人間学研2月例会、倉田 眞氏「石牟礼道子さんをしのんで」、毎日記事でも
2019年2月15日、人間学研究所の2月例会で、当研究所研究員で、元毎日新聞西部本社の編集局長であった倉田 眞氏に「石牟礼道子さんをしのんで」と題して、お話をしていただきました。
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お話の概要のプリントが」配られました。2019年3月に発行される、「人間学研究所年誌」2018にも、同じ内容の詳しい文章を書かれました。
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「石牟礼道子さんをしのんで」
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1、はじめに ~石牟礼の横顔とレポート概要
2、少女、教員生活、結婚、主婦時代
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1927年、天草に生まれる。その後水俣へ。はじめ代用教員をしていた。若くて生徒とあまり年が違わなかった。その後結婚し,姓が吉田から石牟礼になる。名前は気に入っていた。長男が生まれ、行商をしたり、和裁をしたりしながら、短い詩を書いたりしていた。
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3、文学とのかかわり、水俣病と出会う
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当時の水俣では猫の狂い病が奇病として問題になっていた。漁港の猫は魚を食べて真っ先に発病した。水俣は「チッソ」という肥料会社の企業城下町のようになっていた。一方海辺の漁師たちは漁業で生計を立てていた。そのうち、人間も患者が増えてきた。
熊本大学で患者を検診し原因を調べ、「チッソ」の出している廃液の中にある有機水銀のせいであると突き詰めた。
石牟礼道子は文学とかかわる中で水俣病とであった。
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4、処女作「苦界浄土・わが水俣病」と登場人物
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石牟礼道子はその状況を「海と空の間に」という小説に書いた。その後「苦界浄土・わが水俣病」と名を変えて出版した。
胎児性水俣病の赤坂きゅうへい少年(言葉を喋れぬ)は当時の園田直厚生大臣にあった。
ようやく大きな社会問題となった。
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5、加害企業・チッソと国による患者・被害者圧殺の「補償処理委員会」への抗ぎ
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チッソと国は自分たちに有利なように「補償処理委員会」で解決しようとした。また水俣市民の3分の1がチッソに関係する人なので、少しの漁民の利益より多くの市民がかかわる,チッソを守るほうが大事だという意見も強かった。
それに対する抗議として、「水俣病を告発する会」が作られた。会長は高校教師の本田啓吉であった。このころ運動は全国に広がり、倉田眞氏も会に入りました。
抗議デモでは13人が逮捕された。
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6、地元・水俣での患者差別と、患者支援の「市民会議」「告発する会」結成と運動
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地元、水俣では患者差別がひどかった。それに対して1968年、水俣病市民会議が作られ、全国に「水俣病を告発する会」が作られた。
患者は1、会社一任派と、2、訴訟派とに分かれた。
補償は死者1人につき300万円とされた。あまりにも低い金額であった。
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7、円熟期の文学活動と作品群、国会議員団への請願の文章
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石牟礼道子は数多くの小説、詩、俳句などを書いている。
「春の城」では、島原の乱で原城に立てこもった人々のことを。また「食べごしらえおままごと」などと多岐にわたっている。
(小説だけでも40数冊、ノーベル文学賞にという人もあった)
告発する会は、株主になって、株主総会で告発した。当時の社長は土下座して謝った。
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8、ふたり 皇后美智子と石牟礼道子
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美智子皇后と石牟礼道子とのエピソードは巻末の花谷氏の記事に詳しい。
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9、天真爛漫、幼女の様相とエピソード、交流の思い出
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石牟礼さんは幼女のように天真爛漫。イギリスが大陸と陸続きと思っていたなどがあります。他にいろいろ。
倉田氏と石牟礼さんの交流は強かった。倉田氏は10数回と石牟礼さんの家を訪問した。そのたびごとに酒盛りとなった。まだ、倉田さんが独身の時、石牟礼さんの妹さん多恵子さんを「嫁にもらわんとね」といわれたことがあるそうです。
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◎石牟礼道子さんが亡くなったときに、そのことを社説に書いたのは、毎日新聞と、朝日新聞だけだったそうです。
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2月14日(木)毎日新聞夕刊
「花谷寿人の 体温計」 苦界の縁
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毎日新聞論説委員の花谷寿人氏が書いています
石牟礼道子さんが昨年2月10日に亡くなってから、1年がたった。昨年4月、送る会が都内で開かれ、訳1000人が集まった。皇后美智子様が献花に来られた。遺族に「大切な方をなくしました」と伝えた。
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石牟礼さんは2013年ある会合で美智子様と知り合い、水俣をおとづれる予定と聞いた。
その後、胎児性患者に会ってほしいと手紙を出す。「その表情と生まれて以来ひとこともものを言えなかった人たちの心を、察してあげてくださいませ」と。
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患者と面会した両陛下を熊本空港へ見送りに行った、石牟礼さんは美智子様と目が合った。介添えの女性は「数秒間でしたが、まなざしとまなざしとの無言の会話があったように思います」と振り返る。
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40年以上の付き合いがあった漁師で水俣病の患者であった、緒方正人さんも「縁(えにし)」という言葉を使った。~
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水俣病は絶対に起きてほしくなかった。「でも起きたから結べた縁がありました」
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美智子様や石牟礼さんが生まれた昭和が過ぎ去り、平成も終わろうとしている。時代を振り返る時、人は縁を思い出す。
石牟礼さんが亡くなって漁に出た緒方さんの船に、一羽のユリカモメがやってきた。「かもめになってきしゃったか、美智子さん」
その縁は深まるばかりなのかもしれない。
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◎2019年3月に「人間学研究所年誌2018」で倉田さんのエッセイが出ましたら、追記いたします。
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