近況105 右足のくつにふたがはいっていたのに気が付きませんでした。右足のマヒ(触覚なし)の影響もあります。
突然の脳出血からもうまる6年にもなります。脳出血は二番目に多い視床出血です。ここは感覚神経が通るところで、はじめ右半身の感覚が一切なかったこともあります。だんだん回復してきましたが、まだ右半身のマヒは続いています。杖で出歩くのはリハビリの時だけでいつもは車いす生活です。2級の身体障碍者で、要介護3級の状態です。今回どのような状態で寝ているかの初めての写真をお見せします。
ベッドは病院のベッドと同じ高さを自由に調節できるベッドです。このベッドや手前にある杖もすべてリースでお支払いしています。ベッドの柵には夜間に尿瓶を下げられるようになっています。旅行に行ったときにふつうのベッドですので尿瓶の置き場に大変困ります。
真ん中より上には最近購入した、抱き枕があります。西川の布団製で10000円だそうです。タツノオトシゴの様な形です。たしかに寝やすくなります。ただ今までは出来るだけ寝返りを打つようにしていたのですが、抱き枕にすると寝返りを打てず右側を下にしてばかりで寝てしまいます。右の横むきでばかり寝るといつも腰骨があたり痛くなります。
下記の写真は、体中のかゆみのために慶応病院の皮膚科で処方してくれた100g入りの薬の容器です。2番目に強いステロイド剤のアンテベート軟膏です。いまは東新宿皮膚科では5gの小さい軟膏、20個をもらい、こちらの容器に移し替えて使っています。
いつもベッドのわきに薬を置いているのですが、薬を塗った後フタがいくら探しても見つかりません。12月25日の夜にはフタがベッドから落ちて靴の中に入ったようです。病気後は部屋の中でも靴を履いているのです。26日の朝、着替えをして靴を履いて、容器のふたを探したのですが、どう見ても見つかりません。家内もベッドの周りを探してくれましたがわかりません。おかしいなー、と消えてしまったと思いながら一日を過ごしました。
下記 部屋の中でも履いている靴。寒いので厚めの靴下を履いていました。
◎上の2枚の写真は最近購入したカメラ(CANON IXY200)でとりました。下の2枚は携帯電話のカメラで撮りました。
夜、寝るときに靴を脱いで、車いすからべッドに上がりましたが、その時に薬のふたが靴の中に入っていたことに気づきました。靴下を脱ぐと、足の裏にはフタの跡が強く残っていました。いままで、まさかフタが靴の中に入っていたとは気が付きませんでした。痛みも全く感じず、フタが入っているという感覚も全くなかったからです。この時、もうベッドに横になっていますので、車いすに戻りカメラを取りに行くのが面倒なので写真を撮るのが面倒で、そのまま寝てしまいました。
下記の写真
翌日の朝、足裏の状況を再現するためにふたを足の裏に押し付けました。そんなに強く押し付けなくとも簡単に跡が付きます。実際はもっと深くはっきりと跡がついていました。
ふつうなら足の裏に何かが当たってすぐに気が付くでしょうし、また傷みもあるはずです。それが、一日中わからないほどに感覚がなくなっているのです。
右半身では特に触覚が全く回復していません。以前リハビリで作業療法士の方が袋に入れたものを触らせて何かをあてるのですが、ほとんどわからないのです。右半身は血の巡りが悪く、爪の伸びが悪いのです。右の手のひらは左より冷たくなります。肩の関節は上手く動かず、よく痛くなります。そしてぎくしゃくとした動きです。これはもう治らないようです。今もそうですが目を少し長めに使うと目じり周辺の傷みがひどくなります。
毎日の生活は土日を除いて毎日の予定が決まっています。内科医の往診が月2回、歯科医の往診が月1回、皮膚科に行くのが月1回。リハビリが週2回、入浴介助のヘルパーさんが週2回、看護師さんの訪問が月1回、ケアマネージャーが月1回。外出介助が月2回という具合で、カレンダーには予定がぎっしり書きこんであります。家内にはそれぞれに応対してもらいますので、申し訳ないと思っています。何もないのは土日だけです。自分の予定では人間学研究所の例会が月1回あります。
週2回のリハビリで理学療法士が後ろにつき、うち廊下を杖で歩きます。休みながらですとかなり歩けますが、実生活では車いすで、歩きません。父が転倒して頭を打ちその日のうちに亡くなったのを見ていて,転倒を恐れているのです。わたしは6年間で転倒したのは1回だけです。どうもこの状態でずっと続いてしまいそうです。
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コメント
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イチロウ様
コメントありがとうございます。
声の質が急に変わったということですが、どうしたのでしょうか。悪性腫瘍のせいではないと思いますがきちんと検査してもらうに越したことはありません。早めのものでしたら今ですと大部分が根治します。
ネコちゃんのためにでも、体の異変に気をつけて、初期のうちに直されるのが第一ですね。
私も月に2回医者の往診を受けていますので初期のうちに病気が見つかる可能性が大きいです。
お互いに長生きできるように頑張りましょう。良かったら、唾液を意識的に飲み込む唾液健康法も試されるといいですね。唾液には抗がん作用がありますからがんになりにくいと思います。
投稿: こういち | 2019年12月31日 (火) 19時46分
こういち 様
新年を前に、御自分の心身の状態を冷静に見ておられますね。 感服いたします。
私は、最近、自分の声の変化が気になって仕方がありません。 年齢を重ねて老人性の声質になったのでしたら気にもならないのですが、声が若返ったように、聊か硬質になったような気がしてなりません。
本年春に胃と大腸の内視鏡検査を受けた折に、逆流性食道炎の所見がある、と言われたのです。 この病には、十年以上以前になりまして、外科にて何度も内視鏡検査を受け、経過観察を何か月もしたことがありますので、またか、と嫌気がさしたことでした。 そしてそのせいで声が聊か変わったのかも知れない、と思ったのですが、更に悪くて、悪性腫瘍かも知れない、とも思え、新年早々に耳鼻咽喉科で検査をしてもらおう、と決めた処です。
友人が何人も悪性腫瘍で急死しましたので、気になるのです。 特に三年ほど前に急死しました友人は、私が二十代の頃からの同僚でしたので、今でも寂しく、何故、そのように早く逝かねばならなかったのか、と反芻しています。
可笑しな話ですが、我が家に居る猫たちのためにも、頑張らねば、と気合が入ります。
三年前に亡くなりました愛猫の「とら」は、最期の最期まで「生きる」と頑張って、亡くなる前日の夕方にも皮下輸液を必死になって受けてくれ、ミルクも飲んでくれました。 亡くなった時には、私の眼を見つめてそのまま、でした。 何度も、何度も、「とら」の眼を閉じましたが、その度に、両眼が開くのでした。 体が硬くなり亡くなったのだ、と自分に言い聞かせた程でした。 そして、私も、あのように生きる、と思いました。
猫の「とら」に教えられたのです。
投稿: イチロウ | 2019年12月31日 (火) 18時14分