人骨に向き合って、人類学者土肥直美さんに聞く 沖縄の旧石器人について解明か
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2018年4月21日の「こういちの人間学ブログ」の記事で、「国内最古の旧石器人の人骨 石垣島で発見 港川人との違いは 国内最古の顔復元」というものを書きました。
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2019年1月12日(土)から3日間にわたって、この人骨の発見者である、人類学者の土肥直美さんの話が赤旗に載っていたので紹介します。(記者、間宮利夫)
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◎土肥(どい)直美さんは、1945年(昭和20年)生まれ、現在73歳。九州大学理学部卒業、その後九州大学大学で助手に、その後、あこがれの西表島での調査をきっかけに沖縄に移り住んで四半世紀になります。1992年に琉球大学医学部解剖学教室に単身、赴任。その後准教授となり、その後非常勤講師になりました。
古くは27000年前の旧石器時代から、100年ほど前までの近代まで、1000人もの人の骨と向き合い先人たちの声なき声に耳を傾けてきました。
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著書
「沖縄骨語り」人類学が迫る沖縄人のルーツ 2018年4月29日 琉球新報社
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なかなか興味深い内容でしたので、新聞記事全文を転記、掲載しました。最初にあげたブログでは港川人の想像図が載っていて興味深いのでぜひご覧ください。
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「人骨に向き合って」-沖縄で四半世紀
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1、生と死の近さに驚いて 2019年1月12日
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白保竿根田原洞窟遺跡4号人骨の複顔像
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「顔を復元」
ー昨年、東京の国立科学博物館で開かれた「沖縄の旧石器時代が熱い」の展示でおとづれた人の目を人の目をひときわ引き付けたものがあります。土肥さんたちが復元した石垣島白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞窟遺跡で見つかった27000年前の旧石器時代の人の顔です。旧石器時代の人の顔が復元されたのは、日本では、沖縄・八重瀬町の港川人以来2例目です。
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保存状態がよかった4つの頭骨の一つです。保存状態がよいとはいえ、欠けた部分もありますから完全ではありません。国立科学博物館の河野玲子さん(現慶応大学准教授)と、コンピューターでかけた部分を補うデジタル復元という新しい技術を使いました。その方法で完成した頭骨に、DNA解析に基づく情報や石垣島の気候などを考慮して肉付けしたり肌の色を決めたりして複顔しました。
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通常、骨が完成すればそれでよしということになるのですが、やっぱりどんな顔か見てみたい。かっこいいきりりとした顔立ちだったので大満足です。まわりからも、沖縄ではけっこう見かける顔だと言っていただき、ほっとしています。
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「ある衝撃」、
ー1990年代初め、九州大学医学部で助手として人骨の研究をしていた時、西表島でダムの建設に伴って古いお墓が沈んでしまうらしいという話を聞いて初めて沖縄へ。その時受けた驚きが、単身沖縄に住み、研究を始めるきっかけになったといいます。
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学生時代は理学部で生態学を研究しました。京都大学の人たちがアフリカで類人猿の研究を始めたというのを聞いて、自分も自分も人類進化の研究をやれたらいいなと思ったのですが,九大理学部にはそういうコースがなく、マイマイ(カタツムリ)にマニキュアをぬって印をつけ、生態を追う毎日でした。
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学生時代にかなりのエネルギーを注いだのが探検部です。当時顧問だった医学部解剖学教室の永井昌文教授が私のことを覚えていてくれて、後に助手に採用してもらい、念願だった人類学の研究をスタートすることができました。
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探検部のころイリオモテヤマネコが発見され、西表島はみんなの憧れの場所でした。案内してくれた方は「夕方迎えに来るから」っていうので、1人でスケッチしたり、写真を撮ったり、丹念に観察しました。
