月17日の毎日新聞社説も「人口を考える・地方自治の将来、市町村とは何か 再定義を」でした。  3日続けて、社説で大きく取り上げるのは、異例のことです。公立小学校の統廃合が全国で進んでいる。北海道の空知地区にある人口約1万1000人の長沼町は現在5つある 町内の小学校を再来年の春に一つに統合することを決めた。
~ 市町村がフルセットで公的機能を備える発想に限界がある以上、隣り合う市町村が「圏域」を作り、中心となる都市に機能を州するのが現実的だ。
~ 人口減少に向きあうことは、痛みを伴う。首長や地方議会は現実を住民に説明し、理解を求めていく努力が一層求められる。
◎スエーデンが1998年ごろ合計特殊出生率が1,50まで落ち込み他の欧米諸国も、一時低下した。しかし各国政府が出生率向上に取り組み、大体1,8以上に回復した。日本も2005年ころ1,30以下に落ち込んだが、現在は1,40になったが、、将来の急激な減少を抑えるには至っていない。この社説に書かれていることは、日本の自民党政府が進めてきた政策により、極端な人口減少をそのまま放置していった、ということを前提としている。人口が減った後、どうしたらよいかではなく、欧米が政策の変更により、急速に出生率の回復したということを見習うのこそ重要なのではなかろうか。
◎内閣府の作成した、人口をめぐる現状と課題という資料に、「合計特殊出生率が回復した先進諸国における合計特殊出生率の推移(①990-2010)」というグラフがあります。本来ここに添付したいのですが、ブログの変調で終りのほうにしか入りません。終りのほうをご覧ください。
2018年7月16日(月)、昨日に引き続き、16日の毎日新聞の社説に大きく、「人口を考える・50年後1億の幻想、新たな国へ発送の転換をと書かれていました。「50年後も人口1億人を維持する」安倍晋三首相が2015年に打ち出した目標だ。「希望出生率1・8」を掲げ、待機児童解消などの少子化対策に取り組んでいる。
しかし17年に生まれた子どもは94万。2年連続で100万人を下回った。政府の少子化対策が出生率を改善するには至っていない。
「安倍1強」に黙る官僚―危機感を抱く官僚や研究者は少なくない。だが経済成長優先の「安倍1強」下で、路線の異なる考えを伝えにくい空気が支配している。
強気のアベノミクス頼みでは、長期的な人口減少と社会保障機能の維持に対する根本的な解決策にならない。と書き、「適合と成熟の政策を」と書いています。
今まで、日本の人口減少の危機についてはいろいろ書かれてきましたが、安倍1強のもとでの矛盾と結び付けて、はっきり書いているものは少なかったのです。-詳しくは新しいブログに書いていきます。
同じ日に、毎日新聞20面に、Dr.北村が語る現代思春期」に、「恋愛が消極的な若者」、「厳しい懐事情も影響か」という記事が載せられていました。~セックスに関心がないという未婚男女が多い。~,「草食男子」10人近くにインタビューした際にも禁酒、禁煙の声をよく聞きました。セックスに関心がないという人に「たばこを吸わない」、「アルコールを飲まない」が目立つ、その理由には健康意識の高まりというよりも、経済的な余裕がないということと関係していました。サラリーマンの平均年収が減少する一方、携帯電話やスマートフォンの維持費がかかりすぎて恋愛どころではないのです。~若者の雇用の確保と経済的安定が図れないと恋愛どころか結婚も、そして子供を持つことだって夢のまた夢かもしれません。
これが人口減少のもう一つの側面を示すものです。これらのことは新しいブログに書いてみます。
2018年7月15日(日)毎日新聞の社説に大きく、「人口を考える・縮む日本社会、未来の危機を直視する時」とのりました。既に、、書物、テレビ、新聞等で盛んに取り上げられています。人間学研究所で6月28日に「寿命100歳時代の明と暗」というテーマで、ブログ筆者がお話をしました。  報道や書物での論調は、日本における急速な少子高齢化が進むことにより、若い労働力が減少し、将来の日本経済が立ち行かなくなってしまうということを心配しています。   
大企業本位の安倍内閣の悪政が、特に際立って日本において少子高齢化が進むとされている。
7月15日の毎日新聞の社説でも・・・ 、
「日本の未来図を概観していくと、人口減少に対する安倍政権の甘さが浮き彫りとなる域児童の解消などの少子化対策は、十分とは言えない。現在約120兆円の社会保障費は、際限なく膨れ上がる一方だ。空き家や老朽化するインフラへの対策も乏しい~。ただ、長期にわたる政策ビジョンと、世代をまたいで持続する社会の強い意志があれば、この変化にも必ず適応できるはずだ。悲観論に閉じこもってはいけない。」
 と結論付けています。
 一時期のフランスの政権がとった、思い切った政策で、子どもの出生率が飛躍的に上昇したが、最近のフランスの政権が少子化対策の予算を削ったために、また出生率が下がってしまったことに注目しなければならない。  日本における、多くの論調が、その点にあまり注目していないのが残念である。
10月3日の新聞記事トップは安倍内閣の改造の記事です。ブログを書きましたが、この記事と関連させてお読みください。
◎どういう訳か、行間が開かないで、書いたブログが詰まってしまいます。 途中に写真を入れようとしても、最後になってしまいます。 何の説明もなく、ブログがすごく書きにくくなってしまいました。
◎7月17日に書いたブログは行間が詰まりませんでした。これはどうでしょうか。-やはり詰まるようです。
暑さのせいもあり、ブログの更新が進みません。
以上、2018年7月15日追記
◎2018年10月3日、
