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2019年5月 2日 (木)

デニソワ人はアジア人に大きく影響か デニソワ人はチベット高原にもいた。膨湖人などは原人ではなくデニソワ人?追記 3系統が存在か

2019年5月2日のしんぶん赤旗に、「姿不明のデニソワ人 チベット高原にもいた ゲノムで予想の広い分布 骨が裏付け」という記事が載りました。記事の内容は下記のようです。

姿形などがいまだ不明の、謎のデニソワ人が中国のチベット高原にもいたことがわかったと、中国やドイツなどの国際研究グループが2日付の科学誌『ネイチャー』に発表しました。これまで、存在の確実な証拠となる骨などはロシアのシベリア南部、アルタイ山脈にあるデニソワ洞窟でしかみつかっていませんでした。

デニソワ人がチベット高原にもいたことを示す証拠は、歯のついた下あごの骨の右半分です。チベット高原の一角にある中国甘粛省の標高3280メートルのところにある洞窟、白石崖溶洞で1980年に発見され、蘭州大学で保管されていました。

中国科学院や蘭州大学、ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所などの研究者たちがこの骨と歯を調べた結果、ゲノム(全遺伝情報)を取り出すことはできませんでしたが、歯に残っていたタンパク質の解析からデニソワ人と判明した。骨に付着していた炭酸塩に含まれていたウランを使った年代測定の結果、少なくとも16万年前に生きていたことがわかりました。下あごの骨と歯の形態もデニソワ人と考えられる特徴を示していたといいます。

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デニソワ人と判明した下あごの骨と歯 上図

デニソワ人は2008年にデニソワ洞窟で骨や歯が発見されたことで存在が明らかになりました。このうち、約4万年前の小指から取り出されたゲノムが2010年に解読され、これまで知られているどの人類とも異なる未知の人類であることがわかりました。ネアンデルタール人と近縁な姉妹種と考えられています。

 

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デニソワ洞窟と白石崖溶洞と台湾やニューギニア島の位置関係(上図)

デニソワ洞窟には19万5000年前ごろから4万年前ごろにかけてデニソワ人が住んでいたことがわかっています。しかし、これまでに見つかっている骨などは断片的なものにすぎず、どんな人類だったか謎に包まれています。

 

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チベット高原の白石崖溶洞の内部(上図)

解説 「ゲノムで予想の広い分布 骨が裏付け」

デニソワ人は、ゲノム(全遺伝子情報)の研究からネアンデルタール人と47万~45万年前ごろに分かれた姉妹種であることがわかっています。同じデニソワ洞窟見つかったネアンデルタール人のゲノムを調べた結果、デニソワ人とネアンデルタール人が混血していたことが明らかになりました。またアジアやオセアニアなどに住む現代人がデニソワ人のゲノムの一部を受け継いでいることから、現生人類(ホモ・サピエンス)もデニソワ人と混血していたことが判明しています。

現代人のなかで、デニソワ人のゲノムを受け継いでいる比率が最も高いのはデニソワ洞窟から遠く離れたニューギニア島とその周辺の島々に住む人々です。このため、デニソワ人はデニソワ洞窟の周辺だけでなく、より広い範囲に分布していたのではないかと考えられていました。しかしデニソワ洞窟以外では骨などは見つかっていませんでした。今回の研究結果は、デニソワ人が実際に広い範囲に分布していたことを裏付けるものです。

チベット高原にデニソワ人がいたと発表した研究グループは、白石崖溶洞の下あごの骨の形態が、国立科学博物館人類学研究部の海部陽介研究グループ長たちが発表した台湾沖の海底から見つかった19万年前より新しいとみられる膨湖人や中国山西省の許家窯遺跡で見つかった12万5000~10万4000年前の人類化石と形態学的類似性があると指摘しています。この指摘が正しければ、デニソワ人の骨はチベット高原だけでなく、中国のほかの地域でもすでに見つかっていることになります。

今回の研究結果からチベット高原に人類が進出したのが、これまで考えられていたよりも少なくとも12万年さかのぼることが明らかになりました。これまで、低酸素の高地に適応できたのは現生人類だけとされ、実際チベット高原に人類が進出した証拠は4万~3万年前のものが最古でした。チベット高原に進出した現生人類はデニソワ人から受け継いだゲノムの一部によって高地適応を果たした可能性があると、研究グループはみています。

