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2019年12月

2019年12月31日 (火)

2019年大晦日の新大久保の状況 駅と道路はもうすぐ完成。天気に恵まれ人出は多いが、一時ほどの混雑にはならず。原因は色々でしょう。

2019年12月31日、最高気温19℃という温かさでしたので、電動車いすで新大久保の状況を見に行きました。昨日は雨で寒く、明日からは天気はいいのですが気温は下がるとのことでした。

新大久保駅はだいぶ出来上がってきました。3月ごろまでには完成するのでしょうか。

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ガード下から見たところ

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下図 新大久保駅前の交差点あたりからみたところ。右側にジョンノホットグの店があり、横道の向かいにもホットグの店があり、いつも混んでいます。向こう側は山手線の内側で百人町1丁目です。左側のビルの2階に韓国海鮮料理のテジョンデがあります。

タクシーの運転手さんに聞いても、この辺りに事務所があるヘルパーさんの話でも、このところ最盛期ほどの混み方ではないそうです。確かに、一番混んでいるときは道路に人があふれ車道を歩く人が多かったぐらいです。今ではそんな混み方はありません。やはり、日韓関係の悪化がじわじわ影響してきているように感じられます。

「こういちの人間学ブログ」でも、目まぐるしく変化しています。2019年5月には、Kプラザビル2のチョンガーネのとなりに小さいお店アリランホットドッグがオープンしたことを書きました。近くにポポホットクのお店と33トッポギの、いずれも小さい屋台の様なお店ができました。それがたちまち、インスタ映えがするとかで急速にお店が増えました。ところが夏ごろにはタピオカドリンクがブームとなり、そこら中にお店ができました。涼しくなってくると10月には早くもピークが過ぎたとブログで報告しました。タピオカドリンクは台湾の飲み物ですが韓国人経営者がタピオカドリンクの店も始めるのです。

始め豚の脂身を焼くタッカルビがはやり、一時チキンの店がはやりました。そのご、市場(シジャン)タッカルビがをチーズタッカルビを始めるとみんなチーズタッカルビを始めます。それから、ハットグがはやり、そしてタピオカドリンクと目まぐるしく変わります。韓国料理も参鶏湯とか、海鮮料理とかいろいろと種類が多いのですが、みんな同じものをやっては人気が落ちてしまいます。

 

下図 盛好堂書店の前から。この先にプラザビル1,2,3のビル3棟が続きます。ハットグ、ホットクの店が3店あり最も混むところでした。今では一時ほどの混み方ではありません。

左側は百人町2丁目

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百人町1丁目の方から2丁目のKプラザ2の韓国のスーパー、チョンガーネを見る。右の端がハットグのはじめのアリラン・ホットドッグ

このビルは前は114銀行のビルで12階が銀行で3階より上は銀行員の住まいでした。

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右側はKプラザ3の大型テレビ画面のあるところ 前はパチンコ店でした。

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左側のビルはKプラザ1です。右側は韓国風中華料理で隣はコスメ店。

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新大久保駅から見て、少し前の図より手前のところ、左端のアイスクリームのお店も混んでいます。

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下図 右側にジョンノハットグ 細い道の向かい側にも2号店があります。この辺りも大変込みます。左側のビルの2階によく行く海鮮韓国料理の「テジョンデ」があります。

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百人町1丁目のはじのところ、右が熱帯魚の円満屋さん、真ん中が1階、コスメ店のリメイク,2階がグッズ店オルチャン。

プラザビル2のチョンガーネの向かいのお店です。

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ここは、もう大久保1丁目右のオレンジ色の看板のお店が、市場(シジャン・タッカルビ)初めてチーズ・タッカルビを始めたお店です。

デジニランドとコンビニとの間の道が、イケメン通りです。

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市場タッカルビのとなりは韓国スーパーのソウル市場

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イケメン通りから職安通りに出たあたり、このビルは歌舞伎町のビル。ほとんど人通りがありません。以前はこの辺りも大変混んでいました。

脇道のお店にはあまり人が入っていません。

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高田馬場から山手線の線路沿いに作っている道がようやく完成しそうです。ここは新大久保駅から職安通りに向かう道です。