パソコンを新しく買い替えてから、追記しましたら、行間がつまらなくなりました。やはりパソコンのせいでした。
2018年5月20日(日)午後9時からNHKスペシャルで、「縮小ニッポンの衝撃 現役世代3500万人減」80代まで働く時代到来 頼みの綱は外国人!?、という番組が放送されました。
追 記:5月27日(日)、書店で同じ題名の本を購入しました。それによると、2016年9月25日に、NHKで放送されたものと題名はほとんど同じです。、本は2017年7月20に講談社現代新書で発売されました。
 本の内容を見ると先日放送された物と大分違いました。2016年放送のものと違うようです。
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本の裏表紙日本の内容が載っています。2016年に放送されたものの書籍化されたものです。
2018年6月28日には、人間学研究所の例会で、筆者がここで挙げられたテーマを含め、「人生100歳時代の明と暗」というお話をします。
「縮小ニッポンの衝撃―労働力激減、そのとき何が」
・ 
 生産年齢人口(15-64歳)がピーク時に比べ3500万人縮小
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日本人の人口はすでにピークを過ぎ年々減少している。
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ロナルド教授は、世界は最も早く人口構成が高齢化へ進む日本がこの難局を乗り越えられるか、注視している。
参考資料 内閣府にて、2017年9月11日「第1回人生100年時代構想 」首相官邸で開かれた。首相と茂木大臣ら出席。2018年5月16日に第7回会議開催
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配布された資料から「高齢化の推移と将来推計人口」
2017年時点での高齢化率(65歳以上人口割合)は27,7%、2065年には38,4%に達する。
2022年から、団塊の世代(1947~1949年生まれ)が75歳に入り始める。
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上図の拡大図
以上は筆者の別添付資料
美作市の例
2015年の美作市の年齢別人口構成
すでに65歳年齢が最も多く、棺桶型人口構成に近づきつつある。
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美作市での若者減少による将来の市の存続を維持するための対策を真剣に取り組んでいます。
美作市では3000人の外国人労働者の確保を目指しています。今は200人。
市長は外国人の労働力の積極的受け入れを訴え当選した。
労働力不足が最も不足しているのが介護の分野である。将来38万人の不足が予想されている。
・・
高齢者の労働
美作市でもすでに、人員不足のため10か所の福祉施設が閉鎖された。
あるリハビリセンターでは82人の労働者のうち16人が高齢者である。
73歳の田淵さんはリハビリセンターの送迎車の運転手をしている。
4件の家を回るのだが回る順番を間違えてしまった。限界を感じ引退を考えた。代わりの人65歳の人だがなかなか安全マニュアルなどを覚えられない。
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老後の生きがいを求める人のため作られたシルバー人材センター
はじめは生きがいを求めて作られたものが、若者がやりたがらない3Kの仕事を担うようになってきた。
ところが企業・自治体などなどでは不足する労働力をシルバー人材センターに求めるようになった。今平均年齢は72歳。
70歳で働いていた竹村さん。ごみ処理の仕事。機会に挟まれて死亡した。息子さんが見てこんな意見な仕事をしていたのかと衝撃を受ける。
 高齢者の労災事故は3万人、そのうち317人が死亡事故である。
桐生市の場合
幼稚園児の送迎バスの運転手を探している
今働いている運転手は75歳で、引退を申し込んで半年がたっている。
70歳未満で2種の大型免許を持っている人が条件だが 厳しい
園長は応募者がいないので、シルバー人材センターの大塚さんに頼む
しかしなかなか難しい
園長は何とか、条件を緩和してくれないかと頼んでいるが。
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外国人労働者の受け入れ
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美作市では全国に先駆けて、ベトナムの労働者を受け入れるためにホーチミンの銅像を作った。
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ベトナムの労働者に対して世界中から申し出が殺到している。紹介する事業所ベトナムで300か所。
日本のほか韓国、台湾、中国など。今ではルーマニアなどからも。
台湾の場合
台湾の人口構成が日本のようになるのは10年後であるが。。。早くも将来を見据えて踏み切った。
台湾では67000人のベトナム人労働者。日本より多い。前に大幅に緩和した。
台湾では受け入れ期間は12年で、転職も可能。介護の現場ではベトナム人が多い。
日本のように言葉の壁が厳しくない。ある施設では39人中19人がベトナム人。
台湾でははじめから労働者として受け入れている。期間も長い。はじめ日本に行こうとした人が、台湾に、行き先を変えてきている。
 
