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2018年12月24日 (月)

日本人成立の謎、弥生人のDNA分析 NHKサイエンスZERO。渡来人が何回も来たあかし

2018年12月13日、午後11時30分からNHKサイエンスZEROで「日本人成立の謎 弥生人のDNA分析」という番組が放送されました。
鳥取県、青谷上寺地遺跡で大量の弥生時代人の人骨などが発掘されました。
この遺跡では大量の人骨と脳が3つ見つかり、大量な大陸からの道具などが発掘されました
国立科学博物館の篠田健一氏(国立科学博物館副館長)が解説します。
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◎青谷上寺地遺跡
 鳥取県鳥取市青谷町に大量の弥生時代の遺跡が発掘された。100人分を超える人骨と、その中に3つの脳が残存しました。人骨には110点にわたる殺傷痕が見つかっている。様々な鉄製品や中国の貨幣などが発見されている。2008年に国の史跡に指定された。
こういちの人間学ブログ
「縄文人と『弥生人』について NHK 日本人のルーツ解明 ~」
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弥生時代の位置づけ
弥生時代人のDNAの解析・ミトコンドリアの解析と細胞核の解析がある。
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ミトコンドリアのDNAは母系のルーツを探ることができる。
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青谷上寺地の人骨37体をDNA解析した結果を見た。渡来系7割、縄文系3割ぐらいの比率かと思われた。
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実際には縄文系が1人しかいなかった。推測されることは、北九州から次第に鳥取まで来たのではなく、朝鮮半島から直接鳥取の地に来て間もないということが分かった。-縄文人との接触が少ないということ。
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37人のルーツをDNAで調べてみると、大陸の様ざまな地から来ていることが分かった。縄文系は1人だけ。北中国朝鮮系D4が14人で一番多い。
ハプログループ
人類のミトコンドリアのDNAの型はAからRまでに分かれる。ミトコンドリアのDNAは女系につながっていて、はじめの女性はミトコンドリア・イヴともいわれる。
一方Y染色体は男系でのつながりである。日本人はいろいろなタイプが混合しているが特に多いのがO1タイプ(韓国・大陸系-日本に多い)とDタイプ(チベット・アイヌ・縄文系)である。O2タイプは中国、朝鮮に多く日本人も15~20%を占める。 
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ミトコンドリアのDNAの塩基数は16500ばかり。それに対して、核のDNAは30億の塩基の組み合わせ。核の塩基は両親から受け継ぐ。それを調べると、髪の形、色、なりやすい病気などいろいろなことがわかる。
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青谷上寺地遺跡群は弥生前期の末頃から3世紀の弥生時代後期まで。海辺の遺跡。
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遺跡発掘の状況
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国立歴史民俗博物館 藤尾慎一郎教授
DNAと年代を図ることによってより時期が明確になったので、わかってきた。
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2世紀のごろの骨であることが判明した。2世紀に大陸から来たばかりの人骨。
◎2世紀は倭国大乱のころであり、日本中が戦いに明け暮れていたころである。その後
卑弥呼が出て(170~248)日本はおさまる。それ以後古墳時代になる。
中国では後漢の時代です。卑弥呼は魏志倭人伝に出てきます。
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遺跡で発掘された中国の貨幣
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発掘された鉄製品。ガラス製品もあった。
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この遺跡の弥生人の人骨の特徴は戦いで傷ついた人骨が極めて多いことである。矢じりが刺さったままの人骨もある。110も殺傷痕後のついた骨がある。いかに争いが激しかったか。(倭国大乱)
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当時の弥生人の顔の復元図。
◎土井が浜遺跡と国立科学博物館での展示
山口県下関市の砂丘地、土井が浜で発見された弥生時代中期の遺跡の展示
砂丘地は石灰分が多く、骨が保存されやすかった。300体を超える弥生時代最大の遺跡である。
1962年に国の史跡に指定された。
2018年12月11日から2019年3月24日まで国立科学博物館で企画展「砂丘に眠る弥生人 土井が浜遺跡の半世紀」開催。
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身分の高い人の甕棺。副葬品が立派である。
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弥生時代中期の女性の骨。身分の高い人と予測される。
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DNAで比べた中国。韓国、縄文人の位置。
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同じ弥生人でも福岡の弥生人と長崎の離島の弥生人、DNA。岩手の弥生人と、それぞれの違いがある。福岡の弥生人は渡来系の遺伝子の影響が強い。岩手の弥生人は縄文人そのままのDNA
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前の図から、現代日本人は真ん中の黄色のところと推測される。
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しかし現実の現代日本人を見ると、ずっと大陸よりである。結局。2世紀以後も何回も渡来人が来て、より大陸寄りになったと考えられる。
◎弥生時代以後の古墳時代にも多くの渡来人が入り、さらに西暦660年、百済は滅亡した。その時にも大量の亡命人が日本へ来た。また高句麗が滅亡した時にも大量の渡来人が日本に来た。

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