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中間の道です、この辺りも完成しました。

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最後に職安道路につながるところだけが段差がありまだ工事中です。来年2020年3月ごろまでには完成するのでしょうか。

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新大久保駅の線路ぞいの郵便局通りにできたお店です。一番古くは「大長令^デチャングム」という韓国料理店でした。そのあとにネパール料理を中心とした多国籍料理店に、最近、「新大久保屋台村」ということで8か国の料理を作るお店となりました。今度は入口の段差が大きくなり、車いすでは入れなくなりました。

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新大久保駅近くのお店。「日越居酒屋」前は古くからあるお好み焼き屋さんでした。中はベトナム人でいっぱいのようでした。

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カテゴリー「大久保の街紹介」をご覧ください

2019年10月26日

「大久保の街(2019,10)の状況 人通りはまあまあ タピオカの店は多すぎて採算割れするのでは~」

2019年8月25日

「2019年8月 日韓関係悪化でも新大久保の人出はそれほど変わりません。しかし、ハットグは下火に?タピオカ店は乱立などで今後はどうか」

2019年06月

「令和となった新大久保最近のハットグで異常な混み方、3か所」

2019年12月30日 (月)

近況105 右足のくつにふたがはいっていたのに気が付きませんでした。右足のマヒ(触覚なし)の影響もあります。

突然の脳出血からもうまる6年にもなります。脳出血は二番目に多い視床出血です。ここは感覚神経が通るところで、はじめ右半身の感覚が一切なかったこともあります。だんだん回復してきましたが、まだ右半身のマヒは続いています。杖で出歩くのはリハビリの時だけでいつもは車いす生活です。2級の身体障碍者で、要介護3級の状態です。今回どのような状態で寝ているかの初めての写真をお見せします。

ベッドは病院のベッドと同じ高さを自由に調節できるベッドです。このベッドや手前にある杖もすべてリースでお支払いしています。ベッドの柵には夜間に尿瓶を下げられるようになっています。旅行に行ったときにふつうのベッドですので尿瓶の置き場に大変困ります。

真ん中より上には最近購入した、抱き枕があります。西川の布団製で10000円だそうです。タツノオトシゴの様な形です。たしかに寝やすくなります。ただ今までは出来るだけ寝返りを打つようにしていたのですが、抱き枕にすると寝返りを打てず右側を下にしてばかりで寝てしまいます。右の横むきでばかり寝るといつも腰骨があたり痛くなります。

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下記の写真は、体中のかゆみのために慶応病院の皮膚科で処方してくれた100g入りの薬の容器です。2番目に強いステロイド剤のアンテベート軟膏です。いまは東新宿皮膚科では5gの小さい軟膏、20個をもらい、こちらの容器に移し替えて使っています。

いつもベッドのわきに薬を置いているのですが、薬を塗った後フタがいくら探しても見つかりません。12月25日の夜にはフタがベッドから落ちて靴の中に入ったようです。病気後は部屋の中でも靴を履いているのです。26日の朝、着替えをして靴を履いて、容器のふたを探したのですが、どう見ても見つかりません。家内もベッドの周りを探してくれましたがわかりません。おかしいなー、と消えてしまったと思いながら一日を過ごしました。

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下記 部屋の中でも履いている靴。寒いので厚めの靴下を履いていました。

◎上の2枚の写真は最近購入したカメラ(CANON IXY200)でとりました。下の2枚は携帯電話のカメラで撮りました。

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夜、寝るときに靴を脱いで、車いすからべッドに上がりましたが、その時に薬のふたが靴の中に入っていたことに気づきました。靴下を脱ぐと、足の裏にはフタの跡が強く残っていました。いままで、まさかフタが靴の中に入っていたとは気が付きませんでした。痛みも全く感じず、フタが入っているという感覚も全くなかったからです。この時、もうベッドに横になっていますので、車いすに戻りカメラを取りに行くのが面倒なので写真を撮るのが面倒で、そのまま寝てしまいました。

下記の写真

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翌日の朝、足裏の状況を再現するためにふたを足の裏に押し付けました。そんなに強く押し付けなくとも簡単に跡が付きます。実際はもっと深くはっきりと跡がついていました。