日本は5年までで、日本語が喋れる人が条件。
美作市ではベトナム技能実習生を受け入れるのに1人当たり300万以上かかるということで困っている。
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台湾では労働者としての位置づけ。日本では技能実習生の位置づけ。
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美作市長、日本もそろそろワーキングビザの形に変えていかねばならないのではないか。
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労働者に占める高齢者の割合が12,4%で世界1。(2017年)
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)1950年の日本人の年齢構成。ピラミッド型。
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現在の年齢別人数。しだいに棺桶型に近づきつつある。
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人口予測。2055年に日本の人口1億人を切る9744万人。2065年には8808万人。
 
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棺桶型人口構成になってしまう。
この政府が考える日本の、ついては世界の未来にNOを
このままでは日本は人類滅亡型の棺桶型人口構成になってしまうという。この予測は日本の暗い将来を示し。NHKテレビではそのためには積極的に外国人労働者を受け入れるべきだというのが結論です。これは日本だけでなく先進諸国もそうだという。これは宿命として受け入れざるを得ないのであろうか。
世界経済の進み方に根本的原因があるのでは
若者が子供を作りたがらず、自分だけが良ければ、と思うからでしょうか。
世の中のグローバル化が進み、極端な形でのほんの一握りの超富裕者と貧しい大多数の人々との乖離という現実社会の在り方こそが問題なのではないでしょうか。子どもが出来たら手厚い保護をし将来も豊かな生活が保障される社会であるならば、子どもを作らないでしょうか。
今の世の中は人々を激動の嵐の中に否応なしに巻き込んでいます。筆者の75年の人生の中でもその変転は実に極端ともいえるものです。もし筆者が万が一100歳まで生きられたとしたら、2043年の日本は高齢化率36%で1億人にまで人口は減っているのでしょうか。
(日本政府のもと、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」による)
改めて、若者が年々減っていく現実を見つめ、その原因をはっきりさせなければならないでしょう。本当に若者が結婚もせず、子どもも作りたくないのでしょうか。
 そうではないのではないか。ゆとりもあり、将来も明るい未来があるのなら、子どもを作りたいと思うのではないでしょうか。
日本政府でも、大企業と一部の大富裕者への膨大な援助と税の軽減を行っています。それは世界的な動きの中の一環の出来事です。膨大な宣伝費をかけてマスコミを取り込みそれらに有利な政策を進めています。高齢者に対する数々の冷たい仕打ちを見たら子どもを作ろうとなど思わなくなってしまいます。軍事費を増やし、温暖化対策と称してムダ金も膨大に使っています。その結果、棺桶型の人類絶滅へのあゆみも当然?となってしまいます。
本来あるべき姿は、大企業やそれが支配する国が最も大きな権力を持ち支配する社会ではなく”人間”が最も大事にされる世の中です。こういう世の中では人口はバランスよく調整されるでしょう。
そして、人類の未来が暗い将来を予感させるものであるならば、それを変えることができるかもしれません。北欧型の諸国において幸せ度が上位の国の進み方が示されていますが、日本の幸せ度は先進諸国の中でも極めて低い位置です。日本の将来が人口が減り、お先真っ暗で、外国人の受け入れをのみ対策として考える政府や識者に、NOということも必要なのではないでしょうか。
追 記 :フィンランドでのベビー・パッケージにみる母子に手厚い保護と出生率向上
 イチロウさんからのコメントが大変参考になります。お読みください。本文に追記させていただきました。
「今更『日本は手遅れになる』と安倍首相が明言した少子高齢化問題、子育て世代への過酷な仕打ちの数々をまとめてみた」
 
