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2018年9月27日 (木)

クローズアップ現代、「謎のマッチョな弥生人」船を漕いでマッチョというのはおかしい。追記丸木舟で2019年7月9日与那国島到着。

2018年9月26日(水)の夜10時から、10時25分まで放送された、NHKの「クローズアップ現代+」で、「謎のマッチョな弥生人、骨から探るミステリー」という番組がありました。
九州北部には弥生人が早くに朝鮮半島から渡来し住み着きました。彼ら弥生人は背が高く、ほっそりしていて、顔も面長で、いわゆるしょうゆ顔であるということになっていましたが、九州西部の海岸や島部に住んでいた人の骨は、背が低く、筋肉ががっしりしていて、いわゆるマッチョな体つきで、顔つきも違う人たちでした。一体これはどうしてだろうかということです。

 

遺跡では権力の象徴として南方でとれる貝の腕輪の副葬品が権力者の骨と一緒に発掘されています。その貝の副葬品を得るために、ときに黒潮に逆らって、沖縄方面に行っていたので、筋肉が発達したのではないかと言っていました。季節によっては黒潮の流れに逆らった風の動きがあるのだそうであるが、それらを利用して手に入れたのであろうという。

 

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九州西部の海岸や島で発掘された骨は、身長は1メートル50センチほどだが、背は低いががっちりした体つきであった。

 

◎この顔つき、体系を見ても、縄文系由来の人である。縄文系の人たちは各地のへき地の海の近く、南九州、沖縄、四国、都会地以外の関東、東北特に太平洋側などに多い。

 

がっちりになったのではなくもともとがっちりなのである。

 

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平野部の弥生人と異なるマッチョな人々の集団があるということ。
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国立科学博物館の海部陽介氏はいう。

 

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弥生人のイメージ。ほっそりとした体つき。稲作もたらした人々。

 

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どんな暮らしでマッチョに。骨をCTスキャンして調べてみる。

 

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(弥生式)土器を運んだルート

 

長崎・高島にある遺跡と同じようなものが鹿児島さつま市にある。貝の腕輪など。

 

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赤い服を着た女性-筋肉を売り物にした芸能人ーはマッチョな弥生人と同じくらいの背の高さ。

 

このテレビでは、ほっそりして、背が高い弥生人が、船に乗るために筋肉が強くなって、外見も変わったというが、あまり納得できる話ではない

 

もともと、2400~3000年以前には日本には縄文人しかいなかった。縄文人は南方起源や、中国から来た人々、アイヌ系で北方に住む人たちなど雑多な人々が住んでいた。縄文時代にも稲作が伝わったようだが、弥生時代のように大規模なものではなかった。

 

大陸から中国江南の人たち(百越と呼ばれた)が漢民族の圧迫から逃れる形で渡来してきた。そのころ、広く倭人と呼ばれる人たちで、稲作文化をもたらし、高床式倉庫、抜歯、刺青の習慣を持った人たちだった。

 

倭人のことはや後漢の「漢書地理誌」や王充の「論衡」に書かれている。そこに書かれている倭人ということを、広く南中国から日本にかけて住んでいた人ととらえる人と、日本人とだけとらえる人がいる。

 

紀元前300年ころからいずれにしても沖縄諸島経由や朝鮮半島経由で、日本に渡来してきた。弥生時代の始まりとなる。そして、前から住んでいた縄文式文化の人たちと混血していった。

 

弥生人を狭義には渡来した人だけをいう場合があり、広義にはもともと住んでいた縄文人を含めて(縄文系弥生人という)と弥生時代になり、弥生時代の文化を取り入れ、渡来人と混血もしていった、人たちも含めて言う場合がある。

 

1700年前ごろ、弥生時代から古墳時代になるころから、気温の低下により、大陸の北方系のツングース系の人たちが、南下し、高句麗、百済を建国し、さらに朝鮮半島から大挙してやってきた。さらに、百済滅亡などに際して多くの渡来人が来た。また新羅系の人泰は日本海から富山、新潟から関東に住み着いたともいわれる。百済系の人たちは日本の支配層になっていった。彼らは細面、平面的な顔、いわゆるお雛様顔をしている人たちである。そして古墳時代になっていく。

2019年7月12日(金)追記

海部陽介氏の率いる国立科学博物館を中心とするチームが台湾東部から、原始的な方法でつくった丸木舟で台湾東部を7月7日出発したものが、7月9日に与那国島に到着しました。丸木舟の乗りては5人で、1人は女性でした。今まで葦の船などで2回失敗していました。台湾から与那国島までは200キロほどの距離があります。方角は太陽や月のいちで確認しました。予想しています。およそ3万年前に丸木舟に乗って渡来したと考えられています。

 

 

 

 

 

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