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2019年5月 7日 (火)

新大久保の商店街百人町明るい会商店会と大久保商店会の変化2001 年、2008年、2012年、そして2019年へ

多国籍化と大きな変化を見せる、百人町明るい会商店会と新大久保商店会振興組合の変化を見てみたいと思います。新大久保商店会振興組合は山手線の新大久保駅の内側から、明治通りまでの地域の大久保通りを中心とする商店会です。百人町の一部と大久保の大久保通り沿いの商店が含まれます。(以後新大久保商店会振興組合は新大久保商店会と略します)。また新大久保駅から総武線大久保駅を経て小滝橋通りまでを百人町明るい会商店会振興組合といいます。(以後百人町商店会と略します。)

2000年に大久保通り百人町明るい会商店会と大久保通り新大久保商店会で、「外国人とともに住む新宿区まちづくり協議会」(略して共住懇)で「おいしい”まち”ガイド」というパンフレットが作られ、地図が作られ、エスニックの店と新大久保商店会と明るい会商店会の一覧表と地図が作られました。その付録として、表に大久保地域・エスニックマップと裏面に2つの商店街の地図が作られました。

 

2019年の5月の令和と年号が変わったときと、2000年、そして急激に多国籍化へと変わった2012年とで比較したいと思います。その地図に商店会に所属する店が書かれ、店名に●印がつけられました。

2001年の「おいしい”まち”ガイド」

このパンフレットは2001年に、共住懇(外国人とともに住む新宿区まちづくり懇談会)が編集発行した資料です。全12ページで、前半は当時のエスニックのお店を76店、新大久保商店街を128店紹介しています。あかるい街では店の数説明付きでは25店で店名だけで残りの店は一覧表だけが載っていました。

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エスニックの店の内訳は韓国の店が最も多いが、この当時は多国籍の店という感じが多かった。中華料理朝鮮系、台湾、ネパール、タイ、インド、マレーシア、ミャンマー、チュニジアと多国籍という面が強かった。特に百人町屋台村は中に6店の多国籍の店があり、筆者もよく行きました。しかし韓国料理全盛のころに、韓国の店に変わってしまいました。

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新大久保商店街

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百人町明るい会商店街

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裏は大久保地域エスニックマップ

2001年当時は韓国料理も多かったが、多国籍の料理店も多かった。大久保商店街では新大久保駅周辺の百人町駅周辺には韓国料理の店はまだ大変少なかった。

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表は百人町明るい会と新大久保商店街の地図

百人町明るい会商店会は78店で

金融機関 第一勧銀、平成信用金庫、東京食品信用組合、三和銀行

コンビニ セブンイレブン ファミリーマート

韓国系の店 なし

エスニック

貸しビル業 なし

大久保商店会は105店でした。

金融機関 百十四銀行 西武信用金庫

コンビニ なし

韓国系の店 焼肉明日香?

エスニック タイ料理マイロード

貸しビル業 なし

 

2001年における状況

この時は表通りには、日本人経営の店が並んでいましたが、急激に韓国はじめエスニックの店が増え、多国籍の街といわれ始めた時代です。

1999年に多文化コミュニケーション情報誌「大久保、OKUBO」が出されました。創刊準備号にはカラオケパブ・チロルのオーナーで在日韓国人の白玉仙さんのことが出ていました。筆者も3号で紹介されました。2001年には「おいしいまちガイド」2001が作られました。ここにはエスニック料理店として韓国料理店38店、その他各国料理店20店などが載せられ、一方新大久保商店街の店、128店、百人町明るい会商店会も多数の店が載っていました。

追記 2002~第一次韓流ブーム (以後の追記分は河合陽子氏の論文「ニューカマー中心としたエスニックビジネスによる商店街活性化に関する研究」 修士論文から引用させていただきました。)韓国系店舗が1990年の3軒から2010年7月には532軒に

