高橋喜代治氏の『耕地の子どもの暮らしと遊び』続編が発行されました。素晴らしい本です。ぜひお読みください。
人間学研究所の研究員である、高橋喜代治氏の続『耕地の子どもの暮らしと遊び』~旧倉尾村長沢耕地の記憶~が発行されました。
高橋氏からはすでにメールで、本が出版されたので、人間学研究所の事務局のブログ筆者のところへ送付するとのご連絡が来ていました。
本の表紙
著者 高橋喜代治 1949年生まれ
立教大学特任教授をへて現在は立教大学や成蹊大学で非常勤講師
2019年7月15日 初版第1刷
定価(本体1500円+税)
◎大きな本で、287ページ、図版も大変多い本なのに1500円+税とはずいぶんと安い価格の本です。
発行 ブイツー・ソリューション
〒466-0848
名古屋市昭和区長戸町4-40 052-799-7391
裏表紙
目 次
第1章 遊び
第2章 手伝い
第3章 耕地の暮らし
第4章 学校
第5章 食い物の話
第6章 長沢耕地と寺平・父不見山
-寺平耕地と父不見山の名づけを追って
第7章 耕地とつつっこ
ーつつっこの元を求めて
第8章 耕地の秩父事件
「こういちの人間学ブログ」
『耕地の子どもの暮らしと遊び』高橋喜代治氏の本と『人間学ニュース」の記事NO76
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/05/post-3329.html
2016年に出版された本です。
・
カラーの写真や地図などが8ページ最初に書かれています。
1ページ 長沢耕地の暮らしと風景
耕地の子どもたち(昭和30年ころ)右端が高橋氏の6歳ごろ
旧倉尾村とその周辺(部分)高橋氏は長沢耕地に住んでいました
長沢耕地(昭和30年ころ)部分(昭和30年ころ)
観音堂内部他
下図 このように墨で描かれた立派な絵がたくさん添えられています。この図はフキとふきのとう
文章の中で、興味深いところだけを取り上げてみました。
第2章 手伝い 配給通帳で米買いに、
わが家で食べていた飯は、水車で挽いた麦(7割)と米(3割)のいわゆるワリメシ(割飯)だったから、我が家の米の消費量は、たいして多くはなかったはずだ。p60
◎今、朝のテレビで「おしん」を放送している。当時の東北ではお米は地主に半分出してしまうため、自分たちの食べている飯は大根飯であった。秩父の耕地では、稲作ができず、麦だけであった。戦後でもしばらくは7割が麦の飯であったということに驚きます。麦飯でも今はとろろ飯にして少し入っている程度は美味しいのですが。麦が7割のご飯は美味しくなかったでしょう。昔の麦の押し麦は特にぼそぼそしておいしくなかったです。
わが家のお米の通帳はまだ記念にとってあります。
第5章 食い物の話
粗末だったが腹いっぱい食った。割飯に残っている味噌汁を温めてぶっかけたり、ネギ味噌をのせて沸騰した夜間の湯をぶっかけたりしてくわしてくれた。粗末なものばかりだったが、みんな似たり寄ったりだったから、そんな粗末な食生活を不幸なことだなんておもうこともない。
今でも食いたくなる、ジャガイモの田楽いも。吊るし柿、キイチゴの実。~白い米の飯には飢えていた。~甘いものにも飢えていた。
◎高橋喜代治さんは1949年生まれ、1943年2月生まれのブログ筆者とは、6,7歳年下です。戦前の生まれの分、食べ物はきびしい状況であったが、たまたま家が桶屋をやっていて、住み込みで職人さんが5,6人いたから食べ物には困らなかった。でも家族も多く、祖父母、両親,おじさん、おばさん、そして妹、住み込みのお手伝いさんがいる大所帯でした。同じ大テーブルで食べましたから、早く食べて席を空けなければなりません。それで食べるのが早くなる習慣がついてしまいました。家長たるおじいさんだけは別格で、結婚したばかりの家内が高いカニ缶などを酒のつまみに買いに行かされてびっくりしたそうです。後は全員同じものを食べます。贅沢なものを食べるなど考えられません。ご飯だけは白米でした。
第7章 耕地とつつっこ
「つつっこ」とは上州と武州国境の、上武の地にある食べ物 米(もち米とうるち米)をほうや柏の葉で包んだもの
2016年から2017年の2年をかけて、各耕地を調べて調査して1欄表にされています。
第8章 耕地の秩父事件
私の生まれ育った長沢耕地が全6戸参加していることを知った。
明治17年(1884年)困民党員を核に数百人が武装ほう起した。それに対し明治政府は1千名の軍隊を差し向け弾圧した。処分者約4千名、死刑、,戦死など70余名を出した。当時の村民はは借金の返済が困難になっていた。高利貸しのあくどさ。
長沢耕地でも全員が参加。我が家の先祖高橋宅十も自首した。竹槍、過料1円50銭。とあります。
高橋氏の謹呈に文章に、「秩父事件についても、身近な問題として,耕地からの観点で書いてみました。~幼子と妻を家に残し、児玉で政府軍との交戦で、死亡した八谷耕地の東市重(ひがしいちじゅう・31歳)という農民もいました。いきばてのまま児玉の円通寺に葬られているとされています。市重のように、困窮にあえぐ村民を見るに見かね、命をかけて戦った人々に思いをはせることは倉尾の谷に生まれ育ったもののつとめかと思ったのです。」とありました。
264ページ「秩父事件の激戦地」金屋野圓通寺のの円通寺横の道 (山崎)延次郎はここで東京鎮台兵と猟銃でたたかった。
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