ふつうなら足の裏に何かが当たってすぐに気が付くでしょうし、また傷みもあるはずです。それが、一日中わからないほどに感覚がなくなっているのです。

右半身では特に触覚が全く回復していません。以前リハビリで作業療法士の方が袋に入れたものを触らせて何かをあてるのですが、ほとんどわからないのです。右半身は血の巡りが悪く、爪の伸びが悪いのです。右の手のひらは左より冷たくなります。肩の関節は上手く動かず、よく痛くなります。そしてぎくしゃくとした動きです。これはもう治らないようです。今もそうですが目を少し長めに使うと目じり周辺の傷みがひどくなります。

毎日の生活は土日を除いて毎日の予定が決まっています。内科医の往診が月2回、歯科医の往診が月1回、皮膚科に行くのが月1回。リハビリが週2回、入浴介助のヘルパーさんが週2回、看護師さんの訪問が月1回、ケアマネージャーが月1回。外出介助が月2回という具合で、カレンダーには予定がぎっしり書きこんであります。家内にはそれぞれに応対してもらいますので、申し訳ないと思っています。何もないのは土日だけです。自分の予定では人間学研究所の例会が月1回あります。

週2回のリハビリで理学療法士が後ろにつき、うち廊下を杖で歩きます。休みながらですとかなり歩けますが、実生活では車いすで、歩きません。父が転倒して頭を打ちその日のうちに亡くなったのを見ていて,転倒を恐れているのです。わたしは6年間で転倒したのは1回だけです。どうもこの状態でずっと続いてしまいそうです。

2019年12月24日 (火)

京王デパート新宿店で初めてのランチ。8階の「お好みダイニング 八寸八卓」で、昔ながらのデパートレストランです

 2019年12月24日(火)月2回のお出かけの日でしたが、今日はヨドバシカメラ新宿西口店でデジカメを買いに行ったので、近い京王デパートのレストランに行ったわけです。先日、人間学研究所の忘年会でスマホでとってもらった画面があまりにきれいで、同じところを携帯電話のカメラでとったものとあまりに画像の鮮明さが違うので、スマホを買う代わりにデジカメで写真を撮りパソコンで取り込むことにしました。比較的値段の安い、14850円のものを買いました。小さくて軽量です。(IXY200)

カメラを買った後、近くの京王デパートの8階、レストラン街で、昔ながらの何でもある形のデパート・レストランという形の「お好み・ダイニング 八寸、八卓」へ行ってきました。新宿タカシマヤのレストラン街はよく行きました。先日小田急デパートにも行きました。京王デパートのレストラン街は初めてです。8階は広く、1フロアにレストランが全店揃い、他の店まであります。

新宿区西新宿1-1-4 京王デパート8階 電話 03-5321-5968

食べログ 3,23 席数154席 広いお店です。

「お好みダイニング 八寸‣八角」の入口です

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店頭の 和食からステーキまであります。

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この下の写真は新しく購入したカメラで撮ったものです。

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これからは、前からの携帯のカメラで。

料理は最初に出たもの

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メインのものはすぐにきました。

寿司6貫、てんぷらそば、刺身、魚の焼き物、茶わん蒸し、ぜんざい、といったところ

少し、ピンボケになってしまいました。

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写し直しです 私には少し量が多く、食べてもらいました。

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料理  2人分で 5000円

    消費税   500円

    合計   5500円

2019年12月18日 (水)

戦争の人間学 エンゲルスの戦争論とアメリカ独立戦争、ヘンリー五世、石弓(弩)対長弓と関連  2019年12月追記編

★ このブログは2009年8月にかかれたものです。2019年12月、2020年4月に再度、一部書き加えてのせました

 

1)エンゲルスの戦争論

 