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集落の裏山の岩陰の草むらに人骨がごろごろという状態で,生と死がすごく近い感じでカルチャーショックを受けました。18から19世紀の墓だと思いますけど、これをダムで沈ませていいものだろうかと、怖いもの知らずで県の教育委員会に行き「なんとかなりませんか」って言ったら、水位を下げてくれたんです。
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その後、他の人類学者と何度か調査しましたが、その時は沖縄で職があるとは全く思っていませんでした。ところが1年後に琉球大学医学部に赴任することになったのですから、人骨が呼んでくれたのかな。
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2 、沖縄・アイヌ骨格似ず 2019年1月13日。
王族の顔
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ー1992年に単身琉球大学に赴任し、沖縄のあちこちの発掘調査に参加発掘。数万年前から沖縄の島々で生きた1000人もの人骨と向き合い、その移り変わりを目の当たりにしてきました。中でも浦添市の王陵(王の墓)「浦添ようどれ」で出会ったある人物の顔が印象に残っているといいます。
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浦添ようどれは沖縄が北山,中山,南山との3つに分かれていた三山時代の13世紀後半中山王英祖(英祖)が作り、のちに琉球王国の第二尚氏七代王尚寧が改修した墓で、調査の結果、英祖王陵には100人以上が葬られていることがわかりました。英祖とその一族とみられます。
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英祖王陵の石棺の一つに納められた頭骨を合わせた結果、王族ということで想像していた
顔つきと異なり,歯が前に突き出していました。突顎(とつがく)といって、本土では鎌倉時代から室町時代によく見られますが、沖縄では初めて見る顔つきでした。
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沖縄では,本土の縄文時代にあたるころから狩猟採集生活を中心とした貝塚時代が長く続いていましたが、11世紀ごろ突然、石垣を築いて作った巨大なグスク(城)が各地に出現します。英祖王陵に葬られていた突顎の人物は、沖縄の外から人々がやってきたことを示しています。
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国立科学博物館の篠田健一さん(人類研究部長)による、尚寧王陵の人骨のDNA解析では中国南部や東南アジアとの関連が見られ、琉球王国の成立にこれらの地域の人々との交流が重要な役割を果たした可能性があると考えられます。
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説明困難
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ー日本人の成り立ちを考える仮説に、1991年東京大学の埴原和郎教授(当時)が提唱した「二重構造モデル」があります。日本人は、古くから日本列島にやってきていた縄文人と弥生時代の初めに大陸からやってきた人々が混血して出来上がったとするものです。辺縁部に位置する沖縄や北海道は混血の影響が及びにくく、縄文人の形質が残ったとされています。土肥さんは、沖縄で見つかる人骨の研究をする中で、それだけでは説明できないと考えるようになったといいます。
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1993年から94年にかけて、札幌医大の百々(どど)教授(当時)たちと、アイヌ、本土、沖縄の古人骨の比較をしました。その結果,沖縄の古人骨の顔立ちは、アイヌの古人骨に比べ平坦で、必ずしも両者がよく似ているとは言えないことが明らかになりました。
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◎アイヌと沖縄の人は縄文系とひとくくりにしている考え方は多い。しかし、アイヌと沖縄の人は、毛深いなど、共通なところもあるが、極めてよく似ているとは言えません。北方から樺太などを経由してきた人たちと、南方の東南アジアや中国南部から来た人たちとは明らかに違います。
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沖縄では、骨が残りやすい地質のところが多く、約2万年前の港川人はじめ非常に古い人骨が日本で唯一といっていいぐらい発見されていますが、近世とその間をつなぐ先史時代の人骨は余り見つかっていません。特に,宮古・八重山といった先島諸島の先史時代の古人骨が重要なのですが、この地域ではそれがまったくと言っていいくらい見つかっていませんでした。
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そこで、1997年ごろから先島諸島のあちこちで先史時代の人骨を探す発掘調査に取り組みました。しかし、これがまったく当たらない。2000年前ぐらい前からの生活の跡がたくさん見つかっている宮古島の浦底遺跡でもだめでした。何年やっても当たらないので、「日本一骨運のない人類学者」と言われたほどです。
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記事中の写真の拡大図 骨を見る土肥直美さん。
石垣島の白保竿根田原洞窟遺跡や宮古島の浦底遺跡、沖縄本島の浦添ようどれ遺跡,港川遺跡など。
