日本人の起源 2 弥生時代以後、日本人の顔 川口氏のカオロジー、追記 河口 徹氏の「メンズ・カオロジー」も。
このブログは2009年11月に書かれたものですが、2019年2月に追記して更新しました。 カテゴリーも「顔の人間学」に変えました。
弥生時代とは、1884年に文京区の弥生で、発見された弥生式土器が発見された時代を言いますが、水田耕作が始まったころから、古墳時代が始まる3世紀中ごろまでを言います。弥生時代の始まりは3000年くらい前だろうと言われています。弥生時代の遺跡はたくさんありますが、静岡の登呂遺跡や、大きな集落のあった、北九州の吉野ケ里遺跡、山口県で人骨が300体以上も見つかった、土井ヶ浜遺跡などが有名です。
弥生時代は、大陸から来た渡来人がさまざまな優れた文化をもたらしたことにより、始まりました。大陸では戦乱が続き平和な日本に逃れてくる人も多かったのです。その文化は、水田耕作、銅鐸、銅剣などの青銅器さらには鉄器も作られるようになりました。弥生時代になると、稲作により、穀物がたくわえられるようになり、身分差も生まれてきました。周囲を堀で囲んだ環壕集落などが作られました。
稲作の起源はいろいろありますが、日本で食べられている、短粒種(温帯ジャポニカ米)の起源は揚子江中、下流地域で作られたといわれています。7000年から6000年前の「河姆渡遺跡」は紹興の近くで、黄河文明より古い文明がありました。中国の伝説上の皇帝である、舜や禹がこの近くの出身だというのがよくわかります。温帯ジャポニカは朝鮮経由のものと、中国上海あたりからのものの二つのルートがあります。さらに興味深いのは、縄文時代に、熱帯ジャポニカがインドネシアなどから伝わってきたともいわれています。
渡来系の弥生人の顔は、面長、鼻が低く、一重まぶたで、目や唇は薄い顔立ちでした。いわゆるのっぺりしたしょうゆ顔といわれる顔です。渡来系弥生人の顔はシベリヤの寒冷地に適応した顔に進化していった人々が南下していって広がったとみられています。日本に来た大陸系の人たちは、さまざまなところから日本に渡ってきました。日本に渡ってきた、渡来系の人々は、もとからすんでいた、在来系弥生人(もと縄文人、中国南部の人々も)と混血していきました。これを「二重構造論」と呼んでいます。
渡来系弥生人のルーツをミトコンドリアのDNA遺伝子でたどると、中国東北部、シベリヤ、中国の北京周辺、そして上海から香港にかけての地域と、いろいろなルーツにわかれていることが分かりました。渡来系弥生人は北九州から瀬戸内海、山陰、近畿地方にかけて比率が大きく、北海道や沖縄には極めてすくないのです。平安時代には、在来系弥生人は蝦夷と呼ばれ、征伐の対象とされました。南九州、四国の土佐、関東の山間部、東北地方など多くのこっています。
弥生時代後期3世紀には中国の後漢がほろび、三国に分裂しました。魏の国の歴史書『魏志倭人伝』に有名な卑弥呼のことが書かれています。邪馬台国と呼ばれているのですが、これが北九州説と大和説で論争が起きています。最近、奈良県の桜井市で、纏向遺跡で大規模な宮殿跡が見つかりました。これは卑弥呼の宮殿跡ではないかと言われています。近くには、248年に死んだ卑弥呼の墓と言われる、大きな前方後円墳があり、邪馬台国、近畿大和説にとってはかなり有力な証拠になりそうです。この遺跡が整備されると、たくさんの観光客が来るであろうと言われています。と川口
川口氏と河口氏の日本人の顔の分類
さて、川口哲生と言う人の『ニッポンカオロジィ』(1994年竹書房)という本がリます。その本のもとは「めんたんぴん」(元の書名)という本も書いています。川口氏は、日本人の顔を6つの顔と、その複合タイプ、合計8つに顔を分類しています。少し紹介します。またこのように、日本人の顔のルーツは全アジアにまたがっているということが大変興味深いことだと言っています。詳しくは改めて書いてみます。
◎メンズ・カオロジー 河口 徹 昭和61(1986年)年11月10日 JICC出版社 780円
2019年2月、追記して写真で図版を載せましたが河口氏の「メンズ・カオロジー」からです。川口氏は河口氏の従兄だそうです。図版は典型タイプのみ載せました。すべてを見たい方は本を購入してください。
河口氏はさらに細分化して7群26タイプ、33種の顔に分類しています。
モンゴリアン
1、典型モンゴリアン 2、旧モンゴリアン 3,新モンゴリアン
4、北西モンゴリアン 5、西モンゴリアン
参考 「レディス・カオロジー」 河口 徹
1、モンゴリアン
(シベリア、蒙古、北方モンゴル系、モンゴル系からなづける) 大きな丸や角顔 一重で鼻が低い 平面的な顔 寒冷地適応 3000年前ごろから 朝青龍などの蒙古の関取 小沢一郎や渥美清などの顔 ・忍耐力抜群の努力家