2003年ごろから2004年にかけて、ヨン様ブーム(第一次韓流ブーム)といわれる。

中高年の女性が中心でした。

その後一時ブームが停滞した

2008年の状況

2008年には2001年の地図を土台として新大久保、大久保地域を全部、筆者が回りエスニックの地図を作りました。このころには韓国料理店が急速に増えてきました。新大久保商店街の百人町地区にも韓国料理店が急速に増えてきました。しかし、最も韓国料理店が多かったのが職安通りの韓国スーパー韓国広場の周辺でした。1つの通りに8店も密集して店ができたりしました。(2019年には1店だけです)

このころまでは屋台村はまだあり、ネパール料理店もでき初めました。

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韓国料理店は黄色です。中国台湾料理は緑、タイ・ベトナム料理は草色、イタリア・スペイン料理、インドネパール料理は赤に塗りました。

新大久保駅周辺にハラルフードの店ができ始めました。

◎2009年ごろから2012年ごろにかけて第2次韓流ブームといわれた。韓国歌手が紅白にでる。

 

3、2012年の商店街の状況

急激に韓国の店が増えて、日本人経営の店が減ってきました。

新大久保商店街では百人町地区では2001年のうちあった34店のうち残った店が9店になってしまいました。筆者の店も東京ガスの店をやめ韓国化粧品店にテナントとして入ってもらうようになってしまいました。

パリミキ、新大久保歯科医院、村松事務所、てんや、盛好堂書店、山本米店、文具柳や、内藤シューズ、円満屋、

大久保地域では明治通り沿いの店はまだ多く残っていますが駅に近いとくにイケメン通りに近いところでは急速に韓国化していきました。

ルーテル教会より新大久保駅側では26店中残った店は下記の8店でした。

あらばき印刷(転居)ひらまつ青果、焼き肉美苑、ヒルティ新大久保、、東京風月堂、やなぎや、万年湯、大丸設備

百人町明るい会商店街

2001年にあった78店中残ったところは、44店でした。

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◎2012年と2019年の地図は2019年4月19日に人間学研究所の例会で配布した資料です。

◎2012年の末ごろからしばらくの間、嫌韓デモなどがあり、韓国の店が停滞しました。特に職安通り沿いの店が壊滅的な打撃を受けました。

新大久保駅から離れた店などの多くの韓国の店が閉店があいつぐ。

◎追記 2012年全盛期比で集客数4分の1、店舗4割に減少

地価、賃料が下がり2016年にはネパール料理店が25店と急速に増える。ベトナムの店も増加。ネパールの店は減少しましたがベトナムの店はじわじわ増えています。多国籍化。

◎追記 2014年 新宿韓国商人連合会は発足 

 2015年 韓国在外同胞財団の支援により区内「韓流拠点」をつなぐ無料シャトルバスの運行開始

 2017年 第3次韓流ブーム 「コリアタウン」の観光集客数が推定900万人超へ。

      インターナショナル事業者交流会スタート。その後、隔月実施。 

◎2018年ごろから、チーズタッカルビやハットグがはやりだして、第3次韓流ブームに。店が周辺に広がりだす。今までの最高の人出となる。歩道を歩けないほど。ただ女子高生などが多く、客単価は大幅に低下、人の数ほどにはもうからないとか。筆者は若者の貧困化だと言っています。

3、2019年6月1日の状況

百人町明るい会商店会

2018年9月25日現在 末尾 ©2019となっている 会長坂内英明

金融機関 城北信用金庫、西武信用金庫(いずれも北新宿)

コンビニ セブンイレブン2店

韓国系の店   1店 (最近、この地域にも韓国のレストランなどが増え始めました)

エスニックの店 2店 ベトナム料理

医院・治療院   4

貸しビル業   19店

 

2016年6月1日 時点の加盟店の数98

新大久保商店街振興組合 

新宿区商店会連合会の資料から 末尾に©2019新宿区商店会連合会となっていますので公式には2019年にもこの数字で登録されているようです。会長氏名  伊藤節子

金融機関  都民銀行 資料には書かれているが今はなし さわやか信用組合 区域外

コンビニ セブンイレブン2店、ローソン2店、サンクス2店、ファミマ1店、ミニストップ1店

韓国系の店 40店ほど

エスニック 1店 タイ料理

医院・治療院     9

貸しビル業 分類になし 実数は10店以上

下記の地図では2012年にカラーでやめた店を消したところにさらに2019年までに亡くなった店を縦線で消しました。

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加盟店の数  147店 

(ただしこの中に筆者のビルのテナントだった、ギルズハウスが掲載されています。。ギルズハウスは2013年段階でもうほかのテナントに変わっていました。他にも2016年にはお店が変わっているところが多く、だいぶ前の名簿だと思われます。ギルズハウスの後に1階はソウルレコード、2,3階はコンゴの物販店、今は韓国美容室)