エンゲルスが、アメリカの百科事典に、戦争についての項目をたくさん書いているということはあまり知られていません。エンゲルスは1848年におきたドイツの帝政に反対する革命軍(ドイツ3月革命)で、軍事に明るいエンゲルスは元プロイセンの軍人ウイリヒ・アウグストの副官として、実際の戦場で戦っています。エンゲルスの指揮する軍はなかなか強かったようです。しかし革命軍はその後プロイセン軍に敗れます。マルクスの娘たちは、堂々としたエンゲルスを将軍と呼んだそうです。マルクス・エンゲルス全集にはエンゲルスが執筆した百科事典の多数の項目が載っていて、大変興味深いものです。 1857年7月から1860年11月

追記

「マルクス・エンゲルス全集」第14巻 1964年12月初版 監訳者 大内兵衛他 大月書店を参考にしています。

『ニュー・アメリカン・サイクロペディア』の諸論文・記事 マルクスとエンゲルスの名前になっているが実質的にエンゲルスが書いた。

5ページから341ページまで、67項目

 軍隊、副官、会戦、ボロジノ、焼夷弾、戦役、キャプテン、臼砲ケッチ砲、騎兵隊、築城、歩兵、海軍、…など。

ブリュッハーという記事には、プロイセンの元帥で、ナポレオンとの戦闘について19ページという地図とともに詳しい記事が載っています。

軍隊 Army 全集5ページから49ページまで

 国家が攻撃戦争または防御戦争の目的で維持する武装した人間の組織的集団のことである。~最初の軍隊はエジプトの軍隊である。~アッシリア、ペルシャ、ギリシャ、、、マケドニア、ローマ・・

エンゲルスの書いた、アメリカの独立戦争

 

 エンゲルスはその百科事典でアメリカの独立戦争のことを書いています。はじめ、アメリカの独立軍が、イギリスの正規軍と同じ戦法をとっている間はとても勝てませんでした。皆さんも映画などでご覧になったと思いますが、横に列を作って、軍楽隊の演奏に沿って行進し、一斉射撃を行うという戦法です。撃たれた兵隊はばたばたと死んでいきますが、そのまま行進をしていきます。赤い軍服で装備が整ったイギリス軍に比べ、兵力も装備も劣るアメリカ軍は、同じ戦法をとっている間は、厳しい戦いを強いられました。

 ところが途中から、アメリカ軍では、開拓者などの民間人(民兵)も戦闘に参加して、戦法も変えていきました。ばらばらになって、木陰などから、狙うという戦法です。いわゆる散兵です。またゲリラ戦法などでイギリス軍を悩ませました。しかし、この散兵による戦いは、自覚した兵士が自分の役割を命令されなくともしっかり果たそうとするものでなくてはなりません。

 アメリカ軍は、イギリスによる搾取に強い怒りをもち、ひとりひとりが、自分の戦いとして真剣に、戦いました。命令がなくとも自覚的に戦います。ところが、イギリス軍にはそういう意識はかけていました。ですから、多くは貴族出身の将軍が撃たれて亡くなったりすると、バラバラになってしまいました。

 

 その状況を一番よく理解するには、メル・ギブソン主演のアメリカ映画パトリオット』(2000年上映)を見ると大変よくわかります。筆者もビデオを見ましたがメル・ギブソンは、民兵を組織し民兵による散兵によるゲリラ戦争でついにイギリス軍を打ち負かします。アメリカ軍の銃もバッファロー狩りのための猟銃として、銃身の中に螺旋をつけたライフル銃を使い、射撃距離、命中率、破壊力ともに優れ、旧式銃をつかうイギリス軍に比べ有利でした。これは戊辰戦争の時に最新型の銃を使う薩長軍に対して旧式銃しか持たない幕府軍が負けたのと同じようなことです。

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 このことは最近のベトナム戦争における、アメリカ軍と、ベトナム兵の場合にも言えました。あれほど、強力な近代兵器をもったアメリカ軍も次第に兵士は戦う意義を見失ってしまい、個々人が強い戦う意思をもった粘り強いベトナム軍に負けてしまいました。 地の利を生かしたゲリラ戦法も有効でした。

 

2)「ヘンリー五世」イギリスとフランスの兵隊の意識の差

 

 このような例は、いろいろありますが、イギリスとフランスの戦いを描いたシェイクスピアの「ヘンリー五世」という演劇、小説でもわかります。これは、有名な演劇で、いくつか、映画にもなりました。私は、ビデオで、ローレンスオリビエ主演のものと、ケネス・プラナーが監督と主演を兼ねたものを見ました。また舞台のものも見ました。皆さんはご覧になったでしょうか。