2017年10月
つながりますぜひご覧になってください。フィンランドでは出生率が日本より大幅に向上しています。外国人労働者をどう迎え入れるかではなく、母子を大事にしてどう出生率を上げるかのほうがより大切なのではないでしょうか。
子どもが生まれた後でも、待機児童の問題があります。保育所が足りず、保育士の給与が低いために、保育士をやめてしまう人が少なくありません。政府はこういうところにお金を使おうとしないのです。
BUZAP ! の記事から
11日
◎大変よくまとまっていますので紹介します。
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10月9日のTBS系の「NEWS23」で放送された党首討論の場において、安倍首相の少子高齢化について衝撃的な発言が行われました。
党首討論で「森加計問題」に時間をさけない理由として「北朝鮮問題の深刻化」とともに「少子高齢化「問題」が12月までにパッケージをまとめないと手遅れになる」「という衝撃的なもので、発言は次のようなものです。
 出生率の低下も1975年に2,0を下回って以来、低水準から戻っていません。
安倍政権が少子高齢化に対し何をしたか。
高校無償化や子供手当の縮小及び廃止、「軍事費」に回すべき」と主張も
 民主党政権時代に、稲田元防衛相は2011年3月の「正論」で財源のない子供手当をつけるぐらいならば軍事費を増やすべきといった。
子どもの貧困対策は民間に丸投げ、子育て給付金も廃止
 子どもの貧困対策として安倍首相が発起人となって2015年10月に立ち上げられた民間募金の「子どもの未来対策応援基金」は2か月でたった300万しか寄付が集まらず~」
 軽減税率の財源1000億をひねり出すために「子どものいる低所得世帯への給付を削減すること」が提案され、さらには軽減税率が決まったとたんに2014年の消費税8%への増税に伴って導入された予算で導入された子育て給付金も2016年で廃止されてしまいました。
・ 
待機児問題は未解決、小中学校の教師も削減、大学の学費問題は深刻化
 「保育園落ちた日本死ね!!」の、保育園不足と保育士の低賃金待遇は変わっていません。
 小中学校では公立の小中学校の教員数が2017年4月の時点で定数よりも700人不足している。それでも、小中学校で教師数の万単位での削減を求める方針は変わっていません。
 国立大学の学費は2030年までに40万近く値上げされる予定です。
非正規雇用拡大及び長時間労働を合法化。若者の生活をより貧しく不安定に
 子育て・教育を始めるスタートラインに至るための重要なプロセスである、恋愛・結婚・出産に踏み切れないのは若者の貧困化が問題であるという調査結果が出ています。
 低賃金が蔓延する非正規雇用が蔓延し4割を超えている
もはや若者の結婚・子育てを阻害し、日本という国を立ちいかなくするため立ちいかなくするための百年の計ではないかと疑いたくなるレベルです。
まとめ
「12月までにパッケージをまとめなければ手遅れ」という言葉はあまりにも空虚で、自分たちが何もしてこなかったことを棚に上げた上で国民に「時間がないから」と自分たちを支持するように迫る、あまりにも無責任な内容と言わざるを得ません。
また、2/3を超える圧倒的多数を誇り、いかなる方針であろうと政権与党の目指すままに推し進めることができるにもかかわらず、少子高齢化に対して何一つ有効な対策を取ってこなかったどころか、少子高齢化を進める政策ばかりを選んできたことを、一度でも与党が反省するそぶりを与党が見せたことがあったでしょうか。
北朝鮮の危機を訴える一方、臨時国会で何一つ議論を行わず解散して650億円の税金を使って総選挙を行い、緊急の課題についての議論を1か月近くストップさせるという言行不一致極まりない状況となる中,今更取ってつけたかのように少子高齢化問題を訴える与党、いくら何でも国民を馬鹿にしすぎている感は否めません。
◎以上です。まったく同感です。
2018年5月30日(水)日経新聞 朝刊1面トップ
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外国人、単純労働に門戸―建設や農業 25年に50万人超
日本語苦手でも資格
政府が検討している新たな外国人労働者受け入れ策の原案が29日、明らかになった。日本語が苦手でも就労を認め、幅広い労働者を受け入れるのが特徴だ。日本経済が直面する深刻な人手不足を背景に、単純労働分野ににおける外国人への事実上の門戸開放に踏み切る。
・ 
技能実習制度
 17年10月 25万人 本国の推薦 問題点、待遇への不満で失踪など
 期間3-5年
特定技能評価試験(仮称)
 日本語 苦手でもOK 実技 基本作業が可能か確認
 最長5年の就労資格
 建設・農業、介護、宿泊、造船業で25年に50万人超
 台湾などでは外国人労働者の受け入れ条件がずっと簡単で、日本はなく、台湾に帰るベトナム人も。日本も簡単に受け入れられるように変える。
 日本人労働者の待遇を良くし、日本人の人口が増えるようにするのではなく、手っ取り早く給与が低い外国人労働者を受け入れる。そして日本人の子供の出生率は下がる。
 アメリカでもメキシコなどから、大量の移民が来て白人労働者の給料が下がる事態と日本も同じになる。
 大資本家はその国に住んでいる国民なんかどうなってもいいのである。利益が上がり株主がより収入が上がり、競争力が高まればよいのである。
 労働者が外国人になり、ロボットやAIが力を得ればよりそこに依存する。ところが国民の数が減少し購買力がなくなれば大企業にとっても困った事態であるが。
2018年6月1日 追記
6月1日のNHKテレビのニュースで、2017年の合計特殊出生率(1人の女性が一生で産む子供の数)が1,43となり昨年より0,01%低下し、最低記録を更新したと報じました。子どもの出生数は94万6060人。で減少数は(前年比3万918人減))と。統計開始以来最低。
自然減は39万4373人と減少数は過去最大でした。出生率は最低を更新しました。
東京は1,21で全国で最低でした。
埼玉県の滑川市では子育て支援に力を入れ、道路の補修費も削り、18歳まで医療費は無料、給食費なども無料としし出生率は1,70となりました。
 