加盟店の中での外国人(ほとんど韓国系)の経営する店の数 約 40店 百人町明るい会に比べ極めて多い。店数がもともと多いのと、積極的に商店街としても進めたせいだと思われます。商店街では22か国語の放送、より多くの国旗を商店街に。

2019年現在確実にやめていると思われる店 15店ほど しかし新たに加入する店もあり実数は10店ほどの減かと思われます。

◎2000年の商店会名簿で商店会2019年の今も商店会名簿にある店 新大久保駅から

パリミキ,盛好堂書店、サカエカメラ、内藤シューズ、山本米店、円満屋、(百人町地区6店)

あらばき印刷(移転)、北京亭(今は韓国料理くるむ)ひらまつ青果、風月堂、AUショップ、万年湯、大丸設備、焼き肉美苑、東京電建、美容室パルコ、新田屋商店、フローリスト篠崎、新宿日曜大工センター、ZOO、島村印店、焼き肉中央苑(日本人経営)、小倉屋酒店、とんかつかつ味、アライ手芸店、山手クリーニング、市沢自転車、柳沢陶器店(大久保地区22店)

 合計  28店(2001年105店) 

 人間学研究所の例会で配布した資料と異なります。あらばき印刷、北京亭くるむ。北京亭くるむは元の中華北京亭の後にビルを建て、2階に中華店の代わりに、野菜でくるむという韓国料理を作り、大変若い女性などに好評なようである。

    

2019年5月の「新大久保商店会」のメンバー 

百人町地区 (全店27店)

 熱帯魚円満屋 内藤シューズ、盛好堂書店、パリミキメガネ、サカエカメラ、山本米店、(さくらや菓子店 なし)味ちゃん本店、セブンイレブン新大久保駅前店、フローラ新大久保,アイプロスパ、ファミリーマート新大久保店、明洞海苔巻き3号店、味咲(あさ)オンドル、(ギルズハウス なし)コリアスンデ家、新大久保歯科医院(転居)村松会計事務所、パティオ竹内、三軒家 (貸しスペース)チキンチョア、とんちゃん新大久保別館、金達来、スキンガーデン、チョンガーネ、にっこりマッコリ(店名変更)82カフェ、セブンデイズ、どないやねん

(太字は韓国料理店等 13店 半数が韓国系)

大久保地区の一部

 ひらまつ青果,鳥いち、フローリストしのざき、おでんよしの、林クリニック、こまどり、日曜大工センター、うどん伊予路、かつ味、小倉屋酒店、島村印店、市沢自転車、ZOO、ファーコス薬局、あらばき印刷、東京風月堂、万年湯、大丸設備、焼き肉美苑、東京電建、美容室パルコ、焼き肉中央苑、・・・

エスニック料理

 ソウルフード・バンコク(タイ料理)

◎商店街に入っていませんが、一時ネパール料理の店が25店ほどに新大久保商店会地区に急激に増えました。しかしその後ネパール料理店は減少しています。韓国料理になったり、インド料理店になったりしています。

ベトナム料理店が増えています。日本人向けというより新宿に多数住む、ベトナム人留学生向けの店が増えたのだと思います。

◎いささかまとまりが悪い資料ですがなんかしらの参考になればと思います。

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コメント

私の持っているのはスマホではなく、いわゆるガラケーなのできれいには写りません。それでもよろしければ何枚かに分けてお送りすることは可能です。

コメント失礼いたします。
2001年に発行されたおいしいまちマップ探していたところこちらの記事をみつけたのですが、マップのお写真をメールで送っていただくことは可能でしょうか。

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