 

 イギリス王、ヘンリー5世に率いられたイギリス軍は1415年に1万人の兵力をもって、フランスのノルマンディーに侵攻した。しかしフランス中で連戦しているうちに、疲れ果て、1000人の騎兵と5000の弓兵と兵力もきわめてすくなくなってしまいました。フランス軍は新手で、数も10倍を超える兵力です。(この戦闘では3倍とか)イギリス軍の兵士は翌日の戦いを前にして、死が迫っていると思い意気消沈しています。そこでヘンリー五世は、野営している兵隊をお忍びで尋ねます。そして、「一般の庶民は、何事も心配なく眠ることができる。しかし王はいつも安らかに眠れない」といいます。 

 

 そして翌日の戦いを前にして、援軍が少しでもあればいいのにとの声を聞いた王は、兵の前で演説をし皆を励まします。

「援軍はなくてよいのだ、少ない我々だけが戦って勝利し栄誉を手に入れることができる。イギリスに帰った時、この戦いの日になると、今イギリスで安楽な生活をしている人たちに、ここで王とともにたたかって勝ったということを、国に帰った時にいつまでも誇りにできるのだ。だから兵士は少ないほどいい。まだ応援が必要と考えるかね」と問います。

 

 これはなかなか名調子の素晴らしいもので、ああ、危機の時このように上司たるもの、言えばいいのだなと思います。そして兵士は一気に奮い立ち気持を一つにして戦うことを誓います。そして翌日の戦いでは、イギリス軍は圧勝します。数に勝り、なめてかかったフランス軍は屈辱的な敗北をしました。この戦いはアジンコートの戦い(アジャンクールの戦い)といわれました。そして戦いの後、ヘンリー五世はフランスの王女を妃にして、その子はイギリス、フランス両方の国王となります。

 

(「ヘンリー五世」ついては、私のブログに改めて書いています 2010年4月13日)

 

3)兵士の構成と戦法の差による戦いの差 

  ヘンリー5世とアジャンクールの戦い イギリスの長弓とフランスの弩(石弓)

 

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 『戦場の歴史』2、中世編 (ジョン・マクドナルド 1986年 河出書房新社)より

上図

 少し暗い画面ですが、上がイギリス軍の長弓 下がフランス軍の石弓ー『弩』

下図

p72 アジャンクールの戦いでのイングランド兵

 下馬装甲騎兵と弓兵 弓兵には騎兵攻撃を防ぐ杭を持ち運ばせた 装甲騎兵は常に馬から降りて身分低い弓兵と戦う準備ができていた。

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フランスの弩(石弓)兵 弓をつがえるのに時間がかかるため大盾を持った盾持ちがいた。

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 イギリス軍は中堅的な自営農民が中心でした。兵士としても常に長弓の訓練をしていました。彼らは王室に対して、こころから忠誠を誓っていました。その弓の腕は素晴らしいものでした。256メートルも矢を飛ばし、何と一分間に10本の矢を射ることができたといいます

一方フランス軍は傭兵や、貴族の従者が中心でした。その武器は石弓(弩)です。これは、320メートルと射程は長く強力な武器ですが、一分間に一本の矢と発射速度が低いという難点がありました。

フランス貴族は反乱を恐れ、部下の兵士に長弓を持たせなかったともいわれます。ですから、フランス軍は戦いに勝っている間はいいのですが、負け始めたり、指揮官が倒されたりしたら、たちまちバラバラになってしまいました。このような例はたくさんあるのですが、あらためてお話ししていきます。

アジャンクールの戦い(1415年) 左図 赤がイギリス軍 青がフランス軍(戦場の歴史より)

アジャンクールはパリの北、カレーの南50キロにある。

戦闘は2つの森の間のあい路でぬかるみの中で戦った。イングランド軍(赤)は装甲下馬騎兵を中央に両翼に弓兵を配置した。

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1、兵力が劣るイングランド軍は下馬装甲騎兵に弓兵を配置した