子育て支援を手厚く行うならば子供の数は増えるのです。
6月2日、毎日新聞朝刊1面
出生率1,43 2年連続低下。17年人口自然減最大
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2005年に最低の1,26となっています。それ以後緩やかに上昇傾向にありましたが、1,4台で頭打ちとなっています。
年代別では20台が低下し30台は大きく伸びている。
婚姻件数は60万6863組で戦後最小。
2018年6月9日 追記
「フランスはどう少子化を克服したか」 高崎順子 新潮選書 2016年10月
  ずれてない?日本の政策
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 フランスでは1994年には出生率が1,66でした。それに危機感を感じたフランス政府は政策を変え、2010年には2,0に回復しました。
1、男の2週間の、産休を7割が取得、2、子どもの医療費は全額保険で。、3、全額保険で無痛分娩、4、連絡帳も運動会もない保育園、、5、ベビーシッターの進化形「母親アシスタント」、6、、3歳からは全員が学校へ行く、7、早期教育で格差是正、8、35時間労働制、9、婚外子が一般化、10、保育園は全部認可園
 ところが最近オランド政権からマクロンへと政権が変わり子育て予算が削減され、3年連続特殊出生率が低下してきた
 出生率は国の政策次第ということがわかる

・ ・ 最初に書いた、追記記事の7月15日の毎日新聞の社説です。「人口を考える」「として16,17日にも社説が連続してのりました。異例なことです。

 

180715_090901 180715_090902 毎日新聞社説・2018年7月15日 180717_101601 ・ ・・・・・・・ 内閣府資料////////////////////////・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 合計特殊出生率が回復した先進諸国における合計特殊出生率の推移(1990-2010) 1990年にはフランス1,8弱日本は、1,5強でその差は0,2強であった。2012年にはフランスは2,0ぐらいなのに対し日本は1,4、その差0,6もある。これは政策の違いである。人口減少は自然なものではない、政府の政策次第なのである。

2018年7月 5日 (木)

ガッテン!、唾液パワー全開スペシャル ドライマウス対策-筆者推奨、唾液健康法もぜひ

2018年7月4日午後7時半から、NHKの「ガッテン!肺炎&口の臭い&虫歯を撃退『唾液の力』全開スペシャル」なぜ緊張で口が乾く?特製お口潤いドリンク」という番組が放送されました。ブログ筆者は、以前より、「唾液健康法」を提唱していますので、どのような内容か見てみました。

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コロンビアで床屋さんに牛のミモーナちゃんがいます。お仕事ははげた頭をなめること。毛が生えてくるそうです。

なめてもらって実際毛が生えてきているそうです。

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唾液には傷を治す働きがあり、傷ついた所を仲間の水牛が舐めて直しているところです。

濃い唾液は、ストレスなど強い緊張状態に置かれると唾液を濃くして、―免疫物質が1,4倍に濃くなる。
体の防御反応としてなったもの。緊張すると唾液が出なくなる―濃くなる―という防御反応

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唾液は1日に1,5ℓほど出る。 
唾液には様々な働きがあります

唾液の成分

シアル酸                 育毛

リゾチーム                抗菌・・殺菌

分泌型免疫グロブリン         抗菌・・殺菌

ヒスタチン                傷の修復

ハイドロキシアパタイト        歯の修復

アミラーゼ                消化

ムチン               保湿・粘膜保護

◎唾液の役割として、上記のほかに

消化作用として他にマルターゼ、リパーゼ、カタラーゼなどがあります。

歯を丈夫にする役割―カルシュームCalイオンがあります

抗菌作用と抗がん作用に、ラクトフェリン(細菌の生育を抑えるタンパク質),ラクト・ペルオキシダーゼ(発がん物質に対する毒消し作用酵素)