        間宮利夫

◎ 赤旗には他紙に先駆けて、人類の起源に関しての記事をよく書いています。たとえば、この記事は、4月2日の毎日、日経新聞には出ていませんでした。これはここに名前が書かれている間宮利夫氏が『ネイチャー』などの記事をいち早く記事を紹介している、ということです。(赤旗の記者である間宮利夫氏は『科学の今を読む』を新日本出版社で出版しています。)

このところ新種の人類化石が発見されています。「こういちの人間学ブログ」でも2015年1月に、第4の原人としての台湾沖の「膨湖人」について書きました。また2019年4月11日には、5万年~7万年前の第5の原人としてのフィリピン、ルソン島のルソン原人と相次いで報道されています。

45から47万年前ごろにネアンデルタール人がわかれ、ホモサピエンスも起源がおよそ20万年前ぐらいといわれている。ネアンデルタール人やデニソワ人もホモサピエンスの亜種とみる説がある。ホモ・サピエンスはホモ・サピエンス・サピエンス、ネアンデルタール人はホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスと呼ぶのが正しいと思われます。亜種ですから混血可能です。ネアンデルタール人やデニソワ人はホモサピエンスと混血し、遺伝子がホモサピエンスに移入されている。ネアンデルタール人は3万年前ほどに絶滅したといいます。この中でずっと昔のジャワ原人や北京原人、フローレス原人とともにルソン人や膨湖人を原人と位置づけしていいものか疑問です.間宮氏の文章でも膨湖人はデニソワ人に近いと書いています。

他の人類と隔絶していたフローレス原人に比べて、5~7万年前のルソン原人や19万年前の膨湖人は原人というよりはデニソワ人かその近縁の亜種(ホモ・サピエンスの亜種)ぐらいがせいぜいと思いますが。

何とかデニソワ人の頭骨が発見され、顔の復元がされるのを心待ちしています。

2019年5月3日追記

5月3日の日経新聞朝刊にチベット高原で発見されたデニソワ人についての記事が載りました。

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5月3日の毎日新聞朝刊には、普通の記事には、載りませんでしたが、「余禄」に同じ内容がかかれました。

前半は雪男「イエティ」のことなどがかかれていますが、後半はチベット高原で見つかった、デニソワ人の化石のことでした。~どうやら未確認動物とは、まだまだ見知らぬ自分を内に秘めた人類自身のようだ。

追 記  5月6日の赤旗10面に大きくデニソワ人のことの記事のが大きく出ていました。

謎の人類 デニソワ人 3系統が存在か

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記事の全体 カラーで大きく取り上げられています

人骨の一部や歯が見つかる

シベリア南部のデニソワ洞窟で人骨の一部や歯の一部しか見つかっておりませんが,スバンテ・ペーボ博士らによるゲノムの研究から、肌は褐色で,髪と目は茶色だったことなどが明らかにされました。ネアンデルタール人や現生人類と混血していたことも明らかになっています。

デニソワ人を調べた結果、デニソワ洞窟でのデニソワ人と、オセアニアに行ったものとインドネシアに行ったものとの3系統のデニソワ人がいたことになります。

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インドネシア・カイ諸島の人々。デニソワ人のゲノムの一部を比較的多き受け継いでいます。

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3系統のデニソワ人が現生人類と混血か

3万年前頃混血の可能性世界各地に広がった現生人類(図中の黒い矢印)が3万年前ごろインドネシアの島々やニューギニア島でデニソワ人と混血した可能性があるとみています。ただそれよりも前にオーストラリアに渡ったとされる先住民にもデニソワ人のゲノムの一部が受け継がれていることから、現生人現生人類とデニソワ人の混血が3万年前だと説明がつかないといいます。

コックス教授らの研究結果は米科学誌『セル』4月11日付に発表されましたが、デニソワ人が何系統かに分かれていたという指摘はか、米ワシントン大学のシャロン・ブラウニング教授らの研究グループが昨年の5月の『セル』に発表しています。ブラウニング教授らは、東アジアに住む現生人類のゲノムの塩基配列を解読して調べた結果、東アジアの現生人類の祖先は2系統のデニソワ人と混血していたことが明らかになったとしていました。

研究グループはアフリカで30万~20万年ごろに誕生し、8万~6万年前ごろアフリカから出て

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復元した下あご全体の骨

人類の進化の多様な場示す

東アジアと東南アジアで今世紀に入ってインドネシアの小型のフローレス原人、台湾の膨湖原人、フィリピンで新種の原人、ルソン人が発見。

今回の発見は東アジアと東南アジアが多様な人類の進化の場だったことを改めて示しています。

 

 

 

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