更地になったロッテ工場跡地。2273坪の広大な土地、2019年住宅展示場オープン。新宿新聞に
2018年12月5日付の新宿新聞に「新大久保駅、ロッテ跡は最大級住宅展示場」
の記事が載りました。
追記
◎2022年5月の記事で、ブログ筆者が小学生時代ロッテの工場の隣で、小さなひとだまのようなものを見ました。その原因は?
というような記事を書きました。
「集客力増す新大久保」、「桜美林キャンパスに続く集客施設」、
「住宅展示場 敷地は24時間”通り抜け可」
「災害時には帰宅困難者受け入れ」の見出しになっています。
2階建ての交流拠点
来年1月12日、総合住宅展示場、ハウジングステージ新宿としてオープンする。20区画中15社の出店がすでに決まっている。
通路は10メートル以上で、セミナー会場や交流の場ともなる2階建ての交流拠点(管理棟)を設置。防災拠点ともする。
新大久保周辺に、ロッテ工場跡地の住宅展示場、2019年4月開校の、学生数2000人の桜美林大学、歌舞伎町にできる、新宿TOKYU MILANO 再開発とできると賑わいが連続するが、新大久保の混雑が問題だ。今でも土日は入場規制をしているほどだ。
◎2020年1月19日から20日にかけて、このブログのアクセスが急に増えたのは、ロッテの創業者の辛格浩(日本名、重光武雄氏)が1月19日にソウルの病院で死去したからでした。ここに作ったチューインガムがもとになり,財を成したということです。
2017年12月23日、ロッテ新宿工場跡地の写真を撮ってきました。
まだ工事中の状態と、その時の新大久保駅の周辺については、すでに「こういちの人間学ブログ」に書きました。
2017年8月8日
「新大久保、山手線トップの伸び率に。駅周辺にぎやかに。ロッテ工場跡地」
2018年9月7日
たまたま、近くを通りましたら、工場跡地の囲いがすべて取り払われ、住宅展示場に使うとの看板が出ていました。
2018年9月25日着工、2019年1月11日完了予定となっています。
9月8日に再度行きましたら、オレンジ色のさくがつけられていました。
西新宿の高層ビル群です。
建物は1棟だけのようですが。
ロッテ新宿工場について
ロッテ新宿工場はロッテ創業の地です。戦後まもなく工場を作り、以後日本、韓国にまたがる巨大企業となりました。大久保通りから戸山小学校に向かう地にあり、筆者は小学生時代からずっと通っていました。大久保通から入る道の角には、筆者の戸山小学校の同級生である、盛好堂書店の道岡さんの店があります。
旧ロッテ新宿工場は新宿区百人町2-2-23にあり、工場の敷地は7500m2あり広大です。他に女子寮や、多くの駐車場なども持っていました。工場では主にチュウインガムを作っていました。以前はロッテオリオンズの事務所もありました。2013年に狭山工場に移行し閉鎖されました。2017年に解体工事に入り、8月ころに解体終了となりました。新大久保駅に至近な土地で広大な空き地が生じたのでこれからどうなるか、というところです。女子寮の跡地は分割され住宅用に売られ、今はもう家が建っています。
跡地と周辺の写真
一番北から見た跡地。この広大な駅前の1等地をどうするのでしょうか。とても興味深いです。
跡地の北側から見る。西新宿の高層ビル群がよく見えます。
北側に事務所があり、昔ロッテオリオンズの事務所もありました。
北側、事務所の向かいにある戸山小学校。この裏に海城中、高があります。
工場半ばから北側を見る、最も古い高層マンション、西戸山タワーホームズが見えます。
新大久保駅に近い道から見る。左に見えるのは住友ガーデンタワービルです。
ロッテに隣接した細い道から山手線の線路を見る。最近広い道ができる。駐車場が多くできています。
近くの新大久保駅。今改造中です。12月23日祭日でごった返していました。
2018年1月19日 1987年(昭和62年)の百人町東町会の見取り図
下は大久保通りです。図面は当時の配置図。実際の地図と違います。右下に盛好堂書店の名があります。ロッテはもつと広い面積です。
追記
はっきり決まるまで、住宅展示場として使う、という話があります。
オープン記念フェア開催中 2019年1月13日
オープンフェア開催中ーの入口。
真ん中に広い通路ができています。
12,13,14日を中心とした催し物の一覧を示した看板
上 セキスイハイムの家。完成した家はまだ3棟ほどです。
2019年10月27日
2019年10月27日の展示場
まだ,2,3棟作っていますがほぼ出来上がりました。バリアフリーの家は
少ないです。
2019年12月13日
新宿区に西新宿にあった住宅展示場は2020年3月で閉鎖されると、新宿新聞に載っていました。それでこちらの展示場が必要なのですね。
近いところに2か所もあっておかしいと思っていました。まだ新大久保の展示場もまだできていない建物がありますがm来年3月までには完成させるのでしょう。
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コメント
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こういち 様
日本でも、製造業は落日の感が濃くなり、全国で工場用地が空き地になって来ているようです。
それでなくても少子高齢化で、更に過去の景気刺激策で用も無いのに家ばかり作った挙げ句、何百万戸もが空き家ですし、空地も目立ちます。
更に、相続があっても所有権登記の現所有者名義への書き換えが義務では無いので、何代も放置した結果、現在の土地所有者が不明の土地が膨大にあるそうです。
地方の自治体は、財政難で過疎対策が充分ではありませんので、住民の都市部への移住を進めるしか他に選択肢も無く、その揚句に空き家と空き地が増大するでしょう。 滅亡の運命になる自治体も多数出るでしょう。 これは、最近の研究で明らかです。
東京の駅近物件ならば、不動産として優良なので地価の上昇もあるでしょうが、それ以外は、地価も下落するでしょう。
それなのに、関西では、都心から遠距離の山中の住専(住居専用)地域で、スーパーも何も無い傾斜地に階段の多い住居を作り、高価な住宅ローンを組み、移り住む人々が未だに居るのが不思議です。 歳とってからどうするのか、と呆れます。
都内ならばマンションにしても売れるでしょうが、関西の山の中では無理でしょう。 山の中でなくても、泉北や、千里のニュータウンも過疎地になるのは必定ですので、地元の自治体は困るでしょう。
これから、この国はどうなるのでしょうか。
投稿: イチロウ | 2017年12月23日 (土) 21時25分