味覚 (亜鉛と結合して食物溶媒作用―ないと味覚異常

飲み込みやすく (アルブミンームチンとともに)

内分泌(ホルモン
     EGF (j上皮成長因子) 皮膚,歯・・などの細胞の増殖
    NGF (神経成長因子) アルツハイマーに効果
    パロチン(唾液腺ホルモン)耳下腺より

このように実にたくさんの優れた作用を持っている。こんな素晴らしいものをきちんと利用しない手はない。
―唾液を意識的に出して飲み込む療法、唾液健康法(咽津法―いんしん法)ブログ筆者推奨
老人ホームなどでは、食事の前に、いろいろな口の体操をして唾液を出してから、食事になりますが。

唾液健康法は普段から唾液を出して飲みこむようにする。訓練すると、いつも自然に出てくるようになります。
1日、1,5リットルではなく、その2倍、3倍以上に飲み込みます。優れた効果があります。中国古典ではより徹底して唾液を飲み込み不老長生の仙人になる方法が書いてあります。何よりも歯が丈夫になります。難点は歯石が付きやすいことです。この咽津法が広がらないのはただでできることで、製薬会社がもうからないからです。唾液と同じものを製薬会社で作るのは大変です。唾液には未知の物質が含まれているかもしれません。

以上、筆者の見解です

唾液が少ないと、口臭、味覚異常、インフルエンザにかかりやすいなどいろいろな症状が出てくる。
赤ちゃんでもよだれがたくさん出ると虫歯になりにくいと言われる。

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唾液による歯の再石灰化
歯と同じ小さいものをわざと傷つけて、それを口中で1週刊なめる。それで唾液で歯が修復された様子

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右脳と左脳の血流量

何か不安やストレスを感じたとき
左脳と右脳が赤くなる人は心拍数が4回増えるタイプ―落ち着いたタイプ
右脳が赤くなる人はは心拍数が14回増えるタイプ

右脳の血流量が多い人は繊細でストレスを受けやすい人と言える
ストレスがあっても左脳に血流が増えるタイプの人は回復しやすい

ドライマウスの人、ペットボトルが手放せない、飴をしょっちゅうなめるようで大変。


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時間により唾液の出る量は元に戻っていくが、戻らない人ードライマウスになりやすい

日本にはドライマウスー口腔乾燥症―唾液減少症の人が800万人いる。

何を食べてもおいしくない―味を感じない
口内炎がよく起きる
これらのせいで引きこもりがちに

医科歯科大 豊福 昭教授
 ストレス後、早く戻る人、戻らない人の差について。
脳の血流の変化を測定した。右脳、左脳の血流量の差 前に提示


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ストレスをかけたとき唾液の量  ふつうはストレスをかけるのを終了すると唾液は回復するが、ほとんど戻らない人が、ドライマウスになる人、



ドライマウス体操に、リップトレーニング

口を大きく、イーというのを10回、ウーというのを10回やる。

◎唾液を出す口腔体操はいろいろあります。パタカラ体操など。

 いずれも唾液腺を刺激して唾液を出すようにする

東北大笹野先生の特製ドリンク
30グラムのコンブの断片を500mℓの水につけておく
うまみ成分が出て、効果が大きい

翌日、また急にコンブが売れたりして

セルフチェックの5つ方法

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〇口の渇きが3か月以上続く
〇口内炎がよくできる
〇口臭が常に気になる
〇虫歯になりやすい
〇目や鼻のなかが乾燥する


鶴見大学の斉藤教授

味覚異常口内炎などで苦しんだ岡野さんに勧めた方法

道路の横断歩道の白線の所を歩く、オカリナを吹く

他に何でもいいが、集中できるものを探し、実行する。気が紛れて不快感を忘れるようにする

唾液を出すことが出来ぬ―重い症状―シェークレン症候群などには薬があるが、たいてい(9割)は薬を使わないでも治る。

ドライマウス研究会などがある。各分野で相談をしてみる。

◎ブログ筆者は、以前より唾液の重要性についてブログに書いてきました。「こういちの人間学ブログ」
それは、唾液健康法とか、咽津法(いんしん法)とか言います。
それらの名前で検索すると,高位で検索できます。
ぜひご覧になってください。

「唾液健康法(咽津法)、不老長寿に関するブログについて リンク集」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/09/post-2328.html">http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/07/post-2328.html


http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/07/post-2328.html


すみません。つながりません。このブログと同じ日に更新しましたので、直接開いてください。

2018年7月 4日 (水)

