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2019年12月18日 (水)

戦争の人間学 エンゲルスの戦争論とアメリカ独立戦争、ヘンリー五世、石弓(弩)対長弓と関連  2019年12月追記編

★ このブログは2009年8月にかかれたものです。2019年12月、2020年4月に再度、一部書き加えてのせました

 

1)エンゲルスの戦争論

 

エンゲルスが、アメリカの百科事典に、戦争についての項目をたくさん書いているということはあまり知られていません。エンゲルスは1848年におきたドイツの帝政に反対する革命軍(ドイツ3月革命)で、軍事に明るいエンゲルスは元プロイセンの軍人ウイリヒ・アウグストの副官として、実際の戦場で戦っています。エンゲルスの指揮する軍はなかなか強かったようです。しかし革命軍はその後プロイセン軍に敗れます。マルクスの娘たちは、堂々としたエンゲルスを将軍と呼んだそうです。マルクス・エンゲルス全集にはエンゲルスが執筆した百科事典の多数の項目が載っていて、大変興味深いものです。 1857年7月から1860年11月

追記

「マルクス・エンゲルス全集」第14巻 1964年12月初版 監訳者 大内兵衛他 大月書店を参考にしています。

『ニュー・アメリカン・サイクロペディア』の諸論文・記事 マルクスとエンゲルスの名前になっているが実質的にエンゲルスが書いた。

5ページから341ページまで、67項目

 軍隊、副官、会戦、ボロジノ、焼夷弾、戦役、キャプテン、臼砲ケッチ砲、騎兵隊、築城、歩兵、海軍、…など。

ブリュッハーという記事には、プロイセンの元帥で、ナポレオンとの戦闘について19ページという地図とともに詳しい記事が載っています。

軍隊 Army 全集5ページから49ページまで

 国家が攻撃戦争または防御戦争の目的で維持する武装した人間の組織的集団のことである。~最初の軍隊はエジプトの軍隊である。~アッシリア、ペルシャ、ギリシャ、、、マケドニア、ローマ・・

エンゲルスの書いた、アメリカの独立戦争

 

 エンゲルスはその百科事典でアメリカの独立戦争のことを書いています。はじめ、アメリカの独立軍が、イギリスの正規軍と同じ戦法をとっている間はとても勝てませんでした。皆さんも映画などでご覧になったと思いますが、横に列を作って、軍楽隊の演奏に沿って行進し、一斉射撃を行うという戦法です。撃たれた兵隊はばたばたと死んでいきますが、そのまま行進をしていきます。赤い軍服で装備が整ったイギリス軍に比べ、兵力も装備も劣るアメリカ軍は、同じ戦法をとっている間は、厳しい戦いを強いられました。

 ところが途中から、アメリカ軍では、開拓者などの民間人(民兵)も戦闘に参加して、戦法も変えていきました。ばらばらになって、木陰などから、狙うという戦法です。いわゆる散兵です。またゲリラ戦法などでイギリス軍を悩ませました。しかし、この散兵による戦いは、自覚した兵士が自分の役割を命令されなくともしっかり果たそうとするものでなくてはなりません。

 アメリカ軍は、イギリスによる搾取に強い怒りをもち、ひとりひとりが、自分の戦いとして真剣に、戦いました。命令がなくとも自覚的に戦います。ところが、イギリス軍にはそういう意識はかけていました。ですから、多くは貴族出身の将軍が撃たれて亡くなったりすると、バラバラになってしまいました。

 

 その状況を一番よく理解するには、メル・ギブソン主演のアメリカ映画パトリオット』(2000年上映)を見ると大変よくわかります。筆者もビデオを見ましたがメル・ギブソンは、民兵を組織し民兵による散兵によるゲリラ戦争でついにイギリス軍を打ち負かします。アメリカ軍の銃もバッファロー狩りのための猟銃として、銃身の中に螺旋をつけたライフル銃を使い、射撃距離、命中率、破壊力ともに優れ、旧式銃をつかうイギリス軍に比べ有利でした。これは戊辰戦争の時に最新型の銃を使う薩長軍に対して旧式銃しか持たない幕府軍が負けたのと同じようなことです。