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3、骨”運”の無さが大逆転 2019年1月15日
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探検仲間
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ー10年余り先島諸島で先史時代の人骨を探し続けたのに見つからず、日本1骨運がない人類学者といわれていた土肥さん。ところが、2007年に石垣島の新空港建設予定地で約2万年前の人骨が見つかったのをきっかけに、日本ではこれまで例のない、多数の旧石器人の人骨と出会うことになりました。
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白保竿根田原洞窟で人骨を最初に発見したのは沖縄鍾乳洞協会理事長の山内平三郎さんたちで、人骨を大学までもってこられました。山内さんとは琉球大学に赴任したころ、以前医学部長だった先生の紹介でお会いしてからの洞窟仲間でした。
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「沖縄に来たんだったら洞窟を知らないとだめです」って言われて。探検部だったので、洞窟に潜ったことがありましたが、行くと落差が20っもある。高いところは怖いけれど「下に人骨があるから」っていわれると行っちゃう。
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人骨が見つかると持ってこられて、一見古そうなのですが、年代を調べてみると数百年前ぐらいというのが多かった。その時も、古そうでしたが「年代を調べないと」といいました。人骨と一緒に見つかったネズミの骨の年代を調べたら、約2万年前で、これは大変ということで頭骨の一部ですが人骨も調べたら、これも約万年前でした。
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2010年と13~16年に県立埋蔵文化財センターが中心となって、私たち形質人類学者や考古学者だけでなく、DNA人類学などさまざまな分野の研究者参加する画期的な発掘調査が行われました。合わせて1300点もの人骨が見つかっています。これまでの分析で、少なくとも19人の旧石器人の骨を含んでいることがわかっています。
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人骨の出土状況から、調査の最初のころから風葬の墓だと考えていましたが、15年の調査で決定的な証拠が見つかりました。一番古い2万7000年前のもので、最初に複顔できた4号人骨です。骨の位置から、亡くなった後、あおむけで両腕と両足を折り曲げた形で安置されたことをしめしていました。
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次の地へ
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ー白保竿根田原洞窟で見つかった多数の人骨は、現在土肥さんたちが1つ一つ付着した石や土を取り除くクリーニングという作業や、つなぎ合わせる作業を進めています。
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こういう人骨が出てくるような遺跡が今後、いつ見つかるかわからない。そこで発掘ができて、今こうやってクリーニングや、クロスワードパズルを解くようなつなぎ合わせる作業を行わせてもらっている。たぶん日本で一番幸せな人類学者かもしれないですね。
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これで若い人類学者が、大きくなってもらいたいし、育ってほしい。河野さん(河野礼子・慶応大学准教授)が若い人類学者のチームを作ってくれて頭骨以外の部分の研究も緒に次いでいるので、どんな成果が出るのか楽しみです。
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それと、白保竿根田原遺跡は墓だったということがはっきりしたので、では生活の場はどこだったのか。近くにあるはずなので、ぜひ探したいと思っています。
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◎以上が新聞記事の内容です。
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2万7000年前の白保竿根田原遺跡の人骨の複元像は至極まっとうなものです。
しかし、2万年前の港川人の新しい復元図では、オーストラリアのアボリジニに近いということで大きく想像図を変えています。沖縄に住んでいた人のルーツは一つには南中国から台湾経由で来た人のほかにはるか南の東南アジアから黒潮に乗ってきた人たちとが考えられますが、オーストラリアのアボリジニに近いというのはどうでしょうか。今後の調査が待たれます。(港川人の復元図のいろいろは、は最初にあげたブログをご覧ください)
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新しい研究により国立科学博物館が作った港川人の復元図。アボリジニに近いというのですが。
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