池袋の多国籍料理の店サクラ・カフェ/レストランに行ってきました。かなり多くのお客さんが来ています。

2018年7月3日(火)、いつものお出かけの日に、ヘルパーの斉藤さんの紹介で、池袋にあるサクラ・カフェ・レストランに行ってみました。
サクラ・カフェ・レストランは多国籍のいろいろな国の料理を置いていて、珍しいので行ってみることにしました。
事前に場所を調べましたら、池袋駅西口の大通りを行き5差路の交差点を右に曲がって少し行ったところでした。
当日は暑いので自宅からタクシーで行きました。

道の両側にビジネスホテルのようなホテルが向かい合って道路をはさんで、2棟あり,その1棟の1階にありました。
住所は豊島区池袋2-39-10です。TEL.03-5391-2330 食べログ、 3,51です。24時間営業。

お店は他に幡ヶ谷、神保町、日暮里にあります。



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お店の入口です。外側のテラスにも客席があります。寒気が逃げないようにビニールのカーテンがありますが、外の熱気で暑いようです。


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店内の様子。座った席から撮影。注文は注文場所に行き、テーブル番号を言い、注文する品を言い、料金前払いで、後で運んでくれるという方式です。


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店内は外国人のお客が多く、飲み物のメニューの看板は英文で書いてあります。

隣の席にも東南アジア系の2組の家族らしい人たちがいました。このホテルに泊まっている人たちかもしれません


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このレストランは、「テーブルの上で世界旅行を」を売り物にしています。
いろいろなの世界のビール60種類はじめ飲み物がたくさんあります。

飲み放題3時間つき3980円のコースなどがあります。

食べ物は、例えば期間限定フェアとして、世界のサンドイッチとして、ベトナムのサンドイッチ、バインミーやトルコのサバサンド、他にスペイン,フランス、メキシコなど多彩です。

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飲み物はたる生スパークリングワインを頼みました。1杯450円です4.


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生ハムとチーズの盛り合わせ、980円です。生ハムはすこし塩辛すぎました。

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お肉のコンフィ。肉はカモ肉です。美味しかったです。780円。

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・に
ロモサルタード。ペルーの料理。牛肉の煮込み玉ねぎ、トマトなどで作ります、フライドポテト、ライス付き。これもおいしかったです。1080円。

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アフリカ料理のチキンムアンバ。アフリカでベスト10に入る料理だそうです。これもおいしかったです。フランスパンが付きます。。同じアフリカでもエジプトやチュニジアなどの北アフリカの料理のようです。チュニジア料理店が大久保に2店ありますがイタリア料理に似ています。

2人で、合計4420円、消費税込みです。かなり安上がりです。


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帰りは初めて、新型のタクシーに乗りました。これはトヨタ製です。イギリスのタクシーのように車高が高くなっています。乗り心地が良く、運転がしやすいそうです。車いすでそのまま乗り込めるそうですが,乗り込む用意に2 0分くらいかかるそうで、お客さんがそれではいいですということになるそうです。どうも実用的ではなく形だけのようです。

 日産のタクシーはライトバンを改装したもので後ろから車いすで乗るようでのりやすそうですがまだ1台も見たことがありません。


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前後しますが、メニュー表です。いろいろなメニューがあります。

2018年7月 1日 (日)

近況、1、梅雨明けしました。2、ブログ書きにくくなりました。3、足裏のかゆみが増しました。4、小野寺防衛相山口で講演

1、梅雨明けしました。関東の6月梅雨明けは初めて

 6月29日関東地方に梅雨明け宣言が出されました。6月の梅雨明けは観測史上初だそうです。実際は6月25日の月曜日から雨が降っていなかったのでそのころから梅雨明けだったのでしょう。
九州地方などは豪雨が降り続き梅雨が明けていません。
 日差しが強く、油断して半そでで外に出ましたら、日焼けして、その刺激が皮膚のかゆみを強めました。

 今年も早くも半年が経過しました。時間の経過が早く感じられます。平成時代ももうすぐ終わります。次の代もこのままでは安倍政権が続きそうです。日経新聞では10%支持率が上がったそうで。本当ですかねー。新聞を読まない人が、今の安倍の世の中を支えているそうですから。モリ・カケ問題も無関心な人が多いのでしょう。


2、ブログが書きにくくなりました。

 6月の途中から、ブログの本文を書く時の方式が突然変わりました。今まで、字の大きさを変えたり、字の色を変えたりできたのが出来なくなりました。文章作成のための画面に挿入の写真が画像で出ていたのが,出なくなりました。ただの記号の羅列だけが出てきます。以前はBの太字表示に変えると太字になりましたが、字の両側がStrongと表示されるだけです。その他にも色いろ使いにくくなっています。何の断りもなく突然変わりましたがいったいどういう訳でしょうか。ずっと前はこの表示方式でしたが、途中できれいに表示しやすくなりましたが元に戻りました。
 追記:7月に入ると行間が、すべて自動的に詰まってしまうようになりました。///////////////////////や・・・・を入れなければなりません。

