ゲノムで解明、日本人の起源 縄文人は東南アジア起源か、各紙で報道
2018年9月2日(日))の日経新聞の朝刊と、9月11日(火)の毎日新聞夕刊に、日本人の起源が、ゲノムで解明された、と報道していました。特に、日経新聞はカラー版で大きく出ていました。30面サイエンス版
日経新聞の30面サイエンス版の図版。
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日経新聞の記事
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DNA追い古代人に迫る
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縄文人 東南アジア起源か
ホアビン文化民族が縄文人となった可能性可能性が高い。
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ラオス、マレーシアなどの文化の担い手が作るホアビン文化の人たちと、縄文遺跡の愛知県井川津貝塚(4000年から2500年前)の2500年前の成人女性の骨がこの研究の立役者となった。
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金沢大学、北里大学、国立歴史民俗博物館を中心とする研究グループが、頭部(耳の骨-側頭骨錐体)にわずかに残る遺伝子を注意深く採取し、全遺伝子情報の解読に成功した。
その情報をもとにこの7月、縄文人の起源について成果を発表した金沢大の覚張隆史特任助教は「縄文人の全遺伝情報を解読した初の成果。東南アジアの人々の遺伝情報と比較して遺伝的なつながりを調べる足掛かりができた」と解説する。
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比較した相手は現在のアジアの人々や8000~2000年前の東南アジアの古代人ら80を超える集団だ。古代の人たちの遺伝子で調べる研究はすでに試みられていたが、日本で解読できた遺伝情報の割合が数%と低く詳細な分析はなかなかむずかしかった。全遺伝情報が解読できれば情報量も多くなり、より深い研究ができる。
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覚張特任助教らは遺伝情報の類似性などに着目し6つのグループに分けた。その結果、井川津貝塚の女性の遺伝子は、約8000年前のラオスの遺跡や約4000年前のマレーシアの遺跡で見つかった古代人の遺伝子に近く、同じグループに分類されることが判明した。
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そのころの東南アジアには狩猟採集民が住み「ホアビン文化」と呼ばれる文化圏を作っていたと考えられる。その集団の一部が移動し日本列島にたどり着いた。東南アジア地域から渡来した集団が縄文人の起源とする説が最近唱えられているが、それを裏付ける結果となった。
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このグループの遺伝子は他の5つのグループと大きな違いがあったが、地理的に近いグループの間で交流が起きたとみられる痕跡も見つかった。東南アジアでは、古い石器時代から住んでいた狩猟採集民が、稲作などの農耕文化を持つ集団の移動によって置き換わる「2層構造仮説」が長く信じられてきた。
今回の成果から単純な置き換わりはなく「複数のグループが移動と交流を繰り返す、新しい枠組みが浮かび上がってきた」(覚張特任助教)という。
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国立歴史民俗博物館の山田康弘教授は「遺伝情報に基づく研究は日本の考古学にとってもおおいな力となる」と強調する。
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遺伝子を解析して古代人の足跡をたどる世界の研究者に共通する考えでもある.浸透に合わせてこの分野の研究は活発になってきた。~
日本のような高温多湿なところでは遺伝子がきちんと残りにくい。乾燥した地域の多い欧州やアフリカは遺伝子の保存状態が良い。
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今回の研究では,歯の中に残る細胞から遺伝子を取り出す方法ではなく、非常に硬い側頭骨に採取場所を変えた。~
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この研究はデンマークのコペンハーゲン大学を核とする国際研究チームとの、共同作業でもあり、海外の複数の大学でも同様に遺伝子を解読した。北里大太田博樹淳教授は「1つの研究所だけでは信用度を高められない。国際協力体制で高い精度のデータを出せる」と話す。
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キーワード「縄文人と弥生人」、「互いに交流し日本人に」
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縄文人、1万数千年前から、約2300年前に日本列島に暮らしていた。丸顔で鼻が高く、えらが張っている特徴がある。狩猟採集生活を送り、現在の台湾や朝鮮半島などを経由して移り住んだと考えられている。
井川津遺跡は4000年から2500年前の遺跡で、縄文後期から晩期に当たる。
弥生人は約2500年前にアジア大陸から九州地方にわたり,コメ作りを始めていたという。面長で目が細くあごは細い。徐々に日本全体に広がり、縄文人などと交流しながら現在の日本人へと移り変わっていった。
上図は日経新聞の図表
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縄文人の顔の特徴
鼻が高い、えらが張っている、丸顔
遺伝子の並び方
古東アジア人の遺伝子と違う
ホアビン文化の遺伝子と近い
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◎下の図は、毎日新聞の記事を1,5倍に拡大してスキャンしました。今までスキャンがうまくできませんでしたが、パソコンを変えて、はじめからWindows10で入っているものに変えたら、うまく取り込めました。W7から10に変わったときうまく対応できませんでした。
毎日新聞の記事は「ホアビン文化」のことは書いて無く、逆に日経新聞の記事は、日本全体に住む「ヤポネシア人―日本列島の人類」のことはかいてありませんでした。
毎日新聞の記事
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日本人の起源ゲノムで解明へ
分離融合の新手法
離島など50地域500人を解析
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ゲノム歴史学という新手法
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本州に住む人や北海道のアイヌ民族、南西諸島の人など、地域でDNAに違いがあることが分かっている。
チームでは、日本全体に住む人類を意味する「ヤポネシア人」-日本列島人―となずけ、ルーツを包括的に調べる。
全国で離島や半島など特に土着性の高い50か所の地域の約500人のゲノムを詳しく解析。5か年の研究には、プロジェクトには北海道大学、人間文化研究機構、国立歴史民俗博物館などが参加し研究費は約2億円。~
これは携帯カメラで撮影したものです。両方とも読みにくいですね。
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◎日本人と倭について
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倭について書かれるのは、「漢書地理誌」や,王充の「論衡」などであり。倭人が暢草を献じた、という記録がある。これを日本の倭が献じたという説もあるが、当時揚子江一帯に住んでいた人たちも、日本に住んでいた人たちも倭と呼ばれていたので、揚子江一帯の百越と呼ばれた人々をさすのではないかと思われる。
倭人については、「魏誌倭人伝」が詳しい。米作をし,鯨面文身(入れ墨)をし、高床式の家に住み,貫頭衣を着るなどの風俗が描かれている。日本では弥生時代を表しているようである。
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中国では倭人は中国人(漢人)に押され南方に行き中国の少数民族やタイ、ラオス、ベトナムなどの東南アジア人となったと思われます。
遺伝子的に、日本人と東南アジア人と近いのはそういう理由があります。
しかし日本人はアジアの諸民族の吹き溜まりのような存在で、南はベトナムやインドネシアに近い人たち、南中国系、北方中国系、モンゴル系、ツングース系のお雛様顔の人たち、アイヌ系などがいて、本当に様々な民族が混血しています。
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国立科学博物館で一連の人類の起源と歴史のNHK番組の展示があると思います。楽しみです。
参考
日本 中 国
紀元前300年ころまで縄文時代 前漢
新
紀元25年 後漢成立
57年 倭の奴国朝貢
弥生時代 「漢書」、「論衡」
220年 後漢滅亡
魏,呉,蜀
紀元300年以後 古墳時代
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