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 このことは最近のベトナム戦争における、アメリカ軍と、ベトナム兵の場合にも言えました。あれほど、強力な近代兵器をもったアメリカ軍も次第に兵士は戦う意義を見失ってしまい、個々人が強い戦う意思をもった粘り強いベトナム軍に負けてしまいました。 地の利を生かしたゲリラ戦法も有効でした。

 

2)「ヘンリー五世」イギリスとフランスの兵隊の意識の差

 

 このような例は、いろいろありますが、イギリスとフランスの戦いを描いたシェイクスピアの「ヘンリー五世」という演劇、小説でもわかります。これは、有名な演劇で、いくつか、映画にもなりました。私は、ビデオで、ローレンスオリビエ主演のものと、ケネス・プラナーが監督と主演を兼ねたものを見ました。また舞台のものも見ました。皆さんはご覧になったでしょうか。

 

 イギリス王、ヘンリー5世に率いられたイギリス軍は1415年に1万人の兵力をもって、フランスのノルマンディーに侵攻した。しかしフランス中で連戦しているうちに、疲れ果て、1000人の騎兵と5000の弓兵と兵力もきわめてすくなくなってしまいました。フランス軍は新手で、数も10倍を超える兵力です。(この戦闘では3倍とか)イギリス軍の兵士は翌日の戦いを前にして、死が迫っていると思い意気消沈しています。そこでヘンリー五世は、野営している兵隊をお忍びで尋ねます。そして、「一般の庶民は、何事も心配なく眠ることができる。しかし王はいつも安らかに眠れない」といいます。 

 

 そして翌日の戦いを前にして、援軍が少しでもあればいいのにとの声を聞いた王は、兵の前で演説をし皆を励まします。

「援軍はなくてよいのだ、少ない我々だけが戦って勝利し栄誉を手に入れることができる。イギリスに帰った時、この戦いの日になると、今イギリスで安楽な生活をしている人たちに、ここで王とともにたたかって勝ったということを、国に帰った時にいつまでも誇りにできるのだ。だから兵士は少ないほどいい。まだ応援が必要と考えるかね」と問います。

 

 これはなかなか名調子の素晴らしいもので、ああ、危機の時このように上司たるもの、言えばいいのだなと思います。そして兵士は一気に奮い立ち気持を一つにして戦うことを誓います。そして翌日の戦いでは、イギリス軍は圧勝します。数に勝り、なめてかかったフランス軍は屈辱的な敗北をしました。この戦いはアジンコートの戦い(アジャンクールの戦い)といわれました。そして戦いの後、ヘンリー五世はフランスの王女を妃にして、その子はイギリス、フランス両方の国王となります。

 

(「ヘンリー五世」ついては、私のブログに改めて書いています 2010年4月13日)

 

3)兵士の構成と戦法の差による戦いの差 

  ヘンリー5世とアジャンクールの戦い イギリスの長弓とフランスの弩(石弓)

 

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 『戦場の歴史』2、中世編 (ジョン・マクドナルド 1986年 河出書房新社)より

上図

 少し暗い画面ですが、上がイギリス軍の長弓 下がフランス軍の石弓ー『弩』

下図

p72 アジャンクールの戦いでのイングランド兵

 下馬装甲騎兵と弓兵 弓兵には騎兵攻撃を防ぐ杭を持ち運ばせた 装甲騎兵は常に馬から降りて身分低い弓兵と戦う準備ができていた。

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フランスの弩(石弓)兵 弓をつがえるのに時間がかかるため大盾を持った盾持ちがいた。

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 イギリス軍は中堅的な自営農民が中心でした。兵士としても常に長弓の訓練をしていました。彼らは王室に対して、こころから忠誠を誓っていました。その弓の腕は素晴らしいものでした。256メートルも矢を飛ばし、何と一分間に10本の矢を射ることができたといいます

一方フランス軍は傭兵や、貴族の従者が中心でした。その武器は石弓(弩)です。これは、320メートルと射程は長く強力な武器ですが、一分間に一本の矢と発射速度が低いという難点がありました。

フランス貴族は反乱を恐れ、部下の兵士に長弓を持たせなかったともいわれます。ですから、フランス軍は戦いに勝っている間はいいのですが、負け始めたり、指揮官が倒されたりしたら、たちまちバラバラになってしまいました。このような例はたくさんあるのですが、あらためてお話ししていきます。