3、足裏のかゆみが増し皮膚科で強いステロイド剤をもらいました。

慶応病院の皮膚科に通っていたのが、症状が軽くなったので、はじめに行っていた地元の、東新宿駅前皮膚科にまた戻りました。ところが今度は足の裏がかゆくなり、水疱やそれがつぶれかさぶたのような状態になっています。
足の裏のかゆみは、もともとあった両足首の痺れと重なり、リハビリで歩く時の妨げとなっています。
 皮膚科では、一番強いステロイド剤の入った塗り薬を2本くれましたがなかなか症状は軽くなりません。

足の裏はいつも靴が当たっているし、歩く時にはもろに刺激がかかります。また薬を塗っても取れやすいのです。

気温が高いため、汗をかきやすく、かゆみが生じる元となります。1度症状が軽減したのでステロイド剤をあまり塗らなくなりましたが,最近使用量が増えています。

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ステロイド剤強さ 1ランク ジフロラゾン酢酸軟膏 0,05% 10g

4・,小野寺防衛相が山口で講演しイージス・アショア配備に理解をと


 6月12日の米朝会談で緊張がゆるみ、膨大な金を食う、イージス・アショアの必要性がなくなったのではないかとの意見に対し、小野寺防衛相は、山口県で6月30日講演し、「会談が終了しても何の北朝鮮側の変化がない」、とし、イージス・アショア配備に」理解を求めました。という記事がありました。山口や秋田などでは緊張緩和を受けて配備をやめてほしいとの意見が出ているのです。
(追記:はじめ青森と書いてしまいました。6月22日、秋田県庁で佐竹敬久知事は、配備に疑問を表明しました)

 莫大なお金のかかるイージス・アショアのアメリカからの購入は、トランプ大統領の歓心を得るために約束したものですから、いくら情勢が変わっても購入しなければなりません。米朝会談で米朝の緊張がゆるむことは安倍内閣にとって困ったことなのです。”北朝鮮の脅威””と脅かして、選挙に勝ち、憲法改悪を急ぎ、防衛力を高めたいわけですから。防衛費をかければ、日米の防衛産業が喜びます。

日本は米朝会談成功をアメリカのトランプ大統領の手前、ほめたたえていますが実は困ったことなのです。拉致被害者問題でもただアメリカ頼みで、何も具体的な手立てを講じません。ですから、もう解決済みと北朝鮮から突き放されています。

 この余計な防衛費増大分を少子化防止策や人々の貧困化防止策に回せばどれだけ助かる人が多いでしょうにそんなことは、まったく眼中にないのです。本当は米朝がさらに緊張が続き、憲法を改悪し、自衛隊を正式に国防軍とし防衛相を陸、海、、空、軍大臣としたいところでしょう。アメリカとしては韓国、日本に配備する米軍を減らし、日本が防衛費をさらにかけ、日本の軍隊を従来通りアメリカ軍の支配下の置ければいいのですから。

参考:

「知ってはいけない」隠された日本支配の構造 矢部宏治、講談社現代新書 2017年8月

 この本の内容・各章

1、日本の空は、すべて米軍に支配されている
2、日本の国土は、すべて米軍の治外法権化にある
3、日本に国境はない
4、日本のトップは「米軍+官僚」である
5、国家は密約と裏マニュアルで運営する
6、政府は憲法にしばられない

7、重要な文書は、最初すべてア英語で書かれる

8、自衛隊は米軍の指揮下で戦う

9、アメリカは「国」ではなく、「国連」である

「戦後日本」「という国は、実はアメリカ政府ではなく、アメリカの軍部(特にかって日本を占領した米極東軍を編入した米太平洋軍)によって植民地支配されている。p252]
・・

追記

6月は「訪問組織ランキング」が79件100人ほどでした。特に大学が38件51人と多めでした。

7月13日:追記

西日本豪雨により、7月13日で「大雨特別警戒」が出てから1週間、現在死者189人不明者68人となり、平成に入り最大の被害者となりました。、死者・不明者は14府県に及びました。

このところ、記録的暑さが連日続いております。
外に出かけるのも控えています。ブログの更新も進んでいません。

雨の被害が出始めたころ、、オーム真理教の死刑囚、松本死刑囚など7人の死刑が執行された。平成の間に処理してしまおうとしているようです。

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