◎日本人でも、蒙古から来たお相撲さんとそっくりの人がいる。北方からはいってきた。モンゴル系の人は色が白い。毛深い人は少ない、ずんぐりして寒冷地適応している。
2、ミカドニアン
(ツングース、朝鮮系の顔 帝ーみかどから名づける )バイカル湖周辺が起源 平安貴族や浮世絵美人の顔 色白、面長ののっぺりとしたキツネ顔、毛が薄い 3000年前から 弥生時代から古墳時代、飛鳥時代に大量な人口の流入があった。何次にもわたって日本におとづれる。・精神世界を重視する貴族派
◎中国の女真族が、清朝を起こす。清朝の康熙帝などの顔などが典型。また、中国東北部(満州)の扶余がもととなり、当時の寒冷化に伴い南下して行きました。朝鮮北部に高句麗が建国される。さらに高句麗から、百済が分かれる。南朝鮮の,伽耶国系、ついで百済が天皇家のルーツであると考えられる。百済系の桓武天皇が、父の光仁天皇がなくなったとき、哀号ーと言って泣き叫んだと歴史書にある。-これについては異論があります。
北九州、中国地方、近畿地方に多い。朝鮮系の人でも、新羅系の人々が、出雲地方から北陸、関東などに移り住んだといわれる。百済系が関西弁、関東言葉は新羅系だといわれる。
ミカドニアンの典型として出されている安倍晋太郎氏。安倍首相のお父さん 。安倍首相は典型的な直耳です。
3、ドラグーン
(中央モンゴル人種 中国黄河流域から西域にかけて。漢民族の顔 上下に細長い顔
面長切れ長の目、整った顔 仙人の顔のイメージ 龍の顔からなづける) 中国の漢の皇帝劉氏の顔など 周恩来など。西域由来のハーフっぽい顔も・プライドの高い個性派
◎中国のこの地方の人々が、いろいろな経路で何度も日本に入って来ている。秦の時代の中国の徐福など。2500年前から日本へ
4、ヤマタイ
南モンゴル人種(揚子江以南、雲南省から台湾など南中国系)二重瞼 福耳、日本人にもっとも多い丸顔、タヌキ顔 愛嬌のある、日本人に多い庶民顔 邪馬台国からなづける・誰からも好かれる庶民派
◎縄文系の顔立ち南九州、四国、関東、東北など。ミカドニアンの人々が渡来する前6000年前から日本に住んで居た。
倭は当時中国の、南部地方(揚子江周辺)の、高床式住居、米作をし、入れ墨(文身)をした人々が、南朝鮮や日本の縄文時代に住んで居て、みんなまとめて倭といっていた。後漢の王充の「論衡」などに書かれている。中国では漢民族に押され、中国雲南省などに残る少数民族になっている。
◎ 2016年、追記 中国の貴州を中心に住んでいる、トン族について、テレビで放送していました。トン族は昔、揚子江下流の百越と呼ばれる人たちの一部でした。漢民族の進出に伴い、一部は南に逃れ、一部は南朝鮮、日本に移り住みました。これらの人たちは倭と呼ばれていました。トン族は、丸顔で日本人の一部にそっくりです.文化も共通点が多いのです。
越の人々が北陸から北日本新潟にかけて多く移り住んで、越の国になったといわれる。越前(福井)、越中(富山)、越後(新潟)。
5、トロピカル
(南方の海洋民族系 インドネシア系 二重瞼情熱的、顔全体が小さく頬骨が張っている 沖縄に多い 黒潮に乗ってきた人々 150000年前から 浅黒く毛深い もっとも古く日本に住みつく 南方の人でトロピカル)太平洋側の海際に多い 南九州、四国南部、和歌山、静岡など。体形は全体にスマート・目的志向の強い行動派
◎時々、きわめて、この顔をしたひとをみかける。色が浅黒く、インドネシアの人かと思われる顔
沖縄、八重山諸島などの石器時代人
6、オリジン
(日本古来の縄文系の人 アイヌ人にも近い (旧モンゴロイド出日本人の祖先でオリジン)) 顔のほりが深く、二重瞼、毛深い、色白、がっしりとした体形(寒冷地適応) ・マイペースカツ気ままな余裕派
10000年前ごろから、大陸とつながっていた時に北方から渡来
蝦夷(エミシ)といわれ、はじめ日本全国に(全国ではなく北方に限るのだったかもしれない)、その後関東地方から北海道にかけて住んでいた。次第に日本人として融合。
ミックス・カタログ志向のクロスオーバー派
7 モザイクミックス
いろいろな要素が、モザイク状に入っているもの
8、ブレンドミックス
いろいろな要素が混ざって入っているもの
ともに混合タイプです。これが最も多い。
このように、日本人はいろいろな民族が混合していることがわかります。混合タイプが最も多いのです。ときに、シルクロードのソグド人などの遊牧民族の流れを引いた、西洋人形の顔の人もいます。唐の時代に様々な民族が長安を中心として住んでいました。
◎は、2015年3月に、追記したものです
◎遺伝子の型で、分類しても、日本人がいろいろなところにルーツを持っていることがわかります。日本人は様々な、人種、民族のるつぼです。
◎2019年2月 カテゴリーを「自然と歴史」から「顔の人間学」に変えました。
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