2、側面のフランス騎兵がイングランド弓兵に突撃したがや矢と杭で撃退した。

3,敗走するフランス騎兵が自軍の下馬兵とぶつかり混乱した。

4、フランス軍本体は苦戦しながら相手軍に近づくが指揮官の多くが捕虜となる

5、側面に回り込んだフランス兵は行李車両を襲う

右図 

側面に回り込んだフランス兵はイングランドの行李車両を襲い、非武装のものを殺しヘンリーの宝物を奪った。

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p73 アジャンクールの戦いを描いた15世紀後期の写本。泥だらけの耕地と森が両方描かれている。

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p208 「長弓は凄まじい武器だった。長弓兵は最初に放った矢が刺さる前に3本目の矢を放つことができた。しっかりと立つために彼らはしばしばはだしで戦った。弓を引く力をと持つためには規則的な練習が必要だった。

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2019年12月14日 (土)

人間学研究所 2019年度例会 更新版 11月例会 岩田好宏氏のお話. 追記12月忘年会 の写真 2020年4月まで講師の方決まる

1、人間学研究所の第156回例会2019年度11月例会のお知らせ

 日 時 : 2019年11月15日(金)午後6時から8時ころまで

 テーマ :「遊び、仕事、学習、実践」

      電車の中で隣に坐っている若者がスマホゲームを

                 しているのを見て

      ”これは人間の生活の仕方の基本だと思った”

 講 師 : 岩田好宏氏 (当研究所所長・子どもと自然学会

              元会長)

 場 所 : 西戸山タワーホームズ集会室

       新宿区百人町3-1-5

◎当日は9名の方が参加され、懇親会も5名の方が参加されました。

 

2、以後の例会の予告

 157回例会 

    2019年12月13日(金)午後6時から

    鍛冶屋文蔵 高田馬場店

    参加費  料理7品+飲み物代 2000円+500円

    当日は、9名の方が参加されました。

    下記に参加者の写真があります。とてもきれいに写っています。

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 158回例会

    2020年1月17日(金)午後6時から

    講 師  森岡修一氏 (当研究所副所長・

                                大妻女子大名誉教授)

    テーマ  「日本の言語教育の動向とリテラシーをめぐる

          諸問題」

    場 所  西戸山タワーホームズ集会室

    (状況により3月でお話しいただける予定の生田清人氏に

     代わることもあります)

 159回例会

    2020年2月13日 (木)午後6時から

    講 師  西田隆男氏  当研究所研究員・

         (自由の森学園学校カウンセラー

                埼玉ダルク所長)

    テーマ  「子どものための哲学のケーススタディー」

    場 所  西戸山タワーホームズ集会室

 160回例会

    2020年3月13日(金)午後6時から

    講 師  生田清人氏  当研究所研究員・

               (駒沢大学講師他) 

   テーマ  「わかる」から「できる」へ向かうわが国の

        学校教育における教師の専門性

        ~日仏の新しい学校地理の比較から~

   場 所  西戸山タワーホームズ集会室

 161回例会

   2020年4月17日(金)午後6時から

   講 師  田中稲生氏 (実用的人間学研究会会員

               元銀行支店長)

   テーマ  未定

   場 所  西戸山タワーホームズ集会室

    

◎ お問い合わせは  当研究所事務局長 佐竹幸一まで

    pcr92240@nifty.com

           090-6549-2677

★ 人間学研究所のメンバー以外の方でも参加できます。

  お問い合わせは、佐竹まで、ご連絡ください。

 

2019年12月11日 (水)

2019,11オープンの、渋谷スクランブルスクエアの「しゃぶしゃぶ つかだ」で食べてきました。スクランブルスクエアはだいぶ混んでいます。

2019年12月10日(火)今年11月1日にオープンした、渋谷スクランブルスクエアの12階のしゃぶしゃぶ つかだ」でランチを食べてきました。

スクランブルスクエアの入口は渋谷駅と隣接しています。

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この下の画像2つは「こういちの人間学ブログ」2018年12月19日の記事の写真です。まだ建築中です。

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12階に展望するスペースがあります。やや左に今建設中のビル。向こう側に画面ではかすかに新宿の高層ビル街が見えます。

スクランブルスクエアは2019年11月1日オープン、ですからオープンしてから1月ちょっとです。かなり混んでいました。エレベーターに乗るにも時間がかかりました。これは東棟です。西棟は後日。

1階、地下1、2階が食品売り場、2階から11階がファッション関係他、12,13階がレストラン、14階がライフスタイルグッズと展望施設の入場券売り場、17-45階がオフィス、46階から47階、屋上が展望施設(SHIBUYA SKY)です。高さ23mで渋谷では最も高いビルです。

12階からの眺め。下は山手線の線路。

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12階と13階がレストラン街です。各階に9店づつあります。

 

12階にアラビア、地中海料理のカールヴァ―ン(キャラバン)トウキョウ があります。本店は飯能にあり、珍しいお店です。お店の入口。混んでいてすぐに入れません。食べログ 3,08

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カールヴァ―ンのチラシから 上 アラカルト

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左上方はアラビアン・プレート 前菜「メゼ6種の盛り合わせ」2400円

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13階に向き合って2つのスペイン料理があります。スペイン料理が好きなのでどちらかに行こうと思っていました。

ここは、「ラ・コキ-ナ オルべセリア」です。立食式で車いすでは無理でした。

もう1店は「ホセ・ルイス」でスペイン王室御用達のお店だそうですが、混んでいて入れませんでした。食べログ3,09

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いつまでも混んでいたり、もうランチタイムが終わったりして、どこかに決めなければならず、比較的開いていたお店で、初めての、しゃぶしゃぶのお店にに入りました。

「しゃぶしゃぶ つかだ」

渋谷区渋谷2-14-12 渋谷スクランブルスクエア東棟E1201

席数60席  食べログ 3,02

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お店から外を見る

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頼んだのは、

和牛肩ロース夢の大地    3900円  

和牛肩ロース和牛ブリスケ  4400円です。

それぞれのコースのサラダ

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1人しゃぶしゃぶしやすいように鍋が分かれています。野菜はこれが1人分。野菜は新鮮でおいしい野菜でした。

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和牛肩ロースと和牛ブリスケ ともにいい肉でした。

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和牛肩ロースと豚のロース部分です。

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ご飯か、締めの小さいラーメンが付きます。写真を撮りそこないました。

デザートいくつかのうちのプリンです。

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食事終了が終了3時3近くでした。

地下2階で夕食のものとパンを買って帰りました。

12月10日(火)毎日新聞の夕刊1面トップに、

「ITベンチャー渋谷に帰還」、「『100年に1度』の開発ビットバレー再び」となっています。

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大手IT企業が入居する「渋谷スクランブルスクエア」

渋谷で相次ぐ大型再開発

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ちょうど記事が載った日に渋谷スクランブルスクエアに行ったことになります。

 

2019年12月 7日 (土)

近況104 1、「人間学研究所年誌2019」への投稿の準備、と体調2「人間学研究所通信」85について3、ブログアクセスの状況

1,『人間学研究所年誌2019』NO17への投稿の準備をしています。いまの体調についても。

スカイツリーのそばの日の出

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2020年3月発行の『人間学研究所年誌2019』NO17への投稿の準備をしています。今年度のテーマは「人間学研究所の今後について―『こういちの人間学ブログ』についても」でエッセイとして投稿します。前年度の年誌2018に書いたテーマが「柴田先生の思い出と人間学研究所のこれから」というテーマですから、かなり似たテーマとなります。しかし、前年度は柴田先生の思い出と人間学研究所の歴史と状況が中心で人間学研究所のこれからについてはほんのわずかしか書きませんでした。年誌2019においては、これからの人間学研究所をどうしたら良いかについて、いろいろな提案を含めて書いてみたいと思っています。

以前のブログにも書きましたが、体調が今一つ順調ではありません。とくに少し長い時間パソコンの画面を見ていると、右目の目じりからこめかみにかけて、ずきずき痛んできます。左目はずっと以前の眼底出血の影響でよく見えません。そうなるとi痛み止めの薬リリカ25mgを飲むのですが、すぐには効いてきません。右利きでしたが脳出血の後遺症で、右半身にマヒが残り右手の自由がききません。パソコンは左手だけで打っていますが、どうしても遅くなり、キーボードを見ながら打っているために、知らずにカーソルが戻っていて、しばらく打ってから打ち直しということがよくあります。(リリカは25mg、75mg150mgとあります。飲んでいるのは25mgなので弱い薬です)

今書いている年誌の原稿には以前に書いた資料からいろいろ抜いてこなければならず手間がかかります。記憶力も衰えてきているしで、しっかりしたものが書けなくなっています。病気になる前の以前の年誌には、論文らしきものも書きましたが、今ではエッセイか短報がせいぜいです。

最近はテレビでいい番組をやっているからと、録画しておいても、記事にはできず、そのままにしているという状態です。

 

2、「人間学研究所通信」Humanology85 の内容

ダウンロードの内容を開いてみていただければ、よくわかりますが、

1、12月13日(金)の忘年会、

2、2020年1月(講師森岡氏)と2月(講師、西田氏)の例会予告。

3、『人間学研究所年誌2019』第17号の刊行予告、原稿募集

4、藤岡貞彦、岩田好宏対談「SDGsへの異常な期待(ブーム)」を考える

ダウンロード - 2019_11_152020humanology20no_84282019_911_15292028229.doc

◎人間学研究所通信の号数が83号で重複しています。それで2019年11月15日発行の84号となっているものは85号です。

 

3、「こういちの人間学ブログ」の状況について

 

2019年12月7日(土)のアクセスの状況です。追記12月11日

アクセス累計  179万9千件         180万件

記事数      1080件          1081件

コメント     1290件          1245(承認済みのみ)

 

各組織の「こういちの人間学ブログ」にアクセスした人数ランキング(累計)

日立製作所  172       東京大学    69

日本電気   164       早稲田大学   63

NHK    107       京都大学    51

日本HP    97       東北大     49

東京放送    93       ・・

朝日新聞    82

・・

◎脳出血の病気になったときの2013年11月ごろにはブログのアクセスも最も多く、病気で入院していてパソコンに一切触れない4か月間にも1日に1000件ほどのアクセスがありました。今はすでに病気後6年が経過しております。最近のアクセス数はだいぶ減少して、月に1万件1日に300件ほどに減少してしまいました。記事の内容が、新大久保の街の紹介や、新宿のレストラン紹介などのお手軽な記事が多くなっているせいだと思います。2019年12月の人気のブログを見ますと、ベスト10のうち、病気後に書いたブログが3件しかなく、病気前のブログが7件ということでもわかると思います。

2019年12月での人気記事順位

1位 人相の科学的追及 耳 (福耳)   2012年

2位 秋山佳胤の不食‥ひどいウソ     2016年

3位 若杉友子長生きに肉食べぬは間違い  2013年

4位 占星術は科学的根拠なし       2011年

5位 人相の科学的追及 額 (広い額)  2013年

6位 ロッテの跡地、更地から住宅展示場  2018年

7位 ”IQ84””の性描写はおかしい    2013年

8位 部落差別の根源 エタと非人とは   2014年

9位 新大久保に多い、キリスト教会    2019年

10位 その健康法では早死にする     2012年

・ 体に良い食べ物はなぜころころとかわるのか

・ ネアンデルタール人について図像の変化

・ 中国の3大悪女と傾国の美女

・ 100匹のネコと寝る女

 

◎世の中では非科学的な話を批判した記事のほうが圧倒的に少なく、実際のブログでは非科学的、神秘主義的な記事のほうは圧倒的に多いのです。秋山氏の水も飲まず、もちろん食事をしないで、いわば気の様なものを取り入れて生きている。なんて講演に結構人が入るようです。そんなことがあり得ないと思わないのですね。食事も水もなしで生きられる方法(水なしで1週間ほど生きるの方法の発明でもノーベル賞3つぐらいの大発明です。地震で生き埋めになった人などが助かります)があると信じる人が多いのですね。

上記で、病気後に書いた人気ブログは(太字)3件だけです。それ以前より少ないのです。

 

 

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