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2019年4月16日 (火)

4月人間学例会での話 そのために大久保通りの店の変化を見に行く。 例会のレジメの概略

2019年4月19日の人間学研究所の例会で、「大久保・百人町の歴史 江戸から現在に至る変化を、歴史地図で見る」という話をするために準備をしていました。今回は人間学研究所、新教育的人間学研究会の150回と、実用的人間学研究会の120回の合同例会で、2019年度の最初の例会ということもあり、かなりちからをいれて準備をしました。

当日は1時間ほど、資料の説明をし、後の1時間を討議の時間としました。

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大久保百人町の歴史

1、江戸時代以前、旧東大久保は川の流れる窪地

 大きな窪地で大久保と名付けられる

 

真ん中の道が仲通りとよばれた大久保通り。左上は尾張藩の屋敷。下は百人町。

2、江戸時代

 百人町は鉄砲同心100人組の住む町ということでなづけられる

3、明治時代

 まだ畑が多い村 豊多摩郡大久保村

4,大正・昭和時代 

 関東大震災後移住者増

 前田侯爵や古川男爵ていなどのお屋敷もあり、庶民の家もある街

 多くの文人の住む街、同時に陸軍戸山学校、演習場があり、高級軍人が多数住む町でした

 戦災で焼け野原に

 

記憶をたどったわが町大久保の一部

明治40年ころ、筆者の曽祖父が大久保駅近くで桶屋を始める。

5、戦後の時代

 ロッテ工場、と韓国人の居住(オ―ルドタイマー)

6、東京オリンピック以後

 スラム街撤去、ホテル街へ

 

百人町東町会の図

7、多国籍の街へ

 ニューカマーの韓国人

 第1,2,3次韓流ブームと嫌韓デモとそれぞれの衰退時期

こういちの人間学ブログ 

 カテゴリー「大久保の街紹介」100ほどの中から年次ごとに重要なもの35ほどを列挙しました。

 2009年からブログを始めましたが、大久保の街を各街区ごとに回り紹介しました。

大久保・百人町の歴史地図 解説

 1、大久保村絵図 江戸時代末

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 2、江戸時代の大久保百人町「江戸東京重ね地図より」

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下の図の紫色で赤いツツジの花の印のところが百人町。草色のところが大久保。

 3、実測東京全図より 明治12年(1880年)

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 4,大日本職業別明細図 大久保町、淀橋町 大正14年 (1925年)

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 5、大正5年前後の大久保町の一部 書き直したもの

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 6、記憶をたどったわが町大久保 昭和10年前後 戸山小学校の卒業生が記憶をたどり作った地図

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 7、昭和37年(1962年)の5万分の1地図 新宿を中心として

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 8、百人町東町会の見取り図 昭和62年(1987年)

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 9、百人町、大久保エスニック地図 平成20年(2008年)

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 10、百人町、大久保の商店会の変化 2000年の地図から2012年の変化

 下図

 11、同上 2019年4月の状況

 下図

 

◎例会で配布した資料はお話の概略5ページと、添付した大久保の地図は11枚ですが、最後の地図4枚は「大久保通り百人町明るい会商店街」と、「新大久保商店会振興組合」の両方の地域が載っているために非常に便利です。2000年につくられたものですが、2011年12月と、2012年5月に、もうやめたお店は線引きして消してあります。さらに2019年段階ではどうなのかを、23日朝早めに出て大久保通りの小滝橋通りから明治通りを調査することにしました。

百人町明るい会商店街は新大久保駅から西側で小滝橋通りまでの範囲を言います。一方新大久保商店会振興組合は新大久保から東側のところで一部は百人町で、大部分は大久保です。明治通りまでの区域です。あくまでも地図に載っている店数の比較で名簿で調べたものではありません。2019年の調査では奥のほうの店ではまだ調べていない店があり、あくまでも参考にということです。また再度調査したら追記します。新大久保会商店街では25店のうち5店ほどは韓国の方の経営する商店です。

2011、2年の地図 下図2枚

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上部の地図が百人町明るい会商店会新大久保駅の左側(山手線の外側)

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下部の地図が大久保商店街の地図。明治通り側

2011,2年のころはまだカラーインクで塗りつぶしていない店(営業中)が多かった。

上部の地図が明るい会の大久保駅側から小滝橋通りへ向かう地区

下の図は大久保商店会で新大久保駅から点線までが百人町、その左側が大久保地区。

新大久保駅周辺は韓国の店に変わっている店が多かった。

 

2019年4月の地図 下図2枚 2019年修正版 

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2000年の時

百人町明るい会商店会の数   78店

新大久保商店会の数      105店

2012年の時

百人町明るい会商店会の数   41店

新大久保商店街        33店

2019年4月の時

百人町明るい会商店会の数   17店  未調査7店

新大久保商店街        25店  未調査2店

◎2012年の時には減少した店は新大久保駅周辺が主でしたが、2019年には明治通りや小滝橋通りの周辺の店でも減少しています。

減少した分、韓国系の店が置き換わっています。また韓国系だけでなく、ベトナムやネパールのお店特にビルの2階以上にも入っています。

2019年の新大久保駅周辺の地図

新大久保商店街のうちの百人町部分です。25店のうち残存する店は地図では〇で囲ってあります。

パリ-ミキ、盛好堂書店、円満屋熱帯魚、内藤シューズ、山本米店、サカエカメラの6店です。

大久保部分の店残存する店

ひらまつ青果、焼肉美苑、東京風月堂、万年湯、大丸設備、東京電建、美容室parco,フローリストしのざき、鳥重、新宿日曜大工センター、動物ショップZOO、島村印店(商店会長)、焼き肉中央苑、小倉屋酒店、とんかつかつ味、山手クリーニング,アライ手芸店,市沢自転車商会、柳沢陶器店、19店

不明  味むら。酒どころ司

このなかで、すでに商店会を抜けた店があるかもしれません。また、このほかに新たに商店会に入った店があると思います。

◎地図や資料はまだたくさんありますが、ほんの一部だけを紹介しました。ブログではさらにその1部だけを紹介しました。

 

 

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