アジャンクールの戦い(1415年) 左図 赤がイギリス軍 青がフランス軍(戦場の歴史より)

アジャンクールはパリの北、カレーの南50キロにある。

戦闘は2つの森の間のあい路でぬかるみの中で戦った。イングランド軍(赤)は装甲下馬騎兵を中央に両翼に弓兵を配置した。

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1、兵力が劣るイングランド軍は下馬装甲騎兵に弓兵を配置した

2、側面のフランス騎兵がイングランド弓兵に突撃したがや矢と杭で撃退した。

3,敗走するフランス騎兵が自軍の下馬兵とぶつかり混乱した。

4、フランス軍本体は苦戦しながら相手軍に近づくが指揮官の多くが捕虜となる

5、側面に回り込んだフランス兵は行李車両を襲う

右図 

側面に回り込んだフランス兵はイングランドの行李車両を襲い、非武装のものを殺しヘンリーの宝物を奪った。

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p73 アジャンクールの戦いを描いた15世紀後期の写本。泥だらけの耕地と森が両方描かれている。

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p208 「長弓は凄まじい武器だった。長弓兵は最初に放った矢が刺さる前に3本目の矢を放つことができた。しっかりと立つために彼らはしばしばはだしで戦った。弓を引く力をと持つためには規則的な練習が必要だった。

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人間と社会、歴史」カテゴリの記事

コメント

イチロウ様

コメントありがとうございます。
戦争の話はよく父から聞いていました。前半は満州でものすごい寒さで厳しい生活だったようです。
日本に一度戻り、再び今度は中国へ派遣されました。父の戦友の妹が私の母で、伯父は匪賊の襲撃で戦死しました。
途中で部隊の半分が南方に行きほとんど戦死したそうです。

日本が戦争に巻き込まれたのはアメリカのせいだとかいう論調が増えましたね。安倍も憲法を変えるのに必死で、何とか自分の手で憲法を変えるつもりです。でもこんなにひどい安倍政治を支持する勢力が強いのも驚きです。

毎年、12月になりますと、戦争の話題がマスコミにも掲載されることが多くなります。 真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争に関わる様々な話題が世間でも交わされます。

でも、その話題の焦点が最近では戦後数十年の間に交わされたものよりも少し変わって来ているように思えます。 一言で言えば、大日本帝国に依る侵略戦争の実相が「自衛」のための戦争だった、と言う歴史認識が大手を振って横行するようになった、と言うことです。

NHKを筆頭にテレビの番組も潮目が変わって来たように思えます。 例えば、バブル崩壊後に放映されましたNHKのシリーズ「ドキュメント太平洋戦争」では、各番組の中で侵略戦争の実相が厳しく描かれていましたが、最近のものでは、聊かその矛先が鈍り、戦争の実相が隠されているように思えます。 

上記のシリーズでは、厳しい戦争の実相が描かれ、無謀な戦争に邁進した当時の為政者や彼等に追随した国民の有様が描かれ、バブル崩壊後の様々な反省点に符節を合わせる番組制作者の論調が厳しかったように思えます。

私は、たまたま出生した地の近辺が戦時中には陸軍の飛行場だった処でしたので、幼児の頃より戦争には関心があり現在に至るまで様々な書籍等を参考に当時の戦争の実態を知ろうと努めて来ました。 亡父が「比島攻略作戦」に一兵卒として参加し、サマット山麓にて突撃時に左足貫通銃創を負いましたので、余計に関心が強かったのです。

亡父が亡くなった折に自宅まで来られた戦友の弁護士(故人)の方は、厳しい眼で「あなたの親父(亡父)とは、戦友だった」と言われた後、一言も発されませんでした。 戦争当時の思い出が蘇ったのだろうか、と思いつつ私も黙ってしまったことでした。 その後に相談事で事務所を訪問した私が謝礼をお支払いしようとしますと、「戦友の息子から金を取れるか」と言われて受け取りを拒否されました。 「戦友」とはそれ程までに結びつきが強いのか、と驚いた次第です。

いくら書物を読んでも理解が出来ない処が多いのも戦争に関